はてなキーワード: 雑務とは
現場チームが忙しくてみんな疲弊しながら業務こなしてるの見ると
大変そうだなと思うので、みんなが現場出て動けない時の先方への申請書送付や
着払いの荷物代わりに受け取ったりだとか、書類のコピーやホワイトボードへの予定書きだとか会議室予約だとか
ご飯の買い出しだとか本当なら現場チームの下っ端がやらないといけないような雑務を
代わりにお願いされたらやってあげたりちょっとしたお菓子を差し入れしたり愚痴を聞いたり、
提出書類の不備なども本来ならそのチームの責任者が責任もって先方へ確認取るなりしてやらないといけないものを
丸投げされて代わりに全部やってあげたり(やってあげないとこちらの作業も滞る)
そうやって気付くとこちらの作業も増え、残業したり昼ご飯の時間削ったりして。
でも現場チームのリーダーや副リーダーが「お前ら頑張ってるからな~!ありがとな~!」
と現場チームの人たちにスタバ奢ったり、管理職会議で「現場大変だけどAやBが頑張ってくれてるから何とかできてる」と
現場チームのスタッフを名指しで褒めたり、案件片付いて「打ち上げだ~!美味いもん食おうぜ~!」と
現場チームの人たちが盛り上がってるの見ると、自分の時間やお金や気持ち使って手伝ったのにそういうのは
仲間として認識してもらえないんだなぁ。こっちの頑張りは見てくれないんだなぁとやるせない気持ちになる。
確かに現場には行かずに事務所内での作業に限ってしか手伝えてないからその一番大変な時間を
共有できてないので仲間としては認識されないんだろうなぁとは思うが。
そういう雑務しても認識されてないから現場チームからうちの上司へ話もいかないし
うちの上司もそういうのは見えてないから評価されないし給料に反映されるわけでもないし。
でもむなしい思いするだけだしなぁと雑務を断ったら断ったで(あいつ現場チームより全然暇なのに楽しやがって)とか
思われたりするんだろうなぁ、(やってあげた事よりやってくれなかった事の方が印象に残りやすいから)
打ち上げの席でグチられたりするんだろうなぁとも思い。
何より現場が忙しいときは本当に見返り関係なく手伝ってあげたいと思うからやってしまうし…
その時々ではちゃんと「ありがとな!ほんと助かったよ!」と言われるからそれ以上求めるのも贅沢なんだろうとは思うけども
でもやっぱり後から「あの時は本当に現場チーム頑張ったよな~」と語る時に自分はその頑張った人の中には
入れてもらえないんだよなぁというのが毎回毎回毎回毎回引っかかってしまってどうしようもない
プログラマ35歳定年説は、体力的なもの、新しいスキルを学び続ける事、SE、PM等へのシフトアップが必要な事から言われていますが、
私は、「その年になるまでPGなんてしてられるか」とか「その年までにはSE等のシフトアップは必要でしょ」みたいな感じでした。
匿名さんは、コーディングに限界が来て辞めるのではなく、人との絡みに嫌気がさして辞めているようにも感じます。
システム開発は、企業の都合で開発責任者が決められてしまうために、その人材により、下の者は苦労します。
プロジェクトは国家のようなもので、酷い政治家(PM、SE)の国で暮らす(開発する)のはしんどいと思います。
システム開発するうえで、一番効率が良いのは1人で作り上げる事だと思っています。つまり、35才定年説なんてありません。
1人で作り上げる理由は、人が言葉と文書だけでコミュを取って意思疎通するのには限界があるからで、
今では相当なモジュールが完成されているために1人で開発する環境は昔ほど悪くはないと思います。
規模がどんなに大きくなっても、根幹部分や仕組みは1人が仕様決定してコーディングしておき、
その他はテストやメンテが容易になるようなコーディング規則と、
出来る限り単純な仕組みを作って他のプログラマに守りやすいようにして複数で開発することがいいと思います。
サブシステム毎にSEがいて、同時開発していけば、似たような機能を持つ関数・メンバが大量に別名で作られてしまい非効率になってしまいますので、
この雑務SEは重要なポジションで、意図や目的が明確になっていて中でどのように動くかが明確でなければ、
あと、人が増えれば意思疎通のミーティングも必要になり、冗長的になってしまいますので、その効率化も求められます。
話しを定年説に戻しますが、
という体力的な面について、日々感じている事を書きます。
20代では、携わるシステムの関数・メンバ・変数等は、約数千個程度は記憶出来ていますが、
30代では、それが半分程度になります。40代では更にその半分程度になり、50代ではせいぜい数百が限界になってきます。
それを補うための開発環境の進化と、コーディング内のコメントの充実で、逆に不具合の少ないシステム構築が出来るので、
20代では一気に開発が出来ますが、デバッグに時間がかかり、50代では開発は時間がかかりますが、デバッグには時間がかからないという傾向にあります。
それでも数百程度を越えて来ると翌日には忘れていく部分があるため、日々、忘れている部分を確認して思い出す時間だけ開発にオーバーヘッドがかかります。
そのため、常に忘れては思い出してを繰り返す事になり、自身の記憶容量の限界を痛感する日々になってしまいます。
【人との絡みで限界を感じているのでしたら】
限界だと感じた時が、定年なのかもしれませんが、システム構築をする事が楽しいのであれば、いつでも現場復帰していいんではないでしょうか?
技術は日々、新しくなって行きますので、頭に入れるのは大変かとは思いますが、根幹はそんなに変化ありません。
私自身も、必要にかられて自分でマルチタスク・スクリプト言語を開発していましたが、
量子コンピュータにならなければ、どれも似たような構造でしかありません。
また開発したいと思ったりクライアントがいて需要があるなら、1人で出来る範囲を開発して、足りない部分は誰かに委託してみてはどうかなあと思います。
夜、コメダに行った
所用のために外に出て、その帰りの道すがらに寄ったので店内に入ったのは21:00頃になる
年末調整の提出書類や今年も駆け込んだふるさと納税の申請書、生命保険の契約内容確認や積読本などが溜まっていたのでそろそろどこかで片付けたいと思ったからだ。
正直ここのコーヒーは美味しいと思わない。
この時間にあのハイカロリーな食事も摂ろうとはいささか思えない。
ただ自宅では捗らないのは自明であるためどこか作業場所が欲しかった。
ここは地方都市だ、夜遅くまで営業している店の多くは居酒屋かチェーン店になる。
ファミレスはもとより検討外だった、田舎にとってファミレスはその名の通り『ファミリー向けのレストラン』であって、一人で訪れる場所ではない。この時間でも家族連れの顔見知りに会う可能性は充分にある。
だからコメダを選んだ、コメダはこの近辺に何店舗かあるのだけれど、車社会のこの土地で立地と駐車場にやや不便さを感じるこの店は恐らく知り合いと遭遇する可能性は低いと踏んだからだ、とても消極的選択だった。
それでもまだ21時台なので、きっと店内は賑やかなのだろうなと想像していたのだけれど入り口をくぐると店の中は驚くほど静かだった。
店内に客はいるのだけど、タブレットで読書をするサラリーマン、参考書を広げる女子学生、会話もそこそこに眠たそうに寛ぐ部屋着の男女、みな静かに自分の時間を過ごしているようだった。
店の一番奥の2人がけの席に座った、壁を隔てた向こう側ではイヤホンをした女性が何やら書き物をしている。しばらくすると穏やかなそうな女性の店員がお冷を運んで来てくれた。
メニューを開く、前言撤回をして珈琲を飲みたかったのだけど、この時間にそれを飲めばカフェインに弱い私は確実に眠れなくなるのでホットミルクを頼んだ。
以前東京を訪れた際、夜遅くまで営業しているカフェに入ったことがある。薄暗い店内に間接照明、洒落た内装、店内中央に置かれた一枚板のカウンター、ハンドドリップで淹れる珈琲。
ひとり観劇の余韻に浸るには整いすぎた空間だった。珈琲一杯の値段にとても驚いたのだけど、この空間を買ったと思えば決して高くはない。嘘だ、ちょっと格好つけた。伝票の値段を見た時、田舎者の来る場所ではなかったのだと思った。入り口でこの値段を見ていたらきっと私は気後れしてこの店には入れなかっただろう。
とはいえ、こんな場所が地元にもあれば良いのにと都会の街をとても羨ましく思ったのだ。
木の温もりがある内装、程よい固さのソファー、音量を最小限に絞ったBGM、穏やかな店員、手元の良く見える明るい店内、他人に興味を示さず思い思いの時間を楽しむ見知らぬ人々、何もかも完璧だった。ここのドリンクも決して安くはないけれど、あの三茶のカフェに比べれば破格だ。あそこでは深煎りコーヒーを頼んだのだけど、正直味は覚えていない。
しばらくすると注文したドリンクと一緒に小さな袋が小皿に乗って運ばれてきた。セットの豆だと店員は言う。そうだ、コメダは久しぶりで忘れていた。
マグカップの横に置かれたちいさなホスピタリティに少し目頭が熱くなった。思えば最近は仕事に忙殺され一人暮らしの私の生活は荒れていた。こんな心遣いを受けるのは久々だ。この値段でこれ程素晴らしいおもてなしを受けられることに感動した。
豆をつまみながら飲むホットミルクは格別に美味しかった。暖かさを保ったままのマグカップを両手で持ち背もたれに寄りかかる。今私はこの時間を買っているのだと思った。
夜コメダは最高だ、この静かな感動を書き留めたくて机の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取り出しボールペンで文字を綴った。こんなことするのは学生以来かもしれない。紙のスペースが足りなくなったので、こんどはここに文章を打った。おかげで雑務は全く捗らなかった。
このまま朝までここにいたいのだけど閉店時間が近づいてきたので会計を済ませ店を後にした。
店の外にでると冷たい風が肌を撫でた
大きく息を吸った。静かだ、完璧すぎる夜だ。
暗闇の中で少し寂しそうな車が私を待っていた。
どこに停めたかすっかり忘れていた、私は真逆の方向に向かおうとしていたらしい。
なんてことを考えながら車の待つ方へ私は踵を返すのだった。
首都圏の『意識高い人々』が地方を『可哀そうだ』と見下しているようにしか見えない。
地方の僻みだと思ってくれても構わない。
特に表現に関して『今は価値観がアップデートされたんだからこの表現は許されない』という意見をよく見る。
それは都会にいるからアップデートされたつもりになっているだけだ。
これはそういう地方のある地域の話の一例として、頭の隅にとどめてほしい。
「カ〇ワ」「メ〇ラ」「ツ〇ボ」このあたりの表現が当たり前のように口から飛び出してくる。
言っちゃダメなのはわかってるが、代替用語がすんなり出てこないのである。
それを学がないだけで切り捨てていいのか?
〇〇当番などの雑務は女性がやって当然(女性から出てくる意見)。
首都圏の意識高い皆さん、自分たちだけ価値観がアップデートされたのを勘違いしてないか?
私の知る彼らは兼業農家が多く、生活に手いっぱいで、政治にリソースを割く余裕がない。
それを考えるリソースの余りある首都圏の意識高い層は知らないだろう。
理系大学院生にとって実験というのは食べて寝て呼吸をするのと同じくらい当たり前にするものである。
人間ってどうして呼吸するの?なんて日々考えてる人がいないように、毎日研究室に行って論文を読み先生と先輩の研究の雑務をし自分の研究も進めて後輩の面倒をみるのに疑問なんか持ってなかった。
でも自粛期間を経て一回立ち止まってみたら、当たり前にしていた研究室生活ができなくなっていた。自主自粛期間が6ヶ月を超えて修了出来るかも怪しくなってきたM2の、心と生活の変化を記録してみる。
コロナ前は月-土で8時には家を出て研究室に行き、9時過ぎに帰って、日曜日は一日中バイトしてたから、毎日疲れてて自分のことも必要最低限しかできていなかった。夜でも日曜でも先生からメールは来るし、後輩からも添削お願いしますメールがくる。結局は自由時間も研究室業務をしていたから、本当にメールを確認せず過ごせるのはなんとか時間を作って高校の友達とご飯を食べに行く時だけだった(同じ大学の友達はみんな同じ境遇だから、一緒に何かしてても研究室関連の連絡が来たら即対応してた)。でも、連絡にはすぐ対応しないと先生から色々言われるし、特に先輩は嫌な感じでストレスだったから、すぐ対応できるよう携帯が手元にないと不安だったし、友達がトイレ行ってる間とかに新着をいつも確認してた。とにかく時間がないから付き合える人間が限られてくるし彼氏ができてもわたしは週7で労働してるようなものだから続くわけもない。
3月末、大学は研究自粛となり、バイト先も休業し就活も終わっていたから、大学生になってから初めてなんの予定もない1週間ができた。うちは実験室に行って手を動かさないと基本何もできないタイプの研究室だから、本当にやることがない。(この時はデータも大学から持ち出せなかった)。みんなすることないから誰からもメールがこない。携帯が手元になくても、不安にならない。思い切って1日電源を切ってみたけど、次の日つけてもメールが一通もなかった。幸せを感じた。
久しぶりに2時間とかかけて料理してみたり、道具と材料揃えていろいろなお菓子作ってみたり、夜になったらYouTubeみながら毎日45分運動してみた。どうぶつの森を買って一日何時間もSwitchと向き合ったり、録画して観る時間がなかったドラマをみたり(やっと逃げ恥みれた)、Netflixに入ってずっとみたいと思ってた作品を一気に観た。1時間くらい散歩したり、zoomで高校の友人と久しぶりに話した。夜も時間あるからパックしたりストレッチしてみた。メイクも、集めてても結局考えたくなくて同じものばっかり使ってたけど、毎日いろいろな組み合わせを試した。髪も巻く時間たっぷりあるし、実験しないから好きな洋服を毎日着れる。食べる量とかは変わってないけど、生活習慣が格段に良くなったおかげでニキビとかも無くなったし、体重も減った。何より毎日肩が軽くて快適だった。
そんな日々が1週間を超え3ヶ月が過ぎ研究が解禁された頃、研究ができない体になってた。研究室に行ってた時も、全く自分の時間がなかったわけじゃないけど、気力が起きなくてせっかく1時間あってもずっと横になりながら意味なくSNSを眺めてて終わってた。もうそんな日々に戻れなかった。
研究室に行かないと人生がこんなに楽しいのに、なんで年間50万円の学費を払ってあんなことしなきゃいけないんだろう。っていうかなんで50万円払って先生の研究の手伝いと後輩の指導してたんだろう時給マイナスじゃん。マイナスなのにストレスまで多くてなにこれ。あーもう無理無理。明日こそ行こうって毎日思って寝るけど全然家から出れない。買い物とかには行けるのに、研究室に行こうと思うと家から出れなくなる。
今思えば、ブラック企業みたいなものだった。もしこれが会社だったらみんな辞めて転職しろって言ってくるやつでしょ。会社はいいね、やめて次踏み出せるから。てか辛くても長時間でもお金もらえるからいいな。研究室ってね、入ったら合わなくてもストレートで卒業したかったら耐えるしかない。やめたら就職に不利だし、他大学に移動できるタイミングも限られてるし、仮面浪人なんて莫大なお金かかるし。学科のパワハラ相談室とかあるけど、有名な教授よりどうせ卒業する生徒を切り捨てるから何の役にも立たないし。
本当なら7月から大学行けてたけど行かないでもう9月も終わって自主自粛期間6ヶ月になっちゃった。
3ヶ月の空白分を実験するのも大変なのに6ヶ月ってやばいよね。だって今から実感してデータまとめて考察して修論書くの?無理無理。
何より今更先輩と先生と顔合わせたらなに言われるか分からなくて無理。同期からは気にかけてるよって連絡くるけど、2人きりになったらわからないじゃん。
でもせっかく就職先決まったし、今週内定式もあるのに就職できないのは嫌だな。推薦じゃないから迷惑はかけないかどもう就活したくないし…。
私の勤務先では四半期毎に社内報が作られており、今日私の手許にも社内報2020年夏号が届いた
そこには「2019年度優秀社員表彰」という記事が掲載されており、1年だけ同じ部署で勤務した彼が表彰状を手にしていた
私は入社してからかなり仕事の覚えが悪い駄目社員として周囲から認識されていた
どの部署でも入社1~2年目は駆け出しなので、仕事があまり出来ないのは仕方がない ただ、私は若手社員に求められる社内行事や飲み会の段取りも大の苦手としていた
部内での飲み会の出欠確認・店の手配・支払などとにかく私は何から何まで手際が悪かった
部署内からは店についてああしろこうしろと色々な要望が出ていたが、どうせ対応は出来ないので全て無視 出欠確認もいつも漏れがあり、狭い席に無理やり座ってもらったこともあった
「増田ー、食べ物ないからすぐに頼んでよ」「わかりました、すいませんほっけを人数分下さい」「なんでほっけを人数分頼むんだよ(呆れ)、店員さん2つでいいです」
というようなやり取りはほぼ毎回繰り広げられていた
そして、私が2年目を迎えた4月、我が部署に新入社員の戸折君が配属されてきた
戸折君は仕事の覚えも早く、雑用も完璧に熟した そして私が苦手としていた店の手配ではパーフェクトな対応を見せた
これまで私が無視していた「別料金払うから良い日本酒呑ませて」「腰が痛いから座敷じゃなくて掘りごたつで」「男性陣の足が臭いから靴を脱がない椅子のところがいい」
などといった各部員の要望を全て充たし、かつ予算もお手頃な店を次から次へと発掘してくるのである
「増田のときは毎回同じ店だったけど戸折君はいい店見つけるセンスあるね」など女性陣が本当に喜んでいたのをよく覚えている
忘年会の手筈も全て戸折君に任せ無事終了 二次会も終わり、最後に私と戸折君の二人で呑んでいるとき、「僕は増田さんのことが好きなんですよ」と急に告白された
あまりの予想外の展開に私は雷に打たれたように思い切り固まってしまった
「そうですよね、増田さんはこっち側の人じゃないですもんね 分かってましたけど」
そのようなことがあり、年明け出社時はとても気まずかったのだが、戸折君はこれまでと何も変わらない態度で仕事をしていた
その後少しして、時期外れの異動で戸折君は他の支社へ移っていった 新入社員は最初の部署に4~5年在籍するのが通常なので極めて異例の異動であった
これは私の想像であるが、カミングアウトしたあとで同じ部署で働くのは嫌だろうと戸折君が私に配慮し、上司なり人事なりへ掛け合った結果なのだろうと思う
部署内でも異動時には「なんでこのタイミングで」という話になったが、理由は誰も知らないようなので弊社なりにLGBTへの最低限の配慮が出来ているということだろうか
戸折君が居なくなったあと、私はまた部内で一番の下っ端へと戻ったわけだが、飲み会の店の手配は戸折君が残してくれたマニュアルを元にまともに熟せるようになった
元々私の部内での評価はかなり低く若手の中では最低レベルに近かったが、色々な雑務が出来るようになり仕事もどうにかこなせるようになったことで評価も中の下くらいまで上がった
本来こちらが指導すべき新入社員にフォローされっ放しというのは情けなかったが、彼のおかげでそれなりに仕事が出来るようになったのも事実だ
長かったと思うし、実際信じられないくらい濃い時間だったのは事実だ。
仕事は嫌いじゃなかった。人間関係とか、上司とか、そっちが原因だった。
辞めてから約2週間が経とうとしている。ありがたいことに、辞めてからのここ数日間連日誘って誘われて時間を作っていただいては話をした。
昨日、1泊2日の小旅行を決行した。完全に自分の趣味のためだけだったのに、趣味の範囲だったのに、何故か見つめ返す時間になり、書いてみたくなった。
新卒でAという会社へ入社した。コミュニケーションは最低限しかとらないような少しわがままな女だったが、この時ばかりは先輩、上司に恵まれていた。
同期は30人くらいいた。本社と支店に分けて配属されており、私は本社で働いた。同じ課には6人の同期がいたが、私と同じチームに同期はいなかった。その時から、ずっと1人だった。
会社はブラックで、8時に出社して22時まで働くような上場しててもベンチャー企業。1人はとんでもなく言葉足らずで、何を意図しているか理解するのに苦労した先輩、もう1人は手取り足取り教えてくれる人で、バランスが取れていていい環境だった。2人とも仕事がめちゃくちゃできる先輩。大好き。仕事自体は合っていた。ちゃっかり表彰されたり、他部署と仲良くやっていたり。
でもそれは、2年目の途中までだった。
1年目の終わりかけに上司が変わった。新しい上司は華やかな仕事しか興味がなく、その他の雑務を全て下に押しつけて、私はちゃんと監督しています!悪いのは下の子たちです!と堂々と上司に報告するような人間だった。
仕事はできる。ただ、100やりました!90数字が間違ってます!という。誤った90の処理を私がひとりでする環境。仕事スピードに関しての相性はよかったが、気持ちの方は半年で限界がきて、別のチームに異動となった。2年目の10月の出来事だった。
別のチームでは、1年目でお世話になった言葉足らずな先輩の下についた。そんなことをいっても私は先輩が大好きだったし、慣れとは怖いもので、言葉を汲み取って仕事ができるようになっていた。
しかし異動して1ヶ月後に告げられたのは妊娠と産休だった。産休に入るまであと5ヶ月、頭が真っ白になった。1人の同期と5人の1年目を抱えたチームが、数ヶ月後には出来上がる。
それからの5ヶ月は繁忙期も含まれた。5ヶ月間で1億の売上を出して、粗利を計算して総利益を計算した。気づいたら私はリーダーだった。3年目の4月の出来事だった。
ここまでの社会人生活で私が身につけたものは、相手が何を意図しているか、どんな情報を欲しがっているかを感覚的にを汲み取ることができ、仕事の相手、上司が輝くためにはどんなサポートをすればいいのか、売上をあげるにはどうしたらいいかが本能的にわかる。異分子な社会人が出来上がっていた。
物腰が柔らかくて、人当たりが良さそうな人だった。最初は仲良くやっていた。これはわからないだろうな、という案件は手伝ってフォローしていた。部長はこういうのが好きだから、必ずこういう報告をしておいてほしい、あの仕事土台まで出来ているので見ておいてください。仕事のタスクが平均の倍以上に多い会社だと思う。すぐについてくるのは難しいと思っていたし、フォローするのが当たり前の環境だと私は思っていた。1年後のある日、デカい炎上案件が起きた。誰かがやらかしたわけではない、完全な外的要因。もちろんその場に上司もいた。チーム内で解決できないと判断した私は、まず他部署の上席に声をかけた。この後こういった案件で、私の上司から連絡があるから力になってほしい、と。
毎日催促をした。わかったといっていた。さすがに無理だと思った。限界。このままだと取引先との関係もダメになってしまう。
産休に入ってから、一人だけ私のチームを手伝ってくれていた、別部署の上席がいた。あくまでこちらのフォローをしてくれる、部署を任せられている人だった。
その人とは妙にウマがあって、ツーとカーで話が通じるよくわからないけれどいい人だった。
私はその人に助けを求めた。親身に聞いてくれ、私の上司はその人の影響でとりあえずは動いてくれた。逆に私は、そのまま少し病んだ。この上司を私が手伝う意味って何だろう。尽くす意味ってないのではないか?こうだったら助かるだろうな、なんてのは私の自分勝手な善意。私は、別に一度も見返りをくれなんて思ったことはなかったのに。部下が困っているときに助けてくれる上司ならよかった。私が求めたのはそれだけだ。ただそれだけでよかったのに、その関係はその日に幕を閉じた。
私には上司はいない。上司の席にいる男のことを、いないもの、として扱うことにした。チームのメンバーは責められることがないようにと、これは報告しておけ、と同じチームの同期やメンバーには強く言うようにしていた。私は自分のわがままで、上司として扱うことを辞めたのだ。他の人に被害を被らせるわけにはいかなかった。
部下の面倒をよく見ており、売上も好成績を維持しているチームを率いる上司。ハリボテで出来上がった評価される上司を作ったのは、紛れもなく私だった。
私はその置物と話をすることはなかった。情報提供も辞めた。代わりに仕事をすることも辞める。全部全部辞めた。この直後から1ヶ月にかけて、仕事の管理ができない、金の稼ぎ方を知らない、売上の管理も債権の管理もできない、部長職がほしい情報が上がってこない、部下の面倒すら見れない、使えない置物の評価を、私は作った。ある人はいった。気づいたら全員あなたの味方だった。怖くなった。
私は私を殺した人を、社内で殺したのだった。置物はすぐ、孤立した。私は私が正気なメンタルを取り戻し、正常な生活を送るために、クラッシャーになった。その後置物となった人は病んで、12月に退職した。
私はその人が残していった残務を、一人で片付けた。係長が残した不始末を、社員の私が片付けるなんてのは異端なのに、私の当たり前だった。
1月から、新しい人が着任した。面談でみた私の印象は、多分大事なときに部下を裏切りそうだなぁ、と思った。しかしこのとき、既に採用は決まっていた。私に合わせたとき、私がどんな感想を抱くかが部長陣は知りたがっていた。正直、あまりいい人ではないと思うと正直に伝えた。少し難しい顔をして、そうか、といっていたのを覚えている。
そしてこの予感は的中することになった。仕事をしていれば、自分がやったことではなくても対応することが多々あると思う。この案件はすぐ限界がくるな、とおもって上に相談した期日一週間前の出来事。部長への報告は期日3日前、怒り狂っっていた。それでもその仕事を終えた1ヶ月後、新しい上司から嘘の報告を受けることとなる。3月の出来事だった。全ての裏どりをして私が出した結論は、きちんと辞める準備をしよう、だった。予算管理は私がしていたから、仕事を遂行する中でも、5月で自分のチームの年間予算の達成は見えていた。決算は6月、そこで部長に、今月の数字は部の数字にそのままオンできる数字です、と伝えた。月次の数字は行く必要性を感じなかった。年間やって評価されないわけがないのだから。この時適当にやる分には許されていた。それ以降は、売上も考えない、ただの社員になろう。役職はもっていたが、たかが主任。本来、責任なんてない。
私の顧客は超大手の外資企業と、大手の子会社、グループ会社、上場企業と大きく振り分けると6社ほど。取引先には相当額のお金を投資してもらいながら楽しく仕事をしていた。もちろん壮大な迷惑はかけていたが、それでも信頼関係は築いていたのではないかと思う。仕事が続けられたのは、取引先のおかげだ。社内だけだったら、私はとっくに辞めていた。クラッシャーを極めた私は、8月末で辞めることを伝えた。
上司以外からは、止められた。どこの部署に行ってもいいから、残ってくれないか、と打診もされた。
でも、疲れたのだ。
自分が悪者になって解決するなら、それでいいと思っていた。幸いにも、チームの社員からは信頼もあった。最後には、一人の同期と上司を除いてだったが。
同期とのこともすこしだけ触れておきたい。仲がよかったはずだった。上司の嘘のすこし前から、避けられるようになり、私から声をかけることを辞めた。避けられたのにお昼に誘ったりしていた私のメンタルは褒めてほしいが、一週間で流石に悲しくなったため辞めた。それから、彼女は私を彼女の支配下におこうとあれやこれやと画策していた。上司のこともあったので、私は皆が苦しめばいいなぁと思いながら、水面下で人が苦しむために働いていた。その時はそれが精神を保つ安定剤になっていたし、なんなら私が手放して増えた仕事量に2人とも疲弊していて、筋書き通りに話が進んでいくことにつまらなさを感じていた。想定外なことほど面白いことはないのに、筋書き通りに死んでいく。楽しくなくなってった。
無事会社に辞めることを伝えた後も、転職サイトに登録せず、年内はアルバイトをして過ごそうとしていた。すると取引先2社から引き抜きがあった。絶対きてほしい、損はさせない。なんてありがたい話なのだろう。少なくとも年内は働きたくないことを伝えた。なら派遣やアルバイトでもいい、なんて条件ももらった。個人的に遊びの計画を入れていたため、10月中旬じゃないと無理ともいった。それでもいいよと、受け入れてくれた。すこしだけ、人を信じてみてもいいかもしれないと思った。
今、一人で東北へきて、ここまで書き殴って思った。やっぱり歪んでいる。会社を辞めるときに、普通の女の子に戻りたいと思った。会社から帰って、人に会って、結婚して、子どもを産んで育てて、旅行に行ったりしたいなって。
でも、ここまで歪んだ私に普通を求める価値はあるのだろうか。求めていいのだろうか。私は、私が求める普通に戻りたい。
今の願いはそれだけだ。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
教員ってさ、なるまえはすごくやってみたいけど、やってみると意外となんでもないもんだな
教育、授業は義務としてやっているけど、やらずに済むなら辞めたい
特に実験は準備+実験当日の残業+レポート採点とシャドウワークが増えるのでコスパ悪い
教授に騙されて当てられちったんだ(てへ)
研究室運営は憂鬱で、日に日に学生のやる気が腐っていくのが辛い
重ならないグラフを見つめ続けて寝れなくなる
研究が好きだったはずなのに、ひたすら論文を書かされるという無間地獄に落とされた気分だ
時間を食う、精神をすり減らす、それでいて何も得られる感じがしない
なんか、こんなに終わりのない仕事を休みなしで続けながら、みんなそれほど辛そうじゃない
僕にはポリシーがない
場当たり的ですべてが雑務になっている
同分担するなら保育園とかから「子供が熱出したので迎えに来てください」って言われたら2回に1回は仕事抜けて迎えにいかなきゃいかんわけだし、今それやってたら重要なプロジェクトの重要なポスト外されるし、新しいプロジェクトにはアサインされなくなる。
そういういま女性が抱えてるハンデを無視して「男と同じ仕事できんのか」ってクソダサいし配偶者居ないのに偉そうなこと言ってるアホか相手が見えてないどうしようもない男のどっちかって感じだな。
個人的には男女平等は無理だと思ってるし、自分の能力的に細々とした雑務に忙殺されたら精神的に死ぬから、やってくれる彼女を尊重しつつうまくいろんなことに折り合いつけていくのが良いと思う。
https://www.orangeitems.com/entry/2020/08/25/111954
https://anond.hatelabo.jp/20200825185628
どちらも細かい点でそうかもね、と思う点はなくはないのだけど、あまりにももったいないというか
身近にも1人知ってるけど、リモワをやめたい人ってあまりにも時間の使い方が下手なんだと思う
例えばどちらも書いてる点として通勤時に色々していたとの事だけど、ここは自分も通勤してた頃同じような感じだった。
今はその同じ時間を電車ではない場所で過ごしてるがずっと快適に読書などできてる。通勤がなくなってできた時間は確実に有効活用できるよ。
運良くリモワできた人は、自身の生活を見直すとてもよいチャンスでもある。
それも周りに流されす自分でしっかり仕事とプライベートを切り分けて生活設計できる絶好のチャンスだ。
最も興味深いのはリモワで太っていく人と健康になっていく人の差だ。
自分は明らかにリモワ前より食事に気を使うようになり、運動量もそれなりに気を使うことでどんどん健康的になっている実感がある。
一時期少し中だるみはしたものの、プライベートな時間が増えたことにより生活習慣を見直すことができたのだ。
一方でリモワやめたい人は生活が自堕落になっていく傾向があるようだ。
通勤や職場で人に見られる事で張り合いを感じるというのはわからないでもない。休みの日を別にすれば人に見られる時間ってそれくらいだから。
自分も含めてだが、正直言って会社、というか職場中心の生活に依存しすぎていたんではないかと思う。これはほんとにもったいない話だ。
リモワで生活がだらしなくなってしまうかどうかはほんと自分次第なのだ。
あとチャットや通話を利用することでコミュニケーションが煩雑になるという指摘は、職場や業種によっては確かに起こりそうだ。
自分の職場でもしばらくの間はいわば「コミュニケーション過多」と言ってもよいようなやり取りが増える傾向があった。
しかし徐々にそれぞれタイミングを見計らうようになったり、通話にしろテキストチャットにしろ簡潔に伝え合おうとする意識が生まれた。
これは対面で会話してる時にはなかなか意識できなかったことだ。
また管理的な業務は当初は雑務が増えていく傾向だったが、今ではあらゆる業務のログが拾いやすく効率よく回せるようになっている。
ここらへんは業種、業務内容によって違いが出るとは思うので、色々だなとは思う。
ただ増田が書いてるような遅い時間に仕事の連絡してくるとか、そういうのは論外というか、新しいルールを作ればいいのにとしか思えないんだよな。
どちらかというと反論のほうが多くなりそうだから、できるだけリモワやめたい側の立場に立って考えてもみたが
やはりどの理由も結局仕事、というか職場への依存が高そうだなという感想。
個人的には周りに人がいないとそんな事もできないのかという気づきも多々あったし、
メリット、デメリットで言えばデメリットのほとんどが自分次第なんだなと思ったので
タイトルにもある通り、私には同人誌を売りたくない相手がいる。
私は絵描きだけど、デザインのセンスが無い為表紙のデザインやタイトルロゴのデザインを友人にお願いしている。
そして、文章も苦手なので、奥付やそれを含めた裏表紙のレイアウト、お品書きのデザイン、無配ペーパーに記載する挨拶文の代筆もお願いしてる。
(挨拶文はゴーストライターという訳じゃなくて、私が通話で彼女に説明し、それを彼女が文字に起こして読みやすく編集してくれる)
私生活や原稿中のメンタルを支えてもらったりと、お世話になりっぱなしの大切な友人だ。
私のメンタルの弱さが原因で、原稿中に誰でも見えてしまうTwitter上で『どうせ私の絵など誰も見ていない』『こんな本誰が買うのだ』などネガティブな発言をしてしまった事が何回かあるが、その度に彼女は叱ってくれた。5桁のフォロワーさんの中には『そんなことないです!私さんの本楽しみにしてます!』『私さんのペースで大丈夫ですよ!』と優しい言葉をかけてくれる人がたくさんいたが、彼女だけは『お前の本を楽しみにしている人がその言葉を見たらどう思うのかを考えろ』『自分で価値がないと思ってる本に誰が金を払ってまで手にしてくれるのか』『わざわざゴミを作る手伝いをさせようとしているのか』と、厳しくも真っ当な意見をくれていた。
このやり取りは全てTwitterの見える場所で行われていた。というのも彼女は他人からの評価を全く気にしない人なので、大勢のフォロワーさんのたくさんの優しい言葉の中で、自分一人が違う意見を言うことや、『神絵師に対してなんて態度だ!』という意見もまったく気にしてない。
そんな彼女なのでもちろん風当たりが強い。と言っても大半は『神絵師(私)に対して馴れ馴れしすぎる!』という嫉妬の感情がほとんどだと思う。『お前は神絵師(私)の何なのだ!』と言う意見に『友達だが?』と返していた彼女だけど、私は本の制作に関して、彼女は作者の一人だと思っている。
デザイン、ペーパー、ノベルティ、イベント参加の為の雑務、売り子、お品書き…彼女が『お前の卓上なんかダセーんだよな』と言いながら作ってきた卓布と値札は、本当に素晴らしかった。
入稿直前、私の都合で出費が重なり、印刷部数を減らそうとしていた時に『楽しみにしてくれている人が沢山いることは私も知っている。給料からじゃなく、売上で返せ』と印刷費を出してくれた彼女に泣きながら礼を言ったこともある。
彼女にはアンチも多い。前述の通り神絵師(私)と友人関係でいることが気に食わない人達だ。
友人同士なら『おまwwwクソザコナメクジかよwww』みたいなやり取りがあってもおかしくは無いけれど、それを彼女が言うと『神絵師のことをクソザコナメクジ呼ばわりしてる』と愚痴垢・空リプによる批判、毒マシュマロ等で色々言われる。私にとっても本当に不本意だけど、見ず知らずの他人の意見で私達が何かを制限されるのは嫌だった。私が『彼女への批判をやめてくれ』と言ったら言ったで『彼女に洗脳されてるんですね!』と返ってくるので、どうしたものやら…と頭を抱えたこともあった。(彼女はそれを見て『それだけ好かれている証拠だ』と笑いを堪えていた)
前置きが長くなってしまったが、私は彼女と完成させた本を、彼女のことを批判していた人に売りたくない。
あなたたちが批判していた彼女は、あなたたちが『楽しみにしてます!買います!』と言ってくれた本を作るのに、作者と同じくらいの負担を背負ってくれているのだ。
彼女がいなければあなたたちが『欲しい』と言ってくれている本が完成しなかったのだ。
あなたたちがブロックや鍵垢でバレないように批判をしていた彼女が作ったペーパーやノベルティを、何事も無かった顔をして手にできるの?その本の原価の一部は彼女の懐から出ているのに?
『本が売れればそれでいい』と、批判に対して何も言わなかった彼女が1度だけ反論をしたことがある。
最近のTwitterにおける誹謗中傷の過激さを見ていた彼女が『行き過ぎた批判をそのままにすると、相手が『これは許されるんだ』と勘違いして別の人に同じことをしてしまうかもしれない。相手自身の身を守る為にも、行き過ぎた誹謗中傷にはNOと言わないといけないのかもしれない』と言っていた。
批判のツイートに対して彼女が真っ向から『どんな意見を持つのも自由だけど、さすがにやりすぎです』と反論すると、相手は謝罪もせずに該当のツイートを削除し、彼女をブロックし、鍵をかけ、その中で相変わらず批難を続けていた。かなりぼかして、名前を出さずに、指摘されても『あなたのことじゃないです』と言い逃げできるような内容で。
一連のやりとりは全て私からも見えていた。にもかかわらず、即売会イベントの延期や中止などでお品書きをアップしたり下げたり編集したりを繰り返している間に、その相手からは『どうか通販のお慈悲を!』などというリプがくる。
イベントが開催されない以上、通販で本を出す予定だ。相手は多分通販で本を購入するだろう。しかし、通販での入金確認から発送までの事務作業を行ってくれるのは彼女なのだ。彼女のことを批判していた相手に、彼女が作ったノベルティを添えて、彼女が丁寧に梱包して発送する…私は彼女にそんなことをさせたくない。
彼女自身は『本が売れればいい』と言ってくれているけど、私が嫌なのだ。
もし相手に『購入しないでくれ』と伝えたとしても、通販を利用されると確認のしようがない。と、いうかたとえイベントであってもその相手がアカウントを明かさなければ、もはや防ぎようがないんだけど。
先人の皆様。お知恵をお貸しください。
最近シュレッダーの上に書類を積み上げる人がいてそれがどのチームのものかは把握してたが
たまたまこっちに作業しに来てた同僚が見かねて書類の山を全部シュレッダーしてくれたら
書類の中に新入社員のものをみつけて全部が彼のものではないだろうがその新入社員には
ちゃんと注意というか指示しないとだなぁと思うのだが…
でもあの新入社員は毎日のように部長やら先輩やらがシュレッダー使ってるの見て
まさか誰かがやってくれると思ってたなどとは言わないだろうが…
感覚としてはそういう事なのかもしれないが、もしそういう感覚だったのなら
なぜそういう感覚になっていたのかも聞きたいが言語化は難しいだろうなぁ
自分の世代だとだいたいそういう雑務は先輩にはさせるなという流れがあったから
自分のものは自分でがあたりまえで先輩がやってたらやりますよと声を掛けに行っていたが