「イコール」を含む日記 RSS

はてなキーワード: イコールとは

2024-04-02

対象関係論ファン心理

心理学のまあまあニッチ理論に、対象関係論というのがある。赤ちゃん目線から見たお母さんとの関係に関する理論、という多分心理学に興味が無い人からしたら意味不明理論がある。

この対象関係論に、「原始的理想化」がある。これは、「自分好きな人がやる事をなんでも良いと思う事」である。もう少し言うと、「好きな人自分にとって嫌なことをしても、それをその人がやったと思わない」事である

この概念SNSでの喧嘩とか炎上とかそういうのにも適用できそうだなと思う。たとえば熱狂的なファンが、アイドルがなんかヤベー事しても、いや〇〇は悪くない悪いのは××だ! ってなる奴あるじゃないですか。あれ立派な原始的理想化だと思うんですよね。

で、その原始的理想化の更に面白いところは、赤ちゃんが何故そんなことをしているかと言えば、自我形成過程において相手理想的な部分を自己に取り込んでるからそうなるんですよね。対象関係論なんで科学的根拠とか無いんですけど、面白くないですか? つまり原始的理想化が起こってる時、「好きな人」はイコール自分」なんですよ。だから原始的理想化が起こっている時に、好きな人否定するということは、自分否定することになるんですよね。

何か有名人問題が起きた時、それを凄く擁護するファンとか一定数いると思うんですけど、それってまあ有名人を守ろうとしている一方ファン自分自身を守ろうとしている行為でもあるって事なんですよね(対象関係論的に言えば)。

まあ赤ちゃんとお母さんの関係理論なんで、そういう行為自体言うなれば"ガキ臭い"となるのも、また二重におもろいなと思ったりしますね。

anond:20240402143141

から廃止だって

国の施設より優良な環境育児できるならいいという意見はあるかもしれないが、

それは国が親ガチャを認める姿勢イコールであるため却下

2024-03-29

anond:20240329161838

「バトルがない」でくくるのも変かな……セカイ系をそれとイコールにするのも

まあ、俺の言い方がおかしいんだと思う。

なんていうか、捻った作品クリエイターに好まれた、ストレート作品が幼稚とみられた時期があった。90年代後半からしばらくの間。

2024-03-28

anond:20240328020829

ガチ大喜利っていうのはケータイ大喜利(終わっちゃったけど……)とかああいうやつ?

ブクマカこそ「笑い」と「嘲笑」「見下し」「嫌悪」等のマイナス感情が強固にイコールで結びついててそれ以外の手札を持たないか

ほんとに人を楽しませたいプロの中に入ったら自分が一番ただ悪口言ってるだけの人になって撃沈すると思う

地獄の沙汰も金次第」とはいうが、あの世お金は持って行けないはずでは……

よくよく考えると変なことわざ

いや、待て……

あの世お金は持って行けない、って話はどこから来たんだ

もっと言うと、あの世に現世のモノは持って行けない……という世界観はいからあるんだ

古墳からなんかすごい剣が出土したというニュースを見た

あれはまさにあの世に持っていくためのものではないのか

(順序が逆で、このニュースを見たからこそあの世に持って行けるものって何?という疑問がスタートしたわけだが)

それが現代日本に生きる人の世界観ではあの世にモノを持っていけないという認識に……いや、違うか

「オレが死んだら棺にタバコを入れてくれ」とか「あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう」みたいなことを言う人もいるな……

これはあの世タバコを持っていく気満々の発言ではないのか

ということは「あの世お金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という世界観を持つ人がいることになる

なんか……中途半端な感じがする、なんでお金だけダメなんですかアナタ

その一方で冥銭ってやつもあるんだよな

これはまさに「あの世に持っていくお金」そのものである

本物のお金じゃないあの世専用のお金を燃やすことであの世にいる死者に送金するらしい……類感呪術ってやつなのかな

これは中国とか沖縄でそういうことをやっているらしいと聞いた

三途の川の渡し賃の六文銭ってのもあるよなあ

昔は冥銭用のイミテーションお金じゃなくてマジのお金六文銭として使ったと聞く

ギリシャ神話でもカロンってやつがいるし

ただ、こっちは「あの世への通行料」って感じやな

通行料がいる、それ以外の財産は持って行けません……みたいな?

でも奪衣婆って鬼がいるんだよな

六文銭を払えなかったら衣類を奪う、逆に言えば六文銭を払えたなら衣服というモノは持ち込める……

身につけているものはセーフ?

脳内の別人格ツッコミをしてくる

対話を試みましょうね

「 『地獄の沙汰も金次第』というけれど、どんな苦境でも札束を積めば解決できることがあるって意味であって地獄というのはものの例えだよ。本当に閻魔大王様に賄賂を渡せると昔の人が考えていたわけじゃないと思う。」

「坊さんに高い金さえ払えばしっかり供養してもらえる状況を皮肉った側面もこのことわざにはあるんじゃないかな。」

「もともとの意味は『財産寄付など善行のために使えば地獄に落ちない』みたいな意味らしいよ。」

なるほどなるほど、私もそう思います(あたりまえだ、そのツッコミをしたのは私なのだから

でもなー、そのツッコミ群は「あの世お金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という話について説明してくれない

そもそもあの世お金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける』という世界観を持つ人がいる話はあくま仮定でしょ?その前提は正しいの?」

かにそれはそう、まずは現代日本における死生観……あの世観の裏取りしたほうがよさそうだ

その仮定が真か偽かを確かめるために調べている、これがゴール

「 『あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう』イコールあの世タバコを持って行ってもらう』は本当に真なの?」

そこも怪しいよね

死後の世界を信じていない人でもそういう事をするかもしれない

いや、どうだろう?自信ないな……

少なくとも言えることは、副葬品の目的あの世に持って行ってもらうためだけではないであろうということ

「 『あの世お金は持って行けない』は拝金主義者を嗜めることが目的の言説でしょ。」

でしょうね

「 『あの世に現世のモノは何も持って行けない』が実際のところじゃないの?」

それも確かにもっともらしいんだけど、実際に副葬品として亡くなった人の身の回りのモノとか生前好きだったものを棺に入れることもあるじゃん

その棺に入れるもの選択肢としてお金が無いのは何故?という話にもできる

お金を棺に入れたらもったいないじゃん。」

かにね、しかしだからこそ中国などのアジア圏の一部では冥銭というあの世専用のお金があるんじゃないか

あーそうか、これって「なぜ(一部地域を除く)日本では中国のような冥銭の文化根付いていないのか?」という問いと言い換えることもできるのか

「死んだら無になるよ。あの世存在しない。」

私もそう思っている、でもそう思っていない人もいる

余談だが「自分が死んだら無になる」はすんなり受け入れることが出来るけど「大切なあの人は死んだから無になった」はちょっと受け入れるのに抵抗がある

いろんな地域、いろんな時代世界観をごっちゃにして物事を見てしまっているのであろう

混乱の原因です

ちゃんと調べて考えを整理したい欲求が高まってきた

ここらへんについて調べよう

①「地獄の沙汰も金次第」の語源について

②「あの世お金は持って行けない」って考え方はいから存在する?

古墳の副葬品は本当にあの世に持っていくためのものなのか?

日本の各時代の副葬品の変遷について

⑤いろんな地域宗教の副葬品について

⑥冥銭について

現代日本人のあの世観について

いろいろ読みかけの本の続きを読むべきかもしれない

日本人はなぜ無宗教なのか』 『日本無宗教説 ――その歴史から見えるもの』あたりに何か関係あることが書いてあるかも

追加で本を探して買ってもいい

そういえばキリスト教圏は副葬品という文化全然ないらしい(全くないわけではないらしいが)

その一方で中国は冥銭を燃やすことでお金やら車やらスマホやらをあの世に送っているらしい

日本はなんか、中間というか……ほどほどに副葬品がある

なんにせよ知識不足、生半可な知識で「これこれこういうことです」と理解してしまうと大火傷してしまいそうだ

なんか、タイとかブータンあたりの仏教文化圏の葬儀がどんなものかも調べた方がいい予感があるな

儒教文化圏葬式

古墳時代日本だと持って行けるって考えだったろうから古墳の副葬品に通貨とかが……あっ、古墳時代日本貨幣いかもか

仏教伝来あたりの時代の墓の副葬品が気になるな……

今日は問いを設定するまでで終わってしまった

いろんな国地域時代葬式スタイルを調べることで、そもそも問いの立て方がずれていたと発覚することもありえるが……

調べるのはまた後日にしよう

しかしこれって何を調べ上げたら私は納得することができるんだ?

まだわからない

納得できるのはこのままいろいろ本を読み続けたあとの数年後とか普通にありえる

という私の思考を整理するための日記です 3/28

2024-03-25

昔の日本ではハート形を何と呼んでいたのだろう

気になるねえ

何故気になったのか

昨晩の鉄腕DASH自然薯を掘っているのを見たか

自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

調べましょうね

とりあえず「ハート 昔 日本」でぐぐってみるか……

なるほど、西洋からいわゆる「ハート概念が伝来する以前から土器織物ハート形の文様存在する、と

神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と

なるほどねえ

じゃあ昔の日本自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~

……とはならない

西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様存在した」イコール自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない

芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語日常的に使用するか?という点を疑う

農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?

勘だけど逆なんだろうな

すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

の問いの答えは「自然薯山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる

農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?

さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか

とりあえず昔の植物図鑑記述を探してみるか?

いろいろぐぐってみるか

……「大和いも」のwikipediaのページの記述

大和いも - Wikipedia

1911年明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理菓子蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。

20世紀初頭時点で「心臓形」という表現が使われている

キリスト教伝来から300年以上経過しているかハート形という概念が浸透していても不思議じゃない

キリスト教伝来以前の記述を探したいところだが……

いや、リンネ分類学著作日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?

西洋植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……

『日葡辞書』になんか自然薯記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線記述から意味いか……

江戸時代アサガオ流行したようだ

園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ

この呼称江戸時代からあったかどうか?

もし当時からそう呼ばれていたとすれば傍証にはなるか……?

時間切れ、また夜に調べるか……

しかハート形の葉っぱなんて芋に限った話じゃない

例えば徳川家三つ葉葵紋とかもハートの形しているし

三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……

いも限定で探すのは筋が悪いかもしれない、再考すること

これは日記です

---

追加で調べたメモ書きを追記しましょうね

葉身 - Wikipedia

Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い

自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている

その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている

へえ……カタバミの方が逆位置扱いなんだ?

きっと西洋メジャーハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう

ヨーロッパメジャーハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ

知らんけど~

おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている

色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆

葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある

ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉不要だった……とか

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」

となる

本当に?ちょっと怪しい理屈な気がする

そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)

市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか

それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか

検証できるかどうか

うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか

本草学」という昔の日本学問ジャンルがある

博物学医学薬学中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい

そういう文献にはきっとハート形の葉の説明文章があるはず

ただなぁ~、学者先生が使う言葉認識と、市井の人々の使う言葉認識って別だろうからな……

自分が欲しい情報じゃないかもな

とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう

---

ああそうだ、江戸時代には和算というものがあった

面積を求める和算問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな

もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも

一応調べること

→軽く調べてみたが無さそう……こち方面調査頓挫

---

調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

調べがいがありそうなテーマだし、焦らずゆっくり調べていこう

---

メモ

こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある

インターネット上で閲覧できる古辞書を調べる事

また、現代語訳された古辞書書籍として売ってあるなら購入も検討すること

辞書で「猪目」をひいて何と書かれてあるかを確認したい

辞書辞典であるならば形の説明文章でしている可能性がある

また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない

ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる

神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別

例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか

似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ

トランプハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説

それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか

---

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる

直接的な物証発見できず

しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた

(余談だがアサガオヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ階層分類体系は偉大っすなあ)

であれば別の植物の葉の形で例えるのがまあ自然か……

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

→これは猪目、家紋で描かれるカタバミや葵あたりが該当

芋って家紋モチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)

♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念存在しない……か?

猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)

からこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html

トラバ言及いたここに詳しい(情報提供感謝

調査がひと段落したのでクローズ

2024-03-24

[]3月24日

ご飯

朝:バナナヨーグルト。昼:もやし人参キノコ餃子スープ。夜:おにぎり。間食:柿の種チョコ

調子

むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。

ファミレス享受せよ

ファミレスムーンパレス、そこには店員がおらず奇妙な客と無限に利用できるドリンクバーがあり外には出れず閉じ込められている、永遠に浮かび続ける月を眺めながら淡く何処かへ消えてしまいそうな雰囲気が魅力のアドベンチャーゲーム

ゲームシステムコマンド選択式だがポイントアンドクリックの要素も少しあり、夜空に浮かぶ月を調べられる辺りかなり雰囲気を出している。

ファミレスの自席と、それぞれの客席、そしてドリンクバーを巡りながら、この謎多きファミレスから脱出を目指す。

開幕早々気になる謎が提示され、徐々に明らかになっていくのだけれど、その謎解きの過程議論捜査ではなく、雑談ベースになっているのが、この作品の強い独自性だ。

試験勉強気分転換ファミレスに寄ったところ巻き込まれ普通女性である主人公だが、雑談タネを撒くのが大得意でグイグイと他人距離を詰める。

主人公雑談力によって、無限ときを生きていたムーンパレスの面々が変化していき、ストーリーが前に進んでいく。

勿論、謎が徐々に解けていき設定が開示されて行くのも面白いのだが、個人的には物語の本筋とは関係のない空振りの雑談を噛み締めるように遊ぶのが楽しかった。

雑談相手は主に四人おりそれぞれの個性面白いので紹介する。

まずは唯一の男性セロニカ。

冷静沈着な落ち着いたキャラだが、少しづつ熱が見えてくる熱いキャラでもある。

魅力的な女性陣に囲まれながらもソワソワしたところがない達観さは超越したものを感じさせられた。

雑談の細かい内容よりも、頭が回る知恵者の側面で謎解きの際に頼りになる印象が強い。

次にオドオドして小部屋から出てこない幼そうな女の子ツェネズ。

閉じ込められたファミレスの中でさらに引きこもっているコンプレックスの塊のようなキャラ

明らかに何かを隠しているため、序盤は彼女の元に足繁く通うことになる。

なにかに怯えているようだが、決して泣かないエピソードなど、弱さに立ち向かおうとする話の流れに呼応するような雑談面白いキャラだった。

引きこもっているためルックは中盤までわからないが、想像通りな可愛らしさなのが、雑談で話が進むからこその想定通り感が面白かった。

三人目は王様自称するレイルロードスパイク

このキャラだけ第一印象世界観が違うため、雑談の内容もかなり変則的

ノブレスブリージュのような人の上に立つことからこその義務感の話や、普通暮らしから想像できない悩みなど、異なる世界人間であることが伝わる雑談面白い

それでいて、同じところもあることが、話を前に進めるキッカケになるのが主人公雑談力の高さだ。

そして、今作のメーンヒロインとも言うべき存在主人公と濃厚な関係値を築くことになるガラスパン

とある経緯から、どこか投げやりな態度をとっている。

しかし、そんなことで怯まない我らが主人公ドンドン距離を詰めていく様は、ちょっとしたギャルゲ主人公でもまだ控え目にアプローチをかけるぞと心配になるほどだ。

少々ネタバレになるが、実のところ彼女物語全体像からはあまり関係のないキャラで、ハッキリ言って彼女が居ようと居まいと、あまり本筋とは関係ない。

しかし、僕が一番楽しかったのは彼女との雑談だ。

そして、そのように主人公も思っていたからこそのラストも素晴らしい。

以上四人がメインキャラになるが、忘れちゃいけないのが、雑談の鬼にして、彼女たちを色々な意味で変化させる主人公だ。

プレイヤーイコール主人公のようなスタイルだが、雑談を通じて、そして合間のモノローグから、少しづ彼女彼女で中々に奇妙なキャラであることが見えてくる。

個性プレイヤー感情移入やす一般人であること自体は間違っていないのだが、彼女の有り様もまた四人の奇妙な客たちと同様、興味深い可笑しさがあった。

ここまで雑談を通じてのキャラクタの魅力を語ってきたが、その先にある展開もこれらの雑談が程よく前フリとして効いていて面白い

設定の開示のタイミング絶妙で、その提示タイミング毎に読む手を止めて彼女達の感情想像してしながら、それまでの雑談を振り返っていた。

これは雑談が主のゲームからこその面白さだった。

雰囲気を重視した物語によくあるボカしたような曖昧さや寓話的な部分はあまりなく、かなりじっくり練られた設定の開示と、その設定を踏まえた登場人物達の葛藤とその根底にある愛が非常に面白かった。

限られた空間の閉じたファミレスの中で進む会話劇でありながら、壮大な物語に思わず、僕も月を見ながらファミレスドリンクバーを嗜みたくなってしまった。

エンディングの読感も非常によく、大団円でかつ、洒落の効いたいいオチも待っている。

個人的には主人公ガラスパンカップリング的な魅力も感じられて、文学的でありながら、エンタメ意識されている、非常に面白いゲームだった。

2024-03-22

anond:20240322220330

自分ポンコツであること」と「幸せになってはいけない」はイコールにならないよ

なぜならポンコツであるにもかかわらず幸せになっている人々が世の中に多数いるか

ポンコツであるにもかかわらず幸せになっている人々は恥ずかしい存在であるという気持ち

自分も恥ずかしい存在になってはいけないと思わせるのだよね

anond:20240322140804

理解力の著しく低いブクマカいるか追記してあげるね】

政治家の言う「全て秘書のしたこと」を信じない、というのは、

収賄裏金づくりなどの犯罪において、責任秘書なすりつけようとした政治家ちゃんと裁け、という主張だってのはわかるよね?

まり秘書ではなく政治家自身収監などの罰を与えろ、イコール自由制限しろと主張しているわけだ。

大谷の件も全く同じ。

自由制限されるべき人間通訳大谷か。

逮捕しろ、罰を与えろ、ってのは他人自由制限しろっていう主張なの。

それを信じる自由はあるけど、表明するのはかなり大きな責任を伴う。

それを自覚せず「好き嫌いで言ってるよね」って話。

 

 

 

表現の自由に関して、「自分の意にそぐわないもの不愉快もの、観たくないもの排除していい」と本気で思っている人がいるように見える。

自身も見て不愉快になる表現はたくさんあるが、それを排除しろと言い出そうとは思わない。

表現の自由重要だと思うから、というのもあるが、まずそもそも自分の快不快感覚基準に自信がないからというのが大きい。

自信がないというのは、つまり多くの共感を得られるという自覚を持てないということだ。

ではなぜいわゆる“規制派”は自分感覚にそこまで自信を持ってしまえるのか。

感覚というのはつまるところ“好き嫌い”であり、それを基準他者とやりとりするのが難しい個人発行の通貨のようなものだ。

それをSNSで表明し、SNSならではのエコーチェンバー自分感覚世界と完全一致しているかのような感触経験し、結果として極度に謙虚さを失って「自分感覚世界常識」という結論に辿り着いてしまう。

もちろん感覚というのは大切で、個人的な判断をする上では欠かせないものだ。

ただそれを世界中に敷衍できる一般的ものだと思い込むのは危険だ。

そんなことはわかっている?

だとしたらなぜ「すべて秘書のせい」という政治家の言説には「信じられない」と言い、

通訳が一人で勝手にやったこと」という野球選手言葉を盲信できるんだ?

しか通訳供述あんなにも不自然に変遷しているのに、だ。

結局「好き嫌い」で判断しているからだろう?

好き嫌い」で応援する野球選手を決めるのはいい。

ただ、「好き嫌い」で人を法的に裁くべきかどうかの判断をするのはおかしい。

「あれ、これ俺好き嫌い判断してないか?」「結局見た目で判断してないか?」

そのくらいの自問は必ず行うべきだろう。他者権利自由制限侵害しようなどという時には。

正直、フェミニストには同情している

人権意識を高めていくと、やがて「男女平等」「女性優遇」に至るが

それをもっと進めていくと、やがて「性的少数派」「障害者」「難民」あたりへの優遇に至る

そして、その状態女性にとって時にはマイナスとなる

 

これって難しくない?

 

人権意識・低 男性優位社会

人権意識・中 女性優遇社会

人権意識・高 少数派優遇社会女性にとってはマイナス

 

男は簡単なんだよ、低か高でいいか

女は本当は中でいたいんだけど、時代がそれを許さないか

別の軸を作って「女性優位社会」を目指すしか無いんだよね

 

以前はさ、人権意識が高い=平等主義女性権利拡大

だったからよかったけど、最近イコールじゃないか

平等を求めてるだけじゃなくて独りよがり権利を求めてるだけじゃん」って見られることも増えた

実際自分等の権利を求めることも大事なんだけど

考え方の違いでフェミニスト内でも意見が分かれるのは当然

 

本人らだってこういうのがわかってるから、心が壊れちゃうんだよね

かわいそう

2024-03-21

anond:20240321131013

愛情イコール時間と金だと思ってるけど

子供を愛してますって思うだけ、口で言うだけで子供ほったらかしだったら

愛してますは嘘だろと

anond:20240321084521

絵柄と人格イコールでつながってる界隈がある。

2024-03-19

anond:20240319102219

お前の神経質さなんか何も気にしてない。

気にすることがあるとしたら、焼く時間が増えることは作業時間が増えることとイコールであることだが

まあモーニングガストなんかガラ空きだろ。

2024-03-15

相手の気持が分からない人はカードゲームをやればいい

自分がされたら嫌なことは、逆に相手にする側になったら相手も嫌がること。

自分がされて嬉しいことは、逆の立場になったら相手も嬉しいこと。

TCGをやればこのことがすぐに学べる。

フィニッシュカードを通す直前に出した釣り相手が反応して、手札を0にしてくれたら凄く嬉しい。

逆に自分相手フィニッシュカードを通されそうになったら、その直前に出した大したことがないカード相手過剰反応せず、手札が1枚以上の状態を温存したほうが、相手に苦しい状態を続けさせられる。

もし相手に1枚でも手札が残っていたら、それが打ち消し呪文だったらと想像するだけで下手な動きが出来なくなる。

から、終盤に弱いモンスターを引いたときは、それを雑に出すよりも、「手札が1枚ある」という状態を維持するのに使ったほうが、結果的に強くなる。

「もしも自分相手立場だったらどう考えるか……」を意識することによって、相手気持ち想像する能力が次第に養われていく。

カードゲームやボードゲームをやることでその感覚を養うことが出来る。

俺はそのことを盲信していた。

相手の気持が分かることと、人に対して親切に出来ることがイコールで結ばれると思っていた。

だが違ったんだ。

カードショップには相手気持ちがわかった上で、「相手が痛くても俺は痛くないから」と考えるサイコパス大勢潜んでいる。

言葉巧みに初心者を騙してカードを巻き上げるシャークトレーダーや、風呂にも入らず平然と暮らす発酵チー牛共がその代表だ。

彼らはカードゲームを通して他人気持ち理解する訓練を続けるうちに「相手気持ち自分気持ち独立している」という事を学ぶことに成功した。

これは単体で言えば喜ばしいとで、いわゆるサリーアン問題攻略することを可能にし、人間関係構築において多くの人が躓くポイント突破していると言える。

だがその先で得た結論が「つまり相手がどんなに苦しんでいても、それを意に介さなければ、俺は何も損はしないんだ」になってしまえばサイコパス誕生する。

人の気持ちはわかるが、人が傷つこうが苦しもうが、それは自分とは無関係なのでどうでもいいと考えてしまうようになるのだ。

人の気持ちが分かれば、他人を不当に傷つけない人間になるなんてのは平和ボケした幻想だ。

本当に恐ろしいのは社会不適合者じゃない。

社会に適合した上で、平然と悪をなす人間たちなのだ

2024-03-09

女という漢字は分解するとし、ノ、一となるので女性忍者はしのいちと呼ばれますいやしのこころ女性忍者イコールです。なぜなら、女性キレイになるためのしのいちのこころは、しのいち自身キレイになるためなのです。女という漢字は「健やかに」「美しく」「永く」をつづるのですが、このとき女性忍者にはそれだけではありません。髪にも、爪にも、口にも、体にも、心にも、まったく同じ顔立ちの人びとがたくさんいます。そう遠くない将来、この女性

Anond AI作成

2024-03-08

anond:20240308122138

罪に問えないこと、と合法であること、はイコールではない

たとえば誰がどう見ても違法な事でも被疑者が死んでいれば罪には問えない

2024-03-07

anond:20240307050600

差別があることが認められない、のではなく、そういった差別の中にはあっても構わないというものもあるという認識だろう。実際、有名な最大判昭和 39・5・27とか、他にも最高裁判決差別のもの問題なしとしているものとかもある。差別は即イコール不正義にはならんのだから差別があるぞってことを示すのではなく、この差別不正義だぞってことを示さないと、少なくとも(法律とか実質的にその一部である判例とかから成り立つ)社会通念に影響を与えることはできない。

2024-03-06

anond:20240305212852

是非の話はどっちでもいいが、

 

人間学習する事とAI学習させる事は便宜上 "学習" という同じ単語を使っているだけで違う事柄を指しているだろ

要はAI用語としての "学習" は一般的学習の事ではないから、現在法律とやらに出現する "学習" はAI用語の "学習" とはイコールではない

から「どちらも許可されている」などと言うのはフカシもいいところだ)

 

それから本文全体の主張として

絵師がしている事もAIと同じ」「絵師泥棒自覚せよ」という事は、

翻って「AI絵師も同じ泥棒なんだから仲良くしようぜ」という事か?

生産性の向上、業務効率イコール

人件費を減らす

だと思ってる人多そう

2024-03-05

anond:20240305171215

そもそもSNSで盛んに発信している、イコールそういう人である率が高いので(発信している暇があるのだ)

 

SNSの言説や風潮をみて、界隈全体を判断しようとすることがまず誤っているのよね。

2024-03-03

AI絵師への疑問

概要

AI絵師はなんでそんなに特権意識強いのよ?

というかじゃあ君らはChatGPTとか使わないということでいいの?

うるせえ反AI絵師検索エンジン使うな(過激派

本文:

前提として,反AI絵師は「自分著作物を生成AI学習には使うな」という主張をしているように見受けられて,それ自体別にいいんだけども他の著作物に対して目端が効いていないように思える,という認識がある.

そもそも人間が生成した全ての創作物には著作権が生じるもので,この観点からは絵も音楽文章も等しく尊重されてしかるべき.

なんだけども反AI絵師は絵だけを過剰に特権化しているように思える.

この文脈での「反AI」のAIは,ほぼ「生成AI」とイコールという認識なんだが,となると文書生成に対しても反対しなければ筋が通らない.

なのだけれども,ChatGPTに代表されるテキスト生成やGithub Copilot代表されるソースコード生成(提案)に対しては何も言っていない.

Whataboutismじゃねえか,と言われるかもしれないが,生成AI代表であるChatGPTにおいてテキスト生成部分と画像生成であるDALL-Eが並列にメニュー上に存在している以上,そこを完全に別物だと主張するのは無理がある,と考える.

というかChatGPTに「こういう画像を作りたいのでDALL-Eに渡すプロンプト生成してくれ」って指示も可能だしな.

というわけで,この文脈で「反AI」と言った場合画像生成とテキスト生成の両方に対して反対の立場に立っている,立っているべきである,というのがここまでの話.

で,生成AIは何もないところから生成できるわけではなく,学習するデータ必要になる.

AI絵師はそこで「自分画像を使うな」という主張をしていると理解している.

別にそう主張しても構わないとは思う.

思うんだが,じゃあテキスト生成もソースコード生成も,さらに突き詰めると検索エンジンも使うなよ,というのがここからの話.

テキスト生成も画像生成と同様に学習するテキスト必要になる.

で,そのテキストをどこから持ってきているのかいえば,インターネット上に存在する文書となる.

そして(大抵の場合において)インターネット上に存在するテキストには作成時点で著作権が発生してて,それを勝手学習してテキスト生成に使っている,というのが現状の生成AIテキスト生成を行う場合の振る舞いとなる.

上記の文における「テキスト」を「画像」に置き換えたものに対して反対の立場を取っているのが反AI絵師,という理解なんだが,であれば当然テキスト生成に対しても反対すべきだろう,と思う.

思うんだが,本当にその辺は反AI絵師はどうでもよいらしく,ChatGPTとそれに付随するDALL-Eも特段の問題としていないように思える.

一貫性観点からは,著作物に対して同意を得ていない学習に基づく生成全てに対して反対の立場を取るべきでだろうと思えるのに,反AI絵師画像生成以外を問題とせず,よく分からない特権を振りかざしているように思える.

絵を描く人間から画像生成以外に対しては放置する,という主張なのかもしれないが,生成AIの生成対象が拡大している現状,その主張は「彼らが最初共産主義者攻撃したとき」と変わらんのではないのか.

そもそもGoogle検索最初バージョンPageRankベースだったわけだが,これは「多くのWebサイトからリンクされているページは価値が高い」という尺度に従って構築されている.

この評価尺度って,人間脳みそフリーライドしてるよな?

あるページにリンクを張る,つまりリンク先のページに価値があるのかを評価するのは,リンクを張った人間であり,つまりその価値を生成しているのは人間なわけだ.

そして人間が生成した価値をもとにリンク先のページの評価を決める,というのはつまり複数他人脳みそのいいとこどりをしているに他ならない.

生成AIに反対するのが「自分が描いた絵にフリーライドして価値のある絵を生成しているのは許されない」という主張であるのならば,他人脳みそフリーライドしてページに価値を付けている検索エンジンも同様に許されないものであるべきだ.

これは「生成AIの反対するならば検索エンジンも使うな」という主張の根拠になる.

別に本気で言ってるわけではないんだが,反AI絵師がどこまで考えて主張してるんだろうか,という疑問はずっとある

上記議論問題点は以下の通り:

1. 反AI絵師の主張を丁寧に拾ったわけではない雑な話なので「藁人形論法」と言われたらそうかもしれん

2. 「反AI絵師」の「AI」が指し示す対象が「生成AI」ではないかもしれん

ただし著作権適用対象公平性観点から画像生成AI」に限定した議論特別視できる理由はない

個人的には画像周りへの対応は,検索エンジン避けみたく「画像生成の学習に用いられることに同意しません」みたいなタグを埋め込む形での対応になりそうな気がしてる.

そしてそのタグが普及せずになし崩し的に画像についても生成AI一般化するんじゃねえかなあ.

あと,「現状,PageRankそのままでは使われなくなってねえか?」という主張は妥当なんだが,だからといって何もかもが変化したわけではない.

結局人間脳みそフリーライドするのが一番効率いいのには変わりないしな.

Github Copilotは優秀だけど,だからといってあれがpilotになるわけではない(正解「案」を提示するのと正解を提示するのとの間にはマリアナ海溝よりも深い溝がある)のと同様に,画像生成も人間のそれを(少なくとも完全には)代替できねえんじゃねえかなあ,と思う.

上記文章最近うだうだ疑問に思ってたんだけども,「絵師立場から言いたい「反AI」の人の態度について(https://note.com/magic_clover2991/n/n0ec2827346af)」読んで,頭の中の整理も兼ねて書くか,という気持ちになったので書いた.

リンク先の人に感謝を.

2024-03-02

anond:20240302055903

そんなの上位層だけだろ

世の中に広まってるOSWindowsMacLinuxetc)が書けるのと同じで

自分ブートできるなんちゃってOS書けたって、知的欲求は満たせても、直接ご飯になる仕事になるわけじゃない

同じことだと思うぞ

知的欲求を満たすとか趣味としてやるのは大事だけど、それはイコール適職ではないわけで

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん