はてなキーワード: ベタベタとは
https://anond.hatelabo.jp/20200928211140
全てコメント見てます。中には泣かされてしまったものも。アドバイスもありがとう。同じような状況の渦中(もしくは過去に経験)の方々、さぞ苦しかっただろうにわざわざ言葉をかけてくれて本当頭が下がります。理解してくれる人がいて泣けてくる一方で、想像以上に俺はショックを受けていたんだなぁと改めて思いました。そして苦しさから目を反らして自分の心を麻痺させてたのも認めるわ。
もちろん嫁は自分のしてしまったことに毎回酷く後悔してるし、変わりたい一心で過去に自ら比較的大きな病院の神経科にも通院済です。
抗精神病薬を処方されたものの、何か精神疾患があるわけではない(診断書を見せてもらいました)。アンガーマネジメントも数ヶ月通って受けたんだぜ。嫁は頭がいいから理解も早かった。でもやっぱり切れちゃうと、暴走した自我が勝っちゃう感じなんだよなぁ。見ててつらい。何よりこわい。
最近は一緒に散歩しているときに、調子が良さそうだったから「少し話し合いたい」と言ったら、急にしゃがみこんで顔を真っ青にして考えたくない、今は話せない、増田くんごめん、と言われてそれっきり。家に戻るといつもどおりの嫁で、テレビを見て笑ったり、楽しそうに料理を作ったり、音楽を聞いて鼻歌を歌ったり。
そして何人かの言う通り、詳しくは言えないけど彼女も機能不全家族の中で育ってます。自己肯定感がとてつもなく低い。仕事も出来るし社交性も高く、外から見ると色々と恵まれているけど、出来れば増田君以外の人と関わりたくないし友人もいらないなー、と暗い顔をして言うときがあります。
彼女とは地元が一緒だったこともあり、比較的若い頃に知り合い、縁があってこうして結婚するまで10年くらい仲の良い友人のひとりだった。恋人になってから2年ほど遠距離だったけど、一緒に仕事をしたこともあったり、朝までお互いのことを話したりで、この人のことなら比較的何でも知っていると思っていた。もちろん毒親のことも知っていたから、何年経っても必要以上にベタベタしてくるのはそのせいかと思ってた。でも、この症状は知らなかったんだから笑えるだろ。良くも悪くも俺たちは表面的なつながりだったんだと思う。いざ縁があって夫婦という形になって、俺はやっとで彼女の本当の姿を見れたのかもしれない。かなしいけどな。
症状なんだけど、前に増田に投稿した激昂に加えて、2〜3日ほとんど寝なくても平気な時が周期的にくるので(寝なくても疲れないの!とややテンション高め)、様子が変なので最初は躁鬱を疑って色々と本を読み漁ったが、少し症状が違う。で、今はみんなが言ってたように境界性パーソナリティ障害の本を読み漁ってる。「複雑性PTSD」と教えてくれた方もありがとう。これも気になるので調べようと思う。DVって言葉はもちろん知ってる。でも俺が知りたいのはそういうことじゃないんだよ。すまん。
・絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服(岡田尊司)
・どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している。(水谷 さるころ)
田房永子さんの自伝「キレる私をやめたい」はリビングに飾ってる。嫁が買ってきた。夫婦で何度も読んでるし、冷静なときは「この部分はこういう感じだったのかって今更だけど腑に落ちたよ」とか言ってくる。だが、だからって変わらないけどな。ただ分かりやすく自己分析が言語化されていて良い本だと思う。
あと思いの外よかったのがこれ。「精神疾患をもつ人を、病院でない所で支援するときにまず読む本 "横綱級"困難ケースにしないための技と型(小瀬古 伸幸)」俺自身気付かされることが多かったし、嫁と対峙するときに、ただ単にDVだ!被害者だ、という思考にならなくて済む。冷静にさせてくれた一冊。俺はプロじゃないから、あくまでも自分を守る知恵のひとつだけどな。
逃げたら楽なんだろうけど、俺がこんなに苦しいってことは嫁もやっぱり苦しいし、明るい未来は待ってないのは明白なので、追い詰めないように、でもちゃんとお互いに前に進めるように話し合いたいと思う。セカンドオピニオンや夫婦カウンセリングも視野にいれる。もちろん獣じゃないときに。そして獣になったら、人間に戻るまで諭したり応酬するのでなく一旦距離を置く。物を壊す、大声を上げて仮に俺以外の誰かに迷惑がかかったとしても、俺は今までのように黙って片付けたり助けたりはせず、自分で自分のしたことの責任を取ってもらおうと思う。(じゃないと俺がもたないし、みんなの言う通り彼女は何度でも許される助けてくれると思ってしまうだろうから。)
彼女には何年かかっても自己探求をしてほしいし、俺に手伝えることは勿論何でもするつもり。人生一回きりしかないから、婆さんになっても、最後は自分で自分を救ってあげてほしい。いつか楽になってほしい。俺自身に不安とか恐怖がないと言ったら嘘だけど、今の俺が思うことは、その顔が見れたら爺さんの俺はきっと幸せなんだろうなーと思うから。
俺が爺になって増田やってるとは思えないけど、よい報告ができるように少しずつがんばってみます。
(あくまでもこれは嫁も治りたいと思っている俺のケースなので、理不尽な一方的暴力などで困っている場合はしかるべき医療機関・専門機関を頼ってください。)
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全てコメント見てます。中には泣かされてしまったものも。アドバイスもありがとう。同じような状況の渦中(もしくは過去に経験)の方々、さぞ苦しかっただろうにわざわざ言葉をかけてくれて本当頭が下がります。理解してくれる人がいて泣けてくる一方で、想像以上に俺はショックを受けていたんだなぁと改めて思いました。そして苦しさから目を反らして自分の心を麻痺させてたのも認めるわ。
もちろん嫁は自分のしてしまったことに毎回酷く後悔してるし、変わりたい一心で過去に自ら比較的大きな病院の神経科にも通院済です。
抗精神病薬を処方されたものの、何か精神疾患があるわけではない(診断書を見せてもらいました)。アンガーマネジメントも数ヶ月通って受けたんだぜ。嫁は頭がいいから理解も早かった。でもやっぱり切れちゃうと、暴走した自我が勝っちゃう感じなんだよなぁ。見ててつらい。何よりこわい。
最近は一緒に散歩しているときに、調子が良さそうだったから「少し話し合いたい」と言ったら、急にしゃがみこんで顔を真っ青にして考えたくない、今は話せない、増田くんごめん、と言われてそれっきり。家に戻るといつもどおりの嫁で、テレビを見て笑ったり、楽しそうに料理を作ったり、音楽を聞いて鼻歌を歌ったり。
そして何人かの言う通り、詳しくは言えないけど彼女も機能不全家族の中で育ってます。自己肯定感がとてつもなく低い。仕事も出来るし社交性も高く、外から見ると色々と恵まれているけど、出来れば増田君以外の人と関わりたくないし友人もいらないなー、と暗い顔をして言うときがあります。
彼女とは地元が一緒だったこともあり、比較的若い頃に知り合い、縁があってこうして結婚するまで10年くらい仲の良い友人のひとりだった。恋人になってから2年ほど遠距離だったけど、一緒に仕事をしたこともあったり、朝までお互いのことを話したりで、この人のことなら比較的何でも知っていると思っていた。もちろん毒親のことも知っていたから、何年経っても必要以上にベタベタしてくるのはそのせいかと思ってた。でも、この症状は知らなかったんだから笑えるだろ。良くも悪くも俺たちは表面的なつながりだったんだと思う。いざ縁があって夫婦という形になって、俺はやっとで彼女の本当の姿を見れたのかもしれない。かなしいけどな。
症状なんだけど、前に増田に投稿した激昂に加えて、2〜3日ほとんど寝なくても平気な時が周期的にくるので(寝なくても疲れないの!とややテンション高め)、様子が変なので最初は躁鬱を疑って色々と本を読み漁ったが、少し症状が違う。で、今はみんなが言ってたように境界性パーソナリティ障害の本を読み漁ってる。「複雑性PTSD」と教えてくれた方もありがとう。これも気になるので調べようと思う。DVって言葉はもちろん知ってる。でも俺が知りたいのはそういうことじゃないんだ。
・絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服(岡田尊司)
・どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している。(水谷 さるころ)
田房永子さんの自伝「キレる私をやめたい」はリビングに飾ってる。嫁が買ってきた。夫婦で何度も読んでるし、冷静なときは「この部分はこういう感じだったのかって今更だけど腑に落ちたよ」とか言ってくる。だが、だからって変わらないけどな。ただ分かりやすく自己分析が言語化されていて良い本だと思う。
あと思いの外よかったのがこれ。「精神疾患をもつ人を、病院でない所で支援するときにまず読む本 "横綱級"困難ケースにしないための技と型(小瀬古 伸幸)」俺自身気付かされることが多かったし、嫁と対峙するときに、ただ単にDVだ!俺は被害者だ、という思考にならなくて済む。冷静にさせてくれた一冊。俺はプロじゃないから、あくまでも自分を守る知恵のひとつだけどな。
逃げたら楽なんだろうけど、俺がこんなに苦しいってことは嫁もやっぱり苦しいし、明るい未来は待ってないのは明白なので、追い詰めないように、でもちゃんとお互いに前に進めるように話し合いたいと思う。もちろん獣じゃないときに。そして獣になったら、人間に戻るまで諭したり応酬するのでなく一旦距離を置く。物を壊す、大声を上げて仮に俺以外の誰かに迷惑がかかったとしても、俺は今までのように黙って片付けたり助けたりはせず、自分で自分のしたことの責任を取ってもらおうと思う。(じゃないと俺がもたないし、みんなの言う通り彼女は何度でも許される助けてくれると思ってしまうだろうから。)
彼女には何年かかっても自己探求をしてほしいし(俺に手伝えることは勿論何でもするつもり)、人生一回きりしかないから、婆さんになっても、最後は自分で自分を救ってあげてほしい。いつか楽になってほしい。俺自身に不安とか恐怖がないと言ったら嘘だけど、今の俺が思うことは、その顔が見れたら爺さんの俺はきっと幸せなんだろうなーと思う。
なあーにがカウンセリングじゃ、薬飲めじゃ!
些細なことでも何でも、夫と一旦喧嘩になってしまうと「僕なんて死ねば良いんだろ」「離婚しよう」と興奮して暴れる。夫はバツイチ。私は初婚でIT関連に勤めている。現在コロナもあって在宅勤務。
夫は平常モードだと、知性も高く朗らかでユーモアもあり、とても素敵な人だ。職場のファンも多い(男女関係なく)。本当に尊敬しているし愛している。恋人だった頃は、距離があったから冷静になる時間もあり、それなりに衝突もあったが互いに謝ったり謝られたりして特に気に留めていなかった。
結婚を境に一緒にいる時間が増えれば増えるほど、まるでジェットコースターのように夫は機嫌が変わることが分かった。ここ数年本当に酷くて悩んでいる。
夫は興奮すると目がすわるし瞳孔が開いて息が荒くなり日頃の理性が全部消え、まるで獣のように咆哮する。喚くだけだったらまだいいほうで、さらに血が上ると皿を割ったり、料理を捨てたり、カバンを投げたり...新婚旅行で買った記念の置物も早々に破壊された。
・ひどく極端なことを突拍子もなく言い出す(僕が死ねば解決する、じゃあ捨てる、全て止めるなど0か100思考)。
・夫の誤解であっても頭に血が上っているときは、意見すら聞いてもらえない。
・誤解を解こうとすればするほど、激昂して余計複雑になる。
・切れる言動に一貫性がなく、こちらが配慮や改善できないレベル。
なんだ。なぜだ。私にはわからない。普通の日常の喧嘩で死ぬとか離婚とか毎回出すのってそれって少し卑怯じゃないのか。
そして翌日もしくは数時間後に、ごめんねと泣きながら謝ってきて、また優しくて柔軟ないつもの夫に戻るんだ。このような言動(平常モードだったら流すような些細な事で激昂し、そうかと思ったらしばらく鬱ぎ込む)数日数週間単位で繰り返される。
ちなみに本人曰く双極性ではないらしい(結婚後診断済。セカンドオピニオンはなし)そして外面はすごく良いのでこの症状は私の前だけだ。誰も知らないから誰にも相談できないでいる。
私も出来た人間ではないけど1度も手だけは挙げたことない。浮気もしたことない。
結婚生活は続けたいし彼が大切なのだけど、最近は「〇〇ちゃん大好き」と手を絡ませてくるときに(彼はいつもベタベタ触れたがる)、獣の形相の顔が脳裏に浮かんで辛い。怖い。自分が引いているのが自分で分かるのが更に辛い。この繰り返しに段々と疲弊している自分がいるのも事実だ。
このような気性のパートナーを持っている方、どうやってうまくやっているの?私は女だから力じゃ絶対勝てないし、直接暴力を振るわれたらどうしようと考えたら肝がヒュッとなる。
楽しい会話の中の冗談でも、気に触ることだと最近はプッツンと(本当に見ていてわかる。笑顔から急に目が据わる)切れて暴れだすので、冗談にも気を付けている。これが食事中にも起こるんだよ。そういう時は飯どころじゃなくなる。何故って床に飯が散乱するからorz...
いつまで続くのだろう。子供とか出来たら変わるのかな。
まさか増田に投稿するとは。。誰か知らないけど最後まで読んでくれてありがとう。吐き出して少しスッキリした。同じ獣でも、けものフレンズだったらサーバルちゃんがすき。
これどうだよ?
元のバージョンでも離婚しろつってる人はある程度いるけど、少ねえよお
男女に筋力差があるから〜ってか?ふだん性差否定してんのにこういうときばっかり十把一絡げにして語るのはマジでどうかと思うぜ 俺は彼女と腕相撲したらほぼ互角やぞ
男にも優しくするか女にも厳しくするか、どっちかにしなさい!
女にばっかり優しくしないの!めっ!
私はこの増田の妻側の人間だ。自分と状況が似ていたので参考にならないかも知れないがコメント残させていただく。
家の中でも基本穏やか……のつもりが、時たま自分でも制御できないくらいイライラのスイッチが入ることがある。ご飯はひっくり返したことないけど。そこら中の椅子をひっくり返したり、夫の眼鏡を投げたり。
実家に住んでた時は反抗期の口論こそあったものの、物に当たったことはなかったので、最初は自分でもびっくりした。
今でこそスイッチの入るきっかけが読めるようになってきたが、当初はかなり戸惑った。何度か検証を重ねるうち下記のパターンに入るとスイッチが入りやすいことがわかった。
もともと外ヅラが良いというのはそこにポジションを求める気持ちの裏返しだ。例えば職場では仕事という目的があるので役割を与えられやすいし、成果に伴って評価もついてくる。
しかし家庭は四六時中一緒にいるのでそうはいかない…ざっくり言うと他人に自分の弱みを握られるのが苦手なのだ。
奥さんがどんな方かは存じ上げないが、自分の場合は家事が不得意で、可能な限り一日中寝ていたいタイプ。恋人同士だった頃は毎日アクティブな私を見ていたので、夫はそのギャップに驚いたそうだ。
外ヅラが良い分、他人に何か指摘されることに慣れておらず、冗談のつもりで言及したことが必要以上に刺さる時がある。ましてや恋人時代と比較されると、100%自分の存在を否定された気がしてしまうのだ。
そんなわけで結婚1,2年目は夫とかなり衝突した。夫も、私のスイッチが入るのが怖くて本音を言わず溜め込んで爆発したり、なんというか双方いいことはなかった。。。
自分に原因があることがわかっていながらも、だんだん夫が本音を言わなくなりいつ離婚を切り出されてもおかしくない状況になるのが怖かった。なので奥さんがベタベタ甘えたなのは納得できる、自分もそうだったから。
スイッチが入ってる時の記憶が無くなることはないので(あの時なんでああなったんだろう、とは思うけど…) お互いが冷静な時に歩み寄れるよう、少しずつ話し合った。
自分自身の言動を振り返り、幼稚さや至らなさと向き合うのは辛かった。夫も、察してちゃんや溜め込みを辞めて「これ以上やると怒るよ」とメッセージを発してくれるようになった。
そんな感じで、お互いの越えてはならない一線を理解しつつ、今ではそこそこ良い関係を築くことができている。
あまり参考にならないかもしれないし身勝手な思いで申し訳ないが、、、増田ご夫妻には幸せになってほしい。溜め込みすぎないでね。
私の祖父が怒りに任せて物に当たる人だったので(家の壁に穴複数…)これも遺伝的な気質だろうと長らく思っていたけど、病名や診断名がつくのなら是非とも知りたい。
学生時代から長いこと潔癖症だったんだがコロナのおかげでなおった。
例えば図書館で本をよく借りるんだけど、その本が汚く思えて、読んだ後は必ず手を洗う。
まあ実際にいろんな人がベタベタ触るものだからある程度汚いのは事実だと思う。
でもコロナがある今だと、そういった普段のばい菌よりコロナウイルスが付着してたりする方が問題じゃん?
なので借りてきたら数日手を触れずに置いておいて、3日くらいしてから読む。
コロナは物の表面でも数日間生き残るという記事があるのでそうしてる。
数日たった後は普通に手に取るんだが、「この本の表面のコロナはもう死滅したはずなのでそれ以外のばい菌なんて雑魚」と思えるんだなこれが。
この日記を読んでいる人へ。
そうだな、とりあえず最初に聞くなら『発光体』(https://www.youtube.com/watch?v=IOa-nZiIeiw)『ズックにロック』(https://www.youtube.com/watch?v=GXqZ5EXE9ho)『ゆらゆら帝国で考え中』(https://www.youtube.com/watch?v=M9CM44MohAs)らへんがおすすめ。
どの曲もそんなに長くない。ストリーミングでも聞ける。
さ、早く。
聞いた?
ほんとに聞いた?
「なんだ、増田民の提案になんて乗らねえぞ」って人にも一度は聞いてほしい。
というわけで、以降の記事は「ゆら帝を一度でも聞いてくれた人」に向けて書く。
というか、日本人の大部分が上ふたつに当てはまると思う。
私の周りの友達もみんなそうだった。
ただ、心をぐっと掴まれて、早送りボタンを押せなかった人もいるはずだ。
誰かの心にズドンと響く音楽っていうのは、諸刃の剣みたいなものだと思う。
ある人にとっての神曲が、他の人に全く響かないなんてこと、日常茶飯事だし。
もしこれを読んでいる人の中にゆら帝のファンがいたら、こんなに嬉しいことはない。割合的に厳しいと思うけど。
新参がイキってすみません。でもね、このバンドがもっともっと広まってほしい。
正確にいうと、ゆら帝を聞く星のもとに生まれた人たちが、ゆら帝を知らずに死んでいくという事態を防ぎたい。
もうね、頭の中では今たいへんなことがおこっています。
手と足と胴体がそれぞれバラバラに動き出しそうで、それを押さえつけてジッとしているだけでやっとの状態です!
再結成とか、メジャーシーンでの再評価とか、どうでもいいんだ。
届くべき人に彼らの曲が届いてほしいだけ。これは完全に自分のエゴ。生温かい目で見守ってください。
私がゆら帝の存在を知ったのは2020年夏。彼らが解散して10年が経っていた。
私だけでなく、同世代でゆら帝を知った人の大部分がそうだと思う。
外出できない夏休み、オンデマンドサイトを見漁っているうちに、奇天烈なOPが耳から離れなくなっていた。
コロナ自粛がなければ、ゆら帝には出会えなかったかもしれないということだ。人生というのは分からないものである。
私は結構ロックが好きで、メジャーからインディーズまで広く浅く聞いてきただけに、ゆら帝の曲を聞いたときは、衝撃を隠せなかった。
分類的にはサイケデリック・ロックだのオルタナティヴ・ロックだの言われているけれど、このバンドは「ゆら帝」というくくりでいいと思うくらい特殊である。
ゆら帝の魅力。
まずメロディがいい。前期の渇ききった感じも、後期のしっとりと美しい感じも、最高だ。
個々の技量も素晴らしい。特にベースが好きだ。亀川千代氏のベースラインには中毒性がある。
そして歌詞がいい。非の打ち所がない。
「もう一度頭絞ってにじみ出てきた緑の液体がぼくの全てさ バカだろ?」
「雨が降る日は何もしない 髪がベタベタするから 風が吹く日も何もしない どこか消えたくなるから」
どういう人生を送っていたら、こんなにクールな歌詞を書けるんだろうか。
昨今の音楽はメロディ重視というかなんというか、文字数合わせが目的の物足りない歌詞が目立つ(もちろん例外も存在する。サカナクションの山口一郎氏は歌詞に真摯に向き合っていると思う。私は高校生のときからサカナクションの大ファンだ。魚民諸氏はゆら帝にも興味を示すのではないかと思う)。
ライブもいい。クッサイMCも余計な演出もなく、淡々と音楽だけを届けてくれる。
生で見たことのある人は本当に羨ましい。
とまあ凡庸な言葉で色々述べてきたが、はっきりいってゆら帝の魅力はこんなもんじゃない。
言葉では言い表せない。
サカナクションのライブの理想形はゆら帝らしい。なるほど、と腑に落ちた。
サカナクションのライブは、それ自体芸術作品と言っても差し支えないほど完成度が高い。演奏レベルもCD音源レベルだ。彼らは安っぽい感動でも変な共感でもなく、「音楽」という体験を私たちに提供してくれる。
ゲスの極み乙女。の川谷絵音氏も、『タコ物語』(https://www.youtube.com/watch?v=qbkxCVNsFsY)に影響を受けたとか。この曲はMV含めてとても狂気的だ。ぜひ聞いてほしい。
ゆら帝という存在は、ロック界の『AKIRA』のようなものなのかもしれない。
凡庸な感性しか持ち合わせていない私でも、心を揺さぶられるのだから、大したものだ。
きっと、人間の奥底にある普遍的な何かに響く音楽なのだと思う。
私が心配するのとしないのとにかかわらず、ゆら帝は100年後もその色を保っているはずだ。
色を保てるバンドなんて、昨今それほど多くない。
あまりにも多くの音楽が、産生されては飽きられ、時代とともに消えていく。
彼らが再結成しようものなら、私は大きな失望を抱くだろう。最終回の再放送は無い。ゆら帝はすでに完成してしまった。完成とはまた、終わりを意味するのだ。
もちろん、生で見てみたかったという気持ちはある。こればかりは生まれた時代を恨むしか無い。
ゆら帝が完璧なロックを生み出したことと、私たちが生きている間に彼らの音楽へたどり着けるかということは、全くの別問題だ。
私自身、番組のことを思い出さなければ、絶対にゆら帝を聞こうとは思わなかっただろう。運良く名前を目にしたとしても、有象無象のバンドと判断し、スルーしてしまうと思う。
だらだら書きすぎたせいで主旨がぶれたような気がするので、もう一度。
『昆虫ロック』(https://www.youtube.com/watch?v=MX2W1kNiOcc)も『夜行性の生き物3匹』(https://www.youtube.com/watch?v=n_dk8ChdCA8)も『空洞です』(https://www.youtube.com/watch?v=mKUhq7SYouA)も『グレープフルーツちょうだい』(https://www.youtube.com/watch?v=SaP6Ui93iUM)も最高だぞ!!!
私は彼らに救われた。才能も取り柄もない私が、ちょっとでも頑張ってみようと思えたのは、ゆら帝のおかげだ。
親から暴力を振るわれたり、好きな人が死んだり、正直散々な人生だ。
もしこの記事が奇跡的にバズって、世の中にゆら帝ファンが増えてくれたら、頭ひねって書いた時間も無駄じゃなかったんだなって思える。
(ただ、その家に何世帯住んでいるかとかは教えてあげてください。)
国勢調査の封筒の投函前に、「世帯氏名一覧確認」として、事前に訪問されることがある。
それを記入する専用書類もある。
調査員的には国勢調査の封筒の何番をどの住所に投函したかの管理も必要なようだ。
ただ…うちに来た調査員が、周辺のゴミ出し場を管理(?)している人で、
ゴミ出しに俺ルールを勝手に決め、誰か一人が少しでもルールを外れると近くの家や電柱に
不法投棄の犯罪者!というチラシを勝手にベタベタ貼る困ったジジイ老人だったのだ。
ゴミ出しに関してはルールやマナーを守るよう気をつけているが、
国勢調査にはちゃんと回答したいのだが、国勢調査の封筒をもらわないことにはオンライン回答さえできない。
つまり、この言い分が本当なら、この不安な相手に住所&氏名という超個人情報を漏らさないと国勢調査に回答できないというのだ。
さすがに、いち調査員に個人情報を渡さないと回答できないというのはおかしかろう。
「世帯氏名一覧確認リストを埋める目的はなんですか」と問うても、
「この辺には100世帯以上いる。付番しないと配布できない」
「付番のためなら氏名は必須ではないのでは。氏名を教えないと国勢調査の封筒はもらえないのですか」
「空き家は空き家と書いて渡す、住んでいるところは氏名を聞かないと渡せない」の一点張り。
おかしいと思ったので、国勢調査コールセンターに問い合わせたところ
「市区町村で氏名を確認するようお願いしているところはあるかもしれない」
とのこと。
「うちの自治体では氏名を確認するよう依頼している」とのこと。
「氏名という個人情報を調査員に教えないと国勢調査に回答できないのか」と聞いたら、
「そんなことはない」(ホッとした)
その後、調査員の氏名を伝え、調査員として知り得た個人情報を絶対に流出したり私的利用したりしないよう、
(町会名簿に勝手に名前をのせたり町会地図に勝手に名前を載せたり、ゴミ出しルール周知チラシに宛名を書いたりね)
正直そういう人に調査員をやってほしくないのだが、
調査員は謝礼が少ないらしいから、自治体側では調査員を精査したり選んだりはできないんだろう。
実態を知らない人から見たらゴミ捨て場を管理する立派な人に見えるだろうし。
(実際、ゴミ捨て場を管理してくれていること自体には感謝している。義憤で権威を振りかざし過ぎているだけで。)
というわけで、トラブル防止の注意喚起としてこの文章を共有する。
この内容が個人と紐づくと自治体、調査員までバレかねないので匿名で書かせていただいた。
あくまで「調査員」に個人情報を渡しすぎる必要はない、というだけで、
国勢調査自体には回答するべきだし、回答の義務があるのでそこは間違えないでいただきたい。
GIGAスクールとやらで、子ども一人一台パソコンが入ってくるらしい。
オサレなiPadではなく、ダサいChromebookというのが入ってくるらしい。
Chromebookは見るからに安いパソコンそのものでダサい。でも、ネットで子供が自分の好きなステッカー(ミニーちゃんだったと思う)貼ってデコってるの見て、あれならイイじゃんって思ったんだ。
自分の好きなステッカー貼ったら誰のか分かるし、愛着も湧くし良いんじゃないですかって。
まあ、当然反対された。
学校備品なんだから好き勝手にステッカーなんか貼らせるわけないだろって。
それは別に良い。そこまでは予想通り。
野球部のために教師やってる生徒指導のハゲが、それなら名前ラベル貼れば?とか言い出した。
ふざけんな、この野球頭!
お前、お気に入りのスニーカーにお名前書いたか?小遣い貯めて買ったギターにお名前シール貼ったか?
ギターケースにお気に入りのカッコいいと思うステッカーベタベタ貼ったろ!?
お名前シールなんか貼り付けられた瞬間に、これは俺のものじゃないって確定だよ。
やめてくれよ。
そのハゲ散らかした頭レフトスタンドまでかっ飛ばしてやれば中学生の頃のこと思い出すか?
みんな、それは良いですねーとか適当なこと言い始める。
思えばいつもそうだった。
やりたいことは全部ダメって言われて、やりたくないことばっかりやらされて、それが嫌で、変えたくて先生になったのに、結局、なんにも変えられない。
自分に配布されるパソコンに好きなステッカー貼る程度の自由すら認めてやれない。
提案すること全部ダメって言われて、コロナ休校の間にzoom使いたいって言ってもダメ、SNSで連絡取りたいって言ってもダメ。
そういうアレやコレやが頭に湧いてきて、つい食い下がってしまった。
どうせ貼るなら名前シールより自分のステッカーの方が愛着湧きますよって。
曰く、イジメの原因になるだの、悪ふざけする奴が出てくるだの、家庭の経済格差がなんだの、まあ、まくしたてる。
なんかもう、しんどいし悔しい。
あのハゲ頭にお名前シール貼ってやりたい。あいつのスマホにダサいお名前シール貼ってやりたい。
自分仕様にカスタマイズした道具の愛おしさは異常なんだけどなあ。
俺も野球やればいいのかなあ?嫌だけど。
居抜き物件と言えば、
何を思い出すかしら?
そうね、
私ならラーメン屋さんとか饂飩・蕎麦屋さんとかインネパカレー屋さんとかを思い浮かべるわ。
だいたいはそれらのお店がぐるぐる回って入れ替わってるって感じじゃない?
入れ替わり激しいところは。
でね、
今度新しくラーメン屋さんが出来るみたい。
それが何と!
そんなラーメン屋さんなら行ってみたくない?
いや別に、
床が油でベタベタしている年季の入っているラーメン屋さんとかも嫌いじゃないわよ。
葱入れ放題のラーメン屋さんも嫌いじゃないわよ。
でも大盛りがあるなら、
替え玉もできるようにして欲しいのよね。
なんで大盛り出来るのに替え玉出来ないの?って
ラーメン哲学の最初から大盛りか後から追加できる替え玉かって話し、
いつも何処かで誰かと誰かがバトルしてるイメージよ。
自らハードル上げちゃってるタイプのお店かーって今からそわそわしているんだけど。
でも
ラーメン屋さんに限らず
自分で「美味い!」って店頭にノボリとかたててるお店とかを見ると、
本当にスゴい自信ね!ってその自信だけでラーメン食べれそうになっちゃうぐらいよ。
精肉店のトラックに描かれている豚ちゃんも吹き出しで「美味しいよ!」って描いてあって、
涙が出るドナドナな展開な話しなんだけどね。
でもさ、
ホテルの鉄板焼きのレストラン的なところのあの腰の低さは何って思うの。
あれはあれで腰の低さを食べに行くと思ったら、
納得合点が100点でなるほどなーって思うの。
私何の話ししてるんだっけ?
途中で見失っちゃうわ。
不謹慎だけど逆にそのラーメン屋さんの後にどんなお店が入るんだろう?って
そうも思うんだけど、
例えばラーメン屋さんならラーメン屋さんと同じようなお店がぐるぐる回る方が都合よくなるのかしらね?
よく分からないけど。
そうならないようにもずっと長続きもしてほしいわね。
レモンサワーが置いていて餃子の美味しいラーメン屋さんだったら嬉しいな!
でもさ、
ラーメン屋さんに行っといて、
メインのラーメン注文してよと内心思われてるのかな?って
それならお客さん!餃子専門店に行って下さいよ!ってちょっとムッとした感じで、
うちは食券制だから!って初見殺しのラーメン屋さんで店主に怒られるパターンもさもあり、
逆にラーメンが食べたくなるのよね。
お店の中で餃子アンドラーメンなんかを同時に食べれちゃったりして、
大人って言うのは出前という岡持を心に持ってるんだなーって
私もそんな岡持を持つような心になりたいわ。
だからいつも思うのよ、
ウーバーイーツの人は、
リュック背負ってその中に直接饂飩の類いをダイレクトに入れるんじゃなくて、
バイクの後ろのに台に出前岡持水平を絶対にキープする機構の搭載された絶対に横にならないやつで配達すれば良いのよ!って
やっぱり出前はああいうので出前しないと、
出前の味がしないってモノよね。
絶対あのバイクの後ろの水平を保つ機械の名前はあるはずだと思うし、
そんなラーメン界、
そして忘れてはいけない、
いつも心に岡持を。
そう、そのぐらいの気の持ち方で行きたいわね。
うふふ。
ハムで肉感出すなら最初から肉挟めばいいって安直に思うでしょ?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
映画『チー牛野郎VSピッツァと10回言ってここをヒジと普通に答えちゃう野郎』大ヒット上映中です!
まあレイトショーは超集中して観れていいわね!って思う反面、
こんなにお客さん少なくて儲かってるのかしら?と心配にもなるんだけど。
めちゃくちゃ人が多くて、
昼間の映画館ってこんなに満席御礼なの!?って逆にビックリしたわ。
だから私の映画館のイメージはガラガラってのがデフォルトなので、
そういう満席御礼で座布団が飛び交ってる映画館ってイメージじゃなかったわよ。
そんでさ、
観たいなと思ってた映画もコロナ禍で延期になったりするのあるじゃない、
観たかった映画見逃しませんように!って改めて映画館にスケジュールチャックしてみたわけ。
要チェキって別に映画上映スケジュールをチェキで写メする意味じゃなくて、
チェックってことなんだかんね。
そこんとこ履き違えていると、
何でも写真撮ることを写メって言う輩みたいに恥ずかしい目に遭えばいいのよ!
そんなわけで、
秋からの映画もチェックしてそろそろ観に行かないとってことなのよ。
あとさ、
私はしない派というか出来ないというか、
せいぜい飲み物ぐらいよ。
だってさ、
ポップコーンとか食べても、
そのポップコーン掴んだ手の始末が出来ないわけじゃない。
手のポジションはそのポップコーンのフレーバーのベタベタがよそに付かないように
手に手を意識しなくちゃいけないじゃない。
そうなるとなんか映画に集中出来なくなると言うか、
おしぼりもセットであればいいけど、
あんなちゃいちーな小さいおしぼりだと映画のエンディングまでひたひたの潤いが続かないじゃない。
ひたひたで湿っていて欲しいの。
え?
エンディングで泣いた涙でおしぼり湿らせたらいいじゃない?って
そうね、
涙の数だけ強くなれる!って。
やかましーわーい!
やかましーわーい!しかない私でもそうツッコんじゃいそうな勢いで、
涙といっても、
何でもかんでも最後に泣けば良い映画じゃないってことは確かだし。
だから、
ポップコーン食べた手の始末ができない限り、
ましてやさ、
館内でホットドッグ食べるとか、
あとさ、
劇場の席に着くまで、
1粒もこぼさずに一番奥のスクリーンに行く自信もないし、
それも苦手なところかな。
あのまんが日本昔ばなしの大盛りご飯てこ盛りの山々盛りポップコーン版とでも言うのかしら。
ちょっとすり切り一杯、
モノが食べれるかってことを物語っているのよ。
うふふ。
葡萄ウォーラーはそのままにしてもあんまり果汁が出にくいので、
1粒を半分に切ったりして入れたりすると良いわよ。
皮剥くのもいいけど手間が掛かるわよね。
ミニトマト可愛かったので、
小さい丸いって意味では一緒かー!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
実の母親のことです。
ただ「二人で好きに決めればいい」って言ってくれればいいのに。入籍のみだからいいけどこれ結婚式とかやってたらもっとウザいことになってただろうな。
そもそも私が母親のこともうそんな好きじゃないって知らないんだよな。
昔みたいにベタベタして欲しいのかな?
『娘の結婚』にすげー夢見てるなーって思った。
母親と娘でキャッキャウフフ相談しながら、時々寂しさに浸りつつ娘を送り出す…みたいなことをしたいんだなと。
母親のこと好きじゃないし後で書いてるけど絶対相談とかしたくないから、結婚に関しては最低限のことだけ報告してる。
「娘じゃなくて姪っ子と話してるみたい」って泣きながら言われたけどホントそのくらいの距離感を保ってほしい。
そもそも結婚のことって私と相手でいろいろ決めてそれを親に報告なりなんなりすると思ってたんだけど。そう言ったら「意味分かんない」「普通じゃない」って言うし。
出たよ「普通」
今の結婚相手が一族みんな医療系で勝手に恐れ多く感じて「もっと普通の人と結婚してくれたらいいのに」とか言ったよな。言うかそれ?
これも、私がどんな人と結婚して幸せになるか、てことよりこれからの結婚準備で相手の親とどう接すればいいのか分からんという自分の不安、ストレスを優先してるから出てくる言葉なんだよなぁ。
そのくせ相手の親が金出してくれたり、家買ってくれるらしい、てことを親戚に自慢してる。「なんか自慢したい。なんか無い?」っても聞かれた。これはすごくガッカリした。
母親はまだ私が母親のことけっこう好きだと思ってるかもしれない。
そんなことはない。一人の人間としてはけっこう嫌い。親子としてずっと暮らしてきたから情はあるけど。
でも昔は母親のこと好きでベタベタしてたから、嫌われてること分かってない。
だから、何で相談してくれないの!?と泣いてキレるんだと思う。
私と精神的な距離が近いんだよ。昔は過保護だなーって思ってたけど最近は私と自分(母親)を同一視してるのかな?と気づいてきた。兄にはそんな過保護だったりしないんだよね。まあ大なり小なり息子よりは娘のほうが気にかけるって人もいるかもしれない(逆も然り)ちょっと同一視しすぎて負担なんだよね。昔からそう。
受験とか就職とか私より母親が心配して、めっちゃストレス感じてイライラして私にぶつけてくる。多少はそういうのあるだろうけど、ストレスを当事者の私にぶつけてくるのがほんとクソ。
あと裁縫だったり料理だったり「私の血を引いてるから上手」みたいなことをかなり言ってくるんだけどそれもムカつく。
私が頑張って私が身につけたんですけど?
こういう会話を良い意味に受け止められない自分が嫌とかはあんまり無い。
私のこと愛してるんだよ、娘のこと大事に思わないわけないでしょ、とか言うけど、母親が自分と同一視した娘を愛してるのって結局自分のことが1番好きってことじゃないか?
いや普通の親子愛もあると思うけど、私を一人の人間として尊重して欲しい。世話焼き過ぎ。私が何も出来ないと思ってる。私と母親は同じ人間じゃないんだよ。私の失敗を自分のことのように恐れて心配してストレス溜めてる。
マウント取ってくるのも嫌。
「私があなたくらいのときはすごく痩せてた」とか。なんか女として張り合ってくることが多くなった。
「愚痴と相談なら聞くよ」とか言うけど、いざ言ったら時代遅れの答えが返ってきた後、自分の話を延々として終わるのがパターン化してる。同じ話何回もする。
昔まあまあブラックな仕事に限界きて辞めた時も「なんでも愚痴言いな」と言われ、いざ話したら何故か自分の昔の職場では嫌な思いしたこと無かったっていう話を始めたからね。
説教ぽく言うならまだしも『私の素敵な思い出』みたいな感じで話しだしたよね。
私は何かしら慰めてくれたりしてくれんのかな?と思ってたからビックリした。今このタイミングでその話すんの?って母親の前で泣いたけど何で泣いてんのか分かんなかったみたい。
その時にもう絶対母親には相談とか愚痴とか言わないって決めた。アドバイスくれるでも慰めるでもなくとにかく自分の話がしたくてたまんないんだよねあの人は。
話がパターン化してるって書いたけど、この時のこともおそらく「仕事の話」が話題に出る→自分の勤め時代の話ができる!ってスイッチ入っちゃったのかなーと思う。
とにかく喋りたい人なんだよね。ホント絶え間なく喋ってる。しかも相槌が必須。疲れて相槌が途切れると「今の分かんなかった?」と解釈して相槌打つまで繰り返し説明するから余計話が長くなる。
だからご飯食べてる時でも本読んでる時でもタイミングよく「うん」を言わなければならない。キッツい。母親は私が話を理解してるかは本当はどうでもよくて、とにかく話したくてたまらない。家の中はいいけど外に出ても声がでかいのが嫌。
昔から本が好きで、小学生のときしおりを集めて封筒に入れてたんだけど、封筒ごと目の前で破かれたことがある。笑顔で。泣いて責めたけど面白がってたなー。今考えてもあれは無いわ。
唐辛子入りのチョコを無理やり口に入れられたこともあった。子供の嫌がる反応を楽しむな。おもちゃじゃないんだよ。
距離置けばちょうどいいんだよ。顔見たくないくらい嫌いって訳じゃないんだし。
でも母親はそうじゃないみたい。結婚しても月一は帰ってくるよね?だってさ。帰るわけないじゃん面倒臭い。
誰にも言えなくて溜まってたから、匿名でもこうやって文字にすることで少しスッキリした。
ここまで読んでくれた人ありがとう。
近未来SFというか、一定の宇宙探索が上手くいった世界の中で、移住を視野に入れた人体実験の一環として、今度は子供が宇宙に、という感じの設定。ロリで微百合で割とリアルな宇宙モノということで、こういうのが好きなオタクは絶対好きだと思う。
第一話からなんか変なマスクつけてるキャラが出てきたりと、世界観的にはちょっと不穏な雰囲気があるものの、基本的には元気ロリを愛でつつ、しっかり取材・調査したであろう宇宙についての説明でわくわくする感じ。あとは貧乳少女がへそチラした赤面したりおもらししたりという、作者の微妙にマニアックなエロスも楽しめる。スニータかわいい。
現時点では話は遅々として進んでいないんだけど、まだ序盤ではあるものの、宇宙についての取材や調査はかなり丁寧にやっているみたいで、上記のマニアックなエロが無ければ、教育用漫画としても使えるレベルに良く調べられているし、説明も丁寧。この作品は「宇宙についてロリっ子の視点で勉強・堪能する」のが正解のような気がするのでロリっ子を堪能することにします。ちなみに、2巻収録予定の最初の話(第10話)でヒロインが宇宙酔いしてゲロ吐いてたりするんで作者の性癖は今後も全開なので、ある意味安心して読める。
Pixivで連載中(Pixivで漫画連載してるんだな、と初めて知った)で、8/26に3巻が発売されている。
女の子みたいな激しい褐色ポニテショタと激しいスキンシップでイチャイチャする漫画。
主人公が実家に帰ったらこれまでいつも一緒に遊んでたショタっ子が何故かポニテになっていて、かわいくて困るって言う内容。このショタっ子が(男の子だからという作者のギリギリアウトな言い訳で)とにかく無防備にベタベタしてきて、一緒にお風呂に入ったりと、ロリエロ漫画の導入部分を延々見せられている感じがすごい。男の子だから全年齢向けでもおっぱいOKだよね、という圧倒的な潔さがあって、乳首チラが多いのもすごいエロい。
褐色ショタとはいっても、タンクトップを主に着ているので、日焼け跡がスク水的なのも多分狙ってる。エロい。
あとポニテじゃない方のショタも登場するけどエロい。この人の描くショタが単純にエロい。
ちなみにこのショタっ子は男であることは(一緒にお風呂を入っているので)確定していて、主人公も別にショタコンなわけではないので、ここからどういう展開になるのかは割と不明。
BL的な展開にはならない(なるとしても、ポリティカルには古臭いタイプのBLになる)と思うので、単純にショタっ子の無防備なエロを眺めて楽しむのが一番良い楽しみ方なのだと思う。こういうショタ好き。
なんかtwitterでバズった時に思わず買ってしまった。王道RPGのエンディングの後に視点を向けた不思議な感じのファンタジー。
主人公は長命のエルフで、ともに魔王を倒した他のパーティーメンバーに比べて非常に寿命が長く、そのあたりの時間感覚の違いにフォーカスを当てた物語。魔王を倒してから数十年後、勇者が寿命で亡くなった後もエルフである彼女は見た目が変わらないまま、改めて過去の自分のパーティーが歩んだ道を追うような形で、昔の思い出を反芻するように旅を続けている。
話の構成として、主人公のモノローグなどは一切なく、結局彼女が何を考えているか、という部分についてはほとんど何もわからないため、一見すると淡々としているように見えるのだが、「この時彼女は何を考えているんだろう」という部分で色々と想像する余地が残されているのが面白い。
ちなみに、2巻相当部分で新キャラが追加されたり、色々と話が展開してきているので、1巻で想像していたオムニバス的な展開ではなく、結構がっつりなんかありそう。
つい先日完結した、ジャンプ+で連載していた連作形式4コマ漫画。
不細工で非モテで自虐的な女子高生がクラスで一番のイケメンに告白されたところから始まる、屈折しまくったラブコメ。
わたモテみたいに他罰的な非モテキャラではなく、ひたすら内側に向かっていく陰鬱とした非モテキャラなので、ストーリーだけを追うと全体的にかなり暗いものの、絵のタッチのおかげで、主人公がそこまで不細工に見えないこともあって、結構気軽に読める。また、主人公以外の周囲のキャラがとても自己肯定感が高く、コメディの部分も非常にシュールで面白いので、絶妙なバランス感覚で読んでいて憂鬱にならないようになっている印象。
ちなみに1巻、2巻の段階では「屈折した非モテが『現状こんなもん』って自分の身を守るための言い訳」を言うことが多く、読んでいてかなり胃に来るセリフが多い。中盤以降は結構主人公も幸せになることを受け容れようとしていて、「幸せになって欲しいなぁ」って思いながら読む感じ。
俺=世界。
俺は世界そのもの、というのはラリパッパな妄言のはずだけど、形而上学という考え方をかますと許されるんだから不思議なことだ。
例えば雷鳴。
雷が鳴る音を聴くとき、自然科学としては、雷鳴という「客体」があって、それを俺という「主体」が感じる、という構図になるはずだ。
しかし、と考えてみる。
もしも雷が鳴っているその場所に誰もいなかったら、果たして雷鳴がそこに「ある」と本当に言えるだろうか?
雷が鳴り、それを俺が聴いている、という関係の一方で、俺という存在こそが雷鳴を生じさせていると言えないだろうか?
さらに、もう一段飛躍する。もし、俺こそが雷鳴の原因となるなら、雷鳴と俺を分ける必要は、実はないんじゃないか?
「俺」が「雷鳴」を聴いている、のではない。
ただ「雷が鳴っている」。このとき、俺は俺であるとともに雷鳴そのものだ。
俺にとって、俺以外のすべての人間に自我があるかは証明できない。
周りの人々はすべて俺の作り出した妄想かもしれないし(「水槽の脳」)、もしかしたら、意思のない人形であってもおかしくはない(理屈上、ということで、本当にそうだと思っているわけじゃない)。
「俺」は違う。
他者の場合とは違い、そこに意思があるかどうか証明しようとして失敗するまでもなく、俺は自分に意思があることを理解している。我思う…ってことだ。
そして、そんな俺はなぜか、この時代に日本の男性の体に「生じた」。これが一番わけがわからない。
俺が生まれる前にも宇宙は当然存在していたし(一説には138億年前…)、俺が死んだ後も宇宙は当然続いていくが(こっちは一説には10の100乗年後に「終わる」らしく、厳密に言うと、あらゆる運動がそこで停止するので時間の意味がなくなるらしい)、特別な俺はなぜか、20世紀後半に生まれたいま30過ぎの日本の男性だった。
自分ってものについてラディカルに考えると、要は自分に関するこだわりを強くしていくと、逆説的に、肉体としての自分が何者であるかは価値を失っていく。
俺は別に、10年後にジンバブエの5歳の少女に生まれてもおかしくなかった。
(もしも)自分について俯瞰することさえ可能なら、アマゾンの猿でもよかったのだ。
でも、とにかく俺は日本の俺だった。たぶん理由はないんだろう。にもかかわらず、なぜ? という強烈な驚愕は消え去らない。
俺はこの世界において超超超…と超を100回重ねても足りない究極の特異点だ。
もちろん、俺以外の人たちだって、「彼らの世界」ではそれぞれが唯一無二のポイントになる。
でも俺はそれを、理屈ではなく想像で理解することしかできない。
他者を社会的に尊重することは当然だが、彼らが結局、俺という世界の一部でしかなく、彼らが死のうと俺の世界は終わらないが、俺が死ねば世界そのものが消滅するという事実は、それとはまったく別のことだ(一連のこの辺は、永井均『子どものための〈哲学〉』『西田幾多郎 <絶対無>とは何か』にくわしい)。
…
そして俺は、ずっと両親との関係で悩んでいる。
こんな観念的で、浮世離れした形而上学に果てしなくぶっ飛ばされたはずなのに、血縁のしがらみに何十年もさいなまれている。
仲が悪いわけじゃない。
ただ俺も、母親も父親も、うまいことお互いへの愛情を示せないでいるフシがある。
愛情がないのではなく、表現できないのだ。なんとなくだけど、バリバリのビジネスマンだった二人が、乳児のときから長いこと俺の横にいられなかった罪悪感みたいなものが原因っぽい気がする。
俺はもう30過ぎなのに…。
そんなの、もういいだろ…と思いながら、呆れている一方で完全に笑えないのは、たぶん俺もどこかで、彼らを許していないんじゃないか、という気がする。
もういいよ、父さん母さん、と言いたい。
というか、何も言わないでただ抱きしめてあげるのが正しい気もする。一度だけじゃなく、会うたびにそうしてやるのが正しい気がする。
そうしたいができない。俺たちの誰かが死ぬまでに、俺はそうしないといけないと感じる。
その一方で、三人でそろって食事しているとき、不意に、「この人たちはなんなんだろうな?」という気持ちになることがある。
話をしていて、特別難しいことをしゃべっているわけじゃなく、単純に俺と、頭の中を覗いてみるわけにいかない他者の間で、ちゃんと「会話」が成り立つことが奇妙でしかたがなくなる。
例えそれが両親であっても、「こいつらはなんなんだ?」 と思う。
俺の言ってることが、相手の言ってることが、お互いに本当にわかってるのかな? と思う。確かめようがない。なんとなくその場では笑って飯を食ってる。
…
形而上学と家族への愛情と、どっちかがどっちかへの反発なんだろうな、と思っている。
本当は家族の一員の息子としてキレイに収まりたいけど恥じらいと恐怖心で叶わないために、極端な哲学に走ってごまかしている。
あるいは、心の相性としては形而上学の世界の方が向いているが、どっぷり漬かるのが怖いせいで、家族に目を向けたくなる時がある。
若いときから、もう面倒だったから、どっちかに決定的に俺を方向付けてほしかった。
ベタベタしすぎるくらいまともな家族愛に包まれるか、SFチックなぐらい高純度な精神体になってしまいたかった。
どっちかになれると思っていたがどっちにもなれない。たぶんどっちにもなれないんだろうな、というのが、最近薄々わかってもきている気がする。
近所でコロナがでたっていうんで、おちのジジババビクビクしてる。
外には、マスクもしないでぜえぜえいいながら狭い道をランニングしてるおっさんがいる。
マスクなんて知らんって感じの子供が大声で叫んで駆け回り、いろんなものをベタベタと触っている。
いつ感染させられて死ぬかわからん状態で街で暮らさなきゃいけない。
いいのかこれで?
とある割と好きな小説書きさんAがなんか怯えた様子で「私は他人の二次作品を全然読んでない(ブロックしてる)のでネタカブってたらおしえてね」と書いていた
私は
「またまたそんな。あなた10万字も書くじゃないですか。たいてい2万字も超えたらカブりどころじゃないですよ。そもそもシェイクスピアの36類型ってのがあってどこかしらはかぶるし弊ジャンル派生CP数めちゃ多いしもっと失礼を承知でいうとあなたの作品ってご本人は王道だとおもっててもそんな王道じゃないです」
とマシュで書き送ろうとした。
字数が多くなったので前後編にわけて送ったマシュの前半が(焼きと判断されたのか)どうやらとどかなかったらしいのでフォローでCP数めちゃ多いとかファンですとかかいつまんで贈り直した(合計3通のうち後半2通とどいたらしい)
その後Aがなにに怯えてたのか判明。
偶然でジャンル内のカブり事件があったらしい(BとCと呼ぼう)、先に作った人Bがめちゃおこっていろいろ邪推して空回りして大騒ぎになった。
Cは偶然カブった事はだいぶ前に謝罪したしでも空回りされてどっちにしろ不愉快な目に合うのだからあげなおした。
それ以外のおぼえがないウォッチ行為とかありもしないことで怒られネチネチされて腹が立つと全部ぶっちゃけたのが昨日。
カブり内容はけっこうひどかったらしい。
で、波及でいろんなとこに毒マシュ投げてるBの取り巻きか病んでて便乗したいだけのアホが湧いてるらしい。
二次なんだから同一人物を考察してるわけだしBとCのはジャンル内の最大手CPであってしかもシチュもどこでも一度は流行するネタ。
とはいえBが病むしCも一度びっくりしてとりさげる程度にはあちこち似ていたらしい。
Cは前にいたわりとカブらないジャンルでよくある流れだったからそのままやっただけでBのを見たり参照したことはない(信用できそうだけど本人にしかわからん)。カブったという偶然について謝ってるだけといっている。
Bはまだ偶然とは信じられないがCが粘着してくる思い込みとか全部の悪事がCのせいと思い込んだことについては謝罪し筆を折るといっている。
最終的に最初のマシュがAにとどかなくてよかったなって思った。なんだかなー。
BC両方3万字超えてたから偶然ならそんな似てることはないだろと経験上思うんだがそうとわかってても比べるためだけに読む気力が1ミリもわかない。作者と作品は切り離したい方だし現実がバッドエンドだし。
Bは自分にとってはたまには読むというか目にしてたけど、長いから目立つだけであまりブクマしてなかったようだ。
あの長さで好みの展開だったら全作品掘ってるはずだから、「あ~いつもの少女マンガ的ベタベタ展開か」ってなってたのかな。でも囲いはめちゃ多いみたい。
Cは思い当たる作品があったので筆折られなくてよかったし、CとAさえ無事であればって自分も勝手だなぁ。
他にもDやE(両方絵描きさんじゃねえか)など勘違い毒マシュおくられてる人がいて気の毒だし迷惑でもある。
Fのほうが全然典型的で王道で知られている字書きさんだが心が強そうなのか全く触れられる気配がないのはさすが。
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好きの熱量もそこそこあって、激推し長文も書けるは書けるんだけど、嫌いのほうが熱量が高い。
例えば今流行ってる香水って曲。曲自体は全然嫌いじゃない。凡庸な曲だなって思う。歌詞の一節に「でも見てよ今の僕を クズになった僕を」って一節があるんだけど、コレを聞いて「僕私俺もクズになっちゃったんだよなぁ」みたいなコメントしてる奴らが本当に嫌い。賭けてもいいけど、お前は元々純度100%のクズ。自分がクズであることを今更、こんな普通の曲聞いて実感したクズか、実感すらしてないのに流行りに浅いあっさい共感モドキのポーズをとりたい、表明したいだけのしょうもないクズ。あと「LINE送ってくる彼女なんて居なかった」みたいなしょーもない大喜利してる奴もクズ。いつもの過ぎて何も面白くない。別に好きでもない曲へのコメントだけでこれくらいの嫌い熱がある。
じゃあ好きな曲に対する嫌いなコメントは?ってなっても、毛色は大して変わらない。ヨルシカのただ君に晴れは最近の曲の中でトップクラスに好きなんだけど、Youtubeのコメントでクッソつまらない替え歌とか大喜利してる奴が熱量をもって嫌いになる。Youtubeのコメント欄は増田とは違う治安の悪さ、主に幼稚性からくる悪さがあってある程度は仕方ないんだけど、書いてある内容が30代40代のおっさんな替え歌とかあって、本当に呆れるほど幼稚。しょうもないおっさんって未だに小学校卒業出来てない精神性なのかな。替え歌が幼稚な遊びなんだから、いい加減小学校を卒業して欲しい。「小学20年生です!」みたいなブコメ残すのもすっげえ幼稚でイラッとくるから辞めてくれよ。
音楽関連の嫌いがとまらんぞ、曲名すら覚えてないが、とあるボカロ曲のコメント。ニコのコメントって時点でアレなのは置いとけ。歌詞で意味不明かつ唐突に人が死んでたからボカロ曲=人が死にましたキャー悲しいですねソングばかりだったころの奴だと思う。曲中に「数字の少女」ってフレーズが出てくる。リフが思いっきりOMOIDE IN MY HEAD。その時点で数字の少女=NUMBER GIRL以外にありえないんだけど、流れてきたコメントが「数字の少女=39=ミクかな?」ってああああああああああああ恥ずかしいいいいいいいいいいい共感性羞恥という奴に飲み込まれあああああああああ嫌い。ニコのコメントだししゃーないが嫌い。
嫌いなものが連想ゲーム的にポンポン出てきて、それにいちいち理屈をベタベタくっつけてる。なんでそこまで嫌いなものに粘着してしまうのか、嫌いは嫌いで置いておけないのか、冷静にスルーできないのか。なぜ熱を上げて嫌い長文を書いてしまうのか。そんな自分が嫌いなので、自分語りは長文になりがち。好きに熱量を注ぎたい。