はてなキーワード: 喜劇とは
「ねーママー、なんでパヨは『わきまえない』とか訳の分からないこと言ってるの?」
「あれはねぇ…主観と客観の大きな差が生んだ悲劇というか喜劇というか…」
「まあ話はそれで終わっちゃうんだけど、パヨって一般的にどういうイメージ?」
「えーと…自己中心的で…自分の好きな人間ばっかエコヒイキして…感情的で視野の狭い駄々っ子って感じかな」
「でもパヨの中では公正中立で常に冷静沈着で人格的に優れた知的エリートなの」
「ええー--180度違うじゃん…」
「そういう人間が『わきまえない』なんて違和感のある強い表現を使うことでアベや自民党がいかに酷いことをしてるかアピールしようとしたのよ」
「でもパヨってわきまえないのが当たり前の人達だよね」
「そう、客観的視点がないばかりに『いやおまえら元からそうだろwww』という総ツッコミを浴びただけという悲惨な結果に終わったわ」
○ご飯
朝:なし。昼:天ざる。間食:アイスコーヒー。サンドイッチ。夜:うな重。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、サボっテン。
せっかくのサボっテンなので贅沢を尽くした。
読書もして満足。
ゼノコキュ琴とゼノウォフ剣を五凸。
EXスキル掘りは気が向いたらやる。(ゼノウォフゴリラ編成では普通に使いそうなんだけどゴリラもないしまあいいかなあ
「解くべき謎を提示していない」点は、作品の構造上仕方ないのかもしれないけど、そこを乗り越えてくれとも思った。
ハウダニットは明らかに前振りに過ぎないと解っちゃったので、こっちとしては早々と見切りを付けてるのに長々と解く件はちょっとうんざり。
フーダニットも流石にこんだけキャラが退場している以上、消去法でなんとかなっちゃうのでうーむ。
青春要素も取ってつけたような裏切りと終始ギスギスしてるせいで、イマイチ乗り切れず。
けど、本格好きとしては、作中作! 連続殺人! 見立て! 密室! 暗号! とコードいっぱいで大満足なのも事実。
ミステリはコードじゃない論? いやこの作品は1990年刊行だからコードだけで十分なのだが?(史を踏まえて作品を評価する相対的読書力を持った素晴らしい読者の鑑感想ブコメなのだが?(相対的読書力とは?
シーズン2はガッカリだったけどシーズン3はどちゃくそに面白かったよ!
どれも10〜20分くらいのショートアニメだけど、自分は何を見たんだ...?!ていうショッキングなものから、軽く笑えるものまで振れ幅が広くて最高
1. "Jibaro"
この沼の魔女が隊の他の兵士や、守護のために同行していた尼さんたちを殺していくシーンが凄まじい
ロマとかタイ舞踊みたいな魅惑的な身のこなしが圧倒的に美しいんだけどそれと同時に身の毛がよだつほど恐ろしい 絡め取られていく兵士たちがフィギュアスケートを踊るように絡め取られて踊り狂って沼に沈んで死んでいく、馬は沼に沈み、甲冑の重みで溺れ・・・
いろんなアート、コンテンポラリーダンスとかを取り入れてるんだろうけど、見ているともう画面に釘付けで、ああ、やめて・・・もうやめて・・・でも目が離せない!と呆然としてしまう、そこに一人取り残される聾の兵士、
この後の展開も素晴らしく恐ろしいから是非見て欲しい
2. "The Very Pulse of the Machine"
衛星イオの表面で調査をしていた二人の宇宙飛行士が事故に遭い、生き残った一人がもう一人を引き摺りながら脱出を目指すが、そのために使った薬物の過剰摂取で幻覚を見るようになり、死んだパートナーの声が聞こえるようになるがそれはパートナーではなく、、、という話
イオの組成について幻覚が語りかけてきて、それはなに?それはなに?という問いかけから答えを導くシーンがゾクゾクします
3. "Night of the Mini Dead"
ミニチュアのゾンビアポカリプス。最後の puff!!! が最高、文字通り、遠くから見ると喜劇、なのか
ほかに、殺人マシングマと特殊部隊が戦う話とか、オブラディン号の帰還まんまの海の怪物との邂逅の話とか、とにかく全部捨て話なしの良さなのでみんな見て
元カノが結婚してた!!!!!!!!!!!!!!!!!!ありふれた話だ!!!!!!、!!!!!!!!!!!
俺と彼女はネットで出会った!!!!スカイプチャンネルとかいうクソとゴミの掃き溜めみたいなサイトでだった。そこで何ヶ月も話し合って会って付き合った!!!!!!!!
彼女は引きこもりの経験があって、高校を中退しているというコンプレックスを抱えている!!!!!さらに創価学科の家庭生まれてあり、そらもコンプレックスだったようだ!!!!!それは俺も全く同じだった!!!!!!俺もクソみたいな宗教に家族が引っかかったことがあるし、高校を中退した大変だ!!!!!!!!!だからそういった共通点からなんとなく付き合えたんだろうな!!!!!!!!
元カノの容姿は俺好みの目がぱっちり、黒髪ロングがで清楚系という非モテ男にはドストライク、クリーンヒットな容姿だ!!!!!当然めちゃくちゃ惚れ込んだ!!!!!!!!!!!!俺は22歳、彼女は18歳だった!!!!!!!
とにかく、俺はフラれた!!!!!!!!こんな文章を書いてるように、俺は未練たらたらクソ男である。そんな男を好きになる女性がいるわけがない。
「女々しい男は嫌い」
さて、俺が元カノについて未練たらたらだったことはいうまでもないだろう!!!!
なんて喜劇だろう!!!!!!!!!!2年前にネットで出会ってフラれた女の子に2年間未練を抱えていたのだ!!!!、!!!!!!!!それは他の女性と付き合っても変わらなかった。
なんせ元カノはマジと書いてる本気、容姿がドストライクだったのだ!!!!!、!、!!!!!!
さて、俺が未練を断ち切ろうと頑張った話を書く必要はないだろう。さまざまな女性と付き合ってみたり、スポーツをやってみたり、勉強をしてみたりした!!!!!
未練が強すぎて鬱気味になり、大学を退学した!!!!!!!!!!!!!俺はどんだけメンタルが弱いんだ!!!!!クッソウケるよな!!!!!!!!、、!!!
ワカサギ釣りが解禁されたとかいうどうでもいいニュースの写真に釘付けになった!!!!!!!!
そう、元カノが写っていったのだ!!!!!!!元カノはどうやら結婚しているようでなんかすっぴんの写りが悪い顔でワカサギを釣っている。問題は横にいた夫である。
俺はその男を知っている。
いや、そんなことはいいんだ。社員がバイトに手を出すことの倫理的妥当性だとか、結局社員と結婚してるのかよとかいうクソどうでもいい感情は置いておこおう!!!!!!!!!とにかく!!!!!!
マジで不意打ちで!!!!!!!今の元カノの顔と情報を見てしまったのだ!!!!!!!
ショックだった!!!!!!!!いやマジでショックだった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
元カレというものは、元カノが自分のことを覚えている思い方だが、実際はすぐに忘れているというのは有名な話である!!!!!どうせ俺のことなんて忘れまくって記憶の方の片隅のところに押し込まれているんだろう!!!!!、!!!!!!!!!!!!!!
ああ!!!!、!、!!!!!!、!もうなんて言えばいいかわからない!!!!!!!!!!!!!とにかくショックだ!!!!!!!!!!!
なんで何年も前の元カノのことで悩まなければならないのか!!!!!!!!!
!!!!!!!精神が崩壊しそうだ!!というかかブロマゼパム5錠飲んで少し足ついてきたが、とにかく!!同じような経験がある人は書いて欲しい。本当に頼む。マジできつい!!!!、!、!!!!!!、!!!!!!!!!!!!!!
例としては『UNDERTALE』『ひぐらし/うみねこのなく頃に』『Forest』など。
「作中人物が現実世界の我々を認識し、我々に向けて語りかけてくる」というメタ構造と書いた方がわかりやすいか。
これらの物語で作中キャラクターは例えばこのような趣旨のことを語りかけてくる。
「ゲームをリセットして消さないでくれ。あなたにとってはゲームだが我々はこの世界に生きているのだ。」
「奇跡が起きなかったのはあなたが奇跡が起きると信じなかったからだ。」
この語りかけは物語世界がどこかに存在するのではないかと聞き手に錯覚させる。
そして錯覚ではなく実際に物語で語られている世界はどこかに実在する、そうであってほしいと私は祈っているのだ。
『Forest』のクライマックスで作中人物であるアマモリとアケルの二人は「自身が経験している悲劇的物語は語り手によって想像/創造されたものだ」と、悲劇的「物語」を語った『Forest』の語り手に向けて悪態をつく。
そして直後のシーンで「外」に世界があるのと同じように「中」にも世界がある、とも言う。
『Forest』作中でこの二人は語り手として『森』という物語を創作し、その世界に干渉していた。
つまりアマモリが物語るという行為は世界を生み出す行為であり、アマモリがいる世界もまた誰かに物語られた世界である……と私は解釈した。
そして『Forest』のラストでアケルは『Forest』の語り手に協力し、『Forest』という物語を無理やりご都合主義的ハッピーエンドに仕立て上げる。
一流の悲劇ではなく三流の喜劇がよい、その物語の中で生きる存在にとっては……。
『Forest』という物語の聞き手となって以降、自分が語り手となるときは登場キャラクターに対しての加害性を否応なく意識するようになった。
だから私は「三次元の創作者が(自作であろうと)二次元のキャラを侵害していい理由はない」という考えに共感する。
「鍋に弾丸を受けながら」の原作者、青木潤太朗の「三次元の創作者が(自作であろうと)二次元のキャラを侵害していい理由はない」という考えがどのような背景から来たものかわからない。
更に捕捉すると
"ブコメに対し、昨年はてなから削除要請が来たので、増田に対して削除要求が来ること自体は信憑性あるよ?"
”https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1234639 同じように指摘受けたのか2020年12月にブコメ書き換えてる人いるね。”
「IDの表示されないはてな匿名ダイアリーは、IDの表示されるはてなブックマークコメントとは異なる削除ルールが上書き適用される」時点で
はてな運営から依頼を受けて「ブコメ」を書き換えた事例は、何の反論材料にもならない
こんな頓珍漢なブコメに誰も反論せず、☆をつけた愚かな人が悲しいことに9人もいる
(しかも、年末のスターランキングで上位常連の有名ブクマカがズラリとスターリストに並んでいるという喜劇的な事実)
20点。
偉そうなのはお前だろ。態度のデカさを非難するなら自分はへりくだらなきゃ意味がない。
これじゃ、脳のスペックが低いただのバカが、即落ち2コマ喜劇を演じてるようにしかみえない。
かといって、本論は真面目に打ってるらしいからで笑いを取るためにワザと自虐しているようにも見えない。
「男の所得を上げるのではなく、結婚した女性の所得を上げるじゃ何でダメなんですか?」
→ 2.結婚した女性は仕事に男性ほど熱心にコミットしない人がザラに居る。専業主婦を希望する女性なんかごまんといる(男性だって養ってくれる配偶者がいるなら希望者結構な割合いるだろうし)。
…なぜ自説を自分自身で論破しているのか🤔 養ってくれる配偶者がいるからこそ、自分は家庭の仕事に専念する。マルチタスク的にいくつも仕事を抱えたくない人は男女関係なくいるだろうし、注意力の制限がある以上、それはそれで合理的でもある。弱さを明らかにするのは誠実ではあるものの、論を表に出す前に反論に耐えられるレベルまで磨く必要がある。草稿を添削するケアワークを無料で赤の他人の女性に求めるな。
→ 3.自分一人でほぼ世帯を支えられるほど高収入の女性ですら配偶者に自分と同等以上の収入を求める。
…結婚時に男性の収入を補うためのバフをかけるって施策は過去に提案された事がない。その場合でもまだ同等以上の収入を求めるかは不明のはずだ。女性全体の内心を解説できる女性博士のお前は、なにものだ? 「女性は男性に比べ、自分より収入低い配偶者に我慢出来ないみたい。」お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな。現実はむしろ逆の意見の方がよく言われているだろ。「男は相手の女が自分より収入が高いと我慢できない」
「月20万上げてくれるなら年収300万の男が540万の男に早変わりするんですよ?ことは同じじゃ無いですか?」
→ 全然違うよね。…女に自立的な仕事や収入を与えずに男の従属物みたいにして男が収入を独占してる家族形態は人口増加率ヤバい。中国みたいな統制的な国でも女性が高学歴高収入になると凄いスピードで出生率低下する。
…「結婚した」女性の収入を上げるって提案だったろう。Q 川の氾濫を解決するのに川底を下げるのも堤防を上げるのも同じなんじゃないですか? A 全然違うぞ、世界にはダムを改良して解決した国もあるぞ。
——なんのことはない、全然違うのはお前の上げた反例風豆知識だ。女性の主体性を奪えば人口問題解決、女性の収入が上がったら逆に人口問題悪化。だったらどうした。もとの質問は男性の収入増強分を結婚後の女性に移動するならどうって話だ。イスラム教国家の例なら家庭の男性の収入が女性に移動した場合は問題が悪化したみたいな例示がないと関係ない屁理屈で話をそらしてるに過ぎない。
理屈の詰めすら甘い
笑う。
マリみてのおねえさまみたいになんとか薔薇って訳せるIDの人いるやん?
今では自称ミサンドリストのタタリ神と化してるけどその人の最初の頃のコメントが穏やかすぎて悲しい気持ちになった。
最初穏やかな投稿をしていてもまるで相手をされず、ちょっと頭のおかしなコメントしたほうがいいねされたりお気に入りしてもらえるから
だんだんと壊れていったのがわかる。
はてなと言う空間が一人の人間の魂を壊してしまった記録になっている。
今この人は統一教会はヤバい、オタクは統一教会に取り込まれているという陰謀論がお気に入りのようだが
自分がはてなに取り込まれて壊されたということに気づいていない。
と同じことやっちゃう人ってほんとにいるんだな
エルサレムのおとめたちよ
野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください
愛がそれを望むまでは
愛を呼びさまさないと。
大学2年生をしている。
キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。
なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。
率直に感想を述べる。
長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。
そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。
なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。
得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。
全文引用はちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。
なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにもちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書の1052ページに載っている。
子どもの頃、こんな題名のドラマを観たことがあるかもしれない。
放蕩息子のたとえ
また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
最初は意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。
さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。
なるほどと思った。イエスの説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。
神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。
現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人の意志を尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。
聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。
イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140
「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画の台詞を思い出した。
読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。
こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学のWeb講義中に、何度も考える機会があった。
わからなかった。結局。
それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャーな作品らしい。
しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。
どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。
例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金を資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。
(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)
でも、その一方で、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。
約二千年前に作り始められたわけだから、矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正な管理人の話には納得がいかない。
そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。
要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語や解釈や意図が入り込んでいった、とのことだ。
ならば納得できる。この『不正な管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正な管理人のたとえの正体である――解決。
解説サイトやヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしいものはおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想
聖書を読んでよかった。
はっきり言おう(ここイエスを意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツの原典・元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品に派生しているかは原則述べない。
例えば、①エジプトの王宮でのモーセ&アロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャ王クセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。
ほかにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画や小説やゲームの元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。
特に、士師記のサムソンには笑わせてもらった。スラップスティック・ギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。
聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。
聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国の繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。
ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。
キリスト者を迫害した人や、信心や律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。
同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律や常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。
わたしが若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。
最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。
サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。