カズオイシグロ氏がノーベル賞を受賞したと聞き、ミーハー丸出しで「日の名残」を読んだ。
舞台はイギリス。本筋としては語り手である執事が休暇を貰い田園風景を旅をする物語だ。仕えていた主は上流階級の大物政治家であり、職務に誇りを持っている。
そんな「日の名残」を読んでいると「黒執事」を思い浮かべた。例の悪魔で執事の有名なマンガである。大ファンと言うわけではないのですが。執事と言ったらね。
「日の名残」作中において、優れた執事とは主より目立ってはならず、影を潜め、口をはさまず、しかし盲目的にならずに己の忠誠を捧げる相手を選ぶ存在ではないかと語られる。
目立ちまくり、主にイヤミを言うのが日課のセバスチャンとは真逆である。こういった執事は一時は誉めそやされるのだが、どこかで馬脚を表し失脚するのである。
セバスチャンは悪魔である。したがって、いつまでも完璧な執事(ある意味で二流)のまま変わらない。
セバスチャンがどれだけ見事にこなしたところで、執事としては二流。悪魔には表面をなぞることしかできないのだ。
主シエルのセバスチャンとタナカさんへの態度の差から、作者もこの辺りを意識してるように感じる。
何でも出来て悲惨な現実でもどこか他人事の癖に、矮小で有象無象の人間に執着する悪魔。
逆説的な人間讃歌ですよね?