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はてなキーワード: 長男とは

2024-09-27

なろうが話題なので、戦国時代面白いなろう・カクヨム教えてくれ

斎藤義龍に生まれ変わったので、織田信長に国譲りして長生きするのを目指します!

戦国時代宇宙要塞でやって来ました。

・淡海乃海 水面が揺れる時

織田家長男に生まれました(漫画のみ)

辺りを読んで面白かったので、面白戦国時代ものなろう教えて欲しい。

スコップしてみようかと思ったけど、ジャンル検索したら2,400とか出てきて死んだんだよね。

読んでるのを見たら分かるように、チート転生俺TUEEEEでも猫耳奴隷ハーレムでもなんでもいいぜ。

2024-09-25

義母疲れた、義父は頑張って生きている

30代前半の結婚して1年半になる。

疲れたから垂れ流す。キモい文章になる気がする。

義父が癌で2年前に余命宣告されている。

その時は次のオリンピック(パリ五輪)の開会式絶対に見る事ができませんと医者は言ったらしい。

どうしても手術で取り除けないタチが悪い場所に癌ができてしまい、投薬での完治も見込めないフェーズでの発見だった。

義母は大層悲しんだ。当然だと思う。

残された時間を少しでも一緒に過ごせるように、時間があれば義実家へ足を運んだ。

夫と私は義実家まで行くのに車で片道3時間超の場所に住んでいる。

大きな病院義実家我が家中間地点にあるので、通院のついでに足を伸ばして我が家に来ることも多かった。

日帰りは体力的に厳しいので、毎回ゲストルーム(比較的新しめのマンション住まいなのでゲストルームがある)を手配していた。

ゲストルームがとれない時は義両親に私たち夫婦のベッドを明け渡したことも数度あった。

だいたい月に2,3回はどちらかの家で顔を合わせていた。

義母は事あるごとに言うのだ。

『もう最期かもしれないから会いに来て』

嘘ではない。余命宣告をされているのだから

結果的に義父はオリンピックパラリンピック閉会式まできっちり見た。なんなら甲子園も全部見てようだ。

1日でも長く少しでも苦痛なく生きていれるならそれはとても素晴らしいことだと思う。そう思う気持ちは嘘じゃない。

長年連れ去った最愛の人が少しずつ弱っていく姿を間近で見ることはきっと凄く辛い。

夫との電話で取り乱している義母の声が漏れ聞こえると会いに行かないといけない気持ちになる。

今日義母から休みに連絡がきた。

『もう最期かもしれないから会いに来て』と。

午後から無理を言って休みを捻じ込み夫と合流し義実家へ顔を出した。

今日病院へ行く日(義父の希望入院ではなく定期的な通院と在宅医療のお世話になっている)だったらしいのだが、生きていることが不思議なくらい数値が悪くなっており数日中かもしれないと、今度こそ最期になるかもしれないと言われたようだ。

この連絡がくる数日前には義母から夫へLINEが送られてきていた。ここ数日は1日の大半は寝ていて床擦れもできてしまったとのことだった。

会いに行かない理由なんてなかった。

義父はしんどそうだけど意識ははっきりしていた。

病院帰りに外食もできたらしい。

義実家に到着した時義父は身体を横たえて寝ていたが、その少し前までは普通にテレビを観ていたらしいし、起きてからは一緒にお菓子を食べて団欒もした。

安心したような拍子抜けしたような。

もう何度も拍子抜けしてはいる。

夕方にお暇して21時過ぎに家に着いた。

当然ながら明日仕事だ。

私はこの2年必要最低限しか自分実家に帰っていない。

小学校の頃からの友人の結婚式も欠席することになった。

地元の友人にも当然ながら会えていない。

義父がいつ急変するか分からないので。

両親は、大変な時だし嫁いだ身なのだから義母や夫のサポートに専念しなさいと言う。

正しい意見だと思う。大変なのは事実だ。

ただ、この2年で数えるのも億劫になるくらいには最期かもしれないと言われた。

オリンピックが過ぎてからは頭の片隅でどうせ大丈夫だろうと考えてしま自分がいる。

でも、万が一、本当に最期なのだとしたら、夫は会うべきだと思う。

その時は夫に寄り添ってあげたいとも思う。

そう思うと毎回の呼び出しに応じるしかない。

このような状態結婚からずっと続いている。

このような状態なので結婚式は挙げなかった。

元気なうちに家族での写真は欲しいと義母が言うので家族写真が多めのフォトウェディングは撮った。

結婚式を挙げるかどうかも、帰省するかどうかも、休みの日に遊びに行くかどうかも全部、義母は私の好きにしたら良いと言う。きっと本心からそう言ってくれているのだと思う。

でも私は良い子でいることを選んでしまう。

私の我儘のせいで夫が最期に立ち会えなかったら?後味の悪い最期になってしまったら?到底責任は取れない。

加えて、向こうの親族自分を優先した本家長男の嫁と白い目で見られることがすごく怖い。

結局自分自身が保身に走っていると自覚しているから誰にも何も言えない。

うじうじして一人で勝手に疲れてしまって馬鹿みたいだなと思う。自業自得

さっさと全て終われば良いとすら思ってしまう瞬間がある自分が嫌になる。最低だと思う。

解決策が何もないのだ。上手くやれない自分が悪い。

なんかもう疲れたな。こんなツラツラ文章打ち込んでさ、被害者ぶってるのかな。良くないよな。義父も義母もしんどくて大変で夫も精神がすり減ってるのに私がこんなんじゃダメだよなあ。

そういえば新婚旅行も行かないままなあなあになってるなとふと思い出した。自己中だよな。

2024-09-24

anond:20240924102313

一番やばいのは母親じゃね?

長男甘やかしてこどおじ製造実家同士のパワーゲームで不満たらたら、次男愚痴ゴミ箱として鬼電対象

あと甥は特に被害者ではないし、子育てした事のない増田上から目線で兄夫婦を貶す権利もない

能登大雨で行方不明になった中学生女子の家庭

輪島中3年の喜三翼音(きそはのん)さん(14)の捜索は23日も続いた。両親や祖父母らも活動に加わり、翼音さんと親しい同級生らが祈るように見守った。

 早朝から警察消防自衛隊重機などを使って倒木や土砂をどかす作業を続けた。父の鷹也さん(42)や母の紗菜さん(25)、祖父母らもスコップを手に、写真文房具などの持ち物が見つかった場所を重点的に捜した。

https://www.chunichi.co.jp/article/962177

喜三翼音(きそはのん)さん(14)

母の紗菜さん(25)

喜三翼音(きそはのん)さん(14)

母の紗菜さん(25)

11歳で出産・・・

どういうことなんだ!?

俺は胸が高鳴るのを感じた。

長男の翔杏(しあん)さん(13)がサッカー練習試合で外出し、鷹也さんは午前7時半に勤務先の製材所へ。妻の紗菜(さな)さん(25)と次女の桜音(みおん)ちゃん(1)は保育所行事に出掛け、塚田川沿いの家に残ったのは2階の自室で寝ていた翼音さんだけだった。

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1526574

更に13歳の息子!?

11歳で子供を産んだとして、うっかりできてしまい愛し合っているので周囲も認めるということはあっても

流石に立て続けに二人目を産むことがあるというのか?

 鷹也さんが2年前に再婚し、ともに暮らす妻の紗菜さん(25)も直後に外出先から電話し、「なるべく高いところに逃げて」と伝えた。翼音さんは「うん、分かった」と応じたが、午前10時には連絡が途絶えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/06fe3a735819ad46629b2b3a5151483fffbc51ee?page=1

なんだ、再婚

そうだよな11歳は産める子も多いだろうけど流石にないよな

ハーッ安心したのかガッカリしたのかわからない

2024-09-23

3大「◯◯◯ー」

●◯◯ー「一番上は 長男」 \チョウナン/

◯◯●ー「一番下は 三男」 \サンナン/

◯●◯ー「間に挟まれ 次男」 \ジナン/

●●●ー「 「 「だんご三兄弟」 」 」



あと一つは?

2024-09-22

鉄オタっていうのは胎内回帰欲求から、深入りすると精神年齢幼児に近づいていくんだよね

何故、一部の異常者はあんなにも鉄道に惹かれてしまうのか、それは幼少期の彼らが鉄道を揺り籠として認識し、帰巣本能とも言えるもの鉄道に対して持ってしまたかである

そもそも揺り籠に揺られている赤子はなぜ眠ってしまうのだろうか?

それは揺り籠の振動母親の胎内で羊水に包まれていた頃の日常に近いかである

では何故羊水の中の赤子は眠るのかと言えば、羊水の中で暴れまわった赤子は逆子になりやすいため、羊水の中でゆっくり眠る遺伝子の持ち主が生存競争を生き延びてきたからだ。

鉄道に異常な関心を持たない普通人間であっても、電車の中で強い眠気を感じることがあるが、これは我々が元来そういった類の揺れに対して眠気を感じるような遺伝子の持ち主だからなのだ

まり電車の中で眠ってしまうというのは、ある種の胎内回帰に等しい状態と言えるわけである

では、そこから鉄道に対する狂人的な執着に辿り着く鉄道オタクと、そうでない一般人の違いはどこから来るのか?

これはひとえにに幼児期において親からしっかりと愛情を与えられて育ったかどうかで決まるのだ。

十分な愛情を親から与えられていれば、自分が帰巣本能を感じるべき先は本物の両親や自分の家であることを理解するが、もしも親から愛情が不足していれば、足りない愛情を埋められる相手を常に探し求め、揺り籠のような振動を与えてれくれる鉄道を第二の親と捉えてしまうのである

一部の子供が電車の中で異常にテンション上り暴れ出すのは、電車という第二の親を相手にして甘えようとしているかなのだ

だが鉄道は人の親ではない。

から何も返してはくれない。

それでも、穏やかな揺らぎは与えてくれる。

求めているものの全てが与えられない乾きと、求めているものの一部は与えられる癒やし、それらが緻密に絡み合っていくうちに鉄道への執着はより深まっていく。

鉄道は人の親ではないので一切の巣立ちの機会さえ与えてくれない。

から鉄道に対して血縁認識に近いものを持ってしまった人間鉄道に関わっている間はその精神年齢幼児のままで固定されてしまうのだ。

鉄道に関わっている間、自分がまだ幼い子供であるかのように振る舞うことが、正しい自分のあり方だと本能的に誤解してしまうのである

これはまさに本能によるものなので、本人からしても疑問に持ちにくい。

それこそ「これはそういうものだし、誰にとってもそうなのではないか?」というレベルで、鉄道を前にして幼くなることが異常であることを感じ取れないのである

鉄道趣味とは喜劇であり悲劇だ。

ただ偶然鉄道の揺らぎが胎児を包む羊水の揺らぎに似ていたという偶然が、たまたまそれに出会った時期に両親から愛情に飢えていた幼児に、本能バグとも言える刷り込みを起こした結果として産まれ呪いなのだ

鉄道オタク可哀想な奴らだ。

優しくしてやってほしい。

彼らは永遠幼児なのである

精神人生のごく一部において、永久に成長することが出来ない呪いを埋め込まれ本能被害者なのだ

そんな彼らも寄り集まって共に暮らす中で、機能不全家庭で暮らす長男長女の如くして「大人として振る舞おうとする努力」を始めることもあるが、それでもなおその心には愛情不足に嘆く幼児を抱え続けているのである

2024-09-20

相手の姓を選択したい」と言ったら、母から絶縁された

結婚するにあたって「相手の姓を選択したい」と言ったら、母から絶縁された。

相手の姓にしたいと思った理由は単純だ。まず、相手の姓のほうが珍しいから。そして、相手が「できれば姓を変えたくない」と言ったからだ。

私の苗字は全国でも有数のメジャーネームであり、日本に数百万人くらいる。対して相手の姓は全国に1万人くらいだ。

相手は「苗字とセットで自分名前愛着があるから、できれば今のままがいいな」と言った。

「うむ、私は特に自分の姓にこだわりはないし、レアなほうが良かろう。好きな人希望で、好きな人の姓になるのも大歓迎だ」

ということで、二人の間で合意した。

母への最初の連絡は、LINEだった。「相手の姓にしたいと思っているが、私が姓を変えることに何か差しさわりがあるか」と聞いた。すると、「苗字には何のこだわりもないけど、長男相手の姓にするのは相当抵抗がある」、「男が相手の姓にするのは絶縁覚悟の時では」と返ってきた。

私は姓の選択など「法的にどちらにするかを話し合って決めるだけ」くらいの話にしか思っていなかったので、大変驚いた。

「え、男が苗字を変えるのってそんな意味があるのか」と母に問うたところ、「周りにも聞いてみな」と返ってきた。ここから日本における氏姓制度のこれまでを辿る座学が始まった。

しかし「どちらを選択するかによって一方に社会的不利益が発生する」という話はいっこう見当たらない。調べれば調べるほど「制度上はどちらかの姓を選択すればよい」という結論に至るばかりである

にもかかわらず、日本では現状95%が夫の姓を選択しているという。「どちらかを選べばよい」とされているのに、この異様とも言える偏りはどこからくるのか、まったく謎である

さらに調べると、「結婚したら夫の姓にするもの」という考え方は、どうやら戦前の「家制度」のなごりであるらしいことが見えてきた。

制度では「結婚すると妻は夫の『家』に入り、夫の『家の呼称である氏を名乗る」ことが義務付けられていた。しかし、この家制度自体男女平等原則に反するということで、戦後日本国憲法公布とともに撤廃されている。その上で、制度上は「どちらかの姓を選べばよい」という今の形になったのだ。しかし、なんかよくわからないけど「結婚したら夫の姓にするもの」という考え方だけが令和に至るまで残っちゃっているわけだ。

まり、母が「相手の姓にすることに抵抗感がある」とする根拠精神的なものであることがわかった。「なぁんだ、じゃあやっぱどっちでもいいんじゃん」と安心した。

後日、母と焼き肉に行ったタイミングで「あの話はどうなったのか」と聞かれたので「いろいろ調べた結果、特になんら問題はなさそうだから相手の姓にすることにした」と改めて伝えた。すると、「ならば絶縁する」「もうアンタはウチの子じゃない」「向こうは家に挨拶に来なくてもいいし、私も両家の顔合わせにもいかない」などと言われた。大変面食らった。

こうなると、私も私で、根拠のない拒絶にいささか腹が立つ。たか苗字を変えるくらいで崩れるような親子関係なんてやめてしまえ。帰宅後、怒りのままに父に電話し、事のいきさつを話した。

父は「姓は二人で話し合って決めればいい」と言った。父は法律関係仕事をしていることもあってか、姓の選択の自由には理解を示してくれた。同時に「しかし、母が姓にそこまでこだわっているとは思わなんだ」と驚いてもいた。

それもそのはず、これまで三十年以上家族をやってきて、母の口から「お前は長男なんだから今の姓を継ぐんだよ」といった話は一度も出たことがない。

さて、とはいえ「じゃあ母のことはほっといて結婚手続きを進めましょ」という訳にもいかない。

今度は相手実家に行き、先方の両親に「母が姓の選択に大反対している」ということを正直に伝えた。すると先方の両親から

「姓の選択は二人の話だから二人で話し合って決めればよいと思う。しかし、制度上は問題なくとも、今のままだと自分の娘が一方的に悪い立場にあるし、私たちとて家族ぐるみの付き合いの最初から断絶状態スタートするのは遺憾である。ご両親とちゃんと話し合って、双方納得した上でないと、次のステップに進むことを認めるわけにはいかない」

と言われた。ご至極ごもっともだと思った。

私はぶっちゃけ価値観の違いから来る意見の食い違いなんて埋めようと思って埋まるものでもないから、母のことなど放っておけばよい」と考えていたが、先方の両親が心配しているとなると話は別だ。

とはいえ、母も私も良い大人である。こう言っちゃなんだが、この話が出る前までは、私と母の関係はいたって良好だった。焼き肉屋では売り言葉に買い言葉で「絶縁だ」「ウチの子じゃない」などと話したのであって、直接会って落ち着いて話せばきっと分かってくれるだろう。なんだかんだ家族なのだから

そう思って、母に連絡を取って直接話すことにした。しかし、LINEではなく手紙で「直接会って改めて話がしたい」と送るも、父づてに「会う気はないって」と断られる。聞けば、母は焼き肉屋以来私のLINEブロックしているらしい。仕方がないので、父を通じて母にこちらの意向と「とにかく一度話したい」ということを伝えてもらうも、これまた断られる。

「かくなる上は私が実家に直接乗り込む他あるまいな」と思ったタイミングで、なんと母からLINEが来た。

「姓の選択は好きにすればいい。ただ、焼肉屋で絶縁されたことが分かってないみたいだからもう一度言うけど、一度降ろしたシャッターは二度と開けないし、もう実家の敷居も跨がせない」

と来た。ほぼ原文ママである。どうやら、母は本気で絶縁した気でいたようなのださら

相手には、今どき夫婦別姓とかペンネームとか旧姓を使い続ける選択肢がいろいろある中、個人的理由相手家族関係をぶっこわしてまで姓を貫き通したという自覚を持ってほしい」

とあった。こちらもほぼ原文ママである

いや、家族関係を進んでぶっ壊したのは我々のほうだし、「旧姓を使い続ける選択肢がいろいろある中~」以降の内容はそっくりそのまま私にも当てはまる話であって、それが特大のブーメランになっていることにも気づいていないのだろうか。

とにもかくにも、母から直接連絡が来たことで、向こうの意向は分かった。

からは「母の意向は分かったけど、なんで私が姓を変えることがそこまで嫌なのか、理由全然からない。これが最後になっても良いので、理由だけでも教えてほしい」と返した。

同時に、この返信も母は読まない可能性があるので、父には「私から送ったメッセージを母に伝えてほしい」と別途伝えた。しかし、今度は父からも「もうこれ以上は関与しない」と連絡が来た。ここにきて父からハシゴを外されるとは思ってなかったのでまた面食らったが、「そこをなんとか伝えてくれ」と食い下がったところ、父は母に「息子が理由を知りたいと言っている」ということは伝えてくれたらしい。

最後メッセージを送ってから1か月後、母から返信はない。

この一連の出来事を、先方の両親にも正直に話した。

最初はなんとか話し合いで解決を、と言ったが、ご両親の反応を見る限り難しそうなので、もう二人で先に進むしかないのでは」

とのことだった。

これを以て、私は自分から両親に働きかけるのを止めることにした。そのまま今年の12月まで待って、特に向こうからなんのリアクションもなければ、そのまま結婚に進む心づもりだ。

「結局どっちの姓にしたいか」という今の気持ちをここに書くつもりはない。

「結局どっちの姓にしたか」ということを後日どこかで発表するつもりもない。

ただ

結婚するにあたって「相手の姓を選択したい」と言ったら、母から絶縁された。

この一文が「昔はそんなおかしなことがあったんだね。今からは考えられないな」と笑い話になるような未来が来ると良いなと思う。

anond:20240919222002

どう考えても3級相当なのに、担当医がわざと重めに書いたり、気に入らないから軽めに書いたりができたりすること

挙句の果てに医者ガチャというのがあり、若いまじめな医者だと社労士の書いた書類をガン無視するのに、そうでない医者だと社労士の書いた書類積極的に受け入れるみたいな事態が発生している。

例えば以下みたいな感じで、

精神科医おもち

@UsaAoyama

障害年金の闇というか、社労士からの脅しがすごい嫌だ。

うつ病統合失調症の方で障害年金が通れば年間80万円もらえるんですよね。

もちろん本当に困っている方もいるのでこの制度自体に反対ではないんですが、結構この年金申請しても通らないことが多いんですよね。結構厳しい。

何度も入院していたり働けない中でも日常生活も困難な場合だったりじゃないと普通申請しても却下される。

自分患者さんから要望があれば申請必要診断書自体は書いてあげるんですが、事実に基づいてそれなりに厳しく書きます

そうすると例えばうつ病ちょっと休んでる場合などはまず通らない。

統合失調症で全く働けなく何度も入退院を繰り返している人は通るなど)

ただ、それで厳しく書いていると軽度な人はことごどく落ちるので、下記のような成功報酬目当ての社労士が時々やってきて、「おい!これじゃあ通らないから厳しくかけよ」と脅してくるんですよね。

忙しい外来の合間で時間をどんどん取られると「あーわかったわかった」って書いちゃう医師も多いんですよね。

また、それで得た年金が全て患者さんにいくならいいのですが、成功報酬として社労士にいっちゃうのはイラっとします。

この貧困ビジネス的なもの患者さんから搾取する社労士さんとか本当やめてほしい。。

https://x.com/UsaAoyama/status/1757014149723508869

バク@ 精神科医

@DrYumekuiBaku

入浴は週1回、カビ臭い自室…ひきこもり30歳長男 「障害年金」停止に 社労士が考える“決定的要因”

社労士さんを入れる方が良いのはこの生活状況の聞き取りが甘い医者いるからです

診断書コピーは撮っておきましょう

それベースで書かないと停止になりやすいです

https://x.com/DrYumekuiBaku/status/1787677461393883472

セミプロニート@統合失調症

@hikineetboy

今までいろんな精神科に通院したけど、患者目線から見て有能な精神科医は1分診療で薬だけ出して障害年金自立支援診断書を通るように嫌がらず書いてくれる医者

逆に長く話を聞いてくれる精神科医患者に寄り添ってるつもりに見えるがそういう医者に限って障害年金診断書を書くのを渋るんだよな

午後5:14 · 2024年8月26日

https://x.com/hikineetboy/status/1827983042293751860

生活状況の聞き取りが甘いケースは成年後見や猟銃の免許申請する際の診断書でも起こっていたりする。

なので、医者が「精神的には問題ありませんよ」と書いたにもかかわらず、立てこもり事件を起こすような人間が時々出てきたりする。

2024-09-17

地方住み。休日家族公園へ。

小2の長男が外で遊びたいというので、公園キャッチボールをすることにした。昼間は暑いから、少し涼しくなってから

妻と長女(小5)に話したら、一緒に行きたいと言う。3歳の次男強制的に連れ出す。

初めは近所の公園にしようかと思ったが、皆で行くということなので、車で10分ほどの少し広い公園へ。

妻のグローブがないので、すこし遠回りして、スポーツ用品店に立ち寄る。

見た目と色で選んだローリングスファーストミットを買う。やわらか加工。即使用可能な逸品。

夕方4時を過ぎた公園には、遊具子供たちが10人ほど。芝生の広場はそこそこの広さがあるが、一角サッカーをする10人くらいの子連れグループがいるだけだった。

柔らかいボールキャッチボールをしたり、三角ベース風の遊びをしたり。

5人で、バッターと、ピッチャーキャッチャー一塁とその他の守り。交代で打てば意外と楽しめる。

3歳の次男は打った後、一塁ではなくママの方に全力で走ってしまう。

ママの足に抱きついて「セーフ!」だって。そのあと、両手を膝にあてて、ランナーポーズ。兄の動きをよく見てマネしてる。

ボールが多少どこかへ行っても、迷惑をかける相手もいない。

都会で住んでいた頃は公園も人でいっぱいだった。これが地方のいいところ。

芝生は転んでも痛くないし、楽しいね。

1時間半ほど遊んで、だんだんと暗くなってきたので、ファミレスに行こうと声をかけて終了。

充実した半日だった。

2024-09-10

弱者男性だけど男に生まれて得したことなんてほぼない

何が下駄だよ

どちらかと言えばみんなスニーカー履いて競争してるのに下駄はかせれてる気分だよ!

今の若い世代で男に生まれて得したと思うやつなんているの?

ありとあらゆる場面で女の方が得だろ

女は進路に口を出されずに、将来収入が見込めないようなことも男に寄生できるから問題なく可能

更に理系に行こうと思えば女子枠で優遇

就職すればちょっと男みたいに働けば女子枠で出世

そんなに働きたくなければ産休育休ループ、なんならその後退社して専業主婦という選択もある

それに比べて男は全く選択肢がない

ちゃんとした仕事につかないと結婚すらできない

ほとんど必死で働いて妻子を養うか、適当に働いて孤独死するかしかない

ほんと地獄だよな日本男性

俺が男性に生まれて唯一得したと思ったのは祖父遺産を直系の長男から10相続したときくらいだな

しかしこれも次男なら男でももっと低額だったわけだし男ならではでもなんでもないな

anond:20240909124134

長男は、妻にどんなに怒られても、打たれても、引き下がらない。

ハンターハンターゴンに似てる。

一対一の試合で、絶対勝てない相手(ハンゾー)が、これからお前の脚を切る。嫌なら降参しろと言うシーンでゴン

「脚を切られちゃうのは嫌だ!でも降参するのは嫌だ!」と立場無視して堂々と言うのだけど、長男の態度は常にそれ。

どんなに怒鳴られても、打たれても一歩も引かない。

そして要求が通ればケロリとする。

ゴンの対戦のあと、ハンゾーはこういう

「どんな奴でも痛めつけられた相手を見る目には負の光が宿るもんだ 。

目に映る憎しみや恨みの光ってのは訓練してもなかなかかくせるもんじゃねー 。

しかゴンの目にはそれがなかった 信じられるか?腕を折られた直後なのによ。

あいつの目はもうそのことを忘れちまってるんだぜ」

長男もそれ。

次男は逆。

次男しょっちゅう怒り、モノを蹴ったり投げたり怒鳴ったりする。

一旦怒り始めると、問題解決しても怒り続ける。

「酒が不味くなった」と暴れるキャバクラの面倒くさい客みたいだ。

一つでも気に食わないところがあると、謝っても解決してもキレ続ける。なにがしたいのかとか、どうしたいのかすっかり忘れてしまってる。

妻は次男のほうが楽だと言う。

2024-09-09

anond:20240909144716

あるんだなこれが。

1歳のとき全然わかんなかった。

初めての子供だし。

そうこうしてるうちに2人目ができた。

長男なんかは、3歳までは、親戚や友人に見せても、むしろ賢いし、物おじしない子としてびっくりされてたよ。

自閉と中度知的の2人を育てて、心が折れそう

以下、読む価値のない駄文

何処にも愚痴らないか匿名で書き込む便所の落書き

長男は6歳、自閉で中度知的障害

次男は4歳、やはり自閉で中度知的障害

2人ともオムツが取れない。

長男はできるのにしない。

少し前は、オムツを履いてない時はしぶしぶトイレに行くので、フルチンで過ごさせてたが、オムツを探して自分で履いてからおしっこをするということを覚えてから、またトイレに行かなくなった。長男は綿の下着はガンとして拒否

オムツ拒否するボケ老人のように、パンツなんか履けるか!という雰囲気

次男ちょっと前まで、トイレオムツ以外でしちゃいけないということをわかってなかった。

長男オムツを探して履いてから用を足すのをみて、フローリングおしっこしちゃいけないことをようやく学んだ。ところが、今度は用を足したオムツを脱ぐことを覚えて大変。オシッコならとにかく、うんこの後の汚れた尻で布団にダイブホントに嫌になる。おしっこやうんちは汚いという認識ゼロ

長男は2歳前からフローリングで漏らしちゃったときや、うんちがオムツから落ちた時にはパニックだったのに、次男ときたら平気で触る。

でも次男のほうが希望が持てるところもある。長男はガンとして自分からは脱がないし、綿の下着拒否するが、次男は「すごーい!おにいさんパンツかっこいい!」と煽てるとニコニコ

そろそろオムツが取れないと本当に困る。長男なんて4月から小学校だ。たぶん支援学校なんだろうけど、それでもトイレと着替えくらい自分でしてくれないと困る。

少し、長男次男説明をする。

診断名は同じでも、性格や行動は全然違う。

長男は賢いが空気は読めないし読まない。知的障害なのに賢いというのも変な話だが、認知能力とかは普通の子よりも進んでるくらい。

数字が書かれた箱に、その数だけ玉を入れるとかは出来るのに、「おもちゃを3個ちょうだい?」と指示しても理解できない」言語とか、相手の表情を読んだりとか、そういうのが壊滅的。

言葉掛けなどから学ばないし、煽てても無駄しかられてもあまり響かない。説明書の図の通りにおもちゃを組み立てるのは出来るのに、順番を待つとか、じっとしてるとか、その簡単社会行動もできない。発語レベルは2歳児。YouTubeゲームから覚えてる部分が多いせいで、半分くらい英語言語理解は3歳くらい。字はかなり読めているみたいだ。画面の字を読みながら勝手テレビゲームを進める。社会ゼロのくせに、人懐っこい。自分の「喜の感情」を共有したがる。相手の都合などは完全無視性格は温厚で、次男に叩かれたり蹴られたら、妻がつい手を出してしまっても、反撃したりしない。おもちゃは奪い返すが、おもちゃを引っ張るだけで、相手を叩いたり蹴ったりはしないし、奪取したあとに追撃したりもしない。目的さえ達せればどうでもよく、怒りとか嫉妬という感情と無縁。自分自分他人他人を徹底してる。

次男長男よりかなり空気が読めるが、賢さがまったく見えてこない。怒られるとすぐ泣く。何を叱られてるかはわからないのに、叱られてることは敏感に察する。これは長男と全く違う。イライラすると、嫌なことがあると、すぐヒトやモノにあたる。長男に比べると感情で生きてる。これでも初診で自閉と即答されるくらい典型らしいが、長男のような異星人感は薄い。年長さんの真似をしてリュックを背負ったりパンツを履いてみたり、長男が遊んでる玩具には、難しすぎて遊べなくても触りたがるし、背伸び嫉妬劣等感といった複雑な感情が見える。次男言語レベルは全くわからない。音声は叫ぶ以外に使われず、言葉には遠い。「お風呂」とか「ほいくえん」とか「でかけるよ」とかは理解してるけど、理屈先行の長男と違って、相手の表情や雰囲気理解してる風でもある。字を読めないのに絵本が好き。

2人の紹介はそんなとこ。

性格真反対だし、協調性がないから、2人を連れて出掛けるには大人が2人いる。

スーパーに買い物とかも1人じゃ無理。

なんかもう、書いてていろいろな感情が湧き上がる。金銭面は補助があるからなんとかなるんじゃないかと楽観してる。そうしないと発狂するので。

市の発達支援センターでの療育が週1、小児神経科の診察が2ヶ月に一度、作業療法が隔週、これを2人分、別々の日。長男は今月から言語トレーニングも月1、ガリガリ平日が削られる。

今は2人とも同じ保育園から送迎は楽だが、来年長男小学校

妻が長男小学校自分次男保育園に送ることになる。朝から着替えをフルアシストなのが辛いから、着替えはマスターしてほしい。

風俗だって高級店はフルアシストみたいだし、やっぱりしてもらうほうが楽チンなんかな。オムツも。保育園じゃ自分で靴履いてるし、出かけたい時は嬉々として自分から履いたりするから、着替えだった靴だってやる気になればできるくせに、しない。

送りは分担でどうにかできるとして、迎えが問題小学校毎日3時に迎えに行くのは無理だ。

預かって貰おうとしたら発達障害知的障害だと学童保育ではなく放課後デイサービスというやつになる。事業所ごと、預かる児童の程度が違うみたいで、どこも個別相談して大丈夫か聞くしかない。定型だって学童保育が見つからなくて大変とかいうのに、これだもん。

放課後デイで預かってもらっても、2人別々に病院、やっぱ今より楽にならない。キツくなる。

妻に専業主婦になってもらうと、次男保育園に預けられなくなる。これはこれでつむ。次男を平日預かって貰えるところがないと、長男の通院に差し障る。今無料の保育料が一時保育は有料なのになるので避けたい。

とりあえず、小1の壁をどう乗り越えるかだ。

来年長男が小1、次男保育園の年中、自分仕事をやめずに頑張る。妻はとりあえず次男が退園にならない程度に働いてるアリバイを作っててもらう。再来年長男が小2、次男が年長、いよいよ俺も辞めないとダメかもと思う。そのとき、だいぶ手がかからなくなってたらいいんだが、次男の成長が読めない。長男が同じ月齢だったときと比べても、言葉も行動も成長が遅いから期待できない。

妻も自分保育園小学校にすぐ駆けつけられる場所バイトを探して、週3働くみたいな生活ベストに思える。

バイトになるとして、1100円/時の6時間を週3で4.5週で8万。

月収8万が2人で16万、特児が2人で7万、児童手当が2人で2万、しめて25万。税はほぼゼロとして、健康保険年金と払って手取り22万、手取り年収で260万、いけるか?いけないよな。住宅ローン光熱費通信費12万くらいは飛ぶしな。4人暮らしだと手取り30万、手取り年収360万はないと無理そうな気がする。ググったら4人家族生活費は平均30万なんだってな。やっぱりそんなもんかって思ったら住居費が18411円ってなんだよ!やっぱ毎月40万要るじゃないか

https://www.navinavi-hoken.com/articles/family-of-four-living-expenses#d1b52593f84537bb

つうと、やっぱり年間に手取り480万相当を捻出しないとキツいってことかよ。控えめに月35万で回しても、420万。うへえ。夫婦で16万しか月収がないと、特定児童扶養手当と児童手当があっても年間で160万足りない。

なんとか捻出できても、貧しい生活になるなあ。

毎年160万取り崩すとすると、下の子が18歳になるまで取り崩し続けたら2000万くらいなくなるわけだ。いつまで持つか。

ベーシックインカムの構想が1人毎月7万円だったっけ?その代わりあらゆる手当が無くなるとか。

それにしたって4人で28万、これを毎月か。これなら、夫婦で月収15万でも障害児2人余裕なんだけどな。ダメだ、考えると発狂するってのに考えてしまった。障害児だからといって金がかかるわけではないが、働けない。子育て以外なんもできない。

障害児産んだら、住み込みの家政婦を恒久無料とかしてくれませんかね?

中学受験が大変とか言ってる連中が憎い。好きで苦しんでるだけだろと。

2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

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2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911(その3)へ続く

2024-09-03

なんで男は女に八つ当たりしちゃいけないの?

長男教ならぬ長女教系の毒親の元に生まれ普段言動から食事学費の有無に至るまで

ありとあらゆる所で差をつけられ差別されて育った。

恩恵享受している事を自覚する長女(上姉)や尻馬に乗って良い思いする次女(下姉)にも散々いびられ虐げられた。

また思春期通りすがりの見ず知らずの女に「キモっ」と何度か吐き捨てられ、それがトラウマになり生じた醜形恐怖症は今でも完治はしていない。


こうして女に攻撃され加害され傷つけられてきた人生だったので、女全体に薄っすら嫌悪感や不信感はあるし

特にフェミニズム」を齧った女や「フェミニスト」を名乗る女には相当強い嫌悪感と警戒心を抱いてしまう。

何故なら彼女ら(と彼女らに集る珍ファンネル共)には、俺を加害してきた女達と似たような言動、目つきをしているからだ。


とは言っても表向きはまともな社会人なので、表立って差別言動はしない。

ただ、今や人事権を持つ身として、大学女性学(フェミニズム)やジェンダーを学んできました!と自慢気に語る志望者や

履歴書の精査で女性学またはそれに準ずるものを学んでいた事が分かると能力不足」「適正不足」を理由不採用とするだけ。

自分がやっている明確な差別は、これぐらいだろう。


こういう事を書くと鬼の首を取ったように言われる事がある。

「ねぇ、なんで関係ない女性八つ当たりするの?あなたを傷つけたのは家族や『キモイ』といったごく一部の女性であって私達ではない。

関係ない私達に八つ当たりしないでよぉぉぉ!!!!!」と。

ふーん、じゃあ先にお前ら女が関係ない男に八つ当たりするのを止めろよ。


男やオタクに対し加害性が強い女の言い訳って大体こうじゃん。

男の中でも相当下等なレベルの全く共感出来ないゴミ野郎に傷つけられた!だから私は男に対し警戒している!攻撃している!

私達は男から酷い目にあったのだから男を攻撃する権利がある!ってさ。

そんな女に同情・同意して「そうね、男を攻撃するのは仕方ないよね」ってなる女も多いじゃん。

でもそれって完全に八つ当たりですよね?

お前らの方から先に関係ない、大多数のまともな男攻撃して加害して八つ当たりして傷つけてる訳じゃん。

まず先に傷つけた張本人をやれよ。それをやって始めて「関係ない女に八つ当たりするなー!」って主張出来るんだよ。


いや、分かるよ?男から見ても一ミリ同意出来ない屑野郎程、女性差別がどうこうとか言ってもノーダメージなんだよ。

彼らは完全に女性を見下してるからね。女から何を言われても効かないんだよ。

まともな男性程、いくらあらぬ疑いや猜疑心攻撃されても、「もしかしたら自分に落ち度があるんじゃないだろうか?」

「これは男性という性の原罪なのだろうか?」って思って、病むんだよ。攻撃が効いちゃうんだよ。

それを分かっててやってるんでしょ?

まともな男性に八つ当たりする程、相手が傷つくから楽しいだって

完全に異常差別主義者の発想ですわ。

女性がどうこう言ってるフェミをキメた大多数はこれだろ。関係無い男に差別八つ当たりして、しかもそれを開き直っている始末。

だったら女に加害されて傷ついてきた俺が、関係無い女に八つ当たりするのも自由だろ?


で、反論出来ない女達が次に言う言葉も分かってるよ。

「そんな異常な考えだからモテないんでしょ!キモい!」ってさ。

悪いけど結婚して家族もいるんだわ。まともな女性は俺にとっては尊敬する対象であって差別すべきゴミじゃ無いからね。

まりお前らはまともじゃないんだけど、俺への侮辱以上に、俺を選んでくれた人達への侮辱だろ。

そういう事すら想像も出来ずに男に対して加害行為を繰り返し差別するお前らだから、どう考えてもまともじゃない異常差別者って思われるんだろうが。

anond:20240903090105

ソースは何? 長男家督制度で縛られて、その他は良い仕事がなきゃ家出られない感じだったじゃん

結局さす九って何が問題なの?

現状、九州地方女性差別的な風習への正当な批判しかなくね?

これが例えば九州出身であることを理由不利益を受ける個人が出てくる(例えば就職時に不利になるなど)なら別だけどそう言う状況ではないよね?

恋人として選ばれづらい、くらいはあるかも知れないが恋愛市場そもそも差別がある程度容認されてるし、職業とか長男かどうかとかで相手を選ぶのが容認されてる以上問題とは言えないよね。

2024-08-30

四人子育てして

長男は育てながらわかってきた

次男完全に理解した

三男はちょっとわかるようになった

四男は全然からない

2024-08-28

こっちのけんとはすごい。私はすごくない

Xでこっちのけんとに関するポストを見かけた。

先日放送されたらしいバラエティ番組にて、ブレイクするまでの苦悩について語ったそうだ。

兄の存在やそれによる影響、そして兄への感謝言葉を、誰かが文字起こしして拡散されていた。該当ポストにもかかれていたが、努力の人なんだろうと思った。

こっちのけんとについてはTikTokで知り、菅田将暉の弟であることもTikTokで知った。兄のサインの近くにサインを書くという内容だった。喜んでいたような気がするが、その時はあまり興味が出ずにすぐにスワイプした。

菅田将暉仮面ライダーWフィリップをしていた時から好きだった。まず顔が好きだ。フィリップキャラクターも好きだった。たしか当時最年少のライダー俳優だったと思う。すごいなと思っていた。

その後しばらくテレビではあまり見なかったと思う。ランナウェイというドラマ坊主にしていた頃は、まだ今ほど知名度もなかったはずだ。当時中学生の私は、私と母だけが知ってるかっこいい俳優、みたいなイメージを持っていた。その少し後くらいから、有名になっていったと思う。あくま若い頃の私のイメージだが。

今ではもう、知らない人を探す方が難しい俳優だ。

そして、こっちのけんとの「トントントンツーツーツートントントン」のフレーズを聞いたことがない人も、探すのはなかなか骨が折れるのではないだろうか。

兄弟揃ってすごい。血かな。いや、努力だろうな。

ここで、一瞬でも血かなと思ってしまうあたりが、自分の嫌なところで、わざわざこんな増田をこさえることになった理由だと思う。

菅田将暉が3人兄弟長男であるように、私も3人兄弟の長子である構成は私・妹・弟のため、一致しているわけではないが、とにかく下の面倒を見る役割だった。ここから先は、支離滅裂な自語りになる。

地方都市のそこそこの家庭で生まれ不自由なく生活をしてきた。

3人兄弟のなかで私が最も出来が良く、優秀な姉だった。運動神経も悪くないし、勉強もやればだいたいできた。多数の他の人ができることで、自分にできないことはないと自負しており、ほとんどのことをそつなくこなした。級長なども務めていた。

妹も弟も、喧嘩こそしたが昔から今に至るまでずっと姉である私を慕ってくれていて、度々憧れていると伝えてくる。

妹も弟も、決して不出来ではない。とくに妹なんかは、怠け者の私と比べてずっと努力家だが、当時の私はそれを凌駕する程度には優秀な姉だった。「あまり頑張らずとも出来る」姿をしつこいくらい見せていたからこそ、妹は私に憧れたのかもしれない。帰省した際には、友達に紹介したいとまで言われた。それくらい慕われている。今もなおである

18の時、大学に行くのであれば国公立にと親が言うから国公立大学入学して念願の一人暮らしになった。その数年後、妹は地元私立大学入学し、さらに数年後、弟は専門学校入学した。私だけが言われた通りの大学に入ったねと、親戚に言われていた。あまり帰ってこないけど、優秀な我が家の長女として、自慢の娘であり姉だ。でもここまでだった。

大学4年の時、コロナ1年目と重なり就職活動に失敗した。なんとかギリギリ内定を経て、ブラック企業に滑り込んだが、就職が決まらない私に母は何度も心配の連絡をよこし、地元に帰って来てもいいと言ってくれていた。正直なところ本当に働きたくなかったから、とても嬉しい提案ではあったが、プライドが許せなかった。泣きながらなんとかするから大丈夫だと意地を張った。理想の長女でいたかった。

本当は、きちんと就職活動をしていればこんなことにはならなかったはずなのに、自分が怠けたのをコロナ禍だから仕方ないと片付けた。親戚はみんな優秀なのに可哀想だと言っていた。その頃には、大好きな実家が居心地の悪い場所になっていた。家族のことは本当に好きだけど、その場にいる私は偽物だ。神経を擦り減らしながら姉をやっている。

結局、ブラック企業は数年で退社した。とんでもない企業だった。その反動で、約半年ほど次の職を探すことができなかった。お金もないのに毎日寝て過ごし、バイトすらしなかった。親に頼れず、家賃を6ヶ月滞納した。それも黙っていた。

妹は、地元小学生の時からなりたかった職についた。弟もずっと憧れていた職に就き、家を出た。考えてみれば、私にはなにもやりたいことがないから、なにかに対して努力なんてしたことがなかった。努力し続けた妹と弟はそれが身を結んだだけだ。そんな2人に憧れられるような側面が、私のどこにも見つからない。

のちに再就職をした私が、1番給料が低い。それなのに関東にこだわって1番家賃が高い。だって、「うちの姉は東京で働いていて、遊びに行ったら案内してくれる」と、弟はそう友達に自慢していると言っていたから。馬鹿みたいだ。

こっちのけんとのポストをみて、兄弟へのコンプレックスを克服した事実に素直に感動して、少し泣きそうになった。本当にすごい人だと思った。

わたしの妹もこんな気持ちだったのかな。それはもちろん、菅田将暉ほどのすごいことをしたわけではないが、妹にとってわたしが目の上のたんこぶであった瞬間はあると思う。わたしは姉だからからない。なんでもできたし、比べられる相手わたしよりいくつか若い妹だったから。何かにおいて負けるなんてことは今まで一度もなかった。

でも今はもうよっぽど、わたしの方がなにも持っていない。やりたい仕事を楽しくしている妹に対して、憧れよりも嫉妬が先に来るし、その嫉妬は、いいよね実家は、といった汚い感情で塗れている。

とはいえ本当に仲は良く、高い頻度で遊びに来る妹は変わらず慕ってくれている。物理距離が大きくなった弟も、月に数回の頻度で一緒にゲームをする。繰り返しになるが、仲は本当に良い。

そんな弟が、数日前に最近絵を描き始めたと言って好きな漫画の模写の写真を送ってきた。私も昔から絵をよく描いていたからか、アドバイスしてほしいとのことだった。確かにまだ特別上手いわけではないけれど、社会人になってからさらに新しいことを初め、向上心に満ちている弟に素直に感心した。やりたいことが多すぎて、1番お手本が近くにいるやつからはじめたと言っていた。

もうやめてくれと思った。

それはわたし領域だ。

こっちのけんともいっていた。ふざけるなよ。

己の器の小ささに狂いそうだ。

どんなに成長して、社会に出て新しい価値観を経ても、妹と弟にとって私は一生姉だ。覆せない。お前たちの姉は、私の器にはもう収まりきらないよ。

こっちのけんとが羨ましくなった。

兄を宝と言っていた。自分の力で兄の隣にサインを書いていたTikTokを再度見て、改めてすごいと思った。

すごい人だ。

私の妹も弟も、すごい子たちだ。

わたしけがすごくない。

あとから突然現れたコンプレックスの消し方がわからない。努力の仕方もわからない。努力ができないから、努力の人を認められずに才能だとか血だとか言ってしまう。血であれば、私がこんなふうになっているわけないことを、妹と弟が証明してしまった。いつのまにかこんな人間になってしまった。みじめで恥ずかしくてたまらない。

該当のポストも、こっちのけんともなにも悪くなくて、ただあれだけのポスト1つでここまで感情を波立たせてしまたことも恥ずかしい。どうすればいいんだろう。

誰かを救いたいとかそんなおおそれたことを思ってるわけじゃなくて、ただ妹と弟の姉でいたいだけなのに。

2024-08-27

産後の恨みは一生、らしい

長女が先日20歳になった。

成人は定義上は18歳だが、やはり20歳になるといよいよ成人という感じがする。

特に大学生になってから、娘が家にいない時間も増え、バイトなんかをして自分のことを自分でやりくりし始めるようになったからか、いよいよ子供というよりも1人の大人として見られるようになった気がする。

そんなことを感じていたこともあって、先ほど妻と2人になったタイミングでふと「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」としみじみと呟いた。

てっきり妻も同意してくれるものだと思って発したのだが返事はなく、妻の方を振り向くと微妙な面持ちをしていた。

妻はあまり自己主張をしないタイプで、だけれども器用に誤魔化すタイプでもない。何か思うところがあるのは明白だった。

妻を問いただしたところ、「正直、あなた(夫婦間では下の名前で呼び合っている)と育てたという感覚はないし、自分が育てたような気持ちになられるのも不愉快だ」という旨のことを言われた。

そんなこと思ってもいなかったし、正直かなりショックだった。

長女を身籠ったタイミングで妻は退職し、それから専業主婦として家のことを任せていた。

長女を含め、3人いる子供のことも主には妻に任せていたのは事実だ。

だけれども、専業主婦+3人の子供を抱えても不自由がないくらいには稼いできたつもりだし、子供のことを考えて会社までかなり遠いこの場所にも引っ越してきた。毎日通勤は、それまで都心暮らしていた時と比にならないほどの負担だったが、それでも妻と子供のためならと我慢してきた。

もちろん毎週とは言わないが、それでも余裕があるとき子供を連れて遊びに行っていたし、妻に負担がかかりすぎないように、ある程度は家事も手伝っていたと思う。

体力的にはしんどい日々が続いてきたように思えるが、それこそが父になるということなんだと思っていた。

妻にはその分家のことは任せていたし、その中で妻なりの苦労もあったんだと思う。そんな中でも、妻が体調を崩した日は早退して代わりに家事をこなしたこともあるし、たまに旅行に連れて行ったりと家族サービス(というのも死語かもしれないが)も積極的にしていたと思う。

それにもかかわらず、一緒に育てたと言われたくないと、明確に父親という役割果たしてたことを否定されたのは本当に苦しかった。この年でショックで泣きそうになるとは思わなかった。

なぜそのようなことを思ったのかと聞くと、妊娠中に体調が優れなかったのに俺が妻をそっちのけで飲み会に行った話や、夜鳴きがひどかったのに俺が寝ていたこと、3人の子供がそれぞれ別のことで泣き喚いていた時にテレビを見ていたことなんかをつらつらと述べ始めた(文字にすると端的だが、もっと長々と具体的に話された。その割に、振り返ってみると上記の3~4行でまとまるような内容しかなかったな。完全に余談だが)。

かに上記個別の事例に関しては俺が悪いとは思う。

だけれども、そんな20年近く前の、いくつかの失敗をもって「一緒に育てたという感覚はない」なんて言えるのかが本当に理解できなかった。

そんなことを言ってしまえば、俺の仕事が本当に回っていなかったタイミングだったのに、妻のプライベートの予定のせいで子供の面倒を押し付けられて結局徹夜する羽目になったこともあったし、妻が長男(当時小学校低学年だったと思う)の遊ぶ行き先を覚えていなかったせいで、夜になっても帰ってこない息子を探すのに手当たり次第に同じクラスのご家庭に電話をかけたりするような大トラブルもあった(後日ご迷惑をおかけした家に謝罪して回った)。

お互いに至らぬところはあっただろうが、それ以上にお互いがお互いのために頑張って、互いに両親としての役割を全うしてきたと思っていたし、だからこそ振り返ってみたときに、2人で子育てちゃんとやってきたなと言う感覚が俺の中にはあった。

それが妻の中にはなかったらしいというのが本当にショックで仕方がない。

妻があげたエピソード自体も本当に些細な20年近く前の出来事が2〜3個なのに、それでも俺を父親だと思えないってのが、「産後の恨みは一生」ってことなのかもしれないなと思った。

そのいくつかの事例を除いたほとんどの時間は協力してやってきたと思っていたし、総量では圧倒的に貢献してきたプラスの方が大きいと思っていた(し、冷静になって考えてもここは揺らがないと思う)。にも関わらず、この20年近くを否定されるようなことを言われるんだとしたら、本当にやるせないよなと思う。

明日仕事だというのに、このことがショックで全く眠りにつけそうもない。

2024-08-25

anond:20240825030009

弱者男性だが、よく批判されがちな長男父親現代に求められてる役割を担ってるとも言える

違うのはお前と違って不公平感なんて抱く事も許されないしお前に責任をといた親というのはよく理解してる

ただ、実際に不公平だし納得行かないだろうし、理不尽だし、その旦那自分の事しか考えてないのか?って思うし

俺の職場のクソ氷河期先輩みたいで苛つくから気持ちは分かる

女さんには大変珍しい境遇なので尚更理不尽だろうということは察してる

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