はてなキーワード: バイト代とは
私は都内の理系大学に通う4年生だ。大学へは1時間半かかり、一人暮らしすべきか悩むラインなのだが、この距離なら実家から通う方が格段に経済的なので、実家暮らしのまま大学も4年目に突入した。
実家暮らしは快適だ。衣食住は保証されているし、幸いなことに両親の仲も良い。金銭的にも、一人暮らしだと毎月数万の家賃+光熱費+食費がかかるのに対し、実家暮らしなら毎月せいぜい1万円の定期代しかかからない。一人暮らしだとバイト代からある程度の生活費を補填する場合が多いが、それもしなくて良い。
実家暮らしは最高!と信じ続けていたのだが、去年あたりからそれのほころびに気がつき始め、このコロナ禍でいつにもまして自宅にいることが増えた今、確信するようになった。これは、茹でガエルになって腐っていくやつだ、と。
タイトルは、自分の状況を見て「理系男子+実家+一人っ子」という組み合わせにしてみたが、実家に住んでいればある程度は誰にも起こりうる話だとは思う。しかし、この組み合わせは特にたちが悪い。
一人っ子だときょうだいがいる場合よりも家族から寵愛を受けて育つ、というような話は私には検証しようがないので分からないが、家庭内で近い世代の人がいないことで、家の外で同級生などとコミュニケーションを取りづらくなる、というのは実際起きることだと思う。親との接し方は、きょうだいとの接し方とは異なるわけで、一緒に遊んだり、時には争ったり揉めたり。一人っ子だとその経験が皆無だ。小学生の頃も、友達の家に遊びに行って兄弟喧嘩を目撃すると、これはマズいことになったな…と本気で心配したりしていた。そのような「雑な」コミュニケーションの取り方を覚えられずに成長してきてしまったのだと思う。例えば、友達に連絡する時もダル絡みのように、用件もなくLINEを送る、なんてことはまず考えられない。何かちゃんとした用件がないと連絡しても煙たがれるよな、と想像してしまう。(それでも、ありがたいことに何もない時でも比較的気軽に連絡できる友人が何人かはいる。本当にラッキーなことだ)その結果何が起きるか?LINEをほとんどしないのである。現代においてそれは、交友関係の狭さに直結する。
また、一人っ子で実家暮らしの際のもう一つの実際的な問題として、両親に行動をほぼ完璧に把握されてしまう、ということがある。例えば夕飯にしても、きょうだいがいれば毎晩ある程度の余裕を持って夕飯を作るだろうが、一人っ子だと毎日、今日は夕飯は家で食べるのかと確認される。そして現代の東京では、「遊ぶ」は多くの場合「食べにいく」「飲みにいく」ことを意味する。これだと突発的に友達と食べにいくこともなかなかしづらい。また、私はほぼ下戸である。「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」だ。テンションについていけない場合が多く、周りが酒の勢いで盛り上がっていても特段楽しくもない。
また、休日の行動も、友達と出かける場合は家にいないわけだから、どこかに行っていること自体は筒抜けだ。また、母親がやけに勘が鋭いのと人間関係の記憶力が良く、私がいくつか的確な質問に答えてしまうと、自分の周りの人間関係を如実に把握されてしまう。相手の性格やステータスなどについての評価を下されることも多く、居心地悪いことこの上ない。これも、きょうだいがいて親の関心が分散されていれば、実家暮らしだとしてもこれほどではないのだろうと思う。神経質な私は、交遊は無難な範囲に納めておこう、と無意識のうちに決めていたようだ。
そしてこのような状況は、恋愛関係の問題になってくると致命的となりかねない。
結局この4年間で、女性と正式に付き合うことはできなかった。まず、デートするための口実づくりのための心労が半端ではない。休日に出かけるとなると、大抵の場合、誰と会うの?などと親に聞かれる。そこで、「おんなのこと二人で遊びにいく!」なんて言おうもんなら、相手はどんな人か、どんな家庭か、写真見せてくれ、などと質問責めに合うことだろう。(実際に言ったことはないので分からないが。さすがに少しは気を利かせてくれるとは期待したいが、わざわざ確かめたくはない。)なので、デートの約束が取れた時は、親には適当な友達の名前を出しつつ、あまりにお洒落すると突っ込まれそうなので、友達と会う時にも着そうだしデートでも通用しそうな組み合わせの服を頑張って揃え、親に言うアリバイはどうしようかな、と考えながら家を出る。ストレスがすごい。そこまでしてもなお、勘の鋭い親にはデートに行っていることを見抜かれているのだろう。だったら自分から言えばいいのだろうが、この微妙なバランスを崩したくがないために、デートのたびにこういう流れになるのだ。
ところで、あまり口達者ではなくても、イケメンというわけではなくても頼れるテクニックとはなんだろう。そう、酒の勢いだ。酔いが回ってくれば、ちょっと恥ずかしい話だってできるし、そのまま話し続けて夜遅くなれば、じゃあこれからどうしよっか…ともなるだろう。しかし自分は下戸なのだ!そして、「今日は泊まってくる」なんて家に連絡できるわけがない。付き合えたところで、そういった困難がデートのたびに起きるのが予想できてしまうと、こちらも消極的になるわけだ。
単純接触効果というか、男女同士で定期的に会っているだけで好感が生まれ、好意に発展することもあるだろう。ところがどっこい、理系の学部はほぼ男子校なのだ。あいにく私は異性愛者なので、キャンパスライフを楽しんだところで恋愛的な出会いはほとんどない。いわゆるインカレ的なサークル活動もしてこなかったので、そもそも同年代の女性と会うことがほとんどないのだ。
そして今、問題は新たな局面に入った。感染症の蔓延により、自宅待機を余儀なくされているのだ。なに、「どうせみんな自宅待機なんだから、実家でも一人暮らしでも変わらなくない?」だと?甘い。世の一般的な一人暮らし大学生は、既に夜な夜な飲み会に出歩き、コロナなんて気にせず外出しまくっているのだ(私見)。コロナを広めにいくような行動はやめろよ、とは思うが、納得できるところはある。若者は統計的には重症化率が低く、感染しても軽症で済む場合がほとんどと知られている以上、一人暮らしで親と接する機会がなければ、普通に出歩くのもうなずけるのだ(大局的に見ると、重症化のリスクが高い人にまでウイルスの蔓延を広めているので、大いに賛成はできないが)。しかも、コロナで客足が減った飲食店や施設は空いているし、割引をしていることが多い。このチャンスを逃すのはもったいない、と思うのがむしろ自然だろう。しかし実家暮らしで生真面目な私は、自分から親にウイルスをうつすなど考えたくもない。そうなると、感染状況が落ち着くまでは、友達とカラオケや密な飲食店に行くこともしたくない。また、実家だと電話するにも家族に気を使わないといけない。深夜には話せないし、自室で話していても声が漏れるので、軽い雑談はできても、ぶっちゃけ話やゲスい話など、本当に盛り上がるような話は決してできない。
…………………分かっている。こう書いても、「結局はあなたの社交的な性格の問題でしょ?」と思われることは。性格がもっと外向的だったら、もっと要領がよければ、同じ環境でも全然違う状況になれるのかもしれない。しかし、環境が人を作るとも言う。この状況でどうしたら穏便に暮らせるか無意識に最適化した結果が今の性格、今の状況なのかもしれない。一人暮らしを始めれば、このような足かせから解き放たれるのかもしれない。
しかし、もう遅い。大学生活は終盤に差し掛かり、どうせコロナは年をまたぐであろう。実家引きこもり生活は卒業するまで続き、修士に進学するのでそのまま2年間続くかもしれない。今からでも、少し無理してでも一人暮らしをしてみた方がいいのかもしれない。環境が人を作るのだとしても、人が環境を作ることもできるはずだ。
もしタイトルに書いた条件があなたにも当てはまるなら、ぜひ私よりもマシな大学生活を送ってほしい。実家が近くても、一人暮らしができそうなら、ちょっと背伸びしてでもそうした方がいい。実家暮らしになるのであれば、自由度を増やせるように、早いうちから終電での帰宅などを繰り返して、自分が外出していても親に気にされない状態を作りだそう。そしてそして、女子と会える場をなんとかして見つけてほしい。
はてな匿名ダイアリーは初めてなので変なところがあったらすみません。「このサイトは本当に投稿しただけで匿名にしてくれるだかいねえ……」という疑り深い老人のような意見を持ちつつ投稿することをお許しください。
隙あらば自語りをしてしまうタイプの人間が書いた記事なので記述がうっとおしいかもしれませんが御容赦を。あと文章が下手です。
私は、ファッションが苦手です。
というのも、ただオシャレなことが分からないというのではなく、オシャレなものを着ている自分、というものを想像するだけで吐き気がするタイプの苦手です。
私はオタクで、服装も典型的なクソダサオタクのような服です。チェックの服がいっぱいあります。でも、私は今着てる服で自分が選んだものはありません。全て祖母の選んだ服です。嘘です、1着だけ自分で買った推しキャラのTシャツがあります。私の持っている服の中で1番高い6000円のTシャツです。
祖母のセンスdisみたいになりましたが実際に祖母のセンスはダサいです。それでも何も言わないで従うのは、自分の服装を自分で考えると吐き気がするためです。
つい先日、32歳のオタクの服装に関する記事をTwitterで見かけたので読みました。
服装のところでよくわからない呪文を唱えられていたのはさておき、内容は「皆年相応のオシャレをしているのに私は今まで気にしていなかった。どうしよう」と私は読み取りました。
年齢こそ違えど、私も似たような経験があるので耳が痛かったです。
相手はネットの友人ではなくリア友ですが、小学校の時と比べてどんどんオシャレになっているんです。それに比べて私は、未だに小学校と変わらない服で、小学校からずっと使い回している服さえあります。今は大学生なのでおよそ10年使っていることになります。
ならんでいると正直申し訳ないです。友人は小学校の時と変わらずずっと仲良くし続けてくれているし、私がいくらダサかろうが疎んだりはしません。でもこっちが申し訳ない。そういった流れで、先程の記事のように「どうしよう」となることは多々ありましたが、どうしようか想像したところで自分のファッションを考えてしまい気分が悪くなって終わってしまう。とりあえずファッションを学ぼうとしてもその先にある自分への応用を少しでも想像してしまうと吐き気がする。ほとんどどうしようもないです。なので申し訳なさに関してはもはや諦めました。
そもそもなんでオシャレを全ての人に強要するのか。確かにオシャレじゃない人よりオシャレじゃない人の方が見た目的には快適かもしれません。でも、私の場合オシャレに着飾ろうとしても吐き気を催し、その時点で諦めるのでオシャレをしたことも無いけれどしたところでおそらくずっと死にそうな顔です。どっちにしろ見苦しいんです。それだったら自分が辛くない方を選ぶということでダサいままでいる。そのような選択をしてきました。
特にスカートを履く自分が地雷すぎて1番無理。制服は「制服だから」と割りきれたけどそれ以外だと吐き気どころか実際に吐けます。
長ったらしくて申し訳ありませんが、ついでに化粧の話もします。
化粧については、アトピー性皮膚炎なので顔が傷だらけのため何かを塗りたくるのが怖くてやったことがありません。どの人もよく傷口に化粧品塗ってるけどよくできるなと思います。化粧をしたら顔がマシになってオシャレへの地雷が無くなるのではないかとも思ったのですが無理です。ストレスか知らないけど全然傷口が治らないしそれ故に何かを塗るのが怖い。就活ももうすぐなのにこんなままじゃいられないのはわかってるんですけど怖いものは怖い。ブスが、いや全人類がノーメイクでも許される時代が来てほしい。好きでブスになったわけでも好きでアトピーになった訳でもないのに傷口に化粧品を塗るのが怖いという感情だけで異端扱い。傷口に塗っても大丈夫なやつを使ったところで恐怖心はどうしようもないんです。
こうして誕生したクソブスノーメイククソダサ腐女子を許して欲しいです。なんて無理ですよねすみません。
ついでに言うと素の笑い方が汚いし声でかいので人間としては最悪の部類です。大声で腐向け話をしないことだけが唯一の普通の人間ポイント。最低限すぎる。
化粧品や服装といった恐ろしいものに手を出すくらいならば、とグッズや課金に少ないバイト代をはたいています。
将来、アトピーの治療を終え化粧が心置き無くできるようになってお洒落への地雷も薄れたら32歳の方の記事と同じようなものを書くことになるんでしょうか。
そもそもこの記事とは関係ないけど高校まで化粧もお洒落も校則通りしてこなかったので、アトピーやお洒落の地雷がなくともこうなっていた可能性はありますが。化粧も服装も独学でしろなんて難しすぎますよね。
うじうじ言ってきましたが、結局はただ不満を述べているだけです。所詮オシャレをしない言い訳に過ぎないです。こんな記事を読んでしまった人はすみません。でも実際恐怖心や地雷はどうしようもなく避けたいものなんです。
給料の100%を毎月使い切る「金の貯まらないオタク」のテンプレだった人間が1月1日から貯金を始めて、今日までに起こった心境の変化など。
どうしても当てたいライブツアーが発表されたのが昨年末。最初はツアーに余裕を持って参加できるであろう20万を春までに貯めようという計画を立てた。1〜4月に出るお給料で、毎月5万貯めればクリアできる計算だった。
●使い道の無くなった貯金
ところが3月末にはすでに20万ちょっと溜まっていた。というのも、すでに決まってたイベントの返金が相次いで5万ほど返ってきたり、「そろそろ申し込みスタートかな?」と思っていた時期にライブツアー延期のお知らせがあったり。手元には使い道を失った20万が残った。
●目標を50万に変更
3ヶ月間の貯金生活は、意外にも負担がなかった。単に貯金計画を圧迫する現場がなかっただけなんだけど、しばらくエンタメ業界に投資する機会もないだろうし、もうすこし貯金を続けてみることにした。
私がしていた貯金は給料から毎月6万を先に抜くというもので、順調にいけば6月末で50万に到達する計算だったので、目標を50万にした。
はずだったんだけど、趣味に全力だったころの後遺症(クレカの引き落とし)のために実際は平均4〜5万くらいだったと思う。給付金とボーナスを合わせて無事に6/30で50万+に到達した。
①将来について考えられるようになった
毎月給料を使い切っていた頃は、とにかく目先の快楽を追い求めていて、「今」幸せになりたくて仕方なかった。
実家暮らしなので精神面でも経済的にも楽な暮らしをしているとは思う。でも奨学金とマイカーローンという借金を、大卒と同時に背負ったのは私には十分に重かった。絶対に仕事辞められないんだなって初めての返済月に覚悟せざるを得なかった。どちらも自分の意思で借りたお金ではあったけれど、今ははやいとこ一括返済できるように実家暮らしをとことん利用してやろうと思ってる。
マイカーローンを返し終わったら家を出てもそれなりに貯金できるようになる計算なので、ひとまずマイカーローン用の貯金計画を進めている。オタ活のための貯金だったのに、こんな風に路線変更するなんて半年前まで想像もしてなかった。
どうして毎月十数万も使ってしまっていたのか。結論は簡単で、学生時代の反動。これしかない。
大学4年間は一人暮らしをしてたけど、親からの仕送りがなかったので、奨学金とバイト代で最低限の暮らしをしていた。常に赤字だったので、家計を見直す意味を感じる瞬間もなく、とにかく毎月ギリギリの暮らしをしてた。
就職を機に家に帰ってきていろんな意味で楽になった私は、学生時代に我慢してた買い物と美容と旅行にお金を使いまくった。学生の頃には逆立ちしても買えないものを買えるようになった自分が嬉しくて、ものすごくテンションが上がった。
浪費を浪費と自覚していたから、お金を使った瞬間は楽しくても後から後悔することももちろんあった。でも使うことをやめられなかったのは、学生の頃に感じた「お金を使わないのは惨めな暮らし」という気持ちが強すぎたからだと思う。
でも、いま思うのは「限界まで出費を抑えること」と「不要なものを買わないように自分を抑えること」とは全然違ってた。欲しいものは、ちゃんとお小遣いの範囲で買ってもいいよってルールを作ったら、お買い物がちゃんと楽しくなったし、好きなものしか手元に残らなくなった。
浪費を止めるきっかけがあって、本当によかったと思う。推しに最大級の感謝。
●お給料の使い道について
貯金→6万
という感じで、平和な暮らしを維持できるようにいろいろ試行錯誤してこの配分に行き着いた。
やりくり費の5千円は、楽しいものにしか使わないようにしている。たとえばグッズとかCDとかスイーツとか。5千円を超える楽しい買い物に関しては、自分の気持ちと何度も相談をして、後悔しないと思った時にだけカードで買って翌月の貯金額を減らすようにしている。
カードを使うのは毎月の貯金額が減ることよりも、いま貯まってるお金を崩すことに抵抗があるからだけど、追々はクレカも手放したい。
7月のお給料からは「使える貯金」を20万貯めて行こうと思っている。いつでもオタ活ができる心の余裕にしたいなあと。延期になってるライブ参加費もこの枠の中でやりくりして、いま貯めてる50万には触らないつもり。真剣に本来の目的を見失ってるんだよなあ……。
キャッシュレス全盛期に前時代的なアナログ貯金をしているけど、半年いろいろチャレンジしてこれが自分なりのベストだと思ってる。
以上おわり。
うちも似た感じ
でも幼稚園で「うちって貧乏なの」と私がみんなに言っていることが伝わると母は慌てて「中流家庭」と言い直した
あとからなぜ貧乏だと言い聞かせていたのか聞くと「平均的な金銭感覚を持ってほしかったから」らしい
しかし小学校から海外校で芝生の校庭にエアコン付き屋内プールだし、クラスメイトの親は社長などの明らかに高収入とわかる職業ばかりだったし、年に何度もビジネスクラス時々ファーストクラスで海外旅行
さすがに気付く、というか自分のことをお嬢様だと思い込んで完全に天狗になっていた
そんな時突然父が会社を辞めた
家にあったフィットネス用品やらカラオケやら高そうな家財を売り払って帰国することになった
父は私が高校生になってもまともに働いていなかった
でも私は大学に行きたかったので家計を気遣って奨学金を申請した
先生に呼び出されて、審査が通り無利子の第一種を借りられることになったと伝えられた
奨学金担当の先生は苦学生だったらしく、我が家の源泉徴収票を見て哀れみ激励してくれた
学部4年次、就活が嫌になったし大学院で研究を続けたくなったので再度奨学金を申請した
そして大学院を修了して就職、しかし奨学金の返済がなかなかにキツかった
母に愚痴をこぼすと学部、院の分全て、合計数百万を一括で返済してくれた
ここで疑問が湧く
なぜ一括で返す金があるならわざわざ借金したんだ……?
うちの親は基本的に放任主義で、子供がやりたがることはとりあえずなんでもやらせてみる方針だった
私は貧乏な家計を気遣えるいい子ちゃんのつもりだったので、奨学金を借りることをもちろん両親に相談していた
両親は「とりあえずやってみなさい」と言い私はそのままうちを無収入の貧乏一家だと思い込んだまま奨学金を借り続けた
それは源泉徴収票の提出で行っていた
そんな風に先生に激励されたのを覚えている
それを私は知らなかった
今思えば両親はろくに働いている気配がないのに私は塾にもピアノ教室にも通い続けていたし、海外留学は高校生の間に2回も行った
留学費用を稼ぐためという名目で学校に許可を取ってアルバイトをした
しかしなんだかんだで親が出すことになり、バイト代は全て服に使った
大学附属のやつではない
入居時に百何十万円納め、毎月の支払いも二十万弱だったことを後から知った
住居費と学費は親が払っていた
両親が働いていないからうちは貧乏というのは私の思い込みだった
あまり働かずに好きなことをしていても暮らしていけるほどの資産があったのだ
聞けば家や車などの大きな買い物も含めて、借金や分割払いはしたことがないという
私の奨学金以外は…
まあこれは親ではなく私がした借金ではあるんだが…返済を頼ってしまったが…
今でも私が車などを買う際にローンを組むと払う金額が増えて損ということで、まず母が現金一括払いをし、私が毎月いくらかずつ返す"お母さんローン"というシステムを利用させてもらっている
「今思えば」とは言えどうして気が付かなかったんだろう
かなり狭い枠だったはずだ
それをお金を借りる必要がなかった私が掠め取ったために本当に必要な家庭が枠から溢れてしまったのではないか
直近1年間の収入が極少ないことと、多少成績が良いだけでどうして申請を認められたのだろう
というか源泉徴収額って資産は関係ないの?収入に対してだけ課税があるの?
その辺もいい加減勉強した方がいいのだろうな
これを堂々と語ったら多くの人が呆れ、軽蔑すると思う
元増田を読んで似ているなと思って吐き出したくなった話
ブコメ読んで沸いた疑問
しかしそう考えていくとさらに先祖の資産であって親の金でもない
親はそんなに働かずたまに減った分を補充している程度なので増やしてもいない
今生きている誰の金でもない金は誰の金なんだ
私が生きてきたのにかかった金は私程度の収入では一生かかっても返せない
もちろん収入の半分以上を毎月家に入れて誰かの資産を補充している
でも一生補充しても補充し切れる金額ではない
10万円のように全員に配る場合は合意得られるけど、配布の手配をする企業に対しては利益供与ということで合意を得られない。
ボランティア募ったら、おそらくバイト代払えって事になる。それで金額を合計すると億単位になり高くなり過ぎだと叩かれる。
配り終わったとして10万円で国内企業の物は欲しいとは思われない。海外製品で溢れているので海外にお金が流れる。
食費としても、普段以上に上がる食費の額なんて多くない。
国が直接事業するとなると特定企業への利益供与となって合意を得られない。
産業を育てたいとしても、国に目利きができるかということで批判される。
そもそも案が出てこない。ネットで批判はされるが代案なんて出てこない。
教育に金を使え、デジタル教育だといったらパソコン代金が高い、特定企業への利益供与となる。サポート代はタダでなければならない。
この話はそれ以上でもそれ以下でもない。
これはおそらく誰の役にも立たない、個人的な話だということを断っておく。
父親は暴力を振るうし(高専進学後はなくなったが)、自分が小学生ぐらいまでは定職に就いていなかったし(母親がパートしていた)
収入よりも支出が多く、子供の教育費にお金をかけるよりも自身の飲み食いにお金を使い、毎月金がないと騒いでいるような家だった。
ただ一応母親は比較的まともで高校までは学費を出してくれることを約束してくれた。
そして、大学の学費は出してあげられないけど奨学金を借りて家から通えばいいと教えてくれた。
幸い自分の学業成績は地元の公立中学校で上位5%程度でそれなりに良く地元の公立高校に進めば大学に行けそうだった。
でもこんな家庭環境が悪い家から大学に通うなんてまっぴらごめんだった。それに、公立高校は学費の他に、模試やら制服やら色々なこと
でお金がかかりそうで、父親からも文句を言われそうで嫌だった。
そこで、地元で一番偏差値が高い公立高校と同じ程度のレベルの高専に行くことにした。
高専には格安の寮があったし、学費自体は公立高校よりも高かったが模試や制服など諸経費が全くかからなかったから。
それに当時民主党政権時代の高校無償化で高専1年から3年までは半額で通うことができた。
技術にはあまり興味はなかったが、幸い理数系科目が好きだったので高専に進学してからも特に困らなかった。専門科目には一切興味がなかったが。
しかし、自分が通っていた高専は当時進学高専として名を馳せていたせいか、そういう技術に興味がないがいわゆるお勉強はできるみたいな人は少なくなかった。
教員や大学に入ったときの周りの高専生に話を聞くと、これは高専の中では結構特殊な部類らしい。
それはさておき、高専というのは自分と同じく家庭環境が最悪な人が集まるものらしいが、自分が通っていた高専は普通の家の人が多かった。
ただ、お国柄か失礼ながら育ちはそんなによくなかったとおもう。それに高専では当たり前かもしれないが変な人が多かった。
自分はそうは思わないが、多分自分も変わっていたので変な人とはウマが合ったように思うし、実際卒業してから結構経つが今でも付き合いのある友人は何人かいる。
高専4年になると、親からの援助はなくなり、自分で学費を払うことになった。学費を捻出するために日本奨学支援機構の奨学金を月5万円程度借りていた。
ただ、高専には経済的に苦しい人に授業料免除の制度があったので、奨学金は教科書や定期代に使う程度で残りは大学の入学金などのために貯めておいた。
この頃から進路について考えるようになった。大学に行くことは決めていたが、今の専門で今後4,50年生きるのは嫌だったので専門を変えて進学することにした。
幸いなことに大学の門戸は広く、工学部の他に理学部などの比較的親和性が高い学部や、医学部などの全く異なる学部、文学部、経済学部など文系の学部にも編入できるようだった。
手頃な旧帝大に自分の興味のある専門が学べるところがあったので、そこに行くことにした。真面目に1年間勉強すれば合格することができた。
おそらく一般の高校生よりも簡単な方法で入学したのだけれど、まぁ入ればこっちのものである。
入学金、最初の授業料、賃貸の諸経費で軽く100万くらい飛んでいったけれど、貯めていた奨学金やバイト代でなんとか支払うことができた。
大学のときは日本奨学支援機構の奨学金、給付奨学金、バイトでかろうじて一人暮らしができるようになった。
給付奨学金のおかげで、利子ありの奨学金を借りなくて済んで、関係あるかはわからないけど大学の名前に感謝した。
あと大学でも授業料免除をうけることができたので、そんなに苦労せずに大学生活を送ることができた。
(自分が特殊ルートなこともあって正しくはないかもしれないけど、日本の大学は勉強したい人にとっては
経済的に苦しくてもある程度の覚悟(奨学金)を負えば通えると思う。)
ただ専門を変えての入学だったので入学当初はかなり真面目に朝から夜まで勉強する必要があったけれど、
ただ、大学の人と話していると生まれの違いを見せつけられた気がした。
お金が足りなくなったら親に無心する、留学したければ簡単にできる、旅行をするために親から借金をする・・・
挙げていけばキリがないが、教育格差は親の経済状況に大きく左右されると改めて思った。
あの人たちは自分のことを友人として扱ってくれたけど、自分は彼らの国の住人じゃないと心底痛感した。
大学に入って初めて恋愛をして、恋人もできたけれどどうしても格差を感じてしまう、世界が違うと馴染めなかった。
ただ、彼らとの会話は楽しかった。
ほかの編入生と話す専門的な話も知的好奇心がくすぐられて有意義だったが
彼らと話すのは心地が良く、リラックスして会話を楽しむことができた。
本当は博士課程に残りたかったが、経済的に苦しかったので就職することにした。....というのは負け惜しみかもしれないけれど。
(もし本当に大学に残りたくて、実力もあれば、学振やらRTなどで生きることはできるように思う。)
就活を真面目にしなかったせいか、レベルの低い会社に就職してしまったように思う。自分のレベルが低いのかもしれないが。
周りの同期のレベルはそんなに高くなく、話していて楽しいとは全く思えない。それに自分の出身大学でいじられたりもする。面倒臭い。
自分はあまり学歴に興味はないけれど(本当に)、学歴で得をするのは中の上クラスの企業に勤めている人たちだけじゃないかと思う。
一番高いところにいる人たちは大学名なんて気にしない(と聞く)し、下の方のレベルの企業だとほかの人からの僻みでうっとうしい。
だから自分は、転職や大学に戻ることを考え、またあの心地よい会話ができることを心待ちにしている。
一生、自分の世界とは相入れないことを知りながらも、もがき続けるのだろう。自分は下のレベルではないと傲慢に自分を騙し続けながら。
そんな家庭で育った
私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい)
それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた
高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった
地獄だった
叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした
母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんが食べられて嬉しかった
10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことがわかって心が荒んだ
それでもぐれたり非行に走ったりしなかった
叔父が仕事帰りに勉強を教えに来てくれていたのが大きいかもしれない
素直に勉強しようと思えたし勉強して進学するのがこの家を離れられる手段だと言葉ではなく感覚でわからせてくれた気がする
叔父は全部渋らず出してくれた
すごく申し訳無かった
祖父母と叔父とは連絡を取り続けるつもりだったがちゃんと自立し叔父を解放してあげたいと思った
叔母となった人は叔父よりも若いが私の状況も理解してくれて打ち解けてくれて本当に良い人で私も大好きだ
私のいとこにあたる
祖父母と叔父以外親戚づきあいもなかったので初めて身内に小さい子ができた
子守りをしに頻繁に叔父宅へ行くようになった
何をしていてもかわいい
寝ていてもかわいい
泣くのもかわいい
かわいすぎてなんでもしてあげたい
社会人になったし一人暮らしもちゃんとこなしているのでこれくらいいいじゃないと思う
いとこをかわいいと思うたびに泣けてくる
叔父は感情表現があまり無く強く怒りもしないが大きく喜んだり幼少期でも私を判りやすくかわいがったりしなかった
なので私は叔父は同情と義務感から私の面倒を見ているんだと思っていた
幼い頃に見たビデオを思い出す
赤ん坊の私が寝転がってごきげんに風に吹かれているだけの5分間の映像
寝返りをするわけでもない
ただ時折笑い声をあげるだけの赤ん坊
それに合わせてカメラを構えているであろう叔父が小さく笑う声がする
ただそこにいるだけのいとこがかわいくてスマホのカメラを起動するたびにあのなんでもないビデオの映像を思い出す
この子が生きる過程で父母以外の拠り所を求めるなら私がそうでありたい
それが私にできる1番の叔父孝行な気がしている
買ってもらえたブラは、ブラというよりブラの形をした布である
それもそのはず姉はペチャパイなのでそれで事足りていたから親は考えなかった
あと今思えば共働きで子どもに興味無かったから最低限買い与えとけばいいか的な扱いだった
猫背にしてなるべく目立たないように日々を過ごす
どんどんおっぱいが嫌いになっていった
それが、大学入って一人暮らしして、バイト代でブラを買うようになって驚いた
売り場のお姉さんがC75なんて全然合ってないですよ〜なんて言うのだ
今まで何を着てたんだって改めて思うよ
走っても痛くないブラだしおっぱいをしっかりホールドできて自信が持てる姿勢になれた
悩んでいる人はぜひ合うブラを探してみてほしい
Twitterに長文を連ねても邪魔だし、総選挙へのニヒリズムを同担と共有したくないので増田で壁打ちさせていただく。
まずは私のPとしての自己紹介をば。
シンデレラガールズに興味を持ったのはちょうどアニデレの頃だ。TwitterのTLでオッドアイなスレンダー美女の絵を目にし、
「この美女はどのコンテンツにいるんだろう」と思い、話題になりつつあったデレステを始めた。
無数の曲の中から強い曲を浴びるように聞き、叩き、コミュでのアイドルの口調に惹かれて今の担当アイドルに行き着いた。
Twitterで同担のコミュニティを見つけ、コミュ障ながら話に加わったりオフ会に参加したりもした。多くもないバイト代をやりくりし、思い切って遠方のライブにも行った。
ここに入り浸っている方々はデレマスに思うところがあるんだろうし、私も多少の不満を抱くことはあるが、担当アイドルへの扱いを含め全体的には満足している。
ここまで書けば、デレステから始めた典型的な数年来のPだとお分かりいただけるだろう。
そして担当アイドルについて軽く申し上げる。彼女はデレステが始まった時点でボイスが実装されており、持ち曲もSSRも複数ある。また、ライブにも度々出演する。
モバマス時代の総選挙では上位にランクインしたことがあるようだが、ここ数年は圏内入りするかどうか陣営内で注目されている程度だ。
さて、私が言いたいのは「モバマスからの古参PとデレステからのPとで総選挙に対する価値観が異なり、陣営としての大意を見いだせなくなったのではないか」ということだ。
クソデカ主語で大別してしまったが、古参の同担からの伝聞を念頭に主観で殴り書きしているため、違和感のある点があったら是非とも指摘していただきたい。
デレステはなんといってもコミュにおけるプレイヤーの存在感が薄い。
アイドルコミュすら「観葉植物」や「天井のシミ」のようなポジションからスマホの大画面で俯瞰しているようなスタイルであり、
また強い曲から興味を抱くという経路もあるためユニットの存在感が大きく、デレステにおける多人数担当の素地が生まれると思われる。
対するモバマスはプレイヤー=プロデューサーのような描き方で、ガラケーの小さい画面にアイドルがアップで映されるスタイルであり、
そうなれば、一人のアイドルに大量投下するモバマス勢と複数のアイドルに案分するデレステ勢で差異が生じるのではないだろうか。
そもそもシンデレラガール総選挙は純粋な人気投票としての側面と、ボイス争いとしての側面が大きい。課金票による集金やユーザーによる宣伝というメタ要素はここでは省く。
モバマス勢にとっての総選挙は、シンデレラガール選出によって「シンデレラガール」としてのSRが実装されるほか、
上位陣ユニット(声なしアイドルがランクインすればボイス付与も確約される)によるオリジナル曲(そもそも曲自体がモバマスでは貴重)もリリースされ、名実ともに大きい利益がアイドルにもたらされる。
かつてはアニバーサリーイベントの上位報酬への選出という実益もあったが、サービス体制縮小により実装されるかは未知数だ。
一方、デレステ勢にとっては、先述の総選挙曲と、声なしアイドルへのボイス付与しか実益がない。
さて、先述した通り、私の担当は既にボイスが付与されている総選挙下位のアイドルである。
声優の方が比較的若くマイナーということもあり、デレステやライブにおいても総選挙の結果に見合わないといっていいほどの出番を得ている。
イベント曲やSSRは近年の順位に関わらずリリースされるので、万年下位の声ありアイドルの担当からすれば圏内入りさせたところで名誉以外に得るものがない。
ライブでは順位を問わず若くて元気な方々が登用され、ニュージェネはじめ古参の方々は上位でも歳波とともに出番が減っていくだろう。次のライブがいつになるのか知らんけど。
そもそも総選挙で圏内入りさせたところで一月もすれば話題に上がらなくなるので、次に向けた宣伝につながるかどうかも疑問だ。
以上のことから、デレマス総選挙は目的を失い、制度疲労していると言わざるをえない。
現に、総選挙によって得る物がない自担では活動も弱く、良くも悪くも和気藹々とした雰囲気となった。
それはそれで居心地がよかったのも事実だし、必死なダイマを通じて問題を起こした陣営と比べればよほど幸福度が高かったはずだ。
悪戦苦闘している声なし担当からすれば、こんなぬるま湯陣営を知ったらズルいと感じるに違いない。
そして、モバマスのサービス終了は遠からず訪れるだろう。先述した通り、モバマスはサービス体制を縮小した。そして今年末にはFlashが廃止される。
アクティブ数減少とコロナ禍の中で膨大なゲームデータのHTML移行という大事業を敢行するとは考えにくい。。
この二点からするに、デレマス総選挙はキリよく来年の10回目をもって終了するのではなかろうか。
「最後の総選挙」を懸けた血みどろの戦いになれば焦土戦になりかねないので、再来年に「総選挙?今年からはありませんよ」とアナウンスして静かに廃止となるだろう。ってかそうあってくれ。
総選挙というヒリつきをもたらすスタイルではなく、プレイ状況やSNSへの書き込みといったビッグデータ(当然、可視化されてほしい)によって実勢を反映した運営となることを望む。
1ヶ月以上前の4月16日、ミュージカルテニスの王子様3rdシーズンの集大成であるDreamLive2020の中止が発表された。
TwitterのTLや掲示板は阿鼻叫喚だった。皆が「泣いた」「コロナ〇ね」等を呟き、悲しんでいた。一日中寝込んでいる人もいた。それがオタクとして当たり前の反応なんだと思う。
だけど正直、私はそこまでショックを受けていなかった。公式の開催中止ツイートを見た時も「あ〜やっぱりそうだよね〜」と納得だったし、何なら他の舞台(私の推し俳優が出演予定だったもの)に関しては主催元に「いつ中止を発表するのか」と催促の問い合わせをする程だった。払い戻ししやすいように、と友達と一緒にファミマで発券した時も「思ったよりショック受けなかったな〜明後日くらいには完全に元に戻ってるわ笑」と話した。
ショックを受けていなかったはずだった。
ログインするのが怖い。フォローしているテニミュキャスト達のツイートを見るのが怖い。繋がってるテニミュのオタク達のツイートを見るのが怖い。
Twitterだけではなく、推しのFCのHPやニコ生配信インスタライブLINEライブ…様々なネット配信も見ることが出来なくなった。怖い。見るのが怖い。
何が怖いの?と自分で考えても分からない。でも開けない。指がそこをタップする事が出来ない。とにかくテニミュキャストの情報を見たくない。
二次創作や原作の漫画は読めるので、テニミュだけなんだと思う(でも滅入ってしまって自分での二次創作は出来なくなった)。
しかし、テニミュを好きになってから約5年間、私は全てをテニミュに捧げてきた。進学先もテニミュに通いやすいように東京の学校にした。バイトはテニミュのチケットとグッズの為にやっているも同然だった。将来の仕事もTDCまで電車一本で行けるような場所に仕事場がある会社を選ぶつもりだった。
なのに、今後テニミュの予定は何もない。あるはずだったものはコロナによって全て無くなってしまった。一体いつになったら私はTDCに通えるんだろう。そもそも3rdシーズンはこのまま終わってしまうんだろうか。私の推しが最後に立つはずだったステージは?最終本公演凱旋で追加されなかった青10の卒業バラードは?何もちゃんと区切りつけてないのに、こんな風にブツ切りされたまま??
私、これから何の為に生きるの?
返金されたチケット代を何に使えばいいのか分からなかったが、ちょうど母の日が近かったので2万近くする美容家電をプレゼントした。初めてバイト代を趣味以外の物に使った。テニミュが未来に予定されている時は5000円の服を買うのにも躊躇するくらいの私が、こんな高価な家電を簡単に買えている……この家電で3テニミュ+余りになるって今考えたらヤバいな。
コロナ禍で若手俳優達の出演予定舞台はほぼ全て中止になった。彼らの今やれる仕事はネット配信のみ。ファンも今彼らにお金を出せる場がそこしか無いので、本来ならば配信に課金するべきだ。
でも、前述の通り私は配信が観れない。何やってんだろう私。これからずっと推すって決めたはずなのに。今こそ応援するべきなのに。金出さないで、唯一の仕事も観ないで、なにが“推し”だよ。お前にそんな資格ねーだろ、と言われてもしょうがない。
横だけどさ、私も子どもの頃は家族で一人だけデブス扱いされてだけど(美人でスタイルもよく社交性もあって勉強もできる姉と常に比較され)、途中で死ぬ気でダイエットして10kg痩せて生まれて初めて「痩せ体型」になり、対人恐怖症をわずらいながらも死ぬ気で始めた小売店のアルバイト先で知り合った歳上の美人でオシャレな女性から「メイクしてみたら」って言われてバイト代ぶっ込んでデパコスデビューして、死ぬ気で青山の美容室に行って緊張で失神しそうになりながらイマドキヘアにしてもらって…つう経験して、力づくで姉と立場逆転させた経験あるから、「私ってブスで〜デブで〜」みたいな言い訳してる人間を見るとイラつく。隙あらば自分語りと言われようがイラつくンだよ! たとえもともとの素質に恵まれなくたって、ダイエットと髪型とメイクと服装で雰囲気だけは変えられるんだYO!!!
紅蓮華の歌詞にだって「逸材の花より 挑み続け咲いた一輪が美しい」ってあンだろうが!!!
まあ私はどっちも等しく美しいと思うけどな。
新刊『都市の舞台俳優たち―アーバニズムの下位文化理論の検証に向かって―』が検証、東京は小劇場の観劇人口が多いのではなく、チケットノルマを抱えた俳優15,000名が互いに観合っているだけ
http://fringe.jp/blog/archives/2015/06/28233107.html
概して、現代劇の小劇場公演が東京以外の地域で深刻な集客難に苛まれる傾向に関心を寄せる論考の多くは、「見る側」に自らの役回りを特化するという意味での「観劇人口」の多寡に、東京と「地方」の違いを見出してきたきらいがある。しかし東京が日本の他地域には見出しがたい特徴を有するのは、自ら客となって支える舞台俳優人口が桁外れに多いという事実に他ならず、一見「熱心なファン」と観察者の目に映ずる客の中に、いずれかの劇団に所属し公演への参加を続ける舞台俳優が相当の割合で含まれている点には注意を喚起したい。
劇団員同士がバイト代を回しあって成立しているなら、公演がなくなっても劇団員の生活には直接影響しないはずだ(収入が減っても支出も減る)。
学生時代、なけなしのバイト代を貯めて購入したMacがありましてそれで色々と勉強していたところに現れたのが
iMacでありました。アップルは当時ガタガタで、運転資金すら一年分も残っていなかったそうで、ジョブズが戻ってきた
というニュースを見たときは最後は創業者に看取られて死ぬかと思っていたところでした。
そこにiMacの出現は逆転満塁ホームランと言える代物でありました。 ここまで前提。
このiMac、デザインはカッコいいわ、スペックが高いわ、値段が安いわでザッケンナコラー!って言いたくなる代物でした。
現代風に書くと Corei7 GeforceGTX1650 メモリ16GB くらいのスペックですね。兎に角ちょうどいい塩梅で
10万割ってきましたっていうレベルです。今までMac持っていた人は、ハァ?っていうレベル。
さて、Macって当時もクリエイティブ用マシンだったので、当然周辺機器をそろえている人が多かった。
スキャナやMOドライブはSCSIで接続されていたし、これでMacの接続が担保されていると思っていた。
ところがiMacは全部USBになっていた。家庭用だから仕方ないし、そういう人はPowerMac買えやだったんだろうが
このスペックで超低価格とあって、買い替えようとした人はほぼ玉砕した。
結局買い替えるお金は散々馬鹿にしていたゲイツマシンに変わったさ。Photoshopも出ていたし
Windows2000がストレスフリーだった。 そんなかつての思い出。
https://www.asahi.com/articles/ASN4R6G7KN4PUTIL05J.html
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3963060.html
うわぁ…。
コロナ禍で幾ら学校が休校していても学生なんてモロに資金面で直撃する事が判り切っていたのに文科省何も支援してなかったのね…。
こんなもの言われるまでもなく当然しているものだと思うので逆に驚きだよ。
そもそも麻生大臣が今だ企業の粗利補償等の必要な支援すらせず、やっと賃料の話し合いをする段階に入った程度なので当然と言えば当然かもしれないけどさ。
当たり前だけどコロナ禍で収入が無くなれば当然子供にも影響が出るよ。
オンライン授業と言い、世間から騒がれないとあの人達本当に何もしないのね…。
文科省も文化庁も著作権やら知財やらこのコロナ禍に関係ない事を言っているくらいなら、まずは学生支援等このコロナ禍で必要な対策に注力すべきだし、その他の事は本気で凍結して取り組むべきだよ。
ただでさえ、このコロナ禍で問題が山積みだし、今まで殆ど対策らしい対策をまともにしていないせいで、更に問題が雪だるま式に膨れ上がっているのだから。
やあ。おひさしぶりでございます。
バイトのおじさん(https://anond.hatelabo.jp/20170410000627)です。知らないひとは、はじめまして。
おじさん、本業は零細IT系会社の役員やらせてもらってるんだけど、このコロナ禍でも、テレワークでなんとかやってます。
まあね、もともとネットワークとPCがあれば何処でもできる仕事だからね。
さて問題はバイトの方で、あれからもずっと続けてたんだけど、今年の3月以降、お店が休業中でバイトできてないよ。
わりと人が集まりやすい施設に近い飲食店だったし、懸命な判断だよね。
しかし、困ったよ。
週末だけとはいえ、3年も継続してたバイトが突然なくなったら、めっちゃ暇をもて余しちゃってさ。
おじさん、お小遣いだけじゃ生きていけない身体になっちゃったから、バイト代がないとマジでやばいよ。
最初は2~3か月もすりゃバイト先も営業開始するっしょ!とか楽観視してたけどさ、さすがに先が見えなくなってきたよね。
おじさん、バイトのプロだからね、コロナ禍になる数か月前から、ちゃんとバイト情報をウォッチし続けて、やばげなところとそうじゃないところの区別がつくようになってるからさ。
定期的に求人でてるとこは多分、やべえヤツがいるから人が定着しないとこだよね。こういうところは除外して、残った中から「Wワーク可」「週1OK」「土日のみOK」みたいなところを見繕って、応募しといたよ。
じゃ、おじさん、バイト決まったら、また報告するね。
コロナが流行っているご時世では難しいかもしれないが、一度はブルーカラー職のアルバイトをしてみるべきだ。
そういった職場は、いい歳こいてブルーカラー職に勤しんでいるダメな大人の見本市であるから、反面教師として大いに参考になる。
しかし、ブルーカラー職のダメな大人たちは身をもって教えてくれる。
時間と肉体を切り売りして生き長らえている人間の悲惨さ、学業を怠った人間の末路を。
要領の悪い、愛想の悪い、ゴミのような大人たちに何か言われても意に介する必要はない。
大学生です。
私は今、同じ専攻の友人たち8人とよく一緒に行動してます。
でも私以外のみんなは全員それぞれひどく辛い状況にいます。
バイト代を9割親に搾取されている。親な家事をやらされ少しでもできていないと泣くまで罵倒される。口喧嘩になる度に親に包丁を投げられる。首を絞められる。親に奨学金を使い込まれ数百円しか口座に残っていなかった。彼氏に浮気されDVされている。等々
だからみんな心療内科に通ってます。薬が手放せません。大学にもあまり通えていません。
でも私の家庭は特に何もありません。親と喧嘩になっても殴られたり、包丁を投げられたりしたことは一度もないです。
みんな本当に優しくて良い人です。誰かが辛い目にあっていると、すぐにみんなで「大丈夫?辛かったね」と慰めています。
でもみんなと繋がっているツイッターのTLには、みんなの日々の苦しみや不調が滝のように、延々と流れ続けています。
みんなと一緒に遊んだり、お酒を飲むと、とても楽しいです。趣味を通して繋がった仲なので、話も合うし、話していて面白いです。
みんなと遊んで、みんなとの距離がより近くなると、最後にはみんなの辛かったこと、苦しかったことの打ち明け合いになります。私は何も話すことがないのでみんなの話に共感したり慰めたりします。
前に一度親と喧嘩したことを話しましたが、場が白けてしまいました。みんなに「それで?」と言われているようで怖かったです。
みんな本当に優しくて良い人で大切な友達なのですが、最近は一緒にいるのがとても辛いです。
「死にたい」と言う友人を慰める度に、私自身も死にたいと言う気持ちが強くなっています。
そして、私の家庭が何事もなく円満なことがひどく悪いことのように思えて仕方ありません。
最近のコロナの影響で、家に閉じ込められているみんなの家庭はより荒れています。
私は日々みんなにお金を貸したり、私の家に避難していいよと言ったり、警察に通報しようかと言ったりしています。ほとんど断られています。
みんなは全く悪くないということはよく分かっています。むしろみんなは被害者なのに、みんなの苦しみを受け止められず、みんなのためになることを何もできず、助けることもできず、一緒にいるのが辛いと思ってしまう自分が嫌で嫌で仕方ありません。
最近はただただひたすらにベランダから飛び降りることや車道に飛び出すことばかり考えてしまいます。
みんなに幸せになってほしいです。
私も毎日みんなの辛いことより楽しいことを聞いて暮らしたいです。
みんなは何も悪くないのに、私だけ楽ばっかりしているのに、鬱に理解がなくてみんなの助けに全くなれていないのにこんなふうに吐き出してしまってごめんなさい。