はてなキーワード: 非情とは
自分が先に非常識なことや礼儀知らずなことをやったのではないか、
多くの女から音信不通にしたいと思わせる原因が自分にはあるのかもしれない、とは考えないんだろうか。
「自分が礼儀知らずだったから、相手からも礼儀知らずな態度で返されただけかもしれない」
「もしかしたらあの人も他の人が相手だったら全然違う態度で、ちゃんと断っていたのではないか?自分が相手だったから音信不通にされたのでは?」
「自分には女から軽んじられる何らかの理由が存在するのではないか?そこを変えたほうがいいのでは?」とは少しも思わないのか?
上手くいかなかった原因を相手にばかり押し付けて、自分の方には何も非がないような自己中思考な所が気になった。
「これが現実だから受け入れるしかない」と聞こえのいいことを言ってるけどさ、
結局は「自分の非によって引き起こされる非情な現実は見なかったことにしてやり過ごす(自分に非があったとしてもそんなことは知らん、そんなん直す気もない)」って宣言だよね。
そんな態度で続けたって成功しないだろう。
5年も婚活を続けて実りがないのも頷ける。
どこかで感想を発散したいのでここに書く
2004年にMOON STONEから発売された『何処へ行くの、あの日』をプレイ。
霜月はるかが歌うOP曲「追憶の破片」が大好きであった自分はいつかプレイすると心に決めていた。
夕焼けが象徴的だったためにシナリオは間違いなくしんみり系だろうと期待大。
・桐季ルート
典型的なおっとりお姉ちゃんキャラで印象は良い、多少アダルトな下着に面食らう。
(この時点では他のルートをやっていないため、消える可能生の世界だと知らなかったのだが)
・一葉ルート
攻略を見た感じネタバレはなかったため参考にしてルートを確定。
北都南、明るい、ダークな一面、双子設定ときて素晴らしき日々の希実香と若槻姉妹の元なのではと。
精神科医の話と性的虐待の件でネタは想像がつくだろう、勿論すぐに種明かしが来るわけですが。
立ち絵は可愛らしい感じなのに、一枚絵では大人の女性っぽさを受けるが悪く無いと思う。
・智加子ルート
色々と残念。
まず立ち絵が他のキャラと比べて異質、一枚絵でも髪型が悪さしてプラスな印象にはならない。
共通や他のルートでも図書委員という設定が地味で目立たない、弟君がいなかったらサブキャラでも問題ないレベル。
また、endはかなりのbadなため救いようがない不遇なキャラ。
①マージは戻った過去の自分が行う可能性のある範囲で行動し未来を変え得る
②各ルートはおそらく異なる世界線、outer planetが流れる妹が自殺した世界が本来の世界という仮説
③妹の手術が失敗した回想(世界線)が中盤で挟まれる、これの意味は不明
④サンデーは異常、千尋が絵馬とパケで並んでいるため物語の鍵か
こんな感じで頭の中で整理が付く
・千尋ルート
共通ルートを済ませてからは全体シナリオの「転」に当たる部分がやってくる。
千尋の正体が判明しアレと同様の可能性の世界を消す存在とわかる、同時に千尋がいない世界が本当の現実とわかる。
立ち絵は好みではないが一枚絵で可愛さが際立つ。
序盤のネタキャラ的な一面はうーんとなるが、終盤の重要キャラとしてのギャップはありかな。
絵麻ルートでも多くは彼女と一緒におりしっかり好きと伝えられる、直前ルートが千尋なため絵馬に集中できない。
・絵麻ルート
千尋ルート後のデータで再開することで、妹が自殺した世界に千尋がいるとわかる。
今までの可能性として追ってきた世界は全て絵麻(幼少期の絵麻?)が見ている世界。
絵麻ルート終わりでは絵麻ルートを最後に可能性を全て見終わったと伝えられる。
一部不快な展開や幼なじみが離れていったりと割と暗い、最終でこの展開はどうなんだろうか。
その後
A世界…絵麻が手術で助かるが自殺し、恭介の心に無理矢理居場所を作る世界(千尋が存在している)
B世界…絵麻が手術で助からず、そこまで後ろ向きな気持でない恭介のいる世界(千尋が存在しないため本当の世界)
・トゥルー
現代と幼少期の絵麻と千尋の会話が交互に展開。
絵麻が外にいるため手術から快復、千尋はアレの摂理から外れ独立した存在になった(消えない可能性の世界or本当の世界)
その場合、現実だったはずのB世界をどう取ればいいかわからなくなる。
可能性でない本当の世界が2つあるように思え、トゥルーは単に消されないだけの可能性の世界でいいように思える。
智久は落下事故から救われてはいるが、一葉の家族は離散、桐季の妹は事故死したのだろうか。
各ヒロインについては今後恋人になる可能性が示唆されていたのでおそらくは智久生存以外は変わっていないか。
幼なじみの智久が死亡している時点で、トゥルーは生きている世界だろうとは想像していた
妹が兄への恋心を諦め、仲間との友情を取りトゥルーとい流れは自然
しかし、心情の変化は丁寧に描写していても直前にB世界が本当と受け取れる見せ方のために少しご都合過ぎかなと
妹ゲーと評されているようだがそこまで妹を人気になるような破壊力はなかったかなー(妹が全てのシナリオって事か)
暴力団、お嬢様、ガリ勉眼鏡、一葉の兄、サンデー、色々あるが詰め込みすぎて情報が増えすぎてる
シマタケ君はかなり良い印象なキャラだっただけに幼なじみグループに混ざれなかった事が可哀想、実家も地元なのに
シナリオは全て込みで高水準、普通に今どきのギャルゲーなんかより面白い
パッケージやopから受け取れる印象通りの仕上がりで期待は裏切らない
選択肢で頻繁に日常パートが変化する作りこみも熱意が感じられて非情にいいと思う
システム面も2004年の作品にしては十分かな、セーブスロットはもっと欲しかったけど
Bgmは場面ごとに適切な雰囲気の曲が当てられいた、ぐっとくるものは少ないがmissing place、outer planet、againは良い
おわり
こういう人には2種類いる。
本当に正しい事を言っている人
正しくない事を正しいと思っているだけの人
前者には同情する。
正しい事を理解出来ない・理解しても受け入れない人、は非情に多い。
実際、頭が良くて固定概念にとらわれていない人はこういう事態に陥る事があるはずだ。
例えば頭の良い人が頭の悪い人になんらかの間違いをして指摘しても、その人は頭が悪いからどんなに説明しても理解出来ないし、自分の誤りも相手の正しさも認識出来ない。結果、「バカがバカ故に相手をバカにする」という最も愚かな事態に陥る。
頭の悪い人がこの内容を読んだら、例えばこんな風に思うだろう「勘違いやろうが一生懸命自分を正当化しようとしてる」。
あなたがそう思ったとしたら、間違いなく頭の悪い人ですよ。自覚して下さい。
この頭の良い・悪いは相対的なものなので、この現象は頭の良さの段階に応じて起こりうる。
頭の良い人もまた、さらに頭の良い人にとっては「頭の悪い人」になってしまうから。
しかし一定以上の頭の良さがあれば「バカがバカ故に相手をバカにする」事態は避けられる。
自分には知らない事や理解出来ない事があるのだと分かっていれば、内容が理解出来なくても相手を尊重出来るし、その事で相手をバカにするなんて事にはならない。
子を持つ親である俺は、このニュースを見聞きするたびに胸を締め付けられる。
でもな、こいつは我が子を餓死させた。それが全てなんだ。
たとえこの子供が何も言わずに死んだとしてもその事実は変わらない。
いやもっと言えば子供が「パパ、パパ、」と言ったことが本当なのかは犯人しか知らない。
もしかしたら罪悪感が創りあげた妄想であり事実ではないかもしれないし、罪悪感を持っていることを印象づけるための口から出まかせなのかもしれない。
逆に「『僕なら大丈夫。お腹減ってないし』って言ったから家を出た」と供述したというニュースだったらどうだろう。
つまりこのニュースは「我が子を餓死させるんだから残酷非情な男に違いない」というバイアスを補強するだけのものだ。
犯人への強い憎しみを喚起させるだけの、そんな感情的で残酷な意図しか無いニュース、必要か?
つか俺はもうこういうニュース大っ嫌いなんだよ。クソだよ。
好きだったけど、一度も告白せず、グループで飲みに行ったりするくらいの仲だった。
社会人になってから少しずつそういうことを学んで(どこで待ち合わせしたらいいのか、とかそのレベルから)、経験人数も人並みに重ねて自信が付いてきた。
初めて女友達とのその場限りのセックスをしたときは、「ああ、俺も大人になったんだな」と感慨深かった。
今回、ゼミの同期を飲みに誘ったのは、学生時代のリベンジという趣が多分に含まれている。
二人で居酒屋で飲んで、店を出たところで手を繋いだ。彼女は拒まなかった。
これはイケるなと思ってカラオケ行こうよと誘ったらいいよと言う。
ああ、これはもうあれだ、レールに乗った。セックスのレールに乗ったよ。
俺は適当に大学時代に流行った曲を歌って、彼女は「懐かしいねー」と笑っていた。
彼女が歌っているときにそっと太ももに手を乗せた。拒まない。肩を抱き寄せた。拒まない。
頭を撫でながらキスをしようとすると、彼女は「やめてよ」と言った。
「変わったねー、○○くん、見た目はそんな違わないけど、中身はぜんぜんだね」
カチンときていたが、俺は開き直って「うん、変わったんだ」と言ってもう一度キスしようとした。彼女はそれも拒んだ。
結局、キスもセックスもできなかった。手だけしか繋げなかった。
きっとイケメンならセックスできたんだろうなと考えて、俺は悲しくなった。
ちょっと前にVIPやツイッター等の半匿名SNS界隈で非常に流行った「真面目系クズ」
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9C%9F%E9%9D%A2%E7%9B%AE%E7%B3%BB%E3%82%AF%E3%82%BA
「ガンダムビルドファイターズ」のマシタとベイカーコンビが、↑の発展形の
「クズ系真面目」ともいうべきキャラなのじゃないかという気付きがあったので
メモ代わりに描く
(オーバーテクノロジーを秘匿する一流企業の社長でありながら『おもちゃ屋の社長』以上になろうとしなかったマシタと
その気になればマシタの会社を乗っ取れる機会を持ちながら彼の秘書に甘んじたベイカー)
○分を知っているとはいえ保身感情が異常に強く、「(一定レベル以下の)現状維持」には強い情熱を持つ
(自分たちの地位を脅かすかもしれないレイジを、自身が破滅するかもしれないリスクを犯してでも排除しようとした)
○能力があって仕事ができるが「ルール破りや不正をして達成できる」事は極力そちらを使う
(劇中をご覧になった方なら説明不要)
○人当たりがよくユーモラスでコミュ力は高いが「身内」以外に本心を悟らせない
(海外企業との商談を自分の顔でまとめる『有能社長』のマシタはレイジが来るまでは「ケチなこそ泥」の顔を悟らせなかった)
○「身内」の危機には自分を投げ打つ真摯さがある一方で「他人」は何の躊躇もなく切り捨てる
(PPSEワークスチームのメイジンといえども自社利益のためなら使い潰してどこ吹く風の非情さ。
一方でマシタはベイカーだけには弱い本心を露わにし、ベイカーもマシタが消えそうになる一瞬、全てを捨ててついていった
…正直後半に関してはベイカーちゃんが『救いようのない程のだめんず好き』なだけかもしれないが…)
多分ガチクズにしちゃうとガンプラ扱ってる磐梯山のイメージが悪くなるんで多少コーディネートしたらこういう不可思議なキャラになっただけだと思うんですけど(名推理)
「劇中やってることは真っ黒黒ブラックなのになぜかファンの間では『ゆ 許された』状態」なキャラになってるのは面白いなと思って
こう考察してみました
だって日本の情操教育ってさ、絵画でも国語:読解や読書感想文でも、
「思った通りのことを書きましょう」で、技術を教えないじゃん。
国語の試験で「作者の言いたいことはなんですか」という問いに対して
「受け止め方なんて人によって違うじゃん」とか、
「作者が「そんな答え知らね」というような解答じゃ駄目だろ」みたいな返しがあって
「思ったことは全て正しい」という風潮になってるんだよね。
前衛芸術で「何が表現されているのかさっぱり解らない」があるんなら、
「でもこの造作、テクニックは凄いよね(あるいは「へぼじゃん」)」というところまで持って行けない。
だって芸術家も作家も画家も、そんな学校教育のあり方に文句を言わねーんだもん。
さらに普通の人が普通に「私はこう思います」って言っても、実はそれはメディアなり権力者なりどこからかに、
そう思うよう誘導されている可能性が非情に高い。
アキバとかにある悪徳絵画店って全国のデパートや商店街にも結構あるのな。
あそこで働いてる子って、どこで見つけてくるんだってほど美人が多くてびっくりする。
向こうから話しかけてきてくれるから人見知りなやつでも、美人と簡単に出会えるのが良い。
ああいう美女を喰ってみたい。
百戦錬磨のキャバ嬢を口説くよりは簡単じゃね?って思った。キャバクラに通うより安く済むしw
こういうのをもっと進化させて、最終的には食べちゃう方法を考えてみた。
http://ameblo.jp/teblog/entry-10269616889.html
これは金持ちの振りをするのが良いのではないか?
でも、自分の人生このままで良いのか、とか悩んでそうだし、うまく振る舞えば割と簡単に行けそうな気がする。
パチもんの腕時計とか身につけて、名刺(1000円ぐらいで100枚ぐらい作れる)作って、社長ってことにすれば良いんじゃね?
サイトとか作るなら適当に年1000円ぐらいのドメインを契約すれば良い感じ。
もっと簡単なのは社長の写真やプロフィールが出てない会社のサイトを探して、それを名刺に印刷するとか?
奥さんや恋人が居る奴は匿名で借りられる携帯電話(simだけなら一日150円ぐらい)があるから、それを使えば良い。
こういう店は、最初だけ若い美女が対応するが、脈有りで本気の商談になったら、年増(と言っても20代後半ぐらいだが)が出てくる事がある。
(俺が行った店では最初から最後まで若くて可愛い子が対応してくれたが)
その場合、こっちは最初の美女を喰いたいのだから、年増が出て来た瞬間に「お姉さんが良かったな〜。興味なくなったので帰ります」とか言って
席を立てば、結構残ってくれるんじゃないだろうか?
たぶん、このぐらいの非情さが無いと、プロ(?)の美女を喰うなんて、そもそも無理だろう。
なんとか意中の若い美女を席に着かせたら、あとはその子が個人的な取引をしたくなるような設定を適当に作って話していけば良いのではないだろうか?
「実は昨日受付嬢が妊娠して辞めちゃったから大変なんだよねー。月給40万も払ってたのにさー」とか
なんでも良いから適当なことを言ってれば、どれかヒットするはず。
ラブホでも良いんだろうけど、自分の部屋(っぽい何か)があれば、もっと簡単に連れ込めるんじゃないか?
「部屋にこの絵を飾りたいんだけど、合ってるのか分からないから、見に来て欲しい」とか言えば、ノリノリで来てくれそう。
都内だとタワマンの一室を貸しスペースにしてるサービスがけっこうあるから、
こういうの使えば、住所もバレないし金持ちを装ったまま行けるし、悪くないんじゃね?
最初に店に行く前に部屋を借りるのは無駄だから、何回か通って相手を信用させ、完全に落とせそうになった時点で借りるのが良いと思う。
散歩がてら店によって10分ぐらいで「次の予定があるから、また来ます」とか言えば通うのもそんなに負担にならない。
部屋に連れ込めれば、向こうも下心あるだろうから、なんでも好き放題できるでしょ。
俺はパイプカットしてるとか適当なこと言って、生中だしとかするのを最終ゴールにしたいw
金持ちの振りをしてしまうと、絵の購入を断るのが難しくなりそうだ。
正直こんなの「う〜ん、俺の部屋にこれが合うか分からないんだよね〜」で済むと思うが、
部屋までやってきて、生中出しまでさせてもらって、どうやって断るかは難しいかもしれない。
最悪スキを見てダッシュで逃げてしまえば良いだけだろうけど、もっとスマートな方法とかあれば教えて欲しい。
もっとこうしたら良いんじゃね?とか、こうやったら上手くいった!とか、
逆にこういう危険があるとか、なんでも良いから情報があれば教えてくれ。
随時まとめていくから。
遊んでみてと書くのが正しいのか、使ってみてが正しいのか、多分後者なんだろうけど、感想を書いてみる。
まず、手元でニコ動やYOUTUBEをブラウズして、テレビに写すのはなかなか楽しい。
HDMIでノートPCをつなげば同じことを出来るんだけど、やっぱり無線でタッチパネルは非情に便利なもので。
AppleTVとiPadを組み合わせれば同じことが出来るんだけど、あちらも売れてないことを考えると、この利便性を伝えるのは難しいんだろうなぁって思う。
おかしな話だけど、今回のWiiU、いままでの任天堂のハードとは違うなにか、私を本能的に怯えさせるようなものを感じる。
商業的にはプレイステーションが勝者だったけど、マリオ64とゼルダの伝説時のオカリナがなかったら、モンハンはあっただろうかと思う。
アナログスティックがなかったら、LRボタンがなかったら、いつだって創造の役割は任天堂だった。
そして、全部かなぐり捨ててるのも任天堂だった。
いつだって新しい試みを馬鹿にして、そんなの売れるわけがない、良さがさっぱりわからないと、批判的だったのが私。
ところが今回、(といっても一年経つが)、今ひとつ創造も破壊も感じさせない。
もちろん、Wiiの段階でそれはあったと思う。
今回のWiiUは、積極的に家族をつなげようとしてるように感じるのです。
個室が欲しくて、自分のテレビが欲しくて、ゲームには没入感を求めていた私を、リビングに帰れと言っている気がする。
あれも、いままで個人情報をどう隠そうか、プライベートをどう隠そうかとしていた私に、学歴や経歴を大っぴらにして、プライベートを公開して、繋がりを求めろと言ってきた。
とても気持ち悪かった。
ところが、Facebookは静かに侵攻してきて、私もいつの間にかアカウントを作り、怖くて公開できないくせに、初恋の人が結婚してることをしって凹んだり、友達が撮ったという故郷の初日の出をみたり、ネットストーカーのようなことをして、ちょっとづつそちらに足を踏み入れてしまってる。
もしかしたら、WiiUも、なにかの拍子ではまっていくような気がしないでもない。
Miiverseは、とても気持ちがいい。
もちろん、中の人がせっせと働いているせいだけど、Facebookより、Twitterより、ずっと悪意がないのだもの。
それに、任天堂嫌いを気取ってみても、なんだかんだ言っても私はザッカーバーグよりも宮本茂と岩田聡を信頼してるのだ。
さてさて、そうは言っても、やっぱりゲームとしての面白さは重要です。
それがなくちゃ、売れないですし。
私は凡人なので、なにやら凄いことが出来そうな気がするという予感はしても、具体的なことは頭に浮かばないのです。
25000円のゲーム専用機、25000円のニコ動とyoutubeを見るためのテレビリモコン、25000円払わないと入会出来ない会員制のtwitter、それぞれの機能だけに25000円は高いのだけど、組み合わせれば、なにかすごそうな気がするのです。
見える形で、具現化してください宮本さん。
思い出したり、話そうとするだけで当時の感情が甦るもの、というのは誰しもあると思うのだけど、私のそういうものの1つに「2010年のピーター・アーツ」がある。
アーツは、K-1に最初期から参戦して、94年、95年、98年と3度世界一になったキックボクサーだ。
なかでも98年のK-1GP、3試合連続ハイキックでの1ラウンドKOは「20世紀最強の暴君」という二つ名に相応しい圧勝劇だった。
アーツは70年生まれだから、その頃はちょうど20代半ば。全盛期、ということになるんだろう。
そして当時中学生だった僕は、周りの男の子と同じように、その眩い存在感に憧憬の眼差しを向けていた。
空手出身の選手たちの華麗なそれとは違う、あの、大木を力づくでなぎ倒すようなハイキックは、中学生に「ああ、この人が世界一強いんだ」と思わせるには十分な説得力を持っていた。
そんな絶対的な力を誇ったアーツも翌年以降は優勝から遠ざかり、2000年代以降は若い選手の台頭もあって徐々にその存在感は薄れていく。
格闘技も一時の隆盛は終わり、年末に誰もが見る、という状況はあっという間になくなっていった。
そして2010年、アーツは40歳だった。彼はまだリングに立っていた。
試合前のPVでも40歳の誕生日ケーキを頬張る場面とともに「もう若い頃のようにはトレーニングできないよ」と話すシーンが流れるような、
優勝を争うファイターというよりは、完全な「往年のスター」扱い。
それでもファン投票で席を与えられたベスト16からなんとか勝ち上がり、準決勝にまで駒を進めていた。
212cmの長身から打ち下ろす角度のある攻撃を武器に、05年、06年、07年、09年と世界一になったディフェンディングチャンピオン。
05年の参戦以来、K-1GPでは一度も負けたことがないという無敵の絶対王者。
試合前の正直な思いは「どちらが勝つか」というものではなく「アーツはどこまでシュルトに抗えるか」というぐらいのものだったと思う。
「なんとか最後まで立っていて欲しい」とも思っていたような気がする。
それほどシュルトは強かったし、アーツの全盛期は既に過ぎ去ってかなりの時間が経過していた。
試合が始まっても、やっぱり展開は一方的だった。
アーツも192cmと大きい方だが、それでも212cmのシュルトとの身長差は20cmある。
全ての攻撃が上から非情に降り注ぎ、アーツの攻撃は腕や肩に阻まれてうまく当たらない。
何度もふらつき、目の上から流血しながら、それでもアーツは懸命に前に出続けた。
アーツの突進をいなしながら、シュルトは笑っているように見えた。
とでも言いたげな表情は完全に余裕で、あまりにも憎らしく、そして試合の行方についての見通しはどこまでも絶望的だった。
一方的だった試合の流れが変わったのは、2Rの終盤。
本来は端正なフォームのアーツが、のめるように、のしかかるようにして放つ、やぶれかぶれと紙一重の攻撃が何度かシュルトを捉え始めていた。
それでも、インターバルでコーナーに帰ってきたアーツは全身がボロボロで、シュルトの顔には傷一つなかった。
映像を見返すとシュルトの表情には明らかな困惑の色が浮かんでいるのだけど、当時はその時点でもまだまったくアーツの勝利を信じることができずにいた。
「できれば最後までこのまま行って欲しいけど、さすがにそれは難しいんじゃないか」
でも最後のラウンドが始まると、リング上の景色は一変していた。
アーツの鬼気迫る攻撃に押され、シュルトがクリンチに逃げることしかできない。
振り回すように放つアーツのパンチが顔を捉え、キックは脇腹にめり込んだ。
有効なダメージは通っていない。それでも、シュルトは完全に気圧されていた。
防戦一方のでシュルトに消極的姿勢で減点が与えられた後もアーツの攻勢は止まず、そのまま3分間が過ぎた。
僕は「倒してくれ」と願うよりも「反撃しないでくれ」と祈っていたような気がする。
そして終了のゴングが鳴った瞬間、アーツは勝利を確信して両手を突き上げた。
目の上から流れる血をタオルで押さえるアーツと、無傷のシュルト。
それでもどちらが勝者かは、2人の表情が何よりも雄弁に物語っていた。
2-0の判定で勝利したアーツの、控え室へ戻る足取りは、全てを使い果たし歩くのも精一杯なほどに重たく見えた。
その後行われた決勝戦は、1RでKO負け。
覚えているのは、巨大な、絶対的な強さを誇るチャンピオンを、40歳のアーツが圧倒していたあの数分間だけだ。
僕は今でもこの光景を思い出すたびに涙が出そうになるし、あの瞬間のアーツは世界一格好よかったと思っている。
最後の相手はアーツが初めて世界一になった時と同じ、24歳の若者。去年のヘビー級トーナメントチャンピオンだ。
でも僕は1998年と、2010年と、そして2013年のピーター・アーツを見られたことを幸せに思うし、あの、勇気に溢れた数分間を忘れることは絶対にないんだろうと、今はそんな風に思っている。
初代Nexus7がリリースされた時、父親をそそのかして買わせた実績(前科)があるので、今回も同じ手口を採ることにした(ゲス顔)。
まずはSIMカード。
たくさんサービスがあって選ぶのはとても面倒。
ダルいので比較サイト( http://ma-bank.net/word/92/ )を利用させてもらった。「格安SIM 比較」でGoogle先生がトップにあげるサイトだからとりあえず信用した。
選ぶ基準は2点。
1. 基本料1,000円未満。
2. 高速通信は1Mbps以上。
1についてだが、毎月の請求額が4桁になるとお値頃感が台無しになると思い、この額を設定した。
2については単純で、これくらい速度出ないと回線として使い物にならないから。
最高通信速度128Kbpsのプランがゴロゴロあるのだが、この速度はないでしょ。ISDNかよ。
恐ろしいのは、各プロバイダーが「500MB/月も高速通信できますよ。これだけあればWebページの閲覧は十分できるし、動画も見られちゃうYO! 低速回線も128Kbps出るから大丈夫!」みたいなことを臆面もなく謳っている点。
500MB/月なんて光速でなくなるじゃないか。ルーターの通信ログ見てみろよ。
私のように興味本位で導入する人間なら構わないけど、電器店の店員に「これでインターネットができますよ」なんて言われて高価な端末(新型Nexus7とかiPhoneとか)と抱き合わせで買ったユーザーはブチ切れるよ。
「回線が遅い」とか「2年縛りで端末買ったけど返品したい」なんていうクレームが、プロバイダー・販売店・消費者センターへ怒涛のごとく押し寄せるに10,000ガバス。
そんな資本主義の非情さをモニター越しに感じつつ、とりあえず某プロバイダーが提供するSIMカードを選んだ。
docomo回線で通信速度・高速通信量・価格のバランスがいいプラン。具体的なプロバイダー名は伏せとく。2ちゃん個人情報流出祭りのあとなんで、増田とはいえ、ねぇ?
回線の次は端末選び。
SIM回線を使ってみたいだけなので、ハードウェアは何でも良かったのだが、とりあえずモバイルWi-Fiルーターにした。
父はよく田舎へハイキングへ行く。その時、なぜか前述の初代Nexus7(Wi-Fi版)を持っていくのだ。ネットできないのに。
なので私は「不憫な父へのプレゼント」という、ドス黒い物欲を覆い隠すシナリオを考えついた(ゲス顔(2回目))。
ルーターは密林・ヤフオク・楽天で選んだ。秋葉でショップ巡りするのが一番良いのだが、この暑さとゲリラ豪雨を考えると果てしなくダルい。
ルーター選びにはそれほど苦労しなかった。
モノの数が少ない。
それに格安SIMの通信速度が大したことないから、高価なルーターを買っても意味がない。
ごく些細な比較衡量の末、6,400円のSIMフリールーターを密林で購入。
ルーター選びで改めて思い知らされたのが、電電公社もといdocomoの強力なインフラ。
ルーターの対応周波数と国内キャリアの周波数帯域を比べたのだが、docomoは他のキャリアよりずっと広い周波数帯域をガッチリ押さえている。
モバイルデータ通信の実測値レビューを見ても、禿はコテンパンに叩かれているのに、ドキュモは「ド田舎の山頂でも繋がった」とか平気で書かれてる。
ハイキングで田舎によく行く父にはピッタリだ(ゲス顔(3回目))。
回線と端末選びが終わり、今はモノが届くのを待っている状態。たぶん9月の半ば頃には開通する。その時、何か面白いことあったら何か書きます。
そして、先ずやるべき具体的なことをあげると
1.病院に行くこと(できれば会社を辞めるべきかどうかの相談にも乗ってくれる医者・カウンセラー付きのところが良い)
2.生活スタイルを戻すこと(具体的にメラトニンという脳内物質の関係から、0時前に寝て8時前に起きる生活を心がけること)
3.仕事以外で集中力を使う趣味(ゲーム・プラモデルなど)をやめること。何も考えない趣味(泳ぐだけ歩くだけなどの運動)を探すこと
ですね。
.
以下は長々と蛇足的なことをば。
とりあえず、二つほど認識を改めてもらわなければならないことは、「人間には限界がある」ということ。そして、「誰でもできるということはない」ということ。
前者は、限界を超えよう!などと体育会系じみたことを言う人がいるけど、あれ間違いですから。勉強関連も同じで限界があるからね。
後者は、「あいつができるから、俺にもできる」とか「俺が大丈夫だから、お前も大丈夫だ」というのが間違い。
大抵の人はたとえば文系理系とかいう大雑把な感覚で直感的にわかってるはずなんだよね。で、一番最初に戻ると今の仕事業務も含めて一日のサイクルが合っていないんだわな。その結果、体が「無理です」と反応を示したわけだ。結局、「やりがいを求めた代償が精神病を患うことだった」ということですね。
まさかと思うけど、精神病の起因は神経細胞の異常なり生体反応によるものなりという事実があるにも関わらず「心が弱い」とか思ってたりしないよね?思ってるのなら、そこからまず考え改めてくださいね。「治すために心を強くしよう!」などという間違った治療法に走らないためにも。
.
※最後に私も重度の抑うつ状態と診断された過去を持ちます。地獄の日々を味わいました。某メーカー(経済ニュースでたびたび出る企業です)の技術職で月残業が200時間近く(36協定に引っかからないように調整はありましたが)毎日10時~深夜2時でした。休みは土日の何れか。
そういう状態を1~2年続けました。当時の自分を絞殺したいです。今ではわかるのですが、抑うつの前兆がありました。この人のように睡眠障害(眠りが浅い。睡眠時間が短い。寝れない)が起きる。もう一つは、仕事中動悸がするという前兆。この状態は軽度の抑うつ、いわゆる仮面うつかと思われます。
ある日仕事中に動悸と不整脈が起こり意識消失となりました。しかし、それまでに周りの人も失神する人がいたので大沙汰にはならず・・・その時は2,3日の休暇をとり再び職場に戻ったのですが、これが誤りでした。結果、重度の抑うつ状態になります。地獄でした。一端を紹介すると、大の男が急に電車でわけもわからず泣いたり、無意識に交差点に走ってる車に当たって死のうとしたり。今、思い返すだけでぞっとするし、少し涙ぐみます。しかし往々にして会社は潰れた人間には非情です。これは中小企業に限らず、有名企業でも職場の周囲の理解がなければ同じことです。一応休職という形をとりましたが、ある程度快復したところで転職し今に至ります。仕事量も給料も減りましたが、適当だと思ってます。上司が鬱病経験者というのが転職するきっかけになりました。運が良かったのか悪かったのかはわかりませんが・・・。
最初に述べた具体的にやること。あの3つは私が2年3年かけてやってきたことです。今でも細々と実践してます。思いとしては、あのような体験は、二度と味わいたくない。そして、他人に味わってほしくもありません。その思いから長々と連ねてしまいました。裁量性とはいえ就業中なのに(苦笑)
.
最後に、まだ、仮面うつのうちに、打つべき手を打ってください。地獄を味わう必要はありません。以上、乱筆乱文ご容赦のほど ―敬具
事業環境は厳しいです。ドル箱だったiモードの栄華も今は昔、「ただの土管になりたくない」という強い意志も、いまや具体的戦略のないただの願望になってしまいました。通信インフラはコモディティ化していて他キャリアとの差別化はできなくなったどころか、LTEのカバレッジでは最も出遅れている始末。他キャリアへの流出が止まらなくなり、キャンペーンの甲斐なく何度も純減を繰り返しています。もはや減収減益の構造が定着しつつあるといっていいでしょう。
そこでiPhone導入が取り沙汰されるわけです。
確かに、まだiPhone人気が十分に高い日本では、短期的にはiPhone販売がMNP流出防止&純減ストップの切り札になることはわかっています。それでもiPhone販売に踏み切れない一番の理由は、これまで株主総会でも日経記事でも繰り返し観測気球を出してきたとおり、Appleが課す高い販売シェアノルマ---一説には50%---がドコモの負担になると予測されるからです。
でも、「販売ノルマ率を切り下げてくれればウチも採用しますから、そこは何とかお願いしますよ」というドコモからの数年越しのメッセージに、Appleは反応しませんでした。確かに中国・インド・アフリカといった途上国の巨大市場に比べれば、ドコモはたかだか6000万契約の極東のいちメガキャリアでしかありません。最後発のドコモに対して契約条件を緩和したら、当然ソフトバンクやauも最恵国待遇を要求するでしょう。Appleからすれば、各社に販売ノルマを緩和したらトータルではツーペイになってしまうし、利益率を緩和したら、まだiPhoneが高い競争力を持っている地域の市場を自らスポイルすることになってしまいます。Appleがドコモに妥協してやる意味は今のところないのです。
だから、ドコモにはもう後がなくなってしまいました。とにかくiPhoneの販売ノルマをクリアできる体制を整え、iPhone販売契約に踏み切るのが喫緊の課題です。そのためはどうすればいいか? iPhoneを豊富な選択肢のなかのワンオブゼムにしてはだめですよね。実際に数を捌かなければ、Appleが課すペナルティで今度は営業利益率がガタ落ちしますから。となれば、今は1シーズンに10機種も出しているAndroidスマートフォンの投入ラインナップをせいぜい3〜4機種程度に絞り、それらとは別格の位置づけでiPhoneを売りまくらなければいけなくなります(ソフトバンクやKDDIは実際そうしています)。「業績回復のためにやれるべきことは全部やっている」と株主に説明するためのステップとして、これはもう必須の条件でしょう。
さて、では実際にラインナップのどこを整理して、誰にiPhoneを売ってゆくのか。ドコモの既存ユーザーのうち、特に重視すべき移行見込層は、1)フィーチャーフォンのユーザーと、2)Androidに乗り替えたものの、その機能や操作性に不満があるユーザー…ということになるでしょう。1)はかつてブランドだった「ドコモのN」や「ドコモのP」などを長年ご愛顧戴いてきた層。2)は、Android機種のなかでも差別化に失敗しているコモディティ的端末、すなわち、N・P・F・SHのユーザー。これらのユーザーを「わかりやすいですよ」「使いやすいですよ」とiPhoneに誘導してゆくためには、これらのセカンドラインのメーカーが作るスマートフォンは、むしろ、選択肢から消えていてくれたほうがいいですよね。
こうして事前にキャリア内の浮遊層を作っておき、適切なタイミングでiPhone移行キャンペーンを投下すれば、そこは衰えたりとはいえ国内最大の契約者数を誇るキャリアのドコモですから、その数字的なインパクトはかなり大きいはずです。
だから今回話題になった「ツートップ戦略」は、巷間言われているように、スター機種のXperiaとGalaxyを重点的に売り込むための、攻めの施策というだけではありません。それは、来たるべきiPhone時代を見据え、長年ドコモと蜜月関係にあったメーカーたちと縁切りすることを意図した、非情な身辺整理の作業でもあります。今般報道されているNECカシオやパナソニックモバイルのスマートフォン撤退は、ドコモの販売奨励戦略の「失敗」ではなく、はじめからの狙い通りの「成功」だったというわけです。
ネット世界では投資家、ゲーム開発者、ラノベ作家、企業探偵、ベルロックメディアシニアマネージャーなどの華麗な経歴で知られる山本一郎さんという人に拙文へのリンク貼っていただけたようで、恐縮至極、汗顔の至りです。
【悲報】ドコモ関連で「いかにも」な与太記事が増田に掲載され局地的に話題に(山本 一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
はい、もし上の文章からそんな経緯を想像する人がいたら、企業経営には向いていないでしょうね。山本一郎さんがドコモの経営陣だったとしても、当然、Appleと今期以降のiPhone販売契約について話の筋道をつけてからの「ツートップ戦略」で年末大水計に打って出るのではないでしょうか? 見込みベースで話を進めて裏目に出たら、ツートップ転じてオンリーツー状態になってしまいますのでね。もしここまでの話がすべて机上の空論なら、それはすなわち、「ドコモは次の機種サイクルから事実上ソニーとサムスンだけでスマートフォン市場を闘い続けることを選んだ」という話になるわけです。
しかし、本邦のモバイル業界のフラッグキャリア格ともいえるドコモが、たった2メーカー×1〜2機種の最新スマートフォン・ラインナップで次の秋冬商戦に挑むなんてことがあるでしょうか? この会社は今年に入ってからの一連の動きのなかで、どんなコストを払い、何を仕込んでいるのでしょうか? 山本さんが並べているリンクの数々も、ツートップ戦略が「単体では」純増の切り札として奏効しなかったことを示していますが、それは本当は「切り札」ではなく、さらなる戦略転換のためのひとつの手段だったのではないでしょうか? 予定では2013年中に市場投入され、サムスンとの密な提携関係ならびにモバイルOSの第三極戦略の礎となるはずだったTizen派筆頭の永田氏をいきなり傍流に追いやってしまったことには、果たしてどんな意味があるのでしょうか?
さまざまな状況証拠から考えて、今のドコモがその機種戦略・プラットフォーム戦略の中に、何か大きなパズルのピースがはまるための「スペース」を作っていることを全否定できる人はそういないのではないでしょうか。そして、その巨大な空白に当てはまる商品は、現状では1つしかありません。
もう、おわかりですね?
(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。
伊藤計劃の幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情や無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードのテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから。
政情不安、内戦、グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱な現在と未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています。
テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教、民族、イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。
「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。
SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、
「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として
ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
虐殺の文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。
しかしその死後気鋭の作家がポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも
いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作でコミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代を体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。
そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介。
小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき。
そんな奴が地域紛争と911をテーマに連作短編集を出したもんだから既存の社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。
おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃が幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描いた”。
何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。
やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物と言語、宗教の問題はバベルの塔を彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格をコピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった
こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。
んなもん「あなたの恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画の感想にでも垂れ流しとけばいい。
お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?
せめてタイトルで検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?
最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数な感想を引用して終わる。あーイラつく全員死ね。
まず舞台がねー、ヨハネスブルグ、ニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタンの都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京とバリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。
これは凄い。『ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション) http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20130525/1369463211
追記。
補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、
ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分の感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから?
青の零号 @BitingAngle https://twitter.com/BitingAngle/status/354620359674298368
A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?
感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www
ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww
褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニーの作法なんざ知るか。
小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。
A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。
ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものだから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。
「お前は本当に気持ち悪い」という文章から「SFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。
あー気持ち悪い。