はてなキーワード: 雑務とは
オープンリーゲイと言っていいかわからないが長い間の男性の恋人がいたようだし(なんか別れたとか別れないとか書かれてましたがともかく)とりあえず本人は同性愛者だろうと思っています。
でもまあ男女の恋愛で男目線で「彼女」とのことを描いている曲はたくさんある。
それで久々に聞いてて気になったんだけど槇原敬之の曲の「ぼく」のジェンダー役割観はすごい。すごい昭和だ。まあ昭和の曲だから当たり前なんだろうけど、おそらく結婚しているわけではなさそうな男女関係で、でも一緒に住んでいる「ぼく」は家事を一切やらない。ボタンが取れた服は彼女がいなくなってしまったことを噛み締めるアイテムだし、自分の食事を用意することも覚束ない。ナチュラルに、全ての雑事は「彼女」の仕事で、彼女に感謝しているのは日々の雑務をやってそんなダメなぼくの世話を見てくれてありがとう!みたいなストーリーがめちゃくちゃ多い。
それを「おいしいパスタ作ったお前」みたいなマッチョな語り草ではなく「ぼく」と「彼女」っていう一見ソフトな村上春樹的モダンな言い回しでゴリゴリに旧世代の価値観だからなんか戸惑う。
たぶん槇原敬之本人は周りの男女(それもバブル時代の)を参考にして描いて、そのころはそういう女が家事!女は男の面倒見る!みたいなのが普通だったんだろうが、本人が男女の性別役割のない恋愛関係を築いているのに、母ちゃんとダメな息子みたいな変な男女の不均衡な関係を描くことになんか疑問とか抱かなかったんだろうか?
今の会社に転職してから初めての後輩が出来たんだけど、それが自分よりひと回り年上の人だった。
その人、物腰も柔らかいしとても良い人なんだけど、確認不足でした、認識不足でしたって謝ってるのを何回も何十回も聞いたし見たし言われた。
小さな会社だから1人のミスでみんなが困るし、フォローするのも大変だし、お客さんにも迷惑かけちゃうし、確認不足だったと思うなら、それを何回も繰り返してるのになんで最初から全部周りの先輩にやり方聞いて失敗しないように行動しないのか不思議でたまらない。
うちの会社の先輩はみんなすごく優しいし、聞けば丁寧に教えてくれる。
でもそれに甘んじて謝り慣れちゃってるのでは?と最近感じる。
謝ったらみんな大丈夫だよ次から頑張ろうって言ってくれるから、失敗しても謝ればいいみたいな。
そうじゃなくて、失敗しないように努力をして欲しいんだけど…あなた私よりひと回り年上でしょ?しっかりしてよ…と思ってしまう。
先輩は謝ったら許してくれるけど、お客さんは許してくれない人もいるだろうし、これからこんな事続けてたら顧客が離れる原因にもなると思う。
うちは本当に少人数の事務員さんでやってるからもちろん社歴の長い短いはあれど役職のついた「直属の上司」がいないので、誰もその人と面談して「どこがわからない?何が苦手?どうやったらお互い改善していけると思う?」って聞く人がいない。
もちろん私は思うけど、ひと回り年下のペーペーの女だからそんな事言う立場じゃない。
(面談はあるけど、一緒に働いてる人が現状をわかって寄り添って、というよりは経営陣への報告みたいになってしまう。)
私は生意気だし後からクレームとか後処理のお鉢が回ってくるのも嫌でガンガンその人にここ違う、これやった?ここ確認した?これの事?って聞いちゃう。
でも本当は自分で出来る様になってほしい。
その人が休みの日にお客さんから書類の内容違うって電話入って、全部私が作り直して送り直して…とか、もちろん私も失敗する時はたくさんあるし、みんながそれをフォローしてくれてとても感謝してるから、私もある程度のフォローはしてあげたいと思ってるけど、なんだかな。
その人が入ってすぐは仕事であっぷあっぷになってるのが目に見えてわかったから、本当は自分の持ってる雑務とかでやって欲しい事あったけど、可哀想だし仕事下ろせなかった。
2ヶ月、3ヶ月、まだまだ新人だし仕方ないと思った。
それでずっと仕事に慣れるの待ってたけど、でもそろそろ、まだ、ダメ?
あと自分が困ってること、業務で改善した方がいいこと、自分から発信しない。
このままじゃ辛いだろうに、どうしよう何やってんだろうグルグル(涙目)って感じだから、生意気な私はミーティングでこう言う事でこの人困ってますよ、改善した方いいんじゃないですかって言っちゃう。
でも本当は自分で言って欲しい。
自分で言って欲しいな、やって欲しいなってこと、私は一回やってみせて次からこうしましょうね、そしたらみんな助けてくれるからって言うんだけど、「自分発信して欲しい」ってこと、あんまり伝わってない気がする。
人には得意不得意があるし、仕事のスピードも違うし、苦手分野も得意分野も違うし、私にはないその人の良いところ沢山あると思う。
だからあんまりこの人仕事できないな…みたいなクソ生意気な評価を勝手に下して思ってしまう自分もなんだか性格悪くて嫌だ。
その人が普通に仕事抜きでおしゃべりする分には良い人な事はわかってるし。
社長や先輩が私が頑張ってることを評価してくれてるのも、お給料に反映してくれてるのも、その分その人より頑張らないといけない事もわかってます。
でも、なんだかな、私よりひと回り年上だよね。私より社会人経験も長いよね。だから、そろそろちゃんとして貰えないでしょうか。ダメでしょうか。
「新人は下積みから」やら「石の上にも三年」やらと色々と新人がつまらない雑務をしたりすることへ色々な言い回しや格言があるけれど、新人はこれらの言葉を一旦忘れるべきだ。
もちろん様々な言い回しや格言には過去の世代の積み重ねがあって示唆に富むものではあるのだけれど、ぶっちゃけお前ら新人がこれを真の意味で理解するには人生経験が足りなすぎる。
少なくとも「いま会話している相手の背後にはそれまでの人生経験がある」ことを畏敬の念をもって想像できるレベルにまで至らないと示唆を理解することは難しいだろう。なぜなら格言や言い回しは他人の過去の経験から生まれているからだ。お前ら新人には言い回しや格言を理解する過去が足りないのだ。
物理的に生きてる年数が短く過去が少ないのだから理解することを諦め一旦小難しい言葉は全て忘れてしまえ。これは物理的な問題であって仕方ないこと。
そもそもアレだ、この"下積み"とかっていう言葉の選択が物凄く悪い。これでは勘違いが生まれてしまう。どういう勘違いかと言えば「会社(上司や先輩などを含む)は新人を成長させるために下積みを経験させてくれている」という勘違いだ。
ハッキリ言うぞ?会社は金払ってるのだからそんなわけねぇだろ。
即戦力に使える新人のほうが会社も上司も先輩も喜ぶのは間違いないんだ。使える新人のほうが上司や先輩は他の仕事へ集中できるのだから、新人を受け入れる職場が一番最初気にしているのは新人が使えるのか使えないかだ。
新人がより成長する素地があるかないかなんて使えるか使えないか判断したあと考えること。成長する素地をまず最初に判断して欲しいなら学生に戻れば良い。新人は新人が求められることへ応えなければならないんだ。
さて、ここまで長々と陰鬱になりそうなことを語ったが新人へ対して「新人が求められること」とは何か?を書かなければならないだろう。
それは「上司や先輩が雑務に追われてより重要な仕事を処理する時間が消費してしまうのを防ぐこと」である。
人生の諸先輩方は思い出して欲しい。これまでの「使えると感じた新人」のことを。その新人は雑務に関して覚えが速くミスが少なく安心して任せられたはずだ。下らなく面倒な日々の雑務をこなしてくれる新人は例外なくその職場で使える新人として記憶されているだろう。
"下積み"などという言葉は新人が求められている本来の期待を霞ませてしまうので使うべきではないのではなかろうか。
だからこそアナタの職場では簡単でそこまで重要ではない雑務をまず与えるのではないか?その雑務の中で職場のいろはを経験させていくのではないか?
新人は知るべき。君が与えられたその雑務を処理することで職場の時間は節約され上司や先輩の仕事量は減って君は凄く役立っていることを。雑務に役立つことこそ先ず君が気付くべき評価基準であり仕事をこなしているという実感なのだ。
だから考えろ、どう動けば上司や先輩の時間を節約できるのかを、何を知れば上司や先輩の時間を節約できるのかを、どこまで成長すれば上司や先輩の時間を節約できるのかを。
良い上司ってなんだろうな。
難しいわ。
業務は丁寧に教えてるつもり。
ミスったら理由聞いて、間違って覚えてたらここ違うから直そうぜって言う。
本人が工夫して努力してるのは分かるから上手くできてたらばっちりじゃんって褒めるし、
自分がフォローしてもらったらありがとう、助かったって毎回伝える。
作業後の片づけなんか誰がやってもいいから自分が率先してやる。
出社が定時ぎりぎりでも別にと思う。
でもこれって、優しい虐待?みたいなのかもってちょっと思った。
メモ取らなくても気にしないけど、
何度同じ説明させられても怒らないけど、
誰がやってもいい片づけをずっと自分がやってるのも別にいいけど、
荷物置いてる間に定時すぎるのも気にしないけど、
嘘はつけない。
これが得意です、こういう工夫をしています、
今これを教えているところです、
雑務は自分の仕事だと思っていないし、作業始めるのは定時すぎてます。
良い上司ってどんなんだろうな。
でもこの間、すごくささいなことだけどそのまま放置しておいたら
さすがにまずいから注意したら「そんなことで?」みたいな顔されたから、
全然分かってないのか、やる気がないのか。
一人で怒られて自腹で尻拭いするの、しないしできないだろお前。
これが新卒ホヤホヤの新入社員なら、憎まれ役を買ってでも教えなければいけないだろうけど、
そうでもないからそこまで面倒見られないと思うし、
「そんなことで?」みたいな態度を出されると、こちらだって人間だからじゃあいいよって思ってしまう。
将来的に苦労するのは本人だろうけど、知ったこっちゃねえよって。
知ったこっちゃねえから当たり障りのないところでしか接しない結果、
表面的(本人的)には嫌な顔せず何度も教えてくれて、
雑務も下に押し付けない「良い上司」になってるのかもしれないけど。
何が良い上司なんだろうな。
本当に難しいわ。
→「配ってて」と土産を手渡しされたり、無言で机に置かれてたり
・ケーキなどの差し入れがあると、切り分けて配るよう要求された
・10時、昼休み、15時頃にお茶を淹れて社員に配る謎イベントがあった
→なぜか女性社員のみでやらされる
→客先常駐してたら言われた
・結婚してからも毎日残業していたら、上司に「早く帰って旦那さんのごはん作らないと」と諭された
・生理休暇が取れなかった
パターンいろいろ
→上司(女性)が「たかが生理で休むほどではない」と受け付けてくれなかった
仕事以外の雑務は、女性だから、男性だから、若手だからやらされるのではなく、
皆で分担できるようになればいいなと思います。
(自分で変えられるところは変えていきたい)
晴れて憧れの職業になったけど、やっぱり雑務や色々あって残業も多く、大変だった。
今年で初任研も終わり勤務校が変わる。
ちょうど一緒に学校に来た3年生が卒業するのを見て、ふと私も卒業かなとふと思った。
勤務校も変わるし、なんかそういう風のような気がした。流石に明日辞めます見たいなことはないけど、時期を見て。。。
色々迷いもあったし先輩とかにもとりあえずやってみたらと言われて3年頑張った。
残業代を計算してみたけど、給特法が無ければ未払金の残業代は遡って請求できる2年で300万くらいになるんじゃないか!!w
内容はだいたい「これの根拠を完璧に説明しろ」→「俺が若い頃はもっと大変だった」→「俺なんてゴミクズだって上司に言われ続けてきたけど出世出来た」→「優秀な若者様なら俺より出来るはずだろ」→「仕事を舐めるな」の定番コース
そんで上司はそのあと「はあーこんな毎日お前に付き合ってたら俺の時間無くなっちまうよー」みたいなこといつも言ってる。
で、俺はというとその上司に逆らえない。
例の如く「個人としての仕事」は出来るタイプで、それによって得た人脈があるし、そこからハブられると今の職場で苦しくなるから誰も逆らわない。
とりあえず新人君が振られそうな雑務は先に回収してせめて本来の仕事に集中できるようにしてる。
あとは自分の仕事と新人君の仕事で領域が被る部分に対して将来の引き継ぎ資料ということで分かりにくい部分の説明を残したりしてる。
でも新人君はどんどん疲弊していって、最近はいつも眠そうだし服とかも洗濯が間に合ってない感じになってきた。
あと、上司の新人舐めムーブが職場全体に広がってきて「コイツはとことん下に見ていい人間」って扱いが加速してきた。
正直どうすればいいのか分からん。
完全に私の天敵かつ敵対勢力みたいな人だな〜
ズボラでたしかに総務の備品注文とか忘れてしまって申し訳ない思いをするんだよね。ADHDグレーっぽいとこあってなかなか直せないんだけど。
細かいことに目を向けることとか、メイン業務で頭がいっぱいのときに雑務に目を向けるのがすごい苦手でさ。
落書きみたいな書類や写真の間違いとかはダメだと思うし私だって許容しないけど、備品とかホワイトボードの雑務気にしてる暇があったら仕事しろって思っちゃうな私なら。
だって備品切れてもホワイトボードの表記が欠けても、誰もそこまでは困らないし。それをきちんとするよりは、本業に認知能力のリソース割くほうが大事じゃね?余裕があったらそこまで気を回せばいいけどさ。
https://anond.hatelabo.jp/20210228234557
を読んで,じゃあ准教授になるとどうなるのか書いてみよう。
コピペですむ部分はそのまま利用している。
40代前半で旧帝大の准教授 (任期有→もうすぐ任期無になる予定)。この業界ではそこそこ勝ち組と呼ばれる部類だと思う。
日本トップクラスとも言えるこのポジションで、私が普段何をしているのかを書いてみたい。
准教授とはいえPIなので在籍する研究室に居る学生のうち10名ちょいに対して研究指導を行っている。各人に対し、一対一のミーティングを月に 1 時間行うため、トータルで週3~4時間くらい。
それに学会論文チェックなども入るのでトータルだとこんな感じかな。
学生の研究の進捗を研究室メンバー全員で確認するための会。実質的な研究指導はここでおこなわれる。
学部生,大学院生向けの講義を週に平均すると2コマくらい受け持っている。
実際には前期後期で異なるので必ずしもこのとおりじゃないけど。同じ専攻の中では多いほうだと思われる。
数は少ないが非常勤などもそれなりの数あるので実質はもうちょっと多いか?
ちなみに講義の準備は一度したら終わりと思われがちだけど、意外なことに毎年それなりの時間をかけてアップデートしています。
月1~2回の会議が6~7個、一回2時間程度あるので平均するとこのくらいかな。
大学院、学部などの組織ごとに、運営、教育と異なる目的で会議が行われるのでかなり多い。
とはいえ、昨年はオンライン化されたおかげで自分と関係ない業務の際には全力で他のことができたのはありがたかった。
今後もこのまま進めたい。
うちは事務補佐員がいるので、基本的に雑用は全部お願いして週1回打ち合わせをするだけですんでいる。
補佐員を雇う前は週4時間くらいは領収書の処理とかをしていた気が。
ただし、事務補佐員は外部資金で雇うため、外部資金が切れるとまた事務作業との戦いになるので、
研究を継続するためにも研究費を切らせられないのでかなりつらい。
学会の運営 (研究会の準備など) は主に大学教員がボランティアでやっている。元増田には
とあったが、学会関連の雑務はステージが上がると異なる雑務が降ってくるだけな気もする。
助教氏は査読に結構時間をかけてくれているようだけど、その査読の割り振りなどが今度は仕事になってきたりする。「割り振りだけなら楽じゃない?」と思われるかもしれないが、結局論文を読まずには割り振れないので、論文を読む数は増える。
もちろんそれ以外にも研究会の運営やら学会の理事会やら・・・色々あります。学会運営委員とかなると、もう。
助教氏は書いていなかったけど、様々な研究プロジェクトに参加することが多いので、それに相当時間がとられる。
プロジェクトなら研究だろ、と言いたいところだけど、報告書の執筆やプロジェクトメンバーとの会議などを含めると相当時間を取られる。
大体いつでも本だの依頼原稿だのが2、3個はスタックにたまっている気がする。
それにプラスしてマスメディアからの取材とか、国や企業からの相談とかインタビューとかがある。
そして、講演。企業や団体からの講演依頼にこたえていくと結構時間がとられる。講演そのものは1時間くらいだけど、その準備になんだかんだ時間がかかる。
というわけで、トータルだとこのくらいになる気がする。
ということで、以上の項目の合計で 42時間。1 週間の所定労働時間 (8時間×5日 = 40 時間) はすでに赤字である。
え?自分の研究?もちろん、実際には(12時間×5日 = 60 時間)くらい仕事しているので、18時間くらいは何とか確保していますよ。
コロナ禍のおかげで移動しての会議が無くなったのでオンライン化最高だと思わざるを得ない。
最後に、助教氏は雑務をあまり押し付けられなかったとのことですが、うちの元ボスもそんな感じだったので、それを見習って若手のためにもなんとか雑務は自分たちで止めておきたいところですね。
その結果、その分自分の研究できなくなって老害とか言われるようになるのかもしれないけど。
そして、うちには助教いないけどな!
https://anond.hatelabo.jp/20210228234557
を読みました。上の記事の方とは別人ですが、同業者として色々と思う所があったので書きます。初めての増田です。
自分を勝ち組とは思っていませんが、年齢や職位などはこの記事を書いた方と似ています。ただ、多分私の方が少し年上です。
各所で反響があったようですが、基本的には過酷な労働環境で頑張る若手教員、すごいな、頑張っているな、というような反応が多かったように思います。私も他人事として記事を読んでそう思ったのですが、ふと自分のことを振り返ると決して自分の労働環境が過酷とは感じておらず、大変幸せな日々を送れているなと思いました。大学教員のような仕事に対してよくあるイメージとして、好きなことをやっているのだがら、異常な労働時間も苦にせずに働く、といったようなものがあるかと思います。しかしながら、私の幸せというのはそういったものではなく、むしろ大学教員の裁量を最大限使うことでワークライフバランスを保ちながら、学生と刺激的な議論ができ、たまに面白い発見もありといった具合に割とゆるく楽しむといった感じです。こういったケースはレアかもしれませんので、私の大学教員ライフを共有できればと思います。
元記事の方も書かれているように、大学(院)教員として研究室やゼミでの学生指導は最も重要な仕事だと思います。が、私は1人あたりにかける時間としては元記事の方の1/2 - 1/3程度です。基本的には配属時に時間をかけて研究ゴールの共有と中長期のスケジューリングをして、あとは学生におまかせです。人前で発表したりする訓練は当然必要なので、週0.5時間程度/人ミーティングで発表してもらいます。もちろん、学生から議論したいと言ってきた場合はこの限りではありません。そのときには、なるべく少ない時間で議論の成果を増やすために、分からない事がある場合はなんでもいいので自分の仮説を持ってくること、をゆるやかに要求しています。そうでない場合は、「とりあえず2,3日考えてみて、俺も考えとくから、あとで答え合わせしよ」てな感じで一旦追い払います。2-3日後に答えが出なかったらその場で一緒に考えます。ちなみに、私は学生といろいろお喋りするのは好きなので、この部分が多少増えても苦痛ではないのですが、お互いの効率を考えてこのくらいの配分にしています。投稿論文を書くときはある程度時間を使って一緒に書きます。
このあたりは大学や学科依存で若手教員の負担がかなり違う部分だと思います。平均的な実負担時間でいうと私は元記事の方の1/5程度です。
私の学科では単純に教員の数が比較的多く、負担が少ないといった部分があるとは思います。ただ、学生実験に関しては、技官さんやTAと打ち合わせをしっかりして、学生実験の数ある業務(設営、実験前の講義、実験中の巡回、試問、採点などなど)のうち、どの部分が教員にしか出来なくて、どの部分は技官、TA、学生に担当してもらえるかはいま一度考えてみるといいかもしれません。意味もなく教員が実験室で巡回するといった無駄があるならばそれをへらす努力は必要(だが多くの学科でされていない)だと思います。
このあたりは同程度です(週3h程度)。好きではないですが、気晴らしと思えばそんなに苦ではありません。また、自分以外(秘書さん、大学事務、学生)にふれると思った仕事はどんどんふっていきます。例えばオープンキャンパスの運営が例にあがっていましたが、こういった毎年殆ど同じ内容の仕事(上の学生実験も実はそう)は、マニュアル化して多少のバイト代さえ工面できれば、自分で動く時間はだいぶ減らせます。
この仕事を苦にしないために、アブストをよく読んで1.本当に読みたい論文である場合 2.自分の専門に合致しており容易に論文の価値を判断できる場合 のどちらかに当てはまる場合以外は断るようにしています。1であればどうせ後々読む論文を先取りできてラッキーですし、2の場合は4-5時間くらいで査読レポートまで書き終えられるので、締切直前にぱぱっと終わらせます。月2くらいのペースなので、時間的には元記事の方の半分くらいです。この一年は皆引きこもって論文を書いていたからか、依頼がめちゃくちゃ増えました。査読をするといかにも科学コミュニティに貢献しているといった気分にはなるのですが、一方で、査読する価値もないゴミ論文も相当数投稿されるので、そういったものはしっかり査読する前に断るようにしています。
科研費はもちろん、プロジェクト型予算、色々な財団の助成金をとにかく出せるものはすべて出します。結局お金があると、秘書さんを雇えたり、学生にバイト代を出せたり、研究にしても既に新規性のない開発部分は外注したりと、かなり自分の時間を買えるので、ここは力を入れてやっています。募集が沢山ある時期は一日中申請書を書いているときもあります。
基本、断っています。個人的な感想ですが、研究者の数は増えないのに年寄り(に限らず若手の会みたいのも沢山あって困りものなのですが)の同窓会のような学会が増えて、お互いに何が違うのかも分からない研究会が乱立しているような印象を受けています。私も以前は参加していたのですが、そういう学会に行って懇親会なんかがあると、決まって皆大学事務の悪口や、如何に大学での雑務が忙しいかで盛り上がります。私達が今参加しているまさにこの会こそ意味の薄いものなのではないかと考えるようになり、基本的には学会には参加しないようになりました。
さて、残りの時間で自分の研究です。上の項目はあくまで平均であって時期によって忙しさが違うので、何週間も自分の研究が進まないこともありますが、逆にどかっと時間があいて没頭できることもあるので、無理せずに自分のペース進めています(それを可能にするためには、極端な競争になりにくい研究テーマを設定するなど、それなりに考えてやる必要はあると思います)。
随分な長文になってしまいました。自分の周りの若手助教の先生なんかを見ていても思うのですが、どうも大学教員は忙しい!雑務多い!それでいて待遇ひどい!学生は使えない!といったような思い込みに縛られている人が多いのではないかと感じます。過酷な環境で業務をこなすスーパーエリートってな感じでやっていくのも悪くないですが、現場でできる効率化をどんどん進めて、ゆるふわハッピーに研究をするっていうのもアリなのではないかと思う今日この頃です。今年度からは科研費等の研究費を一部自分の給料にあてることも出来るようになり、大学教員の待遇は良くなってきている部分もあります(予算とれば給料ふえる)。個人的には、大学教員は自分が研究を好きという点を差し引いても十分魅力的な仕事で、若者にすすめられる仕事です。
頭の良さそうが数時間とはいえ、雑務をこなし、かたや民間企業じゃコネなしじゃ就職先がなく、生活保護受給者になってもおかしくない人間が自民党に入って議員として偉そうにしているんだからな。なんという皮肉だろうか。
30代前半で旧帝大の助教 (任期無し)。我ながら、この業界では勝ち組と呼ばれる部類だと思う。
日本トップクラスとも言えるこのポジションで、私が普段何をしているのかを書いてみたい。
私の在籍する研究室に居る学生のうち 8 名 に対して研究指導を行っている。各人に対し、一対一のミーティングを週に 1 時間半行うため、トータルで週 12 時間となる。
基本的に、私がやれば 2 週間で片付くような作業に 2 年くらい費やす学生が大半だ。旧帝大とは言え、自力で英語論文の読解や、プログラムのバグ取りができない学生の方が標準的なので、これはまあ仕方がない。これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組む他ない。
専門書を学生だけで読むのはハードルが高く消化不良にしかならないため、解説役として教員が参加する必要がある。私は 2 種類の輪読会に参加し、各 1 時間半を費やしている。
学生の研究の進捗を研究室メンバー全員で確認するための会。他の教員から指導学生のテーマについて意見をもらう貴重な機会。
学部学生向けの実験科目を二つ担当している。各およそ 4 時間で、週 8 時間。午後が丸々つぶれて体力的にもしんどいが、これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組むしかない。
なお、昔は助手二人で一つの実験だけ面倒を見るという体制だった (らしい) のが、いまは助教一人で二つ担当しているので、負担は 4 倍になっている。
大学学内には教員でローテーションしている様々な雑務が存在する。例えば広報なら、ホームページ管理からオープンキャンパスの準備まで幅広いお仕事がある。これで賃金をいただいている以上 、真摯に (以下略
研究室の環境整備は若手教員の仕事である。実験ハードウェア・ソフトウェアの調達やメンテナンス、学生の使用物品やアカウントの管理などなど、細かい仕事がいろいろある。
学会の運営 (研究会の準備など) は主に大学教員がボランティアでやっている。もちろん実行部隊は若手である。昔と違って若手が少ないので、所属する複数の学会で運営の雑務をこなさなければならない。私の 3 時間/週はかなり負担の軽い部類と思われる。
査読付き学術誌の品質を担保しているのは当然、ボランティアの査読者である。基本的に、自分の論文が掲載された論文誌からの査読依頼は、引き受ける道義的義務があると思う (自分の論文もボランティアで丁寧に査読してもらったわけなので)。
毎週あるわけではないが、月に 16 時間くらいは査読に費やしている (これは少ない方だと思う)。
ということで、以上の項目の合計で 1 週間の所定労働時間 (8 時間 × 5日 = 40 時間) は終わりである。
毎日 3 時間ずつ残業して、土日も 8 時間ずつ出勤すれば週に 31 時間は研究時間が確保できますよ。いつも脳みそクラクラで死にそうになるけどね。
上記を読んで何か違和感を覚えなかっただろうか。そう、私は若手助教にも関わらず、「教授の雑用」を押し付けられていないのである!
これは私のボスが聖人君子 (SSレア) なので、「若い人は研究時間を確保しなさい」と言って、雑用を全部自分でやってくださるのである。
多くの助教は、教授に押し付けられた雑用で残業時間を食いつぶしてしまうらしい。しかし、これは決して教授がサボっているというわけではないということを強調しておきたい。そもそも教授自身も異様に忙しいので、並みの事務処理能力では、手助けなしに雑務をこなしきれないという悲しい現実があるのだ。
欧米に住んでる日本人がコロナで盛り上がるアジア人差別のせいで(主に中国人の巻き添えで)被害に遭うニュース大好き。
こういう記事読むと一日心が晴れやかになる。コロナで増えた雑務でイライラする日々の数少ない癒やしだ。
ところが、仏「リベラシオン」紙のフェイクニュース検証コーナーでは、パリ警視庁が「襲撃で酸が使用されたことは確認されていない」と述べたと報じられている。
事件の現場となったパリ17区の区長は、「襲撃で酸が使われたかどうか、またアジア人差別的な性格の襲撃かどうかは現時点ではまったく確認できていない」というメッセージをツイッターに投稿し、「監視カメラの映像では告発された事件の時間と場所での襲撃は確認できていない」と付け加えた。ツイートには日本人とみられるアカウントから批判の声が寄せられている。
ところで我らが差別大国日本では何人ぐらいの中国人が病原菌扱いされてぶん殴られたの?
初期に感染爆発したイタリア人なんて毎日のように「毛唐は国に帰れ」と心無い差別暴言をぶつけられたことだろう。
変異ウィルスを日本に持ち込んだバカ記者の巻き添えでイギリス人は熱いミソスープをぶっかけられるテロに怯えて家に引き籠もる日々を過ごしているのか。
ヨーロッパの人権先進国でさえこの記事の有様なのだから日本での差別事件は凄まじい数になっているに違いない! ……そのわりには全然聞こえてこないけど。
そういう問題もあるなぁ
親戚の子を偶に構ってた程度の経験で小さい子好きだしお世話なら楽勝〜って軽く保育科に進んでピアノが弾けないだの実習でクソガキに当たったりモンペや雑務の多さに辟易して保育士を諦めるやつが……
こう書くと妻にATM扱いされた夫の話だと思われるかもしれないがそうではない
読んで字のごとく、自分がATMの中の人として働いたときの話である
今から20年ほど前、某金融機関に入社した私は適当な集合研修を受けたのち、とある支店に配属された
今では多くの金融機関はATMの管理・現金装填を警備会社へアウトソーシングしている ただ当時はそういった雑務も全て職員の仕事であった
郊外の支店であれば比較的平和だったのかもしれないが、私の支店は繁華街のど真ん中にあり、周囲は飲み屋やパチンコ屋、場外馬券売り場などに囲まれていた
そうなると客層は当然悪い
紙幣しか入らない投入口に硬貨を投入しATMを壊そうとするおっさん(口座残高が800円だったので200円入れて1000円にして引き出してパチンコに行きたかったらしい)
「UWF銀行に振込したいのに画面に出てこない」と怒鳴るおっさん(どこの格闘技団体だよ)
紙幣にゴムをつけたまま入金しようとするおっさん(面倒でもゴムは自分ではずせ) などなど
そしてそういったATMトラブル以外にもう一つやっかいだった仕事がATMの現金検査である
これは抜き打ちで行われ、朝出社すると上司から「増田君、今日3号機と5号機の検査ね」と通告される
土日にATMの現金が足りなくなっては一大事なので、金曜の夜にはATMに相応の現金を装填する
これを悪用して金曜の夜にATMから1000万円ほど抜き取り土日の競馬で単勝1.1倍の銀行レースにぶち込み1100万円に増やして1000万円は月曜朝に元通りに返却
そういった手口で着服していた職員が過去に居たらしく、抜き打ち検査は週明けを中心に徹底的に行われていた
ATMを利用停止状態にしたうえで、現金精査ボタンを押すと10分程度でATM内の現金残高が表示される
そののち、中のお金を抜き取り全部数えたうえで上司立ち合いのもとでチェックを行う これだけで1台あたり40~50分はかかってしまう
その間もおっさん客たちはあの手この手でATMを破壊しようとするので、私は朝から晩までATMのメンテナンスに追われていた
最初のころはいくらやってもエラーから復旧せず業者を呼んでいたのだが、自費でピンセットやエアースプレー等を購入した成果もあり、いかなるエラーでもすぐに復旧出来る腕前となっていた
週末の現金装填についても、当初は適当にやっていたので現金不足や現金入れ過ぎになっていたが、支店周辺の情報収集を隈なく行い、
「明日は隣のパチンコ屋で北斗のイベントなので装填額普段の2割増し」「日曜は宝塚記念なので現金目一杯いれて帰ろう」などしっかりした予測が立てられるようになっていた
ATM担当となり半年が経過し、本来ならジョブローテーションで私はもう一人の新入社員と職務を入れ替わる予定だったのだが、そいつが休日にフットサルをやっていてアキレス腱を断裂するという
とんでもないことをやらかしたせいでさすがにATM担当は無理という話となり、これまで同様にそいつは融資事務見習い、私は引き続きATM担当を続けることとなった
当初は重労働だったATM担当も慣れてしまえばなんのことはない 鼻くそをほじりながらでもエラー復旧が出来るようになった私は適当に仕事をさぼりはじめた
ATMの裏は個室となっており客からも他の職員からも見えない そのうえ空調も万全なので居心地もよい 私はこっそり持ち込んだ文庫本を読んで暇を潰していた
そんな私にとんでもない天敵が現れた 今では誰も見ることもなく手にすることもない、そう幻の二千円札の登場である
ATMメーカーは二千円札に対して必要最小限の改修で対応した 「二千円札は入金可能だが出金は出来ない」というシステム変更である
通常のATMは千円札と一万円札は循環(他の顧客が預け入れた紙幣を、別の顧客の支払に充てる)させているが、五千円札や二千円札はその他紙幣用のボックスに収納する仕組としている
通常であればその「その他ボックス」に入るのは五千円札か使用に耐えないくらい損傷した紙幣だけ なのでその他ボックスはかなり小さめに作ってある
そこに二千円札が入るようになってしまったのでその他ボックスが満タンになるというエラーが発生するようになってしまった その都度ボックスから現金を抜き取る作業に追われる私
「まあ二千円札も目新しさでみんな使ってるだけで、すぐに流通しなくなるだろう」そう考えていたところ、二千円札の不人気ぶりに業を煮やした日本銀行はとんでもない手を打ってきた
日本銀行の金庫に山のように積まれた二千円札をどうにかして市中に出すため、各金融機関に対して二千円札の使用を義務化してきたのである
金融機関は新札が必要なときには、日本銀行から必要な分だけ都度引き出す
その引き出しの際に「必ず一定の割合二千円札を引き出すこと」という頭のおかしい通知が出され、日本銀行内に山積みされていた二千円札が市中の金融機関の金庫へと運び込まれていった
しかしながら窓口で二千円札を引き出そうとする顧客はほぼいない 仕方ないので職員に対して「給料支給日には二千円札で現金を引き出して持ち帰ること」という社内通達が出されてしまった
職員はとりあえずは二千円札を持ち帰るが当然使い切れるわけもないので、適当な頃合いを見てこっそりATMで入金する
「窓口で二千円札を引き出して持ち帰る」⇒「使い切れないのでこっそりATMで入金する」⇒「二千円札が大量に入金されてATMでエラー発生」というコンボが完成し、私はエラー対応に追われた
入社2年目の四月、私は1つ下の新入社員にATM担当を引き継ぐはずであった
しかし残念なことに、当支店に配属される予定であった新入社員が入社後の集合研修中に退職するという面白イベントが発生し、私は更に続投することとなった
9回を投げ終えてベンチ裏でアイシングしていたところで、「ごめん、明日以降に備えてリリーフ陣を温存しておきたいんで延長も投げて」と告げられた先発投手の気分を味わいながら私は引き続きATMを直し続けた
そしてある日、「自分が入社したのは日立でも富士通でも沖電気でもねえぞ なんで俺は年中ATMをメンテしてるんだ」ということに気付いた私は会社を辞めることにした
金融機関は何気に離職率が高いので2~3年目の職員が辞めることは別に珍しい話ではない
一応形式的に引き留められはしたが、私の退職の意思が固いことが分かるとその後は事務的な手続きが進められ、申出の翌月末には退職することが出来た
出社最終日、業務終了後に挨拶を終えると支店長と職員一同からそれぞれ餞別を頂いた
「1年ちょいで辞めた自分にもわざわざ餞別を渡すのか」と思いながら受け取ったが、帰宅後に封筒を開けると中には二千円札が数枚
その瞬間私の感傷的な思いは一気に吹っ飛び、「ふざけんなよ!このクソ紙幣のせいで会社辞めることになったんだろうが!」とブチ切れてしまった
自室の机の引き出しを開けると、引き出したあとで使い切れなかった二千円札が10枚程度あった
自分の身の回りからすぐにでも二千円札を消し去らなければと考えた私は手許の二千円札を全て財布に入れ、夜の街へと出かけた
数万円程度のまとまったお金を一晩で使い果たせる場所はどこだろう、色々と考えた私は繁華街にあるラブホテルへ入りそしてデリヘルへ電話をかけた
30分ほどして、ドアがノックされ若くて綺麗な女の子が入ってきた
シャワーを浴びベッドで色々と楽しんだのち、女の子の方からOKを出してきたので私たちは二身合体を果たすことが出来た
出すものを出し終わってずるりとちんちんを抜くと何もついていない 「えっ、はずれちゃったの」と慌てる女の子
スクールカーストとか主婦のカーストとかネットでは聞いていたけど自分にほ関係ないなーって思ってた。ら、カースト下層が現れてカーストが成立した話を書くよ。しかもそのカースト下層から足を引っ張られた話も。
私は社会人サークルの創設メンバーだ。仲良しが集まっていろいろやってるうちに知名度もでてきて人も増えた。
私の役割は事務系。会計とか書類管理とか、その他発生する事務雑務諸々。
もともと気心の知れた仲間内でのことだったから、それぞれが得意なことが自然と役割分担ができましま。
愛嬌があってお話しが得意な人はイベントの司会運行とか、パフォーマンスが得意な人は看板パフォーマーに、私は堅実派だったのでお金の管理と文章作成を任されたのがキッカケだった。
ただ楽しくてやってたんだけど、いつの間に人気がでて、大きなサークルになって仲間が増えて良かったねって思ってた。古いメンバーも新人もみんな仲間って思ってた。
ところが。
ある新人が運営の手伝いをしたいと言ってきた。2軍の子だったけど真面目でテキパキ動いてくれてみんなから信頼された頃、事件は起こったのです。
打ち上げで私をdisりはじめたの。冗談かなってスルーしてたら、そのうち他の創設メンバーあげをしてきた。彼女曰く、司会担当者や看板パフォーマーはキラキラしてて憧れなんだって。でも私は事務とか地味系で冴えないってことらしい。
実はその子は前々からそういう雰囲気を匂わせてた、あれっ?って思うことがあったから本性がでたなって思った。けど、他の創設メンバーはビックリしちゃってさ、「こいつ何いってんの???ハァーーー???」って。
そもそもその子自体が垢抜けなくて地味で…もちろんパフォーマンス的なことも未熟の2軍だったから、びっくりよね。
そんなこと考えてたの?って。
とにかくいままでがむしゃらにやってきて、カーストとかまーーーったく考えたことがなかった。そもそも仲良しグループの集まりだったからね、そんな意識なかったわけよ。それぞれ役割をきちんとこなしたからイベント成功したね、って意識だったし、黒字が大きかったときは皆んなで騒いでさ。そこに新人がカースト持ち出してきてビックリしたわけよ。
で、私をズルズル引きずり降ろそうとしたってわけ。
この時気付いたのが、「もしや私って上位カーストだった??上位カーストゆえヒエラルキーがあるなんて知らんかだあんやろか」ということだ。
国のおエライさんが貧困を想像できないように、わたしも別の立場の存在に気づけていなかったのだろうか。
心理的に「引きずり降ろされる」という感覚がぴったりで、無意識にわたしは彼女を「下」として接していたのだろう。
反省したけどね。
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。