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2016-03-16

あのときのこと少しずつ振り返る。3.11 14:46~16:30

震災から5年。

あのとき、当時していたmixi日記でこと詳しく記録していたが退会と同時に消去してしまった。

今あのときのことを少しずつ思い出し記録として残しておきたいと思う。

あのとき私は岩手県内陸部で生活していました。

2:46 震度6弱の揺れ

  職場施設作業をしていました。揺れ直後、すぐさま1人屋外に逃げました。

  共にいたのは、上司を含め社員が2、3人とパートのおばちゃん20人くらい。

  社員であるのにも関わらず周囲のことに気を配ることのなかった私は自己中かもしれません。

  こpの2日前にあった震度4の揺れでも1人屋外に逃げ周囲からバカにされました。

  だから今回もバカにされてもいい、とにかく逃げた。

  揺れがおさまらない。

  地面が波打っている。電柱も勢いよく揺れている。近くにあった大きいフォークリフトもガタガタ揺れている。

  揺れがおさまったのはどのくらい経ってから・・・

2:50 職場事務所へ集まる

   停電していることが分かった。

   何がなんだかわからない。

   誰かがラジオを持ってきた。

   宮城震度7大津波警報!?!?!?・・・よくわからない。

   

3:00 同じ東北にある実家心配になり母にメールをする。

   すぐに無事であるメールがくる、母はあのときバイクで夕刊配達をしていた。

   電話はつながりづらいし、ラジオで緊急以外での利用を控えるようにと呼びかけていた。

   そんなときに、東海地方に暮らす、元同僚から電話が、奇跡的につながった。

   無事であることを伝え、「緊急の人がいるはずだから」とすぐに電話を切った。

3:30すぎ 同僚のカーナビ釜石港津波到達を目の当たりにする。

     コンテナは積み木のように、車はミニカーのように簡単に浮かび、流れてゆく。

     「うそでしょ・・・!!!」そんな言葉しか出ない。

     津波という言葉は知っていました。でも当時の私のイメージ高潮のようなものだと思っていました。

     海水が少しずつ、少しずつ、量と勢いを上げて陸に入り込む。

     どうにもならないんだ・・・

3:45 このままでは仕事にならないので解散になった。

   当初の予定ではこの日の夕方スーパー食材を買う予定でいたので自宅には食べるものほとんどない。

   自家用車を運転し、自宅に帰り途中でコンビニに寄る。

   コンビニ停電スクリプラーが作動したようで床は濡れている。

   とりあえず、おにぎりプリッツサラダ味、ビールを手に取る。とりあえず口に入れておきたいもの

   たくさんのお客がいた、会計電卓でだった。

   コンビニを出てから自宅まで6キロ、その間に信号機は3つ、停電しているので、信号機はついていない 

   でも意外と互いに譲り合い事故一つなく

16:30 自宅に戻る。

また今度思い出すことにする。

   

  

  

 
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