いくつかツッコミ
これはどこでの事例なのかソースがあったら教えて欲しい。(都市部っぽいが。地域差は当然あるだろうし)
考えようによっては、生涯未婚率は5割を優に越える。なぜならば、それくらいの人数は病気などに対する抵抗力の弱い子どものうちに死んでしまうからだ。
そのような防ぎようのない未婚率を抜きにして、生きて15歳を迎えた人の未婚率は、東海地方での調査では1割以下らしい。
んなこたーない。理由は先述した通りに乳幼児死亡率が今と比べて比較にならないほど高い上に出産での事故による母親の死者も多いからだ。
・小作層ほど子どもが少なく、地主層ほど子どもが多く早婚傾向にある。
・小作層の子どもは男女問わず、多くが名古屋、京都、大坂に出稼ぎに行く。そして半数は帰ってこない。
・そうすると小作の家は断絶が増える。そうした世帯の減少を地主層や自作層からの分家による増加で補っている。
・以上のように下層ほど子どもが少ない傾向にはあるが、根本的に多産多死時代ではあるし労働力の需要も多かったので子どもはどの階層でも多め。もちろん、多すぎたら間引きすることもあったのだろうが。
・再婚は多い。なぜならば(離別も確かに多いのだがそれ以上に)結婚後数年も保たずにパートナーと死別することも多いからだ。特に結婚後1~5年後の夫婦は妻の死による死別が多く、おそらく出産での事故死が相当数を占めていることが推測される。
という結果が出ているそうだ。ソースは歴史人口学の大家である速水融先生の数々の著作。
史料として主に使われたのは江戸時代の宗門改帳だ。高校日本史でやったかと思うが、江戸時代にはキリスト教徒(および一部の禁止宗派)で無いことを示すために民衆はどこかの寺の檀家であることを必要とした。
この「村ごとの寺の檀家であることを確認する」調査が宗門改だ。これとは別に人別改という戸籍調査をしていたが、江戸の中期には事実上宗門改と人別改は一体化した。
この宗門改帳には、少なくとも「子どもが生まれて一定年齢を過ぎたら家ごとに掲載される」「結婚したらその旨掲載されるし、その際には『○○さんの所に嫁(婿も少数ある)に来たのは△△村の□□家の人だ』程度のことは書いてある」
「死亡したらその旨書かれる事が多い(抜けもあるが)」という特徴があるので、宗門改帳がまとまって残っていれば江戸時代の家族の実態はある程度把握できている。
余談だが、キリスト教圏、特にカトリックが強い地域でも神父の日記が残っていれば似たようなことができる。というかこちらが先にあって速水先生がそれを日本の宗門改帳に応用した。
村ごとにあるキリスト教会の神父には「赤ちゃんが生まれたら洗礼を施す」「結婚する時には誓いを受けるし、その際には村外からやってきた新婦の簡単な出自程度は書いている」「死亡したら葬儀を行う」という重要な仕事があり、
盆踊りの実態は乱交パーティーだった、みたいな話。よく目にするけど、実は確たる証拠はないんだよね。 夜這いの風習がーって言う人もいるけど、その風習は近代以降に始まってたり...
いくつかツッコミ 江戸期も男性の約半数、女性の3割強が生涯未婚だったし、 これはどこでの事例なのかソースがあったら教えて欲しい。(地域差は当然あるだろうし) 考えようによっ...
乱婚だと性病を止めようがないから発展しなくなる つまり性病を止められる段階になれば乱婚は公共的同意を得られる 次はエイズを克服してからの話
岡山県では今でも夜這いの風習があって独身男性は山羊とやってるんでしょ?