2022-12-27

SPY×FAMILY』ED曲『色彩』は10年後のアーニャの振り返り説

つい先日第2クール最終回を迎えた『SPY×FAMILY』、このED曲の『色彩』(yama)を10年後のアーニャ過去を振り返ったもの解釈するとしっくり来ることに気付いたので、ここにその仮説を展開してみたい。

じっと機微を見逃さないで

きっと大人はそれらしくするのでかかりきりになるんだ

関心はまだ僕ら

冒頭2行の部分は、10年後のアーニャ自分自身に対して「ロイドとヨルの機微を見逃すな」と言い聞かせていると解釈できる。「僕ら」はアーニャボンドを指す。

真珠の欠片だって価値、そこに物語がなければ

からくりのなかで廻る僕ら命だ

真珠の欠片」はロイド、ヨル、アーニャボンドを指し、「物語」はこの四者の家族としての歴史を指す。「からくり」はオペレーション・ストリクスのこと。元々フォージャー家はオペレーション・ストリクスの遂行目的として形成された人工的な家族なので、家族としての物語歴史)をあえて意識的に作らないと、ロイド以外の三者は単なるオペレーション・ストリクスという「からくり」の中で廻るだけの命になってしまう。仮にオペレーション・ストリクスの失敗によって西国WISEが深刻な危機に瀕するならば、ロイドはこの家族を見捨てる可能性が高い。彼にそれを思いとどまらせるのが家族の「物語である、と10年後のアーニャは内なる危機感を抱いている。

実は奇跡のような毎日を、

...

落ち込む夜でさえ多彩で気まぐれなように

この部分はこれまでの家族歴史を10年後のアーニャが回顧している。

どの人生も悪くはないだろう

強がる事を知れど今までの

足跡や産まれたことは消えやしない

アーニャは心を読む超能力によって、ロイド自分を引き取らせるよう仕向けた。ということは、別の養親自分を引き取らせるよう仕向けてスパイとは無関係の別の人生を歩むこともできた。しかも、超能力によってその人生は悪くはないものになっただろう。これが「どの人生も悪くはないだろう」の意味であるしかし、これまでのフォージャー家での歴史としての「足跡や産まれたことは消えやしない」ので、もはや全く別の人生を選ぶのは難しい。

あぁ間違っていないね

喜劇ばかりじゃここには立っていないってこと!

現在アーニャはまだ幼年期なのでオペレーション・ストリクス遂行に際しても厳しい局面は立たされず「喜劇ばかり」のシーンが続く。しかし、長じるにつれて厳しい局面に何度か立たされる。「喜劇ばかりじゃここ(=フォージャー家)には立っていない」は、このことを示唆する。

気晴らしに今ならどこへだって

僕ら光のように気がつかない

考えてみるとアーニャの心を読む超能力ボンドの未来予知能力が合わさると、社会的にほぼ無双できる。他人の心と未来を読めるならば、ほとんどの事柄大成功を収めることができるからである現在アーニャは知性が低いために無双からは程遠いが、10年後の成長したアーニャロイドやヨルが足元にも及ばない程の力を獲得している。アーニャボンドの力を以ってすれば「気晴らしに今ならどこへだって(行ける)」、つまりオペレーション・ストリクスを離脱することもできる。しかも「僕ら(の超能力は)光のように(誰も)気がつかない」だろう。

10年後のアーニャオペレーション・ストリクスに嫌気が指して離脱することも考え始めている。彼女超能力を以てすれば、そんなことは朝飯前だろう。しかし、「物語」(フォージャー家の歴史)に後ろ髪を引かれて踏み止まっている。『色彩』の歌詞からそんな情景を夢想するのである

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