はてなキーワード: 熟語とは
こういう日本語あったっけ? とふと思った
元は「草生える」だ
草の語源はもちろん「www」
と考えると「w」と同様に単独で使うのが自然なので「草」となる
例:草。素直に草。草不可避。
最近この流れ若干ある気がする
「素直に射精です」とか、本当に射精するわけじゃなくて、射精するほどエロいと思うと言う意味
他にもこういうのあった気がするが思い出せない。
__
経緯は分かるんだけど
「私は今こういう状態です」っていうのを、形容詞でも動詞でもなく名詞で表現するのが珍しいと思った
そういやワロスのスって何? ワロタを形容詞にしたの? それならワロシか
__
似た言葉、少し思い出した
「鬱」 鬱だ。非常に鬱。鬱なこと。
「おこ」 おこなの? おこだよ。とってもおこだった。
「危険」と「危ない」だと、前者のほうが色々なシーンで使えるんじゃないかな。
でも従来の日本語に、こういった使い方で感情や人の状態を表すものが少ない(?)のが不思議だ。
何ていうか、外来語に近い使い方なような気もする(とてもセンシティブな話だ。とか)
試しに似た用例考えてみる
意味:凄く焦っている 汗。これは汗。おまえ今汗なんじゃないの?
意味:非常に眠い オフトゥン。今日の授業はクソオフトゥンだった。
だめだ、センスが足りない
_
調べたら形容動詞と名詞、両方に属する語があるのか(元気、健康、自由、特別、最高、親切、安全、不思議)
それを「笑っている」というような気持ちの表現に用いるのが面白くて引っかかりを感じたんだと思う
そもそも自分の状態を俯瞰で見る表現自体が珍しいんだけど。「私は今笑っています」「面白いと感じています」みたいな。「ウケる」みたいな。
笑う行為が自分でやってるのに自発動詞だから引っかかるのかな(「笑う」ではなく「ウケる」「草生える」の方が自発的でしっくりくる)
https://anond.hatelabo.jp/20170819083313
そんな私に言わせれば、羽奏=わかなはまだ標準レベル。
なのでみんな読めたほうがいいんじゃないか。
こういう名付けの是非についてはいろいろ議論もあろうかと思うが、今後キラキラネーム勢が社会に進出してくることは確実なので、この程度が読めないようでは老害の烙印を押されることは必至。
というわけで、以下の原則をマスターしてキミもキラキラネームマスターになろう!
「羽奏」のばあい、読みの「わかな」は普通なので①というわけ。
①+②の最終形態になるともはやどうしようもないが、①か②のどっちか片方である=読みか漢字の当て方のどっちかは常識的である確率はけっこう高い。
天使=えんじぇるみたいなのばっかだと思っていると思考放棄に陥りがちであるが、「羽奏」は慣れれば余裕。
これは大原則として知っておきたい。
「羽奏」を「はねかな」「うそう」などと読んでしまう人はこの点を理解できていないと思う。
羽=はね・は・う・わ
奏=そう・かな-でる
この時点で「わかな」を出すことができるので、「羽奏」はまだ常識的なのだ。
これが無理でも、直翔=なおと 程度は現代人として即答したい。
音・訓読みの一部だけを取り出すのはもはや常識的な名付け法となっている。
取り出すのは前でも後ろでも可。たとえば、由望=ゆみ、美星=みほ、という要領。
なお、読むのは難しくないが、望海=のぞみ、みたいになくても良い黙字的な一字を足すパターンも頻出。
最近よくいる翔汰のさんずいといい、不要不急のパーツは人間のロマンなのだ。
というわけで、中級者であれば「羽奏」も「はな」と読む可能性が視野に入ってくる。
本当に難しいのはここからです。
キラキラネーム読解の達人になるためには、漢字から連想されるものも読みに含めてよい、という原則をマスターせねばならない。
美宙=みそら、那奏=なおと、など。
各文字のもつ観念を連想によって羽ばたかせる詩的センスが要求される高度な技術。
最後に、現在の名付けには何とでも読めるワイルドカードが存在するということを知っておこう。
とりわけ「空」「海」「星」など自然物はワイルドカード率高し。
これに当たってしまったらもはや諦めるしかないが、男なら「と・た・き・ま」、女なら「あ・か・や・ら」あたりで読んでおけば、それなりの確率で当たる。
30才になってしまった。
つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。
誕生日の記念に自分の人生をざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。
2年前からイーストヴィレッジのセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人、日本人、ヒスパニック。
日本酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所を特定できてしまうと思う。
大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターかDJブースにいる。ちなみに趣味はボディビルで、アマチュアの大会で2回ほど入賞したことがある。
まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江戸川乱歩と京極夏彦に傾倒していた。将来は図書館司書になるつもりだった。顔は青白く、ひどい猫背だった。ある女性との出会いが僕を大きく変えた。
そうだ、あの子について書こう。
最初に彼女と遭遇したのは、高校に入ってまもない頃だった。校庭と校舎をつなぐ階段の途中ですれ違った。彼女はジャージ姿だった。背が高く、涼しげな目が印象的だった。かっこいい人だと思った。一瞬だけ目が合い、僕はあわてて逸らした。
当時の僕は最低だった。勉強も出来ないし、スポーツも苦手。しかもクラスではパシリだった。どういう経緯でパシリになったのか、まったく思い出せない。梅雨の訪れのように自然な成り行きだった。
僕をパシリに任命したのはNというクラスメートで、彼は教室内の権力を一手に握っていた。髪を金色に染め、足首に蛇のタトゥーをいれていた。15才の僕にとって、蛇のタトゥーはかなりの脅威だった。
昼休みになると、僕はNを含む数人分のパンとジュースを買いに行かされた。金を渡され、学校の近くのコンビニまで走らされる。帰りが遅かったり、品切れだったりすると怒鳴られる。そういう時はヘラヘラ笑いながら謝った。歯向かう勇気はなかった。そんなことをすればさらに面倒なことになるのは目に見えていた。
いじめられていないだけマシだ、パシリに甘んじてるのもひとつの戦略だ、そう自分に言い聞かせていた。
ある日、いつものようにパンとジュースを買って裏門から教室に戻ろうとした時、また彼女とすれ違った。相変わらずクールな表情。今度は制服姿だ。ジャージの時より断然かっこいい。ネクタイをゆるく結び、黒いチョーカーをつけていた。目が合う。すぐに逸らす。前と同じだ。
僕はすっかり彼女に魅了されてしまった。教室に戻るのが遅れて、Nに尻を蹴られた。いつも通りヘラヘラ笑いながら謝った。
それからも広場や廊下で何度か彼女を見かけた。一人だったり、何人かと一緒だったりした。彼女は常にクールだった。それにどんどん美しくなっていくようだった。どうしても視線が吸い寄せられてしまう。そのくせ目が合いそうになると、僕はすぐに逸らした。
彼女のことをもっと知りたいと思った。気を抜くとすぐに彼女のことが頭に浮かんだ。できれば話してみたい。でも僕ごときにそんな資格は無い。きっと冷たくあしらわれて終わりだろう。遠くから眺めているのがちょうどいい気がした。
なんだか出来損ないの私小説みたいになってきた。こんなことが書きたかったんだっけ? まぁいいか。もう少し続けてみよう。
30才になった今、少年時代の気持ちを思い返すのはとてもむずかしい。あの頃は恋と憧れの区別もついていなかった。おまけに僕は根っからの小心者だった。彼女の目を見つめ返す勇気もなかった。世界は恐怖に満ちていた。蛇のタトゥーが恐怖のシンボルだった。
1学期の最後の日に転機が訪れた。大げさじゃなく、あれが人生の転機だった。
よく晴れた日の朝。バスターミナルに夏の光が溢れていた。まぶしくて時刻表の文字が見えなかった。僕はいつものように通学のために市営バスに乗り、2人掛けのシートに座った。本当は電車の方が早いのだが、僕は満員電車が嫌いだった。それにバスなら座れるし、仮眠も取れる。僕は窓に頭をあずけて目を閉じた。
発車する寸前に誰かが隣に座った。僕は目を閉じたまま腰をずらしてスペースを空けた。香水の匂いが鼻をくすぐった。
ふと隣を見ると、彼女が座っていた。目が合った。今度は逸らすことができなかった。彼女がにっこり微笑んだのだ。彼女は気さくに話しかけてきた。
校内でよく僕のことを見かけると彼女は言った。その時の驚きをどう表現すればいいだろう。うまく言葉にできない。
さらに彼女は僕の頭を指して「髪切ればいいのに」と言った。たしかに僕の髪は無造作だった。でもそんなに長いわけでもなかった。わけがわからなかった。彼女が僕の髪型を気にかけるなんて。
彼女はひとつ上の2年生だった。ふだんは電車で通学しているが、初めてバスに乗ってみたという。色々なことを話した。幸福なひとときだった。なぜだろう、初めて喋るのに僕はとてもリラックスしていた。きっと彼女のおかげだと思う。人を安心させる力があるのだ。
車窓から見える景色がいつもと違った。こんなにきれいな街並みは見たことが無かった。行き先を間違えたのだろうか。ふたりであてのない旅に出るのか。落ち着け。そんなはずはない。もういちど景色を確認してみる。いつもの道だ。たまに彼女の肘が僕の脇腹に触れた。スカートから伸びるすらりとした足が目の前にあった。目眩がした。
特に印象に残っているのは、彼女が小学生の時に"あること"で日本一になったという話だ。でもそれが何なのか、頑なに言おうとしないのだ。絶対に笑うから教えたくないという。それでも僕が粘り続けると、ようやく白状した。それは「一輪車」だった。
一輪車駅伝の全国大会というものがあり、彼女はジュニアの部で最終走者を務めた。その時に日本一になったらしい。僕はそんな競技があることすら知らなかった。
あまりに想定外だったので、どう反応すればいいかわからなかった。でもこれだけは言える。彼女が恥ずかしそうに「一輪車」とつぶやき、はにかんだ瞬間、僕は本当に恋に落ちた。
彼女は一輪車で燃え尽きて、中学から一切スポーツをやらなくなった。部活に入らないのも体育を休みがちなのも、すべて「一輪車で燃え尽きたから」。ずいぶん勝手な理屈だ。なんだか笑えた。そんなことを真顔で語る彼女がたまらなくチャーミングに見えた。だいぶイメージが変わった。
会話が途切れると彼女はバッグからイヤホンを取り出して、片方を自分の耳に差し、もう片方を僕の耳に差した。ヒップホップが流れてきた。ジェイZだった。いちばん好きなアーティストだと教えてくれた。
僕はジェイZを知らなかった。そもそもヒップホップをあまり聴いたことがなかった。素晴らしいと思った。リリックなんてひとつもわからなかったが、極上のラブソングだった。本当はドラッグの売人についてラップしていたのかもしれない。でも僕にとってはラブソングだった。
あの日のバスは僕を新しい世界へと導く特別な乗り物だった。バスを降りて、校門で彼女と手を振って別れた瞬間から、あらゆる景色が違って見えた。すべてが輝いていた。空は広くなり、緑は深さを増していた。
次に彼女と目が合った時は必ず微笑み返そう。蛇のタトゥーはただのファッションだ。この世界はちっとも怖い場所じゃない。
新しい世界の始まりは、夏休みの始まりでもあった。僕は16才になった。(14年前の今日だ!)人生が一気に加速した。そう、書きたかったのはここから先の話だ。ようやく佳境に入れそうだ。やっと辿り着いた。
僕は髪を切った。坊主にした。そして体を鍛え始めた。近所の区民センターのトレーニングルームで筋トレに励んだ。それから英語の勉強に没頭した。図書館の自習室で閉館まで英語と格闘した。単語、熟語、文法、構文、長文読解。最初は暗号のように見えていた文字の羅列が、だんだんと意味を紡ぐようになっていった。
英語と筋トレ。なぜこの2つに邁進したのか。理由は至ってシンプルだ。ジェイZになろうと思ったのだ。彼女がいちばん好きなジェイZだ。
①僕がジェイZになる
②彼女は僕に夢中になる
できれば夏休みの間にジェイZに変身したかったが、さすがにそれは現実的では無かった。でもとにかくやれるところまでやろうと思った。僕は筋トレと英語に励み、ジェイZの曲を聴きまくり、真似しまくった。日差しの強い日には近所の川べりで体を焼いた。
夏休みが終わった時、僕の見た目はジェイZにはほど遠かった。当然だ。そう簡単に変われるわけがない。日焼けして、少しだけ健康的になっただけだった。でも内面は違った。ヒップホップマインドが根付いていた。誇りがあり、野心があった。闘争心に溢れていた。
僕はパシリを断った。特に勇気を振り絞ったという感覚もない。単純に時間がもったいなかった。昼休みは英文のリーディングに充てたかった。誰かのパンやジュースを買いに行ってる暇はない。
パシリを断ると、彼らは一瞬どよめいた。こいつマジかよ、という顔をした。Nが笑いながら尻を蹴ってきたので、笑いながら蹴り返した。教室全体がざわついた。Nはそこで引き下がった。
それからしばらくの間、 嫌がらせが続いた。机や椅子が倒された。黒板には僕を揶揄する言葉が書かれた。でも相手にしている暇はなかった。早くジェイZにならなければ。僕は黙って机を立て直し、Nをにらみつけながら微笑んで見せた。Nの表情にわずかな怯えが走るのを僕は見逃さなかった。
筋トレ、英語、ラップ、筋トレ、英語、ラップ。その繰り返しだった。僕は少しずつ、でも着実に変わっていった。あの日からいちども彼女と会っていなかった。校内でも見かけなかった。でも焦ってはいけない。どうせ会うなら完全にジェイZになってからの方が良い。
そんなある日、柔道の授業でNと乱取りをすることになった。たまたま順番が当たってしまったのだ。組み合ってすぐにわかった。こいつは全然強くない。いつも余裕ぶった笑みを浮かべてるが、体はペラペラだ。とんだハッタリ野郎だ。絶対に勝てる。
Nが薄ら笑いを浮かべながら、足でドンと床を踏んで挑発してきた。腹の底から猛烈な怒りがこみ上げてきた。なぜこんなやつのパシリをしていたのだろう。さっさとぶちのめすべきではなかったのか?
僕はNを払い腰で倒して、裸締めにした。Nはすぐにタップしたらしいが、僕はまるで気付かなかった。先生があわてて引き離した。Nは気絶しかけていた。僕は先生にこっぴどく叱られたが、その日から誰も嫌がらせをしなくなった。勝ったのだ。
でも連戦連勝というわけにはいかない。ヒップホップの神様は残酷だ。僕は恋に敗れた。いや、勝負すら出来なかった。なんと彼女は夏休みの間に引っ越していたのだ。僕はそれをずいぶんあとになってから知った。
彼女とは二度と会えなかった。筋肉と英語とヒップホップだけが残った。なんのための努力だったんだろう。せっかく坊主にして、体つきも変わってきたというのに。仮装パーティーで会場を間違えた男みたいだ。マヌケ過ぎる。しかし、そんなマヌケな彷徨の果てに今の僕がいる。
高校を卒業して、さらに英語を極めるために外語大に入った。それからNYに留学して、今の仕事仲間と知り合い、色々あって現在に至る。仲間達はみんなヒップホップを愛している。それだけが共通点だ。すべてのスタートがあの日のバスの中にある。
ずいぶん長くなってしまった。まさかこんな長文になるとは思わなかった。そろそろ止めよう。
僕は今でも週に3回は筋トレをしている。当時よりずっと効果的なトレーニング方法も身に付けた。知識も格段に増えた。でも本当に必要なのは、あの頃のような闇雲な熱意だ。
30才になってしまった。
Gガンダムの石破天驚拳が『石破・天驚拳』じゃなくて『石破天・驚拳』であることは意外と知られていない(元ネタの武侠小説の主人公の通り名が「石破天」さんで、石破天さんもビックリのすごい拳って意味だよ)— あろまーら (@aromara1) 2017年6月27日
普通にこっちじゃねえの。
https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E7%9F%B3%E7%A0%B4%E5%A4%A9%E9%A9%9A/m0u/
せきは-てんきょう【石破天驚】の意味
音楽・詩文・出来事などが、人を驚かすほど奇抜で巧みなことの形容。石が破れ、天が驚くほど巧妙であるという意から。
石破天驚の出典 李賀「李憑箜篌を引く」
吳絲蜀桐張高秋 空山凝雲頹不流
女媧煉石補天處 石破天驚逗秋雨
夢入神山教神嫗 老魚跳波瘦蛟舞
吳質不眠倚桂樹 露腳斜飛溼寒兔
金庸がこっから人や技を名付けたのを、さらに今川が取り入れた、って流れなんだろうけど。
言葉としては大元の「石破天驚」から取られているはずなので、区切りは「石破・天驚・拳」でいいと思われる。
追記
LD掲載のロングインタビューをテキスト打ちしたサイトが有るのですがその中を見ると両方共関係ないですね。最初は「天破侠乱」だったようです。ご参考までにhttps://t.co/oqhAu60g6O— 5 (@NI_5) 2017年6月27日
最初にあるひとつの四文字熟語からインスパイアされて「天破侠乱」っていう言葉を考えたんですよ。香港でのレコーディングのときに、これを唄の中にセリフで入れることになって、日本語にその場で訳して、かい摘んだ説明をして、一度英語に直してもらって、それから広東語に直してもらったのが「石破天驚」なんですよ。和解釈、英語になって、広東訳っていう手順なんですよ。なんと面白かったのが、香港から帰ってきて最初の四文字熟語をもう一度調べて見たんですよ。そうしたら「石破天驚」って書いてあったんですよ。これは自分自身、本当に忘れていたことなんで驚きました。
書き起こしなので分かりづらいけれど、これは今川監督が、(李賀の詩に由来する)「石破天驚」という四字熟語にインスパイアされて、「天破侠乱」という新しい言葉を考えたということか(中国語に「天破侠乱」という言葉はない)。
その「天破侠乱」の意味するところを翻訳者に伝えて広東語にしてもらったら「石破天驚」と訳されて、逆引き的に意味が通じていることが証明されたというエピソードのようだ。
もともと今川監督が「石破天驚」という四字熟語を知ったのは、金庸作品あるいはその映画からの可能性が高いが、いずれにせよ「石破天驚拳」は「石破天驚」という既存の四字熟語が元ネタだと断定していいだろう。
デマが定着しないことを祈る。
さて、今回は私の英語学習法の核心、「英単語の暗記をしない」ということについて語ってみたい。
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
ここで前回リスニングについて語った内容には、凄まじい反響があった。私は1500というブクマ数にoverwhelmされてしまった。
いきなり何を言ってるのか、と思われるだろうが、私の感覚の中では、1500ブクマという気分を一番表せるのは、日本語の「圧倒された」ではなく、英語の"overwhelm"だ。
この単語はただ「圧倒された」だけでなく、「圧倒的な力に晒されて、疲弊してしまった」という感覚がある。もしこれが増田でなく普通のブログだったら、プレッシャーで何も書けなくなっていたかもしれない。
他にも、前回の「英語をあるがままに受け入れなければならない」という結論の部分は、最初は「英語をあるがままにembraceしなければならない」と書いてあったのだが、伝わらなさそうなので書き直した。embraceは「抱擁するように受け入れる」というような感覚だが、日本語で書くと何のことやらわからない。
英単語を覚えるということは、こういった単語に伴う感覚を一つ一つ身につけていくことだ。そうすれば英単語が自分のものなり、ライティングやスピーキングでも自然に単語が湧いてきて、自由に使うことができるようになる。
英単語それぞれに固有であるこの感覚をどう身につけるのか、というのがここで語りたい話題である。
英語学習の世界で良く出て来るスローガンに「英語は英語のままに理解しなさい」「日本語に訳して理解してはいけません」というのがある。
しかし「英語は英語のままで理解しろ」と言われても、初心者には何のことか分からず、何か魔術的な、自分には絶対にできない思考法によってしか、英語は理解できないのではないか、という気にさせられてしまう。私も高校生の頃に、このスローガンを聞いて、そんな絶望感に襲われたことがある。
日本語しかできない日本人にとって、言語で思考する際に使える唯一のツールは日本語だ。英単語の意味を知りたいなら、日本語の訳語なり、日本語で書かれた説明によって理解するしかない。
日本語の訳語を当てはめ、文法ルールに従って語順を並び替えて、並び替えた日本語から文意をつかむ。ノンネイティブである学習者はそこからスタートするしかない。そして大学受験レベルになっても、難関校を受験するのでなければ、その方法論で通用するだろう。
そのレベルの英語力が欲しいならば、訳語を覚えることは有効だ。
ただ、「英単語を覚えるぞ!」と単語帳を開き、そこに記された訳語や例文を見たり、書いたり、発音したりしてみても、それで記憶できるのは記憶力がいい人だけで、普通は無理だ。
そしてそのレベルの、日本語の訳語を並べ替えるような英語力では、現実世界にあるほとんどの英文は読めず、あまり役に立たない。日本語と英語はあまりにも違いすぎるので、逐語訳、直訳はほとんど通用せず、日本語の訳語をそのまま適用しても英文を理解することは出来ない。
なので、受験と関係ない大人にとって、日本語の訳語による英語の理解は、目指すべき目標にはなりえない。
「『英語は英語のままに理解しなさい』か。ならば英英辞典を使って英語で意味を覚えよう!」と考えるのは自然な発想だ。しかし、これもうまくいかない。
日本語を介して英語を理解する段階を超えるには、英単語の持つ固有の感覚を覚える必要がある。
英単語から日本語の訳語が想起されるようではいけない。それと同様に、英英辞典に書いてある語の定義が想起されるのも、その隣に書いてある同意語が想起されるのもアウトだ。そういった余計なものが出て来るようでは、リスニングはできるはずもないし、リーディングにも苦労を伴うことになる。
日本人にとっては、日本語の単語が持っている感覚を想起するのは容易い。一方、英語から感覚を想起するのは難しい。英単語と感覚を結びつけるという意味では、日本語の訳語を介したほうが早い。
しかし、日本語の訳語と英単語では、意味に違いがある。日本語の訳語を介して英単語を理解しても、不正確な理解にしかならない。しかしそれは、英英辞典に書いてある定義にしても、同意語にしても同じことだ。同意語といっても、単語が違う以上はニュアンスの違いがあり、辞典の短い説明でそれを完全に言い表すことは出来ない。
なので、単語を覚えるために英英辞典を使うべきではない。(*1)
英和辞典や英英辞典では、英単語が持っている本当の感覚を掴むことはできない。
英単語の本当の意味は、その単語が実際に使われたシチュエーションの中にあり、その中にしかない。その単語を発した人の感情であったり、伝えたいメッセージがその単語の中に込められる。それを感じ取ることが出来れば、その単語の本当に意味するところが伝わってくる。
もちろん人によって、単語に込める意味には多少の違いがあるし、一度や二度その単語に出会っただけで、その感覚を本当に自分のものに出来るかはわからない。その単語に何度も出会い、修正を重ねながら、感覚を確かなものにしていく必要がある。
いずれにしても、実際にその単語が使われている生の英語を、深く理解し、言葉を発した人物の気持ちやシチュエーションをしっかりと読み取ることで、そこに出てきた単語の本当の意味を掴むことが出来る。辞書の定義や、ぶつ切りにされた例文からでは分からない。
小説や映画のシチュエーションを深く感じ取って理解し、記憶の中に蓄積していくことで、そこで出てきた英単語やイディオムといった英語表現の意味を、実感を伴って理解することが出来る。やがてその英語表現は自分の身体の中に染み込んで、感覚的に使いこなすことができるようになる。
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
私が以前ここに書いた学習法では、「辞書を引きながら小説を読む、映画の英語字幕を一時停止しながら解釈する」といった事が勧められている。それは小説や映画が、人物の心情があり、シチュエーションがある生の英語の塊だからだ。そして「自分が楽しめるものを見る」ことを勧めているのは、そうでないと登場人物の心情に寄り添ったり、シチュエーションにハラハラすることが難しくなり、英語を感覚的に深く読み取ることができないために、著しく学習効果が落ちてしまうからだ。
ここで使う辞書はもちろん英和で構わない。ただし辞書の記述はヒント程度にとどめ、単語の本当の意味は作品の中から感じ取ることが重要だ。辞書からは単語の感覚を理解することは出来ず、実際に使用されたシチュエーションを蓄積することでしか、単語を自分のものとすることは出来ない。
単語やイディオム等、全ての英語表現は、小説や映画や実体験などから、記憶の中にその表現が使用されたシチュエーションが蓄積されることで、その表現に固有の感覚が醸成されていく。
そのシチュエーションが印象深いほどに、感覚はより明確になり、記憶への定着率も上がる。そしてシチュエーションの数が増えるほどに、感覚はより正確に、記憶はより強固になっていく。
シチュエーション自体は時とともに忘れてしまう場合が多い。しかしその表現に染み付いた感覚は、シチュエーションを忘れた後も残っている。
そして英語表現からその感覚が直接想起されるようになれば、日本語を介さず「英語を英語のまま理解する」状態に至ることができる。その状態に至れば、その英語表現を感覚的に理解し、適切な時に適切な形でアウトプットすることも出来るようになる。
そうはいっても、「私の英語力では小説も映画もとても歯が立たない。それは語彙力が足りないからだ。まず単語を覚えなければ」と考える人は多い。
そして単語学習のあまりのつまらなさ、記憶の定着しなさに絶望して諦めてしまうというという人が後を絶たない。しかしそれは根本が間違っている。
辞書というものがある以上、英語を解釈するのに語彙力は必須ではない。テスト問題を解くためには、辞書なしで英語を読み解く力が必要かも知れないが、小説や映画を味わうために必須なものではない。
「単語を調べるためにいちいち辞書を引いていたら、話が先に進まず、読書体験がぶつ切りになるので楽しめない」という考え方もあるだろう。しかし私は「辞書を引きながら頑張って読んだからこそ、心に深く残る読書体験になる」と考えている。
通常の母国語の読書では、立ち止まり、辞書を引き、文法構造を考え、熟考しながら読み解くというような作業はまず行わない。学習者が文章を理解するために行うそれらの作業は、文章を深く読むことにも役立っている。
最初に読んだ一冊、私の場合は"There's a Boy in the Girls' Bathroom"という児童書だったが、当時の私には非常に難しく、何度も立ち止まり、辞書を引き、検索し、英文法に立ち返り、悪戦苦闘した。ただ、これは本当に素晴らしい本で、読む価値があると思えたから頑張ることができた。登場人物の心情に寄り添い、シチュエーションにハラハラしながら、苦しいながらも素晴らしい読書体験をすることが出来た。
一冊目を終えれば二冊目はずっと簡単に読めた。三冊、四冊と進むに連れて英語力がぐんぐんと増していき、読書から苦が減り喜びが増していった。やがて「ゲームの達人」のような大人向けにも手が出せるようになり、刑事ハリー・ボッシュシリーズにハマる頃には映画を英語字幕で存分に楽しめるようになっていた。
そして今はKindleがある。単語を長押しすれば辞書が引ける、検索も直ぐに出来る、洋書はなんでも安くダウンロードでき、スマホに入れて持ち運べる。これは英語学習のために存在するような素晴らしいツールだ。
Kindleがあれば語彙力は読書の障害にはなりえない。ただし、児童書レベルでも英文を読むためには、ある程度の文法力が必要だ。そのためには受験参考書を活用してほしい。日本の受験英語界には素晴らしい文法解説がたくさんある。
日本語を介してしまうと英語を深く感じ取れないため、基本的に日本語訳は使うべきではないと考えている。
ただ、どうしても理解できない英文に出会うことはある。いくら時間を費やしても理解できない、そういう時には、日本語訳を見る。日本語字幕であったり、訳書であったりだ。プロフェッショナルの訳からは、独習では得難いものが得られることも多い。
世の本屋には「基本単語1000」とか「TOEIC必須単語3000」といったような、頻出単語とその意味を並べた参考書が大量に並んでいる。
「英文に登場する単語の90%は1000語に含まれる、だからこの基本語をまず暗記して、それから英文を読むのが効率的だ」などと言う人もいる。しかしこれはほとんどデタラメである。
英文に登場する単語の大半が基本語なのは確かだ。しかし500ページそこそこの参考書に1000個も意味が書けるほど、基本語の内容は浅くない。私は今でも日常的に、基本語を辞書で引いている。そしてその単語のさまざまな使い方を見て、基本語の奥深さを噛み締めている。
英語は読むにしても、書くにしても、聞くにしても、話すにしても、基本語は身体の一部になるぐらいまで深く理解する必要がある。実際の英語の中で気が遠くなるほど何度も遭遇し、使用シチュエーションを蓄積し、自分でも使ってみる、そういった積み重ねの中でしか、その本当に意味するところは分からない。参考書レベルで基本語を分かった気になっても、少し派生的な意味で登場しただけで分からなくなるのがオチだろう。
そして英語の語彙の中で特に難しいのは、基本語の組み合わせによって発生する熟語、イディオムである。イディオムの意味は単語が意味するものから大きくかけ離れていることが多く、故にイディオムと呼ばれるわけだが、この知識も参考書ではほとんど得られない。このように、90%とされる基本語の中にも、参考書に含まれていないものが大量にある。
「それでも、頻出単語の基本的な意味だけでも抑えておくのは重要ではないか。小説などでランダムに出て来るのに任せたら、時間がどれだけかかるかわからない」そう思う人もいるだろう。
しかし、頻出語は頻出するから頻出語と言われる。基本単語1000ぐらいなら、小説を1冊読む頃には否応なく頭に染み付いているはずだ。それも単語の参考書で得たものとは違って、単語から想起される感覚を伴った、生きた英単語として身についている。
TOEIC3000語も、何の本でも数冊読めばほぼ頭に入っているはずだ。3000語を感覚的に理解できるようになれば、その3000語で構成された文は、日本語を介さず感覚的に理解できるようになり、「英語を英語のままで」理解できるようになる。そうなれば読書がスムーズに進むようになり、インプットのスピードが上がり、それが英語の上達を加速させる好循環に入ることができる。成長の実感は英語学習のモチベーションを高め、それがさらに成長を加速させる。3000語を感覚で理解できる頃には、英語学習にドハマリして抜け出せなくなっているはずだ。
高難度の単語は出現頻度が低くなるので、そういった単語を網羅的に学習するのは、小説や映画ばかりを偏って見ているノンネイティブには難しいかもしれない。英語上達完全マップによると、多読などの自然な方法に任せると二万五千~七千程度で語彙力は伸びなくなるという。
現在私の語彙は2万5千~7千と思われますが、多読などの自然なボキャビルにまかせると、この当たりで語彙の伸びは止まるようで、ここ10年くらい同じレベルにとどまっています。 http://mutuno.o.oo7.jp/05_training/05_training06.html
それ以上の高難度の単語を網羅的に学習したい場合は、単語の参考書を使うのは有効だろう。高難度の単語なら基本語のように意味が派生したりイディオムになったりということは少なく、参考書レベルの理解でもなんとかなるかもしれない。
ただ、参考書による単語学習はやっても覚えられないので、私はやらない。無数にある見たことのない単語の予習に励むより、知らない単語が出てきても、話を追い続ける力を磨いたほうが現実的だと考えている。
何の学習法でも言えることだが、自分が今やるべきでない学習法、自分に合ってない学習法は、やってみると身体が本能的に拒否する。そういう学習法は、無理にやっても身が入らないのでやらないほうが良い(もちろん私の勧めている学習法も含めて)。
気持ちよくて、クタクタに疲れられる学習法と出会ったら、それをやるべきだ。疲れているということは脳が働いているということで、気持ち良ければずっと続けられる。
そのうちに慣れると疲れなくなってくる。トレーニングしても疲れていない場合、上達は見込めない。そうなったら学習法をアレンジし、負荷を上げて、気持ちよく疲れられるところまで調節する。誰かに教わった学習法でも、こうして自分の今のレベルに合った形にアレンジすることで、効果を高めることが出来る。
追記:
*1 しかし英英辞典自体は、それを使いこなせる英語力が身についた後ならば、英語学習の強力な武器になる。 私は普段はオックスフォード英英辞典を使っている。グーグルの使用言語を英語にして単語をググると、一番上にオックスフォードの記述が出てくるので、まずこれを見る(出てこない場合は検索語にdefinitionを加える)。Kindleに無料でついてくる英英辞典もオックスフォードだ。 オックスフォードでは、英単語をより難しい英単語で説明している。その単語も辞書で引くことで、際限なく難しい単語に出会えるため、いくらでも語彙を増やすことが出来る。単語の定義も難解で味わい深く、その文章に触れること自体が英語力を向上させてくれる。
すごく良い方法だと思う。
詰まる所、これだわな。
俺は洋楽ロックが好きなんだが、国内版のDVDでまず字幕OFFにしてインタビュー見て内容を推測、
それから字幕ONにしてみて答え合わせ、ってのを繰り返してたら日常会話程度なら聞き取れるようになった。
まあロックミュージシャンはオツムが足りない人が多いので、汚い言葉ばかりで語彙力の足しにはならないことが多いけどw
最近はそれだと物足りなくなってきたので、増田と同じ方法で映画なりドラマを見るようにしてる。
あとこれにプラスアルファでやってみると面白いのは、日本語の映画を英語字幕で見ることだな。
「ああ、日本語のこの言い回しは英語だとこういう風に言うのか!」
インターネット上に関西の駿台の実情に関する情報がほとんど無いので関西(主に兵庫、大阪、京都、奈良近辺)在住の文系東大志望の方の予備校選びの一助となるように書き残しておきます。理系の方でも多少は参考になるかと思います。
どのクラスをどの講師が担当してるかとか一年の予定みたいな情報は「駿台大阪校wiki」が詳しいのでそちらを参照してください。
1.自己紹介
2016年3月某私立中高一貫校を卒業し東大不合格を経て駿台大阪校LSクラスに入学したのち2017年3月東大文科某類に合格しました。
ゆえに以下の内容は2016年度に大阪校のLSクラスに在籍していた頃の生活に基づくものになります。
特に4の項目は年度次第で実情とは異なる可能性があります。ご了承ください。
2.クラス分けについて
駿台のパンフレットにはコースについての説明はあってもクラスについての説明はほとんど無いと思うので説明しておきます。
まず東大志望が入りうるクラスはLS、LA、校舎によってはLBがあります。
このうちLSは大阪校にのみ設置されているクラスで、東大文系EXコースの生徒は無条件で通年このクラスとなります。
東大文系EXコースは模試か認定テストで相応の成績を取れば入れるコースですが、まあ不合格B以上ならほぼ間違いなく入れるんじゃないでしょうか。
合格率とかクラス平均点みたいな指標を頑なに開示しようとしなかったのでクラスの具体的なレベルは把握しにくいですが、聞いた話と自分の知ってる範囲では合格率は7割ぐらいです。
また生徒は某大寺とか某陽や某(一文字なので伏せようがない)高校の生徒が多く生徒の質はかなり高いです。
次にLAやLBですが、上述のEXコースではない普通の東大コースに入った場合このクラスとなります。
このクラスは東大志望から阪大志望までまとめられるクラスなので、仲間と切磋琢磨出来るかというと微妙と言わざるを得ません。
また往々にしてクラスの人数が多かったり講師の質も落ちるなど待遇面の粗悪さも見られます。
合格率に関してはそもそも東大受験者が少ないのでサンプルが少ないですが、まあお世辞にも高いとは言えないんじゃないかなあと。
以上まとめると、「東大志望は極力大阪校の東大文系EXコースに入ってLSクラスに入るべき」だと言えます。
まずクラスの人数は例年40人~60人だそうです。2016年度は60人弱でした。
男女比は年によってかなり揺れがあるようで2015年度は10%を切っていたそうですが2016年度は20%ぐらいでした。
関東の御茶ノ水のSXでもあるようですし他のクラスもそうなのかもしれませんが上位進学校の生徒が多いので高校ごとにかなり群れます。おまけに男子校が多いので騒ぎます。
そういう進学校の方々は快適なのかもしれませんがそうでない方はあまり快適に感じられないかもしれません。
実際僕が後期から授業にほとんど出ずに自習室に篭っていた一因はそこにあります。
まあ彼らが排他的ってわけじゃないですし他人に直接危害を加えるわけではないですから上手く付き合えば快適には過ごせるんでしょうが。
4.授業について
●国語
現代文は全て中野芳樹師の担当です。やや好き嫌いが分かれます。現役時に林修に帰依していた人々は嫌う人が多かったようですが僕は好きでした。
現役時に現代文をほぼノー勉だったあるいは確固とした解答スタイルを確立出来ていなかった人にはうってつけの講師だと思います。
市販の「現代文読解の基礎講義」を読めば師の授業スタイルが垣間見えるんじゃないでしょうか。
これまた好き嫌いが多少分かれますが古文をフィーリングでなくちゃんと読むことが出来るようになる授業です。
漢文は週1時間しかないですしその1時間もはっきり言って出る価値はない授業だと思います。自習室で句形覚えて赤本解いてる方が有意義でしょう。
●数学
僕は数学を現役時にほぼ完成させていたので授業の大半の時間は解説を聞き流しながらひたすら大数とか過去問を解いていました。
そのためどの講師がいいのかをはっきり述べる自信はありませんが、どの講師もハズレはいなかったように思います。
テキストのレベルは前期→後期にかけてかなりレベルが上がります。
後期の難しい問題は解けなくても何の問題もないと思います。ただ解けなくても問題無いからといって授業を放棄するのは考え物でしょう。
解説をしっかり聞いて考え方のエッセンスを吸収していくことが大事なんじゃないでしょうか。
また週に1回EXLといって大数C~クラスの問題を2問50分で解くテストがあります。
平均点は毎回10点(2割)程度です。出来なくてもしょうがないけど問題は面白いですよ。
●英語
概して京大を意識した講義が多いです。長文英作の授業と普通の英作の授業が1時間ずつありますし精読重視の授業がめちゃくちゃ多い。というか精読重視の授業しかない。
はっきり言って東大が求めている英語力を養成するのは難しいカリキュラムだと思います。4分の1をを占めるリスニングの授業も5分の1ぐらいを占める自由英作の授業も皆無だし。
東大英語という講座は後期からありますけど1週間に1問要約などの過去問を解くだけのゴミみたいな授業です。
英語の授業は自分に合うものを何個か選んでそれ以外の授業の時間は東大に特化した対策に充てるのがいいんじゃないかと思いました。
ただし竹岡師の授業は絶対に出たほうがいいと思います。僕の駿台の学費の7割は竹岡師に払ったつもりです。英語観変わりますよ。
通期授業だけじゃなくて講習の自由英作文のエッセンス、英単語/熟語特講、直前期の差がつく英単語300(正式名称忘れた)もかなりお勧めです。
特に最後の講座は慶應経済でconventional wisdomとか当たりまくってて試験中笑ってました。
●理科基礎
授業に一回も出たことがないので分かりません。東大志望の方なら相当現役時代に理科をサボっていたのでもなければ直前期だけちゃんとやれば満点近く取れるでしょう。
●地歴
平常授業(世界史通史、系統地理)は時間の無駄と判断したのでほとんど出ませんでしたが本試で知識不足が露呈して点数を落としまくったのでちゃんと出た方がいいと思います。
ただテキストの質はあまり良くないと思います。特に世界史のテキストはさっさと捨てて教科書だけ読んでいた方がいいでしょう。地理も絵抜きで白黒の資料集みたいな感じ。
地理論述、東大世界史はぼちぼち出ていましたがまあ質は普通でした。
世界史はテキストに1980~の東大過去問が全て載っているのが素晴らしいです。赤本を買う必要が無くなります。
解答はありませんが赤本程度のレベルの解答があっても特に意味はないのでデメリットにはならないんじゃないでしょうか。
●講習
それ以外に東大志望の方が魅力的に見えるだろうなあと思える講習もあまりありませんでした。
関東の駿台の講習のパンフレットを見ると面白そうな講習がたくさんあって羨ましい限りです。
まあ休暇中にやるべきことは講習のバイキングではなく平常授業の復習なんでしょうけどね。
5.模試について
スカラシップの認定はめちゃくちゃ厳しいです。東大志望内3位でも5万しか貰えなかったらしい。
なので必死にスカラシップ狙いで全部の模試で本気出す必要はないです。駿台全国と東大実戦だけ真面目に受けて後はサボるか肩慣らしでいいんじゃないでしょうか。
ただサボると家に届く成績表が悲惨なことになるので事前にサボる理由を親に説明出来る人だけサボるべきでしょう。あとサボったからにはその日はちゃんと勉強しましょう。
6.総論
僕は関西駿台の東大コースのカリキュラムにはかなり不満があります。
特に英語は全く東大対策には適していません。まあ京大志望が多数派だしリソースは限られているので仕方がないことではあるんですけど。
また上述の通り東大対策の講習はほとんど無く直前期のプレ講座もほぼ全て映像授業とかいう有様でした。
これは河合塾のエクシードでもおそらく似たような事態になっているので(違っていたら申し訳ない)、散々関西駿台について説明した挙句元も子もない話ではありますが、
金銭的な余裕があるなら東大志望の方は駿台御茶ノ水3号館の東大コースとか河合塾本郷校に入学することをお勧めします。
金銭的な余裕があまりないとかそこまでする気がない関西在住の方は河合大阪エクシードとか駿台大阪EXでいいと思います。
なんだかんだ7割は受かるんで予備校の犬にならずに、また予備校から離れて堕落することが無ければまあ大体受かるでしょう。
あと宅浪は全くお勧めしません。概して生活リズムが崩壊しますし鬱になってる人が尋常じゃなく多いような気がします。
予備校代100万は決して安くはないですが東大合格のためならそこまで高い買い物ではないんじゃないかなあと個人的には思います。
正しくは、Puerto Ricoなので、プエルト・リコ
正しくは、Kuala Lumpurなので、クアラ・ルンプール
正しくは、Don Quijoteなので、ドン・キホーテ
他になんかある?
下ネタ、低レベルネタ、検証ができないもの、わからなかったものは除いてる
時間がかかるので少しづつやるよ。
別のまとめ
https://togetter.com/li/1037680
正しい | 間違い | 備考 |
---|---|---|
佐村河内 守 | 佐村 河内守 | |
頭へ ごちん | 頭 へごちん | 声優の愛称 |
ガブリアス | ガブ・リアス | |
この先 生きのこるには | この先生 きのこるには | |
ヘリコ・プター | ヘリ・コプター | |
アレ・ミロード | アレミ・ロード | |
怒髪 天を突く | 怒髪天 を突く | |
間 髪を入れず | 間髪 を入れず | |
綺羅 星のごとく | 綺羅星 のごとく | |
清 少納言 | 清少 納言 | |
アウンサンスーチー | アウン・サン・スー・チー | |
エル・クンバンチェロ | エルクンバン・チェロ | |
リオ・デ・ジャネイロ | リオデ・ジャネイロ | Rio de Janeiro |
エル・サルバドル | エルサル・バドル | El Salvador |
カツカレーうどん 定食 | カツカレー・うどん定食 | メダロットネタらしい |
ハリウッド・ザコシショウ | ハリウッド・ザ・コシショウ | |
スポンサード・リンク | スポンサー・ドリンク | |
ダイバーシティ | ダイバー・シティ | お台場のdiver city ではなくdiversity 多様性という意味 |
暴力 二男 | 暴 力二 男 | カニ男 |
ブルース・リー | ブルー・スリー | |
サン・テグジュペリ | サンテグ・ジュペリ | |
モン・サン・ミッシェル | モンサン・ミッシェル | Mont-Saint-Michel |
失・楽園 | 失楽・園 | |
スク 水揚げ | スク水 揚げ | スクは沖縄の方言でアイゴの稚魚 |
シーフードドリア | シーフー ドドリア | ドドリアさん、やっておしまい! |
クー・デター | クーデ・ター | coup d'État |
プリマ・ドンナ | プリ・マドンナ | |
カッパドキア | カッパ・ドキア | |
オルケスタ・デ・ラ・ルス | オルケスタ・デ・ラルス | |
ゲイ・リュサック | ゲイリュ・サック | |
主は来ませり | シュワキ・マセリ | |
スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ | スリジャヤ・ワルダナ・プラコッテ | |
東京 都 | 東 京都 | |
東海林 太郎 | 東海 林太郎 | |
キリマ・ンジャロ | キリ・マンジャロ, キリマン・ジャロ | Kilimanjaro キリマ(山)・ンジャロ(暉やく) |
ニュー・ジーランド | ニュージー・ランド | |
ロールス・ロイス | ロール・スロイス | |
ニュルブルクリンク | ニュルブルク・リンク | Nürburgring |
プリン・ア・ラ・モード | プリン・アラモード | |
ミケランジェロ | ミケル・アンジェロ | Michelangelo |
抗 生物質 | 抗生 物質 | anti-biotics |
アフガン航空相 撲殺される | アフガン航空相撲 殺される | |
デ・ファクト・スタンダード | デファクト・スタンダード | de facto standard |
コスタ・リカ | コスタリカ | Costa Rica |
ホンダ シビック | 本出し ビック | |
漫 画太郎 | 漫画 太郎 | |
ウラジ・オストック | ウラジオ・ストック | ヴラヂ(領有する)ヴァストーク(東方) ,つまり意味は「東方を征服せよ」 |
ティラミ・ス | ティラミス | Tirami su! |
減 感作療法 | 減感 作療法 | |
ペレ・ストロイカ | ペレストロ・イカ | |
テレ・ビジョン | テレビ・ジョン | |
フォー・リーブス | フォーリー・ブス | Four Leaves |
トゥト・アンク・アメン | ツタン・カーメン | Tutenkh-amen-amon |
ノイ・シュバンシュタイン城 | ノイシュバン・シュタイン城 | |
仲 里依紗 | 仲里 依紗 | |
色・即是・空 | 色即・是空 | |
トリ・ケラトプス | トリケラ・トプス | |
カ・メハメハ大王 | カメハメ・ハ大王 | |
東大阪 大 | 東大 阪大 | |
ミ・スエルテ | ミス・エルテ | |
森見 登美彦 | 森見登 美彦 | |
アル・ナスライン | アルナス・ライン | Al Nasrain |
森 林太郎 | 森林 太郎 | |
カールス・ルーエ | カール・スルーエ | |
森・元首相 | 森元・首相 | |
シャン・ゼリゼ | シャンゼ・リゼ | |
パラ・ジ・クロロ・ベンゼン | パラジ・クロロ・ベンゼン | |
マ・クベ | マクベ | あれはいいものだ |
ゲイン・グランド | ゲ・イングランド | GAIN GROUND |
ケプラドーラ・コン・ヒーロ | ケプラドーラ・コンヒーロ? | |
スパイシー・チキン | スパイ・シーチキン | |
サン・バコール | サンバ・コール | |
ド・ディオン・アクスル | ドディオン・アクスル | |
奈良県 大和郡山市 | 奈良県 大和郡 山市 | |
さくら・だもん | さくらだ・もん | |
ツームストン・パイルドライバー | ツー・ムストン・パイルドライバー | tombstone piledriver |
いわお と なりて | いわ おと なりて | いわお(巌) |
三・半規管 | 三半・規管 | |
間、髪を容れず | 間髪 を容れず | |
ル・サンチマン | ルサンチ・マン | sentiment(感情)に繰り返しの reでressentiment |
ア・カペラ | アカ・ペラ | a cappella |
サン・フランシスコ | サンフラン・シスコ | |
ロビン・ファン・ペルシー | ロビン・ファンペルシー | |
子宮頸 癌 | 子宮 頸癌 | |
カイザース・ラウテルン | カイザー・スラウテルン? | |
コート・ド・アジュール | コート・ダジュール | |
ナオト・インティ・ライミ | ナオト・インティライミ | NAOTO INTI RAYMI |
五里霧 中 | 五里 霧中 | |
魚、心あれば、水、心あり | 魚心 あれば、水心 あり | 誤って一語化して定着 |
サンタ・フェ | サン・タフェ | Santa Fe |
ジ ブロモ エタン | ジブロ モエタン | 萌えたん |
時任 三郎 | 時 任三郎 | |
ナイツ・オブ・ラウンド | ナイツオ・ブラウンド | |
強 行軍 | 強行 軍 | |
米 原発 事業 | 米原 発 事業 | |
タークス・カイコス | ターク・スカイ・コス? | |
性 同一性 障害 | 性 同一 性障害 | |
パンチ ラムネ | パンチラ ムネ | |
クロマ・キー | クロ・マキー | Chroma Key |
ジャム・イロクワイ | ジャミ・ロクワイ | Jamiroquai |
なんとなく既存のリズムで分けてしまうみたい。特に熟語だと、2-2で分ける傾向が強い
外来語のカタカナは、本来の接頭語を理解せずに日本語で覚えやすいリズムで覚えているみたい。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/性犯罪厳罰化へ-法定刑引き上げ、非親告罪化-「強姦罪」は「強制性交等罪」に変更/ar-AAmh5qd
罰則を強化するほか、被害者の告訴が必要となる親告罪だった強姦(ごうかん)罪などについて非親告罪化することも盛り込む。罪名も「強姦罪」を「強制性交等罪」に変更する方針で、女性が被害者となることを前提とした名称から性差のない名称に変わる。
http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/038.xml
姦
カン [删]
奸と通ず
○よこしま(邪)かたまし、書。堯典「烝烝乂不格─」
○わたくし(私)
○いつはり(詐)
○みだら(淫行)みだる(亂)
○惡人(罪人·淫婦·佞人·惡漢)
【姦意】 カンイ ねぢけたる心。列女傳「舜猶內治、靡有──」
【姦惡】 カンアク わるもの。潛夫論「張湯增定律令、以防──」
【姦勇】 カンイウ 心よこしまにしていさまし。國語「──爲賊」
【姦雄】 カンイウ 心のあしき豪傑。家語、始誅「此乃人之──者也」
【姦强】 カンキヤウ 心かたましくつよし。蘇軾詩「朅來東觀弄丹墨、聊借舊史誅──」
[一部抜粋]
https://en.wiktionary.org/wiki/姦
Ideogrammic compound (會意): 女 (“woman”) × 3 – lewd behaviour; vice.
このように、「性差別」的な字源を有してはいるが、皮肉なことに、熟語における形容詞的な使われ方としては、専ら男性に関するそれが圧倒的に多い。
まあ、お役所としては、こういう用語を時代ごとに置き換えるっていうのは、むしろ伝統的で正しいことなのかもしれないし、最大の社会悪というのは、こうした用語を形作る言語がシフトしていくことではなく、性暴力被害が発生し続けることだろうから、無用の批判なのかもしれないが…。
とか何とか思ったんだが、結局自分にはその語源自体はよく分からないので、そのような臆測もまた十分ではないことに気づいた。
でも逆に語源が分からない以上は納得がいかないことも、熟語二つの選び方が変だと思うことも、それが俺の率直な意見だ。…論外だが。
元号は四書五経などの古典とかから採るわけで、既存の熟語をだせばいいわけじゃない。
平成は『史記』と『書経』から採っている。昭和も『書経』だ確か。
これってある程度常識じゃないの?
ただ、平和は字面からも出典を捻りだせそうなんだよな。筋は悪くない。実際。たまたまだけど。
これから元号が変わるから、元号に興味持ったり、元号の是非や、元号の制定に関心を高めるためのニュースであるはずなのに、街頭インタビューをするのはおかしいと思うわけだ。筋がおかしい。
好きな食べ物とか漫画だとか自分の頭の中だけで答えられるものじゃない。本とか先例から考えなきゃならないものに街頭アンケートするなよって思う。
元号なんて東アジアでももう日本でしか採用してない謎レア古い制度なんだから、適当な認識で好きな言葉みたいな感覚でアンケートとるなよ。
こういう安直な発想が、現場で行なわれるであろう作業への認識を遠ざけるんだよ。
歴代の元号を見て、こんな漢字が使われるんですね、とかで良いじゃん。そういう番組もあるんだろうけどさ。アンケートはおかしいよ。
良く議論されるアルファベット重複回避理論を踏まえるとKやJなんかが使いやすいと思うわけだ。あとはEとかOとか。
Kだと「広」「弘」「康」「建」「嘉」「慶」
Jだと「承」「貞」
Eなら「延」「永」
oなら「応」
あとBの「文」なんてのも字面が良いよなーって思う。
あとは適当よ。よさげな字を二文字めに持ってきて、歴代のに被んないようにして、適当に出典が有れば良い。
「広徳」とかでいーじゃん。「康徳」はダメだな。満州国の元号だからな。
あとちょっと考えなきゃならないのは画数だ。あと書き間違えやすいのも採用するべきではないのかも。
明治以降10画以上の字は採用されていない。偶然かも知れないけれど。
「慶」とか「嘉」とかはやや画数が多いのかも。「建」も「健」と紛らわしいかも。
それと、常用漢字と旧漢字との関係も考慮しなくてはならないかも。
「応」なんかは、正式には「應」と書くべきなんじゃないですか? とかめんどくさいやつがしゃしゃり出てきて絶対議論になるから回避するべきかも知れない。
こういう側面だと「文」はやっぱり良い。書きやすいし常用漢字の際の改めもない。
それと言いやすさ。「カ」とか「カン」とか「コウ(コー)」ってとても発音しやすい。他の近代の元号とならべた時に聴き間違えが無い。だから私はアルファベットで言うとK推し。
この点Jの「ジョウ(ジョー)は「昭和」と被りやすいかなと若干思う。
私は四書五経も二十四史も必要なところしか読まないし、元号を念頭に読んでないから全然詳しくない。
元号なんて偉い人がちゃんと考えて決めるんだから庶民が考えなくたっていいんだろうけど、折角の何十年かに一度の話題なんだから、手元で扱える情報を集めて、素人なりに考えるのは面白いと思う。
たぶんそんなことにはならないと思うけど、何個か由緒ある候補を有識者会議に出してもらって、皆で投票して決めるのも面白いと思う。
最後に付言すると、決まった元号に文句言うやつが絶対出てくると思う。この故事に際して縁起が悪い、とか、歴代天皇の諡号と音がかぶってる、だとか、中国の悪い時代の元号とおんなじだとか、私元号に事例があるからダメだとか、出典に由緒が無いとか。うるせークソ雑魚なめくじ。って思う。作ったものに文句言うのは、作ることそのものより非常に簡単なのだ。
不労所得とか、所得格差とか、職場環境の格差とか、そういうものを全て、働く働かないに矮小化して、バイナリーに自分は優れていると思い込もうとしている。
その過程で、自分が周りに迷惑をかけたり、自分が他人に劣後したり、自分がどれほどつまらない人生を送って来たか、全てを棚に上げている。
道徳の際限や客観性を恣意的に設定して、憂さ晴らしの道具に貶めている。
逆になぜそこまで可笑しいのか理解できない。頭おかしいとしか言いようがない。人が職を持たないことがそんなに可笑しいというのが理解できない。隠棲隠遁隠居、そういう熟語を知らないんだろうか?それくらい当たり前に人は厭世だとか世をはかなむだとかして浮世から遠ざかりたがる。それがそんなに可笑しいというのは、非常識だし、普通の感覚ではない。自分の感覚がおかしいのを棚に上げて普通の他人をそこまで笑えるというのは、自意識が寡少な異常人格者だ。
可笑しいし、そこまで構う理由も分からない。いじめの心理だとしか言いようがないし、その善悪を判じたり論じたりすることのできない道徳心の欠如に気づけないことに、呆れざるを得ない。
劣等感が無いはずがない。その裏返しとしてやけに大きな態度に出たりする奴はいるかもしれんが、劣後することは客観的事実で、恰もそういう自認をしていないかのように人格を攻撃するというのは、立派なヘイトスピーチにほかならない。