はてなキーワード: 言葉にできないとは
僕には夢があった。
現在、結婚して、子供が2人いる。だから、もうあきらめているのだが、受付嬢に僕はなりたかった。
正確に言えば、女になりたいとか、受付嬢の制服が着てみたいとかそんなんじゃなくて、受付嬢のような仕事がしてみたかった。
受付嬢になりたい夢はずっと秘密にしていた。バカにされるからだ。
友人や同僚との飲み会でちらっと話たら、男女問わず「男がやるなんてキモイだろ~~」みたいな反応をされるのである。
僕は受付嬢に憧れるのって、すごく短くいえば、姿勢がよくて、言葉遣いがよくて、身だしなみができて、とにかくきちんときれいにしている。
そういうところが憧れなのでそういう意味では受付嬢になってみたかったのである。
そういう受付嬢になる夢は、今はもうあきらめたのだが、受付嬢から学ぶべきことがたくさんあった。
憧れが、今の僕につながっているのである。
だからもういいのだが、でもどうして男が受付嬢をしちゃダメなんだろうか、とかずっと思っていた。
差別だとか憤ってた時期があったのだが、もうどうでもいいのだ。いつだって、この件の味方は少なかった。というかいなかった。
ふと夜中に目が覚めて、久しぶりにそういえば僕にも夢があったななんて突然ふとおもったので書いてみた。もう寝る。
追記:
コメントを見た。似たような職業を提案してくれるのはありがたいのだが、でもれは違う。「受付嬢」になりたいのだ。
他のどの職業を勧められても「それは違う」と言う。「何が違うか?」など聞かれるかもだが、言葉にできない。でも、違うのだ。
あと、性転換をすればいいって言うコメントもあったけど、やっぱり男のままじゃなれないのかね。
が、アウトプットが「女に肩をぶつける」になるところがどうしても理解できない。
アメリカだと、こういうのが銃乱射みたいなことになるのかな?(映画『エレファント』)
それが日本だから矮小化されているだけ?にしては卑屈すぎるような。
社会に理解されない自分、の鬱憤ばらしなんだとして、スカッとするもんなんかね。
銃乱射だと、開き直ってもう後に引けないところまでイっちゃってるからわかりやすいんだけど、肩ぶつけるだけとか、余計自己嫌悪にならないか。
もしもう1度がんばって説明してもらえるなら教えてほしい、「何度も言葉にできない気持ちから女にぶつかりたいと思った事のある俺」さん。
なんか、うまく言えないんだけど例のニュースでぶつかる理由を痴漢目的とか怨恨とか、すごく話題になってて、
話題になるくらいに理解できない人がたくさんいることにビックリした。
「あっち側」と「こっち側」というか、ぶつかる理由を理解できない人がたくさんいる事がそもそもの原因なんだけど、
けど、理解できない人には一生理解できない問題だし、完全にぶつかる男が悪いんだけど、
善悪とか、論理性とか、そういうの抜きで、「なんでぶつかる理由をお前が言える?」って思うかもしれないけど、俺の想像だけど、なんの根拠もないけど
「ぶつかる理由」って、もう踏み込むと文学的というか人間性の違いというか、まあでも「理解できる奴」と「理解できない奴」がこんなにいるんだな。
痴漢のステレオタイプなイメージって、ハゲデブのおっさんとか、アキバ事件の加藤とかそういうイメージあるじゃん。
でもこいつ、意外と小奇麗というか普通っぽい。後姿だけだけど、見るからにはイカれてない。
ハゲデブのおっさんがぶつかるのは痴漢か、単なるキチガイが理由。
けど、そのどれとも少し違う。
でもこういう事に及ぶ理由って、
増田にいるような奴はたぶんわかんないし、2chに書き込むやつにも、ニコニコにいる奴にも、ツイッターで事件にあーだこーだ言う奴にもたぶんわかんないんだろうな。
コイツが完全に悪いけど、ニュースになるくらい理解されないのがきっと理由なんだよ。
イケてる奴にも、イケてないオタクにも、なりきれなかった奴ならぶつかる理由がわかるかもしれない。
イケてる奴みたいに、女に相手にされた事がなくて、女が憎くて、けど、イケてないオタクみたいに「俺非リア充w」だし、だなんて開きなおれる程じゃなくて
モテる奴なら「モテない男か痴漢目的だろうな」とか「やばwキショw」って思う
いや、違う。
よくあるオタクみたいにコイツは「童貞だからw」って開きなおれなくて
女に対して恨みきる事も、諦めて開きなおりきる事もできなくてぶつかるんだよ
どうしたらいいかわかんなくて、ぶつかるんだよ。
な?コレ意味わかんないだろう?
なんていうかな、
コンプレックスってのはさ、夢中が忘れさせてくれるんだよ。
モテなくても、アニメだろーと、何か打ち込むことがあれば、そもそもモテないなんて結構どうでもいいんだよ
ツイッターとか、はてぶでニュースにコメント残す奴いるじゃん。
そいつらって、コンプレックスがあっても外に意識を向ける事ができるから、重症にならないんだよ。
だって、日大の問題について考えてる時とか、政治の問題を考えてるときとか、アニメに夢中になってるときって自分がモテないとか気にならないじゃん
こうやってぶつかる奴はね、ひたすら思考がいつも内に向いていて、モテない事に開きなおりきる事も、あきらめて無関心でいる事もできなくて
そこに居場所があって、オタクにはオタクの仲間が、イケてる奴にはイケてる奴の仲間がいる。
けど、どこにも分類されない奴は、自分の仲間がいない。
インスタをバカにする奴がいる。tik takをバカにする奴がいる。
けどさ、そういう流行りものをバカにするのって聞きあきるじゃん。
本当はインスタをくだらないと思いつつも、自分の見栄えを最大化するためとか、やらないよりはやってる方が
バカにしてる奴らよりはスタバでフラペチーノみたいなのをあえてやる方が面白いからインスタをやるかーって思った末にインスタをやる奴がいるとする。
結果は「インスタをやってる」になる。
単純に友達がやってるから、とか、スタバのフラペチーノがおいしかったから乗せよう、だけででインスタをやってる奴がいるとする
結果は「インスタをやってる」になる。
ぶっちゃけ、流行りもののニュースに政治家や評論家が口を出すのはダサい。大事なんだけど、なんかダサいじゃん。
そいつなりに思うことがあって、いいたい事もあるけど、そういう事を言うのはなんかダサいから黙ってる奴がいるとする。
結果は「ニュースに関心がないように見える」になる。
単純に政治やニュースに興味がまったくないから、口だししない人がいる。
結果は「ニュースに関心がないように見える」になる。
アウトプットが同じに見えて、思考プロセスによってそいつの人間性はまったく違う。
けど、思考プロセスが単純に女に怨恨があるんじゃなくて、どうしたらいいかわからないからぶつかってる。
合ってるかなんてわかんないよ?俺の想像だよ?
けどね、なんの根拠もないけど、確実にそうなんだよ。
誰にもわかってもらえないからぶつかるんだよ。
がんばって言語化しようとしてみたけど、やっぱりできなかった。
ごめん。
理解できないだろうしもういいや。
忘れてくれ。
最後に
某twitterより
#わざとぶつかる人、新宿駅~新宿三丁目駅付近にもよく出没する。文句を言ったらお腹を殴られたので、駅の事務室に引っ張っていった。わたしがエスカレータを一段空けず、男性の真後ろに乗ったことにムカついてタックルしたらしい。沸点低すぎでは…。警察の話では普通の会社員とのことだった。
俺が言うように本当の狂気ってのは、名前がつかないし、人に説明しても理解できないんだ。
以上、彼みたいに実行には移さなかったけど、何度も言葉にできない気持ちから女にぶつかりたいと思った事のある俺からでした。
追記
ぜんぜん関係ないんだけど、なんかバズったし俺がみんなに読んでほしい小説宣伝させて
ぶつかりたい奴って、こういうメンタリティに近いのかなーみたいな
http://bunshun.jp/articles/-/3526
当たり前なんですが俺は作者さんとかじゃないし何の関係もないです
俺みたいなソシャゲに課金しまくってる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
Twitter連携を切った場合はアカウント復元できない とか ご理解ください とか
ま、それが普通ですわな
it’a true wolrd.楽しそう これ、誉め言葉ね。
好きな音楽 緋墨戦で流れたりするやつ
なんつって冒頭からネタで申し訳ない。書き込みが本当に初めてなのに長文になるんでフランクに入りたかった。気を抜くと一層つまんなく、怨み節が詰まった文章になりそうなので。
タイトルの通り、天華百剣 -斬-(以下天華百剣)ってゲームのアカウントを失った件で、お話します。これから連携なんかを行ったり、他機種に移行しようという時、俺の屍をご覧ください。
投稿から半日後:本当に言いたいことが伝わりづらくなっている&散らかり過ぎなので情報をまとめた。この行以降書き直し。
ソシャゲ。原作は KADOKAWA 系列(電撃G'sマガジン)、運営は DeNA GAMES。ジャンルはアクションゲームで、刀の擬人化もの。
・運営窓口は忙しいかも知れず、見当違いの返答をされることもありえるので粘り強くお願いしたほうが良い
・そもそも、トラブルが起こらないようにアカウントはしっかり守ろう
・「こんな国、守る価値なんかない! 俺はもう銘治の人のために戦いたくない! 戦うなら勝手にやってくれ! 俺は隊長を降りる!」
・アカウントが凍結すると上のセリフみたいに気が狂うほど辛いということ
・運営への怨み(初版時あたりまで発狂してたものの、今は頭が冷えて、無茶言ってすまんと思ってる)
・ゲームがつまんないってこと(俺にはジャストフィットだった、いまでもすき)
アカウントの問題でトラブルがあった場合、連携の有無だけでサポート不可と判断されるケース多数。
他のゲームなどでは購入履歴が、本人確認、アカウント確認双方で非常に強力なソースなため復帰可能の是非に影響できるようだが、天華百剣ではその限りではない。課金の証拠は重要ではあるが、復帰のための切り札にはならない(筆者は今までで約80万の廃課金だったが……)。
連携数については多いほど良い。先日、Twitter の方で障害があり、後述する俺のトラブルと同じような状況になったユーザーがいた様子。
SNS 連携さえあり、変なことをしていなければサポートは正式な手順で対応をしてくれるだろうし、連携する気がなくても、例えば容量不足とかでうっかりゲームをアンインストールしても復帰できる。
上記の事から、SNS 連携は巫剣の命のように大切にするべき。
俺のようにアホなことしてないで、大切にしてください。本当に。
連携整頓でうっかり消したり、SNS アカウントそのものを消したりしないように。
少なくとも俺はとても気に入った良いゲームです。キャラゲーとしてはなかなか愛せる類かと。というか、良くなかったら課金しないし、今回の件でショックを受けない。
特に音楽が一推し。去年のコミケで販売されたらしいが、再販などはあるのだろうかと期待していた。
操作だとかバランスだとかには賛否あるが、開発側もテコ入れをしようと頑張っている様子で好感が持てる。
俺自身のしでかしたことがその中に何個か書いてありますが、それはそもそもアカウントを大切にしていれば回避できたこと。正直新しいものは得られません。
アカウントがずぼらだった人間がどうなるのが気になるようならお読みください。
⑤ 一度問い合わせるが、その時点で打つ手が無いと言われる
⑦ 旧端末でなら治せるかも、ということなので状況の詳細を伝える
⑧ ⑥が致命傷として確定
⑨ 禍憑と化す患者
天華百剣のアカウント管理は Twitter あるいは LINE を使った SNS 認証を使用している。これを使用することで他機種間への移行をセキュアに行うことができる様子。
ただ、これを行わなくともプレイ自体は問題なく可能。のんきな俺は SNS提携 を一年以上行わず楽しんでいた。
そんなある日、急に端末を変える必要が出たため、ちょっと急ぎ気味に各データを新端末に移行することに。
iPhone には iTunes などのバックアップツールがあり、これを使うとスムーズにデータを移植できる。一つずつ情報を入れ直すよりこれを使ったほうがどう考えても楽だった。
しかし、天華百剣ではアカウント管理の都合で、これによる移行は保証していない。しかし便利さには代えられなかったため、一回移植後、アプリのアンインストールで問題を解消させることに。
旧端末で Twitter を使用した連携を行って、さあ、新端末を起動だ。
この時点で、しでかしと、しでかし候補を一つずつ作った。
・新端末のアプリを消し忘れて起動
新端末で「Twitter 連携が完了していない」というエラー表示で進めない。
嫌な予感がして旧端末を開くと「セッションのチェックサムが不正」とタイトルで表示され、こちらも進めなくなった。※
この時点で嫌な汗が出る。Twitter には連携しているという情報があるので、こちらは一旦保留としつつ、新端末の方を何度も叩く。三回ほどタイトルをロードし直すと、ようやくタイトル下のボタンが選べるようになった。今回はここから『お問い合わせ』を選択。旧端末と新端末で出ている症状、iTunes を使ってしまったということなどを可能な限り詳しく書いて送信。
次の日の昼、返答が届く。読んだのは夜。
「iTunes のようなツールを使った場合、サポートはしかねる」というだけの返答で、この時点で事実上の死亡宣告だった。
手が震えた。
※実は5/12時点でセッションのチェックサムが不正と出るトラブルが通常で出る場合があったらしいが、こちらの症状はこちらの手順が原因の障害だったととりあえず思っている
震える手で、まだ手があるんじゃないか、どうすれば回復できるのかともがく。新端末にゲームを入れ直しても駄目だった。
少し落ち着いてから、「メールの返答は残念だった、旧端末すら動かず突然の別れになって納得もできず辛いが、本当に打つ手がないのなら仕方がない。今までありがとうございました」という意図のメールを送る。
返答は期待せず、いち早く心の整理ができるように過ごす。
しかし諦め切れない。色々とさらにいじったとき、そういえば Twitter 連携を切れば認証が昔の形式に戻るのでは、と考えた。この時点まで錯乱は続いていたと思う。次の日の仕事では大丈夫だったろうか。
返信を行ったさらに次の日の昼、その返答が届いたようだった。できればすぐに読みたかったが、やはり夜に読むことに。
旧端末が動かないということを二度目の連絡で拾ってくれたようだった。返答はまたしてもコピペ感が強く、そのコピペもミスがあったが、こちらの願いが伝わったのだと大いに喜んだ。
だが、そこには
それを見て、また手が震えた。
やってしまったことは仕方ないと思い、できうる限り、確認に必要な各種情報を可能な限り集めて送る。
まさか認証の有無でしか復帰する方法がないわけがないだろう。開発側なのだし、そういうケースバイケースだって蓄積しているはず。情報として虎の子の課金履歴なら馬鹿みたいにある。多分明日以降、土曜日か日曜日に返答があるだろう。焦らずに待とう。
そのようにそわそわと待っている間、もしかしたら直してくれるのか、直すだろう、課金情報は復帰の情報として強力だと聞いたし、旧端末のデータだって消してない。いや、これだけ情報を送ったのだから必ず直してくれるはずだ、明日には直る、と都合のいい妄想が膨らんでいった。
土曜日の夕方、「認証を削除した場合、復元は不可能」という返答が届いた。読み返しても、今までの文章より明らかに短い。
地獄に糸が垂れたと思ったが、登っていたら切れた。蜘蛛の糸の悪党なら、堕ちた後は反省しただろうか。俺はしないと思う。彼なら自分のことを棚に上げて周囲と糸とを怨みに恨んだだろう。俺はまさにそのような感じだったと思う。
運営には返答に怨みがこもった慇懃無礼な答えで返し、掲示板などでは結果報告という名の毒を吐いた。
おまけに初めての増田で長文まで書く始末。このような苦痛を他の人にはさせたくないという変な使命感で、滑りまくった文章を書きまくっていた。※
その間、巫剣のことは考えなかった。もっと何か手が打てただろうと運営を詰り続け、掲示板では極力短く毒を吐かないようにとしながらもどうしても長文化し、己自身の失敗はこの程度誰でもするだろうと棚に上げて、いかに運営が手を尽くさないように感じたか、いかにシステムの融通が効かないと感じたか、いかに対応が冷たく感じたかを書こうとするのを抑えながら文章を作っていた。
褒められない代償行為。同様の被害者候補のためにという出所不明な大義名分だけが動力で、天華百剣がゲームだったということも一時的に忘れていた気がする。
※今でも何らかの緊急措置はあったほうが良いと思ってはいる。俺のような人間を見かけたらあと二十人いると思えみたいな
夜明けまで禍憑のごとく掲示板などで暴れ回った。六時ぐらいにようやく人の心を取り戻した、気がする。
外に向けての感情は今はあまりないが、誰に向けるべきか分からない申し訳無さが強く内側に残っている。
二度と会えないだろう俺隊長の巫剣に?
多分全部に向けてのものだと思う。
長い夢を見ていたようでもある。一年間のプレイはもしかするとただの夢だったのかもしれない。
問題から三日ほど経ったが、旧端末でのタイトルの向こうは俺が持っていた巫剣が顔を出すだけだ。
キャラクターの顔をずいぶんと久々に見た気がする。起動は何回もしていたのに、エラー文言とお知らせのボタンしか睨んでいなかった。そこでゲームの中身のことを忘れていたことに気づいた。そういえば切り替え前に、イベントがそろそろ終わるから大詰めしたいと思っていた。それができなければ普通は悔しいだろうが、はて、どんなイベントだったか。何が報奨だったか。
個別エピソードは溜めるタイプだから未読が多かったし、これから育てていきたい巫剣だって多かった、はず。コレクター気質があった上にシャナは好きだったから、これからのコラボイベントも楽しみだった、と思う。
何やら他人事のような気持ちになっている。いや、辛いんだろうけど、疲れてるんだろう。多分明日頃には実感も出てくる。もうちょっと元気があった頃はまだ復帰できるようならしたいと思ってたが、色々やっているうちにやる気を全部使い切ってしまったようだ。新規プレイは、いくらゲームが好きだからといっても辛すぎる。
もし運営が返信してくれたら、一連のことを謝って、対応はもういいと答えよう。
運営として応対してくれる人は別に開発メンバーでもないだろうし、その人そのものが権利を持っているとはとても考えられない。向こうには向こうの都合があっただろうし、先日の Twitter トラブルで忙しかったかもしれない。そんな中で忙しくも言葉を拾って、欲しそうな情報をこちらに送ってきたのかもしれない。そもそも内容自体は利用規約のそれと離れていない。そもそも向こうは散々ゲーム内外で警告をしていた。そんなふうに考えるともう、自分には何をする権利も無いような気がする。
何かただ、大きいものをなくしただけの三日間だった。
アカウントだけではなく、もっと言葉にできない、取り返しの付かないものをなくした。
数日前、アカウントをもっと大切にしていれば、もう別人と言える過去の俺が望んでいたかもしれない未来があったかもしれないのに。
アカウントさえ無事にあったなら。
みんなどこに言ってもなんかしら言及している
でもどうして
みんながすきなあのバンド
壊れたおもちゃみたいにギーコギーコ動いていたあの日々を支えてくれたのはあの人たちの鳴らす音楽だった
今だって色褪せない。
なのにどうして。
復活しちゃうの、
素直に喜べないこの気持ちはなに?
男ボーカルだからキーを5つあげるのが基本で、こないだヒトカラ行ったときも縛りで何曲も何曲もうたったよ。
女装のPV笑いながら歌ってめちゃ英語の歌い方練習したんだよ。
高架線聞きながら高校までの道のり、高架下歩いてたよ。
はじめて聞いたI Hate It忘れない、ジターバグの歌詞の通り、いつだってあなたの声が暗闇を切り裂いてくれてたよ。ずっと
なのになんなんだ。
どうして復活しちゃうの。
だいすきなのに、だいすきなのに。
この気持ちなんですか。誰かヒント。
汚い話だ。
僕は数本の毛が生えたびちくに好かれた。
僕は繊細に数本の毛を狩っていた。
今日はなんか雑に葬りたくなり、シャワーを浴びている時、雑にカミソリをシュッてした。
先っぽから赤い液体がぷくーと溢れてきた。
母乳ってこんな感じなのかなぁ、と思ったが、きっとこんな感じじゃないのだろうなぁ、と思った。
シャワーで流す。ちくっとする。微妙に痛い。ちくっとびみょうにいたい。
突起物から流れ出たのは、血の涙だった。
モテない男(27)の悲壮に満ちた腹を撫でる血の涙がそこに流れた。
エロいかなと思ったら、エロいかなと思おうとすること自体が自分に欲情する行為であることに今の今まで気づかなかった。
そこにはいつもの残念なもちっとした白い肌に絆創膏が貼られてあるだけで、あぁ怪我したんだね自分って感じで残念だった。
つまりは今日この時もただ漫然とした日常を過ごしたわけである。乾いた日々が過ぎていく。
醜悪な腹に映える力強い血の川に何かしらのメタファーを感じとろうとするも、言葉にならず、言葉にできないことが、きっと何者にもなれないという僕をさらに映す。
絆創膏おぱーいによるバブみから精神的なオキシトシンを得ることも叶わなかった。
ちっびくの血と涙と絆創膏乳首から、僕はいったい何を得られなければならなかったのだろうか。
得たくない数本の毛だけが、数日後僕の元にやってくる。
刀剣乱舞というゲームがある。私は刀剣乱舞の世界が好きだ。大好きだ。このゲームに出会えてよかったと心から思っている。
(もちろんこのゲームのことを嫌いという人のことを否定するものではないです。石を投げないでください!!個人的な感想なんです)
刀剣乱舞というゲームにはまってから、本当に世界が広がった。色んな人と出会うことが出来たし、舞台もミュージカルにも足を運ぶようになった。
俳優さんで応援したい、と思える人が出来た。美術館や博物館にも気軽に行けるようになった。リアル刀剣の勉強はなかなか進まないけど、それでも多少の知識が付いた。
何より「刀剣男士と一緒に人生を歩んでいる」「刀剣男士は、私が私であることを許してくれる」というのが何よりも強い。私の本丸で、私だけの刀剣男士がここにいる。
これが何よりも私の人生を強く支えてくれている。
刀剣乱舞でどこが好きかを詳しく語る前に、少しだけ自分の話をさせてください。刀剣乱舞と出会う前の話。
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私は大学3年生になるまでいわゆる「オタク」というものではなかった。いや、読書も漫画もゲームもアニメも好きだったけれど、だからといって
自分で感想や考察をしたり、他の人とそういう交流をしたりということはしてこなかった。
というか「誰かとこれについて語りたい」という欲求は無かったし、そんな術も知らなかった。
(二次創作という単語も知らなかった。コミケ?よく知らないけど、コスプレをする場所なんでしょ、程度の認識だった)
ツイッターのアカウントは持っていたけど、鍵アカで大学の友達や先輩、後輩とフォローしあう程度だったし、
呟く内容も「今日は講義が無くなった」とか「パンケーキがおいしかった!」
というような本当に些細なことだけ。何もかも普通の、ちょっと読書が好きな大学生だった。
それがなぜ、青い鳥の世界の端っこで「刀剣男士が尊い!!!!」と叫ぶ人になってしまったのかというと、まずはとあるライトノベルに出会ってしまったことから始まる。
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大学2年生の冬、私は歯の手術で1週間ほど入院していた。体は元気なので暇つぶしに、と思って簡単に見終われそうな、このアニメを見始めたわけですが、
たったの12話なのにすべてが綺麗に収まり、登場人物はみんな魅力的で、見ていて本当に楽しかった。
アニメを見終わると今度は原作が気になり、外出許可が出た日に書店に向かい、並んでいる本を全て買い込んでしまった。全部読んだ。最高。
あまりにも私のドストライクすぎて、こんなにワクワクしながら読書をしたのは生まれて初めてかもしれない……と当時真剣に思った。
あまりにも最高すぎたので、この感動を誰かと共有したくて友達にも勧めてみたものの芳しい反応が得られず、欲求不満に陥る。
この辺りから私のツイッターオタクライフが始まる。とりあえず、この作品が好きです、と書かれている人を恐る恐るフォローしてみる。
本の感想とかにおそるおそるファボを付けて、皆様の考察とか感想を読みながら「みんなすごいな……言語化能力が高い……」と思っていた。
こうして、ポツポツとその作品が好きな人をフォローしてはその人たちの呟きを眺める、ということをやりながら日々を過ごしていた。
感想を言い合いたい!という思いでツイッターアカウントも新しい物を作ったはずだと思うのだが、フォローした人たちが感想を言っているのを眺めていたら
それだけで満足をして、私自身は特に何か考察をする、とか創作を始めるということはなかった。
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今思うと、ここが2番目の人生のターニングポイントだったのかもしれない(1番目は先ほどのラノベと出会ったこと)
大学3年生の冬、私はとてつもなく暇だった。サークル活動を引退し、就職に向けて何か行動をしないといけない、
でも何をやればいいのか分からない、という、今考えるととてつもなく
贅沢な悩みを抱えながら、ぼーっと就活サイトや、先輩の就活日記を斜め読みし、TLを眺める生活をしていた。
そんな1月、突然フォロワーさん達が口ぐちに「薬研ニキ……」「薬研」「何この子」「三日月が」と言い出した。最初は何も気にしていなかったものの、
あまりにも「薬研ニキ」「大将って」とか言い出すから気になって調べてしまった。
その結果、パソコンのゲームで、刀?が人になって育てるゲームがあるらしいと知った。ふーん、暇だしちょっとやってみるか……と本当に軽い気持ちでブラウザ登録をする。
そして、1月27日、私は山姥切国広を選ぶ。
最初に5人の中から1人選べる、と説明された。ポケモンみたい……と思いながらぱっと見たときに「あーーこの人、私が絶対に好きになるタイプ」と直感したのが
山姥切国広だった。こじらせ系は嫌いになれない。一応他の4人も見てみたけど、ピンと来たのが彼だったので、これまた軽い気持ちで選択した。
顔も綺麗だったが、すごい塩対応だったのでちょっと困惑した記憶がある。
とはいえ、やり始めたときは、ものすごくかわいい、とか格好いいとかは全然思わなかった
(いや、みんな格好いいと思ってたけど別にハマるほどではないと思っていた)
それが、今では……こんなことになってしまった……。
以下、刀剣乱舞を始めてから色んなことが変わったな、と思った点について。
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ツイッターって、色んな素敵なイラストが流れてくるじゃないですか。
私の推しは前田藤四郎なので、主に前田のイラストをよく探していたけど、審神者になった年の初夏、「同人誌即売会」という存在を知る。(遅い)
今までインターネットでオタク活動してこなかったんですよ!!死ぬほど魔法のiらんどは読んでだけど!!二次創作とかは知らなかったんです!!
2015年7月開催の粟田口オンリーイベント「はっぴーあわーたいむ」覚えている人いますか?
ツイッターで、なんか知らないけど絵を描いている人が「はっぴーあわーたいむ」って言ってる……何の話だ……と思って調べた。
というレベルの初心者だったけど(支部でイラストや小説の存在は知っていたけど、それを本として売り買いをしている、という概念を知らなかった)
「本!!!買いたい!!」と妙な行動力を見せ、漫研の友人にアドバイスを求め、小銭を大量に用意して、
動きやすい格好をして、地図と場所をメモして、生まれて初めてビックサイトに行った。
覚えている。日傘は迷惑になると書いてあったのでフードとタオルとサングラスで怪しい格好をしながら一般参加の待機列に並び、
ドキドキしながら印刷したサークル配置図を眺め、回る順番を考えたあの日のことを。
会場は蒸し暑くて、至る所に粟田口の素敵なイラスト、本、グッズで溢れていた。そこらじゅうで「新刊下さい」「ありがとうございます」という声が聞こえた。
オンリーイベントだから当たり前なんだけど、どこを見ても粟田口!!かわいい粟田口のイラストがたくさんある!!!
すごい!!!楽しい!!!お金??払います!!言い値で買います!!!
緊張しながらお目当ての本をゲットして、ふと辺りを見渡すと、刀剣男士たちが仲良く買い物をしている姿が目に入った。
そもそもコスプレ自体をテレビ以外でほとんど見たことが無くて、テレビでしか見たことが無い光景だけど、
でもコスプレ姿の人たちが買い物をしてる……すごい……生きてる……なんだここ……
とっても興奮した。刀剣男士たちがお喋りしてるんですよ、小銭とか出してるんですよ、すごくないですか!!??生きてるじゃん!!!!
いや、もう、本当にかわいいイラストが買えて、色んな刀剣男士が存在してて、すごい、とっても楽しかった!!!!というのが私の同人誌即売会の初体験の感想。
この経験をしたおかげで、これの大きいバージョンがコミケな訳ね、と概念を獲得した。これはオタクにならなければ絶対に知りえなかった概念だし経験だった。
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刀剣を見に色んな美術館や博物館に行くようになったよ!!でも刀剣の勉強はあまり……進まない……
なんだろう、用語がまだ耳馴染みが無くて、刀を見ても「綺麗だな」という感想しか出てこない。
もったいないことをしている自覚はあるのでもう少し詳しくなりたい。 そういって4年目になるな?という顔をするのは止めて山姥切国広。
私の友人で、刀剣そのものに詳しくなって、刀を見ただけでこれはここがこういう刃紋だから刀派は~、とか分かる人がいて、本当に尊敬する。すごい。
知識はあればあるだけ世界が楽しく見えるんだな、というのを今実感している最中です。勉強も趣味も全部最終的には娯楽につながる(かもしれない)
世界を楽しめる人になりたい。
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○ 創作がしたいと思った件
ここ3年ほどはずっと素敵な作品にファボを付けて、あとは私が神と崇める作家さんにはお手紙を出したりもしてたけど、今まで自分で創作をするって考えたことも無くて。
文章はまだいいんだけど、絵は本当に私、壊滅的にダメで、ずっと興味が無かったんですけど、最近「絵が描けるようになりたいなー」と漫然と思い始めて。
なんでかっていうと、絵にも物語があるんだな、ってことを強く実感した絵師さんのイラストを見て、私もこんな風に絵が描けたらいいなぁ、とか少し考えてまして……。
で、でも絵なんて中学の美術以来落書きレベルでも描いたことが無かったので、デッサン教室で少しだけデッサンとかやってきました。
結構楽しかったです!!意外に、私も絵が描ける(レベルは考えないでほしい)んだな、というのを体験しました。真っ白の紙から、例えばボールが描けたりするの、楽しいね。
でも、デッサンやりながら思ったんですけど、絵を描くって大変ですね!!!絵を描く人、超すごい……絵描きさんすごすぎでは?絵を描く人、というか創作する人のこと尊敬する……
だって、全然自分が描きたいような線出せないし、体力いるし、本当にすごいと思った。
『絵を描くことは大変』という知識はもちろんあるし、絵描きさんのことは尊敬しているけど、より一層尊敬の念が高まった。まじで。本当に。
デッサンとイラスト、やることが違うのでは?と思ったそこのかた。その通り。
でも人間を描くのはもっと大変……まずね、人のシルエットにならないんだ。
目だけが肥えているので、「自分下手すぎ……」と落ち込むんですけど、描こうと思えば、何かしらは描けるんだな、と思ったので絵も描けるようにたくさん練習したいです。
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オタクにならないと知らなかったであろう感情として、「この人を応援したい」というのがある。
刀剣乱舞には現在、ミュージカルと舞台と、2ついわゆる2.5次元舞台がある。
一番最初の刀ミュ『阿津賀志山異聞』からチケットを取れたときは必ず見に行っている。厳島神社の公演を生で見ることが出来たのは私の人生の中でもトップクラスの自慢。
刀ステでは毎回死んでる。山姥切国広オタク、強く生きよう。そして今夏、一緒に死のう。(矛盾)
刀剣男士を演じたとある俳優さんのことが気になってしまった。何が、と明確に言葉にできないけれど、舞台上で動く姿に目を引かれた。
キャラクター的に表情豊かでよく舞台上を動き回る役ではあったけど、気が付いたら目で追っていた自分がいてびっくりした。
気になってツイッターで調べると、なんと来月バースデーイベントが行われると言う。
いや、さすがにおかしいでしょ、私、その俳優さんのこと全然知らないのに行っちゃダメでしょと思った。俳優さんのイベントなんていったことも無かったし、
どちらかというと、舞台上のキャラと俳優自身については分けたい、と思っていたので、あまり詳しく俳優さんについて知るのはちょっと…と思っていた部分もあった。
でも、フォロワーさんから「興味があるなら行っておいた方がいい」と後押しされたし、もう自分の経験上、自分が好きそうだと思ったことは遠慮なく飛び込んでいった方が
人生が楽しくなる、とこの数年のオタクライフから学んでいたので緊張しながらチケットを取った。
いざ!当日!……ダメだ、場違い感がすごい。みんなお洒落……キャッキャしてる……帰りたい。100回くらいそう思いながら開場待ちをして席に座る。
でもイベントが始まると、意外にも楽しかったです。(1年間の活動の報告、絵本朗読とかビンゴ大会とかやった)
そして、1曲だけ、ミニライブも行われた。彼はグループで歌手活動もしている人だった。ステージにその人が上がり、スポットライトが当たった瞬間、彼がキラキラ輝いて見えた。
この人は舞台が、スポットライトが似合う人だな……と思ったら、格好良すぎて何だか涙が出てきた。ファン期間が短すぎて歌っていた曲のことが分からなかったけど、素敵な歌声だと思った。
そして「この人のこと応援したい」「輝いている姿をもっと見たい」という感情が出てきた。
そのあとの写真撮影会で「刀剣乱舞の舞台見て来てくれた人みたいです!」と隣の席でお話した方がわざわざ伝えてくださり(その節は大変ありがとうございました感謝してます!!)
「どうだった?」と直接聞かれた。やばい、俳優さんに直接舞台のこと聞かれるってやばくない?やばい。
私は本当にパニック状態になったので「最高でした!!演じてくださってありがとうございます!!」と半泣きで言うのが精一杯でした……。でも私は、その舞台が本当に最高だと思ったし、
俳優さんの演技も素晴らしいと思ったので、直接お礼が出来てよかった、行けて良かったと思った。
今まで3次元の人間にハマったことが無かったから分からなかったけど、「この人を応援したい」と思う気持ちが初めて分かった。
その人が好きなことをして、この世界が楽しいと思ってくれると私も嬉しい。そんな感じです。
(その人は別の舞台で、『演劇が好き、舞台が楽しい』と仰っていて、演じる姿を見てファンになった私としては、推しの俳優さんがそんな風に言ってくれるのが本当に幸せだと感じてます)
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○「私の味方がここにいる」
私は大学4年で審神者になり、その後、無事就職して社会人になりました。
ただ、業務内容が辛くて、10回くらい「ここで死ねたら楽だなー」とか思ってた時期があって、別に本気で死にたいわけじゃないけど、でも当時のツイッター見てたら相当病んでて、うん。みたいなやつ。
でも仕事で怒られても本丸に帰れば「主」として皆から声を掛けてもらえる。私の刀剣男士たちは何があっても私のことを見限ったりしない、という安心感がある。
初期刀の山姥切国広も、何があっても私の側にいてくれるんだろうな、という信頼感がある。これはたぶん審神者になった日からずっと、本丸に戻って、みんなの声を聞いて、
一緒に大阪城を掘ったり、楽器を集めたり修行に行く人を見送ったり、出迎えたり、色んな思い出を作ってきたからだと思う。
刀オケ、福岡に行ってきたんですけど、「私の本丸」の思い出が流れてきて、声を上げて泣き出さないようにするのに必死だった。
クリックゲーだから脳死周回しかすることが無い、と思っていたけど、思い出作れてるんだなぁ、と思って泣いてしまった。
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刀剣乱舞に出会わなかった世界も決して不幸だったとは思っていない。(この様子だと出会わなかった世界があったのか不明だけど)
なんだかんだ言いつつ、ほどほどに仕事をして、読書を楽しみ、友達と仕事の愚痴を言いながらおいしいご飯を食べて、そんな生活だって全然悪くない。
審神者業にかまけていないで、もうちょっと就職について真剣に考えていれば良かった、とかツイッターばっかしてないで仕事関連の勉強をもっとやればよかった、とか後悔していることも沢山ある。
楽しいことも多いけど、後悔も多い人生送ってるな、と苦笑いすることもある。
それでも、私は刀剣乱舞という存在に出会えて良かったと思う。このゲームに出会ったことに関しては何一つ後悔が無い。
刀剣乱舞に出会わなかったら、もしかしたら「この人を応援したい」という気持ちは一生分からなかったかもしれない。美術館や博物館を気軽に行こう、と思えなかったかもしれない。
旅行が趣味になってなかったかもしれない。もしかしたら、私の人生は私の住んでいるところ、知覚できる範囲だけに留まっていたのかもしれない。
そんな人生も幸せだと思う。自分の身の回りの世界を大切にする、それはそれですごいことだと思う。
でも私は人生が広がる楽しみを知ってしまった。刀剣乱舞を通じて、色んな人と出会って、色んな世界があることを知った。自分の知らない世界を知るのが楽しい。
そして、自分の知らない世界のことを想像して尊重することは、今後色んな場面で必要になってくると思う。
だからもう以前の私に戻ることはできない。
沢山の後悔もあるし、もしかしたらまた「死にたい」って思うような絶望的な出来事もあるかもしれない。それでも私は、私の刀剣男士たちと一緒にこの世界で戦っていきたい。
きっとまだまだ、このジャンルで色んな世界を見せてもらえるだろうし、私も私の世界を広げていこうと思うし、広げることが出来ると思っている。
自分が好きだと思うアカウントがフォローしていたり呟きをいいねしているアカウントを、自分も受け入れなければいけないとほぼ強迫的に信じ込んでいて、どれだけ気分が落ち込もうともそういうアカウントの呟きを見るのをやめられない。
もちろん自分が受け入れようが受け入れまいが何も変わらないに決まっているし、好きな人の好きな人が苦手で関わりたくないとか現実でもよくあることなのにインターネットになるとそれが受け入れられなくなる。
うまく言葉にできないけど、好きなアカウントの人たちがあの物言いに耐えられる、あるいは好むのだから自分もそうではないといけないと思っているような節がある。
好きなアカウントだってひとつふたつとかではないので、Aという好きなアカウントのフォロワーをBという好きなアカウントがブロックしていることとかも勿論あるのに、それでも受け入れないといけないと必死になってしまう。
ある程度元気があれば避けることもできるから、こういうことは軽く気分が落ち込んでいるときにやってしまいがちで、そしてさらに落ち込みが深まり動けなくなって時間を浪費する。いつまでたってもやめられない。無意味だと頭ではわかっているのにやってしまうので自分でもやめ方が分からない。Twitter向いてないとは思うがTwitter自体はやめたくない……。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081702 からの続き)
そもそも写実的な背景美術には素材が必要なのだけれど、アニメを作るために宇宙よりも遠い場所に行けるわけもないので、限られた素材であれだけの背景美術をこさえていることになる。マジでどうやってるんだ。
報瀬が日向を呼び出すシーン。笑顔(抑圧の象徴)ではなく自ら弱さを見せる日向は6話でのやり取りから成長を強く感じさせる。でも結局笑顔で気を使っちゃう日向を見ると、どんだけ日向は過去に捕らわれて深く傷ついてるんだろう…と思う。このあとのシーンにおける日向のセリフ「ちっちゃいな、私も」がヤバイ。彼女なりに弱みを見せないよう満面の笑みで言っているのが逆に強烈。
そして例のシーン。日向が「6話でああいうことを言い出したり、普段から笑顔で振る舞って「友達にさえ」弱さを見せなかったりする」ようになった原因を作った奴を報瀬が許さなかったのは日向が報瀬にだけ弱さを見せることが出来たからだし、さらに言えば報瀬が6話で日向と気を使わない関係を築けたからこそ、自分のわがままで日向を守ったのだろう(トイレまで尾行したり、勝手にメール見たり、奴らにメンチ切ったり)。かーちゃんという過去を断ち切るために南極まで来た報瀬だからできたウルトラCであり、物語を通して報瀬がいかに成長したかを描いた最高のシーン。あと何が最高かって、たぬキマリもゆづも日向のことを守ってくれたことだ。特にたぬキマリ。11話では全話中最もポンコツを発揮していたところにあのシーンである。10話でめぐっちゃんの話が出ていただけに、強烈に刺さった。
このシーンで流れる挿入歌は4話でキマリと隊長が会話するシーン以来。4話ではキマリが「ここではないどこかへ」ではなく「この4人で南極行って、あれやこれやしたい!」と覚悟を新たにする印象的な回であり、それに対して11話でたぬキマリの「もう日向ちゃんは~」というセリフから、4~11話の間に4人が培ってきた時間や、その間の日向が笑顔だった時間をたぬキマリがすべて肯定してくれていて胸がいっぱいになる。この挿入歌は今作で最も好きな曲なのでぜひフルVerで聴いてほしい。「宇宙よりも遠い場所で 真っ白な世界を見渡して ここから始めよう」っていう歌詞が控えめに言って最高。
締めも最高で、
日向「ぶっ壊れるかもしれないぞ?」
日向「…そっか!」
すごく重い回なのにこんなに晴れやかな終わり方しやがって、最高かよ。なんかドラム鐘が鳴る音も良く出来てるし。
16:45頃 カップ麺作ってて、ドヤ顔で卵を持ち出すタヌキマリ
12話をリアルタイムで観たあとぐっすり眠れた人はいるのだろうか。この回だけはどうしても「一歩引いて観る」が出来なかったので、あまり参考にならないと思う。
4話で報瀬のことを「娘のことはよく知らない」とキマリに話していた隊長と報瀬の関係が9話で「距離がある」報瀬の思いを知り、12話で背中を押してあげるという流れに、隊長の不器用さがあって好き。隊長が報瀬に贈った「人に委ねるな」は「思いの強さとわがままは紙一重である」あるいは「吟の魂」に通じているものがあり、報瀬に自らを変えるよう強いるものではなく、むしろこれまでの報瀬を強く肯定していて、まるでお父さんである。
観測隊の中で最も貴子の亡霊にとらわれていたのは間違いなく報瀬だけれど、次点はきっと隊長なのだろう。だから、天文台予定地に到着して一人空を仰ぐ姿は表情が硬かったのは、隊長の隊長たる強さが報瀬との対比として描かれていて好き。
私が母を病気で亡くしたのは13歳の頃。報瀬家と違って、私の母は癌との闘病の末だった。だからある日いきなり云々というはずはないのだけれど、いかに当時の私の認知が強く歪んでいたかをよく覚えている。
母の闘病は数年続いていて、最初は仕事しながらの通院だったのが、ある日から入院に切り替わった。でも私は一度も病院にお見舞いに行かなかった。当時の気持ちを代弁するならば「ゆうてもしばらくしたら癌も治って、元気に帰ってくるんでしょ?お見舞い行ったら逆に心配してる感じがして恥ずかしいし、家でおとなしく待ってるよ」といったところだろうか。定期的に父から母の病状を聞くにつれ、徐々に悪化していることはわかったはずである。しかし当時の私にそういう認識は一切なかった。
ようやく私が現実を直視したのは、母が亡くなった日だった。早朝、父に叩き起こされて病院に向かう車の中で「眠い。こんな朝早くにお見舞い行って病院の人に怒られないの?昼に行けばいいのに」と心のうちにぼやいていたことを思い出す。横たわる母の手はまだ温かく、部屋は静かだった(心電図モニターのP音が鳴っていたはずだけれど)。もしあの時間がなかったら、私は今どうだったのだろう。報瀬は私が経験したあの、母の帰りを待っていた日々を過ごしていたのだ。
報瀬にとっての「母を待つだけの、いつもと変わらない日々」は、言い換えれば「何も変わらない日々という偽物の楽園」、あるいは「幸福のレプリカ」と言える(河野裕 著 「サクラダリセット」第5巻 ”ONE HAND EDEN”参照)。案外、それは心地よい。偽物だとうすうす気づいていたとしても、ついつい抜け出せないような依存性がある。だから、報瀬が母の元へ行きたくない気持ちが死ぬほど分かる。殊更報瀬にとって母の死という事実はとても辛く、同時に報瀬自身を孤独にすることになるため(父親がいないこともここにつながっている可能性アリ)、受け入れ難かったのだろう。だから報瀬は「母がもしかしたら帰ってくるかも知れない日々」という、幸福のレプリカから抜け出すことが出来なかった。
それを象徴していたのが「母あてに送ったメール」である。母がメールを読んでいる姿を想像すれば母を近くに感じることができるし、もしかしたら生きていて、メールを返信してくれるかも知れない。そしたらまた母に会える。この現実逃避は一時的に報瀬の心を満たし、現実を直視しないで済むための手段として、報瀬なりに編み出したのだろう。
そしてこの幸福のレプリカは本来、心の穴を一時的に埋めるための麻酔に過ぎない。報瀬は日々の中で本物の幸福を見つけて、入れ替わりに幸福のレプリカは役割を終えるものである。最初は仏壇に毎日拝んでいたけれど、そのうち回数が減っていって、最終的に全くしなくなる、というのに近いような。報瀬の場合も、時間が解決してさえくれれば自らの手で幸福のレプリカを破壊する必要はなかった。そう考えると、すべての原因は報瀬の孤独にあって、もし傍にいつも寄り添ってくれる友達がいたら、報瀬は母の死をゆっくり受け入れることが出来たのかもしれない。だからこそ、あそこまで来たけれど最後の一歩を踏み出せなかった報瀬のことをキマリたちが助けるという演出は彼女たち4人が培ってきたすべてが描かれている気がして、胸がいっぱいになった。
そして例のシーン。目の前で新着メールをひたすらに受信し続けるPCは、報瀬にとっての幸福のレプリカが音を立てて壊れていくことの具現、つまり報瀬のヨスガが失われていく瞬間である。直前の、母に向けて綴った報瀬の独白も相まって悲しみが天元突破した。そしてこれこそ彼女の望んだ「宇宙よりも遠い場所」に着いた瞬間を描いている。
「でも報瀬はもう幸福のレプリカと決別するために歩きだしていて、すでに本物の幸福を手に入れていた」という物語を、「母に宛てたメール」、「南極を目指すために稼いだ100万円」、そして「一緒に泣いてくれる友達」で語る演出はとてもじゃないが言葉にできない気持ちにさせてくれる。そんな、彼女の「動き出した時間」を、「太陽が沈んで初めて夜になる南極」という絵で表していて、こんなに綺麗な終わり方があるのだろうか、と思った。
キマリは本作では特に感情表現が豊かな子である。それに比べ報瀬は感情表現が歪であり、一見すれば報瀬はキマリと違ってクールな女の子のようにも見える(え?見えない?)。11話までの報瀬は、どんなきれいな景色や風景を見てもなんというか、感動しているようなしていないような、すごく微妙な表情をしているのだけれど、その多くは彼女の横顔である。そんな彼女の表情が、横断幕に書かれた報瀬の似顔絵に現れている。この横顔が12話で号泣する彼女の横顔と強い対比になっていて、この瞬間に彼女が得たものの大きさを感じさせる。
一方、6話の飛行機内でのシーンで報瀬はペンギン映画で号泣しており(本作で報瀬が号泣するのは1話トイレ、6話飛行機内、12話のアレ)、実は感受性の豊かな子であることが分かる(他にも感受性の豊かさを象徴するシーンはいろいろある)。
だからこそ12話で報瀬が泣く姿は本来の(母を失う以前の)報瀬を描いているように見えた。それは声からも読み取れる。中学時代の報瀬が母としゃべるシーンは本作を通して9話 12:30頃の回想で「でも行くんでしょ?」と母に話す一言だけ。今より3歳くらい若いせいか、少しだけ高く、そしてやや甘えたような声。12話で「お母さん!」とPCに向かって泣き叫ぶ報瀬の声はまるでこの声のように幼くて、まるで中学時代の報瀬が母に泣きつく姿のように見えた。冒頭の回想において3年前、一人で泣くことが出来なかった報瀬がこの日4人で泣く様子は、報瀬の成長と、報瀬が得た幸せと、動き出した時間を優しく描いていて大好き。
本当によく練られたタイトルである。5話では「じゃあな」と別れを告げためぐっちゃんに絶交無効を押し付けたキマリの歌であり、10話では「離れていてもつながっている」キマリとめぐっちゃんの姿を端的に表す「ね」の歌として、そして12話では、報瀬の心を捉えて離さなかった貴子を、その死を認識することでようやく別れを告げることができた報瀬の歌として演出されていて、色々すごすぎる。
2:00頃 報瀬が放球の撮影に来なかったので、代わりに出ることになりすごく張り切ってる(いつの間にたぬキマリ治ってたんだ)キマリ
今期のアニメは色々観ていたのだけれど、どれも面白い作品ばかりだった。でもあえて本作について書いた理由は便乗以外にもある。いちファンとして、作り手の思いに報いたいと思ったのだ。この感想を見た人が100人いたとして、そのうち1人くらいパッケージを買ってくれないかなぁ、そうなったらいいなぁ、というのが本稿の目的である。
私は本作に触れる以前にプロデューサー・田中 翔氏のインタビュー記事( http://anime.eiga.com/news/105638/2/ )を読んでいたのだけれど、その中で同氏は
田中:うーん。今お話したように、ビジネススキームが変わりつつある状況ではありますが、映像にお金をだしていただく、いちばん分かりやすい結果は、結局「パッケージが売れる」ことなんですよね。自分は、パッケージが売れないタイトルは、あまりやる意味ないと思っています――心の底では、ですけど(笑)。
とまで言っている。個人的に、良い作品であることとパッケージが売れる作品であることに強い相関があるとは思っていないし、そりゃ円盤はどの作り手も売りたいと思ってるでしょと考えている。本作についても初めは「私はこの作品が大好きだから売れなくても別にいいや」というスタンスだったのだけれど、Pの発言を思い出すうちに少し気が変わった。もっと作り手に「この作品を作ってよかった」と思って欲しいのだ。そして、このような作品作りをもっと続けて欲しい。贅沢な願いだけれど、この感想が一助になれば嬉しいな。
しかも最後の3人のネタが始まる、めっちゃいいタイミング。ヤッタネ。
おぐ、ゆりやんと観て笑い、最後に出てきたのが濱田祐太郎でぼーっと見てた。
わ、めちゃくちゃオモロイやんけ。盲学校に点字ブロックないとか、ほんとスパルタすぎるwww そういえばあの白い棒って、見たことあるよな。あ、そうだ、視覚障がいの方が歩くときに使う棒だ。、、、という事は。
検索してみると、思った通り。濱田祐太郎は弱視の漫談家だった。
「障がいのある漫談家はいない」って思い込んでいた自分が恥ずかしくなったよ。
そんで濱田祐太郎すごいなと思ってしまった事に、さらに恥ずかしくなったよ。デブとかハゲとかと一緒で自虐ネタに持ち込んで良いのに、何でだろうね。無意識で差別してたんだな、反省。そういう差別ってクソ多いんだろうな。そして皆日常的に、無意識の差別で人を傷つけているのかもしれない。確かに社会制度の上でとか、生活しやすくする為に「障がいかどうか」を区切らなければいけない部分はあるんだけどさ。うまく言葉にできないけど。そういえば「みんな違ってみんないい」なんて言葉は、社会生活において「いわゆる普通の人の範囲内」って前置きがつくことが殆どだもんなあ。
その時ハマッていたジャンルの有名なサークルさんの新刊がどうしてもどうしても読みたくて、真っ先に読みたくて、コミケの参加方法を調べて、交通機関を調べて、一生懸命メイクをして靴を履いて水筒と小銭を持ってコミケに行った。
人が多いと聞いていたけど、こんなに多いとは思っていなくて、足踏み散らかされ吐きそうになりながら目当ての新刊をゲットした。最高だった。
早く読みたい早く読みたい!! と思っていたのはそうなんだけど、せっかくなら、もうちょっと見て回りたいな、と思ったので少し会場を見て回ることにした。
当時の私は高校二年生だったので、参加費を勿体なく思ってしまったのだ。
他のサークルさんを下調べもしなかったし、一般初参加で勝手が分からない私は、取り敢えず会場をぐるぐるしてみようと思った。
取り敢えず見て、良き出会いがなければ素直に帰るか~という軽い気持ち。
そしたら、素敵なサークルさんを見つけた。私は最初「えっこんな…6ページしかないようなイラスト本が600円!?(ほんとうにごめんなさい)」とスルーしてしまった(ほんとうにごめんなさい、同人誌の値段にケチつけるようなクソ高校生だったんです)。
でもめちゃめちゃ絵が最高で、塗りも素敵で、見れば見るほど、「え、素敵…すき…欲しい…」って結局、踵を返して一冊購入した。良く覚えてる。
表紙を見て、「絵が素敵だって伝えてこよう。それはそれとして、もう一冊買おう」と思った。買った。
その後も、色んな同人誌を、高校二年生のお小遣いで買える範囲で買って、帰宅した。
帰宅して、当初の目的だったサークルさんの新刊を読んで「よ、良き~~~!!!」って感想をしたためて、早速送った。1週間後、もっかい送った(ファーストコンタクト感想と、後程落ち着いて考えた感想を送るクソタイプ)。
感想を送って満足した後に、ふと、「そういや高いけど欲しいなって思って買った本があったな(めっちゃ上から目線やんごめんなさい)」って、例の本を取って開いてみた。
最高だった。
上手く言葉にできない。なんだ、フランダースの犬の最終回、ルーベンスの絵を見れたネロの気持ちが分かった。死の淵にあっても、その絵を見れて良かったという心からの安堵。安らぎ。ハレルヤ。パトラッシュ、ほら、神同人誌だぞ。
え、え、え、?待って最高。早速感想を送って次の新刊もチェックだなって思って、奥付を見たのね。
書いてないの。
サークル名とペンネームと、印刷社しか書いてないの。サイトも書いてないし、連絡先も載ってないの。
いやいやいやいや~~~~www え? ん?
いや嘘でしょって思う人もいるかもだけど、マジで書いてないの。うそやん!っておもって一縷の望みをかけてパンフのサークルカットも見るけど、そこにも載ってないのやっぱり。当然だけど。
どうしようどうしようって、サイトを探すの、サークル名とペンネームで検索掛けて、ヒットしなくて、
検索エンジンでサークル名とペンネームで検索掛けて、ヒットしなくて、
イラスト集に描かれてたキャラを検索して、ひとつひとつサイトを見て行って、でも見つからなくて、
ジャンル仲間一人一人に神同人誌を見せて、この人、このサークル主、知らない?って訊いても、誰も知らなかった。
えっ………………………
あの時、この本を買ったあの時、サイト運営しているか、聞いとけばよかった。次も絶対買うのに。いや、買いたいのに。私はこんなにもこの絵が、この本が好きなのに。
自分勝手な感情だって分かっていたけど、でも、しばらく経ってもその思いは消えなくて、諦めきれなくて、自ジャンルの検索エンジン新着を眺めて、新しく登録されたサイトを見つけては、飛び込んで見ていった。
全部、やっぱりそのサークル主さんではなかった。それはそれとして巡回サイトは増えた。
ツイッターが流行った頃、ミクシィが流行った頃、ピクシブが風を巻き起こした頃、定期的にそのサークルさんの名前と主さんの名前を検索しては、0件に泣いた。
イベントに出かけて、サークルチェックをしては、その絵がないことに心が沈んだ。それはそれとして推しサークルさんは増えた。
就職しても、思い出した時に色んなSNSをチェックしては、「やっぱりいないなー」とちょっとガッカリした。その頃には、その人が見つからないことに慣れていて、神同人誌は読み返し過ぎてボロボロになっていた。
サークル名も、ペンネームも変えられたら、もう、見つける手がかりはないんだよな…と後ろを見ては、身体の中が冷たい不安で満たされるのを感じた。
でもやっぱりその人の新しい絵が見たい。それが叶わないなら、あなたの絵をずっとずっと、こんなにも好きで、つらいときも楽しいときも、あなたのこの一冊を読んでもっと心が満たされたんだって言いたい。伝えたい。人生が豊かになったって。どうした急にポエマーやな。
ずっと同人活動をしている保証も、その人がそのジャンルでずっと活動している保証もどこにもなくて、あまりにも見つからな過ぎて高校二年のあの夏は幻だったんじゃないかって何度も思った
ある時、というか、このブログ書いてる時期でモロバレなんだけど、あるイベントに友人がサークル側で出ることになって、私は丁度その時ヒマしてたので、売り子を頼まれた。
私はその時にはイベントから距離を置いていて、というか就職してからこのかた、ずっとイベントには出てなかったんだけど、丁度、そん時丁度ね、ヒマだったので、それを引き受けた。
ずっと売り子してたらええんかな~?と思っていたら、友人は昼ごろから買い物行って来ていいからね、って言ってくれたので、サークルとか一切チェックしてないけど、久しぶりのイベントだし、せっかくだから色々見てこようと思った。
いつもの調子で何冊か買って、さて、そろそろスペースに帰るかなって考えていた時にね、
あったの。あの絵が。あの絵の表紙が。
いや、そうじゃない、流石にあの絵ではない。でも分かる。この絵柄。あの人の絵だ!あの人の絵だ!あの人の絵だ!
あれから十年近く経っていた。でもあの絵だ!
ずっと探してた。書店とか行ってみたり、サイト巡りしたり、ペンネームが違うのかとそのキャラを扱ったサイトをひとつひとつ、ピクシブで一枚一枚探してた。
その絵が今目の前にある。新しいイラスト集だ!新しいイラスト集!
衝動的に一冊買った。既刊もあるのかな? と思ったら、特に無かった。何か言おうとして、でも何も言えなくて、「素敵な絵ですね」とやっと言って、スペースを離れた。
だって、十年もあなたを探していましたってなんか、…重くない?きもくない?って急に不安になった。人違いかもしれないし。
私はこういうストーカー気質なので、感想を沢山送っては、引かれることがあった。
私は、好きなものは好きだと伝えたいけど、相手を引かせたいわけでも不快にさせたい訳でもないから、気を付けている…つもりではいるんだけどやっぱりさじ加減が上手く行かないんだな。いや~~~こういう時に冷静になるとどうしたらいいのか分からなくなるな!!
どうしよう、どうしようか。って思って、しばらくスペースの周りをウロウロした。勇気がない。いつもあんなに感想を人に送っているのに、いざという時にヘタレ。なんでやねん。
やっぱり言おう、この本、あなたのものですかって。スマホに保存していた表紙を見せて、これ、あなたが描いたものですか?って。いや相手さんにしたらめっちゃ恐怖やな。スタッフさん呼ばれたらどうしよう。
でもやっぱり、諦められないよ。これが最後のチャンスかもしれないし。それはそれとしてもう一冊買おうって踵を返してあのサークルさんのスペースに戻った。
サークル主さんは、さっき来た私の顔を覚えていて(そりゃそうか)、「ああ~どうも~」って感じだった。もう一冊ください。
買って、後ろに人が並んでいないことを確認して、すごい心臓バクバクしてるのを感じながら、あのあのあの、これこれこれ!!!ってめっちゃドモりながら、スマホのあの神表紙を見せた。
「これ、あなたのご本ですか?!?!?」って。サークル主さんはちょっと面食らったあとに、「ああー、そうですよ。ずっと前のやつですけど、そうです。随分前に完売しちゃって再販も予定ないです…」と、既刊希望の人かな?って感じの説明をしてくれた。やべえ。会話下手くそ過ぎて伝わってねえ。
いやいや踏ん張れ頑張れ!!ここまで言ったならもう最後まで言っちゃえ!引かれたらそのままこの人の前から消えて、諦めよう!何もかも!と上述した全てのことを、手短に話した。
だって変な女がスペースを離れないんですけどって思われたくないし、他の人にも迷惑だからね。
その人は、泣いてしまった。や、やべえ…神サークル主があまりの恐怖に泣いている…、時間にして2分くらいの犯行である…。
ご、ごめんなさいキモイですね…って言ったら、その人は「自分の絵でそこまで言ってくれる人には、十年間会ったことが無かった。ありがとう。」って答えてくれた。
いや恐怖にすくんで私の様子をうかがっただけかもしれないけど…、気遣いかもしれないけど…。
でも、その反応だけで、今までのことが全て報われたような気持ちになった。私が探して探したあの十年の時間は、あんまり意味がなかったのかもしれないけれど(だって、その日、そのサークルさんを偶然にも見つけたことに、あんまり関連がないものな)、でもやっぱり良かったって思った。
あなたのサークルを探して出会った沢山のサイトがあって、あなたのサークルを探して出会った沢山の素敵なイラストがあって、あなたのサークルが繋いでくれた色んな縁があるんだよ。
「縁」ってやっぱりあるんだなって思った。
新しく手に入れたその神同人誌の奥付には、普通に連絡先が載っていた。
いや載ってるんか~~~~~~~~~~~~い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(でも、伝えたことに後悔はないです)
追記:https://anond.hatelabo.jp/20180304161620
追記というか完全に蛇足なんですけど…許して…。
アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観て思う,「そういえば最後に手紙を書いたのはいつだったろうか」.
インターネットが発達して,わざわざ人が紙に文字を書き,数日かけて離れた人に届く『手紙』という文化は久しくなった,と思う.現に郵便局での郵便物の扱う数は減っている[1].少なくとも自分はTwitterであったり,このように誰が書いたかも分からない匿名日記として言葉を残すだけ,鉛筆を握ることもあまりなくなった.若い世代では皆そうなのではないか.年に一回の年賀状というものさえ減少傾向にある[2].
そんなご時世に,このアニメだ(正確にはこの基となったラノベは2015年に出版されている.が,いずれにしても手紙の文化は消え始めているように思う).自動手記人形という職人が,文字の書けない人・上手く言葉にできない人の思いを書き起こす,というちょっと昔のヨーロッパといった感じの世界観.
時代錯誤だ,と最初は思った.しかし時代相応でもあるのだ.と今は思う.
手紙は限られたリソースの中で,自分の思いを伝える手段であった.羊皮紙にペンで丁寧に書き,封筒に入れて封蝋をする.一つでも間違いがあればやり直しだ.インターネットのある今ではそれが分からない.2chでは罵倒の嵐,Twitterではクソリプが飛び交う...ACジャパンすら懸念を表明しているゾ.
だからなのか,丁寧に書かれた人の思いを(アニメの中ではあるが)目にすると何故か泣ける.いつからか,こんなにもマトモに人に思いを伝えることをしなくなったのだと思い知る.
そして手紙を出したくなる.
[1] http://www.stat.go.jp/data/nenkan/66nenkan/zuhyou/y661503000.xls
[2] https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20160110-00053278/
○昼食:おにぎり(しそたくあん)、ホットチーズサンド、フランクフルト
○調子
はややー。
なので家計簿のコーナーはもう終わりです。
お金はたくさん使ってしまったけど、自分にとって大事なものを買えたのでよかった。
そろそろそのお金を使ったコンテンツについても、この日記で扱って行きたいのですが、
ちょっと今この瞬間は、そのよかった気持ちを言葉にしてしまうと、その言葉しか伝わらないことのもどかしさがあるので、言葉にできないです。
文章にしたり言葉にするってことは、本当はもっと色々ある感情を切り落として、他人伝わるように加工するんですよね。
普段の日常では至極当然それをやってきて、なるべく伝わるよう努力するわけですが、
ことこのコンテンツへの気持ちに関しては、そうして自分の気持ちを切り落としてその感情を他人に伝えるよりも、
まず今この言葉にできない色々な気持ちを自分のなかで反芻したいです。
●3DS
○ポケとる
34までクリア。
あーーー不味い。本当に不味い。ウォッカはだから嫌いだ。中途半端な苦味が自分は好きになれない。
10代最後の年が、今日で終わる。あまりに呆気ない。色気もない。
そもそも、10代最後っていうものに、そこまで感傷的になれない。
あー、終わっちゃうんだなあ、って。
そういう程度の気分だ。
昔の自分だったら、たぶんそんなことなかったのに。センチメンタルに囚われて、あーだのうーだの呻いていたことだろう。
大みそかはいつもなら地元の友達と過ごすのが決まりだったが、今年は一人で過ごすことになっている。
もともとは神奈川の実家で暮らしていたのだけれど、大学があまりにも遠くて、9月からは埼玉に暮らし始めたのだ。
実家から……両親から逃れたくて自分は一人暮らしをはじめた。それは別のときに書いてみようと思う。
さて。暇だ。
酒がぐいぐい進むくらいには暇である。というか酔ってると、うまく文章がまとまらない。
一人でいて、何もしていないことに罪悪感を感じるのはどうしてなんだろ。
大学生になってからは、特にそう。何もしないでスマホをいじって終わる一日があったとして、そういうときは大抵死んでしまいたくなる自分だ。
今のうちに、いろいろしなきゃいけないんじゃないの?
って思うけど、結局何もできないまま一日が終わる。
……ちょっとまとまりそうにないから、今日はここまでにしとこう。
あー、死にてえ。
何かが致命的にズレている気がするが言葉にできない。
4年前、どうにも家族と折り合いがつかなかったわたしは、通えないほどで遠いわけでもない職場に入社が決まると同時に実家を出た。
実家には、大学を中退して腐ってたころに拾ってからずっと可愛がっていた猫を残していった。茶トラのやたらとデカくてお人好しでよくちびるビビリのオス。
次の春に専門を受けることに決めてから、大学生活たのしむ旧友とも疎遠になり、バイトくらいしかやることもなく鬱屈と過ごしてた日々に猫はするっと入り込んできて、うまく言葉にできないけど、今思うと当時はとても救われた。
生活が安定したら、ひきとって二人で暮らそう、とそいつと約束して実家を出てから四年間はアッという間で飲んだり遊んだりしてるうちに過ぎ去った。なんでそれを猫が待っててくれてるなんて当たりまえに思ってたんだろ。
先月ガンでしんだ。
手術も抗がん剤も、キツいの頑張ってたのに。
わたしはなにもできなかった。
通院も嫌いだった姉や妹や親が献身的にしてくれた。医療費も最終的に50かかったらしい。
がん発見してから3カ月、実家に足しげく通った。これまでになく。これしかできない自分が情けなくて吐きそうだった。どんなに通っても足りなかった。もっと一緒に居ればよかった。もっとあいつの弱気な鳴き声ききたかった。ゴワゴワしてフワフワした毛皮さわりたかった。楽観的すぎたしマヌケだった。
ペット霊園で焼いてもらって人間より二回りくらい小さい骨壺に納めた。
わたしより先に死ぬなんてわかりきってたことだし覚悟のうえで拾ったけど、こんなに早いなんてこんなにつらいなんて想像だにしてなかった。
といっても通告はもらっていなく現在大揉め中。その詳細はどうでもいい。
スキルアップを目指して学校に通ったりしたあとの4年間はジョブホッパーと見られても仕方がない状態だった。
ただ一つだけ言い訳をすると運が悪かった。
それはエージェントに騙されたりパワハラにあったり、うまく言葉にできないけど合わない会社でできない作業をしてたら病んだり…
ちょうど学校に通っている頃、転職したいなぁ〜という知人がいた。
あれこれ話を聞いたりアドバイスしても動かないので転職の話は聞き流すようになった。
裏で転職成功した私のことを「低年収なんでしょ?」「あ〜このお店はいいお値段だから増田はどうせ貧乏だし呼ばない」など言われてるのは知っていた。
家族も失った。
でも自由になったし色々なスキルと経験も得て、私の年収は学校に通う前の1.5倍になった。
今回の解雇に関しては然るべき所に対処してもらったあと、すこし生き方を考えようと思う。
私の幸せとは何か。
仕事の楽しさ。
人との付き合い。
良い人と悪い人の見分け方。
細々と暮らしながら考えたい。
そこに豊かさはあまりないけど、
なんで私はこんなに転職にこだわるのだろうと考えたら親の「どうせお前はフリーター」という言葉が思い出された。
正直働く自信をすっかりなくしてしまったが怖いくらいに落ち着き払っている。
来年はせめて、人に悪意を向けられないよう心掛けたい