2017-11-12

日の名残と黒執事

カズオイシグロ氏がノーベル賞を受賞したと聞き、ミーハー丸出しで「日の名残」を読んだ。

 舞台イギリス。本筋としては語り手である執事が休暇を貰い田園風景を旅をする物語だ。仕えていた主は上流階級の大物政治家であり、職務に誇りを持っている。

 そんな「日の名残」を読んでいると「黒執事」を思い浮かべた。例の悪魔執事の有名なマンガである。大ファンと言うわけではないのですが。執事と言ったらね。

 「日の名残」作中において、優れた執事とは主より目立ってはならず、影を潜め、口をはさまず、しか盲目的にならずに己の忠誠を捧げる相手を選ぶ存在ではないかと語られる。

 目立ちまくり、主にイヤミを言うのが日課のセバスチャンとは真逆である。こういった執事は一時は誉めそやされるのだが、どこかで馬脚を表し失脚するのである

人間執事ならば。

 セバスチャン悪魔である。したがって、いつまでも完璧執事(ある意味で二流)のまま変わらない。

 一方で日の名残的一流執事も、黒執事には登場している。

タナカさんである

セバスチャンがどれだけ見事にこなしたところで、執事としては二流。悪魔には表面をなぞることしかできないのだ。

 主シエルセバスチャンタナカさんへの態度の差から、作者もこの辺りを意識してるように感じる。

 何でも出来て悲惨現実でもどこか他人事の癖に、矮小有象無象人間に執着する悪魔

 黒執事のこの構図にすごく説得力を感じるようになった。

 セバスチャンタナカさんへの謎の敬意もわかるし、

逆説的な人間讃歌ですよね?

日の名残めちゃくちゃ面白かったです。他の作品も読も。

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