2018-01-30

私が大学生活で学んだこと

私が大学生活で学んだこと

明日自分ほど信用できない存在はいないこと

昨日の自分ほど無責任人間はいないこと

人はひとりひとり違っていること

そしてひとりひとり正誤などないこと、ひとりひとり認められること

かに嫌なところがあったとしても、その人そのものを嫌いにならなくてもいいこと

自分が心に負った傷は、思った以上に理解されないこと

本当に困った時に助けてくれる人が、思った以上にいないこと

しか自分のことを分かってくれたり、認めてくれたり、あるいは叱ってくれたり、救ってくれたりする人が、たとえ瞬間的だとしても、確かに存在すること

丁寧な人間関係

世の中で「正しいとされること」が必ずしも正しい訳ではないこと

他者理解することが、いかに難しいかということ


もうすぐ私は大学卒業する。

どこにでもいる、ばかで偏屈大学生だった。

4年前私は、どこにでもいる、ばかで偏屈高校生だった。

たくさんの夢と希望と野望を抱えて上京してきたあの春から、4年が経とうとしている。

いま、卒業を前にして、私はいつの夢を捨て、希望を失い、野望を諦めただろう。

考えると虚しくなるくらいには、だ。

大学に入って、お金が欲しくてバイト面接をいくつも受けた。

オシャレなレストランカフェで働きたかったけど軒並み落ちて、ようやく受かったバイト先はブラックだと友人に教えられた。

思えば変な雰囲気が漂っていたけど、初めてのバイトで何も分からない私は普通に頑張った。

別のところで働いている友人の話を聞いて初めて、半畳ほどの狭いロッカーで立ったまま賄いを食べることが当たり前ではないと知ったし、「誠意」を示すために30分前に出勤したり閉店後3時間も残る必要なんてないことを学んだ。

3年目まで頑張って、辞めた。

旅先から思い切って「辞めます」と店長メールをした後、連れていかれた深夜の喫茶店で、辞める理由を問い詰められて叱責されてる間、とにかく泣きながら黙って耐えた。

分厚いパンケーキを奢ってくれたけど、全然減らなくて困った。

計画では片手間にやろうとしていたサークルにしっかりハマって、部長もやった。

夏休みバイトサークルであっという間に埋まった。

いろんなことを後回しにして、蔑ろにした。

中学から趣味を続けようと思っていたけど、サークルのほうが楽しくなって時間お金も回らなくなったから、就活理由にして辞めた。

本当は就活なんてまだまだ始めていなかったのに。

そんなサークルも同期と揉めて、辞めた。

4年までやったけど、卒業旅行追いコンも無しだ。

4年になってからはそれこそ就活が始まったけど、一度ビックサイトに行って遠すぎるし交通費バカにならないので合説に行くのは基本的に止めた。

志望している企業説明会や講演にはそれなりに通って、だいたいどこの説明会でも同じ内容を繰り返してるんだってことを学んだ。

一度、第一志望の会社社長の講演を聞きに行ったことがある。

座席は先着順だったので、2時間前に行って一番前に座るぞと意気込んでいたけど、普通に遅刻した。

最前列ではなかったけれど、ずっと社長に向かって「採用してくれ」ビームを出した。

講演が終わった後、スカウトされてしまうのではないかと思ったけど、当たり前に私に目もくれず退室していった。

力みすぎて背中が痛かった。

社長ランニングで肌を焼いて採用されたと話していたので、それ以降もサークルに打ち込んで、思う存分肌を真っ黒にできた。

第一志望のESの話はドラマチックだと思うから聞いてほしい。

締め切り当日の夜9時、私はまだESを書き終わっていなくて、立川バーミヤン必死に空欄を埋めていた。

まさかペンインク切れ、かつ準備が悪いので予備のペンなど持っていなくて、慌ててバーミヤンを出てローソンボールペン調達した。

またバーミヤンに戻るのも面倒だったので、残りは郵便局で書こうと思ったのだが、立川郵便局まさか臨時休業。

慌てて新宿まで出て、新宿郵便局で仕上げた。

本来なら宛名などを書くためのカウンターで立ったまま必死に手を動かしながら、隣の男の人が同じ企業へのESを書いているのをチラ見した。

もしあの時インクが切れていなかったら、0:00ギリギリまで立川バーミヤンにいて郵便局が開いていないなんて気づかないで、間に合っていなかったと思うと、神さまはいるんだろうと思う。

ESも筆記も通ったけど、一次面接で落ちた。

びっくりするぐらい何も話せなかった。

神さまはいるけど、実力が足りなければどうしようもない。

今は、たくさん落としてきた単位を回収するべく、4年間で一番一生懸命大学に通っている。

4年生は私だけ、という授業がたくさんある。

ちゃんと聞くと面白い授業がたくさんある。

レポートテスト勉強と、やることもたくさんあるんだけど、ちょっと休憩したくて、初めてますだを書いている。

これまでの4年間を振り返っている。

気づけば何も残っていなくて、私の4年間は何だったんだと思うことがある。

Facebookバイト先の後輩や社員から花を贈られて笑っている友人の写真を見るときTwitterサークルの仲間たちと旅行先で笑っている友人の写真を見るときInstagramオーストラリアにて念願のスカイダイビングをしたという友人の写真を見るとき、昨日の綺麗な夕陽写真ぐらいしかアップするものがない私の日々は、何だったんだと思うことが。

すべてに意味がある、全部無駄ではなかった、ということにすることもできると思う。

そしてもちろん、すべてが無駄だった、ということにすることもできる。

でもどちらも嘘だし、捏造だし、思い込みだし、詐称だ。

本当は、意味があってもなくてもどっちでもいいし、無駄でも無駄じゃなくてもどっちでもいい。

ただ、私は4年間を過ごした。

最高の4年間でも、最悪の4年間でもどっちでもいい。

価値を決めることは楽しいかもしれないけど、というか、そうやって序列を決めることで安心できる人もいるかもしれないけど、そんなことをする必要全然ない。

大事なことも、矮小なことも、駄目なことも、幸福なことも、楽しかたことも、嬉しかたことも、悲しかたことも、悔しかたことも、辛かったことも、全部、ごまかさずに、何かの価値の中にまとめてしまわずに、なるべくそのまま持っておきたい。

分かりづらいと思うけど、それが、私が大学生活で学んだことだと思うし、得たことだと思う。

学ばなくてもいいし、何も得なくてもいいけど、4年も過ごしといて何だったんだって思っちゃう自分を励ますために、強いて言うなら、そうです。

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