はてなキーワード: 新天地とは
私はジャンルを複数掛け持ちしているが、ものぐさな人間なので、趣味垢は3つ……今は実質2つしか持っていない。
1つ目は表垢。普段のつぶやきや作品公開、他者との交流はここでする。
2つ目は特殊ジャンル垢。R指定ではないがかなり特殊なジャンルのため、垢分けをおこなった(現在はほぼ稼働していない)。
3つ目は裏垢。鍵をかけている。表では言えないR指定作品、センシティブ作品を発表したり、愚痴を言ったりする。
この裏垢は8年ほど前から稼働しているが、滅多に人には教えていない。全員ほぼ相互フォローで20人もいないくらいだ。そして大抵鍵垢同士だ。自分の性癖は人にバレたらかなりアレだと自覚しているので、複数回通話したり、己の弱みを握り合った状態でないと相互にならない。
そして去年の秋頃、そこに新たな相互を数人、加えることとなった。どの方も複数回通話し、お互いにアレな性癖があるのを晒し合い、全員成人済で社会人の確認が取れたので相互となった。きちんと人から見えないところで、思い切り性癖の話が出来るんだろうなと私はワクワクしていた。
最初の頃までは。
新たに相互になった数人の中に中心的な人物がいた。名前をAさんとする。私は最初、Aさんと表垢同士で繋がり、次に裏垢同士でも繋がった。Aさんの表垢からも私の裏垢にフォロリクが来たので、それも許可した。彼女は、表垢でン万人のフォロワーを抱える神絵師だ。そんな人でもアレ性癖があるのが意外だったが、裏でこっそり楽しいお話が出来るならそんなことは関係ない。表垢での発言も良識がある(ように見えた)し、通話でもちょっと押しが強かったが、明るく積極的な性格の方で、楽しい話題を提供してくれた。大抵の人間を『悪さをしてなければいい人』と捉える大雑把マンの私の中では、彼女は『いい人』だった。
繋がってから、改めてAさんの裏垢を見た。彼女の裏垢は、彼女が表で見せないような攻撃的な発言が多く溢れていた。少し驚いたが嫌悪感は感じなかった。誰だって嫌なことはあるし、愚痴を全く言わない人間なんていない。私自身や私の相互鍵垢フォロワーも、表垢より過激なことを言ってるし。あの明るい性格からはちょっと考えられないくらい意外だったが、まあこんなものだろう。あと愚痴まみれじゃなくて、普通にアレ性癖語りもしてて面白いし。おっこれ面白い。ファボろ。
こんな感じで、しばらくは平和に過ごしていた。
Aさんの発言には表垢と裏垢とで、矛盾が多いことに気づいた。たとえば、裏垢では「女体化地雷!嫌い!」と言っているのに、表垢では女体化を描いていたりしたのだ。表と裏での行動と発言が一貫していなかったことに、私はいつも首をひねっていた。でもまあ、人間表では言えないこともあるだろうし……私はその程度の認識だった。
それからほどなくして、Aさんの(裏垢での)不可解な行動はさらに目に見えて激しくなった。
Aさんは、ある絵師を執拗に敵視していた。裏垢ではその絵師……Bさんのことを鍵垢引リツし、Bさんみたいなイナゴ絵師は最悪!という内容のことを叫んでいた。また、ある動画投稿者……Cさんもまた、Aさんは嫌っていた。Bさんほどではないが、動画が面白くないとか、承認欲求強すぎて嫌だとか言っていた。
私は、裏垢に顔を出しづらくなっていった。
何故なら、BさんもCさんも、表垢での私の好きなクリエイターだったからだ。
確かに、BさんとCさんは私から見ても調子に乗りやすいタイプだったり、承認欲求の強さが垣間見えるところがあった。しかし、彼らの作品が自分の好みだったのも事実だ。なので、Bさん、Cさんを私は表垢でフォローはせず、しかし定期的にチェックして楽しく作品だけを見させてもらっていた。
Bさん、Cさんの作品を見ているような人は信じられない、モラルに欠ける。そのようなことを、Aさんは裏垢で発言していた。
今まさに、裏垢にBさん、Cさんの作品を見ている私がいるのにだ。
私は表垢でB、Cの作品を普通にRTしていた。表垢同士で繋がっているAさんにもまた、私のRTが流れてくるはずだ。つまり私は、Aさんに地雷を垂れ流していることになる。自分だったら、こういう風に後から相互さんが地雷だと判明したら、申し訳ないがミュート、ブロ解する。しかしAさんは私を(おそらく)ミュートしていない。私のツイートにも爆速で反応して、(フリだとしても)友好的なリプを送ってくるのだ。
私はAさんの地雷を目の前で踏んづけているのに、私のことが嫌いじゃないのか?どうしてミュート、ブロ解しないんだ?わからなかった。
私は雑多垢の人間だ。好きにツイートするのが信条だった。しかしいつしか、私は『Aさんの好み』を気にするようになってしまった。
次第に私は、Bさんの作品を追わなくなっていった。
Cさんの作品に、私は「面白いです!これからも頑張ってください!」といつか言おうと思っていたが、言えぬままCさんは消えた。病んで垢消ししたのだ。
他にも、私が最近いいなと思った絵師、フォローしたアカウントを、Aさんは裏垢でことごとく晒しあげ、否定した。しかし何故か、私に直接文句は一言も言わずに、だ。私は新たに好きなクリエイターを探すことすら億劫になっていった。
Aさんは、私が表垢で気に入ってRTしたものを、嫌いだと当てこするような発言をするようになった。
私が表垢でメイドコス絵をRTすると、「メイドコス絵とか、好きでもないのに大量に流れてくるから嫌いなんだよね」
私が表垢で大胆な構図の絵をRTすると、「こういう大胆な構図の絵は正直面白みにかけるよね」
(内容にフェイクは入れてますが、マジでこういう感じの発言です)
……一度だけなら偶然と思えたかもしれない。しかしAさんは、私が表垢でRTしてから必ず数分後にこういった内容の発言を裏垢でした。何度もだ。Aさんは神絵師で、私は絵が下手だ。絵についての知識ならば向こうが圧倒的にあるだろう。彼女の言葉が有識者からの意見に思えた。私がRTした作品を好きになるような人は、目が曇っていると言われているような気持ちになった。自分の「好き」という気持ちが、どんどんしぼんでいった。
また、Aさんはジャンルの愚痴も言っていた。私は現在、大まかに分けてα、β、γというジャンルで活動している。このうちαでは本を出し、βでは来月本を出す予定で、γはROM専だ。Aさんとはαジャンルで繋がっていた。
Aさんは、裏垢であろうことかβジャンルの悪口を言っていたのだ。今まさにβジャンルのドスケベ原稿真っ最中の私と繋がっているのに、だ。
βジャンルのファンを……その、「キッズ」とか「ガイジ」とかかなりヤバい言葉で罵っていた。もう愚痴ではない。悪口だこれは。あなたの言ってる「キッズ」で「ガイジ」が、今目の前にいますけど?!裏垢を眺めながら私は宇宙猫フェイスになっていた。私はAさんがますますわからなくなっていった。
さらに、これは完全に自分の落ち度だが、Aさんはフォロー許可した表垢から私の裏垢にリプを飛ばしてきた。やめてくれ!バレたくないんだ、裏垢同士で話すだろう、普通は!そう思っても、フォロー許可したのは自分なので後の祭りだ。これはマジで私が悪い。
それでももう限界だった。仕方ない、私がAさんをミュートかブロ解しよう!そう思い立って、はたと手が止まった。
こんな攻撃的な人をブロ解とかしちゃったら、私どうなっちゃうの?
どっと汗が出た。今私は、裏垢同士で繋がってAさんのアレ性癖を知っているが、翻せば私のアレ性癖も知られているということだ。互いのタマを握り合っているに等しい。その上、Aさんつながりで相互になった鍵垢仲間の人は全員Aさんとの方が親交が深い。私はαジャンルで一番の新参者だった。今までの裏垢の発言とかスクショ撮られたとしたらどうしよう?もしAさんが被害者っぽく振る舞ったら、孤立無援の新参者と、万バズ神絵師。世間はどっちの言い分を信じるだろう?脳内で阿部寛と例のBGMがぐるぐる回りだし、私は指を動かせなくなった。
Aさんは、全てが非常識な人ではなかった。たとえば私が裏垢で「nmmnを検索避けしない人ってヤバくない?」みたいな発言をすれば、「本当にそうですよね!」と同意リプを飛ばしてきた。アレ性癖は決して表垢で漏らさず、愚痴も表垢では言わなかった。私は表垢のAさんと裏垢のAさんが同一人物だと思えなかった。もういっそ千年アイテム持っててくれと願ったほどだ。
ほとほと困り果てた私は……別ジャンルフォロワーに相談することにした。この時ばかりは、ジャンルを掛け持ちしていて良かったと痛感した。
αジャンルではAさんは有名人なので何も話せない。そこで、βジャンルの人に今まであったことを通話で掻い摘んで話した。すると、彼らは「それはおかしい!」と言ってくれて、彼女の不可解な行動をこう推測してくれた。
「Aさんは、あなたを自分の都合のいいような存在にしたい、自分のコントロール下に置きたいと思ってるんじゃないの?」
目から鱗だった。そういう人もいるんだ、という驚きと、今までのAさんの行動に納得がいった。行動の矛盾の多さも、自分の都合のいいことしか見えていない、自分のやることは例外だけど他者のやることはダメ、そういう彼女の思い込みによるものなんだろうと思った。(それでも、万バズ神絵師のAさんが、私みたいなろくに作品も作らない、表垢でも吹けば飛ぶようなフォロワー数の底辺ツイッタラーをどうしてコントロールしようとしていたのかは、最後まで分からなかったが……)
Aさんはすごくまともそうな人だったんだけど……と話すと、βジャンルフォロワーは苦笑いしながら答えた。「世の中には、めちゃくちゃ擬態の上手い人間がいるんだよ」
Aさんは自分の年齢を裏垢で公開していた。芸能人の〇〇と同じ、と言っていたので、おそらく4X歳だろう。その年齢で、他者を自分のコントロール下に置くためにこんな行動をする人がいるのか。今まで、誰にも「そういうことしたら人が離れていくよ」と言われなかったのだろうか。それが一番の恐怖だった。
βジャンルフォロワーには相談に乗ってもらった上で、さすがにあなたが迂闊だよと叱られた。その通りだと思う。私は自分の軽率な行動を反省した。そうして、私はかたちだけでも円満に離れるために、8年慣れ親しんだ裏垢を捨てて、今は新天地へと向かっている。
①垢消しやブロ解などはせず、旧裏垢へのログインをやめる
③センシティブ垢は表で言えない『性癖』を話す垢。旧鍵垢のフォロワーは誰も選ばず、好みのクリエイターだけフォローする
④愚痴垢は表で言えない『愚痴』を話す垢。こちらは完全壁打ち。誰もフォローしない
⑤表垢でのAさんとの交流を徐々に疎遠にし、しばらくしたらミュートする
Aさんに悟られず、私が徐々に消えていくためのプロセスはこんな感じだ。さらば、8年間の性癖を詰め込んだ裏垢よ。不甲斐ない主を許しておくれ。
でも、せめての感謝の気持ちを込めて、最後に裏垢でセンシティブ作品を発表した。何も知らない鍵垢仲間のフォロワーは、私の久々の作品投稿を褒めてくれた。その中にはAさんもいた。それ自体は、本当にありがたいことだと思う。作品や性癖語りは、誰かに見てもらうだけで奇跡みたいなものだし、それで互いの好みが一致するなんて本当に素晴らしいことのはずなのだ。その上で他者をコントロールしようとするなんて考えても詮無いことであると、Aさんがいつか気づいてくれれば良いのだが。私にはもう、彼女に何も出来ない。
主に精神的な窮地を迎えた人間へのアドバイスとして、「逃げればいい」という言葉が用いられることがあるが、個人的には違和感がある。
そのとき、私が本当にやりたかったことは、その窮地を終わらせたいということだけだった。
その窮地を逃げて、新天地で一からやり直したいというわけではなかったのだ。
だから、希望としては、窮地を代理で解決するヒーロー的存在が登場するか、完全なる無意識となるのを求めていた(怖くて死ぬことは考えなかった)。
つまり、現状の窮地が消失するか、窮地を感じない自分となるかを求めていた。
日本人の(いや他の国の人も?)多くは、過剰に安定志向なのがいけないと思うんですよ。
何があっても今の仕事(主に正社員の地位)に必死にしがみついて、ひたすら定年まで勤める、ってのを至上命題に掲げてる感じ。
それ前提でしか考えられないなら、botとしてうだつの上がらないまま人生を終えるしかない。
生産的な趣味(もしくは新天地の仕事)のスキルなんか、初めから備えてる人はいない。努力を放棄して最初から諦めてるのはダメだw
50歳くらいで、それまでの仕事とは関係ない畑違いの伝統工芸職人とかに弟子入りして、今では人間国宝レベルとかになってる人なんてのも居るわけだし。
(今は亡き「和風総本家」で見たw)
なんでかって、自分を迫害した相手に正面から勝負を挑んで打ち負かして復讐を果たそうという話だから。
そのパートが下品で嫌だったって言ってるブコメもあってまあそういう反応もわかるんだけど
それでも現実のフェミニストに比べればあのオカマは圧倒的に筋が通ってて清い。
迫害されたことは心に残ってるけど、関係ない人に攻撃性を向けたりしない。
自分を鍛えて自分の力を強くするというポジティブな努力へ転化して新天地ではさっぱりとよい人生を築き出ししている。
恨みを捨てられないならきちんと本来の復讐対象と対決して勝利して勝ち誇る。
圧倒的に立派。
漫画の中のオカマのようにスーパーウーマンでないのは仕方ないけど、志や指向が既に醜い。
フェミニストの攻撃は本来の恨みの対象とは関係ない人への攻撃ばかり。
一生グジグジ恨みを引きずる癖にちゃんと本来の恨みの相手への復讐を果たしてない。
そこを誤魔化すために自分の恨みを一般化して「男全体」に引き受けさせようと話をすり替える。
更に「男全体」の中から攻撃しても怖いことがなさそうな相手を打算を重ねて選んで攻撃する。
そうすると「①男性性や暴力性が薄く、②世間からよく思われてなそうな男性の集団」を狙う。
②だけなら反社会的な集団丸ごと広くあてはまるけど、①の問題をクリアしない。
現実的にもイメージ的にも怖い。そういう男性的暴力的な感じの男を攻撃して反撃されたらと想像するだけでいじめられっ子根性で身がすくむ。
特定の誰かへの、自分の前半生で悔しかったことへの、個人的ルサンチマンのあさってな代償行為としてやってることに社会正義みたいなガワをかぶせて嘘ついてるわけじゃん。
だから大義名分のわりに根拠や論理が支離滅裂で、活動はひたすら感情的になる。
攻撃に合理性も限度もないから相手の反撃で怖くなるまでは止まらない。
理念なんかないから相手が普通の対応や応答をしても地面を舐めさせるまでは収まらないし、
逆に敵対的な腹の据わった反応をされて「強い」「怖い」と感じたらスッと攻撃性が無くなって逃走を図る。
理念を持って本当の社会正義だと信じてやってる人とは正反対の反応パターンなんだよね。
自分より弱いと目した相手にそれを押し付けて復讐を果たそうっていう
そういう本当に筋の通らないかっこ悪いいじめられっこじゃん、ネットフェミニストがやってることって。
相手が殴られっぱなしになってる限りはどこまでも付け上がって際限なく全面降伏要求と攻撃をするし
自分から攻撃を仕掛けた案件でも初手か2手目には被害者アピール。
強い女のパワフルなアクションなんかじゃなくて
そういうの非言語的なレベルではみんながわかってるからネットフェミニストを蔑む空気がどんどん強くなってるんじゃないの?
詳細は割愛するが、今月入社した会社が明らかにあ、この会社やベえ()と思うところだったので、入社して早々に辞めてきた。
次から次へと飛ぶ人が後を立たないらしく、それを防止する為に早期で辞めた人に対して違約金を請求される。しかし、そんなに飛ぶ人が多いのなら根本的な問題を解決しない限り、永遠に続く問題だと思う。なのでその会社のやばいところをしっかり論破して、違約金を払わなくてよいことになったが、こんなにやばい会社は今まで遭遇したことがないので新たな世界を見た気がして今となっては面白い。
働いてる人も大概やばかったので、あんまり交流せずひっそりと過ごしていたが、全員が全員悪い人ではなかったなと今では思う。
今でも交流続けたいな~って思えた人が二人いるが、変なことに巻き込まれたくないので関わるのは辞めた。だけど少し心残り?というか寂しい気もする。
見下してる人だなんて思わないよ お疲れ様
相手の反応をよく見ていて、人に合わせられる気配りの細やかな人なんだと思った
勝手に自分と重ね合わせて邪推するんだけど、そこが上司を勘違いさせる原因になってきたのかなと思ったよ
単純に多忙なマネジメント目線だとこやつ、気がつく!ここを伸ばしたい!じゃあ俺ルール受け入れてもらって進行!で脳死俺指示or放置 になりがちだし、
寂しさのある恋愛・不倫脳上司目線だと、気にかけて受け入れてくれる異性!認定で執着が始まるケースは多々あると思う 迷惑な話だ
後者タイプの上司の人間性はともかくとして、あなたを活用できないのは各上司の責任なのだから、何も気に病まなくていいと思う 社会通念として、風土として色々言われることもあるかもしれないけど、構造的には間違いなく上司のせい あなたに手落ちがあるとすればガチャ爆死後遺症のせいでコミュニケーションや業務のスタートがおそらくだけど、後手になっていたことかも(邪推すまない
せっかく新天地で踏ん張り直してるのに、世の中うまくいかないよな
まずは現状だと定期面談(上司以上が出てくる)に向けて根回しかな あなたの行動・上司の行動が客観的に第三者からどう見えてるかが事前にわかるといいよね
新天地だからなかなかまだ難しいと思うけども、キャリアに対して意思を感じる文があるので、今の職場でも、別の場所を探すとしても、上司の価値基準に振り回されないで業務上のゴールを追えるように願ってる
長々ごめんね
こんな所でこう書いても会社を辞めるか辞めないか、その後の人生がどうなろうがは自己責任だということは分かっている。
よくある話題で大して面白くもないが、自分は社会の適正が低いと思う。
そもそも労働に対しての意識も意欲もあるとは言えないし、対人関係、特に上司との関係構築に難がある。
戒めと問題提起の意を込めて書き綴る。私は人見知りがちな女とだけ先に書いておく。
1社目は私・上司それぞれの異動のローテーションの兼ね合いや出向元の関係で毎年上司が変わった。
感情の起伏はなく落ち着いた人だった。多大なストレスがかかる業務の中ぺーぺーな私の面倒をよく見てくれた。
ぺーぺーだった私は生意気な面も今よりかなりあった上、困難な業務も多く、手のかかる部下だったと思う。
正直なところ新人にこんな業務をやらせるなよ、というものも多々あったが、この上司なくしては私はもっと早くリタイアしていたかもしれない。
今思えば私と最も相性が良かったのはこの上司で、もっと長く一緒に働きたかった。
頼りない人だった。自己顕示欲が高かったり意識高い陽キャタイプではなかったが、ノリが寒いタイプ。
部下の業務を知り、フォローするような人ではなかったため、関連部署からの評判もあまりよくなかった。
私は2年目のペーペーとなったが、その私に頼りきりなところがあり、ペーペーの私は非常に困った。
業務の報告をしても相談をしても、的確なリアクションが得られないのである。業務は現場に任せきり。
私はやれるだけのことはやったが、上司にと信頼関係があまり築けず、舐めた態度を取るようになってしまった。
今思えば私の態度にも問題があるわけなので、分岐点はここから始まったような気がする。
次は私が異動となった。上司は頼れる人。仕事もでき、部下のフォローもでき、周囲からの信頼も厚かった。
同僚との関係性もよく私自身ものびのびと働けていた。コミュニケーションも活発で順調だった。
残業中に2人きりになった際に雑談が弾んだ。ほかの同僚に対してもフランクでフレンドリーだったし普通の内容だったので私も仲良くなれたと嬉しく思っていた。
面談でも、私の仕事ぶりをよく見てくれておりその上で必要な助言もくれた。今の私では考えられないほどいろんな話ができていた。いい関係だったと思う。
メールでも頻繁に会話することが増えた。軽い相談から始まった。
しかしそれは徐々にエスカレートし、プライベートの内容が増えていき(家族の話、異性関係の話。当時私は交際している人はいなかった。)、最終的に勤務時間外に返信を求められるようになった。
このままでは私はまずいと思い、断りを入れた。職場以外の場所で時間を取って会えないかと言われたときに。だって、上司には妻子がいる。
すると上司の態度が豹変した。機嫌を損ねてしまったようだ。もう私には二度と話しかけない、と言われた。いじけられた。
コンプライアンス、というか社会人のマナーとして私は間違ったことはしていないと思うのだが、どうして私がいじけられないといけないのか。意味が分からない。
だが、所属している組織の上司と部下という関係上、その関係が悪くなってしまうのはもっとまずいので、私は勤務時間中はできる限り普通の対応に努めた。
しかしながら私の努力とは裏腹に、上司との溝は深まってしまった。
私は精神的に疲れてしまい、業務に支障を来すようになってしまったため、産業保健師とさらに上長への相談の結果、一定期間休職することとなった。
休職の期間中どういった協議がなされたのか知ることもなかったが、今思えば、今後のキャリアと待遇上の不利を私だけが被る形となっていたことは文句を言っておけば良かった。
そして上司の異動後に私は復職することになった。この時点で私はの人間不信が加速していた。
第一印象は穏やかな人だった。裏を返せば前の上司と比べて頼りない人。前の上司とのギャップと私の人間不信が重なってお互いが気を遣い合っていた。
トラウマ的なもので、特に男性に対して心を開けなくなっていたことは確かで、コミュニケーションに躊躇するようになった。
そんなことでうまく行くわけがない。うまく行かなかった。キャリア上の問題もあり、私は退職を選んだ。
新天地である。フレッシュな人だと思った。私から見たら意識高い系。仕事とプライベートの区別をつけないような人。そのくせ古いジェンダー概念を持っている。
私が他者に対する警戒心が解けない(一生解けないと思う)おかげで、一線を引いてしまうことになったのが心象を下げてしまっていたと思う。
他の同僚とは仲良しグループ♪みたいなのを作っていたみたいなので、私が自己開示してくれないとか、心を開いていないとか思われていたんだろう。
単なる愚痴だが、上司は子供みたいな人で、前述した仲良しグループもそうだが、その仲間を少しでも否定されたり攻撃されると異常なまでに反撃するような人だった。
これが本当に厄介で、機嫌を取り上手く気に入られたら安泰、それができないと地獄の日々。
仲良しな部下からの情報(密告)は鵜吞みにし、それで部署内の雰囲気はギスギス。ごくありふれた話かもしれないが。
そんな厄介な上司は社外のパートナーに対しても失礼な言動が多かったため、そのフォローを裏でしていたのは気に入られていなかった側の部下だったことに彼は気付いていないだろう。
見事に合わない。マイルールの押し付けと小言ばかりの日々。自分に厳しい人って他人に不寛容なんですか?
一つ質問したら回答の前に小言が返ってくる。
私なりに進めている業務も、自分自身のやり方に沿っていないと最初からやり直し。それなのに積極性が足りないとダメ出し。
打ち合わせをお願いしてもすっぽかされること多々。
私は無能だと思われているんだろう。そのうちもう来なくていいと言われるかもしれない。
機嫌を窺いながら、萎縮をしながら、失敗を恐れながら過ごしている。何をしたらこの人のお眼鏡に適うのか、許しを得られるのかばかり考えている。
上司ガチャに失敗し続けて、今に至る。もちろん私にも非がある。他人に対してどんどん臆病になっている自分がいるからだ。
この世にはどうしても合わない人がいることは誰にでもあり、仕方がないことだ。
ここで会社を辞めて、次に行ったとしても次の上司と合うかなんて分かるはずがない。
でも、合わない場所に居続けるのも時間の無駄で迷惑な話だと思う。
それとも神経をすり減らす日々を続けるのか?
逃げた方がいいのか?逃げないほうがいいのか?
どこで何をどうしたら、私は私らしく生きていけるのだろうか。
上司との付き合い方を教えてください。
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
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の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
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考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
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軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
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六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
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我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
先進()国では順調に少子化が進んでいるらしい。少子化のまま国が存続していた例は寡聞にしてしらない。猿から人間、そして有史に至るまで人間は産めよ増やせよ地に満ちよであっただろうからそもそも少子化って現象自体がなかなか珍しいものだ。生殖による増員と選別は強力な武器であっただろうし、それをしない群れが生き残って来たとはちょっと思えない。
猿に近かった頃の人類の話から始めると全ての人の群れは猿山の原始カルトだった。遺伝子の生存競争と同じように原始カルトの生存競争もあった。原始カルトの今から見ると無茶苦茶な教義に従って群れは暮らし、群れごと滅ぼしたり滅ぼされたり吸収したり隷属したりのカルト集団の生存競争の果てに今の国家群がある。群れがあり、別れ、また一つになる。何度も繰り返してきた生態だ。だがもうなくなるだろう。そして世界はなんだかんだ統一されるし、統一に向かっている。分かり合えるようになったからだ。
現存の原始カルトと言えばキリストだのイスラムだのヒンドゥーだのだろう。それに加えて土着の信仰(勝手な思い込みって意味だ)が混ざり合い、現在では皆似たり寄ったりでそれなりに仲良くなっている。現代社会全体で見れば極めてヤバイ宗教はもうほとんどないし、きわめてヤバイ宗教が存在しないという形で宗教は統一に向かっている。世界の裏のヤバイ人の数はどんどん減っており、我々は分かり合えるようになった。今戦争している地域も最終的にはおとなしくなり、負けた宗教は土着の信仰に貶められるだろう。宗教的な統一は順調だ。
国家的な統一も進んでいる。こちらの方はある程度で止まるだろう。それがどれくらいのサイズ感かはわからない。しかし統一は進む。
理由①新たな群れはもう増えない
未発見の土地は既に存在しない。今後生まれるであろう群れが求める新天地は存在しない。群れから別れようとするような異端分子が存在しても行き場はそもそもない。アメリカへの移民はアメリカがあったからこそ成せた。既にそのような場所は存在しない。
更に言えばボス猿の武力が強くなりすぎている。その昔、人間というサルは連帯によって敵を倒せていたらしい。どんな強者でも最悪100人から投石を貰えば死ぬ。しかしそれは昔の事。武装が強力になった現代では石を投げつけられてもビクともしない強い武装がいくらでも存在している。そしてそれは製造に高度な技術を要求する。コモン投石はレア機動隊装備には勝てないし、その気になれば核ミサイルを撃ってもいい。まず反逆が無理
理由②群れは消える事がある
人間の群れが大きくなるにつれ相対的に世界は小さくなる。戦国時代には日本は分裂していたが現代では完全に統一されている。このような事例は枚挙に暇がなく歴史的にかつて国であった地域は統一され巨大な一つの国になった。人が進歩するごとに群れは減っていく。
世界的に国家は減っていく。しかしこちらはある程度で止まるだろう。江戸幕府が出来る可能性があるが黒船が来ない。もちろん宇宙人が出張ってきたら話は別だ。最大でも中国あたりが覇者になり幕府を開き、それくらいで終わるだろう。
初体験は15歳で、ネットで知り合った名前も知らない自称バンドマンの車の中だった。
会うまでの経緯とかはあんまり覚えてなくて、カラオケに行こうってことで出会ったと思う。20歳のバンドマン。学校帰りに制服のまま指定された駅に向かって、迎えに来た自称バンドマンの車に乗った。助手席に乗り込んでから顔を見ると、明らかに20歳ではなかった。"おじさん"って感じでもなかったから30歳くらいだったんじゃないかな。髪が長くて確かにバンドマンっぽくはあった。「制服かわいいね」「そうですか?」とか適当なこと話して、10分くらい車に揺られて、カラオケ行くのかと思ってたら車は人気の少ない路地に止まった。その時にいろいろと察した。
さすがに今から逃げるのは無理だろうと思って、男の言う通りにした。車の中は狭いし、男はハアハアしてるし、早く終わらないかなってずっと考えてた。
終わって、そろそろ帰らないと親に怒られますって言ったら、男はそのままさっきの駅まで送ってくれた。股に違和感があって、電車の座席に座ったときに「おお…」となった。
その男と会うことはもう二度となかったし、名前もわからなければ本当にバンドマンなのかどうかも結局わからなかった。バンドマンであろうがなかろうが最早どうでも良かったけど。
そこから少しして売春を始めた。出会い系サイトとかじゃなくて、掲示板。年齢体型プレイ内容希望額とかを書いて募集するんだけど、そのまま書くんじゃなくて独自のルールというか書き方があって、面白い場所だった。机の引き出しの中に貯めたお金はいつしか凄いことになってた。
掲示板での活動に限界を感じて、まだ見ぬ客を求め新天地を目指した。結果的に言えば、そこで稼ぎが爆発した。既にその言葉自体は存在していたのかもしれないけど、当時「パパ活」なんて誰も言ってなかったと思う。サポとか援とか、キャバ嬢風俗嬢なら裏引き直引きとか、そう言う感じだった。掲示板でのやり方に慣れていたから、新天地では探り探りのスタートだった。これで駄目だったら別の方法を試してみようって軽い気持ちで募集をしてみたら、掲示板の頃とは比べものにならないくらいの物凄い数の連絡が来た。全部見きれないくらいの量。ビビった。しかも初回の募集だけ爆発するのは分かるけど、それ以降も爆発しっぱななしで、適当な台に座ってレバー叩いたら直撃してそこからずっと継続みたいな。
一番嬉しかったのは、大量の連絡の中から客を選べるところだった。1人からしか連絡が来なかったら不安でもその人と会うしかない。でも10人から連絡が来ればその中から良いと思った人を選べる。
この「良いと思った人」ってのも、「ちゃんと待ち合わせに来てくれそうな人」「提示額より高額を支払うと言ってる人」「年齢・容姿」とか色々あるけど、最後はカン。100%は無理だけど、慣れてくると90%くらいの確率で変な人を弾ける。ただ、この人なら大丈夫だろうなって思ってた人に待ち合わせバックれられるってことは何回かあった。でもそれは仕方のないことで、怒りも悲しみも感じなかった。丁寧な釣りか、待ち合わせ場所で遠くからわたしを見て「違うな…」ってそっと帰った人だろうから。釣りに関しては100パーは見抜けないし、わたしの容姿が気に入らなかったならもうどうしようもないもん。逆にごめんって思うよ。
まあ、そんなこんなで固定客と会ったり新規と出会ったり。最後まで危険な目にあったことは一度もなかった。ホテルはわたしが選んでたし、シャワーも一緒に浴びてたから盗撮はされてないんじゃないかなーと思ってる。分かんないけど。待ち合わせ場所で遠くから写真撮られてたってのはあるかもだけどね。
キレて怒鳴ってくる人とか乱暴なプレイする人とかお金払わないってゴネる人とかいなかったのは有難いっていうか、運がいいのかなーって。
プレイ前提で会ったはずなのにご飯食べてお金くれて解散して、その後何回会っても一回も触ってくることなく一回のご飯で30万くれるような不思議な人もいた。
パパ活って言葉が流行り出して、自分より若い子がいっぱい出てきたあたりで売春は完全に辞めた。固定の人、常連さんにも連絡してすっぱり卒業。
彼氏ができたことは一度もないし、これから先できることもないだろう。なんかもう一生分のセックスしたなって思う。あんなにしたのに、もうセックスがどんな感じだったのか思い出せない。
パパ活女子のアカウントをたまに見たりするけど、感覚が全然違うなってびっくりする。確かにパパ活と売春、援交は全く違うものなのかもしれない。本心は知らないけど、パパ活を何か素晴らしいものだと演説しているパパ活女子を見てると違うと思わざるを得ない。おしゃれなアフタヌーンティーの画像やハートのスタンプで加工した札束、ブランド品、切り取って晒す気に入らない「パパ」とのライン。やってることは同じでも、こうも違うのかと驚かされる。
パパ活でも援交でも、個人による売春は危険だらけだ。当たり前だけど何かあったときに誰も助けてくれない。
売春してたとき、風俗嬢の知り合いに「どうやったらそんなに稼げるか教えてほしい。風俗は客も選べないし店に半分取られるから勿体なく感じる」みたいなことを言われたことが何回かある。やめたほうがいいと思うと最初は流してたが、あまりにもしつこいので少し話したら、それからその子は事あるごとにわたしに助言を求めてきた。
「こんなことを言われた。なんて返したらいい?」
「嘘がバレた。どうしたら誤魔化せるかな」
そんなの、自分で考えろと。わたしはその客を知らないし、万能な答えなんてないし、それで何かあったらわたしは責任取れないし。
結局その子は「本当にそれはやめた方がいい」というわたしの最後の忠告を無視して大変なことになり、風俗に戻っていった。
そもそも風俗だって危険だ。店も完璧に女の子を守ってくれるわけではないのに、誰も味方がいない個人売春なんて誰だって遅かれ早かれ危険な目に遭う。慎重だったのもあるけど、わたしの場合運が良かっただけ。
風俗よりリスクがあるから手取りが増える。当たり前すぎて忘れてしまったのだろうか。
パパ活ブームの真ん中にいるパパ活女子たちは、いま何を思うのだろう。
女として一番美しい時期を全て売春に費やして、それでもわたしはまだ生きているし、これからも死に向かって生き続けなくてはいけない。
青春は終わった。
自分でもろくでもない青春だったと思うけど、違う青春を過ごしている自分の姿を少しも想像できないのが、今となってはなんだか面白く感じる。
Twitter界の落日は近い
我々はかつて、大規模規制、運営のいざこざ、まとめブログとの確執にあえぐ古の掲示板を脱し、新たな新天地としてのTwitterに希望を抱き居を構えた
ところが今はどうだ
右翼と左翼の闘争 カーチャンみたいな年齢の中年代が半ワクチンやらスピリチュアルやらと叫ぶ 企業のステマ 自己顕示欲 LGBTやらツイフェミやらポリコレやらミソジニーやら
かつては居住地が分けられ互いに認知し合わなかった人種が大釜に入れられ不快だと叫びあっている
かつてのニコニコ動画黎明期のようなあの一体感と”コンテンツとしての”面白さなど微塵もない
俺はお前らのお気持ちなど見たくもない
俺がいままで気付かなかっただけかもしれない
なあ お前ら今どこにいるんだ?
俺は中学校時代、毎日家に帰っておもしろフラッシュ動画倉庫を目を輝かせて漁っていたあの一瞬のきらめきを未だインターネットに求めている