はてなキーワード: 引き起こしとは
不眠から職場での居眠りが目立つようになり、注意されては凹む、を繰り返しているうちに驚くほどさっくりと鬱になった。
家からとにかく出られず、家から徒歩三分の場所にある心療内科に行けるまでに一ヶ月もかかった。意を決して家から出ても、病院までの三分の道のりは号泣するくらいに怖かった。
病院に何とかかかったものの、これといった薬は出されなかった。カウンセリングでもなく、こちらから一方的な話をするだけの診療だった。
結局、睡眠導入剤だけを渡された。
薬で何とか眠れるようにした。悪夢と付き合いながら眠れるように努力し、体と心はガタガタのまま、束の間の休職の後になんとか復帰した。
同僚たちは優しかった。ずっとこの会社で働きたいとすら思うほどに暖かかったが、上層部は休職した私を暖かく迎えてはくれなかった。
社長から休職前の限界ギリギリだった頃の行いを掘り起こし、イヤミをネチネチ言われ、人事考課の評価を下げられた。昇給は二度見送られた。
やってられるかよ、と会社を辞めたのが昨年夏。
会社を辞めた日に運悪く伝染病にかかり、重症化を引き起こした。
そこから数ヶ月、後遺症が引くまでは特に何もできずに過ごした。
体調も回復してきた。貯金も無くなってきた。そろそろ就活を再開するか…、と思った年明け。
私のメンタルはなぜかズタボロになった。
一日中ベッドに転がり、トイレ以外にどこにも行けないという程に悪化していた。
頭の中は冷えていて何もなく、空っぽなのにうるさく感じた。
耳鳴りやめまいは止まず、寝返りを打つのにも酷く体力を持っていかれた。
頭皮と頭蓋骨の間が痒くなるような、脳みそをぐにゃぐにゃ触られているような気持ちの悪い感覚が常に付きまとっていた。
家事もできず、風呂や着替えすらままならなかった。会社を辞めた頃に実家へと帰っていたため、家族からの言葉や視線が恐ろしくてたまらなかった。家族は私を咎めるようなことは何一つしなかったというのに。
そのうちに「働いてもいないのにご飯を食べていいわけが無い」と思いこみ、ご飯をほとんど受け付けなくなった。
そんなある日、首を吊った。紐を部屋のドアノブにかけて、座った状態で吊ろうとした。
普通に失敗した。
何も考えていなかった。発作的に死のうとしたため、ドアノブに紐を上手く括ることが出来ないまま体重をかけた。
ドアノブが動き紐は外れ、私は無様に床に落ちた。
あまりに情けなさすぎて死にたさが増した。
こんな簡単なことすら失敗するのかと、誰も見ていないのに恥ずかしくなった。
紐を巻き直す力もなく、布団に潜り込んで泣いてるうちに眠っていた。
貯金は既に数百円だった。
何とか手もみマッサージのバイトに滑り込んだ。歩合制だったので日給で数千円をたまに稼ぐことができた。それだけでどうにか生きる気力が戻ってくるようだった。
新人に客がつくわけもない。リピーターだってコロナで自粛して来なくなった。店に行く交通費だけが出ていくようになった。
私はバイトを辞めた。完全歩合制はクソと言いながら、今度はちゃんと求職者と企業を繋ぐ斡旋会社に世話になり、スーツを着て就活に挑んだ。
全て落ちた。
面接にこぎつけても落とされた。
今は仕方ないと皆が口を揃えたが、仕方がないわけがなかった。
段々と時間をかけて「お前はいらない」「必要ない」と社会全体から否定されている気分になって、夜になると毎日泣いていた。
給付金がなければもう一度死を選んでいたと思う。
再び一日布団に埋もれる生活が戻ってきた。
気がつけば朝、気がつけば夜を繰り返した。
人の視線が恐ろしくてたまらず、家の敷地から出られなくなった。
外に出るとどいつもこいつも私を指さして嘲笑っているように感じた。人と目が合わせられない。落ち着かない。消えたい。車道に飛び込みたくなる。希死念慮が払拭できず、動けなくなった。
スーパーに行けば過呼吸を起こし、電車に乗ることを考えるだけで胃が痛んだ。
そんな生活が続いた長雨のある日、缶が開けられなくなったことに気がついた。プルタブを起こすことが出来ない。ペットボトルの蓋も同じだった。
体にとにかく力が入らない。入れているのに、ものを持てない。フライパンすら片手で持てなくなっていた。
階段を挙がるだけで息が切れた。
開けたばかりの牛乳パックを片手で長く持っていられず、あまりの非力さに自分で引いた。
ゾッとして、腹筋をしてみようと考えた。
1度も出来なかった。体が重くて持ち上がらない。
その時の私のBMIの数値は20。私は数値だけを見れば決して肥満ではなかった。痩せてもいなかった。しかし、体脂肪が高く、体のほとんどを脂肪が占めており、とにかく筋肉がなくなっていた。
最低限日常を生きてくための筋肉すらないことは恐ろしくて、何よりも情けなかった。
鏡に映った自分は、生きる気力を失っている豚だった。
豚ですら体脂肪率は15%前後だ。そんなものと比べたら私は脂身そのものだ。豚に失礼だった。
筋肉をつけるための筋肉すらないのなら、今の体すらも重すぎると考えて、まずは体脂肪を減らすダイエットをしようと考えた。
結果が出なかったら今度こそ死のうと考えていたので、勉強は割と真面目にやったと思う。
動画サイトを巡回し、ダイエットブログや本を読み、栄養学に手を出した。痩せるためのノウハウを頭に叩き込んだ。
本当に特別なことは何も無いダイエット方法だ。よく動き、必要なものを摂取し、余計なものは食べない。それだけだ。
まずは白米と別れを告げた。
あとはなんてことは無い。ただ動いた。
最初に有酸素運動を始めた。最初はとにかく家から出られなかったので、雑誌を重ねて養生テープでぐるぐる巻きにした台を作り、ひたすらに昇っては降りた。
踏み台昇降はYouTubeやTwitterを見ながら、たまにゲームをしながらだらだらと、しかし確実に成果を積むようにした。
とにかく体を動かす癖をつけることを重視した。
動いている実感が欲しくて、筋トレ動画にも手を出した。高負荷はかけられなかったので、エクササイズレベルの軽いものを、毎日動画1本分はやると決めた。最初は筋肉痛で眠れなくなった。
効率も、筋肉に効いているかすらも無視し、とにかく習慣になることだけを考えた。
YouTuberの丁寧な編集の動画のおかげで、やる気は折れず、どうにか毎日続いた。
一ヶ月になる頃には確信に変わった。
体重も体脂肪は少し落ちただけだ。ダイエットが成功したとは言わない。
まず、朝が怖くなくなった。食べることへの罪悪感もなくなった。ちゃんと腹が減ることに感謝した。
そのうちに筋トレの質も気にし始めた。ジム通いはできなくても、水を入れたペットボトルは用意できたし、チューブは意外にも安価だった。
車庫に放置していたローラー台を駆使して自転車に乗るようになり、しっかりと栄養バランスを考えたご飯を食べた。
筋肉をつけるためにプロテインを飲み、体内の水分の循環のために水を多く取るようになった。
ふと気がつけば自分から進んで家族の使いとして買い物に出るようになり、プロテインやダンベル欲しさにいつの間にか就活も再開していた。
汗をかくことに気持ちよさを感じ、体の軽さと心の軽さに感動する自分がいた。
「出来ることない無能、早く死にたい」から「こんなゴミでも出来ることあったんだ」へ変化し、そのうちに「少しでも頑張れてる。えらい」になっていった。
ダイエットを初めてから1ヶ月で体重3キロと体脂肪率を約3%落とした。
自転車を漕いだ距離はもう少しで北方領土から東京までぐらいの距離に届きそうだ。
運動後にかいた汗を流すシャワーが何よりも気持ちが良く、夜には健全な眠気が訪れるようになった。
ペットボトルも開けられる。外にも出られる。
人はもうそんなに怖くない。
ここから筋肉を育てていく。ダイエットとしては始まったばかりで、正直ここからが本番だ。
私はまだ豚だ。だが、首を吊ろうとして失敗した頃とは180度違った自分が鏡に映っている。
私は君を長年にわたって裏切ってきたのに、君だけは私を裏切らなかった。
それから普通に裏切る関節や内臓はいたわっていく。あいつらは消耗品だ。
アラサーはもう決して若くねーのだ。
でも遅くはなかった。絶対に。
誰かに私のやり方を真似しろとは言わない。この文章も忘れないために書き散らしたものだ。
医者いらずとは言わないし、万人の鬱が筋肉で全てが良くなるとは思っていない。
ただ、私にとって、メンタルの回復のために、筋肉がとても頑張ってくれたという話だ。
筋肉という名の相棒よ、メンタルは君に預けた。これからも一緒にクソ鬱をぶっ飛ばしていこうな。
【追記】
沢山の反応ありがとう。
かなりフェイク入れてたし文下手だからちょっと矛盾もある。読みにくくて申し訳ない。こんなに反応があると思わなかった。
おめでとうって言葉はすごく嬉しかった。自分で結果出して自分で褒めてたけど人からの反応は全く違うね。
本当にありがとう。死ななくてよかったよ。
【補足とかコメントへの反応】
躁鬱じゃね?病院すすめる
→心配ありがとう。当初はあまりの回復の速さに自分でもそう思った。
なんかあった時の頓服として、私にあう病院が見つかればいいんだけどなあ。難しそうだ。
「言うほど捩じ伏せてない」
→そりすぎてソリになったわね……
バルク全く足りないよ。題名負けしてるからこれからつけてしっかり捩じ伏せていくよ。許してくれ。
→それはあなたの運動中のフォームがしっかりとしていて、負荷もきっちりかかってるからだと思う。
踏み台やってた時は携帯いじりながらダラダラ惰性みたいに昇り降りしてた。汗だくにはなったけど負荷は軽かった。
そもそも1時間の有酸素運動は筋肉の分解が進むから余程の脂身を背負ってる人以外にはオススメはしない。
ダイエットやトレーニングも医者とおなじ。自分の今の体型やなりたい体型に合わせて自分で調べて勉強して試行錯誤をしてほしい。
○○は危ないとか色んな意見について
→先にも書いたけどこれが私にあってただけという話。自分でいいと思った方法を信じるのが一番。餅は餅屋。だがセカンドオピニオンも大事。最後に決めるのは自分。
あなたはその話を信じる。私は自分の導き出した話を信じる。そんでよい。
ただ、つらい人たちをトンデモ療法で騙して金むしり取るアホは許さん。
身も蓋もないし題名と矛盾するけど、筋肉そのものが鬱を治したわけじゃない。
しんどさの根源、壊れた自尊心の修復のために、トレーニングをして成功体験を詰んだというのが真理。
あとは家族。ただ単純にものすごく恵まれてた。ギリギリ金を借りるにはいたらなかったがかなり甘えて頼った。恩はこれから返すよ。
これにて終わり。
読んでくれてほんとにありがとう。
時々、相手が逆上して殺人を犯すという痛ましい内容のニュースが流れる事があるが…あれについて考えてみた。
まともな口論の末でもこういうことは発生するわけだけど、増田なんかを見ていると自身が本来発生する事のなかったであろう不幸を自ら引き起こしかねない事をやっているなと。
増田に限らず、SNSならどれでも発生する可能性はあるんだけど、今回は増田で語る。
個人的に匿名日記を使用しているのは(主に読み)、時々いい話があったり、ちょっとした雑学に向く内容が書かれていたりするので使用している。
だが、そんな話よりも毎日のように書かれているのは、他者が書いた匿名日記に悪意を持って言及。
「ネットだから、きつい言葉を書いても問題ない」と配慮の無い書き込みの多いこと。酷いときには1ページまるごとそんなときもある。
もちろん「まとも」に利用している人もいて丁寧に書いているのもみかけるが、ほんの一部だ。どちらかというと煽りたてる書き方でメンタルをへし折ろうというタイプの言及が目立つ。
ここまで書くと、増田は「目立つだけ、そういう書き方は一部」という人が出てくる。間違いなく良い言及は一部。悪意のほうが多い。何年も使用してきた経験談で語る。
まあ、そんな匿名日記の悪意のユーザーが、逆上で殺害されかねない未来の被害者になりうる可能性がある候補者になっているように見える。
匿名日記もSNSも完全な匿名ではないのだから、どんな些細なヒントからでも自らを特定されてしまう可能性があるのに、どうも楽観的なのか匿名だからバレるわけはないと考えているように感じる。
別に物騒な事件に発展するだけではないし、普通に最近特に話題になった誹謗中傷で刑事告訴も出てくる事もあるわけだが、それすら考えていないようで
そういう事を考えていたら、ふと思ったのだが…
と。
普通に利用するだけで良いサービスを、わざわざ悪意を持って利用するという事自体が理解出来ない。
それを行わなければいけないという決まりごとがあるのだろうかと。
自らリスクを引き起こす人たちの気持ちは全くといって理解できないし、それによって起きた事件は自業自得としか思えない。
また、匿名日記は『利用者の発信者情報開示』も『削除』も結構早い対応している。
最近の誹謗中傷関係の話題で、この辺りは迅速な対応に移りつつある。
それでも、楽観的な悪意の増田は変わらない。もしかして、自分は訴えられないと思っているのだろうか。
真面目な話なんだが、今後もそれを続けていくつもりなのかい?
人事部長という役職名ではないが、似たような名称のポジションだった。
問題のある社員への指導教育だったり、人間関係のトラブルに決着をつけたり、罪を犯した人間を罰したりする機能だ。
それに比べれば、勤怠管理だの、給与の支払いだの、社会保険の手続きなどは子どもの遊びに思えてくる。
今でも夢に見る。
後悔がある。どうしてあの時、もっとやれなかったんだろう、やらなかったんだろう。
どうして、あの人の心に寄り添うことができなかったんだろう。どうして、自分の思う正しさを貫くために上位の役職者を説得しなかったのだろう。
そんな後悔を吐き出したくて、はてな匿名ダイアリーに投稿することにした。
事案は4つある。そこまでぼかしてはいない。私自身と向き合うためには、真実を吐き出さないと意味がないからだ。
彼女は現場の仕事をする職種だった。現場といってもそこまで肉体労働ではないけれども、専門職なのは間違いない。
ある年から、その仕事を外注に出すようになった。このままでは失業することになるが、組織として無責任だということで事務職に職種変更となった。
結果は想像のとおりだ。てんで話にならなかった。
料金計算を間違えた請求書を送るし、システム上の顧客情報を誤編集するし、よく交通事故を起こすし、難しい質問がきたら硬直して動かなくなるし、気分の浮き沈みが激しい。
職種変更してからは、1年毎に様々な部署をたらし回しになった。当時の私は人事部長でも何でもなかったけれども、1年毎に異動するパターンの人なんだな、というありきたりの感想だった。
こういうタイプの人は、適合する部署が見つかると十年単位で同じ部署に磔になる。いい部署が早く見つかってほしいな、と思ったのを覚えている。
4つ目の部署だったと思う。この部署は、基本的に事務が主体だが、肉体労働の仕事もあった。
彼女は、あろうことか肉体労働のポジションに充てられてしまったのだ。木を切ったり、ごみを運んだり、池に浮かんだ鳥や鼠を回収したり…
一度だけ、見たことがある。ごみ処理場のダストシュートに軽トラックが止まっていて、60から70くらいの老人達(シルバー人材センターの会員だと思う。派遣労働者ならもっと若いことが多い)が伐採くずをダストシュートに投げ込んでいたのだが、その現場で彼女も仕事をしていた。
泥まみれの作業服。トラックの荷台の上で、えっちらおっちらと伐採くずをダストシュートに放り込んでいた。
ひどい話だろう。でも、当時の私はそうは思わなかった。その部署には肉体労働ができる男性が足りていなかったので仕方がない。そう思っていた。真奈美さんの上司は男性だったけれども、管理監督職がそんな仕事をすべきではないと素朴に考えていた。
労働組合の女性部が人事研修課に怒鳴り込んできたのを今でも覚えている。「どうして女性社員にあのような仕事をさせているのか」、「あなたたちには法的な正しさ以外は理解できないのか」といった内容だった。
その後すぐ、真奈美さんの職場を覗きに行った。上司に怒られている最中だった。周りの社員は何も言わないでいる。むしろ失笑していた。仕事が早いわけでもなく、制度が高いわけでもないので当然の結果だったのかもしれない。
翌日、私は課長に相談に行った。「真奈美さんはあのような状況ですし、肉体労働で女性の社員がケガをしたらうちの課の立場が悪くなります。今年度末で異動させた方がいいと思います。早ければ来月にでも」といった内容だった。課長は、「急ぎの案件ではない。そのうちまた検討する」と言っていた。
それが12月の初旬だった。この3週間後に真奈美さんは死を選んだ。死因は延べない。
今でも夢に見るのは、課長に相談をした場面だ。どうして、「うちの立場が悪くなる」という理由を述べたのだろう。「真奈美さんの健康が心配です。大事になる前に手を打ちましょう。今すぐに異動させるべきです」となぜ言えなかったのだろう。
なぜ私は、正しい行いができなかったのだろう。
事案2 結衣さん(当時18才)
性格は明るめだったと思う。高い声の人で、社内で大声で笑い過ぎて注意を受けることがあった。
配属されたのは債権管理の部署だった。知能テストで理数分野の点数が高かったのと、定型的な業務が中心の部署なので、新人に相応しい配属先だと判断された。
問題が起こった。配属されて3か月が過ぎた頃、人事に連絡が入った。「あの子は服装が派手過ぎる。あれではお客様の前に出せない。試用期間中なのにあれはひどい」というものだった。
先輩や上司が注意しても直す気がなく、それどころか、注意した男性の先輩をハラスメントで人事に訴えると威嚇したという。
結衣さんのいる部署の前を不定期に通ってみると、いくつかのことが判明した。
実際、派手な装いだった。髪は金髪だったし、ピアスをしていたし、ひらひらのスカートを身に着けていた。
接客態度もお世辞にもよいとは言えなかった。お客にため口になったり、自分1人では手に負えないのに先輩に相談せずに不動産会社に怒られていた。
人によって態度が違う。若手社員に対しては強気だが、お父さん風(?)の優しい雰囲気の社員の前では借りてきた猫のようにおとなしい。
結衣さんに対して研修室で面談を行った。当時は役職がついていた私と、課長(事案①と同じ人)と、結衣さんの直属の上司がその場にいた。
本人が言うには、
・変な格好で来ているとは思わない
・仕事に来る服装は自分で選びたいし、他人が口を出すのはおかしい
・この格好が自分らしい。学校でも、アルバイト先でも文句を言われたことはない
結衣さんは、最後には「努力します」と言ったけれども、金髪が直ることはなかった。服装は大人しめになった気はしたが、私にはファッションのことはわからない。彼女と同年代の女性社員に廊下でやんわりと聞き取ったところ、「反省する意思はない」とのことだった。
私は反対したが、すでに人事のトップである総務部長まで話が通っていた。あとは役員級が承認するだけだ。
さて、当時の手帳を見ながらこれを書いているわけだが、その中には彼女に対する個人的乾燥として、こんなことを書いていた。
自分の意志があって動いているように見える。高校生で3年間アルバイトをしながらうちの入社試験に通ったのはすごいし(※当時の弊社の高卒入社倍率は30倍程度だった。おそらく今でも)、3人の年配社員に囲まれても自分の意見を貫いたというのも尊敬できる。うちの娘や息子を見ていても思うが、彼女は優れている。ぼんくらじゃない。うちの子ども達が情けなくなってくる。でも、うちの会社とは相性が悪い性格なのは否めない
結衣さんは、その後どうなったと思う? ここに記している時点で読み手は察しておられるだろう。
久保になったのだ。試用期間で切られた。
あの時、研修室で「あなたを本採用できない」と伝えた時の彼女の面持ちは今でも覚えている。一瞬、歯ぎしりをしたように見えた。眉間に皺を寄せたと思ったら、すぐに平時の顔つきに戻った。淡々とした声の調子で、「わかりました」と言っていた。涙を浮かべるのを我慢していた。
…それから、私は結衣さんを首にしないために何をしたと思う? なにもしなかった。
『まさか、総務部長やそれよりも上の人間が、高卒の子を半年で切るという意思決定はしないだろう』
手帳には記していないが、私は当時、こんなことを考えていた。情けない。今でも結衣さんの顔が脳裏に浮かぶことがある。
そのことがあってから、「別の会社でうまくやれていたらいいな」とずっと考えていたし、ずっと祈っていた。
真奈美さんと違って、結衣さんの夢は見ない。良い知らせがあったからだ。政令指定都市の職員として働いていることがわかった。
知ったのは偶然だ。回覧物に閲覧済のシャチハタを押している時、偶然に名前を見つけた。
あの時の安堵を言い表すのは難しい。心の底から安心できた。この日は早く家に帰る予定だったが、変更して居酒屋に寄ることにした。
事例3 和也さん(当時20代後半)
発達障害と呼ばれていた。私には診断能力はないが、周囲の評価はそうだった。
ある時、彼が直属の上司を怒らせてしまった。その上司は、一般市民その他の重要人物が観ている前で怒鳴り声を上げたのだ。私も見ていた。イベント会場だった。彼が指示を守らなかったのが原因のようだ。
その上司と和也さんは偉い人から大説教を受けた。後日、彼の指導教育を人事で受けることになった。
事前の報告書によると――まず、空気が読めない。他人が喜ぶとかイラつくとか、そういったことを予想できない人だった。
会話能力が低い反面、言語での表現能力は高い。文書ドキュメントの作成能力は社員の平均を超えていた。特に、プログラミング能力が秀逸であり、エクセルの帳票データを改良しては、これまで半日かかっていたものを20分で~みたいな改革を進めているとのことだった。
文章やレイアウトのこだわりが非常に強く、人が気にしない箇所でも時間をかけて修正する。かと思えば、オフィシャルな文書で使うべきではない表現(見積りあざッスヽ(^^)など)をメールにしたためることもあり、取引先からやんわりと注意を受けることがあった。
彼と面談した頃は、人事研修課長と呼ばれる立場になっていた。実際に面談してみて感じたのは、論理性が高いということだった。すべての言葉に理由を付けようとする。とりとめのない理由もあれば、よく考えているものもあった。
「職場の和が乱れるのはどうしてだと思う?」という質問に対しても、「理由は不明です。非常識なことはしていません。でも、ほかの人と自分の感じ方が違うのはわかります」と答えていた。
ほかにも多くのやり取りはあったが、どうにもおかしい点があった。
彼の発達障害についてだ。当時は発達障害という言葉が流行り始めていた。今ほどには一般的な言葉ではなかったと思う。
彼は発達障害なのか?という疑問を持った。というのも、発達障害に関する書籍を読んだところ、真の発達障害では弊社の面接を突破することは不可能だと確信したからだ。
彼との面談では、イラっとすることはあったものの、怒りの感情とまで呼べるものは湧いてこなかった。彼はその実、他人に配慮することができるのではないか?
つまり、発達障害を装っているのだ。本来的には、別の何かであって、それが原因で周りとの不和が起きている。サイコパスとか、ソシオパスとか、反社会性障害とか、当時は色々と調べたが、素人に結論を出すことはできなかった。
ひとつだけ、わかったことがある。『演技』ができる人間だということだ。
彼の採用面接の記録を見たところ、今の状況とはまるで異なる印象が記されていた。例えば、個人面接では溌剌とした雰囲気だとか、グループ討論では司会を務めており、周囲と協調しながら自分の意見を主張できる~といった内容だ。
グループ討論というのがポイントだ。個人面接では、面接官との相性次第でどうにかなることもある。それが合否の大半を占めるといっても過言ではない。しかし、集団面接の相手は同じ受験者だ。その中でリーダーシップを取って、しかも面接官3人すべてから高評価というのは、これまでの彼の社内評価と矛盾している。
この問題については、根拠を示して解決できるものではなかったので様子見とした。彼は不和こそ引き起こしているものの、能力自体に問題はなかったからだ。小さいミスは起こすようだが、大きいミスの経験はないし、頭の回転も速かった。それに、弊社にとってプログラミングができる人材は希少だった。
彼と彼の部署は結局、不和を乗り越えることはできなかった。和也さんの態度にキレた別の上司が、彼に対して暴力行為を働いたのだ。それを見ていた一般市民が警察に通報し、社屋の前にパトカーが停まった。
半年後、和也さんは転職した。退職面談の記録によると、次に行く会社ではプログラミングの専門職のようだった。IT業界には詳しくないが、はてなブログでもたまに見る名前の会社だ。
彼にとっては、よい結果になったのかもしれない。でも弊社にとっては違う。あれから、社内インフラ等の整備に関する部署が新たに誕生したし、私が退職する間際も情報関係の業務ができる人材は常に足りない状態だった。
今思えば、電算管理システムを担当している総務課にでも異動させてやればよかった。そうすれば、あんな事件によって心が傷つくこともなく、今でも働いていたのかもしれない。
【追記】
昨日の夜にはてなブックマークの人気エントリーに入っているのを見ました。
今では、この日記を消したい思いでいっぱいです。
私は結衣さんのような人に憧れていたのです。
権威や、周囲の空気に流されずに自分を保ち続けようとする姿が羨ましかったのだと、日記を書いている最中に自覚しました。
誤字や脱字が多くなりましたが、修正はしません。このままにしておきます。
ご意見をいただいた皆様への感謝を込め、はてな匿名ダイアリーのコメントの一部に個別に返信します。
※全員へのコメントを考えていたのですが、やはりどうしても途中で切れるので一部としています。ご容赦ください。
長文なので0かな、と思っていました。
今は消したい思いです。
性別に関係なく、上司や周りに空気に逆らえる人間が眩しかったんだと思います。
ただ、若い子なので、自分の感情をぶつけて周りを不幸にすることがあったのは間違いないです。
死なないで。今すぐこの増田をプリントアウトしてもしなくてもいいから病院に行って。 あなたに必要なのは医療です。 読み物としては面白かった
もう少し考えたいと思います。
面白かったのなら幸いです。
彼は発達障害を演じていたのではなくて、定型発達の一般人としての振る舞いを求められて、都度学習しては演じていたのだと思いますよ 発達は本来の自分のままに過ごすと問題を起こ...
彼は頭の回転が速いタイプだったので、面接対策の本をよく読んで勉強していたのかな、とあなたのコメント読んでいて感じました。
突然久保になる結衣さん
日曜日の朝、「お前はなにをしてるんだ?」と恥ずかしさでいっぱいになりました。
率直な印象を書くと、自分ができることを過大評価している感じがするね。本人に起こったことは、本人の選択によるところが大きく、他人がしてやれることなぞはたかが知れているも...
でも、期待が働いてしまうのです。
例えば、ビリヤードの玉が転がっている最中に、横からちょっと力を加えると別方向に・・・みたいな。
自分の力で助けてやりたい、何とかしてやりたいと思うのです。
叶わないことの方がずっと多いのですが。
大事なところで失敗を繰り返してきました。
体力がそこまでないタイプの人でした。
とある中小企業で総務平社員(だった)も罪を告白してみる 人事部長さんの後悔を見て、自分の過去(数年前)がフラッシュバックしたので、総務平社員だった自分も勝手に懺悔の意味を込...
返信させていただいております。
昔の、たとえばサザエさんの波平とかが働いている会社では こういうった和也なんかはトンチの受け答えで 「あらそれもそうねえ、あはは」で居場所を作ってもらえていた気がする ...
今はどこの会社も余裕がありません。
適合できない人が生き残りにくくなっています。
退職鬱の症状はなかったのですが、最近になって、当時のことが頭をもたげてくるのが苦しくてしかたがありません。
こんなことを試さざるを得ないほど苦しいのです。
各事例については、当然ぼかして書いています。
誤字なのです。この年になると、体調がいい日と悪い日との落差がひどいのです。
事例1~3を書いた日は頭の回転が鈍く、こんなことになってしまいました。
それ以後の内容については誤字が少ないはずです。
タイトル通りの話。
最近Twitterで生理痛とか低用量ピル、アフターピルの話をよく見かけるようになった。
体感では10年前よりもそういう女性の体についての話がインターネットでもしやすくなっていると思う。
ただ婦人科検診の話に関してだけ言えば、引っかかった人の具体的な話があまり見つからない(ような気がする)。
例えば引っかかったので精密検査をしたらこういう状態でした〜とは書いても、具体的にどんな検査だったのかはぼかされてることが多い(ような気がする)。
もちろん書いてくれている人もいるけど、せっかく受けたのだから、備忘録も兼ねて自分でも書いておこうと思う。
ちなみにインターネットとか書籍で得た知識で書いている部分もあるので、医学的にこれは間違っていることがあったら消すので教えてください。
昨年秋頃に受けた検診で、子宮頸がんの結果が“asc-us”と出てしまった。
これは“意義不明な異型扁平上皮細胞”という意味で、がん化する前に細胞に起きる異常があるようにも見えるけど炎症とかで起きてるだけかも?というグレーな状態。
子宮頸がんは完全にがん化する前に異形成という状態を起こすので、それを見つけて早期に対応出来るように検診を定期的に受けようと言われている。
つまり、その異形成が起きてる可能性があるかも?という結果だった。
ここで受けた検査内容は重要じゃないので(精密検査の話がしたい)ざっくり言うと、綿棒みたいなやつで子宮の入口あたりをシャシャシャと拭われるやつ。
大して痛くないし私は血が出たこともない、痛みも病院出る頃にはおさまってた程度。
で、届いた検査結果には3ヶ月後に精密検査を受けるよう書かれていたので、冬になってから近所の婦人科を受診した。
HPV(ヒトパピローマウイルス)は子宮頸がんを引き起こす可能性があるウイルスで、性交渉によってうつったりうつされたりする。
ちなみに子宮頸がんだけじゃなくて、男性の陰茎がんや肛門がん、咽頭がんの原因にもなるので女性だけの問題ではない。
この“うつる”って言い方がいまだに子宮頸がんを性病みたいに言う人がいる原因だと思うけど、一度でもセックスしたことがあれば誰でも持ってる可能性はあるものだし、自己免疫で勝手に消えることがほとんどらしい。
ただし、免疫で消えずに感染し続けると、異形成を引き起こして数年〜十数年かけて子宮頸がんに変化してしまう。(もっと進行がはやい人もいる)
で、HPVは型が百何種類もあって、そのうち子宮頸がんになりやすい型のグループをハイリスク型と呼んでいて、HPV検査はハイリスク型に感染していないかどうかを調べる検査。
ここでした検査は、また綿棒みたいなやつで子宮の入口を拭われるだけ。
でも何故か検診の時より痛くて、次の日まで軽い生理痛みたいな痛みが続いた。
多分HPVは奥の方にいることも多い(らしい)から念入りに採取したからだと思う。
検診をシャシャシャだとしたら、こっちはシャシャ…シャシャシャシャシャシャ!!!って感じで削ってる!?って思った。
2週間後、結果が出た。
私はHPVハイリスク型のうち、最も進行しやすい16型が陽性だった。
次の検査は組織診といって、文字通り子宮の組織を切除して状態を調べるものだった。
受ける前にネットで見た情報では、痛みはあるし出血もするし倒れる人もいるし等々…当日はものすごく緊張していた。
まず、普通に内診台(歯医者の椅子みたいで勝手に足が広がるよう動くやつ)に座って金属の器具?で膣を開かれる。
ここまでは毎年の婦人科検診と一緒なんだけど、そのあと顕微鏡みたいなやつで異変がないか子宮口を観察される。
その時異変が見えやすくなるように液体を塗るんだけど、後で調べたらお酢らしい。
食用じゃないにしても、お酢をあそこに塗られたのがちょっと面白かった。
男性で言ったら、尿道の奥にお酢塗られるようなものかもしれない。
で、その観察が終わると次はついに組織診。
具体的に言うとお酢で出た異変の箇所(子宮口の周辺)を直接切り取っていく。
膣の中って基本的に鈍感らしいんだけど、子宮をつままれてる感覚はあって(その時点でHPV検査より痛い)、切られる痛みももちろんあった。
前情報ではパチン!パチン!って一瞬鋭い痛みがあるようだったけど、私は骨付きカルビをハサミで切っていくあの感覚だった。
パチン!じゃなくて、ザ…………クッって感じ。
でも声が出るほどではなかったので、結果3箇所切ったんだけど無事耐えることが出来た。
肉を切り取ったのでもちろん出血はして、止血のために白い粉を塗ります、と言われて謎の粉を塗られた。
傷口を触られているのでこれも痛い。
ちなみに痛みは先生の腕が良かったのか、2時間もしないうちに感じなくなっていた。
貧血にもならず、友達と遊んで結構な距離を歩いたけどガーゼのことも忘れるくらい無痛だった。
次の日、股からはみ出したガーゼを引っ張って取り出していくと、50cmくらい入っていた。
万国旗の手品みたいだなと思ったが、30cmくらいは真っ赤に染まっていたので長過ぎる訳ではないと思う。
先生によってはガーゼじゃなくてタンポンみたいな物をいれることもあるらしい。
2週間後、結果を聞いたら軽度異形成とのことだった。
異形成にも軽度→中等度→高度と順番があり、軽度異形成は自然治癒することもかなり多い段階なので、これからも定期検査を欠かさずに経過観察しましょう、ということになった。
婦人科のサイトでは痛いのを強調すると怖がられると思っているのか、「痛みを感じる方もいます」とかぼかして書いているけど、実際普通に痛い。
痛みに弱い人が失神するのもわからなくはない。
でも、放置してがんになってしまうよりは絶対失神してでも受けた方がいいと思う。
子宮頸がんは30代〜40代くらいでかかるイメージがあったけど、私は診断された時25歳だったので、どんな年齢でも積極的に受けてほしいと思う。
ちなみに、男性に検査のことを話したら、「俺だったらチンの一部を切り取られるってことでしょ?受けられないなぁ〜」と言っていたが、男性の陰茎がんとかはどう検査するんだろう。
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544?s=21
諸事情あり今は横浜に身を寄せているものの、大学から10数年暮らしただけあって、広島という街には愛着がある。
そういうわけで、この#ひろしまタイムラインの3アカウントも8月に入ってからは頻繁に覗いていた。
地理がそこそこ分かるということもあり、ああ、あの橋から市内に入ったのか、とか(広島は橋が多い)、"体調悪い"って、あの辺は黒い雨の範囲ではないのでは? と思って調べてみたら、元々の認定範囲内だった、とか、そこから最近の黒い雨訴訟の背景をまた調べ直したり…これはこれで、なかなか興味深いものを感じていた。
ただ、全国的には注目を集めることもなく、特に8月15日以降はひっそりと、インターネットの片隅に埋もれていくんだろう、とか思っていた。もちろん、はてブの話題に昇ることもない。そこにこの騒ぎだ。
ところで、この騒ぎを受け、どういう体制でこのアカウント群が運営されているかを初めて知った。
監修者…知り合いというほど深い仲ではないが、顔とお名前が一致するくらいではある。広島にいた時、演劇に多少関わったことがあるので。柳沼さんの名前を見て、少しニンマリとしてしまった。
IさんやSさんも、直接のお知り合いというわけではないけれど、知り合いの知り合いくらいにはなる。広島の人間関係は非常に狭い。特にIさんは、若いころ、理想の演劇を求めて闘っていた時期を存じ上げているので、あの日々がこの活動に結びついているのか、と思うと感慨深さもある。
運営に携わる者、彼らなりの誠実さは感じるものの、こういう事態になってしまった。
あるコンテキストの流れ、そこにある湿った共感でもって駆動していた共同幻想が、別のコンテクストにぶつかってしまった。これは明白に事故だと思う。
広島(に住う人々)は、原爆や戦争というキーワードにはセンシティブな一方、相対的に人種(民族)を初めとするさまざまな差別問題には少し鈍感だ。
Twitterというグローバルなサービスを使用しないならこの鈍感さでも良かったのだろうが…一時期界隈を賑わした、コンビニ冷凍庫に入って写真撮る輩のようではないか。"誰も見ていない"とタカをくくった結果が炎上、みたいな。
しかし、私はここが正念場だと思う。運営者は覚悟を決めて、乗り切れ、と言いたい。
実はこの逆の事態が、もう10年以上前にあった。要するに、よそから来た者が広島人に大バッシングを浴びた事件である。
2008年、Chim↑Pomは広島市現代美術館での企画展を前にして、そこに展示する映像作品を広島市内にて制作していた。その内容は、飛行機をチャーターし、晴天の空に「ピカッ」という文字を描く、というもの。
これには大抵の市民が不快感を表した。"ピカ"は言わずもがな原爆を連想させる。それを誰のものでもない空に、一方的に描くとは暴力に等しい…と。
当事者団体も抗議の声を上げるには上げたが、正直、そうではない一般市民の感情の激しさの方が強かったと思う。
作り手には作り手なりの思いはあったようだが、当然、この作品はお蔵入り。企画展も中止。
ただ、彼らは、そこで終わらなかった。これを契機として当事者団体と対話を始める。
その仕事は「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」という書籍として実を結ぶ。
「原爆」に対してセンシティブな広島人、そうではない「Chim↑Pom」。
ここで起きたことも、それぞれの皮膚感覚の違い、流れるコンテキストの違いが引き起こした事故だった。
ならばChim↑Pomがどのようにして異なるコンテキストに向き合い、この事態を乗り切っていったか、あなたがたが(もしくはこのいごこちのいい幻想のなかにいる我々、広島人が)学ぶことはあるはずだ。
広島魂を見せろ。
私は脳腫瘍の摘出手術を受け、「尿崩症」という後遺症が残りました。
尿崩症は、本来吸収されるはずの水分が尿として排出され、尿がたくさん出てしまう病気です。
水分を十分に取り込めないので、喉が渇き、水もたくさん飲みます。そしてまた、尿がたくさん出る…を繰り返します。まさにループって怖くね?状態です。
術後すぐは症状が重かったのですが、今は落ち着き、ミニリンメルトという薬を起床時・就寝前に60μgずつ飲んでいます。
基本的に薬を飲んでいれば症状は出ません。ただ、薬を飲み忘れたり、その時の体調やストレスによって、効き目がはやく切れてしまう時があります。
薬の効き目が切れると、1リットルの水を一気に飲んで、その10分後ぐらいに尿意を催します。排泄しながらまた、強い渇きを覚えます。それを一時間のうちに3回も4回も繰り返します。そのまま放置していれば水中毒になる恐れもあります。また、体内の水分量にかかわらず排出してしまうので、水が飲めなければ脱水をおこすこともあります。
そのため、普段出かける時は、かならず薬を持参しています。また、災害用バッグの中にも予備の薬を入れています。万が一、なんらかの災害にあい、救助を待つ間、ふつうの人よりもはやくに脱水を引き起こして死ぬ可能性が高いからです。薬がなくかった場合にも備えて、水も大量にストックしています。
幸いにも、私自身はまだ被災したことはありませんが、知名度が低いであろうこの病気に対して、十分な支援が受けられるのだろうか不安が募るばかりです。
昨今話題のモーリシャス海難、詳細は様々なチャンネルのメディアから報道されているので詳しく知らない者はそこから情報を得て頂くとして、今回エントリを作成したのは一旦このモーリシャス海難によって義憤を持っている方々へ冷静さを取り戻して頂こうと考えたからだ。
何故ならば、当エントリのタイトルにある【不利益は外国へ】はモーリシャスに限った話では無いからである。
それはそうだろうと感じたのならば早計だ。
はっきりと言おう、今回のモーリシャス海難の責任をすべて商船三井や長鋪汽船、そして日本政府へ求めた場合、最終的に損するのは外国であると。
何故ならば世界の多くの国々は国連へ加盟しており、海事を所管する組織として国際海事機関(IMO)がある。
その中で海事に関わる世界の国々はIMOを通して国際条約を結んでおり、船員の資格保証をするものに「STCW条約」というものが存在する。
STCW条約
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kotsu/bunya/kaiji/stcw.html
ここまで説明すると察しの良い者は理解を始めただろうが、モーリシャス海難を引き起こした大型船WAKASHIOに乗船していたのは日本人ではなくインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人なのだ。当然ながらインドとスリランカ、フィリピンもSTCW条約へ加盟している。
STCW条約で定められた国際基準を満たした国々はホワイトリストへ加えられ、面倒な手続きを省略できるという各国法令制度があり、ホワイトリストにはインドとスリランカ、フィリピンも載っている。
本邦の海運企業が容易に外国人船員を雇い入れることができるのもこのSTCW条約のホワイトリストがあるからだ。
さて、ここで想像して頂きたい。
今回のモーリシャス海難が国際的に猛烈な非難を浴び、日本が全面的に保障すべきだとなった場合はどのようなシナリオが考えられるだろうか?
日本は間違いなくSTCW条約にある船員教育の国際基準を満たしているのか?とインドとスリランカ、フィリピンへ問い合わせたり調査を開始するだろう。
もちろん問い合わせと調査が完了するまでの間、日本はもとよりSTCW条約へ加盟しているすべての国々はインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人船員の雇用を一時的に凍結する。
何故ならばSTCW条約へ加盟している国々はSTCW条約の国際基準を満たしていることでホワイトリストへ記載されているため、船員教育の基準を満たしていない可能性のあるインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人船員を雇用するわけにはいかないからだ。
船員教育の国際基準を満たしていない船員を乗船させているとSTCW条約の国際基準に満たない可能性が高い。
商船三井や長鋪汽船も当然ながら雇い止めをする。国際基準に満たない船員ならば国際基準を満たす別の国の船員を雇用したら良いのだから。
金銭的保障は保険でまかなえる。道義的責任として頭を下げるのはタダだ。そしてその道義的責任は船員教育を疎かにした国々も問われる。
大きな声を持って忠告しよう。
アナタたちのその義憤はインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人船員の雇用を脅かしていると。
冷静にならなければならない。その義憤はインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人の雇用を脅かすためにあるのでは無いはずだ。
もとから、職業上のとある病気がコロナウイルス肺炎と間違えられるのではないか?という話題は出ていた。
それで説明を聞いていたのだが、どうやらコロナウイルス性肺炎を肺炎と説明しているために
われわれが話を理解できていないことが誤解の1つ
前も同じようなことはあった。
そのため医者にはコロナウイルス性急性肺炎とは低酸素症に近い症状のことであると説明してもらうことにより
われわれの理解が進む。
この時に登山家であるという事実を医者が知らないことにより、事故が起きやすくなるし、普段は説明しないことのほうが多い
とくに、富士山に登った程度だと登山と説明しない人もいるが、低酸素症といわれると、富士山に登ったのですがという患者はいるだろう。
みんな生活のために車で通ってる道の真ん中を趣味でちんたら走って渋滞引き起こして、挙げ句の果てに「車に煽られた!エコロジーな自転車を優先しない日本は後進国だ!道路交通違反だ!フガフガ!」みたいなお花畑見たいこと言ってるからロード乗りは批判されるんだよ。自転車より自動車優先に決まってるだろ、黙って路肩で止まっとけよ、というのがロード乗りに対する田舎住民の一般認識。
『イソジン吉村』嘘のような本当の話で吉村洋文府知事から感じる「進次郎臭」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0e86d62990f10585167da18fd6a53bc00691673
でも流石にアレと一緒にするのはちょっと可哀そうでしょ。
その比較対象の小泉大臣は普段から空気の読めない発言ばかりしており、尚且つ寄りにもよってこのコロナの時期に経済悪化や衛生悪化を招きかねないレジ袋有料化をしでかす様な方だからな。
現にそのせいで万引き増加とか案の定懸念されていた事態まで引き起こしている訳だし。
現に株価まで影響で出しているみたいだし。
しかしこれ政府や官庁は嬉しそうに揚げ足取りしているけど、あの人達はあの人達でそれこそこの時期にレジ袋有料化だのgotoトラベルだのしでかしたのだからどうこう言える義理じゃないと思うけどね(笑)
何にしろこのコロナ禍を見ていて、あの当時五輪で空気を読めない行動ばかりしていた小池知事が日本ではまだ一番対応的にはマシと言うのが最高の皮肉だと思うよ。
政府にしろ自民にしろ野党にしろ吉村知事にしろ、それ以外が余りにも論外だったり、危機感に欠けていたりしているのが多くて酷すぎるのが現状だしね。