はてなキーワード: Change.orgとは
キャンペーン · ぼくたちは/男子たちは 狼なんかじゃない。 少年ジャンプは「エロ」と「性暴力」の違いを区別してください。 · Change.org
これ本当に、恐らくほとんどのジャンプ読者からすると、噴飯ものの怪文書なんですよね。
ジャンプ読者であることを示す情報が皆無な上に、多分ほとんどの人間のジャンプ体験とあまりにかけ離れている。
でも支持してる少なからずの人間には、これがリアルに見えちゃってる現実がある。
ここで「こんなものがリアルに見えるのはおかしい」と非難するのは簡単なんだけど、でもこれをリアルに思ってしまう土壌があるのも事実なんだろう。
「ジャンプ読者自体少なかった」とか、「エロい漫画読んでることすら恥ずかしかった」みたいな感覚って、男子の体験としては、今回指摘がたくさんあがってるように一般的だと思うんだけど、あんまり表立って共有されてこなかった気もする。
だから外部からは、そこのリアルが見えず、表面的な情報ばかりが出回って、「男はみんなジャンプのエロい漫画見て学んで現実に波及させてる」って偏見が醸造される余地になってしまってるんじゃないか。
自分も実体験だけで語らせてもらうならば、ジャンプのエロ系の漫画なんてものは、本当に隠れて読むもんだった。
二次元のエロい漫画を愛読してるなんてバレたら、死ぬほどコケにされる空気が充満していた。(オタク蔑視の強い時代だってのもあるかもしれないが)
漫画なんて所詮、架空のキャラがつくる架空の物語を一人で読んでるだけなんだから、そこから自分の欲求を誰かにぶつけることへの「社会的な合意」を受け取ったことはない。
というか、いわゆるラッキースケベ系の漫画からなにか現実を学ぶとしても、今日日それ系の漫画の主人公なんて、決まって過剰なぐらい自省・禁欲的な性格なので、「仮に許されるとしてもこれぐらい自省・禁欲的で魅力的な人間前提≠自分だわな」、ぐらいのもんだった。
それよりも、ラッキースケベの数百倍の物量で「私欲で人を傷つけるやつは許すな」ってメッセージに溢れてるのが少年誌という体感がある。
個人的には、創作が人間性に与える影響は小さくないと思ってる。
けど、「エロいことを人にしてもいいんだ」なんかより、「私欲で人を傷つけると自分が抱いたキャラへの憧れを全部裏切ることになる」って感覚の方が、植え付けられた感としてはよほど強烈、それぐらいの総合的なバランスはジャンプにもあると思ってる。
そういう体験の共有が不足して、外部から表面的に負の面ばっかりフォーカスされてると、ジャンプばっかり目の敵にされるのも無理ないかも。
という意味で、我々も、偏見を解く努力が足りなかったんじゃないか、と思ったのが最近です。
…というか、「社会的な合意」を受け取るのって、実生活じゃないの?
家庭とか、部活動とか、職場とか、そういう対人間の、コミュニティ内でのやり取りを通じて、リアルで女性を貶める人間との交流を通じて、「貶められるのを受け入れてる女性」という曲解を通じて、「あっそういうのいいんだ」と歪んだ価値観が共有されていく。
で、そこいくと、今自分が見える範囲でヤバいと思ってるのが、SNSっていうか、特にtwitterなんですよね。
見る気もないエロコンテンツがバンバン目に入ってくるし、実在する女性へのセクハラリプライも横行してる。
あんなの、少年誌の数万倍、リアリティを持って「あっそういうのいいんだ」って学びを与えるよ、若い子が見てたら特に。
ああいうの見てると、「男はみんなエロい漫画見て学んで現実に波及させてる」って思われてしまうのも、無理ないかもって思うんだよね。
「いつの話だ」と思うかもしれないが、私は以前岡村隆史氏をチコちゃんから降板させるというchange.orgに、署名した。
しかし、今になって後悔している。
効果はもうないかもしれないが、ついさっきchange.orgの署名取り消しのフォームに、自分の名前とメールアドレスを記入し、送信した。
なぜ後悔しているかというと、何も考えず、肝心の発言を聞かないまま署名してしまったからだ。
ネット上に上がっているであろう、ラジオでの発言は聞いていない。そのため、どんなトーンで岡村氏がそういった発言をしたのかも知らない。自分で実際の音声を確認しないまま、私は1人の人間の人生をもしかしたら潰してしまうかもしれない活動に、脳みそを使う前に賛同してしまったのだ。
だから今後何かに署名する場合は、まず問題となったことの一次ソースを確認したい。今後は絶対に、一次ソースを確認しないまま発言したり、行動するようなことがないようにしたい。
アメリカでは肥満の人が声を上げた。メディアがガリガリに痩せた人たちだけを理想の美と扱うことに関する反発が多数発生した。
極端な例を挙げると、InsatiableというNetflixのドラマがある。これは主人公であるティーンエイジャー女子が肥満で虐められていたがダイエットを頑張り「美しく」なり、かつて自分をバカにしてきた奴らに復讐する物語である。このドラマは肥満をバカにしている(fat shaming)であると批判され議論を巻き起こし、失敗には終わったがchange.orgで23万人に及ぶ放送・制作中止の署名が集められた。
アメリカは多民族国家であり複数の人種がいるため見た目で相手を判断することが(少なくとも良識のある人々の中では)タブーとなっている。日本と違い、履歴書に写真を要求してはならない。相手の容姿を褒める時にも注意を要する。「肌が白くてキレイですね」なんて公の場で言ってしまうと大変な目にあう。みな違ってみな美しいという前提で過ごしていかなければならない。
まあその結果あそこまでブクブクと太った人だらけになっているのはそれはそれで問題でもあるのだが、容姿いじりという観点でいけば日本よりも多少は過ごしやすい部分がないこともない。美の基準が日本のように単一ではない点も良い部分はある。
もちろんアメリカはまだまだクソだ。ティーンエイジャーは残酷でありスクールカーストも日本より酷いものがあり、毎年のように学校での銃乱射事件が起きておりスクールカースト底辺者が反乱を起こすのは風物詩のようになっている。
日本人はここ数十年抑圧されることに慣れてしまった。中国人が天安門事件の後はおとなしくなったのと同じように。一揆や打ちこわしは上等であり、パールハーバーには突っ込むし、学生運動もするし何でもしていた。テロ国家・テロ民族であったのにサリン事件以降はすっかり黙る民族となった。自分を卑下することが美徳とされ、芸人は自虐をすることが面白い。立場をわきまえろという圧力が強い。
不快感は示すべきだ。不快感を示すことから全ては始まる。しかし不快感を示したら何かが変わるというわけではない。アメリカを見ろ、みんな自信満々だが何も変わっていない。難しい問題だよまったく
最近小児型ラブドールの是非についてはてぶで話題になっている。はてぶではラブドール愛好者である増田の反論と、規制推進派のツイッターとがホッテントリ入りしていた。はてぶ以外で議論がどのように展開されているかは確認もしていないので知らないが、そもそも糾弾されている我々小児性愛者のが置き去りにされている気がしたので意見を述べる。
ただし我々小児性愛者と書いたが、私自身小児性愛者を自称することには抵抗がある。DSM-5で定義される"The individual has acted out these sexual desires, or is experiencing significant distress or difficulty as a result of these desires."は自分には当てはまらないので。それでも子供に対し性欲を掻き立てられるし、その手のイラストを描いてもいるため他から見たら小児性愛者と断じられても仕方がない。
さて、ラブドールについてだが、以前欲しいと思ったことがあり購入を検討したが結局買わなかったし、買わないで正解だったと思う。高額であることのみならず、部屋の容量や引っ越しの可能性も考えたらおいそれとは手が出せなかった。ラブドールそのものが極めて上級の趣味なので、槍玉にあげられている小児性愛者の一人としても今回の運動には今一つぴんと来ないのである。実際はてぶを見て知っただけで、増田が記事を書かなければ恐らく知ることも無かった。change.orgにはたびたび署名しているが、自分のところには周ってこなかったし。それもあって本来のターゲットである小児性愛者ではなく人形愛好家に弾が当たったのではなかろうか。
もちろん将来そこそこの広さのある終の棲家を得られたなら、そしてそのときに小児型ラブドールが今よりも精巧であったなら購入したいとは思っているので、規制には当然反対である。反対するのが至極当然である。
一方で規制推進派をただ否定すればいいかというとそうでもなく、規制したがる人たちの危惧も無碍にはできまい。規制に賛成の立場のブクマで星を集めているのは「それをきっかけに欲望が芽生えるか、あるいは加速するのでは」というものだ。ご丁寧に実例を紹介してくれる人もいた。
こうした意見に対して、どう対応すればいいのか正直分からない。とりあえず私自身は自分こそがその反例だと思うので自分について少し述べることとする。
まず私の小児性愛の目覚めは幼児期のナルシシズムと同年代の少女へのコンプレックスのためだと思う。小学生ごろまでは綺麗な服を着られる姉がひたすらに羨ましく、その結果として女装癖があった。女の子の自分がどんな形ででも注目されたいという欲望があった。その後自分は女の子にはなれないと諦めたことで、自分の中で理想形が小学生までの少女に固定されたのだと思う。近年中学時代の友人と再会する機会があったのだが、彼の第一声は「今でもロリコンなん?」であり、つまり私は「生粋のロリコン」であると自他ともに認められる(ちなみにロリコンという呼称は大嫌いだ)。
その後長じるに及んでその手のイベントがあったかというとけしてそんなことはなく。単純所持禁止前までにその手の動画を見たこともあるが自分でも、とはならなかったし。姉や親族に子供ができて、私がしばしばお世話をしたけれど別段何もしなかったし、そもそも今の仕事が子供と関わる仕事だがこれまで悪いことは何もしていない。
しかしこんなこと言ったところで、「情欲をいだいて子供を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」とまではいかなくとも、意識していなくてもセクシャルなことをしているに違いないとか、自己申告乙とか、今後どうなるか分からないとか、よしんば認めてくれたところで反例1だとか言われるだけでしょう。
ただそれでも私が強く主張したいのは、「欲望」と「実際の行動」の間には深い溝があり、その溝を乗り越えられるのは限られた人間だけだ、ということです。私が初めて彼女とセックスすることになったとき勃起できずに気まずい空気が流れた原因は、私自身の性癖もあるが、人間という情報量の多さに気圧されたからだ。子供とこれまで幾度も接してきたが、彼らそれぞれの「個」に圧倒されて、個性を剥奪された単なる「性的対象」としてなどけして見ることができなかった。
結局犯罪ができる人間というのはとことん相手を見下せるか相手との共感性が皆無な人間なのだと思う。だからこそラスコーリニコフも殺人と超人思想を結びつけたわけで、肯定的な表現をするなら「乗り越えられる人間」ということになる。
そして犯罪者が乗り越えてしまっているものは、他にもあるがまさに「社会における自分の立ち位置」であろう。家族、親類、職場、友人のことなど考えたらけっして悪いことなどできないはずだ。それでも犯罪ができてしまう人というのは、尊重しうる他者がいない人なのではないだろうか。
最初に小児性愛者と断じられても仕方がないと言ったが、やはり私が自分には当てはまらないと述べたところの定義こそ重要だと思う。何人か医者の友人がいるのだが、精神科医の友人(娘がいる)は「イラストを描いて欲求を昇華できているのはとてもいいことで、全く問題がない」と言ってくれた。また別の友人は、私のことを彼女に紹介する際「凄いロリコンだ」と言ったら、彼女は「その人を治療できるのはあなただけなのよ」とかなんとか言ってきたので「理性で制御できてる以上単に個人の趣味」と諭したという。理解ある友人がいて幸せだし、だからこそ裏切れないとも思う。
小児性愛者に危惧を覚える、その感情は理解できるのだが、小児性愛癖を持つものが実際の行動を伴うわけでもないし、罪を犯せる人間というのは特別なのだということは一考してほしい。私としてはラブドールの規制なんかよりも、人権教育を通じてお互いを尊重できる社会を気づくことが大切だと思う。
「幼児型セックスドールの生産・販売・の廃止を求めます。」という署名活動がchange.orgで行われている。
①日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児型セックスドールの製造・販売・所持を規制すること
②小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組み
③ECサイトなどに未だ販売される【幼児型セックスドールや児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】
以上3つを求める署名活動だそうだ。
②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。
案の定Twitterでは「人形は実在の人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在の児童を守るための法律であり人形の摘発に労力を割かれているうち実在の児童を守れなくなる」「表現の自由の侵害だ」などの批判が出ている。
たしかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュアは非実在の人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(https://togetter.com/li/942630)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。
けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。
一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名に賛同した人たちから見れば「幼児型ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。
だから、私はこの署名に活動には反対である。彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナーの人形たちを守るためだ。
そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。
無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドールの規制は私にとってパートナーの喪失であり、個人の性的嗜好の否定に他ならない。性的嗜好は個人を構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。
だから、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナーの喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから。
当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。
もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。
身長・体型など、「その人形が幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。
ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。
基本的にドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したときは一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的な用途のない比較的小さなサイズのドールでも同じだ。
つまり、ドールの体型というのは不定であり、「幼児型ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児型ラブドール」の出来上がりだ。
また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後のドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドールを性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的なものではない。念の為に付記しておく)。
この1/3ドールは身長約50cmと新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児の身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすさから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。
また恐ろしいことに、ほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。
だとしたら、性的用途でないドール、高身長かつ成人体格のドールでも「幼児型ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか?
これが、私の恐れている規制の形だ。
私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児型ラブドールの規制がなされ「身長●cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長の人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女の本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。
けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児型ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能な人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。
また、ラブドールは基本的に重量がある。シリコン製のものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。
「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間が意識的に動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかしドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要なものだ。40kg台ドールのオーナーの中には家の天井にウインチを設置している人もいるという。
私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。
ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。
けれども、私は人形性愛者なのだ。人形は人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmのドールを迎えることにした。
130cmのドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛者なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。
けれども、知っておいてほしい。幼児型ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。
純粋に幼児の外見が好きなもの、自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。
持病のために重いものを持ち運べず人間のパートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズの人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。
つまり、「幼児型ラブドール」という曖昧なものを批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。
②人形への愛のなさ
この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつの無意識がみられる。「ラブドールは実在の人間に向くはずだった性欲をぶつける代替物である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児型ラブドールを持つものはいずれ実在の児童を害すると考えている。
私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそれ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女の意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやかな幸せを得ている。それはエゴでしかないかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしかに彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能なものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。
彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。
ここに、全ての人間の性的嗜好の対象は人間であるという傲慢さを感じてしまう。
また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情が法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか。
以上が、私が幼児型ラブドールの規制に対して感じた違和感についてである。
もっと述べたいこともあるが、話がまとまらず蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。
大前提であるが、私は現実の児童への虐待は絶対にあってはならないことだと考えている。
私自身はラブドールの彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりである。しかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対に犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟で制裁を加えるつもりだ。
人形と人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形を人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。
そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。
また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人形性愛者に対するカウンセリングやセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。
人形と生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから。
【5月27日再付記】
Twitterで「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグがトレンド入りして、数は時間によってやや異なるものの、およそ300万ツイートを突破している。
署名サイトChange.orgでは「【要請】東京高検・検事長黒川弘務氏の違法な定年延長に抗議し、辞職を求めます」として30万ほどの署名数を目標として、20万の署名数は突破している。
芸能人やアーティスト、漫画家なども参入して、抗議が広がっている。
だが、この抗議によって検察庁法改正案が止められるかというと、もちろんそうではない。
なにか新しい風が吹いていると熱くなっている人は、数に注目するといい。
「#検察庁法改正案に抗議します」のツイート数は300万程度で、この程度の数では改正案を止める量としては非常に少なすぎる。Twitter Japanによると、2017年10月27日の時点で日本における月間利用者数が4500万。よく取り上げられる「Nielsen Mobile NetView ブラウザおよびアプリからの利用」の調査データを適用するとTwitterのヘビーユーザーは22%の990万人。そのヘビーユーザーが全体の利用時間の82%を占めている。この議論には異論もあるだろうが、概ね他の調査でも同様の結論が出ている。例えば、ヘビーユーザーの割合についてモバイル&ソーシャルメディア月次定点調査では16.7%、マイボイスコムのインターネット調査では8.7%で、ニールセンのものよりも低い数字だ。
だから、「これが民意だ!」といったツイート群を見かけると、苦笑するほかない笑。絶対に弾圧されることはなく、安全圏からスマホをいじるだけのつぶやき……そんな歯ぎしりがたった300万、500万程度集積されたぐらいで政治が軌道修正されていくとしたら、それは民主主義の否定ですよ。
ところで冒頭にも書いたが、この抗議はネット上ではあるものの、署名活動を行っている。30万人を目標としているようだけど、これは本当に数が少なすぎる。海外の事例になって申し訳ないが、イギリスで行われた最上位の署名活動をいくつか見ると、「EU Referendum Rules triggering a 2nd EU Referendum」が415万ほどの署名を集めたが、失敗。「Give the Meningitis B vaccine to ALL children,not just newborn babies」が82万ほどの署名を集めたが、失敗。「Block Donald J Trump from UK entry」が58万ほどの署名を集めたが、失敗。「Consider a vote of No Confidence in Jeremy Hunt, Health Secretary」が33万ほどの署名を集めたが、失敗。言いたいことはわかるよね。
まとめると、Twitterの抗議が必ず失敗する理由は、単純に数が少なすぎるから。もっと数を集めて、さらに投票という実力がなければ、ずっと失敗し続けるよ。ここまで敷居の低い活動でも、この程度の人数しか集まらない感じだと決着がついている感じはするけどね。
それにしても、安倍ちゃんは「バカで愚かでサイコパス」なんだから、三権分立とか独裁とかそういった高尚なお話や民意が通じるわけないじゃない笑。結局、今回も「法案成立前に大声で騒ぐ→結局成立→また同じように騒ぐ→成立」のいつものパターンみたいだけど、いい加減飽きてこない? 原発再稼働、安保関連法、特定秘密保護法……何度も何度も繰り返してきて、その度に「民主主義は死んだ」「日本は終わった」というオオカミ少年。安倍政権ができてから何年も経つのに、そういった高尚な方々が「民主主義が死んでいるオワコン国家の日本」から脱出して海外移住しないのは不思議だけど、コロナが収まった頃には移住するのをオススメしておくよ。ツイートとかしていないで移住の準備、進めておこうね。
あ
動かすことはできないけど、火を点けることはできるんじゃない?
朝起きてスマホを開くと、毎日毎日、政権に絶望するニュースが飛び込んでくる。数ヶ月前までは「まだ辞めないのか」って思い続けていたけど、今はもう、そう思う心も摩耗してほぼ何も思わなくなってきた。
あんたらの勝ちだよ。国民を呆れさせて心を鈍化させて、反発さえ起こらなくさせる戦略は見事に機能してるよ。少なくとも自分に対しては。
でも、どうだろう。本当に、何かできることはないだろうか。
自分は今朝、憲法学者らが会見で政権を真っ当に批判するニュースを読んだ。
はてな民からも、アクションを起こしてもいいんじゃないか。それがたとえ意味がなかったとしても、何かのきっかけに絶対にならない、とは言い切れない。
例えば、ネット署名はどうだろうか、と思ってChange.orgで検索したところ、「安倍晋三内閣総理大臣の辞任を求める署名」というのが2017年からあって、28000人ほど集まっていた。
これでもいいか、とも思ったが、はてなからということで新たに立ち上げてみるというのはどうか、と思っている。
しかし、どうやらChange.orgで署名を集めるには顕名がいいようで、それが自分にはネックで困っている。
change.orgに掲載したけどもう1万人くらいは集まってるよ。この調子なら一週間で1億人くらいはいけそう。
change.org 男性専用車両の導入を求めます!https://www.change.org/p/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%B0%82%E7%94%A8%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%82%92%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E9%89%84%E9%81%93%E4%BC%9A%E7%A4%BE-%E7%94%B7%E6%80%A7%E5%B0%82%E7%94%A8%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%81%AE%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99
再開したのはある炎上事件でブログより増田のほうがリアクションついてから。
システムが穴だらけで不均衡サービスにより炎上起こしているのなら
「システムを」叩くべきところを
それを指摘した個人だけをお気持ちだとかいって叩いてお祭り状態。あたまわるい。
ゆめみりおん?然り
ブラック企業然り
vチューバー然り
個人同士で「おまえが炎上者だ認定」ごっこばっかりしてて地獄っぽい。
責任をとるべきシステム(運営とか企業とか政府とか)は天災おこしてても
「天の声」であるかのように責められないで安穏。
妄想ばっかり書いてる固定がいたり単発もあるけどな。
2chより総じて頭悪そうだけどノージャンルだし昼間過疎ってるし
一応追記しとくけど
増田にまともな人がきててまともな改善案もってるならchange.orgかパブコメでやれだぜ
昼間にこんなとこいるの1クラス以下
AED 突然死で亡くした母親「きちんと使って!」 千葉 | NHKニュース
zyzy 「女を絶対に殺すかさもなくば裸を晒上げてやるマン」にはもう目印つけて、その人達のいる界隈には女性は複数人でまとまって近づき互いに守りあえるようにGPS発信するかね。そうするだけの理由を彼らが作ったのだから
「女を絶対に殺すかさもなくば裸を晒上げてやるマン」ってなんだよ。
AEDを使うには服破るか脱がすことになるんだっつーの。それと、「助けない」ことは「殺す」とはイコールじゃない。
例えば、お得意のchange.orgで署名を集めて「善きサマリア人の法」の制定を請願するとかね。
全員とは言わんが、本邦6448万人女性のうち、3000万人もあつまったら信用できるかな。
司法改革も訴えるとなおよし。物証絶対主義、取り調べの可視化など。
自分たちの「リスク」はさんざんこっちに押し付けてくるのにこっちのリスクは考えない輩。
こういう輩がいるせいで、こういう輩を野放しにして言いたい放題言わせてるせいで女は信用されない。
女が「自分を責めた」と言う場合、実際に自分を責めているわけではなく、誰かを攻撃する時の批判避けクッションであり
増田長文女やツイフェミの文章に頻出するのでこれからよく観察してみましょう。
三つ子の次男を床に叩きつけ殺した30歳女性 実刑判決に擁護の声が相次ぐワケ https://sirabee.com/2019/03/21/20162051189/
女性は不妊治療のすえに三つ子を授かり、出産。しかし、新米ママが同時に3人の幼子を育てるのは想像以上に過酷で、毎日最低24回の授乳を行ない、睡眠時間は1時間程度に。また、実家は自営業で頼ることができず、 ミルクの吐き戻しが多い次男に頭を悩ませていたという。
そして、いわゆる育児ノイローゼの状態になった女性は、自らのことを「他の2人と同じように愛せない私はひどい人間だ」と追い詰めた。
このような状況を受け、オンライン署名収集サイト「change.org」では、「豊田市のみつご虐待死事件の母親が子育てしながら罪を償えるように、執行猶予を求めます」というページが作成。20日17時時点で、すでに2万人以上の賛同が集まっている。
東京高裁の岡口基一裁判官について最高裁が戒告の分限処分を下したことについて,法曹界隈からは岡口氏を擁護する言説ばかり喧伝されているので若干のコメントを。
彼の擁護者らは,裁判官自身の表現の自由無くして市民の表現の自由を守れるのか云々などといった声を上げる者がいるけれども,もしかかる主張が,裁判官の特殊な地位に鑑みて裁判官の私的な表現の自由は一般市民のそれよりも強く保障されなければならない,という意味だとすれば,全くの失当である。裁判官の表現行為について,憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきであることは言うまでもないが,裁判官はその職責上,品位を保持し国民の信頼を得ることが何よりも求められており,その職責の点から私的行為についても一定の節度あるいは限度があるというべきであり,その意味では,裁判官の身分との関係では裁判官の私的表現の自由は一般市民のそれよりも制約されると解さなければならない。
要するに,表現の自由と言ったところで,およそどのような表現を行うことも自由であるかというと,そんなことはない。
たとえばもし仮に,現役裁判官が,Web版週刊ポストの「都内の人気公立小学校 小渕優子の息子のクラスで学級崩壊」という記事のリンクとともに,
小渕優子の息子が一番暴れてたりして(^_^)
http://www.news-postseven.com/archives/20180309_658021.html …
とTwitterに投稿したと想像してみてほしい。上記のツイートは,公人でもない一人の児童について,それが政治家の子であるというだけで,個人を特定して揶揄するものであり,憲法が禁止する門地に基づく差別表現である。仮にこのようなツイートを現役裁判官が投稿したならば,裁判官の人権感覚ひいては司法制度に対する国民の信頼が害される。これが戒告で済めばむしろ軽いくらいである。
このように,裁判官のツイートには一定の節度と限界がある。彼の支持者らは,この前提から争うような主張を繰り返すのであるが,全くの失当である。
以上を前提に検討するに,本件で問題とされたツイートは下記の通り。
公園に放置されていた犬を保護し育てていたら,3か月くらい経って,もとの飼い主が名乗り出てきて,「返して下さい」
え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・
裁判の結果は・・
通常の理解力を有する一般人が上記ツイートを見たときに,「岡口氏は原告の請求が不当だと思っているな」という感想を抱く者が,10人中1人もいないと,言えるであろうか。
岡口氏は,上記のツイートは単に両当事者の主張を要約したに過ぎない,リンク先に対する予告編でありリンク先を読めば原告勝訴とわかる,すぐに消したから問題ない,自分は裁判官であるとは明示していない,等と反論している。
しかし,原告の主張については「返して下さい」と鉤括弧を付けているのに対し,岡口氏が言うところの「被告の主張」には鉤括弧がなく,むしろ情感を込めた独自の表現になっている。
(鉤括弧がなくても自身の見解ではない,との言い訳をするためであろうか,岡口氏はしばしば,彼の好みに適う他人の表現を,引用であることを明示せずにTwitterやFacebookに投稿する。)
このツイートを見たときに,「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・」という表現が岡口氏の意見であるとの印象を持つ人がいたとしよう。岡口氏や彼の支持者らは,そのような理解をした人は知能が劣るかあるいは精神異常者であると言うのだろうか。
もしそうでないとすれば,上記のツイートは,相当数の一般市民に対して「高裁の裁判官から見ておかしな主張をする原告がいる」との印象を与えるものであることを認めなければならない。リンク先まで読めば,高裁判事である岡口氏が地裁判決をも批判しているとの印象を抱くであろう。
本件ツイートの上記欠陥は,岡口氏やその支持者が大量の紙幅を費やして弁明したからといって治癒されるものではない。むしろ説明に大量の紙幅を要していること自体が,本件ツイートの欠陥を如実に示している。
そして,一般人のツイッター閲覧・利用方法を前提とした評価は,ツイートのスクリーンショットのみから判断可能できるから,最高裁としては,それ以上の事実関係に関する資料の提出を求めて審理を継続する必要は無いであろう。なお,分限裁判の性質上,職権探知主義が妥当するものと思われるが,岡口氏の本件に関する近時の言動や,情状資料としてのその他の事情を収集されなかったのは,むしろ幸運ですらある。たとえば岡口氏がChange.orgでの署名集めを試みたがごときは,あたかも裁判官が署名の証拠価値を高く評価するかのごとく受け取られかねない(署名は基本的に多数決原理であって,司法と相容れない)。署名が目標数である100人に達せず,証拠提出しなかったのは,国民の司法に対する誤解が未然に防がれた点で幸運であった。
なお彼の支持者らは,本件の分限裁判の結論をもって裁判官の表現活動が萎縮する等と声高に叫ぶ。
しかし,そのような宣伝活動はあたかも本件分限裁判が裁判官の表現活動を厳しく制限したかの如き誤解を広めるものであって,却って裁判官の表現活動を萎縮させること大である。
5 ちなみに,現役裁判官が,ツイッターにせよ何にせよ,SNSその他の表現手段によってその思うところを表現することは,憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきであることは,いうまでもない。しかしながら,裁判官はその職責上,品位を保持し,裁判については公正中立の立場で臨むことなどによって,国民の信頼を得ることが何よりも求められている。本件のように,裁判官であることが広く知られている状況の下で表現行為を行う場合には,そのような国民の信頼を損なうものとならないよう,その内容,表現の選択において,取り分け自己を律するべきであると考える。
そして,そのような意味での一定の節度あるいは限度というものはあるものの,裁判官も,一国民として自由な表現を行うということ自体は制限されていないのであるから,本件のような事例によって一国民としての裁判官の発信が無用に萎縮することのないように,念のため申し添える次第である,
文字数制限があったとは…迂闊だった。 https://anond.hatelabo.jp/20180829184304 続きです。
あれはRotGの人気じゃない。
RotGの主人公と某ディズニーアニメAの主人公のカップリングが人気だっただけだ。
この差は本当に大きい。この人気を受けて上映企画も持ち上がったが、「中止にはなってないものの候補に上ったままその時期から停止している」といった状況になってしまった。
日本においてRotGの人気は某Aに依存するような形になってしまった。(挽回キボンヌ)
まるで某Aの属国だ。
界隈がそんな状況だから二次創作を覗きに行くタイプの人にはなかなか勧められないし新しくハマった人のモチベーションも削がれてるんじゃないかとヒヤヒヤしてる。
自浄作用が腐りきってる。
いつも他ジャンルで発動してる過剰なまでの自治はどうした?時々必要無いだろって思えるほどのお得意の自治は発動しないのか?自浄しないのか?
これに至っては最低限のそれすら無く見えるんですけど………
何せRotGで検索すると某Aを引き合いに出した意見が出てくるなんてしょっちゅうだ。
まるで某A界隈の植民地だ。
じゃあ腰巾着で統一するか?どうだ?屈辱的なのは変わりないがな。
なあ、わかるか?
探す努力はした。
そしてこういう会話をする。
「うん、知ってるよ。女王(某A)とカップルになってる人でしょう?」
このはらわたが煮えくり返る返答で平静を表面上保ってみせた私を褒めてくれ。
しかも一度や二度じゃない。
あのブームに乗っていた者の反応はこれだ。
もちろん気が合う人にも出会えはした。
でも、あまり言いすぎるとRotGには希望が無いのではと誤解させてしまうんじゃないかと、探ることもできなかった。その件についてはあまり深入りせず、触れないようにした。私は見て見ぬふりをした。きっと不自然なほどだったと思う。
その人たちも状況はわかっていたと思う。けど、賛否どちら寄りなのかわからないから言えなかった。
でも今この記事を書きながら強く思う。
どうせ立て直すなら一度ぶっ壊した方がいいと。
某ディズニーアニメAの主人公ののスペイン語版のウィキペディアに「主人公の配偶者:ジャック(ジャックはもちろんAの主人公も結婚してない。)嘘書いたり。
Change.orgで「Aの主人公とジャックフロストを公式でコラボさせて出会わせましょう!」っていう署名を2回も呼びかけてたり。
ドリームワークスの公式アカウントででただRotG関連のツイートが見たくて検索しただけなのにそのクロスオーバー界隈のユーザーが公式アカウントに送り付けてたそれのアイコラ画像を見つけるはめになったり。
冬の時期とか某Aに、某ディズニーにかこつけてツイートしてたり。(何度も言うけどマジでディズニー関係ねえぞRotG)
「ガーディアンズの続編の可能性を探る!」って記事があるんで覗いてみたらただ某ディズニーアニメにかこつけたクソ曖昧な話ばっかりで肝心の続編探りはほぼ無関係なクソ詐欺記事だったり、
ピクシブとかグーグルでこっちがマイナス検索した上でRotG関連タグしかついてないとホッとしてたら不意打ちでクロスオーバーかまされたりした気持ち。
明らかにpixivの規約違反な公式のCGのアイコラ画像なのにネタが人気というだけでお目こぼしされたコラ画像が「野生の公式」と持て囃されてお目こぼしされた状態で数桁users入りしているのを見かけた気持ち。
これ全部マイナス検索といった自衛の上で防ぎきれず見た場合だ。
先入観が無くてマイナス検索をしなかった人はどうなるのか(人それぞれだよ)
いや人それぞれなのはわかってっけどそれでどのような効果が起きるかっつー話だよ。
わかるのか?
でも、好きな作品が腰巾着扱いされてるのはもはやそう言う問題ではなくないか??みなさんはどう?
大好きなキャラが他社作品の無関係のキャラの添え物扱いされてる気持ち、君にわかる??
それが他作品な上に 他社やで?
それを他作品と一緒にワード検索したわけでもないのに当たり前の顔をして出てくる状況にぶつかった気持ち、わかるか?
あと、そのクロスオーバーのカップリング(仮にジャック×某としてジャ某と仮称します)オンリー、「ジャ某(仮称)オンリー」のツイッターアカウントがRotG
を紹介して、
「ジャ某(仮称)入門にいかがですか?」って言ったの見かけちまったの
忘れねえからな。
何がジャ某(仮称)入門だ。お前らにとってはその程度の認識なの?某ディズニーアニメの違う味付けを楽しむ舞台装置とか調味料とかだとでも思ってる?
ひょっとして、ドリームワークス作品が日本で冷遇されてたから日本でRotGの土台が整わなくてジャックフロストを某のオマケ扱いに留めておくチャンスに恵まれてるとか感じてる?
嫌すぎるな。
あああ。うんざりだ。 うんこまみれのザリガニ 略してうんざりだ。
ちなみに原作者や役者、つまりジャックフロスト役の人はどう思ってるか?
英語版のクリス・パイン氏の見解は知らないけどとりあえずここでは日本語吹き替えの声優さんの方で。
私が原作者か声優ならここまでされたら屈辱でキレそうになるんだけど。あ、いや腰巾着扱いされたという諸々の前提込みではあるんだけど。
お咎め無し。なんならモノによっては「自分の作品のキャラに好意的なファンアート」としていいねボタン(Likeボタン)を押す時すらある(ジョイス氏が)
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わ~~ウケる~~wwwwwwwwwwwwwwwwwww笑
ウケねえよ。
これがどういうことかわかるかな??
わかんねえだろうな。
娘のために物語(RotGの原作小説)を紡ぎ続け、その作品が全時空一のの美少年を主人公に据えて映画化された人と、
わかんねえだろうな。
わっかんねぇだろうなぁ~~~~~
なんでそんな余裕しゃくしゃくできるのか。
そんなスペックを持ってるからってことから推測するしかできない。
でもこっちには余裕が無いんだよ。
そんなスペックなんて持ってないんだよ。
何であなた方の作品を某Aの属国扱いしてる界隈が原作者と声優に依怙贔屓されてこの国の原作ファンはこんなに冷遇されてるんだろな。
よくわかんなくなってきた。理不尽すぎて。
「原作者と主演俳優が認めてる!」(と、思わせるような出来事)みたいなカードがどれだけデカイか。
いやあ多分認める認めないとかお二方の体感ではそんな大袈裟()な話ではなくて「人気アニメの影響で自分のキャラが話題になった」
それをすればするほどファンを追い詰めることになっているのは承知なのだろうか?
ジャックフロストガチ恋勢もRotGはRotGの世界の中、広くともドリームワークスの世界の中で完結されててほしいファンとかも浮かばれんわ。
「認めるのも認めないのもその人たちの自由じゃんwwガイヤーダーットレェww(外野は黙っとれ)」とも言いたくなる人もいますか?
しかし、彼らはそれを踏まえた上でそうしてるだろうか?
そうじゃない上でそうしてるとしたら軽率としか言いようがない。
例えばこれがアイドルだったら?(偶像をアイドルと呼ぶならばガーディアンズも普通にアイドルの条件に当てはまるが…)
例えば、『とあるアイドル、芸能人本人にとっては根も葉もない文春砲が出る。
その芸能人の親(彼らの言動が別にアイドルの公式の見解になるわけではないが、影響力を持つ)や事務所が肯定や否定をするわけでもなくいいねとか、
果てはその記事の内容の関係者について肯定的ともとれる言動をしていたら?
しかも内容は、他の事務所の芸能人の腰巾着扱いをしているともとれる、よくてお菓子のオマケ扱いしてるような記事。』
どうでしょうか??
いや、ジョイス氏や落合氏の発言とRotGというアニメの公式は全部イコールじゃないけれど、お二方はずぶずぶの公式関係者、すなわちアイドルの親(アイドルとしての公式ではないがツイートにlikeボタンが押されたら良くも悪くも調子に乗るには十分)みたいな存在なので、
別ジャンルで別の人が言ってたんだけど、「たとえ俺たち(二次創作的な場所で盛り上がるタイプを指す)が狂ってても、公式だけはまともでいてくれよ」という切実な言葉を思い出し、そして身に染みる。
今なら某魔法学校の某ドラコくんが公式のLINEスタンプでずぶずぶのネタ系二次創作キャラを逆輸入された時の某ドラコくんファンの気持ちがわかる!!
我々が狂っててもジョイス氏や落合氏のような公式関係者の方々にはまともでいてほしさある。
罪悪感は無いのか?
あ~~~浮かばれねぇな~~~他のカップリングやクロスオーバーが好きな人間は浮かばれねえな~~~。
なあなんとも思わないわけ??ドリワ側の原作と主演が頼りないからディズニーの強火さに頼るしかないとか思われて、何とも思わないわけ??
ドリームワークスの見解はどうか知らんけど軟弱な日和った発言でもされたらマジで終わりなので終わらないで。
ディズニーの強火に頼らなきゃいけない。その点では信頼できることを知っているから。
なあ???恥ずかしくないのか???敵対会社の強火は信頼できるからそっちに頼ればとりあえずは安心とか思われて恥ずかしくないのか????
敵対会社の作品のキャラクターをくっつける必要が特にないんならわりとマジでやめてほしい。
ディズニー側がそんな事承諾しないことはわかってる(Frozenのエルサの言葉を借りると「あなた達の結婚は絶対に認められません」だ)
仮にそんな事言ったりしたら相手がドリームワークスのキャラだろうがイルミネーションのキャラだろうがひんしゅくを買うに決まってる。約束された敗北だ。
だったら公式側には何も持ちかけず、二次創作の範囲で留めておいた方が安心安全のクロスオーバー二次ライフを送れるかもしれない。
けど、そんな中で出過ぎた真似をする輩がいる。日本なら完全に炎上案件レベルだけど英語圏ではいかがなのだろう。炎上要素ゼロってわけじゃないよな。
先ほども述べたように、Change.orgというサイトで、「Aの主人公とジャックフロストを公式でコラボさせて出会わせましょう!」っていう署名キャンペーンを行ったあの界隈の者がいました。
ちなみにそういった署名キャンペーンが確認できる限り2回行われ2回失敗した。
オウ。妥当だ。そんなの成功させるくらいなら日本のRotG上映実現と原作翻訳出版実現を成功させろ。
あと日本語吹き替えの落合佑介さん、そのヘッダーはどうなんですかね?
まあそれを抜きにしてもそれ無断転載とかじゃないですよね。
違ったらごめんなさい。でも無断転載なら普通に変えた方がいいと思います。
わかんねえだろうな。
どうせ原作者や主演俳優がどう思おうがディズニー側がブレなければ非公式にすぎないから安心していいんだろうけどさ。そう言う問題じゃないんなよな。既に精神被害被ってんだよな。さっき言った通りあの界隈の署名のやつで公式にしろとかほざきやがった例があるからもうその言い訳も通じないんだよな。
世界が公正じゃないことがこれでよくわかる。
世界が公正ならもう少しマシだったよ。
じゃあジャックフロストとディズニーの某A側に別々に公式に恋人作る?
って?
え〜〜〜〜〜〜そういうのを作るにしろ作る理由が「他社作品のキャラを遠ざけたいから」みたいな雑な理由は嫌ですね。
あと個人的な意見ですがそもそもジャックフロストが好きなのは美形少年ながら安易に恋愛展開を持ってこられなかったのがホッとしたのもクソデカイです。