はてなキーワード: 言葉にできないとは
「AVやエロ漫画で非モテが性欲から解放されるか?」というのが非モテ界隈ではたまに話に上がる。
しかし、当の非モテの自分からすれば、なんか論点がズレているように思えている。
うまく言葉にできないが、「俺は美少女のエロを知らずに死ぬ」という苦しみからは解放されていると思う。昭和なら、ブロンド美女とは何か、180cmのモデルが爺とセックスすることはどういうことなのか、ということを分からずに、悶々として死んでいたのだろう。
今は、そういう悶々としたものはない。普通に知って、普通に当たり前になって生きられる。
リアル女性からの愛情というのが、非モテ論での解放される趣旨なんだろうけど。そういうものは、世界最高の女性のエロを知らない苦しみより遥かに低いんじゃないかと感じてしまう。
世の中の女性は、バンドマンやホストに借金作ってAVなどに行ってしまうほど、愛に狂うらしい。そこまでの気持ちは男性にはあるのかね。ないんじゃないかな。無いから、苦しく無いような。
杉田水脈の論文や、LGBT関係団体の主張を見るたびに、モヤっとしている自分がいるんだけど、何がどうモヤっとしているのか言葉にできない。
それはおそらく、少なくとも次のことが分かっていないせいだと思う。
(3)日本という国家において、諸制度はどのような思想で設計されているのか(特に婚姻関係と扶養)
杉田水脈の「再生産」は杉田の考える「国家とは」「日本における婚姻関係と扶養手当の在り方」「日本の方向性」の文脈ではそこまでおかしいことを言っているわけではないと思う(そもそものそれらの考え方がおかしいというのはまた別の話だ)。
しかし、まったく違う論点、もしくはあえて論点をずらされて批判されている、もしくは新たな規範を生んでいるように思えて、何となく気持ちが悪い。
当たり前だが無から有は生まれないし考察も無から生まれない。ぶっちゃけ考察なんて慣れの問題で誰にでもできる。
ある作品に対して、
お前が思う「すごい」はどれだ。そしてどの能力を伸ばしたい。
1に必要な能力は物語論であって、キャンベルでもシド・フィールドでも石川千秋でもいいからその手の本をいくつか読んでみろ。たとえば貴種流離譚という概念を知っているだけでスター・ウォーズやバーフバリとかの作品の捉え方が変わる。
2に必要な能力はキャラクター論で、大塚英志『キャラクター小説の作り方』や新城カズマ『物語工学論』あたりでも読んでみろ。キャラクター類型という概念を前提に作品に触れてみろ。
3に必要なのは作品読解というよりその作品にあてはめうる「テーマ」について持っている自分自身の引き出しの問題だ。ラブストーリーひとつとっても、恋人未満の二人が恋人になる話、共依存関係が破綻するまでの話、三角関係の話、NTRもの、泥沼群像劇等々色々あるだろう。たとえば、コーマック・マッカーシー『ロード』は火を運ぶというメタファーから「受け継いでいく話」というテーマが読み込める筈で、そこからあの世界観において「受け継ぐ」が「世代交代」に繋がるというのは一つ言える。無数に存在する「テーマ」の類型の引き出しを作れ。
4はとにかく数をこなすことだ。小説なら作者の過去作品・インタビューを全部調べて読み込め。映像作品なら監督・脚本・演出その他諸々(全部とは行かないだろうから最低前述の3つ)の過去作品を調べてみろ。できればインタビューも読め。そして過去作品のなかのどの部分がその作品に共通しているのかを読みこめ。
5はこれまでの全部に共通する「演繹力」を磨け。「この設定であれば、この要素が欠けているのはおかしい」という想像を働かせつづけろ。「このキャラクターがこのような性格をしているのには理由があるはずだから、きっと過去にこういうことがあったのかもしれない」「この作品はこの作品のオマージュなので、きっとこういう展開になる」等々、上記で必要な引き出し全部を使っていけ。
二次創作もそれと同じだ。パターンだ。パターンを考えろ。AがBに対して愛情表現をするとする。どういうアプローチが考えられるか。気持ちを言葉にするかしないか、身体的スキンシップを含むか含まないか、そのときに照れるのか照れないのか、笑顔を浮かべるか浮かべないか、言葉にできないならどう表すか、ものを渡すのか、第三者にのろけるのか、色々パターンはあるだろう。考えて考えて考えろ。そのためには読んで読んで読みまくれ。自分のなかに引き出しを作れ。質は量で担保される。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181120/k10011717631000.html
このニュースを見て、震えるほど悔しくなったので増田に吐き出します。
21世紀を迎えた時、私は高校生でした。翌年、東京の有名私立大学に合格し、来る大学生活にたくさんの夢を乗せて期待に胸を膨らませていました。東京での一人暮らし。誰もが知る有名私立大学の学生として、充実した勉強、素晴らしい友人が私を待っているに違いありません。
その年、父が働いていた工場が閉鎖しました。父は日産系列の工場の社員でした。高校を卒業し、ひたすら真面目に働くだけが取柄だったけど、車と私たち家族が大好きな父でした。別の工場への転勤を打診され、単身赴任で引っ越していきました。
父の給料は増えるどころか減るばかりです。工場も、地元出身者はともかく、よその工場から来た人には冷たく、居心地は悪かったようです。
単身赴任はお金がかかります。有名私立中学に通っていた弟がいたので母は地元に残っていたのですが、弟の高校進学を機に父と同居することになりました。弟は地域の公立高校に進学し、母のパートも辞めざるを得ず、うちの家計が日々苦しくなるのを見守るばかりでした。
2年生の夏、母から電話がありました。「家計が苦しい。学費は出せるけど、仕送りは来月から出せない。」その日から、私のバイトだらけの日々が始まりました。毎日飲食店でのアルバイト、深夜まで働いても数千円、それでも食事代は浮きますし生活は助かります。キラキラした学生生活を送る同級生を脇目に見ながら毎日アルバイト漬けでした。
父は、本体の工場から地域の協力工場に移らされ、給料もさらに切り下げられました。学費も自分で払ってくれ、そう言われたのは3年生になる春でした。もう普通のアルバイトでは払えない額です。はたちも過ぎてましたし、水商売のアルバイトに手を付けざるを得ません。昼は飲食、夜はキャバクラ。でもお金が足りません。講義になんかちっとも出る余裕もなく、時に中年男性に肌を委ねることもしばしばでした。だいたい、私が初めてお付き合い(それをお付き合いと呼ぶのなら)した男性は、水商売で知り合った45歳の中小企業の社長ですから。男性の裏側、汚いところを嫌というほど見せつけられました。
そんなことをしていたら、大学の成績だって散々たるもの、まともな就職はできません。ちょうど就職氷河期、面接官の男性には「○○大学の子には珍しくお水ぽい、うちはそういうのはダメなのね」と言われ、有名企業の面接は全滅。結局、拾ってもらえたのは、何の因果か日産系の中小部品メーカーでした。
でも、それが災いの元。今度は、日産本体によるサプライヤーの整理再編の中、最初に勤めた会社はあっという間に倒産しました。転職しようにも特別なスキルがない私は、そのまま派遣で2~3年おきに企業を渡り歩いています。派遣先の男性に交際を誘われたりしますが、水商売時代の記憶で、どんなに表で良い顔をしていても、裏では何をやっているか想像がつのります。どうしても結婚する気にはなれません。
それでも、父が愛した日産が立派な会社になるのなら、亡き父のことを考えると一縷の救いもあろうかと思ったら、日産のお金は、ゴーンの贅沢に費消されていたとか。
こんなことが許されていいのか。
私の人生だけではなく、同じような話が本当に数万人の身の上に起きたはずなんだ。
こんなことがあっていいのか。
記者会見していた西川社長のつやつやした顔、あれだって同罪だろう?
何かがおかしいよ。
世の中はおかしいよ。
世の中は、弱い人はとことん虐げられるようにできている。
悔しくて震える。
悔しくて涙が止まらない。
正確に言うと、目の前と、頭の中が黒い靄の中にあって、私は私の体をコントロールしたり、外の世界に触れることができない。
今キーボードを打っているのも、気づいたら文字が打たれている。
どうやって打ったのか、誰の考えなのか思い出せない。
黒い靄がそこにあるだけである。
なんならむしろ行動的な方で、
2週間に1度は習い事に行くし、
就活の時は毎日ぎっしりセミナーの予定を入れて、夜遅くまで活動していた。
みんなの前に立って、言うべき時は強く言ったし、飲み会では人一倍はしゃいだ。
でも、思い返せない。
それは私じゃない。誰かの記憶。
何かを思い出そうとすると、頭の中にある黒い靄の塊と、思考の文字の塊が邪魔でよく見えない。
黒い靄の外で、近くにある手と足が動いて、声が聞こえて、映像が流れる。
鏡を見ても、それは「私」だけど、私じゃない。
感覚が無い。
今自分の手を自分で触れても、ただ目の前で手と手が触れる映像として流れるだけ。
つねると痛いけど、それが目の前の映像と結びつかない。
気付いたら全て終わっている。
黒い靄がかかった日のことは覚えている。
受験を考え出してすぐ、
その大学になんだかすごく行きたくなって、
早起きすごい苦手だけど、5:30から23:30までびっちり勉強した。
親はすごく心配した。
私にはレベルが高すぎるってずっと思ってたみたい。
ところで私は絵を描くことが寝食を忘れるくらい大好きだった。
小中学生のとき少しいじめられてて、毎日死にたいと思っていたけど、
絵を描きたくて、生きていた。
思ったように描けなくて泣くほど悔しくても止めようなんて1ミリも思わなかったし、テスト前でも睡眠時間削って描いてた。
描けなくなるなら死んだ方がいいと思った。
最後の最後、我慢できなくなって勉強ノート一枚隅々まで使って絵を描いたときはほんとに気持ちよかったな。
技術的には全然だけど、やっと自分が描きたいと思う絵が描けつつあって嬉しく思ったのを覚えてる。
大学生になったら、親の目も無いし好きなだけ絵が描けると思ってた。
同人誌出したいなとか、
誰かに絵を使ってもらいたいなとか、
今思えば絵が生きがいだった。
なぜかはっきり思い出せないんだけど、
母親に、あなたが受かるわけないでしょ的なことを会話の中で言われた。
えっ、私受からないんだ、って素直にびっくりした。
そのまま試験を受けに行った。
そこだけはっきり覚えてるんだけど、
英語の長文解こうとして、読み始めて、どうしても読めなかった。
過去問で長文何回も読んだけど、まるで初めて英語を見たぐらい意味が頭に入ってこなくて。
見えてるのに見えてなくて、読んでるのに読んでなくて、何も分からない。
黒い靄がかかっているのに気付いた。
もうパニックになって、見えろ!見えろ!って心で叫んだ。
泣いてた。
黒い靄は晴れないまま、試験は終わった。
会場外で母と待ち合わせして一緒に帰った。
どうだった?って聞かれたから、全然解けなかったんだって言ったら、
「ええ~?あんなに頑張ってたのにどうして?」
って。
すごく裏切られた気がした。
受からないと思ってたんじゃないの?って
私、受かるかもしれなかったの?って、混乱した。
慌てて受けた大学に行った。
親としては十分満足な大学らしいけど、私は受かっても何も思わなかった。
気付いたら、絵が、描けなくなっていた。
とにかく手を動かしてみても全然違う。
私ではない誰かが、「絵を描くために描いた絵」って感じで、
心が全然こもってなくて、あさましくて気持ち悪くてすぐ捨てた。
今も描けない。
あれから6年、まともに絵を描いてない。
黒い靄の中で私はずっと眠っている。
どんなに強く刺激してみても、黒い靄は破れない。
今でも親は、言葉にできない怖さがある。
目の前にすると何も言えなくなるし、
さすがに黒い靄との付き合いも長くなってきて色々考えるんだけど、
もしかすると、黒い靄は私が現実を見て傷つかないように守ってくれてるのかなって思う。
大学に落ちたとか、親とか怖いことを見せないように包んでくれてるのかなって。
時々、黒い靄と私のことを深く考えると少し視界がまぶしくなって、
なんだか立っていられないほどに自分が心もとなくて怖くなる。
素直に、今まで守ってくれてありがとうって思う。
きっとその時の私じゃ耐えられなさそうなことが黒い靄の外では起きてたんだろう。
本当に死にかねなかったのかもしれない。
これからの人生は、黒い靄ごしじゃなく、私の目で世界を見たいなとか思ってる。
黒い靄からの出方はコツが掴めそうで掴めてなくて、
今この瞬間も黒い靄の中。
ずっと応援していた、
毎日その子のことばかり考えていた、大好きなアイドルが突然いなくなってしまった。
もとからいなかったかのように、グループも事務所もなにもなかったかのようになにも言わない。
いなくなってしまったのにそれについて何の発表もないので、
その子が元気なのか、なぜ突然いなくなってしまったのか、今も芸能の仕事をしたいと思っているのか、
全部がわからない。
ファンはみんな戸惑うまま。
この1年ずっと、
小さな刃物で刺されつづけたような、大失恋を細かく刻んで体験しつづけたような、うまく言葉にできない、いままでの人生で感じたことのないタイプのダメージを受けた。
私はアイドルオタクだ。
ずっとここ数年、その子のことばかりを考えていた。
より近くで観るために良い場所のチケットを手に入れることにいつも必死だった。
行方知れずになってしまったいまでも、毎日彼女のことを考えている。
いまこのように、毛布にくるまり眠りにつくまでの間、皿を洗っている時、
街で買い物をしているとき、ネットで新作コスメなんかのニュース記事を見たとき、これをあの子にプレゼントしたらどうだろうかといつも思う。
でもいまは、なぜいなくなってしまったのかなにもわからないから、
事務所に送ってもプレゼントも届かないかもしれないし、届いても邪魔で迷惑になるだけかもしれないし、
一方的に想っているだけのファンっていうのは、もう何もしないで静かにしているのが1番彼女のためになることなのかもしれない。
改めてこう書き出してみると、なにも役に立たないくせに押し付けがましい感情しかないんだな、さみしいな。
ずっとこの1年、毎日同じことばかり繰り返し考えてばかりいたから、
アウトプットしたくて、整理して少し変わりたくて、はてなのアカウントを作った。
願いは
心から笑って過ごせること、
幸せでいてください。
ステージの彼女を観ていることがあまりに幸せすぎて、自分の頭の中のほとんどを占めすぎて、依存しすぎていたなと改めて実感した。
わたしは自分自身のことはバカで恥ずかしくて好きじゃないけど、貴女の素晴らしいステージを観ていられることが、なにかアイデンティティのような、そのように感じていた。
はぁ、きもちわるい。
よく、自分への一方的な恋愛感情の押し付け、勝手に気持ちを煮詰めて爆発させてきたり、妄想のようなイメージの押し付けをしてくる異性が気持ち悪すぎて鳥肌だったけど、
まさに私も同じじゃん。
もう一度ステージで見たいなんて欲を言わないので、
このままサヨナラじゃなくて、
もうファンの応援は必要ないですよサヨナラと言ってもらえたらスッキリする。
夜中のテンションでこんなこと書いて、明日みたらゲッソリしそう。
はー。
でも、すこしスッキリした。
昔カール・セーガンという天文学者が、私たちは"星の子"だと語った。
それは僕たちが”この母なる星”に生きている、と言ったありきたりな安っぽいポエムみたいな言葉ではない。僕たちを形作る、窒素もカルシウムも鉄分も炭素も、全てかつて崩壊した星々の内部で作られたもので、僕たちの体は星の欠片で出来ている、という非常に現実的な言葉だった。
雨の昼休み、図書室でこの言葉を読んだ小学生の僕はわくわくした。
遠い宇宙で星が産まれ、そして滅び、いま僕の身体になっている、と思うと何故か僕の全てがきらめく気がした。
右手の人差し指の先っぽで蛍光灯に白々しく光るこの爪も、いつかどこかであの夜空に浮かぶ星々の一つだった、と思うと言葉にできないときめきを感じたのだ。
チャイムを聞いた僕は鼻息荒く本を閉じ、僕の体は星で出来ているんだぞ!と考えながら午後の眠たい授業を聞いた。
数ヶ月もしたらすっかり忘れた。
文芸部の部長として本の整理をする彼女と、友人を待っている間に煙草を吸える場所を求めて部室棟にたどり着いた僕は、レースのカーテンみたいに全てを柔らかに見せる吹奏楽部の演奏を背景に殆ど忘れてしまった沢山の話をした。
ある日、吹奏楽部がブラームスを練習していたころ、何の話の流れでかも忘れてしまったけれど宇宙の話になった。
僕は数年ぶりに思い出したその言葉に懐かしさを覚えながら、俺の体が星でできてるなんてって、わくわくしたよ、と言った。
彼女は「私もそう思った!」と急に大きな声で言ったあと、自分の声にびっくりしたのか右手で口を抑えた。僕たちは透きとおったオレンジの光の束の中で見つめ合い笑った。
この人差し指の爪もさ、星でできてるんだな、って感動したんだよね、と言いながら煙草の匂いのついた右手を差し出すと、ピアノを習っていたという白く細長い人差し指で彼女がそれに触れた。少しだけ湿り気を帯びた指先が柔らかくて暖かかった。
「あの映画みたいだね」とやけに赤い唇で彼女が言った。そう言えば聞こえてくる曲をブラームスだと教えてくれたのも彼女だった。
そのとき、僕は、何故か急に、眼鏡をかけて髪をまとめブレザーを着た彼女も星の欠片で出来ているんだ、と言うことが、あの日僕の感じたときめきが、本当の意味でやっとわかった。
いつかどこか宇宙の彼方で輝いていた星が、いま僕の全てを形作り、いつかどこか宇宙の彼方で輝いていた星が、いま目の前で笑う彼女の全てを形作っている――――――
僕は泣きそうになって、煙が目に染みたなんて誤魔化したあと金木犀の香りの帰り道を息を切らして走った。
きらめく星屑で作られた僕たちが、出会ったり別れたりを繰り返しながらまた星屑になり、そしていつかどこか遠い星でまた出会う。
きっと僕たちはこれまでも出会ってきたのだ。それはどこか遠い星で寄り添い合う二つの水晶だったかもしれないし、宇宙を彷徨う二つの塵だったかもしれない。
僕たちはブラームスを響かせる金管楽器だったかも知れないし、甘く漂う金木犀だったかも知れない。
何が書きたくてこの文章を書き始めたのか忘れたしちょっと眠くなってきたんだけど、これをキーボードで打っている僕のきらめく指先も、これを読んでいる君のきらめく瞳も星屑で出来ているっていう、なんかいい感じの話で終わりにしていい?いいよね、ありがとうおやすみ。
終了のお知らせを目にして、かつて使っていた自分のダイアリーの事を思い出した。
懐かしくなり、アーカイブしていたお気に入りフォルダから開いてみる。
ページの色味を懐かしみながら日記をたどるうちに
当時高校生の私、
後輩と行ったマクドナルドでのたわいもない会話。
第一志望に無事合格した頃には、すでにダイアリーを使わなくなっていた。
そんな中、ふと思い出した日がある。
高3の冬の日。母が他界した日だ。
やはり具体的な内容までは覚えていないが、
とにかく辛く、泣き言を文字通り泣きじゃくりながら、つらつらと書いた覚えがある。
書く事で気を紛らわさなければ辛くてやっていられない。
うつむく家族の誰とも顔を合わせたくない。部屋から出たくない。
その日を見つけた。
私はそこに、母への手紙を書いていた。
とても明るい文体で、ひたすらに母との思い出が連なっていた。
秋に一緒に出かけたディズニーの話。
寂しい、けど頑張るという決意。
涙もろい私だけど、不思議とその日のダイアリーを読む間は涙は出ない。
*
それにしてもブログ全盛期の当時。
我ながら私らしいやと思いながら、カフェで走り書き。
帰って夕飯の支度をしなければ。
私もいつの間にかお母さんだよ。
ムカついていたんだけど、最近悲しくなってきた
だから書き残しておく
「名探偵コナン」に登場する安室透というキャラが今大ブームだ。特に女から大人気。
親が漫画を集めてて、俺も幼少期からずっとアニメと漫画を見ていた。
安室が登場し、その正体とかが明かされて、メインの映画まで作られて、「こいつおいしいとこ持ってくな」と思う程度には普通に好きなキャラだった。
腐女子もたくさんいるけど、安室に本気で恋をしている系の女もいるっぽい。
最近は公式スピンオフで安室が女キャラと絡んだら、その作者を攻撃して謝らせていた。
今年の映画大ヒットあたりからこういうやばいオタクが目立つようになってきて、最初はイライラしていた。
しかも公式も空前の安室プッシュ。いやわかるけど。金になるんだろうけど、お前は主人公か?ってくらいの扱い。
コナンのラブコメが好きだった。推理らへんは、頭悪いから「へー!」とか思って楽しんでた。
安室がラブコメに絡むことはあるのかなとか思ってたけど、あんな奴らいたらそういう構想があっても作者はやめてしまうかもしれない。
俺の好きだった名探偵コナンも、そうして女オタクに媚を売るオナニー作品になっていくのだろうか。
小学校の夏休み、夢中で読んだ思い出とかがなんか浮かんできて、ひたすら悲しい。もう怒りってより、ただ悲しい。
作者も安室も悪くないけど、俺はコナンが好きだった。これからも好きでいたい。いや好きだけど、でも前とはちょっと違ってしまってるのがマジで嫌だ。
病気で常に肉体的な痛みを抱えてるような人はどうやって思考を保ってるんだろう。
筋トレや運動の苦痛で思考をジャックすることと同じことが常に病によって行われてしまう。
大野更紗の麻美ゆまとの対談http://blogos.com/article/92801/
大野:私、全然乗り越えてないですよ(笑)。もうぐっだぐっだに未練たらたらですから。
自分の病気を許しがたいと思う時もあります。正面から闘う時もありますし。免疫抑制剤を常に投与しているので感染症に罹患しやすいので、今マスクをしていますが、実は今年は2月と3月にノロとインフルエンザにかかって、もう大変でした。あやうく死にかけ、ドクターに怒られてしまいました。
そういう時は、劇的に病気と対峙しているのですが、そうじゃない時が、日常の大半の時間を占めるんです。全身の痛みや、言葉にできないような倦怠感、疲れやすさや病気のコントロールのために必要な朝から眠る前までの日常生活の工夫と服薬管理。そういう延々とした時間と、どうやって付き合っていくか。慢性の病気とか、治癒が困難な病気とか、再発のおそれのある病気を抱えながら、自分ではどうしようもないことを抱えながら生きるということは、そういう状況にサーフボードのように適当にユラユラのってみるというのも、それはそれで1つのあり方なのかなと思ったりもします。で、たまに無茶してドクターに説教される、みたいな感じですかね。
大野:気分は今もずっと落ちています(笑)。基本的によく「大野さん、明るい」とか「前向き」とか言われますが、ネクラで心配性。心配性が過ぎるわけですよね。
人から「こうすれば何とかなるよ」とか「たぶん、こうなんじゃない」などと言われても、自分の主治医にすら、「こうだと思うから、たぶん何とかなるんじゃない」と言われても、それらを信用できないわけです。自分で確かめて確信を持てるところまで至らないと、一歩を踏み出せないんです。
みんなツイキャスって知ってる?
TwitCastingってやつ。
名前や存在は知っていたんだけど、きっとYoutuberみたいな人たちが配信しているんだと思ってた。
でも開いてみてすごくショックを受けた。
うまくこのショックを受けた原因を言葉にできないんだけど、同じように感じる人もいると思うからここに書いてみる。
まずツイキャスを開くと、すごく清潔感のない絵面のコンテンツばかりで成り立っていることがわかる。
顔が醜いことや清潔感がないこともあるけど、加えてぼろぼろのアパートみたいな室内を背景にしていたり
男女ともに冴えない感じのおじさん・おばさん世代も多くいる。
更に画質が悪いことが拍車をかけてる。
そういう人たちがなんだか堂々とした顔で配信している(サムネイルしか見ていないけど)のを見ると、すごく不気味に感じた。
普通の神経じゃあんなことはできないと思う。やっている人が病気のように見えた。
毎朝息子とおかあさんといっしょを見ている。
この冬生まれたばかりの息子は最近テレビを見ることを覚えて、いないいないばあっ!のOPが始まると画面を見てきゃっきゃと笑うようになった。
おかあさんといっしょも大好きで、ブンバボンの曲がかかるとまだ一人で座れないのに手をあげて喜ぶ。
8時になるとおかあさんといっしょ→いないいないばぁっ!は毎日の習慣になった。
それで毎朝じっくりおかあさんといっしょを見てるんだけど、昔と違ってスリムになったなぁとか思いながら見ている。
それで抱っこしながら毎日流れてる歌を一緒に歌ってあげたら、息子が何だかすごく喜ぶ。手を上にあげて、きゃっきゃ笑ってる。
あ、これヤバイ奴だと思った。おかあさんといっしょがやばいというか、息子がヤバイ。泣かせにかかってる。
何で泣くのかなんとなくわかるけど、うまく言葉にできない。ただこの子の親になれてよかったなあという感じ。
「ほめられちゃった」の涙腺破壊力はヤバイ。歌詞だけ見ると何でもないのに歌とアニメーションがついたらヤバイ。
親泣かせにかかってるだろとか思う。
それから「がんばれがんば!」もヤバい。最後にわんわんが「ママさんガンバ!」とか言うの反則でしょ。