オープンリーゲイと言っていいかわからないが長い間の男性の恋人がいたようだし(なんか別れたとか別れないとか書かれてましたがともかく)とりあえず本人は同性愛者だろうと思っています。
でもまあ男女の恋愛で男目線で「彼女」とのことを描いている曲はたくさんある。
それで久々に聞いてて気になったんだけど槇原敬之の曲の「ぼく」のジェンダー役割観はすごい。すごい昭和だ。まあ昭和の曲だから当たり前なんだろうけど、おそらく結婚しているわけではなさそうな男女関係で、でも一緒に住んでいる「ぼく」は家事を一切やらない。ボタンが取れた服は彼女がいなくなってしまったことを噛み締めるアイテムだし、自分の食事を用意することも覚束ない。ナチュラルに、全ての雑事は「彼女」の仕事で、彼女に感謝しているのは日々の雑務をやってそんなダメなぼくの世話を見てくれてありがとう!みたいなストーリーがめちゃくちゃ多い。
それを「おいしいパスタ作ったお前」みたいなマッチョな語り草ではなく「ぼく」と「彼女」っていう一見ソフトな村上春樹的モダンな言い回しでゴリゴリに旧世代の価値観だからなんか戸惑う。
たぶん槇原敬之本人は周りの男女(それもバブル時代の)を参考にして描いて、そのころはそういう女が家事!女は男の面倒見る!みたいなのが普通だったんだろうが、本人が男女の性別役割のない恋愛関係を築いているのに、母ちゃんとダメな息子みたいな変な男女の不均衡な関係を描くことになんか疑問とか抱かなかったんだろうか?
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そうなのか。自分の周りのゲイはハンプティダンプティみたいに背格好も顔つきもなんか似通った見た目のカップルが多いから男女役割があるようには見えないけど当事者からしたらそ...