はてなキーワード: 矮小とは
まあまあ見た目が良かったら「おっしゃちんポコハメはめてみっか」って言ってハメたくなるんですよ。
でもしない。それは自分で自分の価値を貶めてるような気がしてしまうから。
しかしそれこそオールドエイジのカビが生えた思考だとなぜ気付けない?
古来より女は男の所有物だった。太陽という呼び名の傀儡だった時もあった。
そんな世の中だったせいで女は自然と自身の身体という矮小な価値をよりどころに生きるようになってしまった。
しかし今、我々の生活は激変し、女性は男と対等以上に渡り合えるようになってきた。
もはや所有物ではない。
もはや「自分を安売りしたくない」などというジェンダーロールに縛られた考え方をしなくても良いのだ。
良さそうなちんポコを片っ端からハメハメしてアヘアヘ言う時代が来てるのだ。
立ち上がれ女たちよ。
ソシャゲーは人の金を奪う.
この糞煮込み鍋の如きソフトウェアどもはプレイするためにあらゆる手段でリアルマネーを使わせる.基本無料だから云々という文句は受け付けない.なぜならこいつらが行っているのは実質第一種価格差別であり,それは最も効率よく企業が金を吸い上げるシステムであるからだ.
要するに500円で売り切れば500円以上出してもいいと思う人だけがきっちり500円払うのに対して,基本無料で無限に課金させるようにしておけば,100円くらいなら払ってもいいかなという人が0円ではなく100円払ってくれ,5000兆円課金して全部の絵柄が欲しいとぬかす豚は500円でなくちゃんと5000兆円払ってくれるのだ.500円の価値のものに5000兆円.そういうことだ.
おれはゲームが大好きだ.これまでの人生の少なくとも1割はゲームをしている時間だと思う.それくらいに好きだ.
ゲームのプラットフォームは時代とともに移り変わってきた.昔と比べればPCでゲームをするという行為も日本に馴染んできたと思う.しかしそれ以上に,スマートフォンでゲームをするという文化は日本の奥深くまで浸透している.
おれはスマホゲーを批判したいわけじゃあない.スマートフォンの携帯性や利便性とちょっとしたミニゲームの相性は抜群だし,指一本でプレイできる戦略性の高いゲームもたくさんある.
しかしスマートフォンというハードウェアの制約上,そこには間違いなく限界がある.全てのゲームが,スマホがスマホである範疇で快適にプレイできるわけではないのだ.少なくとも今の技術では.格ゲーやFPSをタッチパネルと指でまともに操作できるとは思えない.おまえらはどうせこの一文に対して「ボクたちはできるもん!ぷんぷん!」などと怒りを顕わにするだろうが,トッププレイヤーがスマホ対CS,スマホ対PCで同じゲームを対戦してスマホプレイヤーが勝つと本気で思っているなら病院に行った方が良い.プレイヤースキルは操作性の不自由を絶対に覆さない.
要するに,スマホでゲームを作る以上実現可能なことには限界があって,それを逸脱しようとしてもまがい物にしかならないということだ.
問題は,この国ではまがい物の方が売れてしまうということである.
ソシャゲー.他のゲームから丸パクリした取ってつけたようなゲームに,いつでも制作サイドで換装可能な絵を適当にひっつけ,あとは0.00000000001%の当たりを仕込んだゴミのような宝くじを実装した,それはもうまがい物としか言いようのない廃棄物に対して消費者が金を払うというシステムがこの国では完成している.笑えるような低コストで笑えるほどに利潤が得られるのだから,近視眼的に金を得たい企業が飛びつくのは必然である.
だがそれは逆に,真にゲームを愛し,真にクオリティの高い作品を世に送ろうとする者を殺す.苦労して作ったゲームが売れない.ふざけんじゃねぇよ.
おまえらがドブに捨てた金で本当に楽しく価値のあるゲームをプレイしようという気になっていたならば,もっとたくさんのゲームがその価値を認められていたに違いない.その機会を奪ったのはソシャゲーという巨悪であり,頭を使わず楽して金儲けをする企業であり,それに金を垂れ流すおまえらだ.
ここ数年この国では毎年E-Sports元年を迎えている.競技的にゲームをすることが毎年毎年毎年毎年ちょっとずつちょっとずつちょっとずつちょっとずつ市民権を得てきた.プロゲーマーの処遇に関してもまあ色々と問題があると思うが,それはまあ本題ではないので誰か詳しい人が語ればよい.
何がダメなのか.ソシャゲーとゲームが同値であるこの国において,ゲームの競技性が向上する余地が存在しないということである.
この存在する価値のないデジタルデブリ達は金さえ払えばゲームをクリアさせてくれる.意味が分からない.お前らは何のためにゲームをしているのか.
おれは人生において金に物を言わせショートカットをすることを批判したいんじゃあない.だがこれはゲームである.敢えて言うがたかがゲームである.たかがゲームで楽をして何が嬉しいんだ.
ゲームの目的は何だ.ゲーム体験の楽しさ,クリアによる達成感,ライバルとの切磋琢磨,プレイヤー内でのランキング,そういったものだろう.その過程にリアルマネーの入る余地があってはいけない.Pay2Winはゲームバランスを崩壊させるし,課金による近道はゲームというシステム自体を否定する.金を払うことが気持ちいいなら募金でもしてろ.
しかしながら,金を払うことでゲームをクリアするのが常識になったこの国では「自らの技を磨き,実力一本で強くなろう,人に勝とう」という意識が欠如してしまうのは必然である.
実際には,日本でも少なくない数のプレイヤーが上のようなマインドでゲームをプレイしているだろう.だがその数は,日本という国のゲーム人口や市場規模と比べると驚くほどに矮小だ.なぜなら未だに大多数が,げーむにまじになることを貶め,金の力で達成感を得ることを生業にしているからだ.これでは優秀な競技プレイヤーが一向に増えないのも当たり前だ.どれだけよい品種でも,畑が干からびているなら育つべくもない.
それでもお前らはお目当てのかわいいおんなのこのために金を貢ぎたいと言うかもしれない.だがその貢いだ金はどこに行くのか.クリエイターではない.制作会社だ.お前がかわいいおんなのこにいくら払おうが,そのかわいいおんなのこに魂を吹き込んだ偉大なるクリエイターはびた一文も儲からない.お前がこれまでに失ってきた巨額の資産は,直接クリエイターに絵を描いてもらうために使ったほうが良かったんじゃないか?
はっきり言って,ソシャゲーを根こそぎ刈り取るのは不可能と言っていい.パチンコに貧乏人どもが狂喜乱舞する国で,ソシャゲーとかいう脳を眠らせたまま金を垂れ流しているだけで快楽を得られるカスのような娯楽が流行るのは致し方ない.
ならばギャンブルに倣って規制を行ってはどうか,となるわけだが,ソシャゲーに対してそれを実行するのは非常に難しい.なぜならソシャゲーとそれ以外のゲームの線引きは非常に難しいからだ.
おれは課金制度を批判したいわけじゃあない.世の中には優良な有料DLC()が多数存在するし,それらには追加的に私財を投じる価値がある.だがそれらとソシャゲーの区別は余りに曖昧だ.個々のゲームを見て「これはソシャゲー」「これはソシャゲーではない」を論ずることはできるが,演繹的にソシャゲーの定義付けを行ったとして多数の例外が出ることはまず間違いない.結果的に課金制度そのものの規制につながりかねない.それはよくない.
そもそも一部を除いてソシャゲーは法に背いていない.お前らは自らの意思で合法的にじゃぶじゃぶ金を落としているのであって,それを理に適った大義名分で規制する術などありはしない.そしてそれらと優良なゲームの追加DLCとの間に線を引くことは,実質不可能である.
ご覧の通り,ソシャゲーはまごうことなきクソである.しかしそれと同時に,おれはそのクソをどうにかする術を何一つ提示できなかった.
結局,ソシャゲーという日本にはびこる病霜に対して,おれはほとんど無力だ.だからこうやって叫ぶしかない.
おまえらは、
今すぐ、
ソシャゲーをやめろ。
我輩は風俗嬢である。源氏名はスタッフさんが決めた。まあそのスタッフさん、飛んだけど。
『あなたよりも辛い人はいくらでも〜』などおっしゃる方は、その何処かにいる全く知らない誰かを可哀想と思えるその立派な心で私にも同情を下さいな。
まず、私が覚えてる限りの人生にあった死にたいエピソードを簡単にまとめると、
14歳、父に薬盛られて睡姦される〜事後処理適当すぎて察するの巻〜
以上ですが、虚言だと思われる方はここからフィクションだと思って聞いて頂いても構いません。この世には自分の考えこそが全てだと思われる視野の狭い方もいらっしゃいますからね。
ついでに何故触るもの全て傷つけるスタイルの言い回しをするのかというと、心に余裕がないからです。私は矮小な人間です。
余裕がないのは奨学金を使い込まれた、という問題が現在進行形で解決していないからです。母は随分罪悪感があるようで、最近は私にとても優しいです。なら、最初からやらなきゃよかったのに。
ちなみにお金は生活費と主に幸せな結婚をして子供も産まれた兄夫婦に流れたそうです。つくづく死にたくなる展開になって参りましたね。
兄も矮小な人間ですので、あの頃の暴力・暴言に対して罪悪感を抱いているにも関わらず、俺は悪くないという気持ちがやはりあるのか謝罪などはありませんでした。なんならこの間詰られました。そんな兄の幸せのために私の学費は消えたそうです。ああ、死にたい。
もう死んだ方が世のため人のためではないのかと思いつつ、学生ローンの手続をし、生活費のために風俗を始めました。何故風俗なのかと言いますと、単に効率です。リスクを負ってでもお金は必要で、私は成績が落とせなかった。ただ、それだけ。
友達に馬鹿にされても、将来結婚だの子供だのが難しくなっても、殺されたとしても、どうせたかが私の人生だから。
ああ、でも死ぬときは誰にも知られず消えるように死にたいです。こう、空気に解けるような感じで。
こうなったのは誰のせいでもないから、恨んじゃいけないっていつも自分に言い聞かせるけれど、どこかでこの世の全てを恨んでいる自分がいるんですよね。
どうせ矮小でどうしようもなく汚い人間だから、そこら辺で野垂れ死ぬでしょう。犬の餌にでもなりたいですね。
奨学金などの借りたお金を返したら、ソープで働いてお金をためて、安楽死の出来る国へ行こう。
暴力も暴言もレイプも、こうしてお金を使い込まれた事さえいつかは過去だけれど、時間は救ってくれない事は知ってる。
だって今の私じゃない、あの頃の私が泣いているのだ。誰も、恐らく私でさえ一生助けられない、あの頃の自分が。
なんで殴るの。
なんで怒鳴るの。
なんでこんな事されなきゃいけないの。
死ぬまでこんな気持ち抱えて生きてかなきゃいけないなんて苦行ですね。
早く死んでしまいたいです。
早く寝ます。
交渉が存在しない、唯々諾々と相手の要求を飲むだけの会話をコミュニケーションだと勘違いして生きてきた。
この国は実はロボットばかりで本当に考えられる人間に近い人はいないのだ。
ただ世間が肯定する物を肯定する。作られた流行に則る。そうでなければこの矮小な国では村八分に遭うから。狭い土地ではそうするしか生き残る術がない。
自分は鬱とかの精神病患者(そこそこ長く、今後も続く)。なので精神病を抱えて生きるのがしんどいのは分かる。
奥さんが暴れたり泣いたり伏せったりする姿をご主人は耐えていかなきゃいけないと考えてらっしゃるかも知れない。
ご主人が奥さんに譲歩しすぎ、ご主人のストレスが蓄積して共倒れになる可能性を危惧する。
奥さんが「買い物依存症」なのかどうかをまず見極めなきゃいけないと思う。
例えオタクだろうが、金銭管理に野放図になるのもどうだろうか?
自分も本やアニメ、フィギュアが好きだけれど、お小遣いの範囲でというのを守ってる(そうしなきゃ生活出来ない)。
かわいそうだけれど、最悪、奥さんのクレジットカードなり没収も想定しなくては。
大きめのダンボール箱に入れた分、これを「今週中に判別しようか」とアバウトに決めておく。
判別は一緒に。ただ、口出しせず見守り、ある程度終わったら「がんばったね」「よくやったね」と沢山ほめる。
認められたい気持ち、ほめられたい気持ち、だが、自分の矮小さを強く意識しそれが出来ない事もある。
奥さんの両手をとって、「ありがとう」「がんばったね」とほめてあげてほしい。
例え家族で暮らしていても、孤独感にさいなまれている精神病患者さんはいるから。
干渉せず、だが、見守るというのは難しい。
寝込んでしまう姿を見たくないから、好きなままにしてしまうという気持ちもわからないでもない。
しかし、家族として今後も暮らしたいのであれば、ほんのわずかでも、互いが気持ち良く暮らせる事が大事なのではと思う。
話の微妙な重たさゆえに長らく友人にも親にも話せなくて今までずっと溜め込んでいたけれど、夢野幻太郎というキャラクターを自己解釈する作業で苦しくなってきたのでようやく吐き出す決意をした。
おそらくこの日記を開いた人であれば夢野幻太郎というキャラクターについての説明は不要だと思うので割愛するし、お前の冗長な自分語りに付き合ってられないという人に対して要点だけ述べると「昔、父方の従妹二人を亡くしているので「とある青年」がまだ生きている夢野幻太郎が羨ましい」というものである。
まず一人目の従妹の話。彼女は私の一つ年下の従妹だった。年が近いこともあり、正月やお盆の親戚の集まりがあるたびによく遊んでいた。
彼女の家族は隣の市に住んでいたので正月とお盆以外で頻繁に会うことはできなかったがそれでも会える日はめいいっぱい遊んだと思う。
しかし理不尽なことに、ある日(正確な年数が思い出せないことも自責の念に駆られる)彼女は入院した。
自分はその時は小学校高学年であり、祖父も既に他界しているので人の死についても経験はしていた。
ただ、人の死について体験はしていても理不尽な体験も、理不尽な出来事が起こるという想像もできなかった。
一応、従妹の手術は成功した。
退院後、一度我が家に泊りに来たことがあったので、一緒にお風呂に入った時に気遣いのできない自分は病気についてあれこれ聞いてしまった。
今でもその時の答えづらそうな表情を覚えているし、どうして不快になることを聞いてしまったのか、今でもひたすら彼女に謝りたい。
再入院して、それからいつもの様に学校へ行こうと支度をし始めた朝に両親から彼女が亡くなったことを告げられた。
意味が分からなかった。だって手術は成功したはずではなかったのか。
葬儀に参列して、棺に入った彼女の顔をまともに見ることはできなかった。
葬儀中はずっと神様に彼女が生き返るようお願いをした。泣きながらお願いをしてもその願いは叶うことなく、この時に神様なんていないという事をぼんやりと理解した。
正直、彼女の死について未だに受け入れられないでいる。
何度も何度ももし彼女が生きていたら自分はどう成長していたのだろうか、と考えるしどうして死ぬのは自分の方ではなかったのかとも思う時もあった。
彼女が亡くなってから正月とお盆の親戚の集まりが苦痛でしかなかった。
無神経な大人たちは自分の目の前で「もしあの子が生きていれば…」という話を繰り返すし、叔母にいたっては自分の娘でなく私が死ぬべきだったと密かに呪っているのかもしれないという恐怖もあった。
しかし田舎であることや父が長男であること、母に対して良い感情を抱いていないこともあって親戚の集まりに行きたくない、と言い出せなかった。
そうやって粛々と毎年居場所のない親戚の集まりに参加していた。
例の親戚の集まりでよく遊んでもらった記憶はあまりないが、可愛がってもらったと思う。
そのお姉さんを亡くしたのは中学二年の時だった。ただ、病気であった事や容態が芳しくないという話をあまり聞かなかったように思える。
お姉さんは結婚をしたばかりで、葬儀には旦那さんも参列していた。
火葬場へ出棺する際に、棺に取りすがって大声で泣いている姿を鮮明に記憶している。
さて、二人目の従妹を亡くした事で自分にある恐怖が芽生えた。
もしかしたら自分も将来大きな病気で長生きできないのではないか、と。
もちろんこの事は誰にも話せなかったし相談もできなかった。
多分この時から「将来」を考える事が出来なくなったのだと思う。
しかし、社会に出て就職するまでの学生の間は常に進路という将来を考えなければならなかった。
どうせ長生きできないのだ、と強く思い込んでいた事と親に意見する事が面倒だったこともあり高校も大学も進路決定は非常に適当であった。
自分の中で20歳まで生きられないと思っていたので20歳を迎えてしまったことに絶望してしまった。
そうしてこの絶望も誰かに話すことなく更に時は流れ就職活動の時期に差し掛かる。
就職活動に関して過去の自分を振り返る自己分析という作業があるが、今の今まで人生投げやりに過ごしてきた人間に中身などなく、その事実にまた絶望した。
故人の為に頑張れるほど立派な人間ではないし、そういった自分の矮小さが嫌いで仕方がなかった。
一年ほどニートになったが何やかんやで就職をすることができた。
大学を卒業して、社会人になってからほんの少しだけ、意外と自分は長生きできるのかもしれないと思い出した。
また自由に使えるお金を得たことでオタク活動に磨きがかかり、色々と思考を逸らすこともできるようになった。
ただ相変わらず何十年先という将来を考えようとしても「人は死ぬときは死ぬ」とブレーキがかかってしまうし、このブレーキについてはそれこそ死ぬまで付き合わないといけないだろうな、と思っている。
ここまできてようやく夢野幻太郎(以下、幻太郎)のお話ができる。いや、上記の体験から言えば正確には寂雷先生の『迷宮壁』がピッタリなのだが、幻太郎の方が共感できた。
幻太郎の『シナリオライアー』をそのままで受け止めた時に、幻太郎は「とある青年」の元に何度も通ったと言っている。
まさにその点が羨ましいのだ。
一人目の従妹が入院している間自分は一度も彼女の病室を訪れなかった。
病院が隣県だった、というのもあるが両親に頼み込んででもお見舞いに行くべきだったと後悔している。
天寿を全うした人であれば生前の話に花が咲くが、そうでない場合は故人に対してやってしまったこと、やってあげたかったことへの後悔しか残らない。
誰にも赦しを請えないし、救われるということもないと思う。
そんな自分の今までの体験もあって、幻太郎が羨ましいし幻太郎のこれからの人生が幸せであってほしい、自分と同じ苦しみを抱えないでほしいと強く願う。
障害はあるのかわからん(わからんのでないと思う すぐ疲れるとかすぐ身体悪くするとか睡眠障害とかはあるけど)
したいのに、うまくいかなくて、スポイルされた感じの状態がずっと続いた結果したいのかわからなくなっているけど、できたい、みたいな
したいかしたくないかではしたいし、未練もあるし このまましなくなってもずっと引き摺って行くんだと思う そしてもう歳をとってしまったと後悔するたびに思って今よりも若くなることはなくて
生きざまとか壮大な話ではなく勉強とか資格とか語学とか絵とか文章とかプログラミングとか就職とかそういう矮小な話で申し訳ないけれど
まああとは遅刻しないとかがしたいけどどうしてもできない あと集中とか(もう終わり・のタイミングで急にやる気出るみたいなクソさは多少あるので常に終わっていればいいのかな?←?)
集中がぜんぜんできないのですべてのことができない、やたら腰が重くてなんにも手を付けられないまま時間ばかり過ぎるとか
何もかもを一回鬱になった所為にしたいけどそういうわけにもいかんしそうだとしてもそっかーって言っててもなにも変わらないしぼんやりしてしまってもうだめ
表題の件について。今まで全くメルカリというものを使ったことがなく、やれ現金が販売されているとか、やれ怪しげな商品の温床になっているとか、
そういうニュースといくつか実際に出品されているモノを見たことで、自分の中では爆サイユーザーとかが中心のなんでもありなアングラマーケットなのだと認識していた。
自分も昔ヤフオクでオーディオ機器などを落札したことがあるが、そういった日々のやりとりとは違う、何か得体の知れないテクノロジーだけが先行している
結婚式の準備を一緒にしているパートナーが、小物やアクセサリーなんかの正規品のユーズド品をメルカリで探して、嬉しそうに報告してくれたのだ。
中古がイヤじゃなければこれで浮いた分を他の費用に回せるね、色々探して頑張ってみるね、と微笑んでくれたのだ。
自分はなんて矮小な考え方をしていたのだろう。良かれと思って様々な方法を駆使して節約してくれているパートナーに対して、
「メルカリは得体が知れないからなんか嫌だ。ヤフオクやeBayならいいけど」とでも言うつもりだったのだろうか。
結局は使う人間の心持ちとスキル次第であって、最初から悪だと決めつけてかかるのは典型的な老害思考ではないか。
別に全部新品で買ったりレンタルしたりできる財力がないわけではない。ただ、パートナーの気持ちとそれを実現したツールに対して
心から感謝して、考えを改めた。僕もこれからは機会を見つけてユーザーになってみようと思う。
結局のところ、僕が今のところ受け入れにくいVTuberや仮想通貨や行き過ぎた多様性や退職代行ビジネスなんかも、
元を辿ればより良い世界になるようにという意思を少なからず込めて誰かが発展させているものなのだろう。
ただユーザー層の偏り(に見えてしまうような表層の雰囲気)が今までの僕の価値観と擦り合わないだけで、
どれもそのものが世の混乱と質の低下を目的とするようなツールではないはずだ。いつかそういった自分にとって新しいものと
触れ合わざるをえない機会がきたら、もう少し柔軟に考えてみようと思う。
浮いた予算で、パートナー用のウエディングドレスをレンタルではなく、ハイブランドのものを購入することにした。
おそらく散文になると思うけどなんとなく残しておこうと思う。雨だし、帰り道1時間ほど歩きながら暇なので一発書きする。
母は器用であったが、欲のない人だった。おそらく高卒(大学に行ったと言う話を聞いた事がないのでそうなのだと思う)で働き出し、その後父と紹介婚(これも謎、お見合いではないらしい)し、私と私の兄を育て、今は犬二頭と父とで隠居生活のようなものをしている。ど田舎の山の中に小屋つきの別荘を買えるほどの生活レベルだ。
両親は昔に比べるとさらに仲が良く、昔家庭崩壊していたことがまるでなかったことのように思う。家庭崩壊は、両親の問題ではなく、私たち兄弟が荒れていたためだ。
今の私はと言うと、妻を貰い、もうすぐ30になるが子どもはなく、忙しくも充実した日々を過ごしている。
子どもを持つ年齢/環境になって、考えるのは私の両親の話で、その中でも父のことは話を聞く機会が多かったのか、たまに学生時代の話を聞かされたのを覚えている。さらに言うと、「おそらくこう言う人生だったのではないか」と言うのが、私にも想像がつくものであるため、父の人生を不思議に思うことはなかった。
一方で母のことについて考えてみると、いかんせん分からないことが多く、母は一体何者なんだろうか。
断片的な情報からの推測であるが、高卒で就職し、のちに父と出会い、25歳ほどで遅めの結婚し、その後車の免許を取り名古屋での生活に備え(出身は京都)、私の兄を身ごもり、私が幼いころにはパッチワークをしていて、家のものがそれ風のカバーやシートでいっぱいで、家に帰るとよくミシンを動かしていたと思う。私が5歳の頃には既にあったパッチワークのカバーは隠居先の別荘にて今も使われている。
のち、小学校高学年くらいにはアルバイト(お好み焼き屋)を始め、のち天丼屋に代わり、私が中学くらいにはなぜか漢検二級くらいを取り、高校生になる頃には介護の仕事を始め、ヘルパーの資格を取ったりしていた。
この時の私は、母がアルバイトを始めたこと、検定や資格を取っていることに何も感じなかったが、今改めて考えると不思議なことに思う。
彼女の何がそれをさせたのだろう。当時の父の月収を知っているが、家庭的には裕福で金銭的にも余裕はあったはずで、今の私が同等くらい稼ぐのはかなり厳しい思うくらいだ。
学歴からのコンプレックスか、手に職をつけるためだろうか、はたまたただ単に暇だったからなのだろうか。母が飲食のバイトを始め1〜2年ほどで辞めたのは、何か嫌な事があったのだろうか。その経験から資格などに目を向けたのだろうか。
本を買う時はほとんど古本で、資格の本もほとんど古本でもで揃えていた。元々、おそらく本を読む人ではないため、家にある本はオレンジページやよく分からない流行った本(五体不満足など)しかなかった。歴史書や辞典など、自宅にあった本は殆ど父のものだった。母は幼い頃に両親の離婚(私から見たら祖母と祖父)を経験していることから、家族への執着が強くなっているようにも推測できるし、70年前の離婚は今と印象が違うだろう。子どもの頃は決して裕福ではなかったらしいし、その経験からなのかほとんど贅沢をしない人だった。日曜に父と映画を2本借り、父と共に途中で寝るような人だった。
私の母はおそらく打たれ強く、色んな物事に欲がなく、家族が全てのように振る舞い、難しいことはよく分からないが口癖で、残り物を晩御飯として食べ、たまに恋愛ドラマをみてそのままソファで寝て、父の背広にアイロンをかけ、私や兄が勉強をするとよく褒めてくれた。私は今書きながら泣いてしまった。料理が得意で私はご飯をたくさん食べた。たまに父のことをお父さんではなく、◯◯ちゃん(トシノリならトシちゃんなど)と呼んでいた事もあった。髪の毛を乾かすのはドライヤーでなく扇風機だった。私や兄の些細なことでも、さも大層なことのように人に自慢した。
私は私の母のことを理解出来ない。私は矮小で利己主義で打算的な人間で、友達も少なく、自分の話をするのが苦手で、人と喋る時は嘘の自分が自分の代わりに喋っているようにしないと他人と喋れない、嘘つきの惨めなマザコン人間だ。さらに言うと私は父も好きだからマザコンとファザコンを併発しているとも言える。
と、ここまで両親を賛美した上で、私の妻と言う存在に触れると、私は自らの過去に存在する母と父を尊敬しているだけで、今は妻が世界で一番大切なので、全ての物事の中で妻を優先しており、両親と妻の命が天秤に掛かれば迷わず妻を取るくらいだ。
増田は「ジャイアントキリング」を知らないのかな?
これは「番狂わせ」を意味する英単語だ。これの語源は、ある羊飼いの少年デビッドがジャイアンツの選手であるゴリラーデをデッドボールで退場させた故事に因む。
これによりただの平民の羊飼いだった少年は最終的古代イスラエルの王様にまで上り詰めることになったんだ。
「本来倒せるはずもない矮小な存在が」「それよりも大きな存在を殺すこと」をジャイアント・キリングと呼ぶわけで、その番狂わせを起こしてしまうことでその人の評価も180度変わるってことでもあるわけだ。
今回、hagexキリングが発生したわけだけれども、hagexはおそらく低能先生と比べてみれば史実のゴリラーデ並みの暴力巨人だったことだろう。
もし低能先生が今後娑婆に戻ってくることがありうるのならば、彼はもしかしたら英雄扱いされるやもしれんぞ?
そう考えられている。角度とかは。
正直地上波でやるにはかなり勇気のいる内容だったと思うけど、このドラマのヒットによって
「結局のところクソフェミの嗜好に沿っていれば内容がぶっ飛んでても炎上しない」ということが明らかになりました。
ストーリーそのものは純粋な同性愛やら純愛やらを描いてるかもしれないが、「ドSで巨根」なんてワードが出てきたり
これの性別が逆ならフェミがボロカスに叩く内容も少なからず散見してる
これは本屋にレディスコミックが堂々と鎮座しているのと全く同じで、クソフェミは内容が卑猥だろうがなんだろうが
自分達の嗜好に沿ってさえいれば放置するわけで、差別だの教育だのなんか米粒ほども意識しとらんのだ
ついでに...
先日メシ屋でメニューを見てたら、レディスセットなるものがあって
量が小盛りで品数が多く、食後にスイーツがついてくるセットだった
これは女性は食べる量が少ないがいろいろな物が食べたい、更には甘いものが好きであろうという性別基準の決めつけだよね?
女性でガッツリ食べる人も、男性で少食な人は結構いる 甘い物は僕も大好きだよ
(まぁ事実、少量でいろんなものが食べたいという女性は僕の周りにも多かったけど)
しかもレディスセットは女性限定だったりするのだよ、ガッツリ食べたい女性は通常のメニューを頼めばよいが
少食な男性はどうしたらいいんだ?
とはいえ、こんなもんはまったくもって矮小な問題で、いちいち議論するようなことじゃない
マーケティング上正しいわけだし、少食な男性は通常メニューを頼んで多ければ残したりするだろうし
レディスセットが頼みたかったと悔しがる人もそんなにいないと思う
(逆にメガ盛りメニューにメンズセットなんて名前がついてる店も稀にあるが、大体女性も注文できるw)
だが、クソフェミは自分の利益にならないものなら、こういうどうでもいいような小さい事でも
さも大きい問題であるかのように騒いで駆逐して、世直しをした英雄かのように振る舞う
今回のおっさんずラブが炎上しなかったので証明されたと言っても過言じゃない
おっさんずラブという作品そのものは挑戦的だし、作業中にAbemaで流してただけなのでちゃんとは見てないけど
真面目に見れば多分おもしろいんだろうな、とは思った。
すごくすごく、大好きだった。
私は問題のある家庭に育っていて
今にして思えばそのせいもあるかと思うんだけど
全部受け入れてくれる彼を不幸にしてしまうんじゃないかって気がずっとしていて
幸せになればなるほど、その日が来ることに怯えていて
それで、ほんの些細な行き違いがあった時に、全力で逃げ出してしまう。
相手の彼は何が悪かったのかわからないから問い詰めて来るけど、答えられない。
だんまり決め込んで、そのまま別れた。
似たようなお付き合いとお別れを何度かしたけど、10代の終わりごろのあの彼は今でも大好きだ。
もう連絡を取り合うこともなく、それどころかお互いの所在も知らないけれど
あの頃、彼が受け止めてくれたことが、今の自分になれた大きな要因だと思っている。
今の夫とやっていくって決めた時
抱きしめたそうな雰囲気を醸しながらも、固い握手で別れたあの日
うん、やっぱ最高にかっこよかったな。