はてなキーワード: 煩瑣とは
主に男性目線で書く。
結婚相談所というのは「恋愛というコミュニケーションをすっ飛ばして結婚に至るためのツール」である。世の中には様々な出会いのためのツールがあるが、その「コミュニケーションをすっ飛ばす」程度が高ければ高いほど料金が高くなる。以下、料金の低い順に述べる。
1. ナンパ
ナンパとは目当ての女性に自らの身一つでぶつかっていくという方法である。誰の力も借りずに自らのコミュニケーションのみによって相手と懇ろになることを目的とする。自らのコミュニケーションが100%だから、かかる料金は当然に0円である。
2.出会い系サイト
出会い系サイト(ハッピーメールなど)で出会う方法は掲示板での募集を見てメッセージを送るか、プロフィールからメッセージを送るか、いずれにしてもこちらからのアクションが求められ、会うまでにはメッセージでのコミュニケーションが要請される。出会い系サイトはあくまで出会いの場を提供するだけであり、出会うためには能動的なアクションが求められる。従って以下で述べるが、マッチングアプリと比べれば格安であり、メッセージの送信はおよそ1通50円である。
3. マッチングアプリ
マッチングアプリ(タップルなど)というのは、あなたと相性の良さそうな人が次々と提示されてくるから、良ければ右フリック、良くなければ左フリックをして相手を峻別、相手も右フリックをしていればマッチング成立となりメッセージの送受信ができるようになる、という代物である。このマッチングアプリの巧妙なところは2点ある。一つは、自分が相手を自由に選んでいるように思えて、実はただAIが提示してきたやつを選択しているだけである点、もう一つは、自分が相手を選んでいるように思えて、実は相手にも選ばれているという点である。ナンパみたいに自由に能動的に相手を選んでいるように見えて、AIの手のひらの上で転がされているだけである。肝心なコミュニケーションの取っ掛かりの部分がマッチングアプリのシステムやアルゴリズムに全依存しているため、料金は月額3700円〜とお高めである。ちなみに、さらに上位のプランもあって、そのプランにすると相手が既読したかどうかがわかる、マッチングしやすくなる、よりクオリティの高い相手と出会えるようになる、などと喧伝されているが、これは弱者のためのプランと見せかけて強者のためのプランである。弱者のみなさんは間違ってもこのプランを選ばないように。
4. キャバクラ
キャバクラというのは疑似恋愛の提供される場である。女の子は皆「あなたに会いたかったんです」というような態度で接してくるのであり、向こうから積極的にコミュニケーションが発動され、こちらは例えばずっとふんぞり返っていたとしても二人の疑似恋愛が破局することはない。なぜならそれは疑似恋愛であり、恋愛ではないからである。本当の恋愛だったらピザでも投げつけられて終わりである。こちらから積極的にコミュニケーションを取る必要がないどころか、ホスピタリティのある女性が向こうから好意的に接してくれるのでおよそ1時間5000円とかなり割高である。
5. 結婚相談所
結婚相談所というのは「恋愛というコミュニケーションをすっ飛ばして結婚に至るためのツール」である。対人関係においては常にコミュニケーションが要請される。ナンパで出会って食事するにしろ、ワンナイトするにしろ、交際するにしろ、コミュニケーションが必要だ。交際が始まったとしても、それを維持するためにもコミュニケーションが必要である。結婚がひとまずのゴールだとして、そこに至るまでに一般的には数年はかかるだろう。数年交際しても破局するカップルは山ほどいる。その出会い、交際の始まり、数年の交際の維持、婚約までにおける全ての「コミュニケーションをすっ飛ばして結婚に至るためのツール」が結婚相談所だ。従って、料金はいま調べたところによると、入会金約10万円、月額料金約15000円とべらぼうに高い。ただ、それらの煩瑣なコミュニケーションをスキップできるなら安いものだ、と考える殿方が結婚相談所を利用するのである。ちなみに、男性はそれらの煩瑣なコミュニケーションをスキップして「恋愛みたいな結婚をしたい」と考えている者が多い。逆に女性は、「結婚をしたい(養ってほしい)」と考えている者が多い。つまり男性は愛をくれと言っているのであり、女性は金をくれと言っているのである。両者の意見が噛み合うはずがないのである。
人間を男と女、はっきり二分できるものでないことは科学的にも明らかで、世界に男と女しかいない前提の制度の運用を続けるのも人権上問題が大きい。
スポーツで女が男に勝てるわけがないというのはそれこそ固定観念、偏見というもので、軽量級の男子が重量級の女子に勝てないことは当然にあり得ることだろう。
つまり男女関係なく体重や筋肉量などフィジカルの客観的な数値で階級を分けて競技させるよう制度を改善すればいいのだ。
結果的に軽量級の大半が女子が占めるとしても異性を排除するという理屈がそこに働かない以上そこに性差別が介入する余地はない。
また一般的な女性よりも素質的に並外れて筋肉量の多い女性は男性が多く占める階級で競うことになり競争の公平性も担保される。
いま仮に体重と筋肉量といったが現代のスポーツ科学であればもっと細かく競争の優劣に影響するフィジカルの能力値を測定して適切な階級を設定することもできるだろう。
男性よりも肉体的に劣っているに決まっている女性でもメダルが取れるように女流枠を儲けるなどそれこそ性差別の産物だ。
必要なのは公平な競争をするための階級制度であって、劣っている方の性に花をもたせるための差別的な区分けではない。
人々が公平な競争に真摯に向き合い、レギュレーションを詰める煩瑣を厭わないのであれば、パラリンピックを廃止して、障害者も1つのオリンピックで健常者とともに競い合うことができるだろう。
人類はもう誰もが同じ場所で競い合うことができる。必要なのは公平に競う合うための仕組みだけとそれを作ろうとする意思だけだ。
私はうんこを漏らしていない。
毎週日曜日にバイトをしている。知り合いの店の店長代理みたいなものである。
で、その帰りには決まってラーメンを食べることにしている。デフォルトで大盛りのいわゆる二郎系というやつだ。そのラーメン屋はスープがクリアで豚臭くないところがよい。大量の旨味調味料に依存していないことは食べればわかる。
その日、私は体調が芳しくなかった。しかし、毎週の習慣には打ち勝てず、迷いながらも入店した。サイドメニュー無料のクーポン券みたいなものを持っていたことも、入店を後押しした。期限が迫っていたのだ。
サイドメニューは餃子かチャーシュー丼であった。ミニチャーシュー丼もあったが、せっかくだからとミニではない方にした。コスパという言葉が好きだ。
メインディッシュは、普通のラーメンではなく、汁なしまぜそばにした。前に食べた記憶では、汁なしまぜそばはラーメンに比べて全体的にやや量が少ない。さすがに山盛りラーメンとサイドメニューのミニでないものを平然と平らげられるほど私は食いしん坊ではない。どちらかというと痩せ型だ。
この時点で私はうんこを漏らしていない。
漏らすわけないだろう。意気揚々と注文をしながら漏らしてるって頭おかしい。もしそうならこの文章のタイトルは「狂人日記」とでもなっているはずだ。私は狂っていないので、オーダーをしながら漏らすわけがない。
汁なしまぜそばは思ったよりも量が多かった。そして、ミニじゃないチャーシュー丼もそれだけで1食分くらいの量があった。おいおい。しかし、残すことは私の信念に反する。今までもこういったラーメン屋で残したことは一度もない。夕食を残したら父に激怒され家を締め出されるのではないかと怯えながら、出された飯を必死に食べていた幼年期が私の全てだ。
よし、食うぞ。
チャーシュー丼は非常に旨かった。サイコロ状のチャーシューがご飯の上に乗る。ラーメンのチャーシューとはまた違うトロトロのチャーシューであった。ラーメンのチャーシューはちょっと硬い。
汁なしまぜそばも旨い。旨いよぉ。この店は最高だな。あまりにも最高なので毎週通って常連パスをゲットしたくらいに最高だ。
問題なのは、ミニではないチャーシュー丼と汁なしまぜそばをオーダーしてしまったことだ。
どちらも半分くらい食べたところでお腹がいっぱいになった。腹パンパン。変な汗がどんどん出てくる。体調が悪化していくのを感じた。
そもそも体調が悪かったので、メシをいっぱい食べればよくなるかもという目論見もあった。前にそんなことがあった。しかし、今日はそういう問題ではなかったらしい。
まだうんこを漏らしていない。まだってゆうか今後も漏らす予定はない。私の消化器系はところてん式ではない。食べたそばから漏らす仕組みにはなっていない。なってたら常にトイレで飯を食まなければならないじゃないか。この時点で便意は1グラムもなかった。
数週間前、違うラーメン屋で濃厚煮干し中華そばを食べ、店内を出てすぐ嘔吐してしまった。本来は五年に一度ほどしか風邪を引かないほどの健康体なのに、昨年は3回も風邪を引いた。で、昨年の12月くらいからずっと体調が悪い。年末年始は謎の高熱で寝込んでいた。ここ数日は咳をする度に右の肋骨のあたりが尋常じゃなく痛い。
この症状についてパートのおばちゃんに話したところ「肺炎じゃないの?」と言われた。肺炎かー。肺炎という病気について私は寡聞であったのでウィキったところ、症状が当てはまるようであった。肺炎かー。いやだなあ。
閑話休題。
尋常でない満腹であった。私は肉が大好きだが、目の前の二つの器には肉が結構残っていた。もちろん、米も麺も残っていたが、肉を口に入れるだけで吐き気がした。ここまで肉が憎いことは今まで一度もなかった。なぜならそれはダジャレだからだ。
誤解を避けるために一応言うけど、ラーメン屋さんは悪くない。豚と小麦粉と米も悪くない。私の体調とオーダーが悪かった。
その後も頑張って食べ続けた。まじで頑張った。しかし、あと一口分のチャーシュー丼がどうしても食べられなかった。これ以上食べたら吐く、と本能が言っていた。汁なしまぜそばは完食した。「ごちそうさまでした」と言って逃げるようにラーメン屋を出た。大量の汗をかいていたので外に出た途端、非常に寒かった。
自転車で家まで帰る。店から出ておよそ30秒後、強烈な吐き気を催し、とっさに自転車を降りた。幸い、嘔吐することはなかったが、不快であった。家に着くまでに吐かなきゃいいな。吐くならせめて家に帰ってからだろう。
自転車を漕ぐ。家までは10分くらい。そのうち吐き気は収まってきたが、別の問題が浮上してきた。便意である。
4年くらい前だろうか。同僚と飲んだ後、徒歩で帰っていた途中にうんこを漏らした。長い橋の真ん中あたり。完全に便が100%出切った。夜で一人だったのが幸いであった。誰にもバレていない。この時、私は確実にうんこを漏らした。懺悔します。
あの時は漏らしたが、私は今はうんこを漏らしていない。なにしろ今は自転車に乗っている。すいすい進む。大丈夫、間に合うだろう。
楽観に反して急速に便意が激しくなる。やばい。結構やばい。住宅街を自転車で駆け抜けながら「やばいやばいよーまじでー」とだいぶ大きな声でひとりごちた。何でもいいから気を紛らわせないと脱糞しそうだった。肛門は一世一代の覚悟で頑張ってる。私は結婚していないし結婚をする意欲も予定もなく、私の肛門もそれはわかっていたと思うので、あり得たはずの孫の代までの肛門の力を発揮して頑張っていたと思う。
アパートに着いてすべきことはたくさんある。まず、自転車を自転車置き場に停めなければならない。そして、自転車に鍵をかける→自転車のライトを消す→荷物を持つ→2階の部屋まで駆け上がる→鍵を開ける→部屋に入る。いつもやっているこれら行為のいちいちが煩瑣だ。その間に漏れちゃったらどうするんだ。焦っている時ほど鍵穴に鍵が入らなかったりする。荷物が上手に持てなかったりする。なぜなら、肛門に力を入れながらこれら日常の行為もこなさなければならないからである。力と集中が分散されるのだ。
ようやく家に入った。家に入るまで私はうんこを漏らしていない。以前の俺とは違う。
懸案事項はもう一つあった。上着のチャックが馬鹿になっていることである。なぜだかわからないが上着を脱ぐときにチャックがスムーズに降りないのである。脱ぎ終わるまでに1分くらいかかることさえある。この非常事態にあっては、1分もあったら何が起きてもおかしくない。
荷物をぞんざいに室内に投げ入れ、上着のチャックを下ろそうとする。案の定、スムーズに下りない。家の明かりをつけるのももどかしい。肛門 vs チャック。私のリソースは双方に注がれている。うんこはテロリストだ。
私はうんこを漏らしていない。
チャックが下りるよりも先に肛門が緩みつつあるのを感じた。緊張と緩和とか言うけれど笑える事態ではない。別に上着を脱ぐ必要はないのだけれど、なんとなく便器には上着を脱いで座りたいじゃない。とは言え、いざとなったら上着のままトイレに駆け込めばいいのだ。最適解はそれしかない。
テロリストにカウントダウンはない。いきなり勃発する。あ、と思った瞬間にはもうむにゅっと出てるのだ。4年前の経験から学んだ。
私はうんこを漏らしていない。上着のチャックは下りない。トイレまでは五歩くらいでたどり着く。
あ、
こんばんは、カマキリのオスです。今まさに愛する妻に食いちぎられている最中、これを記述しています。
私には人間の営みがどのようなものであるのかは皆目見当も付きませんが、自分の宿命はわかっています。もちろん、生まれたときからわかっていたわけではありません。つい数分前までは恍惚でした。憧れの女性をようやく自分のものにできたのですから。
思えば彼女はクラスでは目立つ方ではありませんでした。しかし、自らの中に芯のあるような、そんな態度が私の心を惹きつけて離しませんでした。彼女も私もハナカマキリではなく没個性的なオオカマキリですが、私にとって彼女は世界に一人だけの高嶺の花でした。
きっかけは「ハリガネムシ、ついてるよ」でした。陸上部に所属していた彼女は卓越した身体能力で、私に寄生しようと試みていたハリガネムシを殲滅したのでした。きっかけは彼女の単なる善意から。彼女が意図せず作ってくれたそのきっかけを私は逃さず、その日から少しずつ彼女との会話を紡いでいきました。そういう意味では私はあの憎きハリガネムシにさえ感謝をしているのです。
私たちは会話を積み重ね、いつの間にかスキンシップによって愛情を確認し合うようになっていました。私たちはもはやいい大人です。その日がやってきました。
私の観察した範囲によると人間とやらはいつも衣服で身体を防衛しているので、一体全体どうやってその行為に及ぶのかわかりません。試合開始のゴングが鳴ったら互いに服を脱ぎ捨て、「さあやるぞ」という感じで事に及ぶのでしょうか。謎です。
その点、私たちカマキリは何しろ手がカマなので着衣・脱衣はおろか、そもそも縫製をする器用さを有しておらず、服を着ていません。煩瑣な手順を省いてスムーズに行為に至ることが可能です。
「賢者モード」を知っていますか? 行為後に訪れるあれです。噂には聞いていましたが、その賢者モードが発現しました。彼女に。
私が未曾有の快楽・恍惚に浸り切っており、オーガズムが緩やかに下降しながらも未だに全身の痙攣・頭が真っ白になる感じ・「君を愛している」と声高に叫んでやりたい衝動を心地よく感じている最中、彼女は私を文字通り蝕み始めました。幸い、脳内ではエンドルフィンが過剰分泌されていましたので、痛みは感じません。
むしゃむしゃ、と彼女は私を味わっているようです。昔から彼女は花や昆虫をとても美味しそうに食べ、その姿が私は大好きでした。嗚呼。私の愛する女性が、賢者モードと呼ばれるはっきりとした理性をもって私を食い散らかしている。
人間は幸福を神に祈ると聞きます。カマキリの世界に神はいませんし、いたとしても無条件に幸福をもたらしてくれるような存在ではないでしょう。私は今、幸福です。
運命を乗り越えることが勇敢であり幸福をもたらすという言説がありますが、私は違うと思います。宿命を黙って受け入れること。それこそが私にとって素晴らしい在り方です。
説教をするつもりはありません。もうあと数秒の命でしょう。私には最後に伝えなければならない言葉がある。君を愛している。出会ってくれてありがとう。
私は加計学園は深刻な問題だと思っていますが、その深刻さはよくある汚職事件に比べて理解しづらいので、整理します。
株式会社では、意思決定が正当であったかも含めて、すべての行動は、最終的には利益という結果をもたらしたかどうかで判断されます。結果は財務諸表に数字として現れ、誰の目にも明白にわかります。最終的には株式会社の取締役は利益によって評価されます。
政府ではそうはいきません。政府は、国民の幸福といった漠然としたものが目的なので、結果の評価はきわめて困難です。加計学園の話でいったら、新しく獣医学部ができることで、国民の幸福がどの程度増加したのかなんて、みんなが納得する形で提示することはできません。新しい工場や支店が企業にもたらした利益をはっきりと数字で表すことができるのと対象的です。
ですが、政府の行動も、何らかの形で評価を行い、改善していく必要があります。そのために使われるのが「手続きの正当性」です。皆が納得いくようなルールベースの透明性の高いプロセスを作り、そのルールに従っているかどうかで政府の行動を評価しよう、ということになっています。そのためにあの煩瑣な官僚の仕事があるわけです。
加計学園のケースでは、なぜ今、京都産業大学ではなく加計学園に決まったのかについて疑いがあるため、その決定プロセスを明白にしようと議会で活動がなされています。結果の評価がほぼ不可能な政府には、自らが選んだプロセスが正当であったことを説明し、国民を納得させる義務があります。
何らかの意味で管理する人間はすべて、ある程度の裁量権をもっています。ですが、それは裁量権の範囲ならばなにをしてもいい、というわけではなく、より上位の存在によって規定された目的に沿った範囲内である必要があります。
首相のケースでは、「違法でなければ何をしてもいい」わけではなく、「一部の奉仕者ではなく全体の奉仕者」である必要があります。獣医師の将来的な需給状況や、京都産業大学と加計学園のどちらがより適切かについて、官僚や審議会の専門家より首相とそのブレインがより深い知見を持っている可能性は少なく、首相の干渉がもし本当であったら、それは不適切である可能性が高いと思います。特に、片方が首相の親しい友人であるなら、疑いを避けるため、積極的に距離を置くべきでした。
国のトップに「違法でなければ非難されるべきではない」という評価を行うのは、とても悪い前例を残すことになる、とわたしは思います。なにも戦前の日本やナチスを持ち出さなくても、別の国で違法ではないが不適切な可能性が高い事例が、ここ2ヶ月に2件ほどあります。
イスラエルの軍事機密を、米国のトランプ大統領がロシアに伝えました。何を軍事機密に指定し、何を伝えるかの許可を出すのは大統領なので、この件で大統領が罪に問われることはありません。しかし、同盟国との関係を損ない、不当にロシアへ利益を供与したとして厳しくメディアでは糾弾されています。
トルコは昨年6月から今まで非常事態宣言下にあり、大統領は法律と同じ効力を持つ大統領令を自由に発令することができます。大統領令を用いて最大野党の党首を無期限拘束したり、自分に反対するメディアを閉鎖したりしています。
そんななか、トルコでは平常時でも大統領に独裁権限を与えるための憲法改正に関する国民投票が行われ、改正は僅差で可決されました。投票が行われた日の夜には「選挙管理委員会の印がない投票も有効にする」という大統領令が発令され、150万票がその結果有効になりました。その150万票がなければ国民投票は否決されていたといわれています。もちろん、この大統領令は合法です。
補足:これは id:toulezure さんの以下の記事に対する返信になります。
連休なので、過去のツイート編集を投稿して、3以上のブクマが付くかチャレンジ。
(今日は既に3つ投稿して、2勝1敗。『CMに見る日本人の女児嗜好の強さ』はメガヒットだな。)
今回は、一応自信作なんだが。
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お客さんとの契約書類とか、社内の決裁・伺、はては「個人交通費の建替払」のような書類ですら、記載漏れや添付書類不足を起こすような人。
いわゆる経理部とか総務部とかの人間からしたら、「なんでこんなカンタンな書類一枚も、作れないのか?」な低レベルだったりする。
でも、そういう人が「営業スキル」はピカイチで、契約を取ってきたりするから不思議だ。
『書類作成能力がある人』と『ない人』では、たぶん人間の種類が違っているんだろう。
★役所というのは『書類作成スキルがマトモな人』ばかりが集まっている場所。
役所の人間は、世の中に『書類作成能力が欠如している市民が、少なからず存在している』という事実を、全く想像すらしていない。
役所担当者は、『99%の市民は、書類作成スキルを持っているだろう』な前提で、各種行政を組み立てる。
マトモに対行政の書類を作れない市民が割といるということを、行政は意識せずに、行政サービスの手続きに書類作成を組み込んでしまう
★皮肉なことに「行政による弱者向けサービス」ほど、不正受給対策のために書類が煩瑣になる。
で、弱者向けサービスを必要としている層ほど、書類作成スキルが低い。
★世の中には「行政書士」という職業があるが、行政書士も相手にしないレベルのカンタンな書類、例えば「児童手当の申請手続き書類」なんかですら、
マトモに書けない市民なんてのもいたりする。
★「なにが言いたいか?」と言えば、
1.行政は市民とくに弱者市民の『書類作成スキルの低さ』を正しく計測把握すべきである
2.行政は可能な限りにおいて、要求書類数を減らすように行政サービス手続きを設計すべきである
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「行政書士はなんでも対処するが、むしろ行政書士の存在そのものが弱者に認知されてない。」とのRTを受けた。
★だから、弱者福祉って、「役所に来てください」「書類書いてください」な待ちの姿勢の行政じゃなく、
「何かありませんか?」とこちらから出向いていく「攻めの福祉行政」に転換すべきなんだろうな
★例えば「民生委員」とか「ケアマネージャー」とか、弱者のための各種スタッフ制度は、
「必要としている弱者」が「どれだけ彼らの存在を認知している」のか、疑問。
冗談抜きで、世帯年収200万円未満の人に「民生委員って、知ってますか?」と聞き取りアンケートすべき
★実際、ウチの妻なんか、
「民生委員って、そんな職業(?)があるんだ、知らなかった」と言ってるもんな。
一般人でも、実は民生委員制度の存在知らない人が3~4割いそうな気がする。
義務教育の過程で、『生活保護の仕組み』『民生委員の役割』『行政書士について』など、
『弱者に転落した際の、生存ライフハック教育』をすべきじゃないかと思う。
★生活保護なんかだと、一説には「行政は極力、制度を使わせないようにブロックしている」と揶揄されているが、
「行政が用意した弱者向け制度が、アピール不足等で全く弱者に周知されてなく」て、
「行政が利用率向上に躍起」という弱者向け制度は、実は結構多い。
行政が用意した弱者向け制度の利用率が低迷していると、ぶっちゃけ、「次年度以降、予算打ち切り」になっちゃうから、
役所側もメンツにかけて利用率向上のために啓発にいそしむんだよな。
なんか倒錯した話。
★で、有識者会議なんかが
「なぜ、●●という弱者救済制度の利用率は低いのか?」と雁首揃えて議論するんだが、
「手続きがややこしくて、申請を挫折する」みたいなプリミティブなハードルが高いということに、有識者は気づいてない
いちいち教育するより「共産党に聞きなさい」「公明党に聞きなさい」と教えた方が一発だったりする
共産党や公明党の地方議員は、その意味では下手な行政書士よりは機能している訳だ。
民主党がダメダメなのはこの辺だろうな。弱者が困った際の相談窓口の機能を、まるで果たしていない。
★変な話だが、共産党と公明党(の地方議員)同士で、『弱者救済競争』になって切磋琢磨してるんだな。
もし公明党が出現せず、弱者救済が『共産党の独占状態』だったら、共産党も胡坐をかいてしまって、弱者救済がおざなりになってただろうな。
『競争が好結果を生みだした』訳で、そう考えると、『創共協定』で両者を和解させようとした松本清張は、
『競争原理を、わかっていなかった』ということになるのか。
生活保護制度以外の支援政策って、自分も含めたほとんどの人は認知していないんじゃないかな?
人によっては、生活保護よりも最適な支援政策がある筈だったりするが、それが弱者にアプローチしていない。
「生活保護の一強状態」は、いろんな意味で日本の福祉行政を不幸にしている。
生活保護制度は、あまりにも有名になりすぎたが故に、給付を意図的に抑制するなどのイレギュラーな運用を強いられる。
「知名度がないから利用率が低い」
⇒「利用率が低いのは問題だとして打ち切られ、新しい制度が出来る」
⇒「新しい制度だから、なお一層知名度が低くなってしまい利用率が低下・・・」のデフレスパイラルに陥っている気がする。
本気で「弱者への福祉制度の効果的周知メソッド」を研究すべきなんじゃないか?
★この辺の構図は、「(本来は知の弱者のための施設である)図書館の活用法を、肝心の知の弱者が知らない」な話に似ている。
自分は「景品で弱者を釣る禁じ手を使ってでも、知の弱者の図書館利用率を上げろ」と考えてるが、「知名度低い弱者支援政策」も、景品で釣るべし
家に帰ると父の首に縄が巻き付いていた。目玉と舌はシンプソンズみたいに飛び出している。
俺が家を出る時はなにくわぬ顔でいってらっしゃいと声をかけていた父。そんな父は、今は糞尿と死後の煩瑣な手続きをまき散らすだけの厄介者となっている。いい気なもんだ。
俺はこれからのことを算段、実行。事は進み大学受験当日を迎える。一年前は難しく思えたこの学校の問題も今ではするすると解ける。なぜならそれらは代々川学園ゼミ高校講座でやったことがある問題だったからだ。
代々川学園ゼミは大学のサーバーにハッキングして入試情報を盗みそれを基にした教材を使い毎年大量の有名大学生を輩出する受験業界トップの企業だ。社長は青ペン先生という性別人種等一切不明の人だ。彼(と仮に言っておこう)は慈善事業にも興味があり、毎年複数の孤児を受け入れ自身の会社で死ぬまで働かせた。しかし世間は厳しくそんな彼を訴えた。訴えられた慈善者はテレビや週刊誌の俎上に上げられ社会的信用は無になった。
http://anond.hatelabo.jp/20141227084718
で予防接種制度の煩瑣さを嘆いた増田だが、ブコメの中で2件ほど「かかりつけ医」に言及してたのが、気になった。
曰く「かかりつけ医が適切に予防接種アドバイスしてくれるでしょう」
というか、この20年ほど、医者に掛かったことがない。
2.子供については、近所に3つある診療所の「どれか」に受診している。
また、なぜか日曜日に体調を崩すことが多いので、遠いけど日曜も診療しているC診療所に行く、とか。
小児科が近所に1か所だけ、という環境下だと、必然的にその診療所が「かかりつけ医になっていく」のだろうが、
自分の家族のように「固定的なかかりつけ医を持たず、サーフィンしている家族」も、案外多い気がする。
あと、イギリスなどの「かかりつけ医制度」、家庭医制度って、人口の移動が緩やかな国だから成立していると思う。
日本でも、東京世田谷区みたいに「有権者の2割は、前選挙時には違う選挙区在住だった」というほど人口移動が激しいエリアでは、
http://tokuteikenshin-hokensidou.jp/news/2013/003257.php
によれば、40歳代前半で、「かかりつけ医がいない」が3分の2を占めている。
30代・20代だと、たぶん「かかりつけ医がいない人が7割・8割」なんじゃないか?
なので、「かかりつけ医」の存在を前提としたブコメについて、「案外、世間の人はかかりつけ医を持っていませんよ」と指摘しておきたい。
日本脳炎予防接種の回数の名称がヘン。素直に「第一回」~「第四回」にすればいいのに、
「第1期初回接種1回目」「第1期初回接種2回目」「第1期追加接種」「第2期」。マンションの売り出しかよ
「第1期追加接種」という名称は、完全に失敗。
予防接種を受けさせる保護者の99%は素人なのに、素人が見て、何回目の接種かイメージできない。
★予防接種のスケジューリングがややこしいから、接種をネグレクトする保護者も、かなりの比率で存在するような気がする。
接種側の管理都合を優先させたような接種回数名称は、予防接種実施率を低下させる
★ちなみに手元の母子手帳を見たら「第二期接種」の欄が日本脳炎にはないし。
母子手帳だけ見た人は「日本脳炎の接種回数は3回だけ」と誤解する人がいても不思議じゃない
★予防接種がややこしいのは、
「A予防接種とB予防接種の間に一週間空けなさい」のような日程管理を強いられること。親にとっては苦痛。
★調べてみたら、「A予防接種とB予防接種の間に間隔空けなさい」みたいな予防接種行政してるのは日本だけのようだ。
アメリカとかは平気でA予防接種とB予防接種を「同日同時」にやってるらしい
また、「体温が●℃以上だから、予防接種はやめましょう」な忌避基準は日本が一番厳しいらしい。
アメリカは多少の微熱でも予防接種するので、予防接種スケジュールが狂わない
そして、予防接種をワンストップで受けられる、予防接種スケジュール管理の強い味方、
★つまり、「予防接種スケジュール管理」の側面では、日本の保護者が一番大変。
しかも予防接種は夜とか休日にやってないから、共働きの親は子供の予防接種の為に休みを強いられる
極論すれば、日本の予防接種のタイトスケジュールは、第二子出産を心理的にためらわせ、少子化の一因になる。
たぶn乳幼児予防接種行政自体が、専業主婦を前提にしているんだろうなあ。
★「A予防接種とB予防接種の間隔を空けろ!」というのは、ワクチン副作用を過敏に気にする1割の保護者が声高に主張して、
行政側のロジックは「ワクチン間隔空けたから、過敏に気にする1割の保護者も接種を受けてくれ」なんだろうが、
そういう過敏に気にする保護者は、行政側が「お膳立て」したところで、どのみち予防接種を受けさせない、と思う。
他方、そういうことを気にしない残りの9割の保護者は割を食う。
俺が公共の福祉による人権制限をフリーハンドに近い形で容認してると理解したのだとすれば、残念すぎる読解力だな、ということをまず言っておく。
実務系の大半の人間の憲法理解なんてたかが知れてて、俺自身もその例にもれない。
それでも、留保もつけずに「人権」を十把一絡げにして、これに対する「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」などという各権利の性質をおよそ無視したような主張をするお前よりははるかに「人権」についての理解は深いと思うぞ。
これまで勉強してきた内容として、ぱっと思いつくのは以下のようなものだ。
まず当然条文。一言一句とは言えないが、○○条と言われて内容が出る程度には覚えた。今となっては統治のあたりが少し怪しいが……。
基本書として、芦部憲法といわゆる4人組。前者は3周くらい。後者は通読はしてない。前者を補完する感じでつかった。
百選掲載判例約200+相当数の判例理解。事案の概要と判旨の重要部分程度しか押さえてないのもあるが、重要判例についてはきちんと判例の射程なんかについても検討してる。
ケースブックとして、名前は忘れたがあずき色のでかいやつ。たしか3冊だったか。人にやったので今は手元にない。
受験対策として、論証の暗記、答練、過去問演習等。こういうのを「勉強してきた内容」として挙げるのはどうかという気もするが、暗記や演習等を通じて基礎的な知識の定着や論理の筋道の理解が深まるという側面も確かにあるし、実際問題こうした受験対策に半分くらいの時間を費やしている以上無視するわけにもいくまい。
その他、適宜コンメンタールや関連書籍も参照してるはずだが、いちいちタイトルは覚えてないし煩瑣になるので省略する。あ、唯一タイトル覚えてるのが憲法上の権利の作法。あれはなかなか参考になった。
で、俺に対して皮肉らしき的外れなトラバをつけたお前は今までにいったいどれだけの勉強をしてきたんだ?
読んだ本の量や費やした時間が学問的理解に直結するなどと言うつもりはないが、間違いなく一つの指標にはなるだろうから、ぜひ教えてくれよ、なあおい