はてなキーワード: 自発的とは
なんにもしたくない。実際、自主的にはなんにもしてない。「なんにもしないをするの」とかそういう豊かな話ではなくて、スマホ2時間触って1時間寝て、みたいなことをする。スマホで見るのもまとめサイトをだらだらみたり、無料漫画の漫画のところだけをただひたすら読んだり、ツイッターをただ何度もずるずると見て時間を塗りつぶしている。自分が自分でいる時間をただ減らすための作業。
社会の「フツー」からはみ出る勇気もないから働いてはいる、なんとなく漫然と、向こうからくる仕事を、微妙な完成度で9割くらいこなしている。1割のしなければならないことはこそこそと指の隙間から漏れ落ちて、本人としては気付いていないわけではないから妙な後ろめたさを抱えながらどうしていいかもわからずにしかし前からやってくる仕事をしていれば時間はすぎる。
いい歳になって仕事が忙しくなった。求められることが多くなった。自発的に何かを発信したり、企画したりが必要な仕事。本当に何もやる気がおきない。というか何から考えていいかもわからない。こちとら隙あらばピッコマの無料漫画と鬼嫁ちゃんねるとTwitterで膨大な時間を塗りつぶしていく人間なのだ。考える、自体がもうよくわからない。何か先のことを考えようとすると頭にモヤがかかったようになって、眠たくなって、気がついたらスマホを握って漫画を読み始めている。時間が過ぎる。
この投稿も何かを主張したくて書き始めたわけではないから特に落とし所が見えていない。ただこのうんざりするほどの「なんにもしたくなさ」を抱えながら生きることにまつわる感情を吐き出したかっただけなんだと思う。
ねえ、みんな、ほんとに、そんな、なんかしたいの? いや私だってそりゃ日がな一日飲んだり30日間くらいヨーロッパ行って観光名所回ってハワイ行ってのんびりして、とか、そういうことはしたい。ハワイでもピッコマは(たぶん)読めるし。消費するだけならむしろ得意だ。そうじゃなくて、仕事とか、なんか生産的な趣味とか。
みんな、本当に、自分の部屋をこういう風なデザインにしたい、みたいなのから、絵を書いてみたり楽器を引いてみたりまで、そんなに、したいことに満ち満ちて生活してんの? さらにはなんなら共通の趣味を持ったひとと繋がって何か形にして発表して…的な。すげえな。そういうプライベートの「したい」もちょっと想像できないし、仕事に至ってはなんか発信したり整理したり売ったり人脈を築いたり、あーだめだ仕事で何かしたいとか考えたこともないから仕事でなんかする想像の範囲も貧困だ。なんにも想像できない。できるだけ同じことだけして目立たずに定年を迎え最後の出勤日とかも風邪とかになって逃げ切りたい。
なーんにも、したくないんだもの。部屋に関していうともう洗濯物を干す、とかそれだけでも毎回ハンガーにかけながら「何が悲しくてこんなことをあと人生で何回せにゃならんのか」と絶望的な気分になるし、部屋のレイアウトなんてマジ机とベッドがあって他の小物はなんとなく床に散らばっている。使うときに拾う。それはそれでしゃがむのもしんどい。でも拾わなくていいようにすることを考える方がめんどい。
冒頭に少し書いたけれど、私は私が私でいたくないんだろうな。「自分のことを考えない」というとかっこいいけどもちろんそんな利他的なことはなく、むしろその意味では私は常に私のことしか考えてない。けど、自分が自分でいる時間は、しんどい。自分で自分を支えたり、自分で自分の生活が快適になるように考えて行動すること。しんどい。今日も私は私が私でいる時間を可能な限り減らそうとスマホで漫画を横にめくったりTwitterを下にシャッとやってなんか更新されていないかにたぶん5時間以上費やして、少しでも自分の意識が自分に向かないようにきっと無意識に時間を無駄なタスクで塗りつぶすか寝て意識を失うかしていたのだけれど、みんな、自分が自分でいる状態って、つらくないのかなぁ。あーしんど。
と一言だけ言って、こいつは何がどう違うのかを一才説明したことはない。
で、説明しないので、こいつが何をどう考えているのかはさっぱりわからない。言い逃げだけする卑怯者であり、これでマウントを取った気になってるバカである。
しょうがないので、こちらの理解している意味で言うけれど、トランスジェンダーの存在は、極論だが、この二つを概念としては真っ向から否定する。敢えて極論するのは、話を分かりやすくするためである。こんな例外もあるあんな例外もあるだなんて気にしてたら話が先へ進まない。
まずジェンダーが否定されると言う意味を言おう。これは元増田でも語った通りである。ジェンダーなる概念は、社会的な性差が存在し、そうしたいわゆる漠然とした上は法律から、幅広く常識レベル、あるいは特に根拠がなさそうな世間的男女論的なこと(森氏の言ったような)、などなど私たちの社会にあるいわば観念のようなものだと言えよう。
ジェンダー論の重要な視点の一つは、これが「差別」につながっているという視点である。だから、特に根拠のなさそうな森氏の語りのようなものから、法律的レベルに至るまで、生物学的性別に強引に結びつけるのはやめよう、のような発想に繋がる。
ところが、トランスジェンダーは(これも極論である)、ここで否定される男らしさや女らしさに、自らの自発的・無自覚的な意思で従おうとするのである。注意すべきは、トランスジェンダーの人たちは、生物学的にはそれと反対の性を主張しているところにある。つまり、自己の生物学的性別には結びついていないのである。具体的に言おう、一般的生物学的女性(いちいち言わないが男性に変えて読んでもいい)の多くは、「女らしくしろ!」と言われたら今やかなりの反感を覚えるであろう。ところが、トランスジェンダーは全く逆で自ら女らしく振る舞おうとする。多少は、実際の振る舞いとしてそう言われたらら同様に反感を持つだろうが、その反面で自信を女として認めてもらったことをもしかすると嬉しく思ったりしているかもしれない。
ではセックスは? セックスの説明を内閣府から引っ張ってこよう。
「ジェンダー」を理解するのにあたって、引き合いに出されるのは生物学的な性差―セックス(sex)です。人間は生まれ持っての性別(sex)があり、大半は男性か女性に生まれます。1
皆さんがお母さんのお腹の中から「おぎゃー」と生まれてから、1週間以内に親御さんは役場に出生証明書を提出しますね。その時に書くのは赤ちゃんの性別・・・男か女か、つまり、生物学的な性差(セックス)です。この生まれもった性差は、生涯にわたって一生変更はありません。具体的には、生殖機能の違いです。つまり、妊娠出産や授乳が出来るのは女性だけで、男性にはその機能はありません。また、男性ホルモン・女性ホルモンの量の差で体毛や筋肉の量の違いにより、外見にも違いが表れます。それらも含めた生物(動物)としての性差をセックスと言います。
この説明に純粋に従う限り、トランスジェンダーが、自身の思っている性別こそ真の性別である、なので否定されているわけだが、もうちょっと拡張して考えたい。このセックスが言わんとしているのは、実際には「役場に出生証明書を提出します」のことであり、これもまたジェンダーの枠組みの中に入ると強弁出来なくもない区分である。何故なら、社会が性別の呼び方を定義していると言えるからである。
だが、その意味でもトランスジェンダーは全く矛盾した主張をする。自分が主張した(自己認識した)性別が真の性別である、と言うのだから。だから、戸籍変えたい! となるのだ。
つまり、物凄く表現しにくいのだが、トランスジェンダーを認めると言うのは、旧来的な性別は社会的科学的に定義されるものではなく、その本人自身が既に決定している、それが真の性別だと言う主張であり、これは旧来の考え方には全く相入れないとしか思えないものなのだ。
トランスジェンダーは今やGIDという障害認定すら拒む。トランスジェンダーは自己の認識する性別が絶対に完全無欠に正しいのであり、障害などではない、と。ただただ、体の方が間違っているだけである、と。だから、数年前に、ひと騒動になった女風呂へ入ったと公言した事例は、本人自身にとってはいささかの誤りもない行動なのである。当たり前だ、その人は「女」なのだから。だからスポーツだってそうなのだ。DIDsの人を含めて(トランスジェンダーでは全くないが)、そう主張する彼女たちに取っては女性の枠組みに入れないのは絶対におかしいのである。テストステロンの話は関係がない。
でも、増田にはトランスジェンダーは頭では全然さっぱり理解できない。今のべたDIDsはもちろん身体的にもその性別なのだけど、トランスジェンダーはそうではない。しかし、否定は出来ないので、「いや、それはある」と信じるしかない。
田舎住みで親親族などの紹介で結婚して、今妊娠中の嫁がいる身だけど
正直子供を作るか作らないかは経済状況には全く関係ない話なんだろうなと思ってるわ。むしろ逆に豊かになればなるほど子供作らなくなると思う。
余暇の多様化、趣味の多様化とかQOLだけを考えると必ずしも子供を作るというのは比重が重くないように思う。
実際子供ができると幸せを感じるのが人間だけど、それよりも手間的にも金銭的にもローコストでリスクも少なく満足感の高い趣味がいくらでも目の前に転がっている現在で自発的に子供を作ろうという人が減るのは当たり前じゃないかな
純粋に心から愛しあえる人を見つけることができて、何の外圧がなくとも子供を作ろうと思える人はどんどん減っていくだろうし、そういう人は経済状況にかかわらず子供を作ろうとすると思う
少子化に一番有効なのは子供ができるとこんなにかわいいんですよ!幸せですよ!っていうキャンペーンを大々的に行うのが一番有効なんじゃないかなぁ
SDGsなんていうけどね、俺の血は持続せず途絶えるのが確定しちゃってるんですわ
下の世代に特に思い入れのある奴だっていないから、そいつらが後々いくら苦労しようが俺の知ったことではない
ここにね、あの手の思想のズルさというかセコさというか、欺瞞があると思うんですよ
独身者が今いくら我慢しても得られるものは乏しく、結局は子孫を残す奴が一番得するようにできている
そういうのをひた隠しにしてエコだの何だの言ってるわけですから
しかもガチガチの保守の皆さん(むしろなんであいつらこそ環境考えないんだろうか)が言うならまだしも、あの手の人らはだいたい中絶には大賛成ときている
あと、普段民族にも国家にも何のリスペクトもなく、そんなの滅んだってどうでもいいよみたいなツラしている
それでいながら、隙あらば社会の存続を盾に取り、自分の主張の前提にしている
そういうとこが本当にセコい
はじめに断っておくと、給与体系は会社によって違うので、この記事は当方の昔の経験に基づく話としてご覧くだされ。
海外駐在を知らない人からよく掛けられる言葉の一つに、「給料たんまり貰ってていいな〜」というものがある。
これはまぁ一定の真実を含むが、たぶん世に思われているほど懐が潤ってるわけでもないよってのが本記事の趣旨である。
海外駐在の給与算定には、「購買力補償方式」というのが採用されていることが多い。
これは簡単に言うと「本国で頑張ってる同僚と海外駐在を公平に扱いましょーね」というテーマのシステムである。
元々は欧米製造業のグローバル体制が拡大してきた60年代くらいにどっかのコンサル会社が編み出したらしい。
海外駐在というのは赴任する国で労働ができるビザを取得して行くわけだが、向こうの国だってビザを発給する相手の素性は慎重に吟味する必要がある。
なので(国にもよるかもしれないが)、基本的にはその駐在員が赴任先の現法にとって必要不可欠な存在であるというタテマエを付与されている。
また、この関係で駐在員というのは下駄を履かされ、日本でいう社長とかマネージャーとか、拠点長みたいなポジションを与えられる。
現法においては、このポジションに則った給与を与えないと会計上やら税金上やらで問題になるので、駐在員にたんまり給与を支払うことになる。昔よく言われていた「海外駐在は日本からも赴任先からも給与を貰っている」という風説はたぶんこれが発端である。
ところが、実際には現法における社長というのは大概の場合日本における部長クラス。マネージャーや拠点長は課長クラスである。
つまり、現法で貰っている給与というのはその人の日本の職位からすると貰いすぎなわけである。
この貰いすぎた差額をどうするかについては国や会社によって対応が異なると思うが、一例としては毎月会社に給料の一部を返金したりする。
もちろん上記のような背景あってのことなのだが、それでも毎月自発的に給料返上イベントが発生するというのはなかなかモチベーション的にクるものがある。
次に給与の中身の話になるが、駐在員の手当としては、大別すると危険地手当と物価調整の2種類がある。
危険地手当は読んで字の如く日本より危ない地域に赴任した駐在の方が多くもらえる。物価調整は日本より物価が高い国にいる駐在が多くもらえる。
ただ、物価が高い国というのは生活コストが高いということなので、より危なくて物価の安い国にいる駐在の方が可処分所得という観点ではメリットがあると思う。
また、控除という観点からは日本で支払うのと同等の税金をさっ引いて、駐在員の手取りを調整したりもしている。
で、これでもまだ何となくおちんぎんをたくさん貰えてそうな感じがするが、実際には国によって個人負担してでも揃えないと生活が大変な物が結構あって、この辺の待遇がどうなってるかが会社ごとの待遇差に繋がっている。
超大手になると今でも家族用の車購入を補助してくれたりするらしいが、自家用車を自己負担する場合はそれだけで結構な金が飛ぶ。
また国によっては治安上の理由でドライバーを雇わないといけない場合(まぁそれ自体が普通に考えれば贅沢なことなんだが)があり、これが個人負担だと一気に苦しくなってくる。
あとはそもそも論だが海外への転勤自体、トータルで考えるとすげぇ金がかかる。日本の自宅に持っていた家電や家具は購入してすぐだろうが何だろうが処分しなければならないし、それらは帰国したら速やかに買い直さなければならない。子供がいる場合は教育関連もかなりコストがかかる。
自宅を引き払うなどした場合は置き場を失くした車もセットで処分する場合が多いので、帰国した際の配属先によってはまた車を買い直さないといけなかったりする。(まぁ車については日本でも都市部と地方の転勤で同じようなことになるけど)
そんなわけで、確かに日本で勤務している時と比べて額面上では貰っているのだが、日本にいる時の倍もらってるとかは基本無いし、また生活の実情としてメチャ楽かというと言う程でもないというのが実態だと思う。
しかしなー、中国をはじめとしてアジア各国の経済成長が著しい中、日本水準の給与支給を是とするこのシステムは加速度的に割に合わない内容になっていくんじゃないかなーと思っている。
当時もぶっちゃけ夫婦で転勤の無い会社に勤めてそこそこの給料で2馬力した方が可処分所得という点では楽な感じがしたし。
また、そもそも海外で遜色なく暮らせる語学力とかのスペックがあって、バキバキに仕事する自信があるのであれば外資とか行った方が楽しく稼げるんじゃないかなーとかも思う。
まぁこんな感じの実情ですよというのを知ってもらえたらと思って書いてみた次第。
合法の国では、やったことない人でも危険性を理解してる率が高まると思わないかい?
禁止されるから大衆の想像力が低いままになり、乱用者に対して社会が脆弱なままになってしまうんだよ。
禁止されなければ人の振り見て我が振り直すことができる。全体が賢くなれる。そうなるまでに時間はかかるだろうけどね。
アルコールで考えてみよう。日本はアルコールを合法にしてきてだいぶ経つが、最近になってやっと、自発的に摂取を避けるライフスタイルを選ぶ若者が増えてきた。
コロナ禍でその傾向は一層盤石となり、酒飲み派と酒忌避派の断絶は深まることだろう。だがその断絶は「危険性の理解」から生まれたものだ。
ネガティブに捉えるべきではなく、むしろ逆に、この断絶がより多くの人間を巻き込んで集合知を次のステージへ進める契機となる、進歩的な断絶だ。
国家規模の人間集団が賢くなるには、失敗の歴史を身近かつ間近で見て学ぶ必要があるんだね。
だから「危ないものには蓋」は長期的視点で見ると、人間を愚かで想像力の乏しいものにしてしまう。
規制、禁止、こうしたパターナリズムは、温室栽培された人間を増やす方向に働くんだよ。
いずれ詐欺にすぐひっかかるようなスカスカな脳みその老人人口が爆発するだろうね。
甲斐甲斐しく世話を焼き続けた結果、焼ききれなくなる未来。ドラッグなんて序の口だ。高度情報化社会になればなるほど、愚者の面倒は見きれなくなるだろうね。
それよりも僕は、人類全員が荒野で揉まれながら賢くなっていく道の先にこそ、明るい未来が待っていると思うね。
葉っぱをやる自由はあるが、やったらまともな人には相手にされなくなる。行動に応じて冷徹なまでに階層が区切られる。
そういうの、ゾクゾクしないかい?
そのような意味で、僕はドラッグに染まる人間を擁護する気は一切ないが、自由化することは大いに賛成なんだ。そこんとこよろしく頼むよ。
行政なんてものは警察と生活保護のためだけの存在でそれ以外は全部飾りなんですよ。そもそも行政なんて立法と司法以外のサムシングなんですよ。国家機関という幻想に担わせがちな謎機能の総称なんですよ。そもそも日本の行政機関はもはや半分くらい保険会社になってますけど、それはなぜかやっているってだけであってその機能に多くを求めるのは違うのでは……?
Goto のような再分配策を医療に回せはちょっと小泉・竹中もびっくりな新自由主義過激派過ぎないか?
民間で出来るんだから民間でやればいいじゃん。寄付という概念がもうちょっと定着しなきゃどっちみち駄目だよ。でなきゃ一人ずつ「やっぱり"社会など存在しない"じゃないか」って人が増えていくだけだよ。再分配が上手く働いていないことを行政の責任にするのは違う。第一には人間が自発的に相互扶助できないのが悪い。そこは忘れちゃ駄目。
自分が相互扶助をしないのを行政に転嫁するのは駄目。今すぐにその指で寄付をする。そちらの方がずっと世界を変えられる。そしてその一歩がいつか行政という蜃気楼を打ち破るための礎となるのだ。
共に歩もうではないか、真理の道を。機械的再分配のみを実施し他はほぼ夜警国家にすればいいじゃないか、行政が色々考えるからおかしなことになるんだ、的な新・新自由主義の道を。
自発的(voluntary)な行動をしてない人をインセル(involuntary celibate)と呼ぶのは語義矛盾という気がするけど。
いや一周まわって正しいのか?(invluntaryの指す意味が変わりそうだが。)
男、えげつないほどカッコよくないと「黙ってても女が寄ってくる」ってことはない
女は比較的理性が仕事をしてるので、動きのない対象にグワーッと寄っていくにはかなりのモチベーションが必要 それがこの高い要求として現れてくる
しかし、男はチンポ・ドリヴンなので、女が黙っていてもガンガン言い寄っていく
その結果、モテる女、「黙っていても男が寄ってくる」という自己認識の女がかなりの数生まれる
ここで重要なのは、偏差値52くらいの男は黙っているとインセルになるということ
俺の高校時代の友達が大体みんな偏差値52って感じだったんだが、自発的に行動しなかったら全員インセルのままだったと思う(皆大学に入って気合を入れたので彼女ができた)
男だったら気になる人をデートに誘いまくるような行動をやってはじめてインセル脱却できる程度のスペックでも、女だと待ちの姿勢でモテることができる
いや、まあ容姿の維持に求められる労力のベースが違うってのはあるだろうけども、じゃあ素で偏差値52の男が筋トレ・スキンケア・オシャレなどをするだけで女の方からワラワラ寄ってくるほどのモテ人間になれるかというと、けっこう疑問
私怨だが俺は身長162cmなのでその辺をどう頑張ったところで受動的モテは不可能そうというのはある 背、手術しかないんだよな
とにかく俺がいいたいのは、本来インセルであるはずのスペックの女が偉そうにモテ論を語っているとムカつくという話だ
キモいインセルが超キモい非モテ論を語っているnote等、たしかにキモいが、あれに対して上から目線で「人間力が足りないんだと思うよ」みたいなことを言うことは俺にはできない
俺もインセルだからだ 「この執念どこから来るんだ?可哀想に…」とは思う でもそれはあくまで可哀想という感情で、見下しではない
俺と異常非モテmote書き男の違いは人間力ではない 持って生まれたモテへの執着の違いだ それは彼によってどうこうできるもんではない 彼は苦しみ続ける運命、と思うと本当に可哀想
なのによ、穴が一個多いだけで言い寄られた人間が、「人間力」を語っちゃうわけだ
お前男だったら確実にインセルだぞ
はてなブックマークとかやってるような心性の人間が男に生まれてインセルにならないわけがない
ドラッグストアで買い物をしていると、お風呂用のボディタオルがへたってきていることを思い出した。ずいぶん前から使っていて、もう何本も糸がほつれているのだ。僕はボディソープ売り場の横に、ボディタオルが置かれているのを見つけた。男女兼用のものもあったが、だいたい中段より上が男性用、下が女性用になっているようだ。そして、僕は中段より上に、"それ"を発見した。
パッケージにはそう書かれていた。僕はこの商品をみて、違和感を感じた。商品名や黒とシルバーの地味な配色から、男性向けの商品であることは明確だった。しかし、僕はどうしてもその商品、ひいてはマーケティングが僕に向けられたものではないような気がした。
特に、僕がどうしようもない違和感を感じるのは、"彼氏の"の部分である。
男性が自分のことを"彼氏"であると、普段から認識しているだろうか。たとえば僕は、これまでも誰かの"彼氏"であったし、現在も誰かの"彼氏"である。しかし、自分を表す代名詞として"彼氏"を持ち出されると変な感じがする。"彼氏"は僕の"彼女"が使う代名詞であって、僕や、どこの馬の骨かわからない企業が僕のことを"彼氏"とするのは間違っている。これは一般的な感覚だろう。これらから、この"彼氏の"は男性ではなく、女性、つまり"彼女"に向けて書かれた言葉であることがわかる。
この一文節には、さらに重要な情報が含まれている。"旦那"ではなく"彼氏"と書かれていることだ。ここから彼女は未婚であり、現在同棲中か、あるいは半同棲中であることがわかる。
これは僕の想像だが、半同棲中という方が近いだろう。二人で家を借りて本格的に同棲をするというのであれば、ボディタオルのような基本的な日用品は、すでに買っているはずだ。そして、それは買い換えられることが少ない。一般的なボディタオルは、一般的な男女の関係よりも丈夫にできている。
彼女は、彼氏のボディタオルを買い替えに来たのではなく、ないから買いに来たのだろう。ボディタオルがない、ということは、彼らはお互いに別の住まいを持っている。つまり、彼女の家にボディタオルが必要なほどの頻度で男が出入りしている可能性が高い。
"彼女は健気にも、半同棲中の彼氏のためにボディタオルを買いに来た"というわけだ。
これも想像だが、彼女は彼氏に主導権を握られているはずだ。僕のような気弱な男は「ボディタオルがほしいなぁ」と思ったら、自分で用意する。仕事がめちゃくちゃ上手くいった日に、血迷って「ボディタオル買ってきて」と頼んだとしても、主導権が彼女にあるなら「自分で買ってきなさいよ」と言われてしまうだろう。彼女にボディタオルを買わせることができるのは、主導権を持った男だけだ。
そして、これは商品名が"旦那"ではなく"彼氏"であることにもつながる。旦那に「ボディタオルを買ってきて」と言われて買いに行く嫁は、ごく少数ということだ。
"彼女は健気にも、半同棲中の主導権を持った彼氏のためにボディタオルを買いに来ている"ということになる。
黒とシルバーの地味だと思っていた配色が、どこか攻撃的に見えてきた。
さらに想像を深めていこう。「ボディタオル買ってきて」というセリフを例示している通り、彼女は自発的に、ボディタオルを買いに来たのではないかもしれない。いくら気の回る人でも、人は他人のボディタオルにまで、気はまわらない。
彼女が彼氏のために、食器を用意したり、シャツにアイロンをかけてあげることはあるかもしれない。しかし彼氏が、風呂という限定的なシチュエーションにおいて、身体を洗いにくいかもしれないと想像して、ボディタオルを用意する彼女はさすがに出来すぎである。
"彼女は健気にも、半同棲中の主導権を持った彼氏に「ボディタオル買ってきて」と言われ、ボディタオルを買いに来ている" かもしれない。
そして、ボディソープ売り場でようやく目にしたのが、「彼氏の♂あわシャリボディタオル」。
ここまでくれば、あとは適当な情報を付加すれば、ペルソナが見えてくる。 <h3>o- *</h3>
彼女は今年の四月から新社会人になった。新しい人間関係、初めての仕事、そして、初めてのひとり暮らし。期待に胸を踊らせたのは、もう数ヶ月前だ。いざ入社してみると、雑用のような仕事や接待に追われる日々が続く。自分が大学生の頃に描いた、キラキラした社会人像との差に、ため息が漏れる。
そんな彼女にも、三ヶ月前に彼氏ができた。少し年上で、あまり自分を曲げないが、優しい一面もある男だ。彼女はこれまでも、恋人ができたことはあった。それは所詮、学生同士の付き合い。彼女の家は厳しかったので、ずっと一緒にいられたわけでもないし、深いつながりを感じたことはない。
しかし、今回は違った。彼女と彼氏が望む限りは、何時間だって一緒にいることができた。彼女は、彼氏と過ごす中で、深い心のつながりを感じるようになった。彼女は、彼氏に夢中になった。やがて週に三日は、彼氏が泊まりに来るようになった。彼氏との生活は、本番のおままごとみたいに、楽しいものだった。
最近、そんな幸せな関係に陰りが見えはじめた。彼が泊まりに来る頻度が減ってきたのだ。彼氏の態度も少し冷たくなったと感じる。初めは料理を作ってあげると、嬉しそうにしてくれた彼氏だったが、今では、食べ終わるとだまってスマホをさわり始める。私はあなたの奴隷じゃないのよ。そんなことは言えるはずもなく、緩やかな怒りと悲しみを感じた。彼女は、彼氏ともう一度、あの頃のような関係にもどりたいと思っていた。
「うん、わかった。今度買ってくるね」彼女は明るく取り繕ったように言った。
彼女は考えた。誰しも、他人の家というのは、自分の家ほど居心地が良くない。彼氏は、風呂に自分のボディタオルがなくて、不自由に感じていたのだろう。私は、そんなことも気がつけなかったのか。彼氏の居心地がよくなるよう気を使えれば、もっと一緒にいてくれるだろうか。
彼女はドラッグストアで買い物をしている最中に、そのことを思い出した。
「ボディタオル、買わないと。」
彼女はボディソープ売り場の横に、ボディタオルが置かれているのを見つけた。男女兼用のものもあったが、だいたい中段より上が男性用、下が女性用になっているようだ。そして、彼女は中段より上に、"それ"を発見した。
おととし以前から勤めてる人はオフィスワークだった頃のパフォーマンスがバレてるのでパフォーマンスが落ちればサボッてるなという感じだけど、コロナ以降に入社してきた人はポテンシャルが低いのかサボッてるのか判別できないという悩みはあるね。もろちん、結果として出せてるパフォーマンスはサボりも含めたものなので評価も順当なものになるけれども。
うちの職場では各自のPCにログイン監視ソフト(デスクトップのスクショなども送られているらしい)が入れられている。隠れて自発的なサビ残をしたりさせないため、というホワイトな理由が説明されているが、もろちんそれだけで済むことはないだろうと思う。