はてなキーワード: 喜劇とは
興味深い、というような気がしてくる。
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ええと、どこかの段階では自分の場所を作るべきなんだろう。ただ、今はここに書き記しておきたい。
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今起きているフランスの暴動――黒人系・アラブ系二世に対する日本のコメント欄での無理解と、暴動を起こす側の無理解はよく似ている。
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前トランプ大統領がその流れを「生んだ」というわけではないだろう。むしろ、議事堂襲撃や退任によって世界的な流れは若干緩んだかもしれない。
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ロシアはどうだろう? どちらかと言えば、無理解は加速したが中国の拡張主義の速度は緩んだと言える。
そう、中国はと言えば国内の急速な失業率悪化が報じられている。まぁ、その原因は欧米と同じく「日本化」、いわゆる人口問題による先進国の老化ではあるのだが。
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新型コロナは明けたが、それでも世界はより悪くなっているのだろうか?
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答えは、わからない。そもそも「より悪くなっている(気がする)」というのが100%個人の主観による感想だからだ
そして客観的な研究によると、『FACTFULNESS』が何年か前にこれをテーマとしてベストセラーになったが、
「世界はより良くなり続けている」のだという
https://www.gentosha.jp/article/23545/
他にも、同様の研究がある。「昔はよかった。今はダメだ」と、紀元前の古代シュメール人の粘土板にすら書いてあるという。
エジプトのピラミッドにも「最近の若い者は」と落書きがある、というのはネットミームだそうだが、そう遠く外してもいなかったわけだ。
https://newspicks.com/news/6972076/body/
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「世界はより良くなり続けている」とはどういうことか?
すなわち、世界の乳幼児死亡率、栄養失調率、極度の貧困率、乳幼児のワクチン接種率及び病死率などはいずれも改善されているということだ。
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そして、人間の脳には本来「世界はより悪くなり続けている」と考える仕組みが備わっている。
より厳密には、「昔の記憶を良い思い出に書き換える」「現在と未来について悲観的な予測をする」「恐怖やネガティブな要素を重要視する」といった本能だ。
いずれも、昔のことはポジティブに考えて悪いことはさっさと忘れた方が健康的だし、危険を悲観的に予測し、重要視して避ける。
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その辺りは『FACTFULNESS』本編の序章に詳しいのでここまでにするとして、
ではそれを前提にすると? 少し興味深い見方もできる。
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つまり、「世界の荒廃も一時的で、一側面的で、見方によるものでしかない」のだとすれば?
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たとえば戦争。ロシア-ウクライナ間で起きていることは悲劇だ。
だが、統計的にはどうか。約35万人の死傷者数と見積もられている。
1980年代のイラン・イラク戦争では約100万人以上。しかし、世界の人口総数が当時は44億人、現在は80億人を超えていることを鑑みると、
「人間一人当たりの死の悲劇性は半減しているのだから、状況は統計以上に改善している」と考えることもできるかもしれない。
まぁ、世界人口総数あたりの戦死者比率は間違いなく減少している。
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何故なら、本能や直感とは反する結果だからだ。とても科学的だ(科学史では直感に反する事実がしばしば証明される)。
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もちろん、日本の経済や人口問題、「先進国の老化」、人種差別、などなどの諸問題は間違いなくある。
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一つには、「今は揺り戻しのターン」だという捉え方がある。
そもそもが、一つ前の時代の悲劇とは世界大戦であり核戦争寸前の冷戦である。それに比べれば、まぁ差別も暴動もテロも局地的戦争も、大した問題とは言えない。
歴史的にはヨーロッパでは毎日のように戦争を起こしていた時代もあるのだし。
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冷戦終結から2010年代まで、長らく続いた平和の次の「戦争の、あるいはネガティブのターン」だと捉えることもできるだろう。
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冷戦終結から2010年代までを最も幸福に過ごしたのは、やはり先進国の人間だろう。
日本もまた、高度経済成長期からバブル崩壊辺りまでの期間はきわめて幸福だったに違いない。
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だとして。そうした時代の主役ともいうべき人々が、舞台を他に譲るのだとしたら?
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西側諸国の次はアジア、その次はインド、その次はアフリカ……と、予測されている。人口動態からは。
それが、「次のターンで幸福になる人々」なのかもしれない。
まぁ、その理屈になる場合はアフリカの番が来るのは次の次、ぐらいなのだろうが。
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世界は改善され続けている――それは、言い換えれば、「今見えている景色よりも過去は遥かに地獄だった」ということを保証するに過ぎない。
もっと言うなれば「過去の一時点は現在よりもネガティブな要素があった」と言うべきか。縄文時代の労働時間は2-3時間だったらしいのだし。
『サピエンス全史』は「農業を人類史上最大の詐欺」と語り、科学は素晴らしき発明だと言う。
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「その時代に最も幸福な人々」が語る言葉は、真実であると同時に欺瞞なのでは?
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つまるところ。荒廃も幸福も、大した違いなどないのかもしれない。
だからそれが、興味深いと思った。
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その二つに大差がないのなら、あるのはパターンの違いであり、ディティールの異なる時代像なのだろう。
それは、面白いと思わなければ損だ。
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だが結局のところ、人は自分の見たいように世界を見るし、それは一つの観点としては真実なのだ。
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迫害される黒人・アラブ人にとって「世界は極めて攻撃的」だし、
そのどちらでもなく平穏な母国で暮らす黒人・アラブ人の人々にとっては対岸の火事にすぎない。どうだっていいことだ。
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幸福だと思う人にとって世界は幸福で、悲劇だと思う人にとって世界は悲劇的だ。
ならばどこまで行っても、最初からそんな世界は喜劇的なのだろう。
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興味深く、楽しむべきなのだろう。
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興味深い、というような気がしてくる。
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ええと、どこかの段階では自分の場所を作るべきなんだろう。ただ、今はここに書き記しておきたい。
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今起きているフランスの暴動――黒人系・アラブ系二世に対する日本のコメント欄での無理解と、暴動を起こす側の無理解はよく似ている。
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前トランプ大統領がその流れを「生んだ」というわけではないだろう。むしろ、議事堂襲撃や退任によって世界的な流れは若干緩んだかもしれない。
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ロシアはどうだろう? どちらかと言えば、無理解は加速したが中国の拡張主義の速度は緩んだと言える。
そう、中国はと言えば国内の急速な失業率悪化が報じられている。まぁ、その原因は欧米と同じく「日本化」、いわゆる人口問題による先進国の老化ではあるのだが。
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新型コロナは明けたが、それでも世界はより悪くなっているのだろうか?
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答えは、わからない。そもそも「より悪くなっている(気がする)」というのが100%個人の主観による感想だからだ
そして客観的な研究によると、『FACTFULNESS』が何年か前にこれをテーマとしてベストセラーになったが、
「世界はより良くなり続けている」のだという
https://www.gentosha.jp/article/23545/
他にも、同様の研究がある。「昔はよかった。今はダメだ」と、紀元前の古代シュメール人の粘土板にすら書いてあるという。
エジプトのピラミッドにも「最近の若い者は」と落書きがある、というのはネットミームだそうだが、そう遠く外してもいなかったわけだ。
https://newspicks.com/news/6972076/body/
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「世界はより良くなり続けている」とはどういうことか?
すなわち、世界の乳幼児死亡率、栄養失調率、極度の貧困率、乳幼児のワクチン接種率及び病死率などはいずれも改善されているということだ。
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そして、人間の脳には本来「世界はより悪くなり続けている」と考える仕組みが備わっている。
より厳密には、「昔の記憶を良い思い出に書き換える」「現在と未来について悲観的な予測をする」「恐怖やネガティブな要素を重要視する」といった本能だ。
いずれも、昔のことはポジティブに考えて悪いことはさっさと忘れた方が健康的だし、危険を悲観的に予測し、重要視して避ける。
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その辺りは『FACTFULNESS』本編の序章に詳しいのでここまでにするとして、
ではそれを前提にすると? 少し興味深い見方もできる。
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つまり、「世界の荒廃も一時的で、一側面的で、見方によるものでしかない」のだとすれば?
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たとえば戦争。ロシア-ウクライナ間で起きていることは悲劇だ。
だが、統計的にはどうか。約35万人の死傷者数と見積もられている。
1980年代のイラン・イラク戦争では約100万人以上。しかし、世界の人口総数が当時は44億人、現在は80億人を超えていることを鑑みると、
「人間一人当たりの死の悲劇性は半減しているのだから、状況は統計以上に改善している」と考えることもできるかもしれない。
まぁ、世界人口総数あたりの戦死者比率は間違いなく減少している。
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何故なら、本能や直感とは反する結果だからだ。とても科学的だ(科学史では直感に反する事実がしばしば証明される)。
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もちろん、日本の経済や人口問題、「先進国の老化」、人種差別、などなどの諸問題は間違いなくある。
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一つには、「今は揺り戻しのターン」だという捉え方がある。
そもそもが、一つ前の時代の悲劇とは世界大戦であり核戦争寸前の冷戦である。それに比べれば、まぁ差別も暴動もテロも局地的戦争も、大した問題とは言えない。
歴史的にはヨーロッパでは毎日のように戦争を起こしていた時代もあるのだし。
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冷戦終結から2010年代まで、長らく続いた平和の次の「戦争の、あるいはネガティブのターン」だと捉えることもできるだろう。
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冷戦終結から2010年代までを最も幸福に過ごしたのは、やはり先進国の人間だろう。
日本もまた、高度経済成長期からバブル崩壊辺りまでの期間はきわめて幸福だったに違いない。
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だとして。そうした時代の主役ともいうべき人々が、舞台を他に譲るのだとしたら?
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西側諸国の次はアジア、その次はインド、その次はアフリカ……と、予測されている。人口動態からは。
それが、「次のターンで幸福になる人々」なのかもしれない。
まぁ、その理屈になる場合はアフリカの番が来るのは次の次、ぐらいなのだろうが。
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世界は改善され続けている――それは、言い換えれば、「今見えている景色よりも過去は遥かに地獄だった」ということを保証するに過ぎない。
もっと言うなれば「過去の一時点は現在よりもネガティブな要素があった」と言うべきか。縄文時代の労働時間は2-3時間だったらしいのだし。
『サピエンス全史』は「農業を人類史上最大の詐欺」と語り、科学は素晴らしき発明だと言う。
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「その時代に最も幸福な人々」が語る言葉は、真実であると同時に欺瞞なのでは?
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つまるところ。荒廃も幸福も、大した違いなどないのかもしれない。
だからそれが、興味深いと思った。
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その二つに大差がないのなら、あるのはパターンの違いであり、ディティールの異なる時代像なのだろう。
それは、面白いと思わなければ損だ。
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だが結局のところ、人は自分の見たいように世界を見るし、それは一つの観点としては真実なのだ。
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迫害される黒人・アラブ人にとって「世界は極めて攻撃的」だし、
そのどちらでもなく平穏な母国で暮らす黒人・アラブ人の人々にとっては対岸の火事にすぎない。どうだっていいことだ。
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幸福だと思う人にとって世界は幸福で、悲劇だと思う人にとって世界は悲劇的だ。
ならばどこまで行っても、最初からそんな世界は喜劇的なのだろう。
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興味深く、楽しむべきなのだろう。
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2019年にもたかまつななはほぼ同じ内容の動画を作成している。このときもプチ炎上はあったのだが、賛の声も多かった。
Buzzfeedもハフポストも好意的に紹介したし、これは何と立憲民主党は公式ツイッターで直接投稿までしたのだ(RTではなく)。
https://twitter.com/nanatakamatsu/status/1149632759041650696
https://twitter.com/CDP2017/status/1150207025143353344
なんで糾弾者が激増した? この時褒めてた奴はどこいった?
ネットコメンテーターたちは簡単に「自分は昔から問題だと思っていた」と言う風に、無自覚に手のひら返しできるが、俺はこれこそが「ドス黒い悪」であり分断を煽るものだと見なしている。
元増田では1つのみ焦点を当てたが、実際は単一要因ではないだろう。今思いつくものとしては、
・若者への失望。若者政策を重視して選挙を戦ったと自負しているにも関わらず、結果が伴わなかった。結果、若者は愚かだから自分に得な政党を選べないと、シルバー民主主義の存在を否定する論調に勢いが付いた。
・高齢者の命を奪うが若年層の死者はほぼゼロのCOVID-19パンデミック。白饅頭などの反左翼論客による自粛推奨へのカウンター言説。
しかし、これらはどれもたかまつに責があるわけではない。2019年にはスルーした程度のことが、糾弾すべき巨悪になるのは、左翼の当てつけにすぎない。
「お前自身はたかまつななについてどう思うんだ」という趣旨のコメントが元増田についていたので答えよう。
「高齢者を代表しない意見を高齢者に話させる」という表現手法は俺は嫌いであり、選挙の現状の風刺として質が低いと考える。
しかし、「高齢者の代表意見はこれだ」と視聴した若者が誤解して世代間の分断が深まるか、というとそれは若者の読解力を舐めすぎというものである。
動画の趣旨は「投票率に世代間格差があると、若者向け政策が蔑ろにされるから投票しよう」というものだが、これもシルバー民主主義の存在を否定する立場からすれば、虚偽を以って分断を煽っていることになるのかもしれない。しかし、これは若者に選挙に行こうと訴えるメッセージとしてはごく平凡なものであり、たかまつを取り立てて批判する理由にはならない。
まとめると、優れてこそいないがネットリンチを正当化できるほど社会に対して害のあるものではない(ただし公党の動画としては不適である)。
たかまつ自身の意見には特に魅力はない。深い専門性に裏打ちされた説得力はなく、されどひろゆきや成田のような信者を作り出すカリスマもない。
しかし、たかまつが一番力をいれて訴えているのは、専門性もカリスマも不要な、ただの「選挙に行こう」というメッセージである。
出張授業を始めとするたかまつの活動から、投票率が僅かでも改善されればそれは高く評価されるべきである。
たかまつがいくら独自説を主張したところで、その方面の影響力は微小なので心配不要だ。左翼がたかまつななの社会影響力をなぜそんなに過大評価するのかわからない。
地方(人口50万ちょいの県庁所在地)から出てきて京都に10年住んだが、諸事情により先月京都を離れた。
まるまる40代を過ごした京都について、良かったこと、不満だったこととかを書いてみる。
ちなみにお金はない。
良かったところ・好きだった場所:
●電車で近距離移動できて便利。ある程度の規模の都会なら当たり前だろうが、地下鉄もない地元と比較するとめちゃめちゃ良いと思った。
●京都文化博物館フィルムシアター。いつも観客の9割が老人。小さなシアターだが500円で名作が見られるのはありがたかった。特に、勝新の「顔役」、今井正「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」に出会えたのは大きい。地元にいたら見る機会なんてなかっただろうから。溝口健二「噂の女」も面白かったな。
●くまざわ書店四条烏丸店。規模は小さいが、いつもなにかしら面白そうな本があった。くまざわ書店で本を買ったあとは、同じビル内の神戸屋のイートインでパンを食べながら買った本を読んだ。ちなみに神戸屋が気に入っていたわけではなくて、単に近くて便利だっただけ。その神戸屋ももう閉店した。京都市の書店といえば大垣書店がメジャーだが、大垣書店にはあまり行きたいと思わない。どのお店もなんかつまらないと思ってしまうのだ。置いてある本は多分くまざわ書店とたいして変わらないんだろうけど。
●京都府立植物園。人が少ない。入園料が安い。どこに行ってもたいがい人だらけの京都で、のんびりできる貴重な場所だった。今いろいろ揉めているみたいだが。
●メキシコ食堂 オラレ!。ランチのタコライスがすごく好きで、行くたびに今日は違うものを食べよう、と思うのだが、結局タコライスを頼んでしまうのだった。
●市のサイトが古くて見づらい。あと、タイトルが「京都市情報館」となっていて紛らわしい。始めて見たとき、一瞬行政のサイトじゃないのかと思ってしまった。
●ごみ関連その1。越してきてしばらくはダンボールの回収が月1回だったような気がする(うちのマンションの独自ルールだったのかも)。今は月に2回回収があるのでまだマシだが、自分の地元では毎週回収がある。
●ごみ関連その2。粗大ごみの回収依頼が平日電話のみ。京都市規模の自治体で、いまどきこれはないだろう。
●恵文社一乗寺店。20代のころ雑誌で見て、いいなあ京都はこんな店があって、と憧れたものだったが、いざ行ってみると「あれっ」という感じだった。年を重ねて自分の趣味嗜好が変わったんだろう。20代のときに行きたかった。趣味嗜好といえば、同じく20代の頃は寺社仏閣に行くのが好きだったが、せっかく京都に10年も住んでいたのにほとんど訪れることはなかった。
ちなみに、ここでもよく言及されるいわゆる「京都人」について。自分はあまり交友関係が広くないのと、仕事でもいわゆる洛中出身の京都人と接触する機会もなかったので、それほど違和感を覚えたことはなかった。もちろん、いけずを言われて気づいてなかっただけという可能性もあるが、あえて深読みもしなかった。それで良いのではないかと思っている。いけずを言う京都人は、真意を理解できない地方民を見て「これだから田舎者は」と好きなだけ優越感に浸れば良いし、気づかないこちらは何も感じない、そもそも気づいていないのだから。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
つい先日第2クールが最終回を迎えた『SPY×FAMILY』、このED曲の『色彩』(yama)を10年後のアーニャが過去を振り返ったものと解釈するとしっくり来ることに気付いたので、ここにその仮説を展開してみたい。
きっと大人はそれらしくするのでかかりきりになるんだ
関心はまだ僕ら
冒頭2行の部分は、10年後のアーニャが自分自身に対して「ロイドとヨルの機微を見逃すな」と言い聞かせていると解釈できる。「僕ら」はアーニャとボンドを指す。
からくりのなかで廻る僕ら命だ
「真珠の欠片」はロイド、ヨル、アーニャ、ボンドを指し、「物語」はこの四者の家族としての歴史を指す。「からくり」はオペレーション・ストリクスのこと。元々フォージャー家はオペレーション・ストリクスの遂行を目的として形成された人工的な家族なので、家族としての物語(歴史)をあえて意識的に作らないと、ロイド以外の三者は単なるオペレーション・ストリクスという「からくり」の中で廻るだけの命になってしまう。仮にオペレーション・ストリクスの失敗によって西国やWISEが深刻な危機に瀕するならば、ロイドはこの家族を見捨てる可能性が高い。彼にそれを思いとどまらせるのが家族の「物語」である、と10年後のアーニャは内なる危機感を抱いている。
...
落ち込む夜でさえ多彩で気まぐれなように
この部分はこれまでの家族の歴史を10年後のアーニャが回顧している。
どの人生も悪くはないだろう
強がる事を知れど今までの
アーニャは心を読む超能力によって、ロイドに自分を引き取らせるよう仕向けた。ということは、別の養親に自分を引き取らせるよう仕向けてスパイとは無関係の別の人生を歩むこともできた。しかも、超能力によってその人生は悪くはないものになっただろう。これが「どの人生も悪くはないだろう」の意味である。しかし、これまでのフォージャー家での歴史としての「足跡や産まれたことは消えやしない」ので、もはや全く別の人生を選ぶのは難しい。
あぁ間違っていないね
喜劇ばかりじゃここには立っていないってこと!
現在のアーニャはまだ幼年期なのでオペレーション・ストリクス遂行に際しても厳しい局面は立たされず「喜劇ばかり」のシーンが続く。しかし、長じるにつれて厳しい局面に何度か立たされる。「喜劇ばかりじゃここ(=フォージャー家)には立っていない」は、このことを示唆する。
気晴らしに今ならどこへだって
僕ら光のように気がつかない
考えてみるとアーニャの心を読む超能力にボンドの未来予知能力が合わさると、社会的にほぼ無双できる。他人の心と未来を読めるならば、ほとんどの事柄で大成功を収めることができるからである。現在のアーニャは知性が低いために無双からは程遠いが、10年後の成長したアーニャはロイドやヨルが足元にも及ばない程の力を獲得している。アーニャとボンドの力を以ってすれば「気晴らしに今ならどこへだって(行ける)」、つまりオペレーション・ストリクスを離脱することもできる。しかも「僕ら(の超能力は)光のように(誰も)気がつかない」だろう。
10年後のアーニャはオペレーション・ストリクスに嫌気が指して離脱することも考え始めている。彼女の超能力を以てすれば、そんなことは朝飯前だろう。しかし、「物語」(フォージャー家の歴史)に後ろ髪を引かれて踏み止まっている。『色彩』の歌詞からそんな情景を夢想するのである。
好きな映画を聞くとどんな人かよく分かるという話がある。(吉田豪氏だったかな?)
私はB級、Z級と言われるようなクソ映画を好み、面白くて見ているわけではなく、冷笑的に馬鹿にして見ているのだ。
お金もなく、技術もセンスも感じない、ぜんぜん面白くないどうしようもない作品ばかりだ。
なぜ好きなのかずっと理由が分からなかったが、ある日に気づいたのは、これらの作品を作っている監督は自分なんだと。
才能がないと分かっているが、野心が高く、どうしても諦められず、苦悩しながらもなんとか形にして、次こそは、次こそはとずるずると続けている自分の生き様を投影して喜劇だと笑っていたのだ。
他の人にとっては時間の無駄であったり、金を返して欲しいようなクソ作品が私にとっては最高の作品になる。
作品なんてものは世間でどんな評価がされているとか、他人がどう言ったかなんて関係なくて、自分がその作品を見てどう思ったのかが大事なのだ。
阿部さんの死には晋三が止まる程の悲しみが全身を襲った。100単位のMAP輸血をしても、この悲しみは癒やされない。
これでもう二度とにっぽんをとりもろすことはできなくなってしまった・・・。
そもそもの発端が逆恨みなのである。一方的な思い込みなのである。統一教会という、時の政権である自民党に加え、国家公安委員会や警察からも正当に認められた立派な宗教の内部のちょっとしたゴタゴタで、こんな立派な首相を失うことの損失は計り知れない(測れない)。保有するだけで幸せになれる壺を破格の値段で販売してくださり、先祖が犯した罪を浄化してくれる、本邦において絶大な勢力を誇る素晴らしい宗教に対する誤った思い込みが今回の喜悲劇を生んだとすると、マスゴミ、ネット右翼、ネット左翼に対する強力な言論統制もやむを得ないとしか言いようがない。合同結婚式を始めとした、現代日本の家族のあり方を真摯に考え、個の幸せよりも全体の幸せを重視する比類のない宗教であるのに・・・。7割の収入源が本邦である、まさに日本を代表する大宗教なのであるのだ。
阿倍野区さんを銃撃した犯人はまさにサタンである。民主主義への朝鮮である。最愛の夫を失い、長男が不治の病に侵された弱い女性(エバ)が、救いを差し伸べ人生を良い方向に導く宗教に助けを求め、有り余る金を献金したからといって、逆恨みしてはならない。就職氷河期の中で、自殺未遂までしながら実の兄を救おうとしたなどというエピソードは見せかけの優しさである。こういったお涙頂戴のお話に我々理知的な日本人は洗脳されてはならないのである。
インターネッツで湧き上がるABCさんへの追悼と自民党ネットサポーターズクラブによる協力な援護には心から涙を流した。日本は無くしてはいけないなにかをなくしてしまったのだろう・・・。精神科医の片田珠美先生が「苦しい幼少期、少年時代を過ごした人は自分には責任のない事で酷い目にあったと受け止めやすい。それは歪んだ特権意識と言わざるを得ない」とおっしゃっていた。この歪んだ特権意識というのが誰のことを指すのか不明であるが、何という正鵠を射るご指摘であろうか。先生はまた、「普通の人には許されないことでも自分にだけは許されると考えるようになる」とおっしゃっている。これは今回の事件の被疑者である人物を指していると考えられるのであるが、知能の低い私には一瞬被害者のことを指しているのではと思われてしまった。が、なんという洞察力なのであろうか。
森元首相の葬儀は数十年ぶりに国葬として行われるという。この岸田検討使の決定に意義を唱えるものは、恥を知れ!よくもそんなことを。すなわち、この日は国民の祝日になるということだ。私は日程が分かり次第、速やかにゴルフクラブの予約をしようと考えている。
この文は鮮明である。天皇陛下が土下座すべきである。私にはなんの政治的意図もない。ただの私怨であるのだ。ただ、今回のアベイルさんの横死というかつてない喜劇のなかで、唯一良かったことは、日本人の統一が進んだことなのかもしれない。阿邊さんの死を乗り越え、国民全体が同じ方向を向いている空気を確実に感じている。すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
「ねーママー、なんでパヨは『わきまえない』とか訳の分からないこと言ってるの?」
「あれはねぇ…主観と客観の大きな差が生んだ悲劇というか喜劇というか…」
「まあ話はそれで終わっちゃうんだけど、パヨって一般的にどういうイメージ?」
「えーと…自己中心的で…自分の好きな人間ばっかエコヒイキして…感情的で視野の狭い駄々っ子って感じかな」
「でもパヨの中では公正中立で常に冷静沈着で人格的に優れた知的エリートなの」
「ええー--180度違うじゃん…」
「そういう人間が『わきまえない』なんて違和感のある強い表現を使うことでアベや自民党がいかに酷いことをしてるかアピールしようとしたのよ」
「でもパヨってわきまえないのが当たり前の人達だよね」
「そう、客観的視点がないばかりに『いやおまえら元からそうだろwww』という総ツッコミを浴びただけという悲惨な結果に終わったわ」