となりの人もそう思っていると思う。
だったら隣の人と協力したほうが、より少ない危険でより効率的に妻や娘を守れる。
隣の街の人とも協力したら、もっと少ない危険とよい効率が得られる。
そうしてできたのが国だと思う。
そうして死んできた人たちの中には、俺が一度も顔を見たことが無い人たちがいる。
彼らは俺と俺の妻と娘のために死んでくれたことになる。
そうして死んでくれた人たちがいるのなら、俺も死ねるのではないかと思う。
そうして死んだならば、おれがそのために死んだ人々や運良く生き残ったおとなりさんには、ときどきは俺に会いにきてもらいたいと思う。
国家は時として、巨大で非情なリヴァイアサンになる。それをリヴァイアサンたらしめる原理は、俺やお前が妻や娘のためになら死ねると思う心にこそ宿っているのだと思う。そして我々の国語ではこれを「業」と呼ぶのだと思う。
国のためじゃない、妻や娘が笑顔で暮らせるためでないと死ねない。
となりの人もそう思っていると思う。 だったら隣の人と協力したほうが、より少ない危険でより効率的に妻や娘を守れる。 隣の街の人とも協力したら、もっと少ない危険とよい効率が得...