2021-01-11

タイムリープ人生はやり直せない。それでも、もう一度過去に戻りたい

=== 1 ===

私は今、過去へとタイムリープして、2度目の「現在」を生きている。

まあ、そう言ったところで多くの人には信じてもらえないのだろう。

からまずは、どのようにタイムリープ可能となったのか、その理屈を述べ、

納得を得るべきなのだろうが、先方との約束でそれはできない。

今回のタイムリープには協力者が居て、その人のおかげでタイムリープが実現できた。

それ以上のことは先方との約束により、絶対に明らかにできない。

しかし、タイムリープ理屈など、私にとってはどうでもいいのだ。

私が伝えたいのは、タイムリープを以てしても、結局人生はやり直せなかったという事実だ。

タイムリープ人生をやり直すには、タイムリープの誘いを受けたという幸運だけでなく、

ある種の「快適さ」を打ち捨てるだけの強い意志必要だと知ったのだ。

身を以て知ったその事実を、強い驚きに加えて、ある「期待」を持って皆に伝えたいのだ。

=== 2 ===

そもそも私の場合入試恋愛、大きな事件事故など、「現在」に至るまでの人生の中で、

強い悔いを残し、これだけは絶対に変えたい!というイベント特に無かった。

それでも、先方からタイムリープの誘いに乗ったのは、既に結果を知る過去を再度歩めるのだから

そこに現れる人生選択肢もより良いものが選べるはずだと考えたからだった。

例えば、学生の頃のテストは「現在」の知識によって、より良い点数が取れるだろう。

また逆に、記憶の限り日々のトラブルはすべて回避できるだろう。そういったことだ。

すなわち、自分記憶によって、2度目の過去ではより良い選択肢が選べ、

現在」までの人生もっと高いステージに引き上げることができるだろうと思ったのだ。

おそらく、大多数の人間がそう考えるように。

ちなみに、私には中学生の頃から大学ノート日記を記す習慣があった。

さすがに、過去の細かなことなど覚えていないわけで、過去をより良く選択するには、

日記という貴重なデータ絶対に持っていく必要があると思った。

から、先方にも無理を言って説得し、

その十数冊ある日記の束と共にタイムリープすることを許してもらった。

しかしながら、今になって思い返してみれば、それが一番の悪手だった。

その日記という紙束が、自分選択肢を強く制約し、新たな可能性を潰してしまったのだ。

すなわち、実際にタイムリープしてみると、日記記載記憶どおりの人生を歩んでしまい、

新たな選択肢を選び直すことなほとんどできやしなかったのだ。

いや、タイムリープして最初のうちは、出し惜しみのつもりだった。

中学生に戻って、日記記載記憶どおりに繰り返す毎日

その不思議さは、自分が全知であるかのような錯覚を生む。このままで居たい。

すると、新たな選択億劫さ。

そこで、新たな選択未来を知るアドバンテージを損なうことなのだと理屈を付けた。

そして、自分はまだ中学生なのだから、さほど大きな選択肢も無いだろうと、

タイムリープして最初のうちは意図的に、1度目の過去とわりと同じ選択肢を選び続けていたのだった。

さらに、先に述べたとおり、私には絶対に変えたいというイベント特に無かった。

そのため、新たな選択肢を出し惜しむ状態は、数年間にも渡って続いてしまった。

しかし、高校生にもなれば、日々の会話の中で「バタフライ効果」の存在に思い至る。

どんな小さな行動でも、新たな選択肢を選んでしまえばその影響の大きさは読み切れない。

未来を知るアドバンテージもその行動に留まらず、完全に失われかねない。

それに気づいてからは全てを不安に感じ始めてしまい、いつか来る大きな選択肢のために

そのアドバンテージを保持しようと、それが自分にとって良いことであろうと悪いことであろうと、

ひたすら日記記載記憶の通り行動した。それは大人になっても同じだった。

例えば、その日は職場トラブルを起こし、大迷惑をかけるとわかっていた。

それでも出勤し、何の対策も取らず、上司に怒られながら対応に奔走した。

例えば、その日は旅行でどんな光景を見たのか、おぼろ気ながらも覚えていた。

それでも出発し、同じ忘れ物をして、退屈を感じながらも時刻表に追われた。

もちろん、毎日何を食べて暮らしていたかなど、日記にも記憶にも無いこともあったが、

それらは詳しく追わなかった。それなら、意識しないことこそ自然だと思ったから。

そして日記も書いた。

もはや、日々起きるイベントは1度目の過去と全く同じであり、

日記を書くというよりは、持参した日記の単なる引き写しでしかなかったわけだが。

それでも、日記を書かないことも「バタフライ効果」を起こすと信じてしまい、

持参した日記まっさら大学ノートにそのまま書写するという、

客観的に見ればまさに馬鹿馬鹿しいだろう行動を、「現在」まで真剣に続けてきたのだった。

=== 3 ===

そうやって、タイムリープの出発時点である現在」に十数年もかけて、ただ出戻ってしまったわけだ。

外見的には、同じ日記の束が1組増えただけのひたすら長い時間だった。

前節に述べた思考過程により、人生を変えるような選択肢は何一つ選べなかったわけだが、

それでも、一つだけ新たに気づいたことがある。

それは、2度目の過去は少々退屈ではあるけれど、ひたすら快適だということだった。

2度目の過去の後半はむしろ自発的に新たな選択肢を選ぼうとしなかったのかもしれない。

なにしろ選択肢を選び直さなければ、明日に何が起こるのかまたわかるのだから

その明日トラブルだらけだったとしても、それはいつどのように治まるかを知っている。

「止まない雨は無い」ということを、実体験によりわかっていたのだ。

それゆえ、「バタフライ効果」の影響が狭まったやり直しの後半においても、

トラブル回避するつもりの選択肢を選ぶリスク(「バタフライ効果」でリスクにもなり得るのだ)より、

選択肢を選び直さないことによるメリットの方を選んだ。

そうして、私は「現在」に至るまで、リスクのある新しい選択肢ではなく、

苦しくとも理解できる未来が選べる「快適さ」の方を選んできたのだった。

そういえば、タイムリープで戻った時点よりももっと前、

しか小学生の頃には、私もいわゆるロールプレイングゲーム遊んだことがある。

しかし、それを最後までクリアしたことは一度も無かった。

なぜなら、ガイドブック存在する範囲シナリオが終わってしまうと、

何をどう進めて最終目標に向かえばよいかからなかったからだ。

そのことを、2度目の「現在」に戻ってようやく思い出す。

これからの、日記記憶も、当然ガイドブックも無いまっさら未来が本当に恐ろしい。

それに比べて、あの「快適さ」に包まれ過去の日々は、本当に素晴らしいものだった。

強い意志の無い私のような人間には、新たな選択肢が選べ直せないと重々わかりきった上でも、

もう一度、日記とともにタイムリープを繰り返したいと思うくらいに。


そして、今はあの「現在」だ。

1度目の人生と同様、かの先方は再び現れるはずだ。

迷惑メールのようなぎこちない文面で、タイムリープの誘いを持ち掛けてくるはずなのだ

=== 4 ===

そう、そのはずだったのだ。

しかし、タイムリープの誘いを持ち掛けるメールは、いまだに来ない。

その時期が日記記載から遅れていても許すから、どうか早く現れてほしい。

まっさら未来などまっぴらだ。私は「快適さ」のある過去に、もう一度引きこもりたいのだ。

あんなに嫌っていた「バタフライ効果」だったが、今度だけはそれを「期待」して、この文章を投じておく。

  • タイムリープしても人生はやりなおせないが、タイムリープしなくても文章は書き直せる。 いきなり一行目から日本語がおかしい。 ひょっとしたらタイムリープという時系列がおかし...

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