はてなキーワード: 受診とは
まだ自分に発達障害の診断がつくかどうかは来週までわからないけど、
色々と人生が順調に詰みかけている感に焦りながらなんとか、もともと受診してた心療内科で診断を依頼できて、
心理士さんとやる知能検査とかを数回に分けて色々と受けてきた。
一応、普段の困りごととか、昔あったこととかを書いてまとめた紙をプリントアウトして持って行ったら受け取ってもらえたし、
「発達障害の疑い」というだけで複数の検査をやって多角的に分析しようとしてくれるとは思ってなかったのでちょっとうれしかった。
検査は何をやってるのかは教えてもらえなかったけど、検査キットや用紙に書いてある名前はいくつか見れた。
結果を説明するときに詳しく教えますと言われたので、まあ待ちの状態。
目に入った分でいくと、
あたりをやったんだと思う。
WAISと似たような検査をもう一つくらい受けたのかもしれない。わからないけれど。
他にも、ひたすら「そう」「ちがう」で答えていくプリントとかもやったけど、
問題「~なことはない。」
私「いや、ある!」→【そう】にチェック。
みたいなミスり方を妻が横でちょっと見ている間だけでも何回も指摘されたので、
妻が立ち去ってしまった後半部分は、本当に意図通り答えられた自信がまったくない。
WAISはちょっと結果が怖い。
数唱とか、いくつかのテストは練習問題の時点で苦戦して、露骨にできなかったりした。
無回答はよくないと思って、わからなくなっても頑張って何かしら答えてたけど、ほぼカンになっちゃってるやつとかあったと思う。
片方の人のセリフに対してもう一方の人のセリフを想像して埋めてください、みたいなやつだったけど、
パっと見て最初に思いついたことを書いていいと書かれてたので素直に従ったら、後日半分以上のコマで追加の聞き取りをされた。
後から調べてみたらあのマンガのコマは全部、欲求不満場面を描いたものだったらしいのだけれど、
そもそもストレスのある場面として捉えていなかったり、1コマだけでは情報不足で態度が決められないでいるような答えばかり書いていた気がする。
それで執拗に「これはどういう状況ですか?」「この人は今こんなセリフを言っていますが、どんな気持ちですか?」とか何度も何度もきかれたのかと納得。
私はパっと思いついたことを書いただけで、この人は私じゃないからこの人の気持ちなんかよくわからないし、
前後の経緯や事実関係がイマイチわからないから、状況って言われても見たままの「○○」と言われている。以上のことはわからないし想像で決めつけることはできないよ……って感じで頑張って答えてたけど、
「強いて言えば…?」ってかなり食い下がられてちょっと疲れた。正直、心理士さんも不毛なやり取りにちょっと疲れたんじゃないかと思う。
何はともあれ、来週には一応結果が出るらしい。
どうしたらもうちょっと追い詰められない感じで生きていけるのかを、しっかり考えて学ぶ機会にしたいと思う。
福祉職をしているが、この手の相談はそのまま長期化して数十年後に発覚するパターンが多い。
本人のためにも、家族のためにも、早めに医療機関に繋ぐことが何より大切になる。
とはいえ、病気という意識のない本人に受診は促せないと思われるので、何かしらの外部からのきっかけが必要になる。
精神科への入院には大きく措置入院、医療保護入院、任意入院と3種類が存在し、任意入院以外は本人の同意は不要。
ただし、医療保護入院は病院までは本人が自主的に出向く必要があるので、そこはうまい理由付けをしないといけない。
(病院で医師も交えて今後の相談に乗ってもらおう、病院でゆっくり寝食を得て休息しよう…等)
措置入院であれば本人の同意なしに自宅から病院まで強制的に連行することができるが、そのハードルは極めて高い。
少なくとも、他害行為が生じて警察沙汰になった段階でないと運用がなされないことがほとんどである。
もし自宅内で暴れているのであれば、その最中に警察を呼んで、到着後もなお収拾がつかないといった状況でないと措置入院は難しい。
実際のところ、警察が到着したら怯んでおとなしくなる人がほとんどなので、家族が大怪我でもしてなければ説教だけして帰るパターンが多い。
こんなことは実際の現場では勧められないが、もしなるべく被害を最小限に措置入院に繋げたいのなら、増田が身体を張るという手もある。
警察にすぐ側で待機してもらっている状態で本人を興奮させて一、二発殴られれば、警察も緊急に動く大義名分ができる。…増田にとっては痛いけど。
ただ、この手の話は長期化すればするほど本人にとっても家族にとっても不幸が増すだけなので、早く何かしらの手は講じた方がいい。
入院して医療にさえ繋がれば障害者福祉のサービスや年金だって利用しうるし、本人の状態もある程度は安定に向かうだろう。
まだ弟は若くやり直せる年齢なのだし、ゆくゆく破裂することが目に見えている爆弾があるのなら、対処は早めの方がいいと思われる。
ただし、本人の状態によって入院後に医療保護入院や任意入院に切り替わった際は、通常の医療保険の範囲での自己負担が発生する。
まず、お薬を飲まれているということで、病院には通われていることでしょう。
通われていなかったら、頓服薬を出された病院を再度、受診してください。
ご家族もあてにならないのでしょう。
主治医に状況を相談し、お薬を変えてもらうなり、必要なら入院してください。
前回、メンタルをやられ退職したあと、リワーク等の復職支援を受けられたでしょうか?
そのまま、仕事に戻ると再発する場合が多いので、通われることをおすすめします。
障害者職業センター等では、休職でも無職でも、無料で復職支援等のサポートを受けられると思います。
2,3年で色々なことにやりきれなくなった。
なんてことはない、はてなではよく見かける、深夜残業がどうとか、何万行のクラスファイルがあってつらいとか、コメントが中国語だとか、Excelとスーツがどうとか、そういう類の愚痴だ。
変な黒い背景のエディタ使ってるからミスしたんじゃないかって言われた時が一番イラッとしたかもしれない。
偉そうにいうことじゃないけど、Vimじゃなくて俺がヘボいだけである。
仕事があまり面白くないものだから、家でプログラミングを始めた。
(自分用のCMSとか、市民プールのWebサイトからカレンダー情報を抜き出して、自分のカレンダーに突っ込むとか、そういう簡単なものだけれども。)
日付が変わる頃に帰って、それから朝方まで趣味でコードを書いて…という生活をしていたらこないだ倒れた。
まあただの貧血だったので、点滴だけうって、また元の生活をしている。
さすがに会社とか親とかから心配されて、心療内科とか消化器科とか色々受診して、今まで飲んだことのない量の薬を処方されたりしたんだけど、これが結構しんどい。
以前と比べて、時間が守れないとか、明らかに集中力を欠いていてミスが多いとか、タスクに取り掛かれないとか、そういったことが自覚できるレベルで現れている感じ。
やっぱりさっさと辞めて仕事を変えるなり、仕事と割り切って業務に集中するなりしたほうがよかったんだろうか、と今更だけど後悔している。
要は勇気がなかった。
虫歯と無縁だった関係で歯医者に通う習慣が全然なかったのだけれど、
ガムの噛みすぎか、仕事中にストレスを感じると奥歯を噛みしめるクセのせいか、
原因はいまだ不明だが、4年ほど前のある日「なんか顎が痛いなー」と思ったら顎関節症になっていた。
生活に支障がない程度に口は開くんだけど、ハンバーガー食べる時とかに大きく開けるとバキって鳴るアレだ。
元々拳が口に入るタイプの人間だったので、それが指四本分になっても正直あまり困らなかった。
「なんかバキって言うようになった!」と調子に乗って踊りながら積極的に鳴らしてリズムをとったりして遊んでいたら、
2ヵ月ぐらい経過したある日突然、口を開けると痛くて半開きにするのもやっとという状況に急速に悪化した。
その段階でようやく調べて、自分が顎関節症になっていることを把握、半泣きで最寄の口腔外科に駆け込んだ。
ところが、マウスピースを作ってもらって、翌日受け取りに行く頃には、
医者に「あれ?全然開くじゃないですか」とか言われる程度まで症状が軽くなって、
自分より小さい医者の手だと、貫手を親指まで丸呑みにできる程度には開く感じ。
医者が作ってくれた硬質プラスチックの上の歯にはめるタイプの薄いマウスピースは、
つけて寝るように努力したものの、どうしても異物感が強くてつけている間になかなか寝つけないし、
ようやく口に入れたまま眠れてもすぐに外れるので朝になったら行方不明……ということを繰り返しているうちに、
実家の母親が地元で評判の歯医者に作ってもらって歯ぎしり対策に使っていたソフトタイプのマウスピースの存在を知っていたので、
なんとなくマウスピースが薄いのが良くなかったような気がして別の口腔外科を受診することにした。
「顎関節症用にマウスピースを作ってもらったけど薄くてすぐ外れて割れちゃったし付けづらいから、ぶ厚くて外れにくいのを頼む」
と伝えたところ、どう見ても前と同じ素材だけど上の歯の前面にもやや回り込む形状でちょっと外れにくい構造に進化した硬質マウスピースを作られた。
コレジャナイ感を感じて、ソフトな素材はないのか?と聞くと、「顎関節症用はコレだ」というので、専門家がいうならそういうものなのかと思って引き下がった。
さらに、マウスピースを作る前に撮ったレントゲンを見せられて、
「親知らずが真横に向いて4本とも生えてるから、これを何とかした方がいい。」と言われる。
確かに口の奥の方に生えかけのツノみたいなのが何本かある気がしてたけど、これ親知らずだったのか!
しかし、硬質でぶ厚いマウスピースは相変わらずつけたまま寝ろと言われても異物感ばかりで、
数週間経てば慣れると言われたのに全然つけたまま眠れるようにならないし、
たまに眠れても相変わらず起きたときにはどこかに飛んでいっているし、
なんとか眠ろうとして何度か徹夜になったり、あきらめて外してから寝たものの寝坊して仕事に遅刻したりするので使用を中止してしまった。
顎関節症の症状自体はカラオケで全力で歌うことができなくて消化不良になるのと、
サブウェイのサンドイッチを丸かぶりで食べきる頃には顎がバキバキ鳴りすぎて痛むのと、
アクビや笑ったときにたまにバキっと鳴って不快なこと以外は大して困らないし、
なんとなく望んだ治療と違う気がして、二件目の口腔外科も自分の中で信頼度が低くなってしまったので、
同僚から評判のいい歯医者の情報を集めて、割とよさそうな医者を教えてもらって行ってみた。
三件目の医者は街中で、施設も新しくて綺麗だし、医者の説明も今までの医者よりダントツに丁寧だった。
歯石取りというのもやってもらって、歯科衛生士だか歯科助手だかのおねーさんのおっぱいが云々という都市伝説が現実だったのだと知って同僚に感謝を捧げた。
それどころかおっぱいが頭にあんまり当たるというか、いっそ頭に乗る勢いなのでさすがに申し訳なくてモゾモゾ逃げようとすると、
そのことに気付いたおねーさんにちょっと照れながら「ごめんなさい、でも動かないでくださいねー///」とか言われてギュッと押さえつけられる始末。
おっぱいカバーの下側に入ってるワイヤーらしき硬質な感触と、それでは隠しきれない柔らかさと確かな重みを額に感じる。
なんだこれは、保健の効く範囲内でおっぱいを押しつけられた上にそのことを謝罪される空間なんて現実に存在していいのか!?
っていうか虫歯のある奴らは今まで「歯医者めんどくせー」とか言いながらこんなメにあっていたのか!?チクショウなんて奴らだ!
問診で経緯は伝えたものの、相変わらず「全然開きますね……」と医者に苦笑されるくらいには口が開くし、
正式に転院しているわけではないので再度レントゲンを撮ったところ、
「顎関節症も親知らずが原因かもしれないから、マウスピースは一旦置いておいて親知らずを何とかした方がいい。」と言われた。
「じゃあそれで」と返事をして治療プランを具体的に作ろうとしていたら奥から院長が出てきて、
「親知らずが真横すぎてウチの設備では対処できないので、大きな病院を紹介します。」と言われて紹介状を書かれてしまった。
結局この病院には定期的に歯石取りにだけ通うことになったのだけれど、
歯磨きを頑張っていると、おっぱいが的確に褒めてくれるという一点に絞ってもとてもいい病院だったと思う。
その後引っ越して通えなくなってしまったけれど、その間に俺の歯茎は劇的に健康になった。
俺は今もおっぱいの教えを守って歯磨きをしている。
予約を取って大病院に行ってみたところ、
相変わらず顎関節症については「開いてるじゃないですか……」と言われ、親知らずは「見事に真横ですね……」と言われる。
親知らずは、4回通って1本ずつ抜くプラン、2回通って上下または左右で2本ずつ抜くプラン、
1日入院して全身麻酔で一気に4本抜くプランを提示されたが、若干家から遠くて面倒だったので1日入院して一気に抜くことにした。
入院して、手術室に入り、看護師さんにきれいな手ですねー、爪がきれいでうらやましい、とか言われてる間に意識を失って、起きたら親知らずは無事全滅していた。
医者からは「一気に抜くともっと腫れる人が多いのに全然腫れてない、本当にあなたは運がいい。」と心底残念そうに言われ、大病院を後にした。
その後しばらくは抜糸や経過観察のために通ったものの特に問題はなく、
顎関節症についても「ウチで作っても同じタイプのマウスピースになる」
「十分開いてるし、親知らずを抜いたことでバランスが整って治る場合もあるから様子見」と言われてしまい、
一応硬質マウスピースを再度作り直してもらったけれどやっぱりイマイチなじまず、
顎の筋肉をほぐす体操を教えられてその大病院とは縁が切れてしまった。
その後、まあ実際そこまで困っていなかったので顎関節症は放置し、
前述の通り引っ越したりしたのもあって、また歯医者そのものと縁がない暮らしに戻ってしまった。
ところが、最近になって何度か開閉していると顎がすぐ痛くなるようになったり、
平常時でも顎のあたりに感じる違和感が強くなり始めて、やっぱり顎関節症をなんとかしたいと思うようになった。
しかし口腔外科は大病院でも硬質プラスチックのマウスピースだったし、
硬いマウスピースはどーも合わないし……と思うと病院探しも億劫になる。
というかもう「治したい」というより、「ソフトタイプのマウスピースが欲しい!」という気持ちになっていた。
売ってた。ドラッグストアで。
お湯につけて柔らかくなったマウスピースを噛んでから冷やせば形状記憶するというもの。
医者はどうも作ってくれないし、千円ちょっとだし、もうこれでいいや、と思って買うことにした。
説明書通りにして使ってみる。寝床に入って装着。やっぱり異物感があって眠れない。
グギギ。グギギ。マウスピースを噛みしめながら深夜3時まで粘ったものの眠れないので外して寝た。
ミントの味とか染みだしたらいいのになー、などとしょうもないことを考えた。
若干オーバーサイズなマウスピースの端が擦れるダメージにも、おっぱいの教えを守って鍛え抜いた歯茎は出血することなく耐えてくれた。
翌日も、翌々日も、同じことを続けた。
三日目の朝。異変に気付く。
あくびをしても顎が鳴らない。
思わず顎を外す勢いで口を開く。鳴らない。
拳を咥えてみる。鳴らない。
それどころか顎にずっとあった痛みも違和感もない。
ハンバーガーをチマチマかじらずに蛇のごとく縦にかじってみた。痛くない!
ヴァーティカルバーガースタイルを選べる自由を得た喜びに震えた。
足が遠のいていたカラオケに行って思いっきり歌ってみた。痛くない!
久しぶりに新しい歌を覚えたくなった。
結局のところ、どういう理屈で顎関節症が消え去ったのかは自分でもよくわかっていないものの、それ以後も俺の顎は好調そのものだ。
俺のように、治らないものだと半分諦めている顎関節症患者も多いと聞いたので、
こんな感じで治ることもあるんだということを知って欲しかったので書いてみた。
数日前に腰を痛めた。椎間板ヘルニアだった。
医師のコメントやアドバイスなど非常に参考になるものが多かったので書き留めておきたい。実名を明かしているブログに書いても良かったが、将来思わぬところで問題になる危険性も少しあるため、増田に書く。リアルの知り合いが読んだら身バレすると考えられるが、そこは気にしない。
やや長文になるが、同業の方々にとって良い情報源となれば幸いである。
長文を読むのが面倒だと言う方は、最後の方にある「医師からのコメントとアドバイス」の項だけ見て頂ければ十分かと思われる。その項までの文章は、発症から診察に至るまでの時系列の振り返りである。
朝起きて、少しIngress活動しながら会社に行き、仕事をする。
退社すると、夕食を摂ってから2〜3時間程度のIngress活動の後、帰宅。
週末は自宅でコードを書く。
自宅でも会社でも、腰痛予防のために姿勢を頻繁に変えるようにしていた。その成果なのか、今まで腰痛に悩まされたことは一度も無かった。
先週末の土曜日の午前から昼にかけて、自宅でコードを書く作業を2時間程度行った。かなり集中していたため、途中で歩き回ることを全くしなかった。作業が一区切りついて、昼食の調達のために椅子から立ち上がった。その瞬間、背中に激痛が走った。
この時点では腰痛という認識は全く無く、ただ背中の下の方が痛かった。深く息を吸ったり咳をしたりすると背中の痛みが増した。痛かったのは確かだが、倒れ込んだりするほどのものではなかった。
土曜日の夕方、友人に会うために外出した。背中は痛かったが、ゆっくりと歩けば十分にIngress活動できる程度の痛みだった。ただし下を向くのは辛かった。
日曜日の朝、痛みは増していた。体温を測ったところ微熱があったことと、深い呼吸ができないという症状が続いていたことから、土曜日の朝からの症状が風邪による関節痛の一種かもしれないと思うようになっていた。また、トイレで自分の尻を拭うのがギリギリになっていた。身体を横にひねるという行動に制限が出始めていたのだ。
日曜日の夜、布団に入ると寝返りを打つのが辛かった。このときになって、この痛みの原因は風邪ではないと思うようになり、月曜日は病院に行こうと思うに至る。次に取る行動は、何科を受診すれば良いのか?の情報を得ることであったが、これは困難を極めた。そもそも腰痛ではなくて背中の痛みであるため、ネットで情報を検索する際のキーワードも適切なものが思い浮かばない。途中で「ぎっくり背中」というキーワードにも遭遇したりしたが、結局、何科を受診すれば良いのかわからなかった。
月曜日の朝、何科を受診すれば良いのかわからないという状況だったため、いっそのこと無理して出社してしまえ!!という考えに至った。ところが、普段通り(=ギリギリ)の時刻に出発したところ、普段通りの速度で歩行できなかったため、出社しても遅刻だという状況に陥った。そこでようやく「何科でも良いから受診しよう」と考えるようになり、自宅へ引き返した。
このとき、靴下を履いたり脱いだりするのに数分かかるほどに痛みが進んでいた。背中を曲げることが難しくなっていたのである。
適当に見ていた知恵袋では整形外科を受診すると良いと書いてあったので、「知恵袋かー」と思いながらも、近所の整形外科を探し始めた。
近所の整形外科を検索したところ、普段のIngressの徒歩行動範囲内に4件存在することがわかった。
この病院検索サイト、検索結果から公式のWebサイトへのリンクが一切張られていないため、大変使いにくかった。病院のリストくらい行政が提供してくれよとも少し考えた。
4件の検索結果のうち2件は紹介状が必要であり、あと1件はWebサイトが1990年代の構造であった。最後の1件は紹介状無しでの外来受付がありWebサイトもここ数年に作られた感じがしたため、そちらへ向かった。徒歩で。普段のIngress活動範囲とは言え、かなり辛かった。
病院の窓口に到着して初診である旨を伝えると、お姉様から「どんな症状ですか」と訊かれた。「背中が痛いです」と返すと、「じゃあ整形外科ですね。」と言われた。人生で初めて、知恵袋を信じて良かったと思った瞬間である。
1時間ほどの待ち時間のあと、医師の診察を受けた。症状を一通り伝えると、次のような検査を受けた。
2回目の診察の時にきいたのだが、これらの足の機能テストは、神経がやられているかどうかを判断するためのもののようである。
レントゲン撮影の結果、椎骨(ついこつ:背骨の構成要素)の間隔が1カ所だけおかしい場所があって、そこで椎間板ヘルニアの疑いがあるとのことだった。
MRIによる精密検査を勧められたので、検査を受けた。検査結果は水曜日に出るとのことだった。
その場では、痛み止めとコルセットを処方してもらい、生活する上で気をつけること(コルセットの装着法、痛くなったら深呼吸して落ち着きなさい、など)を聞いてから帰った。
水曜日、かなり回復してきて、コルセットつきであれば可能となる行動が増えて来たため、午前中だけ会社に行き、昼から病院へ行った。
MRIでの検査の結果、やはり椎間板ヘルニアだったということを告げられた。
症状は軽くなっていたので軽い気持ちで診断結果を聞くことができたが、こうやって時系列で振り返ると、やはり重い話だよなぁと思う。
<<注意>> ここで紹介している医師のコメントやアドバイスは…
というものであるため、腰痛などで悩んでいる人は自ら医師に相談することが望まれる。
椎間板ヘルニアについて
仕事について
デパス(エチゾラム)を服用し始めたのは二年前、進学のため地方から上京し一人暮らしをはじめて間もない頃だったと思う。
もともと人付き合いが得意でなく、対人関係における不安感があった。
また大学という新しい環境に馴染むことができず、その当時軽度の抑うつ状態にあった。
心療内科等の医療機関を受診することには抵抗があったし、その必要もないと感じていた。
ネットで調べてみるとで抗不安薬を個人輸入することができると知り、安易な気持ちでジェネリックのエチラームを購入し使ってみた。
服用し始めてた当初は、一日に一錠(1mg)服用するだけで不安感は消え、気分もどんよりとした曇り空が青空になったような感じがした。
以前より社交的になり友人の数も増えた。
しかし薬物依存陥る典型的な例にもれず、一日一錠が二錠になり、三錠と四錠と増えていき、今では平均十錠ほど服用している。
断薬を試みたこともあるが何度も失敗した。自分自身が経験した離脱症状としては、慢性的な身体のだるさ、気分の落ち込み、活動意欲の低下、またイライラしやすくなった。
デパスにももちろん副作用があって、自分が顕著に感じたのは記憶力の低下だった。つい最近では友人の名前をど忘れして自分自身ショックを受けた。
言いたいことは、簡単に手に入るからといって安易に飲んじゃいけないってこと。
ちなみに大学は中退し、皮肉なことに今は精神科で助手として働いている。働き始めて薬の恐ろしさを思い知った。職場の人間は俺がデパスを飲んでることは知らない。
部屋が片付けられない。
しなければいけないことを脇において、違うことをしてしまう。
誰にでもあることだって、よく言われることだってのを、知っている。
でも、ずっと出来なかった。
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小学生の頃、教育熱心な親に課せられた宿題と学校の宿題の板挟みで、
どうしても終わらせられなかった宿題が気になって眠れず、翌日学校を休むという本末転倒なことが幾度かあった。
高校生の頃、定期試験前はいつも、一夜漬けで勉強をしようとして教科書を開くのに、
友人関係恋愛進路と日々の悩みが頭をうごめき、結局朝方の二時間しか勉強に集中できなかった。
社会人になった今、徹夜でプレゼン資料をつくろうと気合いを入れてファミレスに籠るのに、
業界動向や新人教育など気になる事で頭が騒がしく企画がまとまらず、朝一時間でなんとか要点をまとめ資料に落とし慌てて提案へ向かう。
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このままでは、ただの、仕事ができないヤツだ。
いつも頭を抱えながら誰かにせっつかれて進める。
多動児にとってハーネスは命綱です。世間の皆様のご理解をお願いします。 - うちの子流~発達障害と生きる
http://nanaio.hatenablog.com/entry/2015/03/03/094632]
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Twitterで大炎上していて、子供のいない自分でも目に入った。
もしかしてと思い、他の記事を読みあさり、関連キーワードで検索した。
自己診断チェックシートは、自分に当てはまる項目ばかりだった。
もしかしたら、そうかもしれない。
予約は一ヶ月半待ちだった。
いまの自分の状態を説明しながら、ようやく人に話せた安心感で、涙が出てきたことを覚えている。
もうすぐその予約の日がやってくる。
もし診断結果が予想と違っても、この悩みを専門家に相談できる。
ただそれを考えるだけで、いい大人がまた涙を流しそうになる。
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まだ診断も出ていないし自身にとって思わず涙するほどセンシティブな事項なので、
はてなをきっかけに、ADHDの診断を受けることを決めた自分がいる。
はてなやっててよかったなぁ。
もう一仕事して、華金といこうじゃないか。
元々人間関係に疲れ強い抑鬱状態だったのだが、その時にある人からお前はおかしいと言われセルフチェックをしたのがきっかけだった。
ADHDの項目にほとんど当てはまったので心療内科にその旨を伝え受診した。
カウンセリングとは言っても自分の場合は30分ほどほぼ自分が話をしただけだよ。
何がチェックポイントなのかはわからなかったが普通になぜ自分が発達障害だと思ったかに始まり
自分の考え(変とは言われるが発達障害ではないと思うということ)や今までの出来事など思いつくままに話した結果が恐らくADHDだろうという診断だった。
ただ、環境への適応能力は非常に高いらしく、実際家族や友人にカミングアウトしたところで誰も気が付いていなかった。
昔から少し変わっているとは言われ続けてきたけどな。仕事だって裁量が大きいほど思い通りにできる。
元増田は診療中に上手く伝えられないということだが、あらかじめ発達障害の件も含めて伝えたうえで受診するべきだと思う。
「過去にADHDを疑われた。はっきりとした診断はなかったがそういう傾向があるものと捉え、上手くやりくりして生きてきた。
だが今になって仕事や将来についての不安が大きくなり、生活に支障が出てきたので相談に来た。」と最初に伝えるべき。
言いたかったことを本番で言い出せなくなるのはよくわかる。切り出すタイミングが掴めないよな。
そういう時は言いたいこと、聞きたいことをあらかじめメモして行け。
俺はスマートフォンにメモして臨んだ。そうしないと忘れちゃうからね。
28歳で突然言われても人生設計において対処のしようがないからね。今本当に苦労している。
俺も普通であろうと生きてきたよ。
子供の頃から自分はどこか周りの人間とは違うなと漠然と感じてきたから。
だから普通であろう普通であろうと意識して意識して意識した末に医者に言われた言葉は
「普通に生まれてきたわけじゃないから普通になるのは無理。受け入れた上で生きやすいように生きなさい。」
だったよ。
一ついいことを教える。ADHDの利点だ。
それは重度の精神障害であっても気の持ちようで驚くほどすぐ寛解すること。
元増田は理屈屋だろ?理屈で考えるんだ。今の自分が精神的に参っているのはADHDだから仕方ないってね。
俺もうつ病一歩手前の抑鬱状態だと言われ、発達障害よりもそっちのほうが問題だと言われたが
「自分はADHDだったのだから今まで感じていた生き辛さもしょうがないな」と思ったら薬を飲まなくても1週間ほどで心が晴れた。
もちろん家族や友人が受け入れてくれた、というよりも「今までと何も変わらないでしょ?」という態度でいてくれたことも大きい。
元増田も親は知っていて、嫁さんも会社もお前さんの症状を認識してくれているわけだろ?じゅうぶん幸せじゃん。
俺らのような人間にとって一番辛いのは自分が感じている辛さを「誰にでもあること」と否定されることだからね。
誰にでもあることが生活に支障が出るレベルならばそれは障害なんだが、まあその手の人間は理屈を理解できる頭は持ってないからね。
笑って流しとけば問題ないさ。
1、その人たちは何を目的にそれを行っているのか
2、その人たちの給料は誰が出しているのか
といった兵站部分を分析してみると、あまりにも非現実的であることがわかると思う。
たとえば道行く車のナンバーをすべて張り替えてメッセージとして読めるようにするためにどのくらいの金額が必要かわかるだろうか?
ドライバー一人に日給として1万円払うとして、メッセージとして読めるくらいにするためには100台くらいは必要だろうから、
最低でも100万円はかかる。当然、レンタル代もかかるし、ちょうどいいナンバーの車を探す手間もあるから200万くらいだろうか。
もしも実際に集団ストーカーを行うと、年間何億円もかかってしまう。
中2病についてどう思う?
「世界のどこかに秘密組織がいて、自分を狙っている」というアイデアはリアリティがありますか?
もしも、「リアリティがある」と思うならば統合失調症の可能性が高いので、心療内科を受診されることを強く推奨します。
昔に比べると投薬が有効なケースもあるようだ。
http://anond.hatelabo.jp/20150309102842
↑を書いた者です。
トラックバックして下さった方ブクマして下さった方ありがとうございました。
声をかけてもらえたこと本当に嬉しかったです。
流産するかもしれないと言われてから、流産でしたと診断されるまでの3日間、ずっと「流産」「初期 流産」等と検索ばかりしてました。
沢山の方の経験談を読んで、ああ自分だけじゃないんだな、と救われました。
なので、私もここに書いておこうと思います。
普通は最終生理日から考えるのかもしれませんが、生理周期もバラバラだし生理日がものすごくずれていたので、
なるべくわかりやすい様に「受精したと思われる日を妊娠2週目」として書きますね。
かなり小さめですと言われる。たしか3mmと言われた。
鈍痛がありますと言ったら、そういうこともある、我慢出来ないほど酷い腹痛や大量の出血があったらすぐに来てとのこと。
相変わらず腹痛
おりものに少量の血が混じっている
受診するべきなのか?迷うがこの日は行かず、大人しく過ごす。
朝一で産婦人科へ
このまま出血が続けば流産の可能性はかなり高い、でも何も出来ない、ただ待つしかないと言われる。
「感覚的には厳しいと思います、過度な期待はしない様に」とも言われる。
アドナ錠30mgとダクチル錠50mgを処方され、早めに再受診するように言われて帰宅。
早めに・・・というのは「もしも手術が必要な場合は早い方が良いので」ということでした。
とにかくずっと断続的にお腹が痛い。
出血は、生理の様に『じっとしていてもドッと出る』のではなく、トイレに行く度に・・・という感じ。
夕食後ものすごくお腹が痛くなり、トイレと部屋を4往復くらいした。
この時は便器が染まる様な酷い出血もあった。腹痛が辛くてあまりきちんと確認出来なかったけれど
症状は前日に同じ。
とりあえず冷やさず、安静に過ごす。
腹痛の頻度が前日の半分程度になる。
出血量も明らかに減っていて、ああ、おそらく流れていってしまったのだろうな…となんとなく思った。
子宮の壁も薄くなっていて、念のため経過は見るけれどおそらく手術は必要ないでしょう、と言われる。
翌週もう一度検査をして妊娠反応が出なければそれでおしまい、だそう。
とても短い妊娠期間だった。
「塊は出ましたか?」と聞かれたけれど、塊が出た様な感覚はありませんでした。
生理2日目の様な、ちょっとドロッとした感じの出血は数回ありました。
ネットでは「大量出血した」「ものすごい腹痛だった」等と見ましたし、平日は幼児と2人っきりなので何よりそれが怖かったのですが、そういうことはありませんでした。
先生も言っていたけれど『今回の生理は何か変だな』程度で気付かず終わってしまってもおかしくない感じでした(そういう人もいるそう)。
受精卵自体の生命力に問題があったので、次の妊娠も全く問題はないけれど、念のため1周期分は見送って下さい、と言われました。あと性交渉も控えてと。
これが手術になった場合は3周期くらい見送る方が良いそうです。
「流産かもしれない」と言われてからは先が見えなくて精神的に辛かったですが、流産と診断され、手術等もしなくて済みそうでホッとしたというのが正直な気持ちです。
あまりオカルトっぽいことは言いたくないのですが、欲しくて欲しくて授かったというタイミングではなかったので、親の動揺っぷりにお腹の中で空気を読んでしまったのかな、と思ったりしています。
それでも、発覚してからは「大きくなるんだよー」と夫婦で声をかけたり、上の子とバランスのとれそうな名前を考えたり、前回買いそびれた可愛いベビー服のカタログを見たり、
嬉しい気持ちがあったのも本心でした。なので、残念です。
何かあったら、と双方の両親にしか話していなかったのは正解でした。
義父がとても残念がっていたので、夫の両親には言わなくても良かったくらいだと思います。
口にしないだけで、こういう経験をされている人が大勢いるんだろうな。
夫はひたすらサポートに徹してくれました。
早起きして私の分まで家事をしてくれたり安静にしていられる様に上の子を連れ出してくれたり。
「自分がいない時に大出血して倒れたらどうしようと不安で、仕事中携帯が気になって仕方がなかった」そうです。
陰も形もない我が子へ思いを馳せるのは難しかった様ですが、私の体のことをとても心配してくれてありがたかったです。
タイミング次第ではきっと妊娠したことにさえ気付かなかっただろうと思います。
気付いたら流産を止められたのか?というとおそらくそうではないですが。。。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1042960985
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1208953.html
http://halproject.blogspot.jp/2013/01/blog-post_25.html
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身近な人に聞けない分、ネットで体験談を色々読めたのは本当にありがたかったです。
わからないなりに先の見通しが立つことで落ち着くことが出来ましたし、手術の心構えや準備(夫・実母への協力要請等)も出来ました。
誰かの知りたかった何かが書けていれば良いな。
長々と失礼しました。
インターネットで「各地で、電磁波犯罪と集団犯罪を行っている」「集団ストーカー犯罪とテクノロジー犯罪の側です!」などと書き込んでいた男性が男女5人を殺害したという事件が起きた。本件がそうかどうかは判断を保留するが、一般的には「集団ストーカーから被害を受けている」というのは統合失調症のそれほど珍しくない妄想である。
精神科医の適切な介入が望ましいのだが、患者本人は精神科への受診を望まない。病識に乏しいのがこの病気の特徴の一つである。自傷多害の恐れが出てくるまでは強制的な医療介入は難しい。そういう状況下で、精神病として扱わない医者が現れたらどうだろう。
「集団ストーカーは妄想ではありません。あなたを精神病扱いしようとしている連中のほうが間違っているのです」
と言ってくれる医者に傾倒する患者がいても不思議はないだろう。「電磁波から体を守るサプリメント」か何かを売りつければ商売になる。しかし、当然のように病気はよくはならない。むしろ悪化させる。
こうしたインチキ医者に対して批判するまともな医師もいるだろう。しかし、患者から見たら、このインチキ医者を批判する医師たちのほうが悪く見える。「精神病扱いされて傷つきました」「お前は本当に医師なのか」「お前のことを嫌っている患者はたくさんいる」等々。これは病気がそうさせている一面があるから仕方がないと言える。しかし、患者ではないが、インチキ医者を批判する医師の悪口を言いたいがゆえに患者を利用する輩は言い訳できない。「ご自身が傷つけた患者さん方にきちんと答えたらどうですか」「患者さんらと直接真摯な話し合いをすべき状況にある」「患者さん方との関係を修復なさってください」などと、インチキ医者を批判した医師に対して言うだろう。
※以下の文章には、性暴力に準ずるような描写が含まれています。ご注意ください。
学生の頃、友人(男)宅で酒を飲んでから寝ようとしたところ、その友人に手コキされたことがある。
その友人が同性愛者だということは知っていたし、なぜか同じベッドで寝る流れになったのも後から考えればおかしな話なのだが、まさか自分が男に好かれているとは思っていなかった純真無垢(=童貞)な当時の僕は、素直に同じベッドに入ってしまったのである。
最初は冗談で局部を触ってきているのかと思ったのだが、だんだん本気になってきて、どこで止めていいのかわからなくなってしまった。眠ったふりをしてやり過ごそうとしたが、結果的にされるがままの状態になってしまった。そしてそいつは「起きてるんでしょ?」とささやきかけてきた。
今ではこのときのことを平気で思い出せるし、「文章に起こしてみると、なんだかエロいシチュエーションだなぁ。相手が男であることを除けば」と感じる余裕さえあるが、当時の僕にはもちろんそんな余裕は無かった。
しかも具合の悪いことに、僕の局部はそれなりに反応してしまっていたのである。
酒に酔っていたせいだろうか?いや、正直に言おう。僕の局部はそいつの手コキによって確実に快感を得ており、その快感を脳へと伝えてしまっていた。お、この文章、ちょっと村上春樹っぽくね?「僕のペニスは、確実にその快感を脳へと伝えてきていた」。って、どうでもいいか。つーか冗談でも交えなきゃこんなこと書いてられないっつーの。話を戻します。
そして同時に、快感が存在するという事実が、恐ろしいほど不快だった。男に手コキされて感じている。そのことが、僕の心に深い混乱をもたらした。お、また村上春樹っぽくね?そうでもないか。
またしても正直に言おう。僕は「いっそ出してしまえばこの不快から逃れられるのではないか?」とさえ思った。でも、不快が快感を上回っていたせいか、出ることもなかった。
結局にっちもさっちもいかなくなったので、思い切って寝返りを打つ振りをして強引に背中を向けたら、なにもしてこなくなった。
あまりにショックだったので、その後のことはよく覚えていない。翌朝は何ごともなかったかのように一緒にサークルに行った(そいつとは同じサークルに所属していた)のだが、それ以降、そいつと会話することも目を合わせることもできなくなってしまった。別の友人たちに「何かあったのか?」と聞かれたので、仕方なく、ごく数人にだけ「性的なことをされた」ということだけを伝えた。
なぜそいつを直接糾弾しなかったのか。もちろん、そいつのサークル内での立場を貶めることが僕の本意ではなかった、という理由もある。
しかし今にして考えれば、僕は「あること」を恐れて、自分がされたことをなるべく他人に教えないようにしたのだと思う。
それは、他人に「なぜ本気で抵抗しなかったのか?」と思われてしまうことへの恐怖だった。このへんは、女性の性暴力被害者が泣き寝入りしてしまうのと同じ構造なのではないかと思う。
そしてなにより僕は、いかに不快のほうが大いに上回っていたとはいえ、現実として、実感として、快感を覚えてしまっていた。そのことも、僕の心を挫かせた原因だったに違いない。
その後そいつからは、「どうして無視するんだ」というような手紙を頂戴した。おめーのせいだろうと思ったが、それでも無視していたら、今度は「好きだった。あんなことをしてゴメン」という手紙を寄越してきた。いちいち手書きの手紙を手渡してくるあたり、ずいぶんとガーリーなやつだったなぁ。どうでもいい。
結局サークルは辞めて、そいつのことは卒業するまで無視し通した。というか、「そいつを避けようとする無意識の働きに任せるままにした」と言ったほうが正確か。
後々になって、その事件の前にそいつとやりとりしたメールを読み返してみたところ、どうもそいつは、僕のことが好きだということをメール上でほのめかしていたらしい、ということがわかった。その時のやりとりはだいたいこんな感じ。
友人(男) 「好きな男の人がいる」
僕 「Aさん(先輩の名前)?」
友人(男) 「違う」
僕 「あぁ、だいたいわかった」
このとき僕は、そいつがBさん(別の先輩)のことを好きなのだろうと勘違いして「だいたいわかった」と言ったのだが、どうもそいつはこのやりとりで、自分の気持ちが僕に伝わったと勘違いしたらしい。しかし何度も言うようだが、当時の僕はまさか自分が男に好かれるとは夢にも思っていなかったのである。このへんはあくまで推測なので、本当のことは分からないのだが。
で、僕はそいつの家にのこのこついていき、酒を飲み、同じベッドで寝てしまった。そいつにしてみれば、きっと「お泊り」気分だったに違いない。悲しい恋のすれ違い。しかも相手は男である。
こういう経験があるので、僕は性暴力の被害者に対して「被害者にも落ち度があった」というようなことを言うべきではない、と考えている。誰だって、24時間365日、性暴力に注意しながら生きることは出来ない。まして友人や恋人というのは、本来そのような警戒をしなくていいような相手であるはずだ。
今回僕が遭遇したように、被害者の側が「そんなつもりはなかった」というケースもきっと多いに違いない。よっぽど自信過剰な人でない限り、「まさか自分が好かれるわけがない」と思って生きているはずで、そのような考え方は落ち度というより、むしろ「常識」の範疇に入るものだろう。
その事件が僕にもたらした精神的ショックはあまりに大きく、そのあとの1年間くらいの記憶は今でも曖昧だ。数日間、食べるものの味が全くしなかったことは覚えている。あとその直後の正月に、「あんなことがあっても、年って、開けるんだな」となんとなく思った。意味はよく分からないが感覚は伝わると思う。
そしてその後数年間は、不意にその夜のことを思い出してしまう、いわゆるフラッシュバックに悩まされた。もし心療内科を受診していたら、立派にPTSDと診断されていたのではないかと想像する。そのせいでだいぶ性格が暗くなった気がするが、元々暗かったような気もしないでもない。
今ではフラッシュバックが起こることは全く無くなり、このような文章を平常心で書くことも出来るようになった。
もちろん、忘れるためにはそれなりの努力が必要だったし、色々なものを犠牲にしなければならなかった。同時に関係のない色々なことも忘れてしまったような気がするが、なにせ忘れてしまったことなので、忘れてしまったことを思い出すことは出来ない。
自分は同性愛者なのではないかと悩んだこともあったが、今のところは男性を好きになったことはないので、今のところは自分は同性愛者ではないと思うことにしている。別に同性愛者になりたくないわけではない。でも誰だって、特に若い頃に、自分の性的指向がわからなければ真剣に悩むだろう。関係ないが今の自分は女の人が好きすぎて困っている。というかおっぱいが好きだ。巨乳も貧乳も好きだ。
そんなこんなで色々あったが、現在の僕はそれなりに元気に暮らしている。若干社会不適合気味だが、いちおう日々努力しながら、心と身体だけは健やかに生きている。
……いや、もうひとつだけ正直に言っておきたいことがある。思い切って言ってしまおう。
冒頭のあたりで「エロいシチュエーションだなぁ」と形容したところの文章を書きながら、僕の局部は少しだけ反応してしまっていた。
いや、冗談ではない。このことには何か重大な問題が隠されている気がする。どうして僕の心は、身体は、興奮を覚えてしまったのか。同性愛者じゃないのに。
よくよく考えてみた結果、ひとつだけ合理的に説明できる仮説を思いついた。少々はばかられる内容だが、せっかく匿名なのだから書いてしまおう。
性暴力は、暴力であると同時に、エロいものなのだ。抵抗できない人間を、ムリヤリ犯すのは、エロいことなのだ。
もちろん、許されざる行為であることは間違いないが、それでも、エロいことに対して、人は興奮せずに入られないのではないか。
今の僕には、この仮説を受け入れられるだけの余裕があるが、これって、ほんとうはものすごく恐ろしいことなのではないかと思う。
もしも重大な性暴力の被害を受けた人が、そのことを思い出して「エロい」と感じてしまったら、どれほど心が傷つくだろうか。
「心が嫌がっているのに、身体が反応してしまう」というと、まるでエロ漫画のセリフみたいだが、そのような経験が、どれほど深く人の心を混乱させ、苦しめるか、その一端を、僕はほんの少しだけ知っている。冒頭のあたりで書いたとおり。
性暴力被害者の中には、自殺をしてしまう人もいるそうだが、もしかすると、そのようにして心を痛めて、自らを物理的に傷つけてしまう被害者もいるのではないか……。
本人の意志に反してムリヤリに快感を与えることは、場合によっては単純な暴力を与えるよりも、もっと深く人を傷つけることになる、と思う。「ねじまき鳥クロニクル」で「ワタヤノボル」が「加納クレタ」にしたように(って記憶だけで書いてるけど合ってる?)。
というわけでみなさん、性暴力は、決して、しないでください。
一週間前に妊娠が発覚して、
10日後に来てねと言われたのだけど、その2日後から出血が始まって
ということで薬をもらって早めに再度受診することになった。
先生は「このまま出血が続いたらかなり厳しいと思う、過度な期待をしないでください」と言った。
妊娠発覚からずっと生理痛の様な腹痛があって、つわりらしき症状は全くなくて、ものすごく違和感があった。
だから正直言ってそれほどの驚きは無い。
数年ぶりで2度目の妊娠だった。
発覚した時に思ったことは「あちゃーやっちまったな・・・」ってことと「もう2人目どうしようって悩まなくて良いんだ」ってことだった。
正直タイミングが良くなくて、どちらかというと妊娠には消極的だった(きっちり避妊まではしてなかったけど危険日は避けていた)中で、奇跡的な妊娠だった。
排卵が2週間もずれているなんて思わなかった。
それでも妊娠したんだから、これはもう2人育てるしかない、っていう妙な覚悟が出来た。
自分が、自覚している以上に「2人目をどうするか」悩んでいたこともわかった。
覚悟してたんだけど、やっぱり辛くて、気を抜くと泣きたくなる。
何が辛いのかよくわからないけど。
1人目の妊娠も、臨月までつわりがあったし産む時も2日かかって最後は帝王切開だし、妊娠出産ってハード過ぎる。
今、心底「もう妊娠したくないな」って思ってる。
自分の母だって流産を経て2人ちゃんと産んでいるのに、情けないことだけど、私にはもう耐えられない。辛い。
夫に泣きながらそう伝えたら「うん」とだけ言ってくれた。3人欲しかったのにね。ごめんね。
これを書いている今もやっぱり出血は続いている。
あと2日したらもう一度診察を受ける。
http://anond.hatelabo.jp/20150224144111
医者の後ろに控えている助手っぽいおねーさんが前はおばちゃんだったのに、今日は若くてきれいな人だったので威圧されてしまい、
目が行ったり目が合ったりしてしまうと申し訳ないとか怖いとか思ってしまって医者の方向を直視することすらできなかった。
「昨日はダメでした」「効果はいまいち実感できてません」「副作用かわかんないけど眠気がだいぶ強いです」
と言っていたら薬の内容が調整されて、二週間の自宅療養を要するという診断書を作成されて、
はいじゃあこれでおしまい、もういいですよ、って感じで帰されてしまった。
数瞬、あ、あう…と物言いたげにしていたけれど、看護師さんがさっと出てきて「はいはいもういいですよ上着もってねー」と誘導されてしまって何も言えず。
相変わらず発達障害の「は」の字も出せないし、
今対処中のパニック障害が最初に起こった時の事を前回思い出せなくて話せていなかったので、
話しておきたかったのだけどそれすらも言えなかった。
前にもらったトラバにもあったけど、ドクターや病院の姿勢と自分の求めている治療があまり相性がよくないのかもしれない。
最後に何かありますか?的なフリだけでももらえればいろいろ喋れそうなんだけど、
それぐらいなくてもちゃんと言えよ治す気あんのかボケという気持ちと、
あの流れ作業っぽいやり取りに口をはさむのは自分にはかなり難しいよなあという気持ちでぐぬぬってなる。
なんかもう何度受診してもあの感じだとこちらから話題に出すのは難しそうであきらめに似た気持ちになってしまっている。
会社の対応待ちだけどとりあえずじきに休職に入りそうだし(もしかしたらそのまま退職勧奨されるかもしれないけど……)、
平日も体調が良ければ動ける状態になるのを活かしてセカンドオピニオンを兼ねてカウンセリングもやってますよみたいな心療内科を別で探して受診するべきだろうか。
ところで、仮にカウンセリングみたいなのを受けていったい何を話すんだろう、と考えていて、
苦手な人はいても嫌いな人とかいないし悪い人もいないいい会社だなあぐらいに思っていたんだけど、
ミーティングや報告会を除くと「おはようございます」「お疲れ様です」「わかりました」「了解です」「調べておきます」「対応しました」
といった定型文以外の会話って、週に1回するかしないかって感じなことに気付いた。
その1回も、近くの席の雑談から急に話を振られて「ん?ああ、ははは(わかんないので愛想笑い)、そうなんですか」みたいなの。
すぐそばの席では上司や先輩がよく談笑していたりするんだけど、そういえば自分から誰かに話しかけたりとか、今までほとんどしたことない。
というか仕事中に何を話したらいいのかわからない。仕事の話ですら相手の時間を奪うのが申し訳なくて割と億劫だというのに。
もしかして俺、あんまり会社に溶け込めてないのかな?と思ったんだけど、もしそうだとしたらその事実に5年以上気づいてなかったことがまず恐ろしい。
そういえば学生の頃、上級生からいじめられてたのに、周りが教師に言って教師に呼び出されるまで自分では気づいてなかったりした。
どうしようどうしようどうしよう、なんか会社が怖くなってきた。うわああああ
家から出られないとかで会社を休みがちになって、前々からあった発達障害の疑いなんかも考えて精神科・心療内科の受診を決心したら、
今度は精神科・心療内科のクリニックの初診受付が狭き門すぎてどーすんだこれ困ったな……ってなってた者です。
お伝えしてました通りこれこれこーでまだ受診出来とらんのですと言うと、何日にこの病院に行って来いという(業務?)命令をいただきました。
大きい総合病院って待つし高いけど待てば診てくれる場所だったんですね、てっきり紹介状なし初診外来お断りだぎゃーって感じなのかと思って候補から外していました。
初診で5000円自己負担増えますけどまあ仕方ないのでしょう。
上司は精神科系クリニックが激混みだということ自体に懐疑的だったようで(そりゃそうか、私も行こうとして初めて知ったし)、
その場で私が今後の候補にあげていたクリニックに試しに電話を掛けてみましたが案の定撃沈してました。
「そんなの気持ちだけの問題なんじゃないの」とか「自分の気の持ちようで変わるんじゃないの」といったことを
いろいろと言われましたが、正直途中から聞くのをやめました。ごめんなさい。
発達障害に関しては自己診断の段階で言いたくないというのもあって一切会社には伝えてないので、
単純に「電車とかが極端にダメ、ちょいちょい外出れない」っていうそれだけでも社会生活送る上で十分アウトな部分についての受診になりそうです。
一応、病院で話には出してみますが、成人の発達障害を診れるのは系列の別の病院のようなので、
疑いありとされて本格的に診断となるとそっちに移されそうな気がしますがどうなんでしょう……。
こうして大きな病院は混むのか、申し訳ないなあ、と思いつつ確実に診てもらえそうな目途が立って少しホッとしています。
そして、めちゃくちゃ苦手なかたっぱしから電話を掛ける的な作業がなくなったので、それにも安堵している自分がいます。
家で原稿を用意してシミュレーションをして気持ちと呼吸を整えてからでないと初めての場所に電話がかけられないんですよねえ……。
安心を3,2400円で買えるなら…と胎児ドック(超音波検査)を予約した。
予約した後に怖くなる。結果によっては堕胎するのか。
しかし、妊娠してからは胎児の存在を日々感じている以上堕胎する事に対する抵抗が凄い。
また、問題ない結果だったとしても、3000人に1人の割合なんて言われたら
その1人になってしまうのではないだろうか…と悩みそう。
ぐるぐるときりが無い。世の中の妊婦さんはどうやってこの不安と戦ってるんだろう。
そもそも「初期胎児ドック」を受けている人はどれぐらいいるんだろう。
受診するのか、しないのか。
結果によっては堕胎するのか、しないのか。
メモ:血清マーカーは別料金、追加で32,400円