2017-09-04

古典という科目に今思うこと

高校生の頃,私は古典という科目が苦手で,テストの点数も芳しくない学生であった.

それどころか,なぜ今後使うことがないであろう古代日本語勉強する必要があるのかと不満を持っていたように思う.

その後の人生で,古典を真面目に勉強したこなかったことで,教養のなさを実感し後悔する場面も時折あった.

そもそも古典漢文に限らず,あらゆる教養重要であり,それ自体に意義を求めるべきではないのかもしれない.

しかし,古典が必修科目である必要があるかといえば,疑問は残る.

必修科目は,歴史物理化学などの選択科目と違い,学ぶことを自ら選択することができない科目である

それは,他の科目を学ぶための基礎として,特に重点的に扱う必要がある科目であるからだと推察される.

数学をないがしろにして,物理化学に取り組むことはできないであろうし,

英語現代文をないがしろにして高校修学以後,他の学問を修めることはまず不可能であろう.

古典が,教養という側面ではもちろん,法学史学などを修める上で,重要な科目であるのは間違いない.

しかしながら,他の必修科目と比べた場合必要になる場面は限定的と言えるのではないだろうか.

一方,必修科目と比べ,優先度が低く設定されている選択科目の中でも,重要となるもの存在するのではないだろうか.

現代社会で扱う,経済学の基本である需要供給概念や,物理で学ぶ基本的な考え方,音楽美術書道で学ぶ作品も,同様に教養として重要ではないだろうか.

必修科目と選択科目を分けた一つの背景に,時間の制約からくる優先度決めというのもあるのかもしれない.

しかし,それならば,未だに古典を必修科目にし続けるのは,あまり理にかなっているとは思えないのである

必修科目と選択科目を分けてしまったことは,

学問本来のあり方や教養を増やすということを考えると,悲劇なのかもしれない.

  • 古典おもしろいけどね 歴史的に昔の人の考えを知ることはおもしろいし 古典を知っていることで和歌や短歌の単語の意味や掛詞が理解でき趣味にもできるし いきなり歌舞伎を見ても言...

  • もし古典を選択科目にしたら、ほとんど学ばれなくなるだろうし、 その結果として古語は読める人が圧倒的に少なくなってしまう。 それって日本文化の継承が断絶することを意味するの...

  • 「仕事役に立つ」ことばっかり教えるのも問題だけどな 学校教育の目的は、一生を仕事に捧げてこき使われて過労死する社畜を生み出すことじゃないんだし。 実際、最近のオッサンオ...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん