「自発的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自発的とは

2021-01-14

anond:20210114192627

氷河期世代KKOにだけ利用を許せば

社会保障費を圧迫する前に自発的に一掃できるのでは

anond:20210114130228

あ、すみませんちょっと伝えたいところがぶれちゃったようです。

僕としては「不公平感の撤廃」が第一です。「家庭を回す為に必要タスク責任を各人のスペック健康状態に応じて自発的に行う」は方法論なのですが、必要なのは不公平感の撤廃です。

まぁ実際五分五分になったところで、正確には判断できないものですので、難しいですけどね。

ですが、ようは自分が何割負担しているのか?の自己評価がお互い一致すればいいのではないかと思います

自己評価が高い二人ならば、自分が家庭に6割貢献している!を二人とも思っていればそれはバランス良くなると思います

相手のことを過大評価する二人なら、「自分はこんなに楽させてもらって恐縮です。いつもありがとう」とお互い思っている状態になります。うちはこのパターンです。

これは多分、実際のタスクよりも感情論の方がいいと思うんですよ。「私は5割負担してると思ってる。」「俺は8割負担してると思ってる。正直しんどい。」

もちろん表は表で大事だと思うんですが、例えば平日に何個もタスクを抱えることと、週末一気にやることじゃ、結構しんどさって変わってくるもんじゃないですか。体感ベースでいいと思ってるんですよね。

これがしんどいってのが分かれば、金で解決するかとかなりますし。


まぁまた話がぶれていきそうなのでこの辺にしますが、とりあえず「不公平感があっては家庭は上手く回らない」ということを共通認識にして、「不公平感を取り払うにはどうしたらよいのかを二人で考える」ことが大事かと思います

子供が生まれたらまた変わりますけどね。

anond:20210114084501

男の人でそんなに沢山家事やってるの偉いな!フルタイム共働きでも家事負担率9:1って言われている日本で、そんなにやってるのはマジですごい

うちもまだ子供いないんだけど、共同口座準備して、そこにお互い定額振り込みしてる、フルタイム共働きだけど旦那の方が給与いから少し多めに入れてもらってる

そこに紐づけたクレジットカードから食費水道光熱費等を支払い

残りは各自運用(お小遣いだったりNISAだったり

 

元々は給与も同じ忙しさも同じぐらい家事は全部自分だったか不公平感感じていて、当番制とかタスク管理ツールとか色々考えたけどぜんっぜん続かなかった

相手閾値は極端に低く、それゆえに言葉だけで自発的にしてもらうことはまず無理なので、具体的に指示する(家を出る前にゴミお願いって言ったり、お皿洗ってって言ったり

あとはやってくれたらひたすら褒めるし、自分モチベーション維持のために褒めてもらえるように仕向けてる

それでも結局不公平になるので、気に病むよりはガンガン便利なツール(食器洗い機ルンバ洗濯乾燥機ネットスーパーとか)を使って負担自体を軽減する方向へシフト

 

奥さん閾値がどれくらいかからないけど、男女逆で友達のケースも見てると、家事やめても相当汚くならないと相手はやらないな〜(キッチンが洗い物でパンパンになるとか…

子育て始まって本当にこの負担は無理ってなって爆発して病院行ったりして変わったってケースはいくつかある

諦めてる人は、でかい子供ペット暮らしているって考えてるって言ってた

子供いないんだし、負担に対する不満感>>一緒に暮らすことで得られる幸せ離婚の手間ってなったら、別れちゃうのもありだと思うよ

anond:20210114084501

俺だったら離婚案件かなー。安易に言いたくないけど。

結婚する前に、「僕らの家から不公平感を無くしたいと思う。私・俺めっちゃ我慢してる(がんばってる)のにお前はなんだ?なんて思ってたら絶対上手くいかない。」ってことを話していて、健康状態の把握しながらお互い自分がしていることと相手がしていることの対比を常々してるので、まぁあんまり大丈夫かな。

大事なのは「家庭を回す為に必要タスク責任を各人のスペック健康状態に応じて自発的に行う」であり、男女が同じだけ家事を分担するなんてことじゃない。まぁうちの夫婦は、二人とも相手に嫌われたくないが一番なので、自発的に動くようになってるんだけどね。いいんだか悪いんだか。

俺なら離婚案件に話が戻るけど、どちらかと言えばそれで後ろめたさとかありがたみを感じない女とは一緒に生活はできねーなって感じ。そんなもん愛人ペットにしてるだけだからな。嫁じゃない。

2021-01-13

若い人、若い世代って言葉が悪い意味で使われすぎてて「あーはいはいまた若い人のせいにばかりするのね」って聞き流している人多いんじゃないか

我慢してる若い人も多くいるのに自分たちのこと棚にあげてお願いしますとか言われてもばかにされてるとしか思えない

私も国のいう若い人に該当するけど国の言うことは聞いてるつもりはない

自分の身の安全が一番だからなるべく家から出ないし外食もしてないし用事が済んだからまっすぐ家に帰ってる

国が言ったか我慢してる人ってどれだけいるの?

我慢してる人って年代関係なく自発的我慢している人だけなんじゃないの

もう年代で呼びかけるのはやめてほしい。誰も聞かないし余計なヘイトを溜めるだけ

それよりもどういう行動をしている人間がかかりやすいかを示して「自分のことだ」と思わせるほうがいいだろ

2021-01-12

これははっきり言って、違法レベルバグ

さすがに同業者同士で、かつ実害がないという事で、バグ票に記載せず連絡。自発的に見つけたことにして修正してくれ扱い。

まぁ、しょうがない。プログラマー助け合いだって、どうみても、ミスなんだもん。ただ、違法といわれると、厳密には違法といわれかねないし、まぁ、追徴課税とかその程度だけど、自発的に気がついてくれるにこしたことはない。同業者

2021-01-11

タイムリープ人生はやり直せない。それでも、もう一度過去に戻りたい

=== 1 ===

私は今、過去へとタイムリープして、2度目の「現在」を生きている。

まあ、そう言ったところで多くの人には信じてもらえないのだろう。

からまずは、どのようにタイムリープ可能となったのか、その理屈を述べ、

納得を得るべきなのだろうが、先方との約束でそれはできない。

今回のタイムリープには協力者が居て、その人のおかげでタイムリープが実現できた。

それ以上のことは先方との約束により、絶対に明らかにできない。

しかし、タイムリープ理屈など、私にとってはどうでもいいのだ。

私が伝えたいのは、タイムリープを以てしても、結局人生はやり直せなかったという事実だ。

タイムリープ人生をやり直すには、タイムリープの誘いを受けたという幸運だけでなく、

ある種の「快適さ」を打ち捨てるだけの強い意志必要だと知ったのだ。

身を以て知ったその事実を、強い驚きに加えて、ある「期待」を持って皆に伝えたいのだ。

=== 2 ===

そもそも私の場合入試恋愛、大きな事件事故など、「現在」に至るまでの人生の中で、

強い悔いを残し、これだけは絶対に変えたい!というイベント特に無かった。

それでも、先方からタイムリープの誘いに乗ったのは、既に結果を知る過去を再度歩めるのだから

そこに現れる人生選択肢もより良いものが選べるはずだと考えたからだった。

例えば、学生の頃のテストは「現在」の知識によって、より良い点数が取れるだろう。

また逆に、記憶の限り日々のトラブルはすべて回避できるだろう。そういったことだ。

すなわち、自分記憶によって、2度目の過去ではより良い選択肢が選べ、

現在」までの人生もっと高いステージに引き上げることができるだろうと思ったのだ。

おそらく、大多数の人間がそう考えるように。

ちなみに、私には中学生の頃から大学ノート日記を記す習慣があった。

さすがに、過去の細かなことなど覚えていないわけで、過去をより良く選択するには、

日記という貴重なデータ絶対に持っていく必要があると思った。

から、先方にも無理を言って説得し、

その十数冊ある日記の束と共にタイムリープすることを許してもらった。

しかしながら、今になって思い返してみれば、それが一番の悪手だった。

その日記という紙束が、自分選択肢を強く制約し、新たな可能性を潰してしまったのだ。

すなわち、実際にタイムリープしてみると、日記記載記憶どおりの人生を歩んでしまい、

新たな選択肢を選び直すことなほとんどできやしなかったのだ。

いや、タイムリープして最初のうちは、出し惜しみのつもりだった。

中学生に戻って、日記記載記憶どおりに繰り返す毎日

その不思議さは、自分が全知であるかのような錯覚を生む。このままで居たい。

すると、新たな選択億劫さ。

そこで、新たな選択未来を知るアドバンテージを損なうことなのだと理屈を付けた。

そして、自分はまだ中学生なのだから、さほど大きな選択肢も無いだろうと、

タイムリープして最初のうちは意図的に、1度目の過去とわりと同じ選択肢を選び続けていたのだった。

さらに、先に述べたとおり、私には絶対に変えたいというイベント特に無かった。

そのため、新たな選択肢を出し惜しむ状態は、数年間にも渡って続いてしまった。

しかし、高校生にもなれば、日々の会話の中で「バタフライ効果」の存在に思い至る。

どんな小さな行動でも、新たな選択肢を選んでしまえばその影響の大きさは読み切れない。

未来を知るアドバンテージもその行動に留まらず、完全に失われかねない。

それに気づいてからは全てを不安に感じ始めてしまい、いつか来る大きな選択肢のために

そのアドバンテージを保持しようと、それが自分にとって良いことであろうと悪いことであろうと、

ひたすら日記記載記憶の通り行動した。それは大人になっても同じだった。

例えば、その日は職場トラブルを起こし、大迷惑をかけるとわかっていた。

それでも出勤し、何の対策も取らず、上司に怒られながら対応に奔走した。

例えば、その日は旅行でどんな光景を見たのか、おぼろ気ながらも覚えていた。

それでも出発し、同じ忘れ物をして、退屈を感じながらも時刻表に追われた。

もちろん、毎日何を食べて暮らしていたかなど、日記にも記憶にも無いこともあったが、

それらは詳しく追わなかった。それなら、意識しないことこそ自然だと思ったから。

そして日記も書いた。

もはや、日々起きるイベントは1度目の過去と全く同じであり、

日記を書くというよりは、持参した日記の単なる引き写しでしかなかったわけだが。

それでも、日記を書かないことも「バタフライ効果」を起こすと信じてしまい、

持参した日記まっさら大学ノートにそのまま書写するという、

客観的に見ればまさに馬鹿馬鹿しいだろう行動を、「現在」まで真剣に続けてきたのだった。

=== 3 ===

そうやって、タイムリープの出発時点である現在」に十数年もかけて、ただ出戻ってしまったわけだ。

外見的には、同じ日記の束が1組増えただけのひたすら長い時間だった。

前節に述べた思考過程により、人生を変えるような選択肢は何一つ選べなかったわけだが、

それでも、一つだけ新たに気づいたことがある。

それは、2度目の過去は少々退屈ではあるけれど、ひたすら快適だということだった。

2度目の過去の後半はむしろ自発的に新たな選択肢を選ぼうとしなかったのかもしれない。

なにしろ選択肢を選び直さなければ、明日に何が起こるのかまたわかるのだから

その明日トラブルだらけだったとしても、それはいつどのように治まるかを知っている。

「止まない雨は無い」ということを、実体験によりわかっていたのだ。

それゆえ、「バタフライ効果」の影響が狭まったやり直しの後半においても、

トラブル回避するつもりの選択肢を選ぶリスク(「バタフライ効果」でリスクにもなり得るのだ)より、

選択肢を選び直さないことによるメリットの方を選んだ。

そうして、私は「現在」に至るまで、リスクのある新しい選択肢ではなく、

苦しくとも理解できる未来が選べる「快適さ」の方を選んできたのだった。

そういえば、タイムリープで戻った時点よりももっと前、

しか小学生の頃には、私もいわゆるロールプレイングゲーム遊んだことがある。

しかし、それを最後までクリアしたことは一度も無かった。

なぜなら、ガイドブック存在する範囲シナリオが終わってしまうと、

何をどう進めて最終目標に向かえばよいかからなかったからだ。

そのことを、2度目の「現在」に戻ってようやく思い出す。

これからの、日記記憶も、当然ガイドブックも無いまっさら未来が本当に恐ろしい。

それに比べて、あの「快適さ」に包まれ過去の日々は、本当に素晴らしいものだった。

強い意志の無い私のような人間には、新たな選択肢が選べ直せないと重々わかりきった上でも、

もう一度、日記とともにタイムリープを繰り返したいと思うくらいに。


そして、今はあの「現在」だ。

1度目の人生と同様、かの先方は再び現れるはずだ。

迷惑メールのようなぎこちない文面で、タイムリープの誘いを持ち掛けてくるはずなのだ

=== 4 ===

そう、そのはずだったのだ。

しかし、タイムリープの誘いを持ち掛けるメールは、いまだに来ない。

その時期が日記記載から遅れていても許すから、どうか早く現れてほしい。

まっさら未来などまっぴらだ。私は「快適さ」のある過去に、もう一度引きこもりたいのだ。

あんなに嫌っていた「バタフライ効果」だったが、今度だけはそれを「期待」して、この文章を投じておく。

anond:20210111110231

会話はなりたつよ。

だけど、会話をどれだけやっても、バグは治さない。

業務上の指示をシステムを通して、入れる。そうしてくれれば、治す。

そうでなければ、ここにバグがあるから、君の自発的意思で治してくれラジオ体操毎日よこで踊られても

治しちゃいけない、というか治せない。

システムを通して、作業指示を入れてくれ。

そんだけなんだよ。

 

※ちなみに、ラジオ体操ではなく会話だと考えてもいいが、その場合業務手続き無視して、直接、プログラマーに改造を会社無視して頼んだとなるから

面倒。下手すりゃ警備部門に違法を訴えないといけなくなる。

2021-01-10

anond:20210110112310

変な話だが、自殺のお願いを国がして、自殺した場合、それは自殺か?というとどうみても殺人だ。お願いした段階で自発的にということばは使えない。

2021-01-09

感情説明することが難しいという話に対する詳しい説明

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1649741

ここのブコメ

感情説明できないというTogetterの被まとめ者に対して

という反応が散見されるので自分の思いを説明したい

感情説明できない」という人は「感情がない」というわけじゃないし、思考力がないか説明できないわけじゃないんだ

しろ被まとめ者は内省して行動を直しているので思考力はかなりある方だ

では何が困難で説明できないのか

 

そもそも感情と言われているもの

ブコメシチュエーションを例に取らせてもらうと(あくまで例なので他意はないです)

ご飯を作ってあげたときに「美味しいよ」とか「ありがとう」の前に「鶏肉ももからむね肉にしたんだね、さっぱりとした味になっているね」とか言われたらそりゃモヤモヤするよ

ご飯食べてる時は他に色々考えているはず。

こういった様々な脳内情報処理の中で、(※)で示した部分だけが今、言及すべき感情とされていて

他はそもそも感情ではないか、感情と言っても言及すべきではないものであり

反応を返しても相手の満足を得れない

俺はこの(※)を満足な速度で抽出するのが苦手だし、被まとめ者もおそらくここが苦手なんだと思う

 

何が誤解されているのか

上の列挙でわかるとおり、感情と呼べそうな情報処理脳内ちゃんと行なわれているので感情がないわけではない。

論理性が低いのか?と言われるとそこは自信がないだけど

どっちかと言うと話し相手情報として必要としている感情が即座に判断できないことに困難を感じている

 

快/不快はとても的確に判断できるんで、癇癪も起こせるんだけど

単に快/不快だけを表現してと言われると上のリストの中の「寒い」とかが出てしま

ただしこのシチュエーションで求められているのは「おいしい」と「ありがとう」

正直自分感覚で言うと「ありがとう」は快/不快でもないし感情でもない気がする

 

ただし、十分な時間を与えてくれたら今相手自分提供した食事について価値判断してほしいと言っていることがわかる

ただこれがシチュエーションが違うと「美味しいかどうかはいいから昨日の食事との違いを答えてほしい」とかが要求になるんで

ここもまた即座に判断できない

どう解決すべきか

長年人間関係空気読みというのをやってきて、多くのシチュエーションでは能力が足りなくても十全な努力をしていれば許されることがわかってきた

今回の場合、「自分はこんなに困難を抱えていて最大限努力している」ということが伝われば

受け入れられることも多いことがわかった

ただそれにも多くの時間必要とするので、普通の人のように人間関係は広くはできないんだけど

どうしたもんだろう、ねえ

 

追記

色々反応くれてありがとう(一言目にありがとうを言う程度にはコミュニケーションはできる)

ブコメ見て、とりあえず上からコメントしてみる

 

thacaChasma 「ご飯を作ってもらったときには、余程マズい時以外、美味しい・ありがとう最初に言う」というコミュ障ライフハックがある。何も言わない/毎回正確な分析を語るより、100倍良い結果になる。

hakusai_chan 「相手に何かしてもらったらまずは喜びと感謝を表明」この原則はいいかなる時でも通用すると思います

 

付き合いが浅いうちはこれで対応できるんだよね。ネットのつきあいも同じだ

問題は元まとめにあったようにかなり深い付き合いになった時

 

ezmi4 女性間は共感が求められ男性間はそうでもなくても、男性結婚や恋をする場合得てして女性のそういう面の恩恵を受ける(惹かれる)訳で、それを口開けて享受するだけなのは如何なものかと。お互い与え合わないとね ブコメみての感想

 

増田じゃなくブコメへの反応らしいんで回答ずれてるのかもしれないけど

たぶん俺と同じ困難は男女関係なく持ってる。で、得てして男は男と、女は女との付き合いの時間が長いので

女の方がケアしあう関係が強いなら俺みたいに共感力が低い女は俺以上に日常で困難を抱えているはず。厳しそうだ(共感)

 

pikopikopan 発達障害あるある。私も感情抽出が苦手だし、文字に書き出してようやく表現出来る感じ。時間かかるんだよね。頭で思っても、感謝共感を伝えるのを忘れがち。同時進行で別のこと考えてたりするし。

 

まあね。もう少し時間をかけても反応していいって言う人が増えたら楽になるんだけど

 

nmcli 列挙されてる脳内感情自分のことばっかりなのでモヤモヤした。「便利だ」「ありがたい」の解像度を高めて「自分のために時間を費やして作ってくれたんだな」とかがあれば、心無く感じることはないのだけ

kwsktr すげえ違和感なんだよな。「寒い」と「美味しい」が同列で並べられていたり「自分で準備しなくても食事が食べれる」の下に「ありがとう」があることとか。足りないのは思考だけじゃなくて、共感視野じゃないかな。

kotetsu306 自分の快/不快考慮してるのに、相手の快/不快については全く判断材料にしてない(登場すらしない)のリアル。列挙した選択肢のうち、もし自分が言われたら快なのはどれ?って思考はできるだろうか

 

そう、共感力の高い「普通」ができる人間は、「自分の思いを伝えろ」と言われたとき反射的に「相手への共感を踏まえろ」って発想に至るんだよ

ここに至るまで人生だいぶ時間を使ったんだけど、普通人間モヤモヤとか違和感とかそういう直感ショートカットして判断できるらしいんだよな

 

ちなみに自分が言われた時快に思うのは「ありがとう」だけど、共感が得られることを快と判断するなら「おいしい」「寒い」でも共感はできる

この場合寒いはいくら共感を得られても正解ではないっぽい

 

kjin “どっちかと言うと話し相手情報として必要としている感情が即座に判断できないことに困難を感じている”

 

さっきの引用に被せて言うと、

「ありがとう」「おいしい」「寒い」以外の選択肢を選んで喋ると不快に思う人が一定数いて、

これが自分の中で不快でも何でもない、あえて言うと中立なので判断時間がかかる

 

「まずい」と言われると不快なのはわかる

 

cleome088 これの問題は、できないからこれやらなくていいという能力ではないことなんだよね。情操の言語化は出力が遅いなりにやれないとまずい。ウンコしないのと一緒で自分も病むよ?やたら軽く見てる人が多くて怖いけど。

 

まずいのはわかる

ただどちらかというとできないこと自体より「普通簡単にできること」と世間に思われていることのが脅威を感じる

 

haluhiko うれしい、おいしい、たのしい、すごい、素晴らしい、すてき…など耳ざわりよい言葉挨拶の2軍。要求される前に自発的に出さないと効力が薄い。少しでも感じたら声に出すトレーニングしたら良さそう。独り言でも。

 

おう、そこは昔から気づいていてトレーニングしていたんだ

今回はその先の話だな

----

ブコメ反応見て。

俺が共感力低いのはわかっていて、擬態できるようトレーニングは一通り積んできたつもりだ。

ただ、ここで伝えたかったのは

 

あなたの考えを教えてほしい」と言われた時

その背後に「相手への共感関係性に関わる考えのみを抽出して伝えてほしい」という要望があることを想像できなかった

人生色々失敗してこの正解に辿りついたのが最近で、

そこから実際会話のスピードでそれができるトレーニングを積む時間がまだ足りていない

ということ

 

自分と同じ悩みを持つ人間は、早めにここに気づいてトレーニングすることを薦めるし

自分のような人間と付き合っている立場人間でそこに悩みをもっているなら

あなたの考えがわからない」と聞く前に「私に感謝を示してほしい」と説明することを薦める

(単純に「考えてることを教えて」と言われると食事の例で列挙したことを全部喋ってしまう)

2021-01-08

anond:20210108185217

振った仕事について尋ねると、

あー、そういえば!

って感じにいうから、忘れっぽいんだろうな…って思ってる。

期限決めるほどの大きな仕事じゃないんだよ。ほぼ雑用。だから後回しにするんだろうけど。

期限切ったところで、期限すぎたよ!まだなの?

っていうのもすごく嫌

自発的にやれや自分仕事やろがい

anond:20210107222613

我が家は話し合おうとしたら子供の前で妻のお前のせいで怒らされてる、お前が悪いとがなって家具に当たって子供を脅かすので、一寸した提案も気軽にはなかなかできない。

二人きりだと夫の脅かしに私が怯まずに淡々と怒るし当たり散らした側から当たるのは止めてくれると毎回言うし当たり散らしたものは片付けを執拗に迫るので、今はただふてくされてまるで話にならない。

子供の世話は一時間まり任せて一月近く引き摺る風邪を引かせる事が生まれから小学校入学までで二回、風邪気味にさせることはしょっちゅうなのでうんざりしている。子供はお父さん大好きだがあまり遊んでくれないため遊んでとは言えないと諦めてるのが不憫

乳児の頃からお父さん大好きなんだから遊んでと言ってきたが遊び方がわからないと言い張ってきた。もうしゃべれるんだからなにして遊ぼうか?って聞いたらいいだけだというのに、楽しくないからいやだ等と抜かす。

今回またテレワークが増えるとのことでうんざりしている。

通勤時間が無くなった分子供との関わりが増えたかと言えば増えず自発的遊んだりすることはない。勉強をきまぐれに少し見るが、子供は私が見るとき十倍従順に熱心に取り組んでいるというのに疲れる疲れる言うので延髄をヤクザ蹴りしてやりたい

2021-01-04

anond:20210104094725

自粛かいしー とか 自粛中止ー とか

自粛命令指示できる というのがすごいはっそうだからな。

 

あなたのいしで あなたのかんがえで 自発的に 私の命令に従え という指示だから

普通責任を取るために命令をだすのだが

自粛から命令もしないし指示も出さないが、外に出るなってすごい

2021-01-03

うちの母は毒親だったのだろうか?

誰か判定してくれ。

子供だった当時は母が異常だったという認識はなかったが、大人になって色々知った今ではもしかしたら毒親だったのではないかと疑っている。

ちなみに父は普通だった。

母のダメな点は以下の通り。

  • 体罰を常用する上に沸点が低かった。テストで98点とったらなぜ2点間違えたんだ!と言って叩くという感じ。一度だけだが脳震盪っぽいものを起こすまで頭を叩かれたことがある(殴られるたびにどんどん眠くなっていった)。まれに叩くだけでなく足もでてきた。拳はなかった気がする。ただしケガをさせられたことは一度もなかった。
  • 夫婦仲が悪い。子供がいなければ離婚していたらしい。子供がいるところでも大声で怒鳴りあっていた。暴力は双方ともたまにしていた気がするがケガはしていなかったはず。


そんな母に育てられた自分(息子)はというと子供の頃は以下のような感じだった。


で、大人になると反出生主義になり(母に「産んでほしくなかった」と伝えて泣かれたことがある)、結婚願望皆無になった。

塾に通わせてくれて大学まで行かせてもらった結果、今では自分普通に働いて稼げているので、嫌いではあるが母に対して恩は感じている。それ以上に父に感謝しているが。

大人になってから金をせびられるとかの問題はまったくない(むしろ自発的仕送りしている)。

ネットで見かけるもっと悲惨なご家庭と比べると全然したことはない。母は学歴コンプレックス子供押し付け教育熱心なヒステリー持ちの親という程度だったのではないかと思っている。

自分なりの結論を出してしまっているが、世間からみたらどうなのだろうと気になって書いてみた。

どう?

白黒つけない、ということを理解できない大人は多い

善悪とか正誤とか。

「白黒つけない」というのは、つけないほうが総体的メリットが大きいから「あえてつけないでおく」のパターンと、

事情が複雑だったり判然としないから「つけることができない」のパターンがある。

この2つを理解というか受容するためには、話を聞いて「なるほど」の後に「でももしかすると」という自発的再考必要となる。

耳触りの良い話だけど、本当にこんなに簡単な話があるだろうかっていうセルフチェックである

思考することがストレスになる人は多いようで、そういう人は多少ひっかかりをおぼえても正常化バイアスで抑え込んでしまう。

テレビでやっているのだから」「偉い人が言っているのだから」「本にまで書かれているのだから」とか。

こういう抑え込みも無意識にやっているか結果的にはグレーであっても白だ黒だと盲信している状態になってしまう。

白だ黒だと固執するようになると、自身の心の安寧と引き換えに当然のように対立生まれる。

ネットではモラル政治的問題善悪を巡ってバトルが毎日のように起こっている。

ネットバトルは対立エンタメになったものなので、いったん火がつくと当事者差し置いてどんどん肥大していく傾向にある。

エンタメは楽しさが魅力なので鎮まる理由がないかである

対立を煽るうえでは白黒のないグレーでは盛り上がらない。敵をボコボコにするためにはまず敵認定しなければ始まらいかである

よくもこんな下らないことで炎上が起きるなと思う人は多いと思うが、敵をボコすというエンタメにはそれだけの魅力があるということなのだろう。

逆に「妙にこいつ白黒つけたがってるな」という人間を見かけたら、対立に発展させたり党派性ぬくぬくしたりするのが好きな厄介な人物で、

思考能力も信用に足らないと思っていい。

近づいてきても、まともに思考できない人は味方にしても敵にしても得がないので、利害関係を持たないことをお勧めする。

2021-01-01

100分de名著の既刊を読破して一年経ったけどやっぱり人生変わった気が

あけましておめでとうございます

去年

https://anond.hatelabo.jp/20200101232410

を書いた増田です。

去年は散々な一年でしたね。

私も、去年は個人的にも色々と散々な年だったんですが、そんな中でも「年始には半分釣りタイトルつけたけど、ほんとに人生変わったかも」と思うところがありました。

まぁ正確には、変わってきたかも、、、?ですが。

どう変わったか

以下つらつらと書いていますが、まとめると

読書精神安定剤になった」

100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた」

世界を広げる読書ができた」

それでいて、

本業向けの読書もできた」ですね。

それによって、去年一年で少し世界が広がったと思いますし、それでいつつ、本業必要知識の深化も出来たと思っています

これが何故出来たかと言うと、一昨年本業関係ない本を100冊読むという行為をしたメタ効果じゃないかな、と思うわけです。

以下詳細。

読書精神安定剤になった

いきなり自分語りスイマセン。

去年もちらっと書きましたが、私は趣味の一つとして持久系スポーツをやっています

レベルとしては社会人アマチュアでは上位1-2%くらいには入っていましたので、まぁまぁ本気の趣味です。でした。

が、一昨年(2019)の末に足をボキッとやりまして、都合4ヶ月ぐらい走れませんでした。

長い時間をかけて鍛えてきたものが為す術なく失われるのを見ているだけという喪失感は中々きつくて、だいぶメンタルやられました。

の上、御存知の通りコロナで夏以降の大会も全て中止、日常復帰後の練習モチベーションも上がらず正直一年で別人レベルまで体力落ちたと思います

健全な肉体に健全な魂が宿る、あれは「だったらいいな」という話らしいですが、少なくとも肉体が「健全でなくなるカーブ」を描いているときには魂も降下カーブを描きますね。

振り返るとマジで生活全般にやる気の出ずやっとメンタルが上向いてきたのが晩秋ごろ、という一年でしたが、唯一分量を維持ないし増加させられた生産アクション読書でした。

なんせベッドから一歩も動かずにやれますから

結構これに精神的に救われていた部分もあると思います(クソみたいな1日だったが一応本は読めた。。。と言う感じ)。

春頃はもう死にたいとか思った瞬間もあった気がしますが、今は寝たきりになっても少なくとも本は読めるな、という心持ちでいます

気持ちがどんだけ落ち込んでいても、ベッドの中でできる生産活動がある安心感があるという感じです。

100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた

100分で名著解説本で掴んだペースを維持したかったのもあり、読書方向性を広げる方向として去年はNHK出版テキストを中心に選びました。

本の物理サイズ、厚さ、章毎の分量等々が似ていたからです。(これは今まで読んでいた場所時間、等々がそのまま続けられるということです。)

あと、NHKが好む文化人というのは大体決まっているので、百分で名著シリーズで知っている人が著者だったりして安心感あります

結果読んだ数(下記しますが、28冊)が物語っていますが、良かったです。

NHK番組内容とか受信料であれやこれや言われることもありますが、教育系のコンテンツは極めて良質だと思います

前置きが長くなりましたが、特に読んでよかったのが宗教時間シリーズです。

最初の7-8冊程度は、これは求めているレベルを超えている、九分九厘内容忘れるなと思いながら読んでいましたが、

これも何冊か読んでいうちに「知識がつながって」読めるようになってきました。

一昨年100分で名著で感じていたのと同じ現象です。

この年になっても、何かを身につける、学ぶことができる。それは読書による独学だけでもある程度可能である、ということは個人的に心強いメタ経験になっています

逆に言うと最初の数冊はほぼわからないままなので、数年後また一気に読み返したいですね。

世界を広げる読書ができた

去年は、自発的にはまず読まないであろう本も、読んでみたいと思っていました。

そのための方法として、友人におすすめの本を聞くという方法を取りました。

また、一週間以内くらいには実際に読んで感想を伝えて内容についてやりとりするというマイルール作りました

これによって狙い通り、新しい関心フックが幾つか作れましたが、想定外効果としてある程度親しくなった人とさら距離を縮める手段としてかなり有効だったように思います

一昨年以前の私だったら、それが有効だと知っていても負荷が大きかったでしょうが今なら別に無理せずやれる、むしろ楽しい、というところがポイントです。

もともとコミュ障もので、これはありがたいですね。

今のところ猛烈につまらないものを紹介してきた人がいないのもありますが。。

本業向けの読書ができた

かについて知りたいと考えた時、ネット検索するという初動は変わりませんが、さらに知りたいことがあるor体系化したいor記憶への定着率を挙げたい時、本を読むというアクション自然に追加されました。

これは、仕事の本を読んだ数が増えたことに直結しています

また、読書をするにあたって、ちょっとした障害になっていた事が怖くなくりました。例えば下記のように。

・中断:面白そうな本を見つけたらそっちを読み出してしまう。中断してもまた一週間もしたら読めるのだから。もし中身忘れていたら都度振り返ればいいのだから。とシンプルに考えられるようになりました。自由です。

積読:いま読めなくても恐れることはない、そのうち読めると素直に考えられるようになりました。流石にそろそろ消化に一年ぐらいは掛かりそうなくらい本が積まれていますが、現在のところ三年後の自分を信じられます

読書履歴読書キュー汚染:穏やかでない単語を使いました。これは要するに「話題になっているけど、こんな俗っぽい本を読む時間を~もっと重要な本が~」とか考えなくなったということです。気になったら読みます

これらって結局全部やらない言い訳だと思うんですが、単純に読書に対する心理的ハードルを下げて読書量で解決するというパワープレイ(一昨年の私比)が可能になりました。

一昨年解説本を100冊読んだのは運動部一年生がやるような練習のための練習だと書きましたが、あれはそんなに外してないなと今でも思います

昨年読んだ本

自分で振り返るためにカウントしてみました。

百分で名著シリーズ12冊(2021年1月分の「資本論」も、もう読みました)

百分で名著読書学校:4冊

NHK学びのきほん:10

NHK宗教時間:14冊

NHKこころ時代:4冊

百分で名著の原著12

角川ビギナーズクラシックスシリーズ:7冊

その他趣味の本、流行の本など:8冊

仕事の本:17

で、個人的に出色なのは教養系の読書たっぷりできたことより、仕事の本がたくさん読めたことです。

去年までは年間7-8冊ほど読んでるかな?という感じでした。

ところが、今年は読書に占める仕事本の割合は減ったにも関わらず、倍以上読めました。

本を読むという行為自体スムースになったと言うか、「仕事の本は(趣味教養の本より)重要である」という心の中の序列がどうでも良くなり、いつかは読めるのだから、になった効果だと思います

まさに去年読書筋を鍛えたメタ効果であるように思います

僭越ながら去年読んだ本からおすすめ

百分で名著:ディスタンクシオン

今年のラインナップも面白かったですが、特にこれ。

はてなあたりで使われがちな「文化資本」「分断」あたりの用語社会学的なバックボーンについて理解できました。

はてブ見てると「社会学者って、、、」と思うシーンも多いですが、必要学問だと捉えなおすいい機会になりました。

面白くない話として社会を伝えて分析するのが社会学、という分類はなるほどと思いました。

逆に言えば、美しい弱者、貧者のストーリーなんかばっかり見ている人は社会学者とは言えないのだなと。こういう人はてブあたりでよく見る気もしますが。。。

年末だったのもあり、久しぶりに放送の方も全て見たのですが、やっぱりできたら放送も見るべきですね。

解説本の著者の言いたいことが、スルスル入ってきます。それと、伊集院光さんやっぱすごいなと。ああいレスポンス返せる人間になりたい。

ディスタンクシオンは今年原典行ってみようかなと思います

学びのきほん:役に立つ古典

能楽師安田登氏解説古典説明本です。下記する「史記」でもそうですが、

漢字の成り立ちに纏わる深い知識(今ある漢字が成立した年代には開きがある)から独特な解釈をされています

これが真実なのかはわかりませんが非常に興味深く、この著者の著書をあたったり、この視点で更に歴史を追ってみたいなと思わせてくれる本でした。

百分で名著・読書学校史記

こちらも安田登氏が講師になっている解説本です。

良かったと思った理由上記と同様。

安田登氏の能舞台も見てみたいと思ったのですが、昨今の状況では難しいですよね、、、今年あたり何処かで見に行けるといいな。

宗教時間親鸞聖人から手紙

タイトルのとおり、経典歴史事件ではなく残っている手紙から親鸞聖人人物に迫ろうという趣旨の本です。

上記したとおり「何冊か読んだ効果」が大きいのでしょうが、これ読んで、はじめて浄土真宗わかった気分になりました。

ちなみにうちは曹洞宗なんですが、曹洞宗はいまのところわかったと思う瞬間がないです、、、

宗教時間観無量寿経をひらく

観無量寿経ベースに、浄土系の教えが中国日本で花開いていった過程を追った本です。

私が読んだ中では最も単独理解やすく、去年おすすめした「集中講義大乗仏教」と合わせて読むとより日本仏教の流れが理解できるかなと思いました。

宗教時間は多くが前後編の2冊構成なのですが、1冊構成なのも読み返しやすくて良いです。

著者の釈徹宗さんには、もっといろんなお経の解説書を書いて欲しい、、、!!

ソロモン指輪

原典シリーズです。

大人向けのシートン動物記と行った風情の、動物観察学の本。

単純に、日々の話題元ネタとして興味深くまた著者が「面白い人」であると感じてとても読みやすかった。

独立した章立てで分割した読書もしやすく、何方にもおすすめできる本だと思います

ロウソク科学

原典シリーズです。

子供向けに実施された19世紀科学講義書籍化したもので、科学レクチャーの傑作と言われているそうです。

当時はプロジェクター等も無いため図があまりなく、正直、本として読んだだけでは当時の雰囲気を十分に味わうことは出来ないかと思ったのですが、

ファラデーという当代最高の学者がが全力をもって子供たちに科学の楽しさを伝えようとしていることはとても良くわかりました。

去年は西欧文明というか西欧社会限界的なものが色々見えた年かなとも思うのですが、ソロモン指輪もそうですが、こういった本を著した方々が繋いできたものはやっぱり尊いなと思います

苦海浄土

原典シリーズです。

100分で名著の解説本を読んでから絶対に読もうと思っていた原典の一つ。

下記の、薩摩焼窯元めぐりと合わせて水俣に行く前に読みました。

内容については私が今更感想をいうのもあれなんですが、「読む前と後で違う自分になっているような気がする」読書体験ができる数少ない本の一冊と思います

あとがきにある通り、書かれていることは読んだ印象より遥かに創作比率が高い、ということを差っ引いてもこれは日本人全員が読んだほうがいいんじゃないかと。

故郷忘れじがたく候

原典ではないですが、番組の中で言及があった気がします。

恥ずかしながら初・司馬遼太郎でした。焼き物が好きで窯元めぐり趣味もので、薩摩焼の里をめぐる前にと思って読んだんですが、面白かったです。

声に出して読みたい日本語というか、何でしょう、文章うまいと言うより文章の響きが格好いいというか、流石昭和の大作家ですね。一気に好きな作家リストに載りました。

今、ちょっと重めのものもと思って坂の上の雲ちょっとずつ読んでいます

タイトルの付け方も最高にうまいですよね、、頭にのこるというか。


おわりに

今年は年始から割と大きな人生イベントが幾つかあります

年齢的にも5で割り切れる年となり、色々節目です。気合い入れていこうと思います

去年は私だけでなく、世界が停滞してしまった感じですが、今年は良い年になりますように。

2020-12-31

好きなシチュエーション伝統芸能

先日、ガス点検に来た作業員さんが夫のことを「ご主人」と言ったことについてガス会社クレームを入れるのなんのという話が盛り上がっていた。

根本問題として、夫妻と特に親しくもない第三者が(おそらく目の前に居る)夫妻の夫の方を指す適切な呼び方がない。

親しいなら「(下の名前)さん」、目の前に居ないなら「家の方」あたりだろうか? 「お連れ合い」は旅のボックスシートみかんを渡すくらいの距離感ならありだがガス点検は違う気がする。「お連れ様」は家に上がり込んで言うのはなんか変。

そもそもガス点検という状況を前提とすると夫婦とか家族であるかはどうでもよく、ガス契約契約者あるいは家の設備管理責任者と話したかったんだろう。そうだとしても責任者が夫であろうというのはアンコンシャス・バイアスというのは否めないか

もっと言うと発端の方は事実婚なので夫・妻として扱われることに好意的か否かも人によって違いがあろう。言われてみればガス点検で行った先にその家の人として男女が居た時に法律婚夫婦とは限らないよな。親子だったり兄弟だったり他人だったり色々する。

先入観を持って語りかけてはいけないんだな。

というのを枕として。

おそらく、今後相手属性類推して語りかけるのはタブーになるだろう。肩書き呼びも男女の呼びかけも。また、よほどの目的意識がなければカップルを男女の組み合わせに限定することもなくなるだろう。例えば店に二人組で来て欲しいなら男女ペア限定せず言えば良い。それらは多様性という観点から良いことだと思う。今まで顧みられていなかった人を救うことにも繋がる。

となると何が起きるか。自分が愛好する、付き合っていない男女が周りからそう見られていることに気付き相手意識し始めるというシチュエーションが発生しなくなる。

今まで各種フィクションで頻出していた――男女カップリングを取り扱う二次創作だと必ずといっていいほど見る――カップル席に案内される・カップルならおまけがつく甘味をすすめられる・モブに「素敵な彼女/彼氏/奥さん/旦那さんだね」「この商品彼女/彼氏/奥さん/旦那さんにどうだい」「お似合いのカップル/夫婦」と冷やかされる、あたりのことだ。そのイベント時に起こる心の揺れ動き、むきになって否定するのも心証いか? このままやりすごす? 外からカップルに見えるのか。でもまんざらでもない自分もいるぞ。カップル扱いされた相手の反応はどうだろう? 自分にとってこの人の存在って一体……! みたいな内省をも伴うやつ。そのイベント相手直視できずにぎこちなくなるのもよし。わーってなった後に落ち着きを取り戻しクール振る舞うもよし。混乱している時に相手にさっと助けられさらに惚れるもよし。恋心を自覚して堂々と振る舞うもよし。自覚してじんわり暖かくなるのもよし。これは好意じゃないと断じるもよし。動揺して千々に乱れる登場人物を見るのが好きなのだ登場人物感情はぐるんぐるんにかき回してこそ。無自覚カップルだと外部から力を加えないと自分の心に向き合わないから、これくらいフルスイングで揺さぶりかけるのは手っ取り早いんだろうね。便利なシチュエーションである

いやまあ、現実で発生しなくなるって言ったってもともとフィクション度高いシチュエーションだけれど。現実で「なかなか見ない」から「ありえない」になると心の距離もっと離れるというか、二次元限定イベントになるというか。

忠臣蔵仇討ちみたいに、過去には存在したらしいがこんにちでは見かけないイベントになるというか。

それもまた時代の流れ。

我々は先入観を持って相手に向き合ってはならず、また自分自身も外界の評価スタート地点に自分の心に向き合うのではなく自発的自分の心に向き合うことが求められているのだろう。

2020-12-21

絶望する暇ができてしまった

貧乏必死こいて生きてきて、頭悪くなかったか大学院まで行って、奨学金返済残高が600万くらいある状態就職して、いま完済目前。余裕で生きていける状態になって、仕事にも慣れて、やっと生死がかかわる選択肢が消えて人間になれたのに、また死にたくなってる。自発的な死に向かいつつある。

理由がすごく明確なのだ。食うや食わずだったので、生きてるだけで俺頑張ってる!だったのが、頑張らなくても余裕で生きてけるようになってしまたからだ。毎日牛丼に卵付けても、はなまるで天ぷら乗せても、貯金ができるだけの収入がある。酒買って飲むだけの余裕がある。この余裕が普通人間にはガキの頃から普通にあって、ボランティアだの趣味だの恋愛だのに使ってマトモな人間としての経験値になってると考えると、本当に恨み骨髄に徹する思いだ。

生きることに必死だった俺は、生きることが余裕になって、必死になれるものを奪われたのだ。マトモな人間になるチャンスはあったのだろうか。30歳を超えた今から、マトモな人間になれるのだろうか。30年出遅れてる。早く人間になりたい。これまでの30年を否定したくない。お前らより絶対幸せに生きる。お前ら全員からまれるような幸せを送る。お前ら全員許さない。恨みは30年、だがここで会ったが100年目だ。お前ら全員俺より不幸にしてやるから

2020-12-19

anond:20201219211319

窮状なんてメディア毎日うるさいくらい伝えてんだろう。

政府が何と言おうと、その報道を聞いた人間自発的に行動することはできるんだよ。

そうしないのは個人個人の決定だ。

国民の大半から君らは死ねといわれている。

諦めて死ね

2020-12-17

35人学級は教育サービス向上でなく教員負担軽減策として捉えるべき

35人学級やったーさらに色々な教育サービス要求しようって感じになると、教員の成り手はますます少なくなると思う。

逆に、今回実現したのは、35人学級じゃないと仕事が回らないほど教員に求められる教育サービスが増えたためなのだ理解すべきだ。

から教育が次に手を付けるべきなのは更なるサービスの向上でなく、サービス見直しだ。その一例に部活動が挙げられるだろう。

先日も「動物園」という名称公立中学校教育環境が悪い件が話題になっていたが、私が指摘するまでもなく、その理由部活動にあると思う。

1日当たり2~3時間部活動指導に当たれば、そういう生徒の指導にまで手が回らないのは当然だ。土日に家庭訪問することさえできない。

からといって、部活動時間後に生徒指導までさせるなんて酷だ。先生方にこれ以上残業を強いてはならない。

そもそも教員側に部活動指導強制する法的根拠はない。体裁上は、部活動指導教員自発的意志によるものなのだ

から先生方がそのことを主張してその時間生徒指導なり教材研究なりに回せれば一番いいのだが、同調圧力的なもので難しいだろう。

から、生徒側から変えたらいいと思う。

まり学習指導要領上、部活動は生徒の自発的活動である規定されているだから部活動の実質強制加入から禁止したらいいと思う。

加入者が減れば、教員法的根拠を主張しなくても必然的に、部活動に当たる教員が減る。そのリソース生徒指導にも回せるようになるだろう。

それよりまずは、先生自身余暇を十分に取ってほしいと思うが。生徒指導大事だが、先生自身が元気でないと学校が成り立たない。

とにかく、時間はかかるかもしれないが、そういう教員というリソース適正化が、生徒指導を含めた教育環境の充実に繋がっていくと思う。

国家公務員働き方改革の流れに合わせて、その周辺も改善されることを切に願う。何よりも、公教育を受ける未来の子どもたちのために。

anond:20201217123226

前そんな感じで付き合ったけどキスとか手を繋ぐとかがどんどんストレスになって別れた。

自発的好意持ってないと相手に失礼だし続かないと思う。

anond:20201217021142

けど、男女間の差別で敵味方を作って、敵を攻撃するんじゃなく

自分自身の中にある差別意識と向き合って反省し、なくしていければいいなと思ってるし

みんながそうすればなくなるよねと思ってる

敵の言い分なんて普通聞かないからな

敵味方に分ける時点で差別なくす気ないだろと思うね

馬鹿なの?この話はどこにいったの?

差別批判してはならない。誰しもが差別をするからである

批判すると敵を作ることになる。人間は敵の言うことなど聞かないので、やはり批判してはいけない

・なので、自発的反省してくれるといいなー☆とおもいます!まる!

あなたの主張でしょ?

いじめられっ子は死にました。誰もいじめっ子を注意してくれなかったので。いじめっ子自発的反省してくれるんなら苦労しないんだよなー

2020-12-16

anond:20201216122259

お前がやったことは「夫のおもちゃ管理してあげた」ではなく

「夫のおもちゃ状態自分にとって気に入らないから、自発的管理した」である

自分のために自分管理しただけなのに、勝手に恩を売ったかのような気になって

あまつさえそれをもとに権利を主張するなど身勝手がすぎる。

2020-12-14

仕事レベルアップを求められて迷惑している。

最近上司に少々高度(?)な仕事要求されてうざい。私の仕事のメインは、皆の使う文房具などを切らさないように補充し、コピー機などが不調になれば修理の手配をし、そうやって買い揃えた消耗品の代金を業者に支払い、そして皆が自分の席にいないとき自分あてでない電話も取り、宅急便が届けば受けとって受領印を押す。他にも仕事は細々したのがあるけど、一番誰にでも分かりやすいのはその辺だ。

初めて今の部署に来たときは、そういう当たり前の仕事がなかなか出来なかった。一個必要もの発注しても他のもの発注し忘れ、必要ものが然るべき場所に置いていないことはしょっちゅうだった。そして業者から請求書がすごい勢いでたまり、なかなか支払えないので罪悪感の固まりになった。

上司はそんな私をダメ職員扱いし、「今年は初めてだから多少のヘマは見逃してやるけど、来年になっても同じだったらただではおかない。」という内容の宣告をした。元々マルチタスクが苦手で、いろいろな仕事殺到するとパニックを起こす私には厳しかったが、他所で同じような仕事をしている人々を見ると非常に簡単そうに片付けているので、たぶん自分無能なんだろうと思った。

が、慣れというのは有難いもので、使用頻度が高くて常に補充しておかないとまずいものをだいぶ覚え、会計システムへの入力スピードが上がったので、ようやく私の仕事ぶりは人並みに近づいてきた。

今だに机の上はぐちゃぐちゃだし、決して仕事が早いとは言えないけど、とりあえず給料泥棒状態からは脱したと思う。が、そうしたら上司要求水準が上がってしまった。「必要ものを買ってないみたいなミスは減ったけど、○○さん(私)にはもっと上のレベルを目指して欲しいんだよな」とか言う。

かに上司向上心の塊のような人だし、「そういうのは下々の人間に任せてくれれば…」というような仕事も率先して自分でやる。立派といえば立派だが、私はただご飯を食べていくために働いているのであって、上司のように自分仕事プライド情熱を持って仕事に取組んでいるわけではない。

机の上を整理整頓し、「今の時期はこれが必要から早めに手配しなくては。」と先回りして動ければ、自分も周囲も楽かも知れないが、あいにく整理整頓が苦手で、お尻に火がついてから仕事にとりかかるタイプである仕事を先回りしてやった方が良いのだろうが、それは自分を楽にしてあげるために自発的にやることであって上司命令されることではないと思う。

とにかく必要最低限の仕事だけして、定時に帰って、休みはしっかり休むのが私の目標である仕事無駄情熱時間を注ぐのはまっぴらごめんだ。よく考えると私と上司はそんなに歳は違わないけど、背負っている責任も貰っている給料全然違う。あまりにも責任が重いので、もっと上司給料を上げても良いんじゃないかと思うけど、私にはそんな権限はない。ただ、私は仕事希望情熱も持たない人間がいることを分かってほしい。

2020-12-13

毒親持ちの元親友が多分死んでる話

誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そいつの親から鬼電かかったけど無視

非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、

死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。

余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。

ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」

とか言うのにも、行き場のないモヤモヤゲスいんだよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ウチの親は、そいつそいつ母親のことも嫌っているが、

しかし、私とそいつ小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、

私とそいつが似た者同士だったからだ。

小学校ではじめてそいつに会ったとき

同じグループの子からぽっちゃりからポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。

でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。

それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、

綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。

さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。

私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。

小学校中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。

私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対ルールを持っていて、

泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋椅子に座らせられた。

今でも私は美容院キライだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そいつも、小学校入学時にはロングヘアだったはずなのだが、

三年生になる前には短髪になっていた。

ツヤツヤ過ぎてリアル天使の輪ができていた、

日本人形みたいなキレイな髪だったので、

どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、

そいつがなんて応えたかは覚えてない。

でも、そいつとつるんでいるあいだずっと、

小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。

私は、高校に入ってからはどうにか髪を伸ばすことが出来た。

親の意向無視することができるようになった。

高校卒業して、服も自分で選ぶようになった。

でもそいつは、大学の時も、成人式の時も、最後に会った時も、

小学校のころとまったく同じ、短い髪をしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

髪型だけじゃなくて、そいつ成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。

周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。

誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、

なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。

今だったら、性の多様性ってことでスルーなんだろうけど、

でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。

皆はそう思ったかもしれないけど。

私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そいつの親よりは私の親のほうがいくらかマシではあった。

そいつ母親に虐め殺されたも同然だけど、

私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。

ヒールと化粧は覚えなかったけれど、まあそれはいい。

私は成人式卒業式では着物を与えてもらえた。

私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、

ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。

別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身子供のころ欲しかったものなんだってさ。

あ、ピアノ祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。

まあ、ウチはその程度だったけど、

そいつの家、そいつの部屋に遊びに行ったとき

所謂女の子らしいものは何もなかったような気がするのだ。

ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そいつ母親は、いつ見てもそいつとまったく同じ短い髪型で、

GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。

私とそいつは、程々に外遊びなどもしたが、

ずっと机でイラストを描いてるようなオタク気質だった。

毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。

家にない本や図書館児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。

私の母は、皮肉作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。

母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そいつとは小学校を挟んで家が反対方向だったので、

放課後は違う女の子と遊ぶことが多かった。

三姉妹末っ子の子や、地元パチ屋の子とよく遊んだ

そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんなかよしを読んでいた。

ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドル流行りの歌の話をした。

の子たちは髪型しょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。

悪気なく「あなたも髪を伸ばしたらかわいいのに」と言った。

遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。

の子たちのことが嫌いではなかったけれど、

ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。

私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。

母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、

旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつホームページがまだ残っている。

今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。

日記もあるが、悩みや病気内面に関することは何も書かれていない。

家族の仲良し面白エピソードが書かれている。

中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。

私もそいつも、大学進学で地元を出た。

それで一度偶然、帰省電車で会ったのだが。

後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。

小柄なのはアレだが、変に生気に乏しいとでもいうのか。

ファッションおかしかったんだと思う。

かぶかよれよれのメンズウインドブレーカーか何かを着ていて、

息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

成人式スーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。

小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。

縄文系というか、小動物系というか目がくりっと大きかった。

髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。

面食い自分毎日見ても不快ではなかった。

でも、そういえば、

そいつ母親は、私とそいつが並んでいるのを見て、

我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。

「お前は顔がでかいねえww」みたいな。

その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。

私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。

いや、地獄かよ。

しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。

私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。

いやそれフォローか?まあもう記憶が定かでもないけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の母親は、子供の頃は頑として私の髪を切り続け、

髪を伸ばしたいという私の希望却下され続け、

その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、

まあ、高校以降はほぼそういう行為は無かった。

進学も希望通り、金銭的にも十分にしてもらえた。

流行りの服を買うこともできたし、趣味私生活に口出しされることもなかった。

周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。

オタク気質生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。

そいつは多分、そうではなかった。

大学行って、一人暮らしはできていたのかもしれないが、

母親の束縛や支配内面化してしまってたのかもしれない。

心の中の母親が、そいつの髪を切り続けていたのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨今の性の多様化からすると、そいつ髪型服装趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。

肉体的に女性でも、精神的には男性だとか珍しい話でもない。

そいつ自発的に、自然に、ただ好きで、

髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーバイクサッカーを愛していたなら、

それはそれで良かった。

そいつ母親は、そういう姿でピンピンしている。

でも、そいつは多分そうではなかった。

生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、

そしてそれが自分だと思い込まされていた。

母親が間違っていると気がついてはいけなかった。

コンフリクトがあって、それが体に出た。

病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大学を出て、就職して、

そういえば携帯アドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、

就職先のイベント新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。

私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代記憶ごとまとめて、

そいつのことは思いだしたくない相手だった。

折角小奇麗になることを覚えたのだ。

陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、

根深陰キャコンプを刺激する見たくないモノになる。

仕事時間内は客としてもてなしたが、

プライベートで会いなおしたりはしなかった。

そいつ空気を読んだのか、

それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。

いや、水の一滴も口にできないんだから食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、一度ならず数回ほどそいつイベントに客としてやってきた。

ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。

ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、

インパクト強烈過ぎて覚えてるけど。ドン引きしたわ。

いや、その若さでそうはならんやろ・・・っていう。

転んで受け身をとれないことにしろ、骨密度しろ

もう回復不能分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。

しかし、そんな話をそいつ世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、

私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、

物知りで成績優秀者だったプライド邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、

同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。

しかし、そいつ自分日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。

藁にも縋る思いだったかもしれないが、

疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて

カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。

というか、そいつ自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?

気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。

いや、そういえば鬼電がかかってきたか訃報と決めつけているが、

フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。

もう、それを知りたいとも思わないのだが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

既に超長文だけど、続きもあって御免。

https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/mental/1607548535/l50

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん