「非情」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 非情とは

2015-07-23

M風俗店に行った話

以下、風俗ネタ下ネタの詳細描写ウ○コネタ注意

嫌悪感がある方はごめんなさい。

ソフトM向けデリヘル行って来た話をだらだら書く。

Webで調べて、デリヘル形式のお店に決め、コース・予算をチェックして電話電話によるとすぐ入れるとの事。

お店は隣の街なので、電車に乗り、駅について改めて電話ラブホテルを紹介されチェックインして改めて電話連絡。

そしてお風呂にお湯を張り、AVチャンネルを見ながら姫の到着をしばらく待つ。

ここまでの段取りはいもの事なので慣れたものなのだが、

この時は緊張して喉が渇きまくりだった。

なにしろ初めてのM風俗なのである

かねてよりM風俗に興味があったのだが、なかなか足が伸びなかった。賢明増田諸兄ならご存知の通り、M風俗はやや割高なのである

エリアによってはソープランドとほぼ同額なのだ。同額ならばソープランドの方がよい。この時まではそう考えていた。

その日は違った。

入れるより入れられたかったのだ。

また、今思えばひどくくだらない男のプライドであるが、

日常関係のある女の子に責められるのには抵抗があって、

自身にM気質があるのは自覚していたものの、

(元)嫁・彼女セフレの前ではSの皮を被っていた。

※もちろん、この【被る】というのは二つの意味である

直近にストレスを抱える事案があり、色々と解放したくなったのも、この店を選択した理由である

そんな様にM風俗に来た理由自分なりに逡巡していると、ドアホンが鳴る。

開けると目方40歳位の小奇麗な女の子スーツびしっと決めて立っているのである

部屋の外に立たせていてもしょうがないので、ささと部屋に通す。

今日暑かったですねとかそんな話をしながら、ソファにささどうぞとエスコートする。

着座した女の子が重そうな鞄から出したのはプレイカルテであった。

なんて呼んでほしいか、どのようなプレイをしたいのかなどを女の子と話ながら記入する。

ソフトM/普通のM/ハードMの選択肢があったのだが、いかんせん初めてなのでどの程度のものなのかがわからなかった。

からない事は素直に聞き、要望を率直に伝えるしかない。

「M風俗は初めてなのでソフトMコースが良いです。痛くないやつ。ただエネマグラとバイブとペニバンはおしりに入れてください。」

「初めてなのによくばりね。」

女の子もさすがにプロである。やさしくうなずいてくれた。

カルテの記入が終わると女の子は重そうな鞄から色々道具を取り出しベッドの周りに並べていく。

手際の良さはさすがである

ベッドの準備が整うとシャワータイムである

胸重視の増田諸兄ならばそうだと思うが、

この脱衣の瞬間は風俗において重要なのである

しかしながら非情な事にこの日は大平原に二つのクルミであった。

いつもならボディソープを泡だてている後ろから胸を触るかどうかの葛藤がある(だいたい触らない)のだが、

この日はそんな気が起きなかった。

シャワータイムは臀部を入念に洗っていたのが記憶に残っている。

この時点で少し気持ちよかったのも記憶に残っている。

そしてシャワーが終わると先に出て、

ベッド上のアイマスクをして仰向けで待つようにとの指示を受ける。

指示通りアイマスクをし、ベッドで待つ。

緊張である

ベッドの端が沈みこむ感覚があり、近づいてきた事がわかる。

最初は足元に口づけがあり、そのあとはアダムタッチだとかフェザータッチだとか言われる技法

全身を触れてくる。とても気持ちいい。自然オットセイの様な閨声が上がってしまう。

女の子はいつもこんなに気持ち良い事していたのか、ちくしょう」などと恨みごとが湧きあがってきたのを覚えている。

アダムタッチを熟知している増田諸兄には周知の通りだと思うが、

敏感な個所にはなかなか触れずに焦らしてくるのである

アシカの様な咆哮をあげていると、するりと感触が伸びてきた。

待ちに待った時が来たのだ。

そうすると、あつい温泉に入った時に覚えるあの「くうっ」と視界が歪む感覚があり、頭が真っ白になるのである

おそらくドライオーガズムと言う奴であろうか。そうであってほしい。

そして一呼吸おいてアイマスクが外される。

そこには汗をかいた目方40位の女性がいた。

本当に申し訳ない話であるが、少し興が引いてしまった。

私の体も正直であった。

そして四つん這いになるように促される。

いよいよである

たっぷりのローションを塗られマッサージをされる。

最初は指が一本入ってくるのだが、

これがまた気持ち良かった。

すぐにまた元気になってきた。

私の体も正直である

そのあとでエネマグラをぶすりと差しまれてびくりびくりと刺激されると、

ここでも頭が真っ白になる。本日15分ぶり2回目である

すっと抜かれて次はバイブレータである

いくつかの小玉数珠状になったバイブレーターで、そこにゴムをかぶせて利用するそうだ。

一つ二つと丁寧に押しこまれていく。

ころあいをみて電源が入り、ぐりんぐりんとお腹の中で回る。

これもまた気持ちがよく、下腹部に力が自然と入ってしまう。

増田諸兄ならば普段感じているであろう、あの排便の快感がずうっと続く感じなのだ

そんな意識もうろうとしている中、「きゃあ」と悲鳴がきこえた。

「何」と聞くとどうやら血が出ているらしい。

「あの日かな?」と思い返したが、私は男性である

まりの刺激に切れてしまったらしい。

慣れてないししょうがいね、と抜くことになった。

そうするとまた「きゃあ」と声が聞こえる。

「どうしたの?」と聞くとバイブウ○コがわさっと付着しているようだ。

どれどれ、と見てみると確かにバイブレータ小玉の隙間が茶色で詰まっている。

これは無理だね、と言う事でペニバンを待たずに終わってしまったのである

仰向けでの手作業をしてくれると事になったのだが、

ここでもまた「きゃあ」である

まり気持ちよさに力が入りぷりぷりと少量ではあるが排出してしまったようである、、、いや、出ていく感覚はあったのだがどうしても体を止められなかったのだ。

「ごめんなさいね

「いいのよ」

私の悔恨をしっかりと手で受け止めてくれている聖女がそこにはいた。

軽く洗浄し、聖女の導きの元で無事に昇天することができた。

そのあとお風呂に入っていつも流れで終了する。

この間、お尻が高鳴りっぱなしであった。

以上、M風俗だと思ったら聖女風俗だったクソミソな話である

増田諸兄にはこのような悲劇を繰り返さないためにも

どうかきっちり浣腸直腸洗浄を済ませてから事に臨んでほしい、

と言う啓蒙を持って筆を置かせて頂く。

2015-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20150720165113

となりの人もそう思っていると思う。

だったら隣の人と協力したほうが、より少ない危険でより効率的に妻や娘を守れる。

隣の街の人とも協力したら、もっと少ない危険とよい効率が得られる。

そうしてできたのが国だと思う。

しかしそれでも国を守るのは危険仕事だ。

そうして死んできた人たちの中には、俺が一度も顔を見たことが無い人たちがいる。

彼らは俺と俺の妻と娘のために死んでくれたことになる。

そうして死んでくれた人たちがいるのなら、俺も死ねるのではないかと思う。

そうして死んだならば、おれがそのために死んだ人々や運良く生き残ったおとなりさんには、ときどきは俺に会いにきてもらいたいと思う。

そうして俺たちが作ったのが靖國神社なのだと思う。

国家は時として、巨大で非情リヴァイアサンになる。それをリヴァイアサンたらしめる原理は、俺やお前が妻や娘のためになら死ねると思う心にこそ宿っているのだと思う。そして我々の国語ではこれを「業」と呼ぶのだと思う。

2015-05-23

※冒頭のお詫びとお断り検索対策のために、略字を多用することになりました。読みづらくて申し訳ありません。

お勧めいただいた『R』、読了しました。小説を読むこと自体が、わたしには滅多にないことなので、読み出し当初は困惑しつつも、広大な小説世界に潜り浸るという新鮮な体験を楽しむことができました。作者NA文体も、読み慣れてチューニングが合うようになると、とても心地よく感じました。そんな読書の幸いを少しだけ、感謝を込めて共有させていただけたらと、拙い感想をお届けいたします。ご笑覧いただければ嬉しいです。(わたしには本当に文才がないので、つぶやき投稿のように、思いついた順番で書き散らかしまうことを、どうかご容赦ください。いわゆる「感想文」を期待されませんように…。)

『R』のなかに見出した、タイトルとなった人物RRと、修史を完成させたSS、そしておそらく、作者であるNAの、幾重にも折り重なった宿命との葛藤が、深く胸に響きました。読書中は熱い臨場感をもって読み進めていたのが、いま、こうして彼らについて語ろうとすると、静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ちになるのは、なぜだかわかりません。書きながら、自分感情文字にして確認してみたいと思います

RRが、内に抱えた矛盾を少しずつ自覚し、揺れていく様は、わたし自身も覚えがあり、とても身につまされました。B帝に誤解され、国に残した愛する老母も妻も子供も弟も、みな殺されてしまう。RRは、大いに怒り、忠誠を誓ったはずの国とのつながりを見失う。思い返せば、これまでR家の忠誠に国は報いてくれたことがあったかと疑い、むしろ辱しめを受けただけだと失望する。そして、首を取って戻るという目的喪失したものの、よく似た身の上で、誰にも認められなくとも、国への愛情と忠誠を抱き続けたSBに、尊敬の念と敗北感を抱く…。

でも、と、その余白をわたし想像します。

家族を殺された怒りの大きさのあまり、B帝に誤解させたであろう同姓のR将軍の「存在」を怒りの矛先として、即座に彼を殺害したRR。けれど、B帝の誤解の原因が本当にそうであるか、定かでないはず。B帝と同様に、RR自らの誤解の可能性が、R将軍の命を奪い、彼を愛した皇太后を悲しまたかもしれないことに思いは至らなかった。ただ怒りに身を震わせて、衝動的に行動してしまった。おそらくは、B帝がRR裏切りだと誤解して、衝動的に一族皆殺しを命じたように。

しかに、身分の違いによる命の重さの違いを当然とする価値観が、受け入れられていた時代だったかもしれません。それゆえ、別の場面では、砂漠の中、戦局が厳しく、少しでも確実に部隊を生き延びさせるために、RR自ら、部隊男装して混じっていた妻たちを殺害する命令を、冷静に下したこともあった。同様に、愛する妻を殺された部下は、敵に寝返って、RR部隊の勝機を完全に奪った…。

RRは、自分がされて苦しんだことを、他人に対して無自覚にしてきたということ。それゆえ、RRが直面した苦しみの本質は、因果応報自業自得というメカニズム、…などでは「決して」ないと、わたしは思います。そもそも、RRの行動は、彼なりに状況に応じて最善と思われる選択をした結果でした。作者も、そんなRR「悪」として描いてはいません(むしろ宿命との格闘を活き活きと描写する姿勢には、愛情を感じます)。状況に追い立てられ、もがきながら生き延びてきた選択の愚かさを、もしも誰かが(分析好きのわたし自身が)指摘するなら、それは一生懸命さに対する揚げ足取りにすぎず、そもそも人間はそういう愚かな存在だし、渦中にあったら、わたしもそうしたはずだと(ましてや、さらに低きに流れていた可能性のほうが大きいと)、反論せずにはいられません。

SBと邂逅後のRRは、自らの抱える矛盾二面性に気がついて、苦しみを深めます。B帝の死後、かつて望んだように、国から彼が認められ招聘が掛かるのですが、それを断る弱々しい(元気のない)声のRRが印象的です。RRは、ここでもまた無自覚で、言葉を結んでいないものの、自らを通じて、人間存在の内にある矛盾二面性に、また国(人間社会)の内にある矛盾二面性に直面して、途方に暮れているのではないかと、わたしには感じられました。さらにいえば、SBのように国への想いを貫ける強さも持ち合わせず、そのSBを羨望する弱い自分を恥ずかしく思うRRは、それゆえ人間矛盾二面性を丸ごと生きているのでしょう。RR覚悟悲壮であるとすれば、そのような自分気づきつつも、両極に引き裂かれてどちらへも動けない苦しさゆえと感じました。正しい道はあまりに険しくて進めず、かといって居直ってダークサイドに落ちることもできないと自覚した以上、どっちつかずのまま生きながらえます(B帝の死後、7年目に没)。おそらくはRRも、自殺による幕引きを自らに封じた一人でした(文中では、現地での恩義や家族などのつながりをRRはあげていますが、対して、RR祖父は、親のいない孫を残して、義憤から自死を選んでいます)。

ところで、RRは、自らとSBとを「隔てる根本的なもの」に直面し、自らへの「暗い懐疑」を自覚するに至るのですが、SSとの関係もまた非常に興味深いです。

SSは、RR名誉を守ろうとしてB帝らに反駁し、結果、死よりも恥ずかしむべき宮刑を受けます。ところが、このことを伝え聞いたRRは、自らの沈む絶望が深く、SSに対して何の特別感情も抱きません(し、そのようなクールRRの反応を、SSは伝聞することもありません:そこに作者NAの優しさを感じます)。対してRRは、B帝のため国のために信義を尽くそうとするも、相手から誤解され、罰せられて一族が殺されたことを知り、大いに絶望して反転します。しかし、自らが、為を思って働いた相手に無碍にされることが、どれほど当人を傷つけうるかに、思い至りません(し、それも尤もだと説明を書き添える作者NAには、RRへの深い愛情を感じます)。

そんなSSですが、42歳にしてようやく父の遺言を継ぎ、修史の編纂に取り組むことが叶います現代の人々に知らせるために記録するにとどまらず、人間の叡智として後世へ伝え残すための歴史、なにより自分自身が書き残したい歴史には、「人間についての探求」が不可欠だと考え、「述べる」と「作る」との違いを熟考する。しかし、真摯に取り組めば取り組むほど、歴史上の人物自分自身とが渾然一体となるような文章、まるで描き出す歴史上の人物の中に自分が生きているような表現、憑依し憑依される活き活きとした文体が流れ出る。そうした箇所を削除すれば、たちまち修史はいくつもの死人に関する記録に成り下がる。削った字句を戻して、ようやく歴史上の人物たちが「安心してそれぞれの場所に」落ち着くように思われる。

このSS創作風景に、作者NA自身創作風景を重ねて見るのは、自然でしょう。わたしは、NAについてほとんど何も知らないけれど、この『R』やその他の彼の短編小説なども、歴史書を下敷きにして創作されたと(文庫巻末の解説に)目にしました。憑依し憑依される関係性のなかで、自らの書く小説の中に(のみ)活き活きとした自由を感じられたのは、SSだけでなく、NAもそうであったと想像します。

先を急ぐ前に、もうひとつSSについて。時代的・文化的な特徴と思われますが、宮刑を受けて「男」でなくなった自分の身体は、「完全な悪」に落ちたと苦しみます。心の傷は癒えても、醜悪な身体は、死ぬまで自分を苦しめる。それは、自分という存在のものが、悪である証しであり、生きる限り続く恥辱だ、と。これが、「盲目的な獣」としての苦しみの段階です。(が、作者NAの有名な短編『S』では、狼へと変身して初めて思い至った気づきを、数日で通り過ぎてしまうあたり、作者NAが、SSに託した気持ちの大きさを思います。)

その後、SSは、我が身に降りかかった苦悩・人生への懐疑とは別の、意義を疑えない「畢生の事業である修史に「無意識の関心」が向いており、それゆえ自ら死を選ぶことができないでいるとハッキリと自覚します。ここから、「より意識的な・人間」としての苦しみが始まります。この、獣から人間への飛躍が、とても深いことに感嘆しました!

「獣」と書いていますが、つまり世俗社会的価値観のなかで「盲目的に」生きている段階のことです。ここでは、「身体=身」と「心」という対比が支配しています(「身/心」という二元論で捉えられています)。舞台となった漢の時代的・文化的な特徴として、名誉や忠誠といった「心」を守り通すためには、人々は死を恐れず、むしろ喜んで「身体」を自ら差しします。SSも、死刑を恐れてはいませんでした。しかし、醜悪な「身体」となったSSは、その恥辱から「心」解放すべく死を願うも、それを押しとどめるもの存在を予感します。自宅に戻ると、それは父に託された修史編纂の完成であることを理解します。自らに刻み込まれた「宿命的な因縁」として、「肉体的な」仕事とのつながりを放棄できないことに改めて気づかされます。ここから、「より意識的な・人間の苦しみ」へと飛躍するわけです。

ところで、世俗社会的価値観(=知覚や意識)は、SS「心」=「我」と、「身体=身」とを形成してきたものです。しかし、託された使命への自覚は、既存価値観にとって、おめおめと生き恥さらすような人生を続けることを求めますSSの抱く既存価値観(=知覚や意識)にとっては、耐え難く、非情要請です。そのため、「知覚も意識も」持たない、修史編纂のための「機械」に過ぎないと、(既存価値観=知覚や意識で)自分定義しなければ、自らに言い聞かせなければ、生き続けられなかったのだろうと思いますSSSSであるという意識の土台となる「心」=「我」も、そのために捧げる「身体=身」も、当時の社会的解釈の上に成立してきました。この解釈いつまでも安住できたら、まだSSの苦悩は浅かったかもしれません。「宿命的な因縁」、すなわち、いにしえから脈々と受け継がれて自分生命(魂)を与えた血統のように、時代を超越した「肉体的な」つながり=使命(魂)への自覚は、SSに当然視してきた当時の社会的解釈に安住し続けることからの飛躍を求めたわけですから。「心/身」という二元論を越えて、使命を抱く「魂=肉体」として自らの存在のものを捉え直すことは、当時の社会的解釈から、漢の時代的・文化的制約から、身を引き剥がすことでもあります。それは、昭和時代から当時を見つめる、超越的な作者NA視点でもあります

ここで描かれたSSの姿は、作者NA解釈したSSの苦悩であり、おそらくは、昭和現実を生きて苦悩したNA自身の苦悩の姿であるのかと思います。作者NAもまた、病床のなか不遇のなかで「心」も「身体」も傷つきつつ、作家として生きる使命によって、自らの小説の中に「魂=肉体」を解き放したのかなと思いました。(ちなみに、「魂」という単語は、作者NAは使っていません。でも、明らかに、「身体」=「身」と、「肉体」というのを使い分けています。その差を強調するために、わたし勝手に補ってみました。)

そういうわけで、困難な戦場を生き延び、また自らに暗く懐疑するRRも、自らの信じる正義を貫き、恥辱に苦悩しながら使命に生きるSSも、その抱えた宿命の重さにも関わらず、活き活きと自由に躍動する姿には、作者NAが重ねられているのだと思いますNAにとって、小説を書くことというのは、憑依し憑依されてその世界を生きることなのだろうと感じました。事実、『R』のなかで、RRSSの二人について「だけ」、歴史上の人物としての事実描写だけでなく、その場にあって思い感じたこと、彼らの知覚と意識まで作者は思い描き、詳細に語っています。(わたしは、新潮文庫を購入したのですが、その文末の解説に、『R』はRRSSSBの三人の物語だと紹介されていて、そりゃちょっと違くないか?と違和感を覚えました。それもあって、今回の読書では、基本的に予備知識なく、勝手に読んでいます。)

からこそ、冒頭に書いたような「静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ち」を抱いてしまうのかなと思いますRRSSが抱えた宿命の重さも悲壮覚悟も、作り物としてのフィクションではなく、また単に歴史を題材にした半分史実・半分フィクションといったものでもなく、作者NAが抱えたであろう実体験を(ノンフィクション、と片仮名で書くには軽すぎる経験を)、わたしはそこに感じたからだと思います

作品は、読者の能力に応じて・読者がそこから読み取れるものしか、読むことができないのだろうと思います。(それゆえ、例えば同じ聖書であっても、子供が、若者が、大人が、死を前にした老人が、それぞれが自分必要ものを、そこから読み取ることができるのだと思います。) だからわたしが読むことができた『R』は、私の興味・関心に限定された、豊穣な作品全体のごくごく小さな断片に過ぎないと自覚しています。きっと、H.H.さんからしてみれば、幼い読み方だと笑ってしまわれるような感想だったかもしれません。それでも、この作品出会えて、とても嬉しいです。作品を作ることに込める覚悟のようなものを、改めて考えるキッカケをもらえました。ありがとうございます

最後に、『R』を読みながら、H.H.さんがそこに読み取ったであろう痕跡をいくつか感じました(例えば、存在することが悪であること、それでも書写機械として生きる覚悟をしたSSの中に)。そんな大切な小説を、紹介してくださって、本当にありがとうございます。とても光栄です。でも、もしかしたら上述した私の感想は、そんなH.H.さんの想いを、まるで現国試験問題に答えるかのように切り刻み、分析し、曲解した失礼なものと映ったかもしれません。もし、不快気持ちにさせてしまいましたら、本当に申し訳ありません。(あなた真摯さに敬服するファンとしては、自分の正直で素直な感想真摯に伝えるべきで、あなたのご機嫌を取るために媚びを売るような接し方こそ失礼なのでは、と勝手に考えてしまいました。決して、あなた否定するものではありませんこと、ご理解ください。)

自分について思索する道を、Kさん=H.H.さんに教え導いてもらえたように感じていますあなたの魂=肉体の存在に、感謝します。(勝手ファンの願いであり、余計なお世話かと思いますが、だからこそ、どうかご無理をされず、くれぐれも心と身体を大切にしてください。) あなたの幸いを心からお祈りしています

h_s

2015-03-30

おまわりさん、ありがとう

オートロックで締め出しを食らってしまった。引っ越してきて日も浅かったということと、疲労困憊で頭が回っていなかったことが災いした。近所のコンビニちょっと買い物、と思って鍵もケータイも未所持だった。

とりあえず、エントランスインターホンで部屋番号を端から押して応答を待った。しかし、入居戸数が極端に少ないのと、17時という微妙時間なので誰からも応答がない。

マンションの外周をウロウロして、管理会社電話番号を探すも、どこにもない。

じわ〜っと、嫌な汗をかいた。

そして思い出した。駅のそばには交番があったはずだ。

ワラにもすがる思いで交番へ駆け込み、「交番で聞くことじゃないのかもしれないですけれど…」と事の顛末を話した。

すると、ムネリン似のおまわりさんは真摯に聞いてくれた。奥から小遊三さん+高田純次さんのようなベテラン風のおまわりさんも登場し、管理会社電話番号を調べてくれたり、管理会社の番号をマンションまで行って探してくれたり(私が見落としていただけで変なところにあった)した。

その結果、非情にも管理会社の答えは「解錠はできかねます」ということだった。片道1時間弱のところにある管理会社まで行けば鍵を貸してもらえるということだったが、営業時間は18時まで。現在時刻は17時55分。…無理だ。

すると、二人のおまわりさんは「じゃあ行って俺らがインターホン押せばいいか」と言ってくれた。ムネリンが「警察なら出てくれるということもあると思いますので」と付き添ってくれて、端から番号を押した。結果は私の時と同じだった。

気長に待ちます、いろいろお手数かけて申し訳ないです、ありがとうございますと言うとムネリンは「何もできなくて申し訳ない」と言った。ムネリンチャリンコ交番へ戻っていった。

あと2時間も待てばさすがに誰か来るだろうと、締め出しの原因となった牛タンをもぐもぐ食べながら待った。すると、30分ほど待っていたところでいかにも親切そうな入居者の方が来た。黙って一緒に入るのも気が引けたので、「あの!鍵を部屋に置いてきてしまったので、一緒に入れていただいていいですか?」と言ったら、入居者の方はちょっとびっくりして「じゃあちょうどよかったですね」と言ってくれた。

部屋に戻ると、点けっぱなしのテレビ夕方ニュースを映していた。なんだか気が抜けたのと、締め出されたこと以上におまわりさんや入居者の方がいい人だったことで、なんだか涙が出てきた。

近所のコンビニで、お礼を買って交番へ向かう。おまわりさん、本当にありがとう

2015-02-25

[] 『ソーシャルリンク』 その1

  お婆さんを助けたせいだ。俺は今わの際にそう思った。俺は佐々木誠也26歳。情けないことに、こうして自死を選ぶ。それもこれも、あのお婆さんのせいだ。

  あれは俺が大学4年だった頃。就活中。100社以上エントリーシートを送って、やっと最終面接にこぎつけた企業面接日。俺は時間に余裕を持って家を出て、面接会場に向かう道すがらだった。横断歩道信号待ちをしていたら、隣に立っていた見ず知らずのお婆さんが倒れた。周囲に人はおらず、俺がやるしかなかった。俺は類まれ危機管理能力を発揮して即座に救急車を呼び、救急車を待っている間にも息と脈を測り、気動を確保し人工呼吸をし、救急車の音が聞こえるや、救急隊員をお婆さんの所に誘導して倒れた時の様子を説明しながら隊員と一緒に救急車に乗り込んだ。

  お婆さんは一命をとりとめたが、気がついたら面接には大遅刻物語だったら助けたお婆さんの親族面接官でって展開になるわけだが、現実非情だった。どんなに説明しても時間に遅れるなど社会人失格と、取り合ってもらえなかった。

  そのまま就活は全滅。飲食店フリーターをやりながら就職浪人をしてみたが、既卒をまともに採用してくれる所なんてなかった。フリーター仕事はどぎつくて、休みなく働かされた。大学時代から付き合っていた彼女との時間も取れなくなり、愛想を尽かされて振られた。2年でうつ病になり働けなくなった。

  うつ治療をしながら、起死回生をかけて、ネット海外の珍しい品物を見つけて輸入して売る輸入業を始めた。だが、俺にはセンスが無かったのだろう。4年頑張ったが鳴かず飛ばず廃業した。

  別に俺の事業の失敗のせいではないだろうが、時を同じくして両親が相次いで他界した。気がつけば俺が持っているのは、事業の失敗で作った借金だけとなった。フリーター給料じゃ、何十年とかかっても返せないだろう。悲しむ人も居ない。俺は先の見えない人生絶望して自殺することにした。

  本当に、ほとほとろくな事のない人生だった。だがそれもこれで終わりだ。熱いため息を一つついて、俺は意識を失った。

  * * *

  目が覚めると病院ベットの上だった。失敗したらしい。失敗だらけの人生、俺は自殺すらまともにできないのか。硫化水素を使ったのが悪かった。医者が言うには、アパートの隣人が異臭に気づいて通報したらしい。俺は無意味に命を永らえた。自殺未遂をしたというのに、見舞い客一人来ない命を。

  しかしながら、ベットの上でぼうっと過ごすうち、あれほど自分を苦しめていた重苦しい感情がすっかり無くなっていることに気がついた。健康保険もなく入院なんてして、また借金が増えると思っても、なんてことはない。一度死んだ命、あるだけ得さ。生まれ代わったような気分だった。やっぱりどうにもならなかったら、また自殺すればいいんだ。それまで気楽に生きていこうじゃないか。

  『それ』に気づいたのは看護婦が食事を持ってきた時だった。

「小指、どうしたんですか?」

「えっ?」

「小指ですよ、小指。そういうの、流行ってるんですか?」

  なんのつもりか、若い看護婦自分の小指に赤い毛糸蝶々結びに結びつけていた。ずいぶん長い。糸の先を目で追うと、病室の外まで伸びている。仕事に支障はないのだろうか?

「私の小指が、どうしたんですか?」

  だが、看護婦は不審な顔をしている。俺の正気を疑っている顔だ。

「どうかしましたか?」

先生患者さんが変なことを言うんです」

  俺の担当医が回診に来た。若い男の医者だ。

「だから、小指の毛糸ですよ。ほら、看護婦さんの左手に……あれ?」

  やはり看護婦の小指には赤い毛糸が結びついている。だが、それだけじゃない。その毛糸は、今やってきた医者の小指とつながっていた。どういうつもりなのだろうか。

運命赤い糸ってやつですか? お二人とも……」

  すると若い男女はお互いに顔を見合わせた。

運命赤い糸ですって」

患者さんの前で、よせよ……」

  二人とも、ちょっと照れているようだ。目と目で通じあって、やたら幸せそうであるしかし、若い医者は訝しげに、

「でも、なぜそれを?」

「それ、とは?」

「確かに私達は婚約しますが……別に、言いふらしているわけじゃないんだけどな……」

  お前か? 私じゃないわよ。なんて目の前でイチャコラするカップルの小指の間には、確かに赤い毛糸が結びついている。しかし二人がそうと気づいている様子はない。

  これは、一体何なんだ……?

  * * *

次 http://anond.hatelabo.jp/20150225090554

2014-12-31

ロリコンは正常、反ロリコンが異常

ロリコンは性欲の無い子供を性欲のはけ口にしている

子供にも性欲はあります

10歳ぐらいになれば女同士でエロい話をし出して

たまに男にもそう言う話を振ってくる事も稀ではありません。

ロリの方達は子供の頃にエロい話を女から振られた経験は無いのでしょうか?

そう言う経験が無かったとしても仲良くなった女性に聞けば

小学生からオナニーを始めた女性も少なくない事は分かります

子供に性欲が無いと言う反ロリの方は20歳未満の時にオナニーなんてしてませんよね?

子供性的搾取している。

これは反ロリコンに言える事です。

ロリコン子供性的被害から守っていると主張する人もいます

そもそも子供セックスから遠ざける事自体性的搾取になります

なぜなら子供セックスを楽しむ機会を奪っているからです。

ロリコン同意無しにセックスすれば性的加害者ですが

ロリコン存在自体性的加害者です。

人類本来ロリコン

多くの男は若い女が好きです。女も同様に若い男に鼻の下を伸ばしています

男も女も本来ロリコンなのです。

もちろんおっさん、おばさんでも魅力的な人はいますがそう言った人は

常に自分を磨いているような人たちであり、

一般的おっさんおばさんになれば性的価値劣化します。

60の女性発情する男と15歳の女性発情する男のどちらが異常でしょうか?

ロリコンロリコンより気持ち悪い。

私はロリコンより反ロリコンの方が性的と言うより精神的異常者だと思います

そもそもセックスは個人間同意の元に行われるべきであり

他人にどうこう口出しされるべき類いのものではないと思います

本人同士の同意があれば好きにやり合えば良いのです。

他人セックスに口出し、老いた人が好きな反ロリ非情に気持ちの悪い存在です。

レスがついたのでレス返しします。

非常に筋の通った文章

ありがとうございます。筋の通らないロリコン批判が多いため反論しました。

子供に性欲があっても、劣化したおっさんにはさわられたくないよ。

素直に認めろよ。自分コミュ障害で圧倒的に有利な立場になれる相手としか話もsexもできませんて。

キモいんだよばーか

1行目を見れば分かるようにロリ反の人も本質的にはロリコンであってあなたもそれを認めているわけです。

劣化したおっさんより若い少年とやりたいわけですよね?

また、ロリコンロリ反に比べて彼女彼氏)がいる男(女)が多いと思います

正当な理由も無く他人批判するロリ反と、自分に素直なロリコンならロリコンの方が

人として付き合いやすいですからね。

2014-12-30

進撃の巨人エレンイェーガーの魅力について本気出して考えてみた

もうただただ吐き出したかっただけです。

ほんと読みにくいし、完全に私の主観で書いているので気をつけて

エレンイェーガーの魅力は不器用さだと思う

どう不器用かっていうと、痛いものから目をそらせない不器用だと思う

例えば、普通人間ってグロものとかを見ると、目をそらすんですよ 目を背けたり、あと、「私グロいの大好き」とかっていう人も、ある意味、そういうそのまま自分にとって辛い、痛い出来事を受け入れると痛い感情がその出来事自分にとっての痛さのまま入ってくるから、その痛さを軽減しようとして自分がそれを好きってことにして不快感情を上塗りして逃げようとしてるんだとおもうんだよ まあ、中には自分は他の人とは自分は一味違うっていうのを主張したいだけの人もいるけどさ

そういう辛さ、痛さから逃げることができないんだよね

イェーガーは 逃げようとする(自分を傷つける刃から目をそらす)自分を許せないんだよ 逃げることはもう選択肢にないのよ

から、「エレン善悪基準があって、悪に当てはまったものを廃除しなければ気が済まない」、みたいなある意味単純でわかりやすキャラクターに映る人もいると思うけど、わたしはエレンは単純な人間ではないと思う かといって複雑ではないんだけど アンパンマンみたいに世の中の悪いこと全部許さない!みたいなのではないそこまで単純ではない 。自分が大切だったもの絶対だったもの(友への信頼、大切な人)が覆された、裏切られた、なくなったとき、まあ、あとちょっと例外であんまりにも非情な(ミカサの両親殺されてたときとかも 10歳のエレンにはショッキングすぎた)出来事とかも当てはまるかも。結論として、「エレンが怒る基準人間くさい。」アンパンマンみたいに誰にでも何にでもってわけじゃない。当たり前かもしれないけど、どうでもいい人が殺されててもなんなんだ、とは思っても激昂はしないと思う 善悪っていうとそこに情は伴っていないように見えるけど、エレンは怒る基準自分が傷つく基準、は世の中の良い悪いじゃなくてほとんどは自分のあること、ものへの思い入れからできてると思う ベルライの件とか 感情に真っ向から向き合って、それから逃げるのはエレンが許せないから、その痛みの根元に正面から向かっていくんだよね

結論

私がエレンに惹かれるのは「痛みを全部そのまま味わってたくさん傷ついてるのにそれから逃げることができない不器用さ」

そういうところがあるからですね

http://anond.hatelabo.jp/20141230164714

ノンポリ学生非難した学生運動みたいだな。

アフリカ子供が死んでるのに関心を持たないと非情みたいな言う人とか。

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

2014/1/1 全文が正しく表示されていないことに気づいたため修正した。遅ればせながら指摘に感謝したい。

はじめに

ラノベ作家になりたいワナビは二種類存在する。

才能のあるワナビと才能の無いワナビである

才能のあるワナビは己の思うがまま書き連ねればそれで問題ない。一次落ちなど経験することも無く、一発で新人賞を取ったり、取れなくても編集者が連絡してきたりして遅かれ早かれデビューに至り、そしてワナビに向けたラノベ創作論を書いたりする。私はこうやってプロとして本を書いてます、どうぞ参考にしてください。

これが意味するところは、才能のあるワナビ他人の書いた創作技術本を読んで必死トレースしたりなどしなかった、という非情現実であるノウハウ本を欲するのはいだって才能のないワナビで、そして才能の無いワナビ今日選考落ちの通知を見て顔を覆うのである。○○先生の本に書いてある通りにやったのにどうしてダメなんだろうか。何がダメなんだろうか。

ラノベ創作技術本は本当に役に立つのだろうか。

スティーブン・キングプロットなど不要だと言う一方でディーンクーンツプロットの無い作品など糞だと断じる。大塚がまずキャラから作れと言う一方で冲方世界から作らないようでは話にならないと言う。

ラノベに限らず小説創作技術本はそれぞれの主張がまるでバラバラであり、まとまりがない。もっともこの手の本は意識の高いサラリーマンがこよなく愛する成功体験本と同じカテゴリである。ゆえに真面目に考える必要は無いとするのも一理あるだろう。

しかし、本当に彼らの主張はバラバなのだろうか。

実のところ彼らは単に表現が違うだけで、最終的に同じことを述べてるのではないだろうか。

手順が違うだけで、結局同じことをしているのではないだろうか。

もしそうだとすれば重要なのは手順ではなく最終的にどういう状態であるかにあり、その状態がいずれの作家も共通しているのであれば、それこそが欠かすべきではない要素ではないのか。

大沢は「技術は教えられるが、才能は教えられない」という。だがヒックスは「モノを書くことでの才能の問題は、相当に過大評価されて」いるとして、「それはやっていくことで獲得」できるものだと言う。

Hard work beats talent when talent doesn't work hard.

Tim Notke

本稿は個別の手順というより、最終的にどういった状態を目指しているのか、という観点ラノベ創作技術本の各説を整理し、俯瞰する。筆者はワナビではなく、単なる興味本位でこの整理を行ったに過ぎない。しかし才能が無いことを自覚し、それでもなお努力によってこれを覆そうというワナビにとって、本稿がより効率的努力を実現する上での一助となれば幸いである。

ラノベ定義

本稿ではラノベを「ラノベの主要レーベル新人賞に向けてワナビ執筆する、新人賞を取りうる内容の小説」と定義し、本質的ラノベ定義へは踏み込まない。このことからカテゴリエラーをめぐる問題このラノベの本質的定義限界を探ることと同義であり、本稿では割愛する。

参考文献

本稿執筆にあたり参考とした文献を下記に記載する。

作家名で適当に並べたに過ぎず、記載の順に意味は無い。

まだ参照すべき文献は多くあるが、ひとまず本稿執筆にあたっては上記で一区切りとした。

ラノベの読者

ラノベ作家商業主義であらねばならない、と五代/榊は明言し、飯田キャッシュフローを生む作品こそが素晴らしい作品なのだという。実際、ラノベ新人賞商業的に売れるラノベの発掘を目的としているのであって、ワナビ承認欲求を満たすためにあるわけではない。

新城ラノベの読者の多くは男子中高生であり、すなわち「毎月のお小遣いが限られている学生であるとする。飯田さらラノベの読者はアニメ漫画ニコニコ動画を好むオタクであるとする。そしてラノベは彼らの限られた小遣いの使い道として選択される商品でなければならない。榎本西谷水島も、いずれも同様に読者が誰かを意識しろと主張する。

ところでワナビが書いた新人賞用のラノベの読者は、中高生ではない。

新人賞の下読みの多くは大学生バイトであり(あるいは主婦新人編集者)、選考するのはプロ作家であり、プロ編集者である。いずれにせよ選考過程中高生存在しない。

読者が誰かを考えるべき、という指摘はもっともだが、プロ作家ワナビでは立場が違う。ワナビラノベレーベルで勤めるサラリーマン編集者想像する『中高生』にウケるラノベを書かなければならない。榎本現実中高生とふれあい彼らの考え方を理解しろと言うが、本当にそんなことをすれば事案待ったなしのワナビは少なからずいるだろうし、現実中高生には圧倒的にウケる20代30代の編集者には全く理解できないものがあったとすれば、それは間違いなく一次落ちである

行頭は一段空けましょう、といった小説執筆上のお作法ができていなかったからといって間違いなく多くの中高生は気にしない。しかプロは気にする。そうした基礎的作法の欠如は中高生云々の前にまず彼らに不快感を生じさせる、という点を理解しておく必要があるだろう(応募に際してはあらすじを付すようにという指示に対して小説煽り文や序文を付けるといった無理解なども根は同じだろう)。

ラノベ創作の段階に関する整理と比較

最終的なラノベに至るまでの執筆上の段階や要素は論者の数だけ存在する。例えばキングによるアイディア原稿の2段階、クーンツを始めとするアイディアプロット原稿の3段階、冲方による能書き、種書き、骨書き、筋書き、肉書き、皮書きの6段階などがある。

本稿では「アイディア」「プロット」「原稿」の3段階を用いて各説を俯瞰する。この各段階は「アイディア」が最初であるという点を除けば、随時行き来することがいずれの説においても許容される。一度「プロット」に移行したら「アイディア」へ戻ってはならないなどと主張されることはないし、「原稿」の完成に至ってから再度「アイディア」の段階に戻る作家存在する。

一方で、これらの「段階」はそれぞれ独立しているわけではないことに注意する必要がある。いずれもその前段階の上に構築されている。つまり、あるワナビが「プロット」に問題があると認識したとしても、その前段階に問題がある可能性は否定できない。これは感想や選評においても言えることであり、問題点の指摘がまったく的外れでなかったとしても、その問題引き起こしているそもそもの原因は何なのか、という点を突き詰めなければ、根本的な問題はいつまでたっても解消されないままだと言えよう。

以下、それぞれの段階についての各論に入る。

アイディア

アイディア」とは筒井がいうところの「妄想」であり、単語キーワードフレーズ、断片的な会話や場面など様々なものであり、その創作で用いるかもしれないし、用いないかもしれないネタである

冲方は「アイディア」を3段階に分けており、まず主題を考え(これを能書きと称する)、次にそこから様々な雑多なアイディア連想し(種書き)、今回はこのあたりのアイディアを使おう、と決めて整理する(骨書き)という。

しかし実際には冲方自身、これらを行きつ戻りつして執筆を進めていくとしており、「骨書き」の段階からは後戻りしないと固定しているわけでもないことから、本稿では参考として紹介するに留める。

この「アイディア」の種類についてもいくつかの主張があり、例えば冲方主題世界、人物、物語文体の5種であるとするし、榎本キャラクター世界設定、ストーリーの3種としている。分類それ自体意味を持つものではないが、それぞれが独自用語を用いて自説を主張している状態では整理のしようもないため、本稿では「主題」「世界」「登場人物」の3種に分けて整理する。

主題

本稿では主題テーマは同一の概念とみなすが、主題とは、そのラノベ創作において根幹となるアイディアのことである冲方大塚はこの主題を根として木構造状に各アイディアが繋がっていることを主張する。

主題を確定するタイミングについて冲方は真っ先に考えるとするし、大塚作成した主人公像の要素を深化させそこから主題抽出するとしている。榎本プロット作成の段階で必須としていることからそれ以前に考えておかねばならない。西谷執筆段階で突如として「物語の核」を意識する、と述べるが、この「物語の核」が主題とみなせるのであれば、プロット後に主題を決めてもいいということになるだろう。

このように主題をいつ考えるかは説によって大きな差があるが、結果としてラノベ創作において「主題」が必要不可欠だと多くの作家が述べていることに変わりはない。

繰り返しになるが、全てのアイディアの共通の祖先として「主題」は位置付けられる。従って本稿の分類で言うならば「世界」や「登場人物」は必ずこの主題関係する要素を持たねばならない。言い方を変えれば、「主題」はアイディアアイディアの共通要素として機能するため、ワナビ本人は主題として位置づけたが、それが「世界」や「登場人物」に関係していないのであればそれは「主題」ではない。

この「主題」があることの意義について、「読者は「設定資料集」を読みたいのではなく、「物語」を求めている」という榎本の指摘、また「「細部」には主題が宿る「細部」とそうでない「細部」があります。そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは「主題の宿る細部」なのです」という大塚の指摘を踏まえるなら、読者が「物語」と捉えるか「設定資料集」と捉えるかは「主題」の有無次第だ、ということになるだろう。

設定資料集が好きな人存在することは事実であるが、彼らは設定資料集ならなんでも好きなわけではなく、特定物語を好んだことで、その物語のより詳細な背景情報を知ることを好んでいるに過ぎない。興味のない物語設定資料集など誰も目を通してくれはしない。

このように「主題」は重要な要素であると考えるが、その表現方法に関して榎本主題台詞地の文で語ると胡散臭く、説得力が無くなるとしているし、クーンツ主題で読者を説教してはならないと注意を促している。台詞地の文での表現を避けるとなれば、多くの場合登場人物の行動、またそれによって引き起こされた出来事によって表現されることになると考えられる。

世界登場人物

本稿では会話文の主体になりうるものを形作る上で用いられる情報名前性格容姿、口調など)の総体を「登場人物」と定義する。「キャラ」「キャラクター」とこれを区別するものもあるが、特筆の無い限り本稿ではまとめて「登場人物」とみなす。

一方で、登場人物以外の全ての設定を本稿では「世界」と定義する。具体的には魔法の有無などの自然法則身分制のような社会構造、もしくは携帯電話の無い世界といった現代社会との差分もまた「世界である

いずれを先に考えるかについては諸説ある。例えば冲方水島世界が先だとするし、大塚西谷登場人物からだとする。榎本のように特に順序には言及しないものもある。

しかしながら冲方大塚の「世界」と「登場人物」が揃った状態についての言及は非常に似通っている。

冲方は「人物たちの性格や言動や行動の全般は、結局のところ、大半が、世界時代に左右されたもの」と言い、このような世界からこそ、そこに登場するこの人物はこのような設定になるのだ、という必然性要求する。

大塚もまた登場人物個性については「キャラクター所属する「世界」の物の見方価値観に由来するもの」があるとしており、その人物の設定は彼の存在する世界の設定から必然的に生じたこのような価値観に由来するのだ、という必然性要求する。どちらの側から見るかの違いだけで、冲方大塚も目指している状態は同じだと言っていいだろう。

世界登場人物リアリティ

ワナビの「世界」について「リアリティ自分身の回り3mくらいしかない」「おまえの世界には学校コンビニと自宅しか存在していないのか」と五代/榊は批判し、リアリティには細部の設定が必要不可欠だ、という立場をとっている。一方で「登場人物」の細部情報への批判としては「異能力の内容だけやたら細かい」にもかかわらず「話に全然関係ない」としており、両者をまとめると「主題」の宿る細部こそが必要不可欠であり、それ以外の細部の設定は不要だとする大塚説とほぼ同一と言っていいだろう。

冲方は「そのテーマが内在する世界を、しっかり構築することができるようにならなきゃ話にならない」と世界における主題を重く位置づけた上で「実際にその世界について書かなくても、少なくとも自分は知っていたいし知らないと駄目」と細部の設定の充実に言及する。

その一方で登場人物については、冲方はそれが主題関係しないのであれば「性別や年齢をあとから決める」とする。水島登場人物プロット上の必要性が出てから作れと述べ、最初長大キャラ表を作るというワナビありがちな行為を繰り返し否定する。ヒックスは事前定義表に基づいて穴埋めで作られた登場人物を「組み立てられた登場人物」と表し、そして「最良の脚本には、組み立てられた登場人物存在していない」と断じる。

だがこれらは登場人物に細部の設定が必要ない、という意味にはなりえない。例えばクーンツプロットをまず作ることを前提とした上で、リアリティを持った人物描写のためには、登場人物に関しても細部設定が必要だとして、身長体重、体型、年齢といった肉体的特徴、声や話し方、動作や仕草など多岐に渡る項目の設定を列挙している。

登場人物」であれ「世界」であれ、リアリティは細かな設定によって得られるものだ、という点はいずれの主張とも矛盾しない。その細部の設定が「主題」と関係する場合最初に考えるべきとする見解はあるが、関係しない場合、それがとりわけ「登場人物」の細部設定の場合、これを最初に考えることは多くの見解で明示的に否定されている、ということになる。

これとは相反する主張として、西谷はまず人物設定から始めるべきだとする。「積極性」「肉体的な強さ(美しさ)」「いざというときリーダーシップ」「やさしさ」「辛抱強さ」「頭の良さ」で点数をつけてチャート作成するのが良いとして、さらには性格趣味、髪の色からメイクの仕方、ブラジャーの形状までを設定例として挙げており、そこには「主題」との関係性への言及はない。

ところが西谷は実際の作例において仮置きの主人公を用意するに留めており、チャートについては一切触れず、細かな設定も一切用意しない。まず最初に「世界」と「主題」に取り掛かり、「企画を練り上げる段階で、主人公を変えてしまう」「主人公を引き立てる脇役は、書いている途中で思いつく」とすら述べる。

最終的なこの作例が実際の西谷の手順なのだとすればその手法はむしろ冲方寄りである Permalink | 記事への反応(5) | 20:41

2014-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20141217134413

一つアドバイス

相手のリアクションを予想するという姿勢自体は非常に正しいが、

先回りしたい時は相手の反論を潰すなり回避するように書くべきで

予想内容をそのまま書くのはやめたほうがいい

前述したとおり、低能の予想はほぼ100%外れるから

ご指摘、ありがとうございます。低能の人です。

 

確かに見返してみると予想内容をそのまま書くのは、

特に僕の場合)やめたほうがよさそうですね。

どうするべきか?のアドバイスまで頂き

非情勉強になりました。ありがとうございます

2014-12-10

最近ゲイ出会い系にハマってる話

http://anond.hatelabo.jp/20141130202457

増田アドベントカレンダー2014の10日目です。執筆者は名も無き増田です。

最近ゲイ出会い系にハマっています

ゲイ出会い系の何が楽しいかを書いていくので、皆さん参考にしてください。

ですが私は生粋ノンケです。

オナニーオカズは必ず女性男性の絡みのアダルトビデオです。

男性相手に勃起しますし、射精しますが、それは単に刺激により反応してしまうだけで、私はノンケです。

でも、私はゲイ出会い系で、ゲイの人と知り合い、ゲイの人と恋愛をし、ゲイの人とセックスすることを楽しく感じています

ゲイノンケかバイの違いはともかくとして、

男性との恋愛はひとえに『楽しい』それにつきます

それを詳しく説明していきます

女性と話すと緊張する、でも男性となら緊張しない!

この場合非モテというのは、女性に対してという意味です。

私は女性モテたことがありません。

しかし、それは環境によるものが大きかったと思います

中高と男子校で、大学は一学年に2人ぐらい、職場には3人ぐらいしか女子がいませんでしたから。

なので、女性と話すと非情に緊張します。

どのぐらい緊張するかというと、くるくるその場で回ってしまうぐらい緊張してしまます

ですが、男性相手には一切緊張しません。

それどころか、自分要望を伝えたり、相手の要望を汲み取ったりと

「会話」すら成り立ちます

これは大きな違いです。

女性相手には「会話」以前に、ボディランゲージですら自分意思を伝えられません。

ところがどっこい、男性相手なら会話どころか、ボディタッチすら余裕です。

まり女性男性比較したとき、僕は男性といる方が楽しいということです。

女性とのセックスはよくわからない、でも男性とのセックスはよくわかる

非モテですけど、私は風俗などで女性セックスをしたことがあります

ですが、女性とのセックス非情にわかりにくい!

いつハメていいのか、相手は感じているのか、相手はちゃんと行ったのか、風俗からというのはもちろんありますが、さっぱりわかりません。

理解できません。

勉強しないといけません。

でも面倒です。

ところがどっこい、男性相手のセックスは非常にわかやすい。

「相手が射精できた」

自分射精できた」

この2つさえ守れれば、何をしても多分大丈夫なんです。

(ケツ穴を使ったセックスはあまり経験が無いので、この場では省きます

ちんちんを舐めてあげたり、しこってあげたり、乳首をつねってあげたり、アナルをさわさわしてあげると、相手のおちんちん勃起して、それらを繰り返すと射精する。

なんて、シンプルでわかりやすいんでしょう!?

そして何より、それらの機能自分にも搭載されているので、練習や勉強も楽チンです。

まり女性セックスするより、男性セックスする方が僕は楽しいということです。

○年上の男性に「甘える」ことの楽しさ

皆さん、最後に甘えたの、何時ですか?

僕は先日の土曜日たっぷり出会い系で知り合った男性に甘えてきました。

ご飯を奢ってもらい、銭湯を奢ってもらい、たっぷり責めてもらい、たっぷり射精させてもらいました。

そして何より、たっぷり相手に気持ちよくなってもらえるよう、必死にご奉仕しました。

たまに実家に帰ると、据え膳上げ膳でとっても楽ですよね?

自分わがままを沢山言えて楽ですよね?

それの数倍、年上の男性に甘えるのは楽です。

なんたって、親と違って、独身だし子供もいないから、金持ってますからね。

親に甘えるのとは違って、金銭的に甘えても、

「その分、たっぷりエロいことさせてもらいまっせ」という打算的関係で帳消しです。

まあ、僕はエロいこと大好きなんで、完全にWin-Winどころか

Perfect Win-Win関係ですね。


年上の男性は金持ってるから甘えられて、僕は楽しいということです。


男性といるとありのまま自分でいられる

女性といると緊張していしまう上に

自分をよく見せよう」とか

「相手に好かれよう」という意識がとても強く働いて、

自分を取り繕ってしまます

対人関係においてそれは非情大事なことですが、

それって大事なだけであって、楽しいことではないですよね?

少なくとも僕はそうです。

僕はありのーままのー自分を見て欲しいですし、相手もありのーままのー自分でいて欲しいです。

上辺を取り繕うことももちろん大事ですし、

特にビジネスの場や、社会ではそれは欠かす事の出来ない要素だと思います

でもそれって楽しくないです。

僕は女性といるより、男性といる方が楽で、楽しいということです。


結論

皆さんも、「恋人といるより、友達と遊んでる方が楽しい」とか

恋人作るよりも、友達の方が欲しい」とかって思ってませんか?

でもそれって、友達の上に、セックスまで出来たらよりハッピーだと思いませんか?

僕の師匠は言っていました、

「男の人は男の人同士で 女の子女の子同士で恋愛すべきだと思うの」と。

「すべき」はもちろん言い過ぎです。

女性といる方がありのままでいられる男性もいるし、

男性といる方がありのままでいられる女性ももちろんいます

でも、自分もそうだと決めつけていませんか?

自分ありのままでいられるのは、女性といるときですか? 男性といるときですか?

もう一度よく考えてみてください。

僕はよおく考えてみました。

考えて、考えて、やっぱり男性といる方が楽で楽しいのだと気づけました。

楽で楽しい方が、楽しいですよ!

2014-12-07

えっ!この時代に?先進国イギリス奴隷の数が想像以上だった -

NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2141740189417391401

これをみて思ったんだけど、慰安婦セックススレイブではないって話が日本のいち部分では主張されてるけど、

Slaveという単語日本英語圏では意味合いが違うんじゃないかなと思った。

従軍慰安婦は、そういう労働を強いられた女性という意味でもはや強制性とは違うところに議論がずれているのに

日本国内ではあれは女性奴隷として扱ったわけではないという議論になってて、

日本国内ではブラック企業従業員とか派遣で安定した職につきたいのに不安定な職のまま同一労働同一賃金も守られて

おらず老後の暮らしに怯えなければならない状態であるとかって

かつて、日本軍に囚われた捕虜日本軍人日本人上司にされた非情な行いを日本軍の慣習だからとして受け入れていたことを

同じような行いをされたら捕虜に対する虐待として訴えたように、

日本国内には奴隷がたくさんいるのではないだろうか

そして奴隷が、他の非情な行いを我慢ならじと声をあげた他の奴隷を、そんなことだれでも我慢すべきだって叩いてるんじゃないだろうか

それを認めたら自分奴隷だと気付いてしまうから奴隷じゃないと思いたくないんじゃないだろうか

って思わなくもなかった。

2014-12-02

[]12月1日

○朝食:なし

○昼食:なし

○夕食:中華料理屋の天津飯

調子

非情によくない。

またやってしまった。

最悪だ。

本当によくない。

病院すらもいけなかった。

これじゃあまずい。

チョコ食べよう。

2014-11-14

[]11月14日

○朝食:ミートソーススパゲッティ

○昼食:カマンベールチーズ板チョコおせんべい

○夕食:茄子カレー

調子

チーズパワーとカレーパワー、そしてHaloパワーによりパワーが50000倍ぐらいパワーアップ

うおおおおおおお! こんじょだこんじょ!

Halo TMCC

と思って、今日届いたHaloTMCCを開封、インストール

が、イキナリケースの爪がこわれ箱がちゃんとしまらなくなる自体に。

わざわざコレクション目的でパケ版買ってるのでこれはショック、テンションが50000分の1ぐらいパワーダウン。

さらに長い長いアップデートインストールを経て、起動するも、

現在マルチが障害により非情に繋がりにくい模様。

なんてこった。

僕はHaloはかなりの新参者で、Halo4から入って、今年になってからHalo1〜3、ODST、WarReachと一気にプレイたから、

このタイミングキャンペーンをやる気にはならないんだよなあ。

なので、マルチをがっつりやろうと思ってたんだけに、この障害は手痛い。

はいえ、せっかく買ったゲームを遊ばないのももったいないので、Halo1をミッション3までプレイ

Reachプレイした後だと、ミッション1のオータムが航海してるシーンだけでちょっとウルっとくるね。

2014-11-03

累をもこっちが読んだらどうなるんだろう

主人公もといヒロインが、才能のあるもこっちまんまなんだけど。ビジュアル的に。

これを読んで触発されたもこっち。

ホーリーランドを読んだあとの男子中学生さながらの蛮勇で演劇部に顔を出す。

しか現実非情である

隠された才能など何もなく、無能などもりブスが恥を晒しただけだった。

終わり。

2014-10-28

[]10月28日

○朝食:納豆たまごかけご飯

○昼食:カラムーチョとどら焼き

○夕食:考え中。

調子

納豆って美味しい。

なんでこんなに美味しいのだろう?

発酵してるからかな?

チーズ発酵してるから美味しいのかな?

発酵食品祭りを開催したいな。

今日は久しぶりにネットサーフィンばっかりしてた。

理由は下記。

サンセットオーバードライブ

発売もうすぐ!

ということで、実況動画をみたり、レビューをみたり、2ch書き込みをしたりと、事前準備を楽しんだ。

非情面白そうで、期待度上げ上げです。

テラバトル

ログインボーナスもらっただけ。

2014-10-17

妻はおしっこをもらしてしまった

高速のPAで、トイレをすませるように言った。

4歳になる息子は、「大丈夫」と大見得を切っていたが、すごい内股を擦り合わせていたので、無理やり連れて行った。

妻はそれを見て苦笑していた。

PAを抜けると、事故による通行止めがあった。

それに伴って、1mmも進まない渋滞が発生した。

渋滞は車内の空気を淀ませる。

妻は明らかにいらいらした様子で、息子を叱り出したり、おれを叱ったりした。

渋滞がはじまって1時間ぐらいたったころ、妻は「次のPAまでどれぐらいかかるか?」と聞いてきた。

交通規制がいつ解除されるかは、分からない。

うーん。と答えあぐねていると、耳元で「おしっこにいきたい」と言われた。

なんだって

車の現在地高速道路の陸橋だ。

路肩めいた個所はない。

また、規制解除されたら発車を余儀なくされる位置であり、降車はよくない。

「どれぐらいがまんできそう?」

「もう無理かも」

オーケー落ち着け

おしっこに関しては、もう漏らしてもらうしかない。非情決断だ。

その上で、車内の被害を最小限にして、なおかつ妻のプライドをどうするかという問題なのだ

トランクビニールシートがあった。

あれを、妻の座る助手席にしこう。

次に息子だ。

おしっこ漏らす、漏らさないみたいな話は大好きなやつで厄介だ。

ようし。

「おい、妖怪ウォッチはイヤフォンつけてやれ」

「えっ? 車の中では気持ち悪くなっちゃうからやらないよ」

渋滞で止まってんだから大丈夫だよ。あと、音量最大にすれば気持ち悪くならないし、臨場感が出るぞ」

「そうなの! やってみよう」

「あ、鼻にティッシュ詰めとくと、もっと気持ち悪くならない。あと、運転の邪魔から、後ろ向いてやれ」

「あ、はーい」

降車して、ビニールシートをトランクから持ってきて、妻の座席に敷いた。

妻はパンツを下ろして、おしっこを漏らした。

彼女は泣いていた。

情けなかったのだろう。

しかし、きみが泣くことはない。

プロポーズとき結婚ときに誓ったように、きみの笑顔保証する。

妻には運転席に移動してもらって、おれはおしっこまみれのビニールシートが敷いてある助手席に移動した。

そして、おれもおしっこを漏らした。

やがて、車は動き出し、次のPAビニールシートを捨てた。

妻は、「あなたバカね」と言いながらも、涙は消えていた。よかった。

息子は、大音量と鼻栓で車内でゲームしても気持ち悪くならなかったことに感動していた。

なにはともあれ、今日平和でよかった。

2014-10-03

夢の中で童貞喪失した

これは素人童貞でもないし、なんと呼べばいいんだろう。

実家リビングで相手がかなり発情してて、俺は2階の俺の部屋にいってからヤろうと思って相手の手を引っ張ったら、ここじゃないとダメみたいな感じで無理矢理ソファに座らされて対面座位でべろちゅーしながらぐりっと挿入。

あ、これはヤバイと思ったけどギュッと抱きしめられてたのでそのまま中田氏

現実での射精を伴うものではなくて、ドライオーガズム?っつー類の快感だった。

朝立ちフルボッキだったけど布団汚さずにすんでよかった。

めっちゃ相手がエロかったわ・・・どこの誰かもわからんかったけど、二次元人間だった気がする・・・

アニメキャラとかじゃなくてなんかのエロ漫画キャラ・・・

ああ思い出した。

寝る前に読んだブッチャーUのTHE SEX SWEEPERSの5話に出てきた黒髪ぱっつんポニテの子デコ丸出しにしてる状態だわ。

はひ~

これまでも明晰夢の中で好き放題やったことはあったけど、大抵本番しようとするとやったことなからスカスカでまったく気持ちよくなかったのに。

すげーよかった。

オナ禁してたわけでもないのに。

しろ3日くらいしてなくて昨晩久しぶりにしたくらいだったのに。

しかし確かにセックスは気持ちいいな。

風俗にハマる人の気持ちもよくわかるわ。

だが実際には、うつぶせオナニストの俺がセックスでイクことはほぼ絶対に無理だという非情現実

でもこれで男として生きた意味を一つ叶えられたからほんとよかった。

2014-09-12

カルタグラ 感想

■凛

サブヒロインにしては非情に惜しいキャラというのは誰しも皆感じると思う

1章における彼女存在感は異常でありあからさまな選択肢に引っ張られても仕方ない

「~っす」という口調も当時の女性にありそうであるが大人しめの声質がミスマッチであり逆に個性を引き立てている

娼婦の身の上である故の悩みも悪くない、処女厨はお帰りくださいと言ったところか

初音

キャラ紹介ではメインヒロイン扱いではあるが…そもそも和菜以外みんなサブヒロイン

個人的にこういう狙ったキャラは好きになれないかな

エンドは全ての謎をほっぽり出したHAPPY、だが冬史が消息を断ったと聞いてはすっきりしないだろう

TRUE攻略後に分かるが初音√では初音達に手がかかる可能性が残っていそうである

あれほどの期間何も起きない理由って説明されてたっけ?

■楼子

令嬢という立場もあり綺麗な風貌に「ですの」口調

容姿は様々な作品であまりにもよく見かけるデザインなのが残念

若干夢見がちな年頃の女の子ではあるが自分は好み

本筋に深く絡まずあくまサブヒロインの域をでないのは残念

Hシーンに限って言えば彼女が一番えろい(七七は男の趣向をよく分かっているな)

■冬史

登場から圧倒的に頼りになる存在感を放っているが便利キャラなんだよなあ

どこか可愛らしい一面がないかと座して待っていると和菜√での味噌である

日本人白髪or銀髪へ悪い印象を抱かないらしいが、彼女にも嫌悪感を抱く人は少ないだろうなと思う

秋五との信頼関係はどう築かれていったか詳しく掘り下げられてれば終盤の対峙においても説得力があったんだけどな

Hシーンは極めて普通、隻腕設定いらなくないか…

■七七

高性能すぎて扱いきれてないよね

有島の件は秋五のお手柄と発言しているが彼女の行動力ならいずれ1人で辿りついてしまレベルである

有島に秋五の察しの良さを指摘されていたが彼女上位互換すぎるために全て霞む

彼女の異常性を活かしたENDもあるが正直微妙かな

やるならTRUE後の分岐爆弾落とすようなものにした方が良かったのでは?

一色さんの演技は素晴らしい

■和菜

制作側の気合が感じられる正統派ヒロイン

声優の演技も悪くないし声質も綺麗で嫌いになる要素はない

秋五へ好意を寄せる過程もわからなくは無いが、昨今一目惚れちゃうようなヒロインが多いため生半可な理由では納得出来なった自分

そのため過去に何かしら関係があった等の背景がない限りいくらメインヒロインと云えど数日で惚れちゃうはいただけない

他のヒロイン基本的に以前から繋がりがあるという中で彼女ひとりだけが都合よく君臨してしまうのはなんかなあ

シナリオ

ミステリーって何なんだろう、っていうのが浮かぶ

しっかりミステリー機能するのは1章終盤の七七の問いかけまでじゃないかな

カラス存在死体の運搬、犯人の動悸…すべてがそれまでに推測可能だ

以降の展開では、

赤尾が実行犯とわかるのも背景のアトリエでばればれ

縦書の犯人視点テキストなんかとてもキーにはならない

(そもそもミステリー主人公視点じゃないと駄目なルールなかったっけ?)

有島がおかしいと確信できるのはミルクホール一服に出た時が初

それ以前は八木沼をスルーする程度で犯人に繋がる要素とはいえないよな

・上手いと思えるのは殺害における傷の付け方

子宮を食べる→受胎から考えるに両目への傷→盲目

このため盲目設定であった由良犯人であるという余地が生まれ、最終的に目にある特殊変異キーに繋がっているとも言える

個人的に和菜黒幕説を疑っていたため、姉への復讐とか秋五への執着の線を気にしていた

・1章における怪奇事件、謎の新興宗教行方不明操作

舞台作りにおける雰囲気作りはかなり成功していると思われる

正直、ヒロイン√が確定してもいつ死ぬのか冷々した

年代設定も全ての仕掛けが機能するために必要であったし

独特の空気感を生み出す要素としても素晴らしいと思う

ゴアスクリーミングショウのような更なる陰鬱さを覚悟していたので少し安心

1章でヒントを散りばめつつ、2章各√でヒントのまとめ、3章で答え合わせ

簡単にこんな構成でも良かったように思う

いや自分シナリオ書けるわけがないので単なるわがままに違いは無いのだが

総評

何はともあれゲームとしては十分楽しめて嵌る、神ゲーと言ってもいい

秋五の情けなさが随所で指摘されているようだがTRUEに限れば目立たない程度では

サブキャラ活かすのがうまいのかな、主人公はあんなもんでいいと自分は思うが

プレイ10時間程度かな、エロ選択肢で一応回避できるし影響も少ない

BGMは流石Little Wing、耳にすっと入ってきて変に気にならない

声優の演技も高レベルで他の作品での活躍も見てみたいと感じる

Hシーンに選択肢体位)ごとにCGを設けちゃう作り込みは凄い

当時プレイした人は間違いなく次回作も確実に買っちゃうねこの豪華さだと

点数 88/100

2014-09-03

過剰なアニメ規制議論が巻き起こる原因に関する一考察

なぜか”良識派”と呼ばれる人々はアニメ規制したがる。

犯罪助長うんぬんと。

表現の自由をどうこう言って反発するのもいいが、

私の意見としては子供が見てトラウマになるような映像教育に”良い”影響があると思うから規制には反対だ。

悪夢にうなされたり、エロすぎて目に焼き付いて取れなくなる経験は大人になるために絶対必要である

殴られもぜずに大人になった奴がどこにいるのか!

さて、なぜこのような暴論が幅を利かせているのか。

しかしたら、この問題を扱う新しい切り口を見つけたかもしれないので報告する。

アニメなどの表現にはある程度の規制必要だが、今のままで十分である

にも関わらず、なぜ暴力的とも言える過剰な表現規制を唱える人が出るのか。

それは、人間の心理の持つ”慣れ”という性質から来るのではないか。

人間は同じ刺激を受け続けると、徐々に慣れて何も感じなくなる。

これを心理学用語では馴化と言う。

より詳しくは以下の文献を参考にされたし。

Thompson, Richard; Spencer, William (1966). "Habituation: a model phenomenon for the study of neuronal substrates of behavior". Psychological Review. No.1 73: 16–43.

http://www.cns.nyu.edu/~david/courses/perceptionGrad/Readings/ThompsonSpencer-PsychRev1966.pdf

アニメ表現規制を唱える人々は、馴化によって現状でも十分表現規制されているという認識を持てないでいるのではないか?

おそらく、昨今のアニメ表現規制を推進したい人々は、過去にも同じように何らかの表現規制運動に参加していたはずである

そして規制強化という成果を勝ち取ってきたはずである

自分たち運動が実を結んで社会を動かしたというのは、言いようのない快感であっただろう。

おそらくは非情に強いエクスタシーを感じたはずである

さら活動を続け、さらなる規制を獲得したことだろう。

そうやって日本表現はつまらないものになり続けてきた。

だがそれも、2度、3度と繰り返す度に馴化によって何も感じなくなってしまったのではないか?

彼らは表現規制中毒となっている可能性がある。

一度オナニーを覚えたら、定期的にせずにはいられなくなるようなものだ。

努力問題を克服した時の快感は何にも代えがたい。

ダイエットという問題を克服した快感が忘れられず、ダイエット中毒になって骨と皮だけになる女子高生だっている。

同じことではないか?

彼らが理性的表現規制不要論に耳を貸さず、なんら科学的、統計的な根拠のないアニメ犯罪因果に固執する原因となってはいないだろうか?

私には彼らこそ、十分な休養を取りながら広い社会と交わり、自らの偏狭的な関心と生産性のない快楽主義を克服すべき存在に見える。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん