はてなキーワード: 受診とは
前に書いてから、よーし深く考えずにさっさと精神科受診するぞーという気になっていたら、
「どうなってる」「どうするつもりだ」「異動を決める今月末までに結論を出せ」「早く診断を受けて来い」
とか言われ始めていよいよ追い詰められてきた。
ところが、近隣で発達障害も見てくれそうな精神科・心療内科をあたっても、
「初診予約は今月はもう無理」とかばっかりで、せっかく受診する気になったのに今度は受診ができない。
病んでる人が多いのだなあとか、困ってから受診しようとしても間に合わないとなるとなんか人によってはそれだけで仕事が詰んだりしそうだなあ、などと思う。
一軒だけ、初診予約なしで当日の込み具合によって先着順で診てくれるというクリニックを見つけて残り少ない有給を取って行ってみたけど、
最初に行った日は「こんな時間(診療開始時間)に来てもダメダメ、1時間前にビルが開くけどその時にはみんな並んでるから」とか言われて撃沈。
初見殺しだな……、と思いながら帰宅するも移動に電車を使ったので疲れ果ててしまいそのまま一日潰れてしまう。
翌日、必死に早起き(というか半分徹夜)して、ラッシュ時の電車に乗ると辿り着ける気がしなかったのでタクシーを呼んで、
診療開始の1時間半以上前に行ってみたら既に行列が12人、人が多すぎて気持ち悪くなりつつ、現代社会の闇を見た気持ちになる。
しばらくして入口が開いた途端、列ってなんだったんだろうって感じで入口とエレベーターに群がる患者達。
押しのけられてさらに列の後ろになる私。
中に入って予約ボードみたいなのに名前書いてさらに1時間待って、最終的に「今日は無理です。」と言われて再度撃沈。
断られてから今度は会社までタクシーを使ってギリギリ間に合ったので仕事は遅刻も欠勤もつかずに済んだけど、
毎日タクシー移動で3000円以上使うのは経済的にかなり厳しいし、
平日であんな調子では遅くとも今月中になんとかしてこいというスタンスの会社サイドの要求に応えられる気がしなくなってきた。
こうなってくると、一旦発達障害の件は置いておいて、家から出られないとか人が多い場所に行くと不調になる件に絞って、
経済面生活面共に様々な困難があるが、乳幼児を抱えていて身動きが取れない
「生活を立て直したい!」と思っているが、赤ちゃんがいるので育児に手を取られてしまい、なかなか解決のために動き出せない。「少しの時間だけでも預かってもらえたら...」というとき。
あるいは、「若くして母親になったため、わからないことだらけで煮詰まってしまい、何から手をつけていいか整理ができない。」という場合は、子育ての困難を軽くすることで、その他の問題解決への糸口をつかめる場合があります。
市町村の乳児検診の時に相談することもできますが、プライバシーが気になったり、時期の点で不向きな場合は、「近くに子育て支援団体がないか」を探してみましょう。
子育て支援センターなど、そうしたサービスを提供してくれている自治体もあります。
相談先
子育て支援センターは、主に市町村がNPO団体に委託して運営されていることが多い。「自治体名 子育て支援」で検索すると、探すことができる。
心の健康を乱しているために、就労や家庭生活に困難が起こり、金銭管理もできなくなっていると思われる場合は、アルコール外来の受診、精神科での治療を検討すべきかもしれません。
精神科と言われるとなんとなく敷居が高いと感じて二の足を踏んでいる方も多いと思います。
そんなときは問題の整理も含めて、まずはアルコールや心の病を専門とする窓口に相談を行うことで、より専門性の高いアドバイスを受けることができます。
心の病や依存症の問題は「本人が自覚しづらく、問題を抱えていると気付きにくい」という特徴があります。
一方で、解決へと進む道筋で、家族のかかわりがとても大切な側面もあります。そのため、相談機関では、身内の方からの電話や面談でも丁寧に対応してもらえます。
相談先
http://www.ask.or.jp/sodankikan.html
アルコール依存症のための電話相談機関や自助グループのリスト。アルコール問題は家族の問題として対処することでより早い解決へとつながる場合が多く、問題意識を持った人が積極的に相談することが望ましい。
心の病をはじめとする精神疾患、心身症の相談を受ける公的な窓口。医療機関の紹介や自助グループ、支援団体の紹介、就労期間との連携など、心の健康に関わる全般的な業務を行っている。電話相談の他、面談(要予約)が可能。家族の相談もできる。
診断は受けずに、親から「ADHDというのはこういう特性があるらしい、正直、お前は間違いなくADHDだと思う」という話を聞いて、
そういう特性を出しては社会ではやっていけない、なるべく普通であろう、何とか社会に適応しようとして自分なりに努力してきたつもりだった。
教養課程で興味のない科目の勉強をするのはきっと無理だろうと考えて自分が好きそうなことの専門学校を選び、
定時とスーツな仕事は無理だと判断して、私服とフレックスタイム制の会社に潜り込んで5年以上、
仕事中も周囲の気配や音で気が散りっぱなしで日中はほとんど仕事が進まないので、
夜中や、たまに周囲の条件が整って集中できた時に一気に進めて、なんとか遅れを取り戻すような形でだましだましやってきた。
高校の時にできた彼女をがっちりホールドして、なんと結婚もできた。
ところが、最近急に対人恐怖やら社会不安のような症状が重くなって、家から出られない日が増えてしまい、
会社を辞める辞めないみたいな話が出る程度に色々と不都合が出てきた。
これはちょっとマズイと思って改めて調べてみたところ、普通であろうとして無理やり頑張るというのは、どうも二次障害まっしぐらな選択だったらしい。
今まで私のことを「ちょっと変わってるし甘い部分もあるけど、なんだかんだしっかり社会適応できている普通の人」と認識していた妻からの理解は今一つ得られないし、
自分自身で今後のことを考える気力も少し萎えてしまっていて、投げやりに今の社会的地位を放棄してしまいそうな感じがするので、
この機会に一度精神科で診断をしてもらって、現状と今後の対策を立てる上でのバックボーンをはっきりさせるべきなのかなと考えている。
しかし、単なる甘えたクズと認定されてしまうと生きていく自信を完全に喪失してしまいそうで怖いとか、
薬漬けにされるだとかいう話を見るにつけ、受診、診断してもらうことが本当に自分と周囲にとっていいことなのかわからなくなって不安になる。
かといって他に自力で打てる手があるかというと自分では思いつかない状況なので、このままではおそらく破滅を待つばかりだと薄々わかってはいるのだけれど、
これまで多少不安定なことがあっても受診せずにやってきたじゃないかという思いが邪魔をしてどうにも踏ん切りがつかない。
誰か背中を押してほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20150105120342
「今年も頑張ろう」と書いてから1ヶ月と少し経ったけれど、ものの見事に頑張れなくなってしまっている。
その後、あれよあれよという間に発作的な動悸・吐き気・眩暈・頭痛といった症状が起こる場面と頻度が駅、電車内、スーパーなど日常の中に増えていった。
視界内に10人ぐらいが入る、人通りの多い道を歩くとそれだけで生唾を飲み込みながら歩いてすぐヘトヘトになるようになってしまったし、
テレビで海外の市場の映像が映ったりしただけでチャンネルを変えないと不調が起きるようになってしまった。
それでも騙し騙し日常を送っていたのだけれど、段々と体が常に重怠く感じるようになってきて、
喉の奥に石が詰まったような不快感と、動悸、倦怠感がやってきて体が思うように動かなくなった。
家を出ることができず、会社もかなり休みがちになってしまっていて、周囲に迷惑をかけてしまっている。
今までは多少憂鬱なことがあってたまに逃避したりしても、じきに甘えていてはいけないと無理やり動くことができていたのだけれど、
今回はやればできると思っていたことを実際やろうとしてもどうしてもできないということがあってショックが大きい。
他に自分で感じる変化としては、ただ風呂に入ったり着替えたりするだけのことに取り掛かるのに、
結構な時間をかけて心の準備が必要になってしまったというのと、
以前は楽しんでいたようなことがどうも楽しめない、身が入らないようになってしまったことも気になる。
ネットで、うつ、パニック、対人恐怖、社会不安、みたいなセルフチェックをやってみると判で押したように、
「今すぐ病院に行け」と結果が出てしまうし(それ自体は割と以前からだったけれど)、
これほど仕事に穴を開けまくってしまっている以上、自分の状況を自己診断でしか説明できないというのは大変に不誠実であるなあと思ったので、
それとは別に、中学生の頃に塾の講師から親に、親から自分にという経路で、
「お前はADHDかもしれない、というか典型的な要素が合致しすぎているのでまず間違いなくADHDだと思う」
ということを言われて以来、自分が「ADHD的要素のある人間である」ということと、
「なので普通よりも一層注意深く、用意周到に、自分の衝動を抑制しながら生きなければ『普通』に見えない」
というのを信じてなるべく目立たないように、なるべく逸脱しないように気を付けて生きてきたのだけれど、
折角なのでそのあたりのこともはっきりさせたいと思い、成人の発達障害の診断もできますと標榜している病院を選んでみた。
初診予約を受け付けていない病院だったので実際に足を運ぶまで受診できるかわからないけれど、
これで少しでも状況が好転すればよいなあと思う。
背中から腕まで痛いので医者に行ったら、即座にMRIを受けに行けと言われ、
その結果を見たらすぐ大学病院を紹介された。
大学病院では、既に腫瘍が脊髄管の半分を超えていて、
腫瘍を取らなければ、脚がふらつくようになり、
排尿排便が困難になり、最終的には全身動かせなくなると言われた。
腫瘍を取る為には首の骨に穴を開けて、脊髄の膜を切り、
中にある腫瘍を取り除くらしく、問題があればそれはそれで
障害を残すらしい。
今は手術を依頼して、順番待ちをしている状態。
なるべく早く切って欲しいが、麻痺などが進んでいない為、
そこまで緊急ではないのだそうだ。
足元がふらつき始めている気がするので、
できれば早めにやって欲しいなとは思う。
仕事にも、どうにも身が入らない。
id:sabacurry さん ブコメありがとうございます。
>そうそう脊椎に異常があると腕痺れたりするらしいよね。
>うちの奥様は第何頚椎だかのヘルニアって診断されてた。
>整体行かずに病院行くようにしよう。
そうですねー!整体で楽にならない時は、整形外科の受診が良いようです!
WHO、インフルエンザはワクチンで予防不可と結論 病院は巨額利益、接種しても感染多数 | ビジネスジャーナル
http://biz-journal.jp/2015/01/post_8689.html
デマだとの意見が多いようだけど、WHOがそういう結論を出したかどうかはそこまで興味ないです。まあ、そういう結論出していても不思議はないなと、この記事が自分の興味をひいたのは最近こんなニュースがあったからです。
http://www.shinmai.co.jp/news/20150120/KT150119ATI090023000.php
看護師は16日朝に自宅で38・7度の発熱があり、自宅近くの医院で受診。その最中に意識障害を起こして松本病院へ救急搬送され、同日夕に松本市の信州大病院に移された。17日朝にインフルエンザが原因で脳障害などを起こすインフルエンザ脳症で死亡した。
松本病院によると、看護師はインフルエンザの予防接種を受けていたが、男性患者は受けていなかった。ともにタミフルなどの抗ウイルス薬を服用していなかったという。
インフルエンザ予防接種を受けていた看護師さんがインフルエンザで死んでるんですね。結局効くんですか?重症が防ぐんですか?必要なんですか?で、利権じゃないんですか?このあたり、ネットで調べまくってもわからないんですよね・・・いろんな立場でいろんな意見があるようで。「藪の中」ですかね。
もう10年近く前くらいに過呼吸を起こすようになって、いっときは収まっていたのに最近また特定のことに関すると過呼吸になるようになってしまった。
感情的になると涙が出てきて過呼吸になるか、不安・悩みが募ると過呼吸になる。
昨日の夜は朝の4時すぎまで過呼吸になったわたしの面倒を恋人にみてもらって、迷惑をかけてしまったのも辛い。
昔から、父親には泣くなと怒鳴られてきたけれど、泣かずに落ち着いて話せるようになる方法がいまだに分からない。
泣くと父親やその他家族を怒らせてきたから泣くのは悪いことだという気持ちはあるのに、どうしても感情が高ぶると涙が出てきてしまう。
それで怒られると過呼もセットでやってくる。
心療内科にかかったほうがいいのかなと恋人に相談したけれど、頼らずにやっていこうみたいな結論をちょっと前に出された。
行くほどのものじゃないのかどうかが自分でも分からない。でもすぐに苦しくなって辛い。
発達障害の疑いもあって(国際基準のチェック項目で可能性有りとなったから)、受診したほうがいいんじゃないかとわりと思ってる、けど、一歩踏み出せない。
過呼吸になると頭痛もひどくて、生理前でもないのに微熱も続いて、無気力になってしまう。
恋人には自分に甘いからだって言われた。多分その通りなんだと思う。
他の人が耐えられる頭痛をわたしは耐えられなくて、なにもしないまま1日を過ごしてしまうのは、ひどい甘えだと思う。
でも体が動かなくなる。誰かに思い切り怒られたら動くようになるんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20141231024110
素人の、それも判断力落ちてる状態のままとどまるよりは病院行こう。服薬に不安あるなら、軽いうちになおさら気軽に行こう。
みんなすぐ「病院に行け」とか言うでしょ?
まぁそれも尤もなんだけれど、今現在の日本の精神医療レベルだと、安易に受診するのは危険性の高い博打なのですよね。
鬱病と思うけれど、全然良くならない。数年経過後に病院を変えたら良くなった。
なーんてのはかなりマシなケースです。
※ 「かなりマシなケース」というのは、博打で外れを引いた場合の中で、です。
全体的に&一般的に見れば、受診する事によって救われる人のほうが多いのでしょう。
--- 追記ここまで ---
相当慎重に使うべき薬なのに、医師が勉強不足のまま安易に処方したせいで苦しんでいる人なんてのも結構います。
他国ではとっくの昔に規制がかかっている薬が、日本ではそうでない為、不勉強な医師の処方に制限がかからなかったりするのです。
患者自身が薬に対する知識を付けて自己防衛しなきゃならなかったりするのだけれど、抑うつ状態だと知識吸収も本当に困難になるから、かなり難易度高いです。
何れ纏めてみようと思っているけれど、とりあえず簡潔に書けることだけ書きます。
・セカンドオピニオンは受けたほうが良いでしょう。
「良くならないから受けてみる」ではなく、最初から複数の医師の診断を受けてみましょう。
ただ、初回の診察時点では診断名は分からないと思うので、処方された薬がガイドライン的に適切か確認できない時期は発生してしまいますが。
とりあえず今はこれだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20141228094227
優等生的回答乙。
「小児専門医を探して、そこをかかりつけ医にすべき」は理想論だが、それが出来てる親が、果たしてどれだけいるのか疑問。
ただでさえ小児科は少子化等で減少傾向で、探しあてるのが大変なのに。
「小児科専門医は自宅から数十分の場所で、しかも診療曜日・時間が限られていて混んでいる」ケースはザラ。
だったら、
「自宅から数分の場所で、割と診療時間が融通効いている、近くの内科医(兼小児科医)」
の方が、なにかとお世話になると思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20141227084718
で予防接種制度の煩瑣さを嘆いた増田だが、ブコメの中で2件ほど「かかりつけ医」に言及してたのが、気になった。
曰く「かかりつけ医が適切に予防接種アドバイスしてくれるでしょう」
というか、この20年ほど、医者に掛かったことがない。
2.子供については、近所に3つある診療所の「どれか」に受診している。
また、なぜか日曜日に体調を崩すことが多いので、遠いけど日曜も診療しているC診療所に行く、とか。
小児科が近所に1か所だけ、という環境下だと、必然的にその診療所が「かかりつけ医になっていく」のだろうが、
自分の家族のように「固定的なかかりつけ医を持たず、サーフィンしている家族」も、案外多い気がする。
あと、イギリスなどの「かかりつけ医制度」、家庭医制度って、人口の移動が緩やかな国だから成立していると思う。
日本でも、東京世田谷区みたいに「有権者の2割は、前選挙時には違う選挙区在住だった」というほど人口移動が激しいエリアでは、
http://tokuteikenshin-hokensidou.jp/news/2013/003257.php
によれば、40歳代前半で、「かかりつけ医がいない」が3分の2を占めている。
30代・20代だと、たぶん「かかりつけ医がいない人が7割・8割」なんじゃないか?
なので、「かかりつけ医」の存在を前提としたブコメについて、「案外、世間の人はかかりつけ医を持っていませんよ」と指摘しておきたい。
私の周囲には人を信用できないという人が何人かいる。そういう人に限って人脈に恵まれているし、信用できないと言いながら人と一緒にいることが多い。恋人や友人(彼らは大体知り合いと言うが)もいる。
彼らは親を恨んでいたり嫌っていたりする。だが話を聞いてみると大したことはされていない。そりゃあ理不尽に殴られているとか、理不尽な暴言を浴びせるとか、それならわかる。
しかし、そうではない。一般的な教育ママじゃない? と言う程度の親なのに何故か親のせいだと信じ込んでいたり、親に縛られ続けていたりする。
そりゃあ私は話を聞いただけだし、実際に体験していないから事実はもっと過酷で悲惨なものだったのかもしれないが、どうにも違和感を感じる。
そんな彼らのもう一つの共通点はいじめ被害者という過去である。
いじめられたことを引きずるのは不思議なことではない、ただ私が疑問に思う点は彼らは社会的に見て勝ち組に近い存在なのにどうして執拗に過去を振り返るのだろうということ。
正直私もいじめ被害者側の人間だけど、それは過去のことと割り切っているしもうどうでもよいことだ。その価値観を押し付けるつもりは微塵もないが、どうにも違和感を感じる。
そんな彼らは心療内科に受診してもろくな診断を得られないようだ。
統合失調症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、境界例人格障害、発達障害、双極性障害など様々な症状を持っている。
薬を服用しても回復することなくむしろ悪化したり、ジスキネジアなどが発生するようだ。私の周りはそんな人が同一人物なのではないかというほど同じような状態に陥っている。
ネットではいわゆる境界例人格障害のような振る舞いをするので、よく喧嘩になっているのを見かける。
でも、実際に境界例人格障害かと言うと疑問に思える点がいくつもあるし、恐らく境界例ではないのだろうと思う。私は医者ではないからはっきりとしたことは言えない。
そんな彼らは不幸なことに沢山の薬を服用し続けている。薬を飲んでも調子が良くならないのに薬を服用し続けるなんて不毛だと私は思うし、セカンドオピニオンを勧めるのだが
大体彼らは良質な医者の元へたどり着くことができない。
薬を大量に服用し、依存している彼らが一か月以上待たなければ受診できない病院を選ぶはずがないのだ。
正直、どうしようもない。
私も彼らの「知り合い」ではあるが、どうすることもできない。
個人的な予想だが、彼らは発達障害なのではないかと考えている。発達障害の二次障害ではないかと。
発達障害の二次障害なら統合失調症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、境界例人格障害、双極性障害と誤診されるのにも納得がいくし、薬で症状が悪化する理屈も理解できる(発達障害者は薬に対して過敏に反応してしまう)。
だが、もしも発達障害とわかったところでどうすることができるのだろうか。
減薬の離脱症状に耐えられるのだろうか、というより適切な減薬をできる医者にたどり着くことが可能なのだろうか。
減薬したところで彼らは薬物療法だけでは改善しないだろう、ではカウンセリングを受けるようになるだろうが、それが続くのだろうか。
そもそも人を信用していないと言い切ってしまう彼らが、カウンセラーに心の内を打ち明けられるのだろうか、高い金額を払ってカウンセリングに通い続けられるのだろうか。
では精神科病棟に入院して改善するか、そんなはずはないだろう。
どうしようもないのだ。
そんなどうしようもない人たちは一人くらいだと思っていたけど、案外少なくないことをしって唖然とした。
彼らがいつか報われる日が訪れるのだろうか。
私は彼らの「知り合い」として心配に思う。
だらしない。朝、起きられない。部屋が片付けられない。
今やろうとしている仕事を後回しにして、ずっとネットウォッチ。
自分が抱えている問題はたくさんあって、これらはそのほんの一部だ。
そのこの問題はすべて関連したもので、最終的に、ひとつの大きな根本的な原因がある
…ような気がするのだけれど、それが何か分からなくて何から手をつければよいのかわからない。
でも、そのひとつをを解決さえすれば、多くの問題が芋づる式に解決して、私はもっと幸福になれるとどこかで信じている。
そもそも、“ひとつの根本的な原因ある”という考え方自体が幻想なのだろうか。
>外見
決して美人ではないが外見のせいではないと思う。
しいて言うなら運動できない・食べ過ぎるせいでコントロールできないことがちょっと自己嫌悪。
それは自分でも大いに疑って現在進行形で色々調べている。ADDとか愛着障害の傾向がありそう。
ただ、社会生活できないほどではないし、
自分が障害だと分かって腑に落ちて楽になる、という人もいると思うけど
過去の自分を追体験しているような気分になったのでこんなやつもいるんだと思って読み流してくれ。
読み直して支離滅裂になっているが編集する気力もないので寝る。
高校卒業後に就職した会社で制御系のプログラムを組んでいたんだが開発に異動したことにより激務になり、
1日の労働時間が16時間というのが当たり前になった。開発の先輩で仕事中鼻血出してぶっ倒れる人もいた。
地方の会社で車通勤が当たり前だったんだが駐車場が残業時間順というブラック。毎月駐車場リストもとい成績表が配られる。
元部署の上司からの嫌がらせもあった。開発への異動は出世コースだったらしい。
そんなストレスからか胃潰瘍で体重激減してたまに自分が何をしているのかわからなくなることがあったから辞めた。
その後数ヶ月は外に出たくなくて引きこもっていた。
だが一人暮らしをしていたから買い出しに行かなければならず辛かった。
生きていくには金が必要で、職を点々とした。
正社員になったらまたあの日々が始まるのかと思うと怖くてバイトや派遣ばかりだったが。
それでも貯金は出来たからある程度貯まってはニートして金がなくなればバイトしてを繰り返していた。
ニートの時に心療内科を受診したことがあるが「心が疲れている」と言われた。
処方された薬を飲むと楽にはなるが切れたときの落差が辛く金もないし行かなくなった。
環境が変われば変化があるかもしれないと思い車を処分し、生活に必要なものだけもって大都市に引っ越した。
ちなみにここまでで10年ほど経過している。
そして最近になって心身共に安定しただろうと思い正社員として就職した。
10年の間にサイト作ったりゲーム作ったりしていたからそれを見せた。
拾ってもらったことに感謝はしているが帰宅がいつも23時くらいで寝て起きたらまた仕事の日々になってしまった。
明日が怖いと思いながら寝ることの辛さよ。
出来れば定時に帰って家で本を読んだり好きなことを勉強したい。
だが年齢的にも経歴的にも今の会社が最後だろうから出来るだけ頑張りたい。
心が折れるのが先か定年が先か答えが出ている気もするが。
そんなことを知る由もない一人暮らしの祖母が最近よく電話をかけてくるようになり、いつでも帰ってこいと言ってくれる。
一応実家には両親もいるが帰りたくない。表現できないが両親とは暮らしたくない。
ブコメの人のように「うち来いよ。おまえ一人くらいなんとかなる。」と声をかけたいが、
ssig33.com - イスラム国に行こうとしてた(とされる人)について
「ほわせぷ」と呼ばれるISISに志願した北大生のツイッター@gravestone11のアカウント名は「障害者」と表記されている。
ISIS北大生こと「ほわせぷ」の発言を追っていくと、彼が何故このような事件を巻き起こしたのが、彼自身の言葉から推察できる何かが存在している。
「ほわせぷ」は「障害者」を自称しているが、障害とは、自閉症であり、しかしながら、数学科の院生という非常に頭のいい高機能自閉症だったようだ。
「ほわせぷ」にイスラム教徒ジャーナリスト常岡浩介氏が行った事前インタビューにおいて、ISIS北大生は以下のように回答している。
「イスラム国」戦闘員事件 北大生の男「なれないなら自殺する」(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース
イスラム過激派組織「イスラム国」で戦闘員になるために、北海道大学生の男がシリア入りを計画していた事件で、男は、ジャーナリストのインタビューに、「義勇兵になれないなら自殺する」と話していたことがわかった。
シリア行きを計画していた北大生は「そこには戦場があって、全く違う文化があって。イスラムという強大な宗教によって、民衆が考えて行動している。このフィクションの中に行けば、また違う発見があるかな。それくらい」と話した。
「ほわせぷ」の回答を見て怒りを感じる人達もいるだろう。
「フィクション」じゃない。中東で起きていることは「リアル」だ。馬鹿にもほどがある。自殺する可能性?甘ったれてる。ぜひどうぞ。むしろ積極的にお勧めします。
現実のISISで起きている戦争をフィクション扱いするインタビューの回答に怒りを寄せる声。私たち健常者にとっては当然の反応だと思われるが、ここで「ほわせぷ」のツイッター上での発言を追ってみよう。
健常者はどうやら人間関係とストーリーという二種類のフィクションを他者の肉体の上に見えているようで、最近は前者に時間的連続性を与えた物が後者なのか、前者と後者は別個に存在しているのか毎日考えている
何故別個に考え始めたかというと、若頭のシャンプーを使った人がいて、前者が出来ていてかつ正常な認知と思考力があるのに後者が出来てないからです
アジトの障害者がどれぐらいフィクションが見えてないかというと人間が死んでいたベッドを変えるのがダルいという理由で使い続ける男が居て一日の少なくない時間を横になりながら淫夢動画を煙草を吸いながら見ているぐらいなので、本物の障害者には霊は通じない
健常者は集団や組織における力関係を何となく察する能力など、様々な見えないものを見る力が存在していて、障害者はそれが欠損しているので人間の上にフィクション、ストーリーが構成出来ないので共感や感動が起こらないのではないかと思っている
彼は「フィクション」という単語を多用して、「人間の精神機能」について考察を行っている。彼の考察の対象は「発達障害者」と「健常者」の差異だ。
キーワードとなるのは、インタビューでも回答された「フィクション」である。
「ほわせぷ」の推察によると、発達障害者は「フィクション」が見えていないらしい。フィクションとは、人間関係に関するものであるようだ。
更に彼の発言を追っていく。
障害者の価値判断という事を考えた場合、マジで抽象的なものや概念が見えず、社会通念上知っているが重要さがまったく肌で理解出来てない事の山のせいで無計画さの現象が出来ている感じがしてきた
見えてない上に身体により管理する領域が狭く、健常者と比べたときに”自己”というものが極めて歪になってる人間にとってコミュニケーションのコストを下げる方法はフィクションの溝を生めるために意識的に設定を積み重ねる事で、だからアスペルガーの発言は素直に聞けないという話なのではないか
人間は社会的な生き物なので正常な状態として所属している集団内に向けて力関係を認識する能力、集団の意思決定に参画する能力、集団を維持して協調する器官が生まれつき備わっていて、それらの機能不全により現象的に表出してくるのが個人概念なんじゃないかと最近思ってる
まずなんでこんな事を言い出したかというと通常の人間は何となく集団の力関係がわかる器官があるという話を聞いて、そういうものは目配せや敬語、発言の影響力や見た目などから類推するものだと思っててビックリしてたけど、暫くしてそれは障害だと気付いた
自分について知ることでどうなったかというと例えば秋葉原駅の前で壁に向かってノーザンクロスを気持ち悪い動きをしながら絶叫してる障害者を見たときに彼よりも自分の方が恐らくPDDがキツいという事実と立ち向かわなければいけなくなる
どうやら彼は「社会性」において自分には理解できないものがあると実感していたようだ。抽象的な概念について、社会的な通念を理解しているが、共感や感動が起こらない。集団内に向けて力関係を認識する能力、集団の意思決定に参画する能力、集団を維持して協調する能力、そのような「障害者」には実感することの出来ない「社会的な能力」を、彼は「フィクション」と称して、欠如していると考えていた。
さて、インタビューに対するツイッター上の「怒りの声」に戻ってみよう。
ISIS北大生の、「リアルの感じなさ」に対する怒りの声が表明されている。
この「リアルの感じなさ」こそが、ISIS北大生が、生き辛さ、人生の失敗の原因としていた「自らに生まれつき欠如していたもの」だったとしたら。
何故、彼はこのような事件をしでかすまで、精神科に受診するなりして、通常の治療を受けなかったのであろうか?
発達障害として典型的な症状が出てきちんと分類されるの機能が低い証っぽいし、高機能ならよくわからない能力で代替した上で斜め上の方向に異常性が伸びていくので良さがある
彼自身によると、自閉症者として生まれながらも、生まれつきな能力の高さ、ある種の別の能力が極めて発達しているなら、正常な能力の欠如を自覚して埋め合わせることなく克服して、異常性を高めながら社会に参入してしまう。
なるほど、彼は重度の自閉症者でありながらも、数学科の院生という高度な知性を持っていた。
「ほわせぷ」を知るツイッター上の人々では、彼は「非常に頭がよく」「異常者である」というのが共通認識となっているようだ。
てかほわせぷは超異常者だというのが皆の共通認識なんですかね
なんかほわせぷ氏に関して「サヨクなのか?」とか「ネトウヨなのか?」とかそんなこと言ってる奴がいるけど、彼はそういう常識的枠組みで語れるような人間じゃないから。異常者だから。
とりあえずほわせぷ氏は知能には全く問題がないどころかむしろ高いはずなので、会話にならないのは知能ではなく人格に問題があったのでしょう。
「ほわせぷ」ってアカウント、初めて知ったんですけどちらっと調べて「常識で動かない」「めちゃくちゃ頭がいい」「多分逮捕程度じゃ何にもない」とかそういうのがバンバン出てきてもうキャラが立ちすぎてギエーってなってる
生まれ持った障害を、生まれ持った極めて高い知性でリカバリできてしまった末路が、ISIS戦闘員事件であるなら、哀れというほかないだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20141001050424
元増田ですブックマーク400くらいついてるほげええええええええええええTwitterで500ぐらいつぶやかれてるおえええええええええええええええええええええ
なんだこれうわぁ、なんだこれうわぁ、こんな鬱憤を晴らしたいがためだけのゲロみたいな投稿にこんなにレスポンス返ってくるなんてひたすらに申し訳ない、申し訳ない…
自虐はここまでにして。
とりあえずトラックバックとはてブのコメントとTwitterのつぶやきをざざっと見させてもらいました。ほんとに色んな意見があるなと。
限られた情報から職場・元増田自身を想像してアドバイス(叱咤激励含む)をくれる方や、この個別具体的な事案から今の日本における”仕事”が抱える構造的な問題点を一般化する帰納的な論を展開する方まで。
いや、実に興味深いです。これがアクセスする”抵抗”がとてつもなく低くなったネットワーク(=インターネット)の力ってやつなんですね。改めてインターネットは偉大な発明なのだなと。90年代前半とかだったらこうは不特定多数の意見を伺うことは出来なかっただろう。
まさか自分がその当事者になるとは思わなかったけど、生きてるとこんなこともあるんだねぇ、面白い。
最初にも書いたように、元増田の記事は鬱憤を晴らすための、というか見えない出口を探し求めてほとほと疲れ果てた中で書いた忘備録のためのような記事です。
なので、主張はかなり偏っているかなぁと。
まず、仕事を覚えられなくて中々スマートに実行できないのはひとえに元増田である僕のせいです。僕が無能であるだけなんです。先輩たちのせいじゃないのです。
元増田記事と矛盾している…深夜テンションで書いた記事だから仕方ないね。
- メモをほぼ活かせない
メモはとりあえず取るんですが、「とりあえず取る」だけで体系化できていない事多し。自分なりのマニュアルポケット手帳みたいなのは作っているんですが、当方怠け者のため最近の情報が更新できてなかったり、そもそもどうソートしていいのかわからない指示があったりして不完全。
- うっかりミスが多い
仕事を進める中でミスをされると注意されるわけですが、業務を知らなかったというミスより「あっ、そうだったー!」というミスの方が多いです。注意されたり、次の仕事に移る時に「あっしまったこうだった!」という。これについては、ちょっとあまりにも多すぎるので発達障害を疑って次策を検討中です。どうやって医療機関を絞ればいいのか、そもそも受診・相談する気力が湧いてこない、とかに悩んでるわけですがそれはまた別の話なのでここでは割愛。
致命的なことに、職場の人と上手くコミュニケーションがとれていません。何気ない会話を投げられてもコミュ障あるあるみたいな返答しかできないというか。「あっ」とかよく言っちゃうし「あっ、えっと…あっ…スイマヘン」みたいな挙動不審みたいな謝り方を注意された時にしちゃったりとか。お客さ…都道府県民相手にならマックのマニュアルしゃべりみたいに対応できるんだけどなー
というわけで、先輩たちはいい人たちで、仕事覚えられないのは全部僕が悪いんです。
基本的に職場で僕が役に立たない時にイライラしてるだけで、その他は至って普通です。険悪なムードを醸し出してるわけでもないです。仕事のちょっとした合間や休憩時間は少し談笑したり子供の事で情報交換したりしてる、雰囲気の良い職場です。
もっと体系的に仕事を把握できるように頑張るべきで、そのためにはきっとメモだけじゃ足りないので、仕事のフロー図書いてみたり、家で自習のため自分の仕事に関することを色々調べたり、そういったことをやらなければ。
また、もっと円滑なコミュニケーションを取るために、積極的に会話に参加したり、マナー・常識を本やネットを参照しまくって実践である職場で学んだりしなければ。
そういった具体的な方策は思い浮かんでいるんですが、家に帰っちゃうともうおやすみモードに入っちゃって、ポロシャツのまま即寝たりニコニコ見たりテレビ見たりしちゃって…どうにもダメですねぇ。自分の甘えでこうなっているのはわかっているのですが、中々そこから脱出できなくて…
仕事を覚えられないのはそんな自分のせい。その「行動しないストレス」を上司のせいにする、という方法を通して匿名ネットにぶちまけてしまったのです。そう、僕が悪い。
なんというか、皆さん色々と意見をありがとうございます。結構、これからの指針の参考になるような意見もたくさんあって、ほんとありがたいです。
askdoctorsという医療Q&Aサービスサイトがある。私は登録者の一人で、基本自分で質問するよりは誰かの質問のやりとりをなんとなく追ってる、いわゆるロム専に徹している立場です。つい先ほど目にしたやりとりがちょっと面白かったので、ここに載せてみることにしました。
登録者>二、三週間から動悸や息苦しさ、胸苦しさを感じます。日を追って症状に自覚的なり、起きてから、眠りにつくまで常に胸部に違和感があります。ついに先日、循環器科を診察にいき胸のレントゲンと心電図をとりました。検査は異常なし。この場合、心因性の可能性が高まるのでしょうが、仮にそうでない場合はどんなケースが考えられるでしょうか?
ご教示のほどよろしくお願い申し上げます。
登録者>仮説ではなく、「これらの症状は心因性による可能性が考えられる」と来院した循環器科の先生に結論づけられています。
私が気になっているのは、「器質性の可能性はこれ以上考えられないか」ということです。
医者>主治医の結論以上の情報がWEBから得られるわけがありません。
登録者>あなたは結局「受診してください」以上のことは言えないわけですね。
今までの回答をお見受けするところ、すべて素人でも回答できるレベルの内容です。
あなたがほんとうに医師免許を持っているのかどうかは存じませんが、私はわざわざお金を払って質問しているわけです。素人程度の回答で医者という立場に胡座をかいて報酬を得ているあなたとはわけが違うんですよ。
答えられないなら、回答しない。
確かにWEBにあるのは玉石混交の情報ばかりです。ソースも分からず右が良い、左が良いなんて情報が限りなく存在します。そういう状況だからこそ、わざわざここで、身銭を切って、専門家と言われるあなたに質問しているんじゃないですか。
私が受診に伺った循環器科の先生とへたれ先生は同じ分野の専門医でしょうが、だからといって持っている知識や見解が必ずしも一致するわけではないしょう?
上に書いた受診時の状況説明に過不足あるなら、おっしゃってください。
これ以上建設的でない返信をされるようならお返事は結構です。もう「へたれ」はいりません。
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https://www.askdoctors.jp/topics/2118832
一応上記のリンクになりますが、医者のコメントが閲覧できるのは登録者のみです。
この医師は、へたれ循環器専門医 循環器内科という名を名乗っており、以前わたしが質問した時もこの医師が回答し、同じようにてきとーな回答をされ、それについて「もっと具体的に書いてほしい」という趣旨の返信を充てたら運営者へ通報されました。(通報されると、その対象となるコメントは削除されます。)
このサイトでは登録者側が月額サービス料を支払い、医師に対して月に3つの質問できるというサービスを行っています。質問に対して、医師を指定することはできないので、医師がてきとうに答えて逃げるというケースが少なくありません。このサイトには他にもたくさんのヤブ医者がいるので、どうかお気をつけください。
長いです。そして大部分が「自分語り」です。そんなの読みたくないよ、と言う人はブラウザのバックボタンを押してください。
で、なぜ自分語りをするのかというと、結論部分の教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたい事につなげる為なので、時間がない人はその部分だけ読んでもらっても構いません。
それでは、物好きな人はどうぞ……
20代も後半になってくると、「結婚しないの?」とよく聞かれるようになった。「相手がいない」、「仕事が忙しくて相手を探す余裕がない」と言うと、たまに「いい人紹介しようか?」と言われることがある。
しかし、私にとって友人や知り合いや同僚から相手を紹介されるというのは、最も避けたい出会い方だ。「自分のようなつまらない人間を紹介することで、相手の評価を下げたくない」「紹介してもらったところで、うまくいくはずがない」と考えてしまう。
「自分には価値があり尊敬されるべき人間であると思える感情」のことを自尊感情と言うが、私はこの感情が非常に低く、一日一回は「死にたい」「この世から消えてなくなりたい」と考えている(これでも回数は減った方。昔は一日十回は死にたいと思っていた)し、友人と遊んだり飲んだりしていても「自分なんかのために時間を使ってもらって申し訳ない」と考えてしまう。自分と実際にあったことがある人の中には「自分の話ばっかりするから、自尊感情高いんじゃないの?」と言う人もいるかもしれないが、それも自尊感情の低さの裏返しだと思う。自尊感情が無いからこそ、他人から褒められたり、認められることを期待して自分の話を頻繁にしてしまうのだろう。私が「知り合いからの異性の紹介」を避けているのも、この自尊感情の低さからきているのだろう。
それでは何故私の自尊感情は低くなってしまったのか。色々な原因が考えられるが、一番大きいのは、私が「普通の人が出来ることを、出来なかったから」だと思う。
まず、私は小学生時代、「普通の子供と同じように授業を受けることが出来なかった」。静かに、教室の椅子に座って授業を受けることができない。授業中に教室を抜け出し、先生を慌てさせる。教室にいても、授業い集中できず、本を読んだり他の子供にちょっかいを出す。
そんな子供だったせいか、小学生の一時期、いじめられていた。いじめは「異質な存在」が標的にされやすいことから考えると、自分がいじめの対象になったのも自然なことで、意味もなく殴られたり、筆箱を窓から投げ捨てられたりしていた。そこまで酷いいじめではなかったので、不登校になるほどではなかったが、自分は人と交流することに臆病になってしまっていた。
未だによく覚えているのが、隣に住む一学年下の友人の家のチャイムを押すのに一時間以上ためらった挙句、押せずに自分の家に帰ってしまったこと。小学生の時点で、私は友人の家に遊びに行っても、「そろそろ帰らないと鬱陶しいと思われるのでは」と考えてしまう、人間関係を形成することに臆病な人間となっていた。
小学生低学年の時のこの問題行動は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)によるものであり、診断後、月に数回、大学の研究室に通うことになった。そこに行くと宝探しゲームやパズルなどをさせてもらえるので、私は「遊びに連れて行ってもらっている」という感覚だったのだが、今では「あれは行動療法の一環だったのだ」と理解できる。
大学での療法の結果、私のADHDの症状は目立たなくなっていったが、中学校入学後、私に新たな「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」が出来てしまった。
それは、「普通の人と同じように起きていること」。
授業参観、テスト、学校行事、時と場合を選ばず、どんな時でも居眠りをしてしまう。その眠気は尋常ではなく、拳で太腿を殴りつけても、ペンで血が滲むほど掌を突き刺しても、消えることは無く、結局は寝てしまう。なんとか地元の公立高校には入れたものの、いくつかの授業にはついていくことが難しくなってしまった。そして三年生の時は難関大学を目指していたのにも関わらず、文系の一番下のクラスへ。一部の教科の成績と授業態度(よく居眠りをする)を考えれば当然のことではあったが、授業のレベルが大学受験レベルではなかったのは困りものだった。居眠りをしているのに教師のところに「わからないところを教えてください」と行くことなんて出来ないし、独学もなかなか難しい。そんな時に自分を救ってくれたのが予備校の配信授業。自分が通っていた塾では予備校が衛星配信する授業をビデオに録画したもので受講することができた。ビデオなら途中で居眠りをしてしまっても居眠りをする前の段階まで巻き戻せばいい。そうして90分の講義を毎回120分以上かけて受講し、なんとか受験に対応できる学力をつけていった。
結果として、第一志望の大学に合格することはできなかったものの、国立大学に進学することが出来た。自分の居眠りは怠けからきていると思っていたので、大学に入れば、環境が変われば少しは改善するとおもっていた。……だが、そんなことはなかった。
自分が受けたいと思い、はりきって教室の一番前の席に座った講義で寝てしまった時の絶望感。サークルのミーティングで居眠りをしてしまった自分への冷たい視線を感じた時のこの世から消えてしまいたい気持ち。大学に入れば何かが変わると期待していただけに絶望感は大きかった。ずたずたになっていく自尊心。
自尊感情が低い故に人間関係を構築するのに臆病なのは相変わらずで、自分から食事や飲みに誘うことなど殆ど出来ず、昼食も一人で食べてばかり。
大学院に進学してからも居眠りは止まらず、二年次に受けた公務員試験も当然のことながら不合格に。修士課程だったので二年で修了できたのだが、自分では働きながら試験の勉強はできない、とわかっていたので、親に頼み込んで一年間留年することにしてもらった。
留年時は相も変わらず寝てはおきてを繰り返しての勉強生活。一日十時間勉強しても、実質的に集中して勉強できているのは六~七時間なのだから効率は非常に悪かった。
二回目の受験でなんとか公務員試験に合格し、就職。このときはまだ自分の居眠りは自分の怠けからきていると思っていたため、さすがに就職すれば意識が変わって居眠りも無くなるだろうと思っていた。しかし就職してからも止まらない居眠り。会議で、行事で、起きていようとしても寝てしまう。当然のことながら、同じ居眠りでも学生と勤め人ではその捉えられ方は大きく異なる。面と向かって厳しく注意されることも増えたし、必要以上の会話をしてくれない同僚も増えていった。完全に自信を無くし、せっかく合格できたのに、退職しないといけないかな、と思い詰めていた時に、上司が睡眠障害外来の受診を勧めてくれた。
休みを取って「睡眠ポリグラフ検査」というものを受けた。体中に脳波、体の動き、血中酸素濃度、呼吸などを計測するセンサーを付け、一晩眠り、起床後は二時間ごとに横になって検査を行った。
検査の結果、入眠直後にレム睡眠期があること(普通の人は入眠直後はノンレム睡眠らしい)、前日に十分睡眠をとっていたのも関わらず、横になると数分で入眠してしまうこと、夢見や脳波などから、「ナルコレプシー」と診断された。ナルコレプシーとは非常に強い眠気の発作を起こす脳疾患(睡眠障害)の一つで、私の居眠り癖は自分の怠けからではなく、睡眠障害からきていたものだったのだ。
睡眠障害というと、「眠れない」障害ばかりが注目されがちだが、実際には「眠りすぎてしまう」「眠気が強すぎる」睡眠障害というのも数多くあるらしい。しかし、後者はあまり知られていない為、私のようにそれに気づかずに、発症後も長く苦しむ人が多いそうだ。
根本的な治療法はないが、薬物により日中の眠気が抑えられるということで、「モディオダール」という薬を処方された。早速薬を飲んでみると、劇的に症状は改善された。仕事の効率も良くなり、「普通の人はこんなに起きていられるのか」と驚いたと同時に本当に悔しくなった。もう少し早くこの障害のことがわかっていれば、これまで人間関係や学業でここまで苦しむことは無かったのに、と。
私はこのように二つの他人から理解されにくい障害をかかえて生きてきたのだが、それによる自尊感情の低さは、原因が分かった今もなかなか解消できそうにない。三つ子の魂百までではないが、一度形成された人間性というのは、なかなか変わらないものなのだ。
自分の体験を通して、教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたいことは、「自分の教え子や子供に、何か気になるところがあったら、ためらわずに専門機関で検査を受けさせてほしい」、そして「もし自分の教え子や子供が何らかの障害をかかえていたら、その子に合った教育、療法を受けさせてほしい」ということだ。
自分の教え子や子供がそんな障害を抱えているとは思いたくない気持ちはよくわかる。しかし、障害を持つ子は検査を受けて診断を貰えなければ、自分にあった治療や教育を受けることもできずに成長することになってしまう。
さらに、「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」があるということは、自尊心を大きく傷つけてしまう。自分がそうであったように。
一般の人が想像する以上に、発達障害や、睡眠障害を抱えている人間は多い。「他人事」だと思わずに、教育に関わる人たちや、「親」、これから「親」になる人たちには、発達障害や睡眠障害について学んでほしい。
小中学校時代ずっと顔のことでいじめられていた。だれからも「変な顔w」と笑われていた。ぼくがどんなに努力しても「でも顔は変だよねw」といわれて終わってしまう。小学生時代は走るのが速かった。運動会のリレーの選手だった。でも結局ぼくは「変な顔のやつ」でしかなかった。「ヘンガオ」や「怪物くん」があだ名だった。中学時代も高校時代も学年トップレベルの成績だった。でも「変な顔のやつ」でしかなかった。いったいどうしたらいいのかわからなかった。だれもぼくを認めてくれない。
これはもう東大に行くしかないと思った。でも落ちて、結局地方の旧帝大に行った。そこには絶望しかなく、もうすべてがいやで、むなしくて、かなしかった。
ぼくはなぜか大学時代「イケメン」「ハンサム」「かっこいい」といわれるようになった。まったく意味がわからず、これが社交辞令というやつか、まったく世の中歪んでいるなくらいの認識だったが、それは完全な確信をもってそう思うのだし、ぼくはどう見てもおかしな顔で、いまだに毎朝エレベーターの鏡を見て落ち込むわけなのだ(あとで説明するがぼくはいま障害者向けの作業所に通っている)。
なんども鏡で確認する。どう見ても奇形だ。骨格がおかしく、人間に見えない、なんだろうこれは、ペンギン? それともピスタチオ? 鏡を見るたびに落ち込む。鏡を見てこれはひどいと思ったらもう外には出れない。ひたすら寝込む。引きこもる。そうやって大学5年が終わった(大学にいけなくて1年留年したのだ)。
いつのまにかぼくはメンヘラになっていた。大学1年からその傾向はひどくなったかもしれない。大学5年目は卒論を書くだけだったのでなんとか卒業はしたが、もちろん就職活動などはしていない。じつは大学4年目に就職活動をしたのだが、もうまったく完全に頭が真っ白になってしまって、どうしようもなかった。ぼくはわけのわからないことをくちばしっていただろう。それ以来トラウマで、大学卒業後実家に帰ってきて、就職活動を親に迫られるとぼくはパニックになってしまって(過呼吸になって呼吸困難になる)、身動きできなくなっていった。どうしたら他人に認めてもらえるのかぼくにはまったくわからないのだ。ぼくは「変な顔のやつ」だ。それはもうどうしようもない。どうしようもない状態からいったいどうやってだれかにぼくの価値を認めてもらったらいいんだ。それはまったく完全に究極の難題だった。死について考えてぼくはよく小さなころからパニック状態になっていたが、まさにそれと同じ現象が起きた。考えが及ばない、まったくの未知、理解の範囲外、それは神、神だ! だが神なんかいない! 神の姿なんてぼくらはだれもわからない、というより神に姿があったらそれはおかしいのであって、ぼくにとって、《就職活動=他人に自分の価値を認めさせる》という儀式というものは、まったくの神秘であって、考えの及ばない、彼方の彼方にあるほとんど魔術的な妄想とでもいうべきもので、一般企業で働くということは完全に奇跡のわざでしかなく、それも実現不可能の絵空事、定義の及ばない、ことばの射程の外にある、まったく完全な神秘だった。しかし世間の人間はみんなそれをあたりまえのようにこなしているという事実がぼくに重くのしかかってきて、それは絶望ということばだけでは言い表すことのできない、とてつもない、ある重層的な空虚、陳腐な言葉で言えば、そうだ、まさにそれは「世界の終り」だった。そう、世界は終わってしまったのだ。ぼくには理解できない、おそらく認知すらできないなにごとかがこの世界では行われていて、ぼくはそこに存在するだけの強度をそなえていない、おそらく世界の脆弱性とでもいうべき……、異端! おお! すばらしい! 圧倒的少数にして弱者! 愚者であり賢者! ぼくにはもうこの物質世界は見えていない。文字通り超然としている。だがなんだ、超然としているというのに、ぼくはこの物質=顔にこだわっているではないか。ぼくの精神は完全にこのけがれた体から離脱しているというのに、しかしぼくのトラウマはまだ完全に顔にとらわれていて、むしろ顔こそすべてであって、かわいいは正義であって、ぼくは美少女が好きであって、いまだに勃起するではないか! なんなのだこれは。とらわれている! この世界に! ぼくはこの世界で認められたかったのか、それともこの世界を否定したかったのか、いやちがう、ぼくは自分自身が否定されたことによって、まさに自分自身が否定される世界というものを肯定することによって、ここに自分の存在を確立したかったのであり、だがそれは自虐でしかなく、自滅でしかなく、まさにこの自縄自縛のなかで、どうしようもない破滅的な未来へ向かってぼくは生きてきたのであった。だが、それも考えてみると、結局、死にたいという欲望に突き動かされたものでしかなく、しかしいざ死のうと思うと死ねず、しかし死のうという意志そのものが生きることを肯定するなにかとなっていたのであり、もはやなにがなんだかわからない状態で、結局ぼくは精神科を受診することになった。
精神科というものはまったくわけがわからない。まともに話したのは最初の診察のときだけだ。投薬治療をつづけてきたが、まったく改善は見られない。投薬治療だけでは無理ともちろん医者はわかっていて、カウンセリングも並行してやっているのだが、いや、しかしだね、臨床心理士といっても、しょせんぼくより頭の悪いひとなわけだ。ぼくがひたすらこの世の不正や不正義や不条理について語っていったところで、ぼくの真向かいに坐っている、この美女はなにか理解しているのだろうか。ホメロスやオウィディウスやプラトンについて話していたとき、ホメロスも知らなかったのだが、これは大丈夫なのだろうか。いやしかし美女とお話できたのだからよしとするか、というかそのひとはぼくを捨ててさっさと結婚してしまって、いまはもうカウンセラーやってないっぽいのね。まったくね、なんなのかね、結局口だけというか、そりゃカウンセラーにはカウンセラーの人生があるわけだが、こっちだって人生かけてしゃべりまくっているわけでね。ぼくはいってやったよ。あなたのことが大好きです、幸せになってくださいってね。うん。そうだ。彼女は幸せになったのだからぼくは泣いて喜ぶべきなのだろう。でもなんなのだろうねこのむなしさは! ぼくは結局利己的にすぎないが、自分がしあわせになりたいのだよ。しあわせになりたいよ。しあわせってどういうことなのだろうね。いや、もしかしたらいまの状態もしあわせなのかもしれない。障害基礎年金をもらっていて、医療費には困っていないし、両親はまだ生きているし、むしろあんなに厳しかった父親も……、ぼくは彼に虐待とまではいかないのだろうが、幼少期かなり暴力を振るわれて、ちょっとトラウマになっている。まあだからといってアダルトチルドレンというわけではないのだが。むしろいま父は仕事を退職してかなりやさしい性格になっている。父があんなにぎらぎらしていたのはまったくくだらないあの世界の滓とでもいうべき労働のせいなのだ。まったくこの世は腐っているね。でもとにかく両親はやさしい。ぼくはまったく役立たずで、そりゃ洗いものや掃除くらいはするが、だからといって、妹みたいに金を稼いでこないわけでね。
就労に向けて頑張りましょうという。ぼくは作業所に入った。B型ではなくて就労移行だ。一般企業での就労? それってどんなものなのだろう。ぼくは最低賃金で事務系のアルバイトを体験してみたことがあるが、そこは一日でやめた。そこのババアの指示がまったく理解できなかったため、ここで働くのは無理だと感じたからだ。あれはぼくがおかしかったのだろうか。支援者にはそういわれた。ぼくがおかしかったのだと。おまえに歩み寄りの気持ちが足りないのだと。でもぼくは真剣に真面目に全力で全身全霊を込めてやっていたのだ。しかし、その初日というか、唯一働きに出た日だが、そこをしきっているババアは朝いってもそこにいず、アルバイトの女性スタッフがぼくにいった。こんな感じでこんな感じのを作ってください、とね。いや、ぼくは大学卒業後まったく社会に出てなかったわけで、こんな感じの資料をつくれといわれても、いや、そりゃあね、見本があればぼくだってエクセルくらい使えるから、作れるんだが、その見本がないので、その指示、つまり「見やすいように作ってくれ」の「見やすいように」というのがどういうものなのかがまったくわからないわけだ。それはこちらの頭の中に知識として入っていないわけだから。そしてぼくに職歴がないというのはわかっているはずなのに、そういうことを要求してくる。それなので、ぼくは自分にとって見やすいように作ったのだが、それはちがうという。だったら見本を見せろと返す。見本はないという。なんだそれは。ここの職場はいままで同じような資料を作ったことがあるだろうに、そういったノウハウの蓄積といったものはないのか。ないという。なんだそれは。もう意味がわからない。そしてぼくは悪者にされた。ぼくは積極的に説明を求めた。人と話すのは苦手だし、さらに人に話しかけるなんてことはほとんどもう中学以来したことがなかったというのに、そのぼくが、そうだ、障害枠ということでやっているのに、そのぼくがやっと話しかけたのに、不完全な情報を断片的にしか与えてくれない。なんなのだこれは。この資料をもとに作ってください、といわれる、だが、作っている途中にその資料が不完全だということがわかる、なので、ぼくはこの資料だけではつくれないので、もっと正確な情報をくれという、そうすると、なぜだかわからないが、いやいや出してくる。意味がわからない。というか、最初からちゃんと資料を用意しておいてくれないと、いちいちこっちが催促しないといけないのか。なんなのだ、この非効率な仕事は。指示するなら、完全な指示をしてほしい。こっちは最低賃金でやとわれている、それも障害者枠でやとわれているクズなのだ。そのクズに創造的な仕事をもとめないでもらいたい。わけがわからない。これが社会。これが社会。おそろしい。そもそもなんで入って初日のぼくがそこの常識みたいなものを知ってると思っているんだ? あまりにも想像力がなさすぎないか? なんでぼくがそこの常識、たとえばA班とはどこでなにをやっているどういった人間たちの集まりだということ、そういうものをどうして入って初日のぼくが知っているという前提で話が進んでいるんだ。おかしくないか。どう考えたっておかしい。しかし支援者はぼくにコミュニケーション能力がなかったせいだなどという。それはちがうだろう。ババアのコミュニケーション能力というかもっと大雑把な意味での能力の問題だ。管理し指示を出す側の人間がしっかりしているべきじゃないのか、しかも障害者枠で、職歴なしで、やっとここで社会復帰のためのちょっとした労働をさせてもらいますみたいな人間に対してなぜ的確な指示を出さないのか、ぼくにはまったく意味がわからない。その職場の空気読んでやってねってそんなのわかるわけがないだろう。3ヶ月や半年そこにいればその場の空気やルールというものもわかるだろうが、入って初日に、どうしてそういった超人的な想像力が要求されるのだろう。それは理不尽じゃないのか。そしてそれを理不尽と感じるということがぼくの甘えだと論破される。これはおそろしい。思ったよりも、社会は遠いところにある。いったいどうすればいいのか。社会というものは理不尽だとみんな嬉しそうに言う。腐ってやがる。
作業所に行くと、○○さんは高学歴だし、なんでもできるよね、だからどんどん面接受けようぜみたいなことになっている。たしかにハローワークでGATBというテストをやったところ、一番高い数値は160近くあったし、ほかもおおむね130を超えていた。向いてる仕事というのがそのテストでわかるらしいのだが、困ったことに、ぼくに向いてない仕事はない! なんだそれは。この役立たずが! なんでもできるということはなにもできないということだ。ひとは制限があるから頑張れる。無限にひらかれていては神秘主義者になって終りだ。
なにもぼくは自分が天才だといいたいのではない。東大には受からなかったし、ネットで例のIQテストをやると138しかでない。こんなものは天才でもなんでもない。ちょっと平均より頭の回転が速いだけだ。中途半端、それがぼくに与えられた称号。といいたいのだが、だが、ぼくの顔は中途半端どころではなくどろどろに崩壊していて、もはや人間ではなく、だが、作業所にはダウン症のひとたちもいて、そういうなかにいると、たしかにぼくはそういうひとたちの一部ではいられるのだけど。でも世間はぼくらを人間とはみなしていない。障害者は殺せ! 隔離せよ! という。生きる価値がないという。
ああ、たしかにそうだ。ぼくらには生きる価値なんてない。でもなぜか生きている。みんな死にたいはずだが、でも生きちゃっているものはしょうがないのだから、結局生きている。
さて、どうやってこの顔と向き合っていけばいいのだろう。結局ぼくは自己肯定感をもてずにいるわけだ。結局それなのだ。自分に生きる価値があるとだれかが、家族以外のだれかが認めてくれれば、それだけできっと見える世界は変わってくるのに。見える世界を変えるためには努力しなければいけない。しかし努力の方向性がわからない。ぼくは存在そのものを否定されている。能力についてなら努力でかえられるだろう。性格についてならある程度の矯正は可能だ。しかしぼくの顔は! どうしたらいいのか。そういうわけで、ぼくはしばらく口をすぼめて生活していたことがあった。口をすぼめることによって、見える顔が多少変わるからだ。ぼくはそれによってマシな顔になったと信じていたのだが、まわりのひとたちはおかしいからやめろという。マスクをしていたら、マスクをはずせといわれる。なぜなのか。
露骨な容姿差別は存在する。容姿差別はなぜか問題にならないが、かなり重大な問題なのではないだろうか。ブサイクだとなぜいけないのだろう。奇形だとなぜいけないのだろう。
破壊衝動に身を任せてはだめ、テロなんてやっちゃだめだからね、と医者にいわれている。たしかにそうだ。もちろんぼくはそんなことできないだろう。せいぜい机をぶったたいて自分が骨折するくらいだ。むなしい。でもすべてをぶっこわしてやりたい気持ちはたしかに存在する。
よく犬を拾う。
拾った時は飼い主さんが探していないかその場所で1~2時間一緒に待ち、結局飼い主らしき人が見つからなかったら、
動物愛護センターに保護している旨の電話連絡をして、保健所にも同様の連絡をして、最寄の交番に届け出る。
交番で会計課の人に犬の写真を撮ってもらったら、保護する旨を了承してもらいそのまま動物病院へ。
動物病院ではマイクロチップが入っているかいないかの確認と、体重や推定年齢・健康状態を診てもらう。
マイクロチップが入っていればAIPOに照会するんだけど、今まで拾った犬でマイクロチップが入っていた子は一匹しかいない。
健康状態に問題がなければ取り敢えずノミダニ予防を行って、自宅に連れ帰る。
そして体重や推定年齢など獣医師から聞いたヒントになりそうな情報を伝えるために、動物愛護センターと保健所に再度電話連絡。
以前それらを伝えたところ「あ、そういう情報はいらないんで」と言われ、「でも飼い主さん照会のときのヒントになりませんか?」
と提案したんだけど、「書く項目がないんで、いいです」と言われてしまったため。
で、あとは飼い主さんが見つかるまで保護し続ける。
脱走などの「迷い犬」は大体1週間以内に飼い主さんから行政に照会があってお家が見つかり解決するんだけど、中には「捨て犬」もいて
そういう子は当然1週間経っても2週間経っても何の連絡もない。
1週間経って行政に照会が入っていない場合は、もしかして捨てられた?という嫌な予感を抱えつつ、探し方を知らない飼い主さんも
いるから…という動物愛護センターの方の言葉を励みにこちから飼い主さんを探す。
保護場所近隣の動物病院やグルーミングサロンへの照会と「犬保護してます」的な貼り紙の掲載依頼や犬の散歩をしている方への聞き込みを行う。
併せてSNSで犬を誤って逃がしてしまった人がいないか、探している人がいないかチェックする。
1ヶ月経って飼い主さんが見つからないときは、もう捨て犬色が濃厚になる。
だけど、迷い犬・捨て犬は落し物扱いであるから、3ヶ月経たないと所有権が私にうつらない。だからどう考えても捨て犬だろ、と思っても
1ヶ月の時点では里親を探すことは出来ない。(これは以前警察から指導されたこと)
だから3ヶ月間自宅で保護を続ける。私自身も犬を飼っているけれど、うちの犬はいっときのメンバー増加・卒業に慣れっこのようだ。
遊び好きの子には積極的にかまいに行き、緊張している子やちょっと人間不信の気が見られる子にはそっと寄り添う。犬同士のコミュニケーション能力すごい。
3ヶ月経ちついに飼い主が現れなかった時は捨て犬認定をして、動物病院で健康診断を受診後、里親を探す。
これまでに知人への打診はし尽してしまったので近隣動物病院への貼り紙とインターネット上での募集を行う。
ボロボロの状態で何日もさ迷っていた子、段ボールに入れられて公衆トイレに捨てられた子、足が3本しかない子、耳が聞こえない子、人間不信の子、基本は懐っこいけど人の手を異常に怖がる子、
クレートに入れられた状態で置き去りにされていた子(ちなみにこの子は火傷をしていて、クレートの中と回りにはロケット花火のカスがあった)など、特徴や詳細をちゃんと書いて募集する。
もちろん保護している3ヶ月の間に出来るだけのケアはしているけれど、肉体的ハンデはどうにもならないし、根深い心の傷は多少改善しましたぐらいに持っていけるのがやっとで、里親になった
方には相当の苦労があるだろうから。最初から情報開示して、それでもお迎え頂ける方を探す。
でも顔の可愛い子には多数の応募がある。むしろ健康で人懐っこいけど不器量な子にはほとんど応募がなかったり時間がかかったりする。
この間、小型犬でとても器量のいい子の里親を募集するに至った。小さくて美人さんだけれど心に傷を持つ子で結構な人間不信。私には大分懐いてくれたけど、散歩中など他人に目を
その子は色んな人のご協力で元の飼い主さんを探し当てることが出来たのだけれど、ずいぶんと犬の尊厳を無視した飼育環境だったようだ。度の行き過ぎた躾と称した暴力もあったみたい。
元の飼い主さんは飼育放棄を表明したのでそのまま私が保護をした。
不憫な目に遭ってきた可哀そうな小さな犬。里親に応募して下さった方はみなさんは言う。
「不憫でどうしても放っておけない」「愛情を知らずに育った子を包んであげたい」「行き場のない犬を引き取りたい」「可哀そうな犬を一匹でも救いたい」
複雑な子でもご理解を頂けて、とてもありがたい事だと思う。皆さん懐が深くて優しいなあと思う。
でも本当に行き場のない子は10歳以上のハイシニアだったり、たくさんの治療費がかかる病気を患っている子だったり、不器量な子なんだよね。特に最後。
かわいければそれだけで引く手数多。
トイレの成功率も高く、健康で人犬問わず誰にでもフレンドリーでも不器量な子は選んでもらえない。
動物愛護に関心があるんです可哀そうな子を幸せにしてあげたいんです、としきりにおっしゃる方に、保護して里親が決まらないまま1年が経った子もいますよ、と写真を見せると
一瞬引くんだよね。それでやんわりと拒否の姿勢を示してくる。そして私はそれにちょっと傷つく。可哀そうな子を幸せにしてあげたい…ってなんなんだろうなあと思う。
どんな犬でも里親さんが見つからなかった場合は家でお迎えすることも覚悟して保護をしているので、仮に里親さんが見つからなくても動物愛護センターに連れていったりはしないんだけど、
家にも面倒を見れる限界というものがあるので、出来れば多額の治療費が必要な重い病気を患っている子や、12、3歳以上の高齢犬をお迎えしたいと思う。
病気を持っている子や高齢の子は「普通の子」に比べて時間も手間もお金もかかるので、里親さんが決まりにくいし、環境の変化に耐えうるだけの体力がなかったりする子もいるので。
だから健康で十分家庭犬としてやっていける素質のある子は積極的に里親さんを探すのだけれど、顔のかわいい子は難しい心を持っていても、多少高齢でもたくさん応募がある。
だけど、不器量な子にはほとんどお話しはこない。とてもいい子なのに。
「誰かの大切な犬」なれない子。ただ不器量に生まれたばっかりに。