はてなキーワード: 閑古鳥とは
昨今、インターネットの片隅で話題になっている「『おそ松さん』が2期に入ってつまらなくなった/人気が壊滅的に落ちた」問題を考える。以下の内容は、1期の途中で松にハマり、今現在2期を楽しく観ている人間の個人的な見解である事に留意されたし。
※長いよ!
■議題その1「つまらなくなったのか」
さて、1期と2期の違いを考えてみる。1期は実験的ギャグアニメとして、様々なパターンの話が作られた。その中でも、派生松の元になりやすい、パロディ系(例:F6、女子松、デリバリーコント、なごみ)は、腐女子の燃料として発火性が高い。また、感動モノ系(例:エスニャン回、十カノ回)も、男性的というより女性的な感性に訴えかけるものに思える。
しかし、2017年末現在、2期に入ってからの、パロディ系『げんし松さん』『三国志さん』は、腐女子人気が出やすいテイストではない。また、感動モノ系は『松造と松代』の1本のみ。内容も「松造が松代とご無沙汰」という下ネタがベースになっているので、シリアス度は低め。また、女性の共感が得やすい内容でも無い。
(勿論ギャグも求めているだろうが)1期の様な、女性向け萌えも求めている人にとって、2期は今一つ物足りなさがあるのではないか。
放送がない間、アプリゲームや雑誌等で、派生松の元ネタが量産された。けれど、2期発信の派生松はほぼ盛り上がっていない。そして、2期に入り、女性が抱く萌えには繋がらない要素(例:照英さん、1話でのファン描写)も多くなった。これらの要因が「つまらなくなった」「2期に入って変わった」という感想を抱かせる理由だと思われる。
2期1話で分かる通り、『おそ松さん』というアニメ作品(各種コラボは除く)は、女性向けを意識して製作されていない。2期に入り、下ネタ・不条理ギャグについてこられる人だけをターゲットにした「自己責任アニメ」へと完全に舵を切った。故に、ついてこられない人は置いて行かれてしまったのだ。
面白い/面白くないは、あくまで個人の感性に基づくものなので、算数の解答のように、明確な答えを出す事は出来ない。とはいえ、上記のような要因は、批判の理由の一端として挙げられるだろう。
ただ、個人的にはF6が女性向けに作られたものというより、女性向けコンテンツをデフォルメ化した笑い(いわばコロッケのモノマネのようなもの)だと思っている。それは2期1話のファン描写の視点と、何ら違いは無い。そういう意味で、1期と2期で変わったとは、私は感じないし、1期も2期も変わらず面白い。なんなら2期の方が好き。『超洗剤』『返すだス』辺りが好き。
■議題その2「人気が壊滅的に落ちたのか」
答えはいいえ、だ。正確に言えば「1期のような乱痴気騒ぎは収まったが、いまだに根強い人気がある」だ。そもそも1期がおかしかったのだ。円盤が8万枚売れて、オタク以外にも認知され、流行語にもなった。そんなアニメ作品は、稀である。
それが2期に入って、むしろ正常な状態になったように感じる。そもそも、2期の円盤は1万枚売り上げている。普通にアニメ作品としてはヒットの部類なのに、何故「2期大爆死乙wwww」などというまとめサイトが作られなければならないのか。
とにかく、「2期までの長い2年間、何も動きが無かったから、ファンが冷めた」という意見には、真っ向から反論したい。
ますゲーム。アプリゲーム、コンシューマーゲーム、ブラウザゲームと乱立した。そのクオリティはまちまちで、ゲーム内イベント時期が被ったり、ゲームシステムが完全にあん●タだったりと問題は多かったが、それでも「派生松の最大手サークル」としての役割は無視出来ないものがある。
次に、リアルの公式イベント。2.5次元舞台、着ぐるみ松による6つ子バースデーイベント、おそ松EXPO、サンリオピューロランドでのコラボ記念イベント、センバツ上映会。私が足を運んだイベントだけでもこれだけある。他にも、(私が当選しなかった)『松野家のなんでもない感じ』リリースイベントなど、多くのイベントがあった。アニメが放送されていない間に、1つでも公式イベントがあればお祭り騒ぎになるジャンルが多い中、これだけイベントがあるのは、凄い事だ。また、「コラボビッチ」「多すぎてついていけない」と批判の声も多い、各種コラボもリアルイベントの中に含んで良いだろう。
そして何よりドラマCDや『おうまでこばなし』といった、公式監修の作品が世に出ていた事は大きい。アニメの本放送が無いだけで、公式からの供給も、断続的とはいえあったのだ。
2期記念イベントで、6つ子の中の人が、ゲームや『おうまでこばなし』などの収録で頻繁に『おそ松さん』の仕事をしていたので「久しぶりな感じがしない」と仰っていた。私もこの発言を聞いて、その通りだと感じていた。アニメが放映していなくとも、ずっと『おそ松さん』を追いかけていたからだ。だから、2期が始まるまで供給が全く無かったが故にファンが離れた、という指摘はいささか見当違いだろう。
ここまで「2期までの間に動きが無かったから人気が無くなった」という指摘には反論させて頂いた。ただ、2期までに人気が無くなった理由として、もう1点指摘されており、そちらに対しては一切の反論を持ち合わせない。
それは「『おそ松さん』ファンのマナーがなって無さ過ぎてファン人口が減った」という理由である。もうこれについては全面敗訴です。SNS上でもリアルでも、他の『おそ松さん』ファンと殆ど交流していない私ですら、自分の身に降りかかった「本当にあった『おそ松さん』ファンの怖い話」の3つや4つはすぐに出てくる。『おそ松さん』ファンが何かちょっとアレな件に関しては、見て見ぬふりは出来ない。皆様にご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。いや本当に。自分はちゃんとしてるって思ってるかもしれないけど、外野から見たら充分ヤバい奴だからな。言動には気をつけような。私も気をつけます。
では、そもそも『おそ松さん』ファンは、著しく減ったのだろうか。確かに、円盤の売り上げは減った。だがしかし、ネットで言われてるように、『おそ松さん』はオワコンでファンが全然いないアニメではない、と私は感じる。これは決して、私がファンだから擁護しているのでは無い。実体験としてそう感じるのだ。
前述したように、私は『松野家のなんでもない感じ』のリリイベに当たらなかった。松ステ第2弾の先行は全公演全落ちが当たり前だった(ただし、舞台に関してはキャストさんの人気も加味されるので、『おそ松さん』人気の有無だけでは語れないのも事実である)。センバツ上映会には複数回、色々な松の部屋に足を運んだが、どの回も席は殆ど埋まっていた。平日の昼間でも、ナンジャタウン来園者の多くは『おそ松さん』ファンだった。『おそ松さん』コラボ中のアニメイトカフェへ開店直後に赴いた時も、すぐに客席の8割が埋まった。ラストオーダー直前のタワレコカフェへ飛び込んだ時も、客席の大半が埋まっていた。直前に告知された上、平日だったにも関わらず、着ぐるみ松の撮影会には少なくとも80人は集まっていただろう。
本当にオワコンなら、チケットは百発百中で当たらないとおかしいし、各種コラボは閑古鳥が鳴いていないとおかしい。けれど実態としてはそうではないのだ。そう、『おそ松さん』はまだまだ人気のあるアニメなのだ。
私の住むA市は昔から貧しくて住民のガラが控えめに言っても悪い事で知られているらしい。(私自身は他県出身者なので伝聞で知るのみなのだけれど)
あまりにもA市が不人気なので地価が周りの市よりも大分安く、お陰で家賃も安いので、助かるが。
実は地価が安い事以外にもA市には良いところがあって、それは子育て支援が手厚いことだ。
狭い市なわりに保育園は充実しているし、料金も安価。ちゃんと機能している児童館があり、学童保育もあり、子育て支援センターがあり、公共のスポーツ施設では子供向けの安いスポーツ教室が多数ひらかれているなど、子育て世帯にとってはここは穴場だ。
それでも全体的に印象が悪いし、ベッドタウンとしては優秀でも仕事も無ければ遊ぶ場所もないので、あまり住みたい人は多くないらしい。
「こんな所に住んでると同僚達に対して格好がつかないので、地価が高くても保育園がなくても境界を一歩跨いで隣のB市に住みたい、と、旦那がゴネてて困る」
のだそうだ。
(ちなみに知人の家はB市との境界線のすぐ側にある)
子育て支援は充実しているが市は不人気で段々過疎りつつあるので、私の育児ライフは最初の数年はかえってとても快適だった。
運動公園、子育て支援センター、児童館、市立幼稚園、市運営する習い事etc.どこに行っても空いているので、のびのびと子供を遊ばせる事が出来た。各所にいる指導員さんや先生達も気持ちに余裕があって、おおらかに子供達と接してくれる。その為か土地の子供達もまっすぐで穏やかな子へと成長していっている様に見える。
ところがここ二年ばかりで状況が急激に変わりつつある。
というのも、子育て支援センターや児童館や市の習い事がやたら混む様になった。
その原因はというと、各種子育て支援事業がフリーペーパーやインターネットなどを通じで広く宣伝されるようになったからではないか?と私は見ている。
市運営の習い事に通う子供達のほとんどが他市の子供達で、A市の子供達が応募に受からないという事態になった。
元々A市は貧しく情弱の多い地域である。実は市内の幼い子を持つ親達はA市の子育て支援事業が充実している事を意外と知らない。
何もしらずに昭和みたいな密室育児や祖父母頼みの育児で頑張っている人が多い様だ。
A市の保護者は他市の保護者に情報戦で負けて各種サービスを受ける機会を逸している、ということ。
多くの子育て支援事業を納税者ではない人達が好きに使っている、というのがどうやらついに問題として行政から認識されたらしく、次年度からは多くのサービスで市外出身者の利用を制限する事が決まった。
子育て支援センター等で無料で開かれていたイベントや講習会などが一部取り止められたり有料化され、市民と市外民とで応募枠と料金が差別化された。
市運営の習い事にも市外民の利用には大きな制限がかけられる事になった。
そういう訳で、来月からはまたA 市の子供達とその保護者はガラガラな施設でのんびり遊んだり学んだり出来るという訳だが、今度は人が来なさすぎてせっかくのサービス予算が着かなくなったり廃止心配が出てしまう……。
A市の保護者で乳幼児を0歳から保育園に入れて朝から夜遅くまで働かなくて済む人は多くはなく、よって市営のベビーマッサージだの親子水泳教室だのは間違いなく閑古鳥が声高に啼いてしまうだろう。
そんな状況にもモヤモヤを感じずにはいられないのだけれども、それ以外にもとても気になるのが、市外から子育て支援センターや児童館を利用しに来る人々の事だ。
そういう人は殆どが職を持ち一年前後の育休中である。子供は小さい子は生後一ヶ月に満たず、大きい子は一歳くらい。
そういう保護者の話を聞いてみると、大体の人が沢山の施設をハシゴしてまわっている。
ある人は周辺数市の支援センターを全部周り尽くして、ここが最後の一軒だと言っていた。
一年程度の限られた期間そうしてベストな支援施設を探して放浪の旅をすることに費やしている。
ハイハイもままならない赤ちゃんをたった一、二時間遊ばせる為だけに、車で往復一時間以上かけて、育児道具フルセットを詰めた荷物を背負ってやって来る。
どこもかしこも気に入らないと言う。
曰く、どこも数人のママ友グループが出来ており、誰も話し掛けてくれない。
要は、一見でパーフェクトに快適な施設でなければ二度目はないという事らしい。
なんだか、受験戦争や就活的な逼迫感があり、育児の楽しさが無さそうだ。
一体何がそんなに彼らを追い立てるのだろう?
2017-02-14
こういう記事がある。
まあ内容は「ちょっと検索して書きましたアー、お店かわいそう」っていう適当さ。
まるで店側が被害者のような書き方がされているが
食べログのコメントさかのぼればわかるが、(消えてたらすまん)
店から「撮影は禁止」「ネットへの書き込み禁止」を言い渡されていた
その紅茶の飲み放題について文句を付けられたりして(紅茶を飲みすぎ・・・など)
ブログにも書いてあるが、店主が客を選ぶようなところがあり
だから閉店しただけの話だと思う
混んでいるときの客のあしらい方もひどいしね
突然、客も悪い!みたいなことを言い出してもな
店はアフタヌーンティーに異常にこだわってて
それで見合わないと思うなら、
店も料金上げるなり、
そこで愚痴をブログなりTwitterなりに書いちゃうのは頭おかしいけど
いきなりInstagram撮影用に来る客がマナー悪くなったわけではないんだ
(そもそもアフタヌーンティーは事前予約必要だから、うるさい店であることは知ってからくることになるわけで)
紅茶と料理はおいしかったけど、客商売が向いてない店の対応を「客も悪い」って言いだすのはちょっと気持ち悪い
追記
店がよく怒っていたマナーの悪い客、
あまり店のことを持ち上げすぎないでくれ
次は会員制サロンなんかをやればいいんだ
店の経営方針が客にあわないんだ
客が悪いせいじゃない、店を誤解させるのはやめてやれ
次の店も失敗してしまうだろ!!
http://pret.yakan-hiko.com/2016/12/01/dena_welq/
http://toyokeizai.net/articles/-/147912
十年くらい前、D社の(当時)創業社長だったN氏の話を間近で聞く機会があった。当時、D社はゲーム事業で一山当て、ガンガンいこうぜ!という状況だったと思う。
後日、N氏は会社の立ち上げ時のドタバタを本として出している(自分も読んだ)が、その時もこの本に書いてあったような話をいろいろしてくれた。
その中でも特に印象に残ってるのが、D社がCtoCの売買サイトを立ち上げたが全くの閑古鳥で困ってしまい、業界最大手の Y!社のサービスのヘビーユーザーに「うちのサービス使ってくれませんかね」と直々に(メッセージ機能を使って?)コンタクトを取ったが、にべもなく断られ、うまくいかなかったという話だ。
うまくいかないのは、当然ユーザーレビューで積み上げた高評価を持っていけないからなのだが、そういうところに思い至らず他社サービスのユーザーを引き抜こうとしたりとかするのが、現在進行中の炎上騒動と通じるところがあると思った。
彼女が超絶閑古鳥な服屋でバイトしててあまりにも客いないので暇な時は携帯見てたらしいんだけど
防犯カメラチェックしたのか知らんけどオーナーに携帯触り過ぎと結構怒られたらしく
ただお客さんが来たらちゃんと見計らって声掛けしているにも関わらずしてないと言われたらしく
どっかの通販で売れ残った夏物(ワンサイズのみ)を今頃売ってるような店だそうなので
そりゃ声掛けたとこで他のサイズがなきゃ大きめでゆったりでどうでしょうとか試着どうぞぐらいしか言うこともなく
まともな商品がなきゃ売り上げ伸びるわけねえじゃんと思った
あと給料遅延が酷くて再三催促しても3週間遅れで渡してくるとか
シン・ゴジラの北米版の公開が決まった。しかし、これは失敗することが確実だ。
なぜか? すでにシンガポールと台湾で大失敗しているからだ。客はほとんどいない。閑古鳥が鳴いている。始まってすぐに、打ち切りが決まった。
→ シン・ゴジラ、台湾興行収入1600万円で終了ww 2ch.net
→ シンガポールでもシン・ゴジラ公開。しかし観客の反応はいまいち。私もがっかり。
その理由は以下の通り。
・ 大量の字幕が読みにくくて大変
これらの点は、私が前に指摘したとおりだ。
はてなーは、「英語が下手でも石原さとみがいい」と言っていたが、私は「外国人女優を採用するべきだった」と言って、「海外では石原さとみの英語は致命的だ」と言っていた。そして、その懸念が、まさしくシンガポール版で証明された。
同じことは、北米版でも成立する。とすれば、ゴジラの北米版は大失敗すると予想しておこう。この予想はまず確実に当たるだろう。
※ ただし、字幕版のあとで吹替え版が公開されれば、そこそこ客は来るかもしれない。
吹替えならば、石原さとみのひどい英語も、まともな英語に置き換えられる。
※ 私は次のページも書いた。
この方針に従っていれば、かくもひどい大惨敗はしなかったはずだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160825141122
お前さんのブログのアクセスが増えれば100や200のブックマークなんか簡単さ。
100人くらいにまともに評価されたいなら、SNSでとりあえず1000人とつながればいいんじゃないか?
そりゃ、意識高い系の奴らと交流してたんじゃキモいが、そうじゃない人はたくさんいるからな。
俺もお前と同じく、増田で500ブクマとかは普通に狙えるけど自分のブログは閑古鳥って口だったよ。
で、とりあえずSNSで1000人と繋がったらまぁそれなりに読まれるようになってきたぞ。
で、俺の経験だけど、増田で書くことができる文章と、ブログなりSNSで書く文章って結構違うんだよね。
増田もブクマもそうだけど、「ブクマやスターが付く書き方」ってあるよな。ご存知の通り。でもそれをブログやSNSに持ち出すと上手くいかないんだよな。
SEGAが提供する基本無料のアーケードカードゲーム コードオブジョーカーS(通称COJ S)。
コイツが今まで全く手を出さなかったWeb広告打った後、広告も消えて、カード販売のばらまきも初めて、
ゲーセンでもプレイヤーが減っているので今年いっぱい持てばいい方かな、という状況だ。
さて、この日記では盛り上がっていたゲームが一回のバージョンアップで冷や水を浴びせられたかのごとく衰退していく様とその理由を説明しておこう。
元々、COJは初期のころゲーセンでカードバトルゲームというおよそゲーセン住人には受け入れられなさそうなもので始まったため、散々な状況だった。
まだシステムも立ち上がりで穴が多く、クソゲーといってもいい内容だったが改善を重ねて、
「基本無料」というゲーセンには珍しい手法を取り入れることで客層を増やし、不死鳥のように(元々売れてないからこの表現はおかしいが)蘇った。
バランスもこなれていき筐体の売上も順調で決算の上位に食い込むほど売れたタイトルとなった。
しかしそんなCOJも落ち目の切っ掛けになるものがやってきた。
まず、馬鹿プロデューサー(P)だがこいつは放任主義のくせに手を出すと余計なことをして手柄だけはかっさらってきたカスだ。
やったことはバランスを乱高下させてわざと話題性を出すという策や、
既存カードを消したあとにしばらくして新カードで刷り直すという祝!復活商法だ。
これについていけなくなったプレイヤーから消えていき刺激を求める層からも愛想つかされてシリーズは終了。
今、新シリーズの企画があるが嫌な思い出があるファンがどれだけ戻ってくるかは疑問。
COJでもPを務めていたわけだが、Sへのバージョンアップ前から余計な事をしはじめた。
まずCOJのシステム周りは外注で作っていた。内部にシステム調整できるだけのノウハウがないのだ。
これを内部だけでやるという決定をしたのがPだ。
それなのにろくに技術力のある人間を入れずに、バイト上がりのゲーマーに任せようという手腕だ。
この話だけでもう終わってると気づくだろうが、
理由はバージョンアップに合わせてカードプールを整理したいということだが、
要するに外注の件と合わせてコストカットをしたいだけという内容だ。
この2つにゲームを面白くする要素があるどころかつまらなくする要素でしかない。
案の定、バイト上がりたちがカード調整しはじめだしたころからユニットの能力もデザインもおかしくなりはじめる。
肝心のCOJ Sの内容というのも酷い物だった。
・ジョーカー2枚化
といった内容だ。
他に真新しい内容はない。
ぶっちゃけた話、赤・緑・青・黄に新勢力紫を足しただけの内容だ。
紫ゲージをどうにかして溜めることで強い効果を発揮できる。
つまり新システムが完全に新色のためだけに存在するといった内容だ。
ここまで聞けば分かるだろうが、これは三国志大戦の勢力「漢」とまるで同じだ。
漢も決起ゲージを3つまで溜めると強力な効果を発揮するが、これに関係しているのは漢だけだ。
特定の色にしか効果がない新要素というのはどう扱っても調整が難しくなる。
なぜなら強くすればその色ばかり優位になってしまうのに、弱くしたら誰も使わなくなる。
悲しいかな、何も学ばないPとバイトのアイデアが採用されたわけだ。
まずこんな内容は外注なら通さないくらい穴ぼこなのにこれが新バーの目玉なのだ。
終わった。
そしてキャラデザインも落ち着いたものから萌え豚に媚びたデザインになり、
年齢層いくつでやってるのかろくに調査もしてないんだろうなと思わせる改変っぷり。
というか萌え豚に媚びたところで1世代前のポリゴンなので無理にコストかける必要もなかったんだが。
そしてジョーカーという試合中にキャラが固有で使える切り札を2枚にするという変更だが
これが地味なくせに露骨に調整面倒になるという要素で不安しか覚えない。
無理やりねじ込んだ感がすごい。
と、まあ褒めるところ一つもないバージョンアップだったが、
本当に褒めるところ一つもないので閑古鳥が鳴いている。
広告も打ったしばらまきもやってるのに人が帰ってこない、何でだろう?
ここまでの敗因を揃えられたのもまるでユーザーが何をしたいのか理解してこなかったことと
面白いゲームにするためのコストをケチろうとしたツケが素直に返ってきてるということ。
よくもまあ、短期間でここまでつまらないゲームに変えることができたと若干感心気味である。
もし今まで通りデザインは社内で、システムは外注でという方策で続けていたのなら
100万くらいはまだ使っていたと思うが、もうその金を回す必要がなくなってしまった。
経緯といっておきながら長々と書いてしまったがまとめると
・COJS始動、旧カード使用禁止、失敗はわかってた新勢力の追加、特に新鮮味の無い新バー、終わってる調整
・閑古鳥
・ばらまき効果なし
・閑古鳥
何はともあれCOJに合掌。
そしてPは死んで欲しいくらい愛してるよ。
http://mubou.seesaa.net/s/article/438251943.html
この記事を読んで、本当にそうだな、自分が読みたいと思えるものを書かなければブログなんてつまらないなって改めて思ったので、書いてみた。
はてなブログを何ヶ月かやっている。
動機は、ここのところはてブで議論になっているブログ収入。アドセンスとamazonアフィリエイト。もう何がきっかけでブログ飯やはてなに行き着いたのか忘れてしまったのだけど、暇な時間に何か書いて月数万儲かるならお小遣いになるのでいいなくらいの感じで始めた。
元々文章を書くのは好きで、ブログサービスを渡り歩きながら日記みたいなものを書いていた。そんなに読者がいるわけではないのだけれど、ネット歴だけは長いので、当初はブログ、ここ何年かはTwitterでフォローしあったりしつつ、なんとなく好きなテイストの人たちとゆるく繋がり続けることができていて、まあ満足だった。
はてなブログは、この日常垂れ流し的なものではなく、お金を稼ぐならターゲットを絞ろうと思い、主婦的な分野の中の、あるテーマのネタを持っていたので、それに沿った記事の作成から始めた。でもとんとPVや収益とやらは増えなかった。
他のはてなブログを観察していると、はてな界隈で見られるようになるには、どうも、
①鉄板的なテーマがあること(ブログ論、PVや収益報告、自分が選んだ〇〇ベストX選+アフィリエイト、食レポ+アフィリエイト、ノウハウ+アフィリエイトなど)
②はてなブログを巡回し、スターなりブクマをつけて顔を売るのが必要であること
がなんとなくわかってきた。
まず手軽そうな②からやってみた。これはものすごく面倒くさかった。
スターなら読まずに適当に連打すればいいのだが、正直あまり効果はない。
ブクマの場合は、割といい確率で向こうもブクマを返してくれ、PVにつながるようになってきた。でもブクマはそこそこ読んで内容に言及する必要があるので、正直興味がなかったり話が合わなそうなブログにそれを続けることがあまりにも苦痛で、途中で挫折した。
ちなみに、最終手段として、中身をほとんど読まずタイトルだけで判断して、「参考になりました!」「そんな方法があるんですね、私もやってみます!」みたいなテンプレコメントを貼り続けるのもありではあったが、それをやる勇気はなかった。
続いて①をやってみた。テーマからブレるのはちょっと嫌だし、薄いというか、自分が検索していて当たると舌打ちしたくなるようなキュレーションメディアの記事みたいで嫌だなと思ったのだが…これが効果があった。
ホッテントリというほどではないが、二桁のブクマがついて、それまでの数倍のアクセスが来たのだ。
②をやっていて、多少、ブクマの初動をつけてくれる人がいたというのもあったからかもしれない。
そうやってPVが増えると、それまで、これ壊れてるのかな?と思うくらいクリックがなかったアドセンスにも収入が入るようになった。とはいえ一日最大数百円程度だったけど、それでもそれまで閑古鳥だったので、ものすごいことに思えた。
それで、①を続けることにした。
が…これまた途中で苦痛になってきた。
自分が検索で当たると舌打ちしていた、キュレーションメディアみたいな根拠に乏しい薄い記事。
はてなブックマークのホッテントリに入ってきて、読んでみたもののつまらなくて「読んで損した!」と思うような記事。
そういうのをまさに自分が書いているのだ。
自分の素の文章や日記が、他の人が読んで面白いというようなほどものとは全く思っていない。
けれど、自分が楽しんで書いているか…罪悪感なく書いているか、自分が読みたいと思って書いているかがこんなにモチベーションとか、自分のブログを好きになれるかどうかに関わってくるとは思わなかった。
そしてそれを月に数千円のためにやるのもなんだかバカバカしくなってきた。主婦が片手間でやる程度のブログなんてこんなもんだ。文章の才能があるか、文章のクオリティを上げるか互助会頑張るかとかのなんらかのよほどの労力をかけない限り、ブログなんかでは儲からない。痛感した。
でも、時々、日常生活の中で、あ、これはネタになるかも、アフィリエイト貼れるかも、と思うと、なんというか一度その道にハマってしまった因果を感じ、また自己嫌悪に陥っている。
その程度なら昨日の段階でhttp://anond.hatelabo.jp/20160215185846が書いてるぞ。
高齢者優先だから予算が来ないとか被害妄想付きだけど、介護待機老人は待機児童より遥かに多い上に今後もどんどん要介護老人が増えていくのも分かり切ってる中で
こっちの予算を減らせる訳もないだろうに。
大学内託児所は作っても幼稚園については全く知らないんだろうね。
都心部は幼稚園も足りてないよ。幼稚園難民が発生するくらいだ。
愚痴を吐くのが癖になっており,度々長文の愚痴を書き散らすのがストレス解消の一環となっている。取り留めの無い愚痴を文章化するメリットとしては,①書いているうちに頭が整理される,②後日読み返すことで当時の自分の思考の偏りを見つけることができるという点が挙げられる。
一方でデメリットというか,これは自分に関してのみ当てはまるかもしれないデメリットであるが,愚痴を吐く場所としてこっそりやればいいものをそれをSNSなどに書いてしまうという点である。人目をはばかる思いから,「mixiの「一部の友人にのみ公開」機能(そもそもmixiは最近閑古鳥が鳴いているのでリスクは小さいであろうという考え)」や「増田(匿名だから)」などを主に選んでいるが,それでもたまに少しだけ騒ぎになる。大抵が思考を整理する前のとりとめの無い愚痴であるため,読んだ相手に不快感を与えてしまう危険性が少なからずあるようだ(ちなみに増田だと,別に炎上してもへいちゃらだが,一番気持ちの行き場がないのが釣り認定だ)。クリックしなければ読めないのだし,私自身は他人の愚痴を読んでも「ふーん大変だね」としか思わないタイプだが,一方で自分が公然わいせつをしているという事実は変わらない。けれども一方で,人目につくところに愚痴をかくとたまに驚くほど的確な助言がもたらされることもあり,それに救われているのも事実だ。自分の中に複数の他人の視点を持ったり,あるいは建設的批評ができるようになれば,他人の目に付かないところでひっそりと,もっと自己完結的に事が行えるのだが。
子供の習い事で待ってる合間に、かつて大学時代にサークルで愛用していた、東池袋「喫茶マーガレット」に行ってみた。
自分の大学時代って、もう20年以上も前だが、この店自体が、それ以降、時が止まっているね。
レトロな、昭和な喫茶店マニアには、たまらない場所で、お約束のマンガの類も多数完備
ところで、サンシャイン内のカフェは、どこに行っても、土日は満員なんだよな。
サンシャインから100m程度行った場所に、カフェ・ド・クリエが2店舗程度あるが、それも満員
だが、300mほど行ったマーガレットは、閑古鳥が鳴いている。
★先日、前から気になってた東池袋「メゾン青樹・RoyalAnnex」の外観見た。
そこの2階に「都電テーブル」という「いかにもイシキタカイ系のオーガニックな定食屋」があった。
男性一人だけだと気恥ずかしくて入れない雰囲気だが、たまたま女性同僚もいたので入った。
2階の店内に入ると、予想通りの店内レイアウト。配管は「わざと」剥き出しで、テーブルも椅子も木製。
BGMはジャズで、あちこちに店のコンセプトの案内とか、街づくりの書籍とか、「クラウドファンディング募集中!」とかの案内が。
★なんか「こだわりの食材の無農薬な定食」を1000円で食べたが、味音痴な自分は、それが1000円の価値があるだけの美味しさなのかどうか、わからなかった。
因みにヘルシーなボリュームなので、早くも3時頃にはお腹が空いた(笑)
★因みに1階に「なか卯」があり、ガテン系男性が連れだってなか卯に入って行って盛況だった。
「都電テーブル」の方は空いていた。1階と 2階の立地の差、値段の違い、ボリュームの差、でもそれだけじゃないと思う。
★一番の「差」は、都電テーブルの
「私たち、オーガニックでイシキタカイです、フェイスブックで応援お願いします」な雰囲気が、ガテンワールドと「対極」だからなんだと思う。
値下げしても、ボリューム増やしても、あのガテンな人達は、あの雰囲気の店は「入りづらい」。
港区とか渋谷区とかなら、この手の「イシキタカイお店」は「地域に馴染んでいる」が、
豊島区という立地だと、「イシキタカイお店」は「地域から浮いている」んだよね。
メゾン青樹のコンセプトは「街づくり」で、都電テーブルはメゾン青樹オーナー肝いり案件。
★突き詰めれば、フェイスブック的文化が似合うのは渋谷区とか目黒区であり、豊島区には似合わないということ。
豊島区でも、ラーメン店は単価1000円でも客はワンサカ来る。だから、「値段の問題ではない」
これ、サンシャインに新コンセプト店「リンガール」を出店して、見事にズッコケタ、リンガーハットと同じ失敗だよね
★「私たち、フェイスブックしてま~す」な店って、(遠くに住んでる)フェイスブックの友人100人を来店させる動機にはなるが、
フェイスブックをしない周辺地域住民10000人にとっては、「なんか、お高くとまっていて、入りづらい」と思われてしまうだけ。
日本におけるフェイスブックの普及状況って、丁度「イシキタカイ系」と「イシキタカくない系」の境目あたりだからなあ。
フェイスブックが「イシキの高さのアイコン」の役割を果してる現状では、フェイスブック普及率の低いエリアで、「フェイスブックしてま~す」な店を開店しても、地元民の反感買う
フェイスブック系のお店を、フェイスブック文化が根付いてないエリアで開店しても、最初のうちは「御祝儀」で遠くのフェイスブック友人が来店してくれるから、
「ああ、順調な滑り出しだ」と錯覚する。
でも、遠くのフェイスブック友人は、次第に来店しなくなり、閑古鳥が鳴くようになる
★だから、飲食店を「継続」させるには、フェイスブックに頼らずに、地道に地元に根付いた、泥臭い営業をするのが、急がば回れで近道だと思う。
「都電テーブル」は、そのような地元どさ回り営業を、キチンとやったのか?
★これって、単に飲食店だけの話じゃない。
いわゆる「街おこし、地域おこし」も、電通崩れなエセコンサルタントの作文に乗っかって、フェイスブックで完結するようなエセプランに終わってるようでは、早晩行き詰まる
★辛口なエントリ書いているのは、逆に言えば、メゾン青樹の青木氏や都電テーブルに「期待」してるからなんです。
期待してるからこそ、安易にフェイスブックワールドの殻に閉じ籠るのではなく、ガテンな人も含めた地元民を「巻き込んで」欲しい。
もともと都電テーブルは、子連れママの行き場所確保を目的としている、と聞いている。
その志は良いのだから、「子連れママと、ガテンなオジサンとの交流」という高い目標にチャレンジして欲しい。
今のままだと、自分みたいなオジサンは、気後れして、入店したくても入店できない
「これを機に、イシキタカイ系の人達が、目黒区辺りから豊島区、あわよくば自分のマンションに引っ越して来てくれたらもうけもの」ということなんだろうな
★この辺のフェイスブックなお店って、マスター側もお客側も、トシでも40歳台、まあ普通は30歳台が殆ど。
「俺が浮かべばあいつが沈む論」
おそらくよ、1日のブクマの総量にはある程度の数があって、
やっぱり、記事によってブクマの付く付かないの偏りがあるのよね。
私の書いた増田がホットエントリー炸裂なときはここは閑古鳥が鳴いてるわ。
はたまた、こっちがやいやい賑やかになってきたときは、
書いた増田はちっとも当たりゃしない感じ。
だけど、こう偏りを感じてしまうので、
増田の中にはやっぱり相当、人が少ないのかしら?とか思うのよね。
書いてる人も多くなってるのかな?って印象もあるけど、
もうもはや、それ人1人増えても同然よね。
この鋭い洞察力、我ながらしびれる!
名探偵ね!
じっと見てるだけじゃダメね!
あぶないあぶない!
ずっと、じっと、見ちゃうところだった!
ひーとみーーそらさーなーいでーー!
パワーの源だしね!
ミックスナッツウォーター!
この時期はナッツの力も借りたいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
【日本の議論】悪い図書館「究極の寄贈図書館は東京拘置所」…市民にとって“気持ちいい図書館”が本当に良いのか(1/4ページ) - 産経ニュース
最初は、
という主張はどうかな、と思ったが、あながち間違いでもなさそうだ。
b:id:wackunnpapa ところで佐藤義亮は新潮社を立ち上げた後,角館町の公共図書館に自社の出版物をせっせと寄贈していたはずですが,自社の歴史に泥を塗るつもりかい,石井さんとやらは。
b:id:tamasuji 世の中には買いたい本と借りて済ませばいい本があり、買いたいと思える本は少ない。
スーパーの試食コーナーでタダで食べられるから、売り物もタダだろみたいな理論に賛同が集まる。かと思えば、買いたいと思うほどじゃないから違法ダウンロードしてもいいだろ、みたいな意見もある。なるほど、程度が低い。
としか(少なくとも記事中では)要望していない。それが図書館にとって受け入れ難いものだろうか。あるいは文化的な何かが衰退することに繋がるだろうか。
出版社とは元来(当然ではあるが)利益を追求する。そう言った意味で、図書館や古本屋を目の敵にしてもある程度は理解できる(しかし賛同はしない)。コメントでも
b:id:bogus-simotukare 新潮社のアホは本が売れないのを図書館のせいにすんじゃねえっての。そのうち「ブックオフの営業を規制して欲しい」と言いそうな勢いだな。
b:id:kako817v002 「子供たちを読書に誘う為の手段」とは考えないんですか、そうですか。
b:id:meshupecialshi1 自分達だけが儲かろうとするあまり、頭の悪い偏見を肩書きで権威付けて押し通そうとする(よくある)例。しかしこういうのが本当に大手を振ってまかりとおるようになってきましたね。
と、先入観というか決め付けを書き込んでいる人がいたが、今回の主張はそこまで過激ではない。図書館の目的に照らしても、速報性のない資料をすぐに貸し出せるようにする必要はないし、スタートダッシュを決めたいという戦略ならば、理解可能な折衷案である。図書館あるいは一利用者側としても、一過性のものに費用を充てるより、落ち着いて良書を買ってもらった方がよい。そういう意味で、出版社側の思惑とは関係なく、この提案が実現することを望んでいる。
無論、大抵の人たちが噛みついたのは「図書館のせいで我々の売り上げが落ちた」とする出版社側のイイワケだ。
b:id:saki_n 図書館のせいで「本はタダで読むもの」の認識が広がったと言いつつ、8割の人は来てないとか言ってみたり。結局図書館のせいではないと分かってるじゃないか。
b:id:The-Globe 返本率が4割近い、って需要予測がガバガバ過ぎるわ、ドイツの10%とは言わんから20%まで下げろ。日本の本需要は高い方だし物流は早いし図書館が極端に多いわけでもない、外部に問題を探す前に企業努力をしろ。
b:id:mugi-yama 複本の件はよくわからないんだけど「初版部数の9割が売れれば採算が取れるような価格設定」これがそもそもオカシイような気が…
結局、自分の不振の理由を分かりやすそうな所に求めているあたりは他と大差がない。外野から見れば、お前らが目を逸らしている問題を解決する方が先だろ、と思ったりするわけだ。しかしだからと言ってそういう輩に攻撃的になるのもナンセンスだ。その内絶滅するので「仇敵である図書館を打倒だ」とか叫ばない限り「おじいさん、ご飯は昨日食べたでしょ」といなすのが吉である。
老害はさておき、図書館とはどうあるべきか、というのは重要な問題である。
b:id:ssids かと言って「先生が読ませたい本」ばっかり揃って閑古鳥が泣くタイプの学校図書館みたいなことになっても無駄なわけで。
b:id:nowa_s 時間はあっても金はない人(子供や老人、主婦)が主な利用者だよね。被告人も確かにそうだ。図書館がなく新刊も買えないなら、本が読めなくなるだけ/古い本(古典や絶版本)も新しい本(流行本)もあるのが図書館のいいとこ
b:id:teebeetee 利用の指標として貸出冊数を使うのはしょうがないとして、複本は所蔵数で割るようには出来ないのかな。/ところで「図書館も人気ある本の需要に答えて当たり前」みたいなのって意見としては読んだことないんだよな。
b:id:yuki_chika 佐藤優氏が図書館の味方のような書かれ方だが、以前から図書館が商業出版を圧迫してると批判していた/書物が「商品」なのか地域・個人にとっての受け継がれるべきナレッジベースなのかは明確な解がない難しい問題
連休なので、過去のツイート編集を投稿して、3以上のブクマが付くかチャレンジ。
(今日は既に3つ投稿して、2勝1敗。『CMに見る日本人の女児嗜好の強さ』はメガヒットだな。)
今回は、一応自信作なんだが。
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お客さんとの契約書類とか、社内の決裁・伺、はては「個人交通費の建替払」のような書類ですら、記載漏れや添付書類不足を起こすような人。
いわゆる経理部とか総務部とかの人間からしたら、「なんでこんなカンタンな書類一枚も、作れないのか?」な低レベルだったりする。
でも、そういう人が「営業スキル」はピカイチで、契約を取ってきたりするから不思議だ。
『書類作成能力がある人』と『ない人』では、たぶん人間の種類が違っているんだろう。
★役所というのは『書類作成スキルがマトモな人』ばかりが集まっている場所。
役所の人間は、世の中に『書類作成能力が欠如している市民が、少なからず存在している』という事実を、全く想像すらしていない。
役所担当者は、『99%の市民は、書類作成スキルを持っているだろう』な前提で、各種行政を組み立てる。
マトモに対行政の書類を作れない市民が割といるということを、行政は意識せずに、行政サービスの手続きに書類作成を組み込んでしまう
★皮肉なことに「行政による弱者向けサービス」ほど、不正受給対策のために書類が煩瑣になる。
で、弱者向けサービスを必要としている層ほど、書類作成スキルが低い。
★世の中には「行政書士」という職業があるが、行政書士も相手にしないレベルのカンタンな書類、例えば「児童手当の申請手続き書類」なんかですら、
マトモに書けない市民なんてのもいたりする。
★「なにが言いたいか?」と言えば、
1.行政は市民とくに弱者市民の『書類作成スキルの低さ』を正しく計測把握すべきである
2.行政は可能な限りにおいて、要求書類数を減らすように行政サービス手続きを設計すべきである
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「行政書士はなんでも対処するが、むしろ行政書士の存在そのものが弱者に認知されてない。」とのRTを受けた。
★だから、弱者福祉って、「役所に来てください」「書類書いてください」な待ちの姿勢の行政じゃなく、
「何かありませんか?」とこちらから出向いていく「攻めの福祉行政」に転換すべきなんだろうな
★例えば「民生委員」とか「ケアマネージャー」とか、弱者のための各種スタッフ制度は、
「必要としている弱者」が「どれだけ彼らの存在を認知している」のか、疑問。
冗談抜きで、世帯年収200万円未満の人に「民生委員って、知ってますか?」と聞き取りアンケートすべき
★実際、ウチの妻なんか、
「民生委員って、そんな職業(?)があるんだ、知らなかった」と言ってるもんな。
一般人でも、実は民生委員制度の存在知らない人が3~4割いそうな気がする。
義務教育の過程で、『生活保護の仕組み』『民生委員の役割』『行政書士について』など、
『弱者に転落した際の、生存ライフハック教育』をすべきじゃないかと思う。
★生活保護なんかだと、一説には「行政は極力、制度を使わせないようにブロックしている」と揶揄されているが、
「行政が用意した弱者向け制度が、アピール不足等で全く弱者に周知されてなく」て、
「行政が利用率向上に躍起」という弱者向け制度は、実は結構多い。
行政が用意した弱者向け制度の利用率が低迷していると、ぶっちゃけ、「次年度以降、予算打ち切り」になっちゃうから、
役所側もメンツにかけて利用率向上のために啓発にいそしむんだよな。
なんか倒錯した話。
★で、有識者会議なんかが
「なぜ、●●という弱者救済制度の利用率は低いのか?」と雁首揃えて議論するんだが、
「手続きがややこしくて、申請を挫折する」みたいなプリミティブなハードルが高いということに、有識者は気づいてない
いちいち教育するより「共産党に聞きなさい」「公明党に聞きなさい」と教えた方が一発だったりする
共産党や公明党の地方議員は、その意味では下手な行政書士よりは機能している訳だ。
民主党がダメダメなのはこの辺だろうな。弱者が困った際の相談窓口の機能を、まるで果たしていない。
★変な話だが、共産党と公明党(の地方議員)同士で、『弱者救済競争』になって切磋琢磨してるんだな。
もし公明党が出現せず、弱者救済が『共産党の独占状態』だったら、共産党も胡坐をかいてしまって、弱者救済がおざなりになってただろうな。
『競争が好結果を生みだした』訳で、そう考えると、『創共協定』で両者を和解させようとした松本清張は、
『競争原理を、わかっていなかった』ということになるのか。
生活保護制度以外の支援政策って、自分も含めたほとんどの人は認知していないんじゃないかな?
人によっては、生活保護よりも最適な支援政策がある筈だったりするが、それが弱者にアプローチしていない。
「生活保護の一強状態」は、いろんな意味で日本の福祉行政を不幸にしている。
生活保護制度は、あまりにも有名になりすぎたが故に、給付を意図的に抑制するなどのイレギュラーな運用を強いられる。
「知名度がないから利用率が低い」
⇒「利用率が低いのは問題だとして打ち切られ、新しい制度が出来る」
⇒「新しい制度だから、なお一層知名度が低くなってしまい利用率が低下・・・」のデフレスパイラルに陥っている気がする。
本気で「弱者への福祉制度の効果的周知メソッド」を研究すべきなんじゃないか?
★この辺の構図は、「(本来は知の弱者のための施設である)図書館の活用法を、肝心の知の弱者が知らない」な話に似ている。
自分は「景品で弱者を釣る禁じ手を使ってでも、知の弱者の図書館利用率を上げろ」と考えてるが、「知名度低い弱者支援政策」も、景品で釣るべし