はてなキーワード: 閑古鳥とは
どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。
誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ちで文章にします。
後を濁す気満々で申し訳ない。
(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)
(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)
というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。
数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います。
とりわけ数値で自己と他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットでしかありませんでした。
まず、自分の創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいるもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています。
なまじ創作物に解釈や感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときのジャンルやCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。
その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。
主観的なものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身の立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。
(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)
私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。
「神絵師」という判定こそその人の主観でいくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。
前述の通り、私は自己の脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、
前述の通り、なまじ創作物(主に漫画のことなんですが)に解釈や感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。
絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜きに交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。
好きな作品についてや日常の雑談について語るにあたっては「同じ路線の感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます。
でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます。
特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。
「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」
フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。
そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。
実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。
万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。
それがその人にとっての本心であろうと。
何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。
万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。
というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います。
私はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定の話題に対してはその人達に対して勝手に距離感を感じてしまっているように思います。
そういう垣根抜きに自分の作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。
自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。
…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通の感覚だと思います。
性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通の感覚だと思います。
自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分の作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています。
(絵を描く人描かない人関係無しに、自分の作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通の自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)
普通、神絵師はそうでない自分の作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由が必要でした。
作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。
ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。
尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。
誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手に意識している自分ただ一人が悪いです。
「作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、
正直、神絵師でない括りの中で自分の作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています。
贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分は創作者としての現状にはとても満足していました。
それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないものの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。
だから私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈をアウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないから結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています。
(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情を一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的に理不尽な感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)
そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情を自分の中で生み出していました。
最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど
「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。
そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案でしかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかったからNOなんて言いようがなかったんですけど。
神絵師にサンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。
ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。
実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。
よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので
(いやでも必要なんですよ…とある神絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手は相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的に好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)
この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます。
本当にその通りだと思います。
いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています。
逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります。
大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアルの自分が人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います。
いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。
あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルだから」「女の子だから」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からのいいねを蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。
(と思う感情すら自分の劣等感を正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)
でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。
私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情を吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。
そういう感情はネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分だからこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。
本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。
という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね
すいません、ごめんなさい、結局私は自分の感情をエゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。
でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。
前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれて区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要なものなんだなと痛感しています。
それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。
そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的な劣等感を押し付けてしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています。
冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情が根付いてることには変わりないです。
ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います。
自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間と関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます。
本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います。
あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。
賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見ご感想お待ちしております。
ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターをフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっと分からなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました。
またお会いできたら嬉しいです。
それでは。
どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。
誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ちで文章にします。
後を濁す気満々で申し訳ない。
(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)
(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)
というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。
数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います。
とりわけ数値で自己と他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットでしかありませんでした。
まず、自分の創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいるもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています。
なまじ創作物に解釈や感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときのジャンルやCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。
その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。
主観的なものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身の立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。
(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)
私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。
「神絵師」という判定こそその人の主観でいくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。
前述の通り、私は自己の脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、
前述の通り、なまじ創作物(主に漫画のことなんですが)に解釈や感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。
絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜きに交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。
好きな作品についてや日常の雑談について語るにあたっては「同じ路線の感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます。
でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます。
特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。
「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」
フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。
そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。
実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。
万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。
それがその人にとっての本心であろうと。
何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。
万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。
というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います。
私はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定の話題に対してはその人達に対して勝手に距離感を感じてしまっているように思います。
そういう垣根抜きに自分の作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。
自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。
…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通の感覚だと思います。
性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通の感覚だと思います。
自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分の作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています。
(絵を描く人描かない人関係無しに、自分の作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通の自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)
普通、神絵師はそうでない自分の作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由が必要でした。
作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。
ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。
尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。
誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手に意識している自分ただ一人が悪いです。
「作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、
正直、神絵師でない括りの中で自分の作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています。
贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分は創作者としての現状にはとても満足していました。
それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないものの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。
だから私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈をアウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないから結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています。
(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情を一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的に理不尽な感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)
そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情を自分の中で生み出していました。
最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど
「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。
そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案でしかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかったからNOなんて言いようがなかったんですけど。
神絵師にサンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。
ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。
実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。
よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので
(いやでも必要なんですよ…とある神絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手は相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的に好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)
この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます。
本当にその通りだと思います。
いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています。
逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります。
大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアルの自分が人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います。
いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。
あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルだから」「女の子だから」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からのいいねを蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。
(と思う感情すら自分の劣等感を正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)
でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。
私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情を吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。
そういう感情はネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分だからこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。
本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。
という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね
すいません、ごめんなさい、結局私は自分の感情をエゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。
でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。
前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれて区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要なものなんだなと痛感しています。
それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。
そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的な劣等感を押し付けてしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています。
冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情が根付いてることには変わりないです。
ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います。
自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間と関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます。
本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います。
あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。
賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見ご感想お待ちしております。
ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターをフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっと分からなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました。
またお会いできたら嬉しいです。
それでは。
https://anond.hatelabo.jp/20190228111106
この増田の言っていることは概ね正しい
ただ俺は、一連の運営の動きで最も悪影響を受けるのは現状の声無しではなく、声はあるけど声有りの中で人気下位に位置しているアイドルではないかと思っている。
先月のPalletやスパイスパラダイスイベントの頃からは想像もつかないほど、直前に開催されたNeedle Lightのアクティブ・ボーダーは低迷した。デレステは一昨年の後半頃から、日に日に声有り間の人気格差の開きが著しくなっている。
何をやっても新鮮だった2年以上前であれば状況は違ったが、今のデレは人気薄の声有りアイドルを出すと閑古鳥が鳴く有様になってしまい、人気アイドルを出したり無料10連でも開催すればそれが嘘であったかのようにまた賑わう。
そんな状況がイベントの参加人数やボーダー、セールスランキングと言ったあらゆる数字に如実に現れているのだから、運営がその有様を把握していないわけがない。
単純に考えれば素直にほとんど人気アイドルだけでローテすれば良いじゃんという話であるが、その昔モバマスの月末ガチャでそれに近いことをやった結果、マンネリからジリジリとアクティブを減らしていった記憶がその決断をできなくした。
だから今回の件は、デレステで使えるように最初から声を持っている新アイドルを出して今よりも強固なローテを生み出しつつマンネリ感も無くそうという、運営からすれば正しく一石二鳥のアイデアだったのだろう。
最初から声を持っているということは、最上位でも狙わない限り選挙で頑張る理由が無いことを意味する。
声無しアイドルたちのデレステでの出番は現状無に等しく、そんな彼女たちにとって最初から声を持っている新アイドルは、羨望の対象ではあれど、争う相手ではない。
だから、新アイドルたちが現時点で声無しアイドルたちの障壁になるケースは少ないと感じる。
そして7人の新アイドルのデレステでの活躍の席は、もう数字を残せなくなって久しい声持ちアイドルから切り分けられることになるだろう。
つまり、現状出番が無に等しい声無しアイドルにとってみれば新アイドルが鳴り物入りで登場したところで風は吹かず、声持ちで数字がなかなかついてこないアイドルこそが新アイドルの影響で干されることになる。
俺には、Needle Lightの史上最低レベルのボーダーの低さが、新アイドル実装前の「納得して干す」ための見せしめにすら感じる。
そういえばどこかで、「デレマスは数字上だけ見れば人気上位2割(38人程度)のアイドル以外は削り落としても問題無い」という推計を見かけた記憶がある。
非常に残酷な判断だと感じるが、ソシャゲ市場全体が縮小傾向に向かっている今、運営がしたいことは、結局そういうことなのだろう…
はてな匿名ダイアリーには3000文字の文字制限があるらしい(?)ので、そのくらいを目安とした。
ついでに言うと良いアイディアが浮かんだとして個人的なメリットがないのだし書く必要がない。
情報を出し惜しみする社会を実現するためには仕方のないことだ。
まぁ、せっかくなので少しぐらいは書いておいてもいいかもしれない。
しかし、読み返してみればアイディアはすでに書いてあるも同然では?
・有料サイン会
まず書店、図書館、漫画喫茶の改善については、いくつかあるだろう。
サイン会を有料とするのは、すでに書いたとおりだ。
今検索してみたが「有料サイン会」は海外のスターは行っている様子ではある。
「サイン会が作家の負担となっている」という話を聞けば、ファンとして作家のことを考えているほど行きづらくなるような気がする。
タダ働きで疲れるサイン会よりは閑古鳥が鳴くぐらいが丁度いいとすら言えるだろう。
もしかすると報酬は出ているのかもしれないが、明言しない限りは基本的にタダ働きと思われているような気がする。
サイン会で作者に直接支援できるとなればファンは気兼ねなく駆けつけるのではないか?
他には直接的な支援ではないが「元作家を従業員として優先的に採用する」というシステムはどうか?
作家の中には書店、図書館、漫画喫茶が衰退しようが構わないと思っている者も少なくはないだろう。
特に図書館や漫画喫茶に関しては、商売の妨げとなるのだからむしろ積極的にそれを望んでいるのでは?
このとき、こういった店舗が将来的に自らのセーフティーネットになるのであれば無下にはできないだろう。
元作家を従業員とする方針を持てば店舗同士の競争において「作家の生活を支えたい」と思うファンの来客を促すことができる。
作家を目指すには引退後がネックだが、このような流れができれば挑戦しやすくなるはずだ。
今回は「本」と「タイム」の組み合わせで考えてみよう。
そうすると、とりあえず「本の即売」を競技化するということが思いつく。
チームに分かれて対戦して先に本を売り切ったほうの勝ち。
勝利チームの購入者は栞のようなちょっとしたグッズが貰えたりする。
ブックカバーを装着しなければならないなどのレギュレーションによってバリエーションが作れる。
もっとも競技について言えば、流行らせようと思って流行らせるのは難しいだろう。
その他にも挙げておこう。
とりあえずシンプルに「直接会って仕事の依頼ができる」ような施設がないように思える。
その場所に足を運びさえすれば、適当な仕事にありつけるというような施設だ。
漫画なんかでは○○ギルド的な仕組みがよく登場するような気がする。
それは漫画家が「なんかそういう仕組みが欲しい」と思っているからなのかもしれない。
既にこのような施設は存在していてもおかしくないように思えるが、あまり話を聞かない。
こういった施設を作るとしたら出版社と関係のない人間だろうか?
それを警戒して、やっぱり出版社が先手を打って囲い込みを狙う可能性もなくはない。
実物とテジタルの違いを考慮するなら「その本とセットとなる読書空間」というのはどうか。
映画などは自宅でも見ることができるが多くの人間が映画館に足を運ぶ。
違いはどこか? 「没入感に違いがあるのだ」と映画愛好家は言う。
では本の没入感を高めるための仕組みを考えるなら、どうなる?
トータルコーディネート的に「その施設で読むことで最大の没入感が得られる」というシステムだ。
例えばファンタジー風、サイバーパンク風の内装を持つ部屋で、その世界観の人物になりきった状態で本を読むのだ。
他には「人が住んでいる部屋」という設定の施設と「住居者が残した日記帳」という設定の本を組み合わせるなど……。
当然ではあるが本の内容も、そのように考えられている。なんならコスプレも組み合わせる。
その利点を捨て、環境との組み合わせで最大の効果を得られる方向での優位性を獲得するのだ。
施設がメインならば施設にあわせて作品を仕上げることとなるだろう。
逆に作品がメインなら簡単に内装を変更できるような仕組みの施設となるだろう。
本などを「布教」という言い方をすることがある。
現状ではファンが本を2~3冊買って身近な人間に配る程度だろう。
そこで「本を布教したい人」があらかじめ料金を支払い本を確保する。
「この本を欲しい人はいないか?」と問いかけると「欲しいです」という人が出てくる。
転売されるかもしれないので布教したい側も相手を選べるようにすべきだろう。
そこで希望者の中から大丈夫そうな相手を選べるというような仕組みだ。
これは実際の施設でやってもいいしネット上でも実現はできそうだ。
「ほしい物リスト」はあっても「布教したい物リスト」はないように思える(※未調査)。
他にも、
・道の駅にある「蕎麦打ち体験」のような作家による「作文体験」「漫画執筆体験」
・特定の飲食店で食事をすると収益が作家に還元されるシステム(協賛店?)
・外国人観光客向けの持ち込んだ絵本や漫画などを翻訳してくれる施設
のような仕組みが思い浮かんだ。
施設という方向性を挙げさえすれば、この程度のアイディアならすぐに思いつくと思ったのだが……。
なにも思いつかないのか?と逆に聞きたい。
まず前提として「画期的な万能の施設により全員の作家がどうにかなるとは到底思えない」というのがある。
よっぴーさんの記事で名前を知って以来、東池袋近くに住んでいる自分はちょっと遠回りをしても食べたい大塚のお店第一位なのだ。(二位は関西のうどん屋さん、三位は洋食屋が続く)
月2ぐらいで週末によく行くお店なんだが、微妙に客が少ない。自分を除いたら客がいなかったから閑古鳥が鳴いているといってもいい。
イカ焼きは美味しいし、明石焼きのつゆは飲み干せるし、締めのたこ焼きはヤングB とビールと共に食べると最高にうまいのだが客がいない。
どうしてかな、成人式の夜だし祝日最後は人が来ないのかなと思ったら、お店から歩いて一分のところに銀だこができていた。客もそこそこいた。
銀だこかよ、銀だこ美味しいけど、新宿御苑近くで打ち上げをおっさんだけで安くすませたいときに利用するけど、まじかよ。出店するなよ。
都心住まいだし、無縁だと思っていたイオン帝国と地元商店街の攻防を見ているようだった。
そりゃさ、利用する客の気持ちはわかるよ。たこ焼き、お酒ははち八のほうがちょい割高だもんな。でもさーそれはどこでも食えるんだよ。
あのバリカタの皮を崩せばイカがこぼれ落ちるイカ焼きははち八でしか食べられねーんだよ。
ふわふわの卵のやわはだを崩しながらおつゆと一緒に飲み干せば、なにを食べていたのか忘れそうになる明石焼きははち八でしか食べられねーんだよ。
舌がやけどしそうになるのをこらえて口の中でとろけるたこ焼きを、その日の気分でソースを入れ替える楽しさははち八でしか味わえられないんだよ。
そう内心で激昂してもなにも変わらず。
自ジャンルやめたいというか自カプやめたい。自カプの界隈に入れない。普段文章書かないからまとめられてなくて読みにくい内容になってしまった。
私の活動しているジャンルは原作が1年前に終わっていて、今や閑古鳥状態になっている。私は昔から原作が大好きで未だに毎日ツイッターで作品名で検索をかけたりしているが、殆どツイートしている人はいない。自カプも然りで、元々男女カプがメインのジャンルなのでBLの自カプで目に見えて活動している人口は片手で数える程しかいない。
この間原作の作者作品のプチオンリーが東京で開催された。私も絶対に参加しようとバイトをして貯めた少ないお金でやりくりして、入稿してなんとか東京まで辿り着いた。底辺サークルなので本自体は殆ど売れなかったし、同カプのフォロワーがお情けで買ってくれた程度だったので惨めな思いをした。同人初参加だったし絵も話もお粗末だったのでそこはいいとする。
問題はその同カプのフォロワーで、参加した同カプサークルは私以外全員ツイッターで繋がっている。私は参加者の中で1人だけ相互ではない人がいた。(Aさんと呼ぶ事にする)
会場では初参加でありながら大手サークルのAさんとBさんが隣にいて、大盛況。そして何度かイベントに参加しているCさんがその隣でAさんとBさんと仲良く会話しており、大手のDさんが少し離れたサークルで次々と本を完売させていた。私は底辺だったし同カプの中で1番端に配置されていたので、最後まで会話に入れず浮いていた。そこまでは折り込み済みだったので気にしていなかった。
そうしている内に午後になり、私は少し席を外して他のサークルを物色していた。するとその間に仲良くしていたA、B、Cさんのサークルが全て片付けられており、戻ってきた頃にはもぬけの殻状態になっていた。その後残っていたDさんとだけ挨拶を交わした。
会場を出た後ツイッターを見ると、アフターの楽しそうな画像が流れてきた。Cさんのツイートだった。
Cさんとは普段リプを交わしたりツイートをファボしたりしているので、私の中では仲が悪い訳ではないと思っていた。が、多分嫌われているんだろうな、とこの瞬間思った。
Cさんは所謂誰にでも話しかけるタイプで、同カプの中では頭領の様な風格があった。精力的に活動しているらしく、自カプの二次創作botを作って内輪で楽しんでいた。
以前は私もツイートを楽しく見ていたが、余りにも解釈が合わないので二次創作botはブロックした。このブロックしたのがバレたのかもしれない。私は同人は最低限の会話が出来ていたら良いと思っていたので、ツイッターでは一方的にツイートしたりフォロワーのツイートをファボしたり、たまにリプする程度でそれなりの距離感を保っていた。
しかしCさんを始めA、B、Dさん達はそれぞれオフ会やアフターをしたりイベント前日に遊んだり、個人の友達として関わっているのが見受けられて正直羨ましかった。
今回のアフターも参加していなかったDさんは前日に誘われていて、誘われなかったのは私だけだったらしい。訳の分からない疎外感に蝕まれて、宿泊先で朝から号泣してしまった。
大量の在庫を抱えて東京から出て帰宅する。それだけで良かった。しかしあんなに楽しみにして一生懸命準備したのに、行かなきゃ良かったと心底思った。私みたいな底辺はいなくても誰も困らないし、何より同カプのサークルは私以外全員仲が良いから。それになんとなくなんの罪もない自カプの事も嫌いになりそうで怖かった。
アフターに誘われなかったのは未成年だったからかと思ったが、全くそんな事もなかった。
アフターに誘われなかった位で、という話だが、他にも色々あって(これ以上言うと悪口になるので割愛する)自カプの事は今も昔も世界一好きだけど、界隈に馴染めなさすぎてやめたい。今後は他ジャンル作品で参加するつもりはあるけど、今回の自カプでは二度と本は出さないと思う。小さいジャンルでは馴れ合いが必要という事を身をもって知らされたという話。
「若おかみは小学生! 」の劇場版について、まだ見ていない人がいたのであれば今すぐこんなサイトを閉じて、最寄りの公開館を検索して1800円支払い予約しなければならない。
「歴史に残る」や「必ず泣く」というような強い言葉は使いたくないが、間違いなく傑作であるし大人が1800円を支払って見るには十分価値のある作品である。
さてそんな名作についてレビューのなかで悪しざまに語るレビューも存在する。それもかなり強い語調でだ。
(正直PVを渡すのも馬鹿らしいので出典元表記としてURLは末尾にだけ記載する)
本当に同じ映画を見たのか?と感じるほどひどい内容だ。
ただそれを感情的にコメントしていても仕方がない。そこで何が問題かについて引用しながらコメントしていく。
なお筆者もまだ一度しか映画を見れていない。原作もアニメも見ていないまったくのにわかである。
本編内容について誤解、誤読があれば指摘がほしい。
また、以下盛大にネタバレすることになるため、もしもまだみていなければ今すぐこんなサイトを閉じて、最寄りの公開館を検索して1800円支払い予約しなければならない。
純士 俺ら夫婦はまず、あの絵がダメなんですよ。神社とか旅館とかに代々伝わる霊的なものを題材に取り入れつつ、命の大切さや、別れは寂しいことじゃないんだよってことを描きたかった作品だと思うんだけど、そこにオタク要素の強いキャラが大集合して、絵がワチャワチャしすぎたせいで、なんだかよくわからなかった。着想はいいのに、それを生かせてなかったような気がします。こういうのは絶対、実写のほうがいいですよ。
純士 いや、できると思う。アニメでこういう神社とか旅館とか霊とかをテーマにするなら、宮崎駿みたいな絵じゃないとキツイ。それか『河童のクゥと夏休み』みたいな絵。やっぱ人を感動させたければ、それにふさわしい絵のタッチってもんがあるんですよ。特別きれいなわけでもない、古風な絵。そういうのだったら感動したかもしれない。この作品は、萌え系の絵ですべてを台無しにしちゃった感がある。
中略
純士 いや、それだけじゃないですね。自分が今YouTubeで動画配信を始めたから感じるんですけど、アニメであれ実写であれ、人って、ただ道を歩いてるだけの映像じゃ楽しめないんですよ。転んだり立ち上がったり、知り合いに会ったり音が入ったり。そういう変化やアクシデントがあるから楽しめるんだけど、この作品に関しては、常に一定のリズムで進んでる感じがあって、どこがサビなのかもわかりづらかった。ハッとしたのは、最初の事故だけ。事故のときは、「あ、なるほど。ただのワチャワチャしたアニメじゃないんだな。結構ヘビーな話を放り込んできて、ここからいい話になるんだろうな」と思ったんですよ。ところが、全然そうじゃなかった。つまらないだけならまだしも、看過できない部分もあったし。
絵柄の問題点について。古風な絵 = ふさわしい絵という観点には根拠が不明。「萌え系の絵ですべてを台無しにしちゃった」ということで、後述のように趣味に合わなかっただけ、と考えられる。インタビュアーが趣味に合わなかっただけでは?という質問に対しての返しが、絵柄から動き・アニメーションの話にシフトしていて話がずれている。
ここからは想像だが、萌え絵であるという前提の時点で彼らの嗜好から外れたため、後半部分はそれを強化するための言い訳になっているのではないか。
純士 おっこの勤務体系は、ほとんど労働基準法違反だろ! と思いました(笑)。家業を手伝う場合は労基法に触れないみたいだけど、あのハードワークは手伝いの域を超えてるでしょ。小学生の女の子が、両親が死んだショックを抱えたまま旅館に行ったら、紫メッシュのババアにまるめこまれて、奴隷のように働かされるなんて……。
例えば旅館自体が潰れる寸前で主人公がハードワークすることでそれが建て直されるようなストーリーであれば、直接的にハードワークな描写がなかったとしてもそう感じるかもしれない。
しかし主人公が旅館の仕事に関わる前、旅館に到着したタイミングで来客が来ていることからも、冒頭時点で旅館は女将、中居、板前の三名で運営は回っていて、閑古鳥が鳴いているわけではない事がわかる。旅館のメンバーがハードワークさせる動機がない。
冒頭、父親も「忙しそうで挨拶できなかった」みたいなことを言っている。(はず。この点うろ覚えなので間違っていれば削除します)
逆に、旅館が経済的に困窮しているような描写はない。途中、ピンフリが春の屋旅館の問題点を指摘するが、そこでも潰れそうといった話はない。
ハードワークについても、例えば家に帰ったおっこが自室で疲れている姿をみせるといった描写があればそれも想像されうるが、なかったはず。
主人公は小学校に通い学生生活に支障をきたしているわけではない。放課後に友人たちと遊びにでかけてすらいる。
「紫メッシュのババア」と悪しざまに語っているが、それは旅館の女将であると同時に娘と義理の息子をなくした母親である。その忘れ形見であり、同じそれ以上の痛みを抱えた孫を家族として迎え入れた女将に対して、なぜそのような悪意を持った視点を向けられるのか。
麗子 しかもあのおばあちゃん、おっこの頑張りを褒めたったらええのに、ずっとイビっとったやろ。あれが可哀想で、可哀想で。そりゃ精神的に追い込まれて、お化けも見るわと思ったわ。
女将はおっこのおばあちゃんであると同時に自分の仕事に対してプライドをもっている。おっこに対して強めの言葉をかけるのは仕事に関わる部分だけだ。
ただ、おっこの立ち振舞が上手になっていくことについてコメントするようなシーンはなかったので、全体の印象として女将がフォローをしていないようにみえ、それが「ずっとイビっとった」というように記憶される可能性は考えられるかもしれない。しかし、女将がおっこへの気遣いがないわけではない。裾の長さや、温泉プリンの差し入れなど、おっこに対して明確に気遣いを見せるシーンが存在する。
なにゆえこの夫婦が女将に対して悪印象を持つか意味がわからない。
純士 若おかみとして旅館の看板を背負って成長していく感動の物語……って言うけど、そもそもあの子が望んだ職業じゃないでしょ。最初はいやがってたわけだし、あの子には選択権もなかったわけだから。
嫌がっている描写はない。
つぶやきが誤解され若女将の仕事が始まるわけだが、誤解される途中驚く描写はあるが、否定したり嫌がったりしている描写はない。
選択権がない、というのものどの描写をもって言っているのか不明。旅館に引っ越すための条件として手伝いことを強制されるといった、それこそこの夫婦が想像するような鬼畜じみた人間性の描写があれば別だが、そのような描写はない。ここでもないシーンを勝手に想像して自ら悪印象を植え付けている。
親が死んだばかりで弱ってる少女を、お化けを使って洗脳して、勝手に人格まで形成しちゃう。あの調子だと、おっこは旅館が潰れるまでおかみじゃないですか。可哀想に。
前述の通り、旅館が経済的に困窮している描写はない。おそらく、潰れた旅館を立て直すというステロタイプなストーリーに誤読していると思われる。
お化けを使って、というのも意味がわからない。うりぼうたちは自発的におっこに対して働きかえけこそすれ、旅館側は幽霊については一貫して認識していない。
純士 おまけにやたらと界隈で人が死ぬし。
麗子 命を軽視しすぎやねん。ああいうのは、子供が真に受けて見てしまう恐れがある。「死んでもまた会える」と思ったら命を軽視するから、あれはアカン。
作中での死者は、
で、大半が作中ですでに故人であり、冒頭の事故以外に死者が出るわけではない。本当の同じ映画を見ていたのだろうか。それを受けての「命を軽視しすぎる」発言も何を見ていっているのが不明。
おっこは死者すべてをみえるわけではなく、うりぼうと美陽の二人だけがみえるだけ(それも能力自体が徐々に弱まって、最後にはなくなる)。
うりぼうと美陽が見えることで、たとえばそれを女将やピンフリにつたえ、死者と伝えられなかった思いなどを相互にやりとりするようなことができたかもしれない。そんなシーンはおそらく女将やピンフリの感情を強く揺れ動かすことができる、感動的なシーンになるだろう。感動的ではあるが、それこそ死後また会えるというような誤解を生む安易に感動に走ったストーリーだ。
そしそてそんなシーンは存在しない。
おっこが両親に会えるのは幽霊が見える能力のためではないと思われる。おっこが両親を見えるのは夢と、本人にはそのように見えているというレベルでしかない。(他の幽霊たちがおっこの両親とやりとりするようなシーンはないため、そのように想定される)また、両親の姿を幻視することも、その死をうけいれることで無くなることが示唆されている。
亡くなった人のことを思うこと、それを受け入れることは命を軽視することにあたるのか
純士 いや、作者は決して命を軽視してないと思うよ。「死を暗いものにしないように」と考えて、子ども向けに「愛と希望」に持っていこうとしただけでしょう。ただ、おひよ(妻の愛称)みたいに揚げ足を取る人間が出てくるのも仕方がない作りではありました。
前半主人公が両親の死に対してのリアクションする描写を見せなかったことが抑圧から爆発のメリハリになっていたと感じたし、その爆発によって、主人公もしっかりと暗い死の影を感じていて、それをいかに受け入れ乗り越えるかが最大の見せ場だった、と筆者は感じた。
つまり十分に死が暗いものであるという認識ができる作りになっているし、むしろ”子ども向けに「愛と希望」” というのが一体どの部分をみてそう思ったのか本当に意味がわからない。
純士 占い師の女がポルシェを走らせてるときに、謎のアニソンがかかったじゃないですか。あれを聴いて、殺意が芽生えましたよ(笑)。
――えっ? そうですか? あの曲、キャッチーでとてもいいし、オープンカーの開放感とのマッチングも最高だと思ったのですが。
純士 てことは、お前も作者側の人間なんだな。髪をかき上げて、サングラスをかけて、ストローを使わずにお酒を飲んで、オープンカーに乗って外へ連れ出してくれて、高級な服やらなんやらを買い与えてくれる。そういうお姉さんがいたら格好いいだろうな……という作者の価値観、作者のオタク脳を、俺は許せない。実際あんなことをできるのは、歌舞伎町の風俗嬢ぐらいのもんですよ。それを勝手に美化しやがって。気持ち悪い。
宮崎駿作品は持ち上げるが、現実にありえない理想化されたキャラクター像をもってこの作品を腐すというのはダブルスタンダードではないか。
また「実際あんなことをできるのは、歌舞伎町の風俗嬢ぐらいのもんですよ。それを勝手に美化しやがって。気持ち悪い」に至っては本人の露骨な職業差別意識がでていて目も当てられない。
以上、はっきり妄言の類といって差し支えない内容だと思うが、この内容を本気で受け取って映画を見ない選択をしてしまう人がいたらそれは大きな損失である。今すぐこんなサイトは閉じて(略
たぶんはてな民は認めてくれるけど、世間はどうなんだろうね。私も反対派ではあるんだけど、結局皆の意向はどうなのかがよく分からない。
東京都が勝手にやる分にはボロが出るたびにマスコミ各社が叩いてくれるけど、天下の電通がついているばっかりに、コラムなどで個人が反対意見を述べることはあっても、社の方針として正面切ってオリンピックに反対できる会社がない。
一番気に入らないのは都民の生活のために使われるべき税金と役人が一部のスポーツ関係者とスポーツファンのためのお祭り騒ぎのために使われることだ。東京都は金持ち自治体と思われているけど、7兆円の予算のうち2兆円がオリンピックに使われるとしたらあまりにもバランスが悪すぎると思う。オリンピックに夢と希望を抱いているスポーツ関係者は、自分たちのために貴重な人・モノ・金が浪費されていることを自覚し、自分たちの夢のために他の人たちの生活改善が後回しにされていることを深く反省してほしい。
あと、ろくに使い道のない箱ものが恒久的施設として建てられることも気に入らない。東京23区内みたいに地価の高いところで、閑古鳥が鳴くこと間違いなしのスポーツ施設を維持するのがどれだけ無駄か、関係者はよく認識してほしい。
特定のマイナー競技のために建てられた施設は、オリンピック後は責任持ってその競技団体が自分たちの金で管理するように。それで維持できないなら潔く取り壊せ。リオも平昌も要らない施設は半年で廃墟化しているようなので、半年経っても赤字ならその施設は存在価値がないということだ。
元増田とはちょっと視点が違うけど、とりあえずオリンピックが都民にとって迷惑な存在である理由を書いたつもり。どうしてもオリンピックをやりたい人は、金なり労働力なりを提供すべきだと思う。貧乏人でかつ何らかの形でオリンピックに貢献できない人間は「オリンピックを楽しみにしてるからやって欲しい」とか言う権利がないと思っている。
お前らも気をつけろよ
カッコウの専門家らでつくる全日本カッコウ協会は2日、カッコウの動態についてまとめた2018年版の『カッコウ年鑑』を公開した。他の鳥の巣に卵を産んで託す托卵(たくらん)件数が、調査開始以降初めて3万件を超えるなど、カッコウの子育て事情の厳しさを反映した内容になっている。
『年鑑』では、カッコウの生息数や生息地について「猛暑による影響が多少変化見られるものの、ほぼ例年通り」とした一方、托卵件数は昨年より2281件多い3万904件と、1976年の調査開始以来過去最高を記録した。
カッコウの托卵件数は2000年代初頭は2万件台で推移していたが、13年ごろから増加傾向にある。主な理由として、『年鑑』では「オスメス共働き世帯の増加」「保育所不足」「非正規雇用の増加」など、育児を難しくしている社会状況の変化を挙げている。
また、来年以降も托卵が増加する可能性が高いことから、国や自治体に対して「公営カッコウの巣建設」「巣から落とされた他の鳥の卵を守るセーフティーネットの構築」など5項目を提言。「子育て世帯を経済・精神の両面で支える、実効性ある早急な支援が求められる」としている。
政府は15年、托卵問題解消のため、パンフレットや映像などを通して啓発活動を行う「たくらんセンター」を全国47カ所に設けたが、年間50億円を投じているにもかかわらず利用者数は低迷。現在も閑古鳥が鳴いている状況だ。
普通の日本人を名乗る主婦が写真撮った時にディスプレイに映る禿げ頭でネカマだとばれ
他の写真から住所特定されて低所得独身だったとばれるというようなことがあったらしい
以前も美少女ユーチューバーがキモオタだったりと似たようなことを見かけた気がするが
こういう事件で逆パターンを全然見かけないのは現代日本社会の闇を象徴していると思う
老若男女問わず貧乏も金持ちもブスも美人も其々苦労があって隣の芝生が青く見えるので
おそらく演じている人は同程度いるはずだが
おっさんのふりをしても閑古鳥なので観客数の差でばれやすさに違いが出るのと
アップする写真文章にも細心の注意を払い特定を避ける能力高いのと
中央調理方式だから各チェーン店へ配送されるルーは同じもので、蒸発した分少量の水を最後に足すのと、トッピングの捌きくらいしか店の差は作れないのだけれど、違うらしい。
俺は分からない。
元増田の言うとおり繁盛店の極まったオペレーションはヤバい。ルーは配送されてくるので調理というものが殆どない。
「後から来る辛さです 注意」
と書かれたカレーホットを足して、自分のペースで1食の中でも辛さに変化をつけて行くのもオススメ。
因みにCoCo壱は隣町の音更に1店舗だけ、ドライブスルーで差別化に成功して生き残っている。
帯広だと、マルセイバターサンドで有名な六花亭も、ケーキ等の生菓子が安くて美味い。正直これもローカルフードに推薦したいレベル、外に輸出難しいし。
ヨッピーの選考基準を満たすには、腰を下ろしてケーキを食べられる店舗が数件しかなくて無理かも。
テイクアウトであれば割と小型スーパーの一角に間借りで入っていて、日常の甘味として上質のケーキが100円からそこら中で売っているというスィーツ王国になっている。
柳月、クランベリーといった競合他社も強い。
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。
なんかやけに「なんでんかんでん」関連の記事がバズってる気がするんだけど、なんなんでしょう。
いや、みんなが好きなんならバズろうが構わないんだけど、それにしても不自然じゃないか?ずっと閑古鳥が鳴いていて6年前に特に惜しまれることなく閉店した店ですよ?
東京の豚骨ラーメンは俺が育てた!みたいな話がちょいちょい出てくるのも気持ち悪い。
多くの女性は「求められる」ことを悦びますから、自分から誘いましょう。
女性の話題に耳を傾けたり、あるいは女性の反応を伺いながら話ができていますか?
多くの女性は「尊重されている」と感じると自分も心を開きます。
そして…
「彼氏欲しい」って言ってる女、構ってくれる男なら誰にでも股を開きそうではありませんか?
同じように、「彼女欲しい」と言う男性に心を許す女性は少ないです。
女性に対しては堂々と
「貴女だけ」
と特別扱いをしてください。時折、
これらを使いまわしていけば大丈夫です。
「安心する」
とか
みたいなことは最初のうちは言わない方が吉。
長い付き合いの中でふと漏れてしまう弱い部分にキュンとすることはあっても、
はなからそれを隠す気もない努力不足な男には魅力を感じません。
そういうのに引っかかる女は既に他の男のお手付きか