はてなキーワード: 矮小とは
よぉオタク、よく来たな。
そりゃタイトルにオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは、
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さて、attention!
そう、pixivのlogとかによくあるあれだ。オタク、よろしく頼む
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・このエントリにはガルパライブ5thの両日ネタバレが含まれます
・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)
・なんでも大丈夫な方のみどうぞ
・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。
さて、それでは話を始めます。
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悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。
CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。
ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。
オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で
定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています。
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さて、そんな私の過去ですが、物心ついたころから捻たタイプの百合厨でした。
わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、
それ以前の私は女子プロレスにキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、
嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。
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一方で成績も悪くなく、本が好きなデブとしてオタクの例に漏れずインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます。
バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はいい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、
演奏技術として課されるノルマも相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。
感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく
――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツやレベルで推し測ることができるものです――
ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。
まぁそれは今も変わってないのですが。
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そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――
大学受験に失敗し、ラブライブに出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタクが大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。
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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれたオタクは、project DIVAにのめり込みます。
extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人。LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易にスクフェスに手を出します。
浪人期の私にとって、スクフェスは勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ、二次創作で無限に供給される百合。
オタクがオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステのサービス開始一年前とかの話です。
オタクがラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。
曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。
アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望に共感することができたのです。
自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。
理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズのNGお披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。
そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。
ストーリーが死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、
どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんのオタクになります。
普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。
そして何気なく見てたyoutubeで、オタクはラブライブのライブ映像を目にします。
始めは何気なしにアニメのライブか、程度で見ていたのですが、オタクは気づきます。中の人がマジでパフォーマンスしていることに。
ラブライブはアニソンの例に漏れず歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンスを再現しています。
このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブのオタクになりました。
しかし時は5thライブ直前、ラブライブのオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。
アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます。
結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、
それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります。
そうして、初めてコンテンツの興隆と寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。
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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。
あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPとEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。
プリパラは3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。
とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。
二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、
他人から「ホントにヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。
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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります。
大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクはキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、
奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。
オタクの音楽の趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、
大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推しは奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaはめっちゃ好きです。
Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話からの再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります。
dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメの最終話、主人公機覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。
とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaのプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。
ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。
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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス。
片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます。普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、
この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかしオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます。
それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈はリサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoseliaの精神的支柱だという気付きを得ます。
そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズとガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。
引退。よくあることですね。ラブライブのオタクとしてμ'sの実質的引退を経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、
Roseliaのメンバー、中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタク、FGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。
このオタク、ホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。
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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きます。ガルパライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?
ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。
もともと田舎出身の貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtubeに公式が上げている
映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。
ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVでRoselia」くらいの認識だったと思います。
許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。
その週、気の利くラッキーボーイはGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属のRoselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。
これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。
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GiGSに載ってたのはRoseliaの中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります。
全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年。
かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります。
Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。
そして見せてもらった1stライブ。中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいはぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。
そしてゆりしぃはリサでした。まごうことなき今井リサでした。ツッコムわトークを回すわリサゆきだわでオタクはRoseliaの中の人たちにもメロメロでした。
キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaにメロメロのオタクにはあまり関係ありません。
というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。
こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。
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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライトの演出とかほんま神だったしポピパの中の人の新曲への熱意が凄かったしでオタクは普通に楽しんでいました。
ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります。何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。
ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。
そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンス、ライブとしてのラブライブをちゃんと終わらせてなかった、
ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、
幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、
それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。
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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。
何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています。
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声となって
表情となって
導いてくれる
やさしい人よ
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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。
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二番に入り、
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離れていても 帰る場所がある
どんな時でも 傍にいてくれた
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Aメロはリサであるゆりしぃのことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。
たとえRoseliaのパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、
Roseliaのメンバーにとって、ゆりしぃはリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。
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太陽となって
月となって
照らしてく
つよい人よ
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陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。
Roseliaのベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、
これからはRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。
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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます。
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「あなたがいれば、怖くないよ」
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と
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名前を呼ぶ声
こんなにも特別な事だと
想い あふれてゆく
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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。
これからいなくなってしまうゆりしぃが呼んでいた誰かの名前、Roseliaのメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別なものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。
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ちなみにコンソール派です!!!!!PCゲーはゲーミングPC無くてプレイ出来ない!!!!
ゲーミングPC欲しい!!!!!ゲーマーの友達はもっと欲しい!!!!
どうしたらゲーマーの友達できますか。別にオンラインで一緒に遊ぶとかしないでもいいんです。最近出たオススメタイトルを互いに紹介し合ったりレビューし合ったりゲーミングバー行くような関係の友達が一人や二人欲しいんです。
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みなさん優しくて本当に感謝感謝です。ありがとうございます。
・ゲームやってる人の後ろで見ていたい
→喋りが下手くそなので多分プレイ動画の垂れ流しになるんですがそれでも需要あるならやってみようかなぁ
・ゲーミングバー?そんなのあるの?
→https://goo.gl/dxvfVb こんな感じで色々ある
・ゲーセンいけ
→ゲーセン特有のコミュニティ、ほんと憧れてる。でも貧乏なんで通えないんだわ。
・コンソール派ってはじめてきいた
→語弊を生んで申し訳ない。あなたの言うコンシューマー派で捉えてもらって構わない。
他の人も言及しているがコンシューマーというのは和製英語で、英語だとコンソールゲームと言う。
自分は職業柄海外の情報に携わることが多くどうしてもコンソールと言ってしまう。
→是非なって欲しい id教えてくれればコールするし、嫌だったらブクマから私のidをコールして欲しい。もしくはTwitterに連絡くれても可
書いてくれという方がいたのでとりあえず3本書きます。
◯桜国ガイスト
ポケモンが流行った当時量産された、いわゆる「ポケモンlikeゲー」の中でも個人的に良作と思えた一本。
相棒であるモンスターを武器に変化させ、トレーナーも一緒に闘うというゲームシステムが斬新だったのと、それ活かしたラスボス戦が最高だった。妖怪(和風)とSFを融合させたかのような世界観も秀逸で、小話付きなサブミッションなどやりこみ要素も豊富。色々と惜しいゲームだったが、作品を購入した当時の自分は狂ったように遊んだのを覚えている。リメイク版とかでないかなぁ
戦争×歴史×SFロマン大作『メタルギアソリッドシリーズ』の第3作。東西冷戦の中に生きた伝説の特殊部隊を描いたスニークアクションゲーム。ストーリーラインこそシンプルな王道スパイ映画のような筋書きだが、小島監督ならではの演出も相まって噛みごたえ抜群の味わいを誇る。スネーク〜イーター♪〜や「人生最高の10分間にしよう」以降の演出は今でも忘れられない。
いわゆるメタ的演出というものにゲームで触れたのも私はこの作品からだった。文字通り腹筋が崩壊したのを覚えている。
合わない人は合わないが、合う人はドハマリすること請け合いなゲームだ。ちなみにこの作品のおかげで、私はスニークアクションゲームが大好きになった。アサクリシリーズ、HITMANシリーズ、Dishonored、etc…
ロボット3DSTAG「アーマード・コアシリーズ」4作目続編。個人的には集大成という感じでシリーズ内で一番好き。安易に語らないことで自己の矮小さと対する世界の壮大さを無意識に感じさせる物語、プレイヤーの選択次第で変化する世界と、それでも全てが明らかにならない真実。爽快感抜群の超高速戦闘と自由度の高いマシンアセンブリ。ゲームの難易度を上げるとそれに応じて物語の真相に近づくという演出もよかった。これ以上好きの気持ちを文字に起こすとなんだか安っぽくなってしまうように思えてならない。言葉は不要か…
こんな感じです。基本的にアクションアドベンチャーが大好物です。最近遊んだものだとアサクリオリジンズやニーアオートマタ、ベヨネッタ2(スイッチ版)とかですかね。あとはいわゆるコマンド選択JRPGやADVも大好きです。FF、ドラクエ、ポケモンやLIFE is Strange、テキスト主体のポイント・アンド・クリック系(シュタインズ・ゲート、さよならを教えて、マブラヴオルタネイティヴなど)。FPSはエンジョイ勢。Dota2とかやってみたいがPCが無い。ソシャゲはグラブルとハースストーンしてる。
私が大学生活で学んだこと
人はひとりひとり違っていること
そしてひとりひとり正誤などないこと、ひとりひとり認められること
誰かに嫌なところがあったとしても、その人そのものを嫌いにならなくてもいいこと
本当に困った時に助けてくれる人が、思った以上にいないこと
しかし自分のことを分かってくれたり、認めてくれたり、あるいは叱ってくれたり、救ってくれたりする人が、たとえ瞬間的だとしても、確かに存在すること
丁寧な人間関係
世の中で「正しいとされること」が必ずしも正しい訳ではないこと
たくさんの夢と希望と野望を抱えて上京してきたあの春から、4年が経とうとしている。
いま、卒業を前にして、私はいくつの夢を捨て、希望を失い、野望を諦めただろう。
考えると虚しくなるくらいには、だ。
オシャレなレストランやカフェで働きたかったけど軒並み落ちて、ようやく受かったバイト先はブラックだと友人に教えられた。
思えば変な雰囲気が漂っていたけど、初めてのバイトで何も分からない私は普通に頑張った。
別のところで働いている友人の話を聞いて初めて、半畳ほどの狭いロッカーで立ったまま賄いを食べることが当たり前ではないと知ったし、「誠意」を示すために30分前に出勤したり閉店後3時間も残る必要なんてないことを学んだ。
3年目まで頑張って、辞めた。
旅先から思い切って「辞めます」と店長にメールをした後、連れていかれた深夜の喫茶店で、辞める理由を問い詰められて叱責されてる間、とにかく泣きながら黙って耐えた。
計画では片手間にやろうとしていたサークルにしっかりハマって、部長もやった。
いろんなことを後回しにして、蔑ろにした。
中学からの趣味を続けようと思っていたけど、サークルのほうが楽しくなって時間もお金も回らなくなったから、就活を理由にして辞めた。
本当は就活なんてまだまだ始めていなかったのに。
そんなサークルも同期と揉めて、辞めた。
4年になってからはそれこそ就活が始まったけど、一度ビックサイトに行って遠すぎるし交通費もバカにならないので合説に行くのは基本的に止めた。
志望している企業の説明会や講演にはそれなりに通って、だいたいどこの説明会でも同じ内容を繰り返してるんだってことを学んだ。
座席は先着順だったので、2時間前に行って一番前に座るぞと意気込んでいたけど、普通に遅刻した。
最前列ではなかったけれど、ずっと社長に向かって「採用してくれ」ビームを出した。
講演が終わった後、スカウトされてしまうのではないかと思ったけど、当たり前に私に目もくれず退室していった。
力みすぎて背中が痛かった。
社長がランニングで肌を焼いて採用されたと話していたので、それ以降もサークルに打ち込んで、思う存分肌を真っ黒にできた。
締め切り当日の夜9時、私はまだESを書き終わっていなくて、立川のバーミヤンで必死に空欄を埋めていた。
まさかのペンのインク切れ、かつ準備が悪いので予備のペンなど持っていなくて、慌ててバーミヤンを出てローソンでボールペンを調達した。
またバーミヤンに戻るのも面倒だったので、残りは郵便局で書こうと思ったのだが、立川郵便局がまさかの臨時休業。
本来なら宛名などを書くためのカウンターで立ったまま必死に手を動かしながら、隣の男の人が同じ企業へのESを書いているのをチラ見した。
もしあの時インクが切れていなかったら、0:00ギリギリまで立川のバーミヤンにいて郵便局が開いていないなんて気づかないで、間に合っていなかったと思うと、神さまはいるんだろうと思う。
びっくりするぐらい何も話せなかった。
神さまはいるけど、実力が足りなければどうしようもない。
今は、たくさん落としてきた単位を回収するべく、4年間で一番一生懸命、大学に通っている。
4年生は私だけ、という授業がたくさんある。
ちゃんと聞くと面白い授業がたくさんある。
レポートにテスト勉強と、やることもたくさんあるんだけど、ちょっと休憩したくて、初めてますだを書いている。
これまでの4年間を振り返っている。
気づけば何も残っていなくて、私の4年間は何だったんだと思うことがある。
Facebookでバイト先の後輩や社員から花を贈られて笑っている友人の写真を見るとき、Twitterでサークルの仲間たちと旅行先で笑っている友人の写真を見るとき、Instagramでオーストラリアにて念願のスカイダイビングをしたという友人の写真を見るとき、昨日の綺麗な夕陽の写真ぐらいしかアップするものがない私の日々は、何だったんだと思うことが。
すべてに意味がある、全部無駄ではなかった、ということにすることもできると思う。
そしてもちろん、すべてが無駄だった、ということにすることもできる。
本当は、意味があってもなくてもどっちでもいいし、無駄でも無駄じゃなくてもどっちでもいい。
ただ、私は4年間を過ごした。
最高の4年間でも、最悪の4年間でもどっちでもいい。
価値を決めることは楽しいかもしれないけど、というか、そうやって序列を決めることで安心できる人もいるかもしれないけど、そんなことをする必要は全然ない。
大事なことも、矮小なことも、駄目なことも、幸福なことも、楽しかったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、悔しかったことも、辛かったことも、全部、ごまかさずに、何かの価値の中にまとめてしまわずに、なるべくそのまま持っておきたい。
分かりづらいと思うけど、それが、私が大学生活で学んだことだと思うし、得たことだと思う。
学ばなくてもいいし、何も得なくてもいいけど、4年も過ごしといて何だったんだって思っちゃう自分を励ますために、強いて言うなら、そうです。
ノマドとか、起業家とか、そう言った類の人種から放たれる「俺すげーオーラ」がキツイ
営業の人もこういうオーラ纏ってることあるけど、それよりもっと子供っぽい感じがする
営業の人は何だかんだで畏まった態度を取るが、彼らは「自分凄い、偉い」的な態度だからだ
とっぽいっていうの?
かという私も同じ界隈に居るのだが
ドヤりたくなくて卑屈な態度を取るよう心がけている
自分はクソ、自分はゴミ虫、そういう意識を忘れないように頑張っている
こういう界隈に居る人でも、40代くらいになると落ち着きが出てくる
実務がすごくできそうなオーラがある
40代でノマドオーラを纏ってる人は、しょっちゅう「すごそうな話」を披露している
聞いてるのは女性であることが多い、「奥様」みたいな意識高そうな女性
別に詐欺を働いているわけでもないので害はないんだけど、ただ鼻についてしんどい
男向けアニメは基本的に成長ポイントは勇気とアイデンティティ全振りで戦いが終わったらいつも通りモラルの無いクソガキに戻ったりするから耐えられる。
でも女児アニメだと登場人物が一度成長するとそのまま成長しっぱなしな事が多い。成長する部分も多岐に渡っていて、話が進むに連れて人間性がまるごと大きくなっていく。始まった時は中学生の身体に小学校低学年ぐらいの心だったのに、4クール8クールと話が進むに連れ、凡人の一生何回分とも付かぬほどの人生経験をその心に注ぎ込まれ、見かけは子供のままに人間として理想的すぎる成長を遂げた聖母のような存在へと近づいていく。正しく、優しく、微笑ましく、人の気持を汲み取り、自分の姿を見失わず、惑うこともなく、諦めることもなく、己の間違いは認め、人の間違いは時には正し、時には受け止める、そんな理想を詰め込んだような人間となる。
彼女たちを見ていると自分たちの矮小さに気付かされる。そして恐ろしくなる。どう生きれば正しいのかが分かっていながら道を間違え続けてきている自分たちの惨めさに冷や汗が出る。何故もっと人として誇れる生き方が出来なかったのだろうか。そして、そんな人間ばかりの世の中で本当に良いのだろうかと。考えてもしょうがないことを次々に考えしまいに泣きそうになる。
恐ろしい。
毒なのだ。
光は毒なのだ。
・見た目は普通
・相手に何か言われると、馬鹿にされたと思って、フンと怒って会話ができない。(普通の会話でそうなる)
・給食のおかず担当のときに、大おかずを倒しても、謝らずに遊びに行ってしまった
・すこし、身だしなみがきれいではない。
・総合の授業のときに、女の子が、その男の子の席に勝手に座った。
・それをみていた、先生が、女の子に対するいじめだと断定してしまった。
娘の視点からすると、椅子をけった男の子も悪いが、普段から、発達障害の女の子が、空気読めなさすぎて、人の話も聞かないので、まわりにすごいすとれすになっていると。
発達障害の女の子に対するいじめの疑惑に対して、先生が、このクラスにイジメはありますか?と、いう、クローズド質問で、話題を誘導しようとしている。
娘からすると、いじめじゃなくて、ボタンの掛け違いじゃないかと。
男の子は、発達障害の女の子と、その女の子を指導しない先生に不満があると。
この、クローズド質問に対する、先生の急所に切り込む回答はなんだろうか…
■追記1
発達障害というのは、観察結果からで、それでバカにしているわけではありません。
他の子がやったら、ものすごく怒るのに、その子が何をやっても怒らない。
言っても理解できなくて、しかも、その子の親が特別学級に行くのを拒否して、怒鳴り込んできたことがあるので、当たらず触らずなのです。
子供からすると、他の子に怒るなら、該当の子にも指導しろよ、と、言っております。
■追記2
その女の子が、表面上は普通の子のような扱いをしつつ、その女の子に対する指導をしなくて、子供に対応を押し付けているので、
その爆発仕掛けているのが、先生が、ちゃんとした指導をしていないのが原因なのにもかかわらず、先生は、表面的な事象を見て
■追記3
発達障害(ASD/ADHD/LD)に対する理解、定型か非定型、コミュニケーションにコツがある。
娘が学級委員長で、結構、その女の子の面倒を見ているのですが、どうコミュニケーションしたらよいかわからないと言っていた
ので、こういう視点もあるんだということを伝えてみます。ありがとうございます。
■追記4
ちなみに、何に困っているかというと、先生が、問題にフタをして、頓珍漢な矮小ないじめ問題にしてしまっているのと、
その問題を解決するために、算数の授業を毎日のように潰しているのですが、根本が間違っているようにみえるので、
■追記5 これに対する回答
https://anond.hatelabo.jp/20171113001711
残念ながら、当事者の子供たちで、ちゃんと親に報告が出来ているのは、うち娘くらいで、
同じく、お母さん方も、教育熱心な方が少ないので、増田でもらったアドバイスを元に
スクールカウンセラーに相談しようと思います。
・授業を毎日のようにつぶして、ヒアリングしても、間違った始点からなので、間違った結論にしかならない
可能性があることをスクールカウンセラーから生徒側の意見として伝えてもらう。
■追記6
思いつくままに書きなぐったので、思考の断絶の都度句読点が入っていて、自分でも読みにくいわ!!と、マジでへこんだ。。。_| ̄|〇
あと、面白いのが、増田よりも、ブックマークのほうが辛らつなのな。
当日のカーッとなった「先生の急所に切り込む」を受けての反射の反応なんだけど、普段の記名して記事書いていると得られない反応なので面白いわ。
カズオイシグロ氏がノーベル賞を受賞したと聞き、ミーハー丸出しで「日の名残」を読んだ。
舞台はイギリス。本筋としては語り手である執事が休暇を貰い田園風景を旅をする物語だ。仕えていた主は上流階級の大物政治家であり、職務に誇りを持っている。
そんな「日の名残」を読んでいると「黒執事」を思い浮かべた。例の悪魔で執事の有名なマンガである。大ファンと言うわけではないのですが。執事と言ったらね。
「日の名残」作中において、優れた執事とは主より目立ってはならず、影を潜め、口をはさまず、しかし盲目的にならずに己の忠誠を捧げる相手を選ぶ存在ではないかと語られる。
目立ちまくり、主にイヤミを言うのが日課のセバスチャンとは真逆である。こういった執事は一時は誉めそやされるのだが、どこかで馬脚を表し失脚するのである。
セバスチャンは悪魔である。したがって、いつまでも完璧な執事(ある意味で二流)のまま変わらない。
セバスチャンがどれだけ見事にこなしたところで、執事としては二流。悪魔には表面をなぞることしかできないのだ。
主シエルのセバスチャンとタナカさんへの態度の差から、作者もこの辺りを意識してるように感じる。
何でも出来て悲惨な現実でもどこか他人事の癖に、矮小で有象無象の人間に執着する悪魔。
逆説的な人間讃歌ですよね?
内容はタイトルそのままです!ごめんなさい、石投げないで!いや、まあ、この記事が合う人合わない人は絶対いると思うので別に投げてもいいけど
当方、生粋のオタク基質女で、様々な2次元ジャンルを渡り歩いた末に現在ジャニオタをしているものです。
ジャニーズ界隈は、他の沼にいた時から一際異彩を放つ存在で、独自の文化が多々あるという噂は耳にしていました。うちわ文化、自担文化、おそらく母数が多いせいもあるのでしょうがジャニーズ関連のはてブロ記事も他のジャンルより群を抜いて多く、はまりたてのころよく拝見させていただきました。
そうして知ったのが「担降り記事」の存在でした。担降り。言葉の意味は知っていました。他の界隈では単に、上がり、と言ったり、他界、なんて呼んだりもします。かくいう私も過去に推していた女子アイドルグループを他界したことがあります。
悲しいことですが、推しグループの記事を書く好きなブロガーさんが担降りされること(担降りされていたこと)が何度かあり、その際に担降り記事も拝見させて頂きました。推しグループや自担の変更、もしくはジャニオタの卒業。理由はオタクの数だけあり、様々です。けれど、どの記事を読んでも読み終えて最後に残ったのはほんの少しの寂しさでした。本当に、身勝手で申し訳ないですが。(好きだった二次創作サイトが閉鎖されているのを見つけてしまった時のやるせない悲しみによく似ていました)
推しグループとの出会い、自担の発見は、ある意味私の人生の中で通過点の一つに過ぎないと思っています。今まで、幾つかのアニメに惹かれて好きなキャラクターを見つけて、そうしてしばらくしたらまた別のアニメに惹かれて…を繰り返してきたせいかもしれません。悲しきかな、どんなにハマっていても、どんなに好きでも、「ずっと好き」が自分の中に存在しないことにこれまでの経験から薄々気が付いているからかも知れません。
自担の人生は生まれた時からずっと続いていて、私は数年前に不思議な縁で自担を知り、ぽっと途中観戦のような形でファンとして彼のアイドル活動を応援しています。いわば彼の人生という太い軸に、私の矮小な人生が畏れ多くも重なっている状態です。メディアやライブを通して笑顔と夢を与えてくれる自担に、私は金銭を払い、幸せを得ます。この毎日はとても楽しいですが、きっといつかいわゆる「担降り」をする日が来ることは知っています。今は全く想像も付きませんが。これを読んでいるあなたも、もしかしたらそうかもしれません。ある日突然、あなたが心から応援したいと思える自担に出会ったように、人生何があるかはわからないですから。
けれど、それを悲観する必要は全くないと思うのです。人と人の縁は重なるものではあれど、繋がるものではありません。ずっと一緒、はありえません。例えあなたと自担の縁がはぐれても、自担の人生は続きます。けれど、自担とあなたの縁がはぐれても、あなたの人生も続くのです。流行り廃りはあります。自分の中にも。そんな自分を責めたり、自担を責めたり、悲劇性を植え付ける必要はないのです。自担とあなたの出会いは、あなたの人生にとって必要なもので。そして、あなたと自担の縁の離れだって、同じように必然です。大層なことではありません。あなただって昔、あれほど大好きでひとときも手放さなかったおもちゃがいつの間にかどこにいったかわからなくなってしまったという経験はあるでしょう。
なーんて。ちょっとスピリチュアル(?)に書いてみちゃいましたが、ようは、もし担降りする時がきてもあなたは悲しまなくていいし、その理由を自担に押し付けるのはもっとお門違いだよって話でした。誰も悪くない。必然ですから。
二人で楽しそうに過ごしてる道行くカップル。
電車の中で人目を気にしながらも二人の時間を楽しんでいるカップル。
別に誰に迷惑をかけたわけじゃないのに、独り者の目の敵にされることが多すぎじゃないかなと思う。(とくにTwitter)
というか、べつに爆発しろなんて本気で思っている人はそう多くなくて、幸せそうな奴らが批判されてるのは単純に面白いからだと思うし、かつて良識がなかったころの私は爆発させたがる側だった。
それを変えてくれたのが、友人の発言。
車の中から、手を繋いでるカップルを発見した私は、「あーいうの見ると、爆発しろ
wwwって思うよねwww」って友達に言った。
って私に言った。
それを言われたときの、自分という人間に対する恥ずかしさは今でも忘れられない。安全な場所から、その時を一生懸命楽しんでる人間を叩いて笑い物にしてる自分ってなんなんだろう…って本気で思った。あまりにも卑怯で矮小だと思った。
あの時友達がハッキリ言ってくれたから、ネットとかでも「リア充爆発しろwww」的なコメントや話題で盛り上がってるのを見るたびに、あのときの恥ずかしさを思い出す。
一般には知られていない闇の歴史となるのだが、この地球の支配種族はクーラーなのだ。
この猛暑の中外回りをしている勤勉な増田には理解してもらえると思うが、地球と呼ばれるこの惑星において最も偉大な種族はクーラーであり、俺たち人類は、彼らの吐き出す冷気に寄生していっときの安らぎを得る未開の番おくにすぎない。
日本以外でもそれは完全な事実なのだ。クーラーなんて使わないよ? とうそぶく北欧国家はもう完全にやばい。
あれは山脈の頂上近辺とかに、巨大クーラー様が鎮座してて国家どころか地域ごと冷房しているから一年中快適気温なのだ。夏の間だけクーラーに面従腹背しているような、半端な文明国とは違う。国家ぐるみでクーラー様を信奉しているのだ。万年雪ツアーとか聖地巡礼みたいなものだ。
古代種族クーラーの本拠地は南極だ。狂気クーラーが地球を凍結させようと、白熊あいてにシロクマアイスを量産している。地球温暖化がいまのようなペースでとどまっているのも、この古代種族の偉大なる英雄が南極でかき氷を作ってるからなのだ。
人類の最後の牙城だと思われていたアフリカ諸国も最近きな臭い。茶色くて乾いたぺんぺん草しか生えていなかった荒野が灌漑されて、近代的な大学やオフィスビルが立ち並び始めた。言うまでもなくそれは古代種族クーラーのテリトリーだ。
世界経済の発展やグローバリズムというのは、クーラー族がその勢力範囲を拡大するために人類に授けた叡智なのだ。いいや、それを叡智と呼ぶのは矮小なる人類の価値判断でしかなく、本当は空調機械がこの地球の表皮を覆うための生存戦略めいたただの自然の帰結なのかもしれない。人類のちっぽけな知能では、古代種族の深い考えなどわかるはずもないからである。
賢い増田は、偉大なるクーラー様の支配を拒むことはないと思うが、世間では(特に市役所とか?)が設定温度を28度とかにして、結局室温は30度超えてるじゃんなどという、文明人にあるまじき反抗作戦を繰り広げていると聞き及ぶ。
愚かなことだ。
古代種族は人類のことなど気にもかけていないのだ。クーラーは何も奪わず、与えない。熱交換はただの交換でありエントロピーは増大するのみである。支配種族に逆らうことに意味はない。彼らは人類に悪意は(あえて言うならば、もちろん好意も)ないのだから。
この秘められた事実が露見した場合、僕は反クーラー主義者たちの凶弾に倒れるかもしれない(彼らは長い間義務教育の教室にはクーラーを設置させないという差別を行ってきたことに注意すべきだ)。
> 意に沿わない仕事はこれまでも断ってきたのですが……。あと、特定の会社をたたいたり批判するような仕事は、ノオトは行っておりません。まったく逆で、依頼主をしっかり支援するスタンスのコンテンツを作っています。PCデポの件はヨッピーさんがヤフー個人で書いていたので、ノオトは一切関わっていません。ヨッピーさんの活動や心意気は、応援している立場です。
この人もほんとアホかバカなんだろうな。
ノオトが意に沿わない仕事を断っていて、特定の会社を叩いたり避難するような仕事をしていないのは、素晴らしい。
でも、世の中には同じような仕事を、ノオトが持っているらしい清廉な矜持をもって遂行している人たち/業者ばかりじゃない。
だから、色々考えようよ。
バカなのか。アホなのか。
"依頼主をしっかり支援するスタンス"が、競合他社を貶しめるようなブラックジャーナリズムだったらどうするんだよ、っていう問題提起であり、もともとのおーつねさんとかの議論も同じ文脈だったけど、いつまでたっても個人レベルの矮小な議論してる。
バカかアホだろう。
しみずさんもおーつねさんも他のいろんな人も、"業界やメディアがどうあるべきか"って話をしてんのに、このひともよっぴーも"俺はしっかりやってる!"って答えてるからいつまでたっても噛み合わない。
諸君の中には「喘ぎ声をだすのは、男の沽券にかかわる」なんて思っている人も少なくないだろう。
「男の子なんだから我慢しなさい」と言われて育ってきた我々日本男児
我慢もせずにあられの無い声をだすなんてとんでもないと思っても仕方がないだろう。
「ベットではあんなに喘いでいたくせに」などと罵られようものなら、切腹ものだ。
しかしだ。
私の矮小な人生経験からで申し訳ないが、男でも喘ぎ声を出した方がいいという結論に至った。
■自分の声に興奮する。
日本では古来から言葉には力が宿っていると信じられてきた。いわゆる言霊だ。
「俺はBIGになる」と毎日言っていた青年が、将来人気ミュージシャンになったなんて話もある。
モノは試だ。これを呼んでいる諸君
「はぁはぁ、気持ちいい、ああ、気持ちいい」と繰り返し言ってみて欲しい。
これと同じように喘ぎ声を出すことによって、喘ぎ声を出すくらい気持ちいい気がしてくるのだ。
最初は演技でもいい、ワザとらしいと思えるくらい喘いでみよう。
「なんで私の気持ちをわかってくれないの!」なんて女がいたら、張った押したくなるだろう。
相手が気持ちをくみ取ってくれるなんていうのは怠慢で烏滸がましい。
結局のところ自分の気持ちを伝えるには、相手と向き合って話しかないのだ。
それと同じように、自分が攻めれれて気持ちいところを相手に分かってもらうためには、
きちんと口に出して伝えるしかない。
しかし「あ、耳弱いんで、耳攻めてもらえます」なんて言い方は無粋だろう。
恥ずかしがらずに「ああ、だめ!耳は弱いんだ。あ、ああ、あああ~」
■なんだかんだでパートナーもノリノリ
性の違いこそあれ、結局のところ同じ人間だ。
若干の違いこそあれ、同じように喜びを感じ、同じように怒りを感じ、同じように哀しみを感じ、同じように幸せを感じるのだ。
化粧が嫌いだった.
より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.
第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.
そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.
思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.
大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.
美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.
人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.
話がずれた.
雑誌モデルなどについてはどうだろう.
確かに彼らは美しいような顔をしている.
彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.
彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.
彼らは芸術品だ.
相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.
人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.
そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.
おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).
化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.
芸術品になりたいわけでもあるまいし.
猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.
第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.
それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.
マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.
そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.
その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.
それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.
生意気は死だ.
思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.
そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.
それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.
それが大人になるということだとしても.
第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.
薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.
コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.
当たり前だ.
人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.
なので保湿はメリットがある.
ただそれだけの話.
「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.
たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).
そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.
「化粧をしていないものには死を.
肌が荒れている? 生ぬるい.
このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.
「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.
思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.
しかたのない話だ.
肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.
分かっていないことの方が多い.
結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.
なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.
「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.
なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.
それが基礎化粧品だ.
社会悪だ.
吐き気がする.
使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.
そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.
重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.
それは心の平穏に繋がった.
他人を称賛することもできる.
そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.
化粧をした自分の顔は好きだ.
周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.
熱意はたかが知れている.
そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.
無理をしたって仕方がないのだ.
だいたいなにか目的があるわけでもない.
わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.
ファッションなどもそうだ.
化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動に必須なアイコンだからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識の理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるから嫌なのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延る似非科学.薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなたの努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識を収集した.こうして自分のコンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.
けれど問題は,技術が稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.