はてなキーワード: 恨み節とは
結局はノットオールメンって言いたいだけなんだなって印象を受け取った
自分で「非モテ」だと弱者宣言して予防線張ってるのも卑怯というか男らしくはないわな
うん、改めて男らしくないしみっともない卑怯者だし何の魅力もない人間なんだなぁってって事が伝わってきた
安原健太氏が女性に寄り添ってセクハラを非難する文面を発表した事に喜ぶ人は大勢居たけど、
この増田を読んで「非モテの弱者男性可哀想…貴方達は加害しなかったのにね…」なんて同情する人はまあ皆無だろうね
正直言うと「自分はセクハラしてない!一緒にするな!ノットオールメン!」なんてアピールする暇があったら安原氏と同じように女性に寄り添ったりセクハラを非難すれば?
もし増田が自分が非モテだって自覚があるのなら「俺は加害してないのに~…」って愚痴愚痴恨み節吐くような精神性だからモテないんだと思うよ
みたいな事を言うトラバやブコメがその内現れると思うから予め注意しておく
前に男らしさ・男性性から降りるってどういう事か?って話題になった時「自分から弱者アピールする男が魅力的である訳ないだろ」みたいなって悲しい結論出たんだよね…
一年前に辞めていった意地悪なベテランパートの人のことが、Aさんと話していていまだに時々話題になる。
ベテランパートの人がどんだけ仕事をしない奴だったか、Aさんは一年前以上の熱量で恨み節を語る。聴けば聴くほど、ベテランパートの人の勤労意欲を削いでいたのは、オーナーとAさん達夜勤の若い男子アルバイト達だったということがわかる。
私とシフトに入っていたときのベテランパートの人はそうとうせっかちで動き回る人という印象だったんだが、そういう人が何故オーナーやAさんの前では全然働かなかったのか? というのは、オーナーやAさん達が二言目には「それはやらなくていいです」と言っていたからだ。
オーナーと夜勤男子では「やらなくていい」のニュアンスが少し違う。オーナーの場合はとにかく作業効率よりも従業員が自分の言うことをきくということが大事で、どんなに業務が効率よく回るんであっても従業員が自発的に動くということを極度に嫌う。オーナーは店が凄く暇な時に「それはやらなくていいです」と、従業員がせっかく暇を見てやり始めた雑用を中止させる。そして死ぬほど忙しい時にレジ打ちを止めさせてまで、オリコン二箱を畳んで物置にしまうなど至極どーでもいい仕事を押し付ける。上がりの時間まであと三分というところで、最短十分かかるトイレ掃除を上がりの時間になるまでにやれとか言う。そういう訳のわからん指示をオーナーが出して、ベテランパートの人がキレる場面は私も何度も見た。
一方夜勤男子達はというと、深夜にただ事務所でダベったりスマホゲームをする時間を確保するために、夕方の超忙しい時間帯に雑用をあえてぶつける。自分達は体力が有り余っているからといって、ラッシュ時にカフェマシンの掃除をしつつレジを打つという離れ業を要求し、それが出来ないならやんなくていっすよ、ずっとレジに突っ立ってて、ということを平気で言う。夜勤男子達は夕方から夜にかけては客が来ない方が都合がいいということで、お客様に店が見離されることをわざとやっていた。おにぎりや惣菜パンの類いを廃棄時間の一時間以上前に廃棄して、ピーク時には棚にほとんど商品がないようにしていた。FF商品なんかはおにぎり等と違って賞味期限が全て当日だからって、夕方のピーク時の前に全部廃棄にしていた。おでんも同時に撤収した。
販売期限も過ぎていない、籠何杯もの山盛りの商品が事務所にある。レジ下のゴミ箱にはまだ夕方揚げたばかりのFF商品がミチミチに詰め込んである。(ちなみに、去年の秋にオーナーがコンサルに相談して判明したが、FF商品だけの損失額が月間百万円を超えていた。)夕方のピーク時に限って眩暈のするほど大量の仕事をこなさなければならない。それも、夜勤の男の子達が午前1時くらいの時間帯に遊んで高い時給を貰うためだけだ。ベテランパートの人は0時前には上がるというのに。
そんなことが長らく平然と行われていたら、勤労意欲は無くなって当然だし、働かんで金だけ貰おうと思いつくのも当然だろうなと思う。
ベテランパートの人は歳のせいでもうあちこちガタがきてて湿布貼って何とかやってると、ある日私に愚痴をこぼしていた。私に言うだけでなく他の人にも言えよって私は思ったけど、弱味を見せても何かやり返したり笑ったり出来なさそうなのが私だけだったのかもしれない。
ともあれ、ベテランパートの人は最終的にはオーナーを顔も見たくないくらい嫌いだと言い、仕事がつまらないと言い、他店に移っていった。
長文でお気持ち表明するなら増田が最適だと増田マスターに教えられたので増田に来ました。ただの学の浅いオタクの文句でしかありませんから、きっと読んで面白い物ではないでしょう。
土曜に虹ヶ咲の11話があったじゃないですか。私はあれで1晩狂って朝まで壁打ちを続けて、日曜の晩の裏世界ピクニックのニコ生冒頭4分をきっかけにして朝まで壁打ちを続けて、月曜日は体力が切れててぐっすり暖かくして眠って、火曜に至ったんですよ。
そんなわけで、虹ヶ咲11話絡みのひっでぇツイートがきっかけでどうも百合好きが荒れているらしい、という事を察知したのは台風が去った後、と言った方がきっと性格なのだと思うのです。もっとも、その“百合好き”も簡易的にではありますが観測したところ、一部の界隈という表現が適切な規模感の様に思いますが。
件のツイート主について調べるとプリキュアの界隈で暴れてきた所謂“前科持ち”の様なお方だそう。関連動画もないのにニコ百の記述が充実してるのはたいてい地雷原ですし、プリキュアというのも守備範囲外の私がとやかくいう言う権利はありませんが、ともかくそういう人物の配慮に欠けたツイートが百合好きの一部界隈の怒りを買った、といった構図の様です。
元の投稿は既に削除されているようですが、削除前のツイートをみた私の所感を申し上げますと、コンテンツに対する向き合い方が私とは致命的に合わない人物であるようには見えました。ニジガク11話未見の方の為に具体的な描写の内容はここでは差し控えますが、要約すると「受け入れがたい描写をとある女性の『友情の暴発が原因一過性の物』だとの証言で安心して受け入れられるようになった」といった内容になるものと思います。
「受け入れがたい物を受け入れる為に他人の感覚に縋る」というのは少なくとも私の感覚とは合いません。受け入れられない物は受け入れられない物として拒絶するべきです。拒絶もまた1つの作品に対する向き合い方ですし、もし受け手にとって受け入れがたい描写がなされたのなら、拒絶するのが最も真摯な向き合い方であるように思うのです。批判をするのなら受け入れがたい物がなぜそぐわないか、を説明するべきであるように思いますが、拒絶する権利は誰にだってあるはずです。無理な物は無理。それも1つの正解です。もっとも、「無理な物を視界から排除しようとしないのであれば」という但し書きは必要な様に思いますが。
あるいは、どうしても受け入れるなければならないにしても、「他人がそう言ったからそうなんだろう」というのもいまいち好きではありません。他人の感想などという物は理解のガイドラインにはなり得ても、最終的に理解するのは受け取り手自身、というのが健全な姿なのではないでしょうか。「あの人が駄作と言うから駄作なのだ」や「皆駄作と言っているからアレも駄作だ」というような事を私の好きな作品は長い間言われてきたものですから、なおさらそう思うのです。
件の人物への恨み節なら荒れているニコ百の掲示板にでも書き込めばいい事です。わざわざ増田なんかに投稿するのは私が拒絶し、否定したいのが件の人物だけではないからです。
私が無理な物は無理と言ってしまって良いと考えている事は先ほど書いた通りです。元のツイート主はアニメを見ていただけで、わざわざ受け入れがたい物の中に踏み込んできて無理と暴れまわったわけではありません。“同性愛的な物を見るのは無理”という彼の素朴な感想は否定されるべきではないと私は考えます。排斥運動でも始めたのなら話は変わりますが、荒れたのでツイ消しして逃亡を図る彼にそれだけの事をする度胸があるようにも思えません。
私は荒れていた界隈についても拒絶したいのです。学が浅く、海よりも深い思慮の上で掲げられたこの世で最も尊重されるべき黄金色に輝く理想を推し測ることすらできない私には、荒れていた界隈の言う事が同性愛的な物を「受け入れがたい物」と表現する人物の言う事と何ら変わらないように見えたのです。友情と愛情の間に線を引き、それを超えたか超えてないかで一喜一憂する事と、異性愛と同性愛との間に線を引き、超えた超えないで一喜一憂する事、私にはどちらも同じくらい愚かな行いな様に見えたのです。そして、物語への感想と実際の出来事への感情をあまりにも簡単に接続し、発言者を否定して見せる様は、私には絶対に私にとって好ましくない人々と重なっても見えるのです。
結局のところ、この長々と続いた文章は、私にとって彼ら全てが受け入れがたい存在であった、以上の内容を持ちえません。あるいは、わざわざ受け入れがたい存在の方に観測気球まで上げてやはり受け入れがたい物であった、と結論づける私は彼ら以上に私にとって受け入れがたい存在であるかもしれません。ただ、恨みを吐いて無理な物を拒絶してみせなければ、クリスマスを健全な気分で迎える事が出来ない。だから、こうやって長々と拒絶するほか無かったのです。
まあもう日本なんてもんは存在しないんだし、自民と公明と反社っぽい皆さんで最後の花火とドデカイ予算花火を上げたあとは彼らにヘイトを浴びせるだけ浴びせて政権から追いやって、民主だろうが令和だろうが国賊だろうが素人のほうが自公よりマシだってことで恨み節を語って任せきりにして何もせずに年老いて稼げなくなって、ニッチもサッチもいかなくなったところに国家を中露やGAFAMに切り売りして当座の空いた腹は工面して、あと80年くらいかけて国仕舞いってことで良いんじゃないですかね。
そもそも皆んなそれでいいから今みんなそういう態度なんだよね?まあ敗戦国ですからね?生きてるだけで丸儲けですよね。奴隷らしく生きましょう!
嫁と子ども二人(一歳娘&四歳息子)が、どうしても行きたいというので、行ったが、もうとにかく疲れるし、ぜんぜん楽しくない。
もとから、体調を崩していて、前日まで一週間ずっと寝たきりでいた。体が怠く、微熱もひどく、関節も痛い。
でも、嫁はその日しかないから、と強く主張して、無理を押して行くことに。
並んでいると、ベビーカーの一歳娘と俺を置いて、嫁たちは「トイレに行く」と行って、どこかにばっくれ。
たぶん、別の場所に行っていたっぽい。
いくらトイレだって、1時間や2時間もかかるわけないよね。どんだけでかいうんちしてるんだって話だし。
まあ、好意的に考えれば、俺と一歳娘を行列に並ばせておいて、自分たちは別のところで楽しんでいるのだから、合理的と言えば合理的なのだろうが、「トイレに行く」と嘘つくなや。
せめて、「悪いけど、並んでおいて、別のところに行く」とか素直に言えば良いのに。
困ったのが、行列が進んでしまうのよね、もうじき入場です、とかそこまで進んでいる。
こちらから携帯電話で連絡を取っても、嫁の携帯は電源オフにしており、繋がらない、それでどんどん行列が進んで、ついに自分たちが入場することになっちゃった。入口で待つわけにはいかないし。
ベビーカーの娘は、もうひたすら寝ているし。
ということで、入場しても、クソつまらん子供だましのアトラクションで、一歳娘は、すやすや寝たまま。
それで、出てきたら、出口のところで、嫁が鬼の形相ですよ。
入れなかった、入りたかった、とか泣いている四歳息子に、「パパたちが勝手に楽しんで……」みたいな恨み節。
とりあえず、もう体調がきつくて、どこか座りたいんだけど、座れないのね。混んでて。
嫁は、目ざとく自分たちのベンチを確保して、やれコーラ買ってこい、ポップコーン買ってこい、写真をとれ、と、俺を奴隷のように扱う。
もう二度と行きたくない。
すくなくとも、俺を奴隷扱いして、感謝の一言もない、嫁と子どもたちとは行きたくない。
誰の金でディズニーランドに入れたと思ってんねん。
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思ったんだけどさ、「お父さんのかわりに、奴隷のようになって働きますから、ディズニーランドに付いていきます」みたいなサービスないのかね?
はい。PS5買えませんでした。
以下精神の安定を図るためにPS5PROを待ったほうがいい理由を列挙する。
(ちなみにそんなに詳しくないのでツッコミどころは満載だと思う)
ZEN3でゲーム性能がものすごく向上して一部でIntel終わったとまで言われているレベルだ。
詳しく知らんがアーキテクチャが大きく変わって、4コアでキャッシュを共有するのではなく8コアで共有することになったことでコア間通信のボトルネックがなくなったらしい。
レイトレ(なんかピカピカするやつ)対応だからRDNA2なんじゃないの?と言われていたが、
一部でRDNA1ベースでレイトレ機能を追加したRDNA1.5ではないかという説が出てきている。
もしそれが真実だったら、RDNA2になることでワッパが50%向上すると言われているので、
巨大なPS5がPROでちょこっと小型化される可能性がある。
世代が変わるだけで十分性能がアップするのに、オマケが付いてくるらしい。
ZEN3とRDNA2のコンビネーションでCPUがGPUのVRAMにダイレクトにアクセスすることが可能になり、10%前後性能が上がる。
PS5のGPUがRDNA2であろうとCPUは確実にZEN2アーキテクチャなので、
PS5がAMD Smart Access Memoryの恩恵を受けることが出来ないことは確実。
PROになってアーキテクチャがZEN3+RDNA2になったらかなりの性能アップが見込まれる。
まぁ本当にPROでこの変更が入ったらPS4のときの1万円という価格差では済まなくなると思うけど、
性能は確実にアップすることはわかる。
以上、PS5を買えなかった者の恨み節でした。
てかそもそもPS5PROって出るんだっけ?
私が生まれて初めてアンチからメッセージを貰った話をしたい。少々乱暴な物言いになる。長い長い恨み節に徹した殴り書きだ。
またどうしてメッセージ、という曖昧な表現なのかはおいおいわかってくると思う。
まず同人界隈だとよく目にする焼きマロ、毒マロ関連の話題。私は某ジャンルの同人界隈に身を置くオタクの端くれながら、完全に対岸の火事として今まで扱ってきた(もちろんそれらが邪知暴虐の行いであることに間違いはない。)。理由は単純、版権垢を持っていなかったからである。
なぜ版権垢を持っていないのか、と言われれば自分の作品と人格は第三者から見て完全に隔絶した状態でありたいから、としかいえない。まあ平たくいえば他者との交流が苦手であるだけなのだが。とにかくその時までは同人作家として活動してきて、ネットの悪意に遭遇したことはありがたいことになかったわけだ。
私は自分の作品がかなり人を選ぶものであると自覚している。内容が倫理に反しているだとか、いわゆる同人界隈からは毛嫌いされるようなcp傾向、シチュエーションであるだとか、そもそもがアングラな趣味である二次創作だからであるとか、そこらへんは書き出せばキリがないので割愛させていただく。
とにかく私の作品を読めるのは同じcpを好む、ある程度インターネットでの歩き方を知っている人間だけだ。pixivに投稿した作品にはタグどころかキャプションにまで慎重な検索避けがされているし、万が一の事故を防ぐため読むのがうんざりするような長くてくどい注意書きが添えられている。そして私と接触を図ることができるのは感想を伝えるためのコメント欄か、またはメッセージ機能だけだった。これはだいぶハードルが高い。
もう見るからに防御度マックスの触るなキケンオタクだ。オフでの活動も一切していないし、わざわざこんな偏狭な地までやってきて絡んでくる輩もいないだろうと安心しきっていた。
私の世界は狭かった。狭かったが豊かだった。
ありがたいことにいいねやブックマーク、また感想をいただくことが徐々に増えた。
もちろん見知らぬ誰かに読んでもらえるのは、良くしてもらえるのは、活動するジャンルやcp自体が大きくて栄えたところだった、自分はそれにあやかっているだけだ。それに尽きるけれど、それでも自分の好きを肯定してもらえるのが幸せだった。
それがアンチメッセージだ。本当に唐突すぎて、まるで通り魔に刺された気分だった。
特定が怖いので内容はかなりぼかすが、一番に目についたのは読む人間に自己責任を強いるなというものだった。どうやら送り主は原作愛の強い方であるらしく、だからこそ私の不謹慎かつ不道徳な表現をキャラを巻き込んで面白おかしく扱う話が許せなかったのだ。
何回もいうけれど、私の作品は人を選ぶ。ましてやそれを(できるだけ場所を限定的にしたとしても)ネットの海に放流しているのだ。否定的な意見が出るのは仕方ない。表現の自由があるように、読み手がそれを評価する(作品自体を排斥する資格は誰にもないとして)自由もあると思う。どうしても受け付けないものがあるのも仕方ない。何より二次創作なのだから、原作を第一に考える人が不快な思いをしたのであるなら自分は平身低頭せねばならぬ立場だろう。
私が腹を立てているのはそこではない。画面の向こうにいる人間に向かって匿名でセンシティブな言葉を投げつけてきたその根性である。
あろうことか送り主は私の人格にまで言及してきたのだ。このcpを好んで、こんな話を書く人間は××××(この言葉は実際にその病気で苦しむ人に失礼であるので伏せ字とする)しかいないとまで言ってのけた。
開いた口が塞がらなかった。
なんの権利があって私にそんなことを言うのだろう。貴方に許されるのは私の作品への評価だけだ。(決して自分の好きな原作や、自身の創作を軽んじているわけではない。)何を知った気になって生身の人間にそんな言葉を投げつけているのだ。
これが加害でなくてなんなのだろう。心底腹が立つ。
だったら私も言わせてもらう。私も非常識になろう。私の二次創作における矜恃を曲げてでも貴方を傷つける。ここでくらい好き勝手に書く。
そもそも『そっ閉じ』もできないような人間がpixivを使うな。注意書きや検索除けを全て無視して突破してこちらの陣地にズカズカと踏み込んできたくせに、偉そうに自己責任という言葉を使うな。配慮ばかり求めて自衛を怠るな。配慮と自衛、どちらも揃わなければ二次創作は成り立たないものであることも知らないのか。そして他人を平気で傷つけるような言葉を使う人間が、配慮してもらおうとするな。倫理を説ける立場だと思うな。お客様根性もいい加減にしろ。Twitterの愚痴垢でのノリを対面にまで持ち込むな。陽の光を浴びようとするな。貴方の世界でならお仲間と一緒になってcp叩きもなんでも好きにすればよろしい。でもそれをガバガバの自他境界のまま生きた人間にぶつけるな。
私の好きを今までどおり私の狭い世界に向けて発信し続ける。残念でした。
なんだかもはや同人は関係ない気がしなくもないが、とにかくこれが一人の人間としての感情だ。
あーむかついた。
おわり。
眼鏡をかけて20年。レーシックに興味がないわけではないが、これを読むと気が失せる。普通の生活が一変、というところに強く惹かれる。
後悔と恨み辛みが絡んだブログが好み。初見は、2chの荒らし。担当医の実名を出して叩くコピペで専門板を荒らされたことがきっかけで探し始めた。
前向きに生きる難病患者のブログには興味ない。症状や症例を読むのが楽しい。政府のホームページなど便利。
閉鎖病棟に入院してるとなお良い。後天的な重度の精神障害が好み。健常者の世界と精神障害者の世界を行き来した人というのが好きポイント。
降って湧いた不幸に悩み苦しむ無実の人々に興味がある。お豆をお醤油で炊く例のコピペがきっかけ。
2ch時代に覗いていた。小麦粉を水でねって焼いただけの貧乏レシピなどおもしろい。節約ライフハックの隙間に伺われるヤバめの人生。
最近はエイズも大した病気ではないから微妙ではある。かかる理由は様々…とはいえ闘病談を探すと圧倒的にゲイが多い。同性愛者、陽性という二重苦が興味深い。浮気、性風俗、乱○、ハッテン場など若干の自業自得が正常性バイアスを刺激して安心できる。浮気した配偶者から貰って…という完全な被害もいる。
自分は絶対にすることがない後悔だから何度でも読み返したくなる。取り返しの付かなさが良い。ホルモンバランスが崩れるので自殺が多いそうですね。
理由はわからないが良く読む。普通に可哀想だが、全然可哀想と思わない自分もいて複雑。
底辺職の専スレを読むと出没する。Twitterもよく覗く。下を見ることで安心できる。ストゼロの写真に映り込むドラえもんハンドにはえる指毛が本当に汚い。
キモ金おばさんがネットで交流しているのをみると冬のスズメを思い出す。
可哀想な人から自業自得のゴミ屑まで、多種多様で面白い。さながら動物園。
ホームレスの癖にブログをやっているところにかなり興味がある。世捨てしきれない人。妙に意識が高かったりしてうける。
あーあ、の一言。夢を詰め込みすぎて客が入らなかったんですね^^;。
終わってる人が何かを始めようとしているのを見るのが愉快。
可哀想、なような、そうでもないような。
ミュージシャン志望のド下手くそ。だめそうな漫画家志望万年アシ。いろいろ。
特定の誰かに対して悪口を描き続ける人のブログ。家族が圧倒的に多い、誰かに読ませるためではないのは確か。負の感情の塊。定期的に読みたくなる。
以下追記↓
大好きなのに書き忘れていた。田舎で自給自足する人々、の子供。学校まで2時間の僻地で友達もろくにいない生活。テレビで見るのも好き。しょうもない親のせいで…というのが良い。ホメオパシーなど堪らない
これもかなり好き。可哀想。同情。治ったり悪化したり。親の影響で脱ステさせられたり接客業退職に追い込まれたりと波乱万丈。怪しい医者の影がちらつき始めるキタキタ感。10年単位で追っかけられるご長寿コンテンツ。アトピーこれ人生。
あれもないこれもないこんな田舎、こんなはずじゃ。都に住まない自分には面白い観察対象。3年ぐらいで田舎に馴染む足が早いコンテンツ。だが、間近でも見れるところが好き。
定番すぎて書かなかったが追記。定期的にWikipediaを読み返す。週刊誌などは好まない。淡々としたものが良い。事件ものは歳のせいかあまり読まなくなりつつある。悪者が出てくるのが嫌。
最近は事故が好き。交通事故、ハイジャック、飛行機墜落、脱線、定番の熊襲来モノ、凍死モノ、漂流モノなど様々。最近良かったのはドナー隊。感染症ではローカルな熱帯の病が良い。コロナは微妙。個人的には全身から血を吹き出して死ぬ系の方が……。
戦争では、強制収容、戦時の貧困、一家離散などの定番も。邪智暴虐軍人に苦しめられる属国の庶民が好き。配給、闇市良い。戦争終了後の、原爆後遺症や枯葉剤の後遺症、四肢の欠損、重度の火傷などその後の人生を変えるものも惹かれる。国同士の争いにより罪のない大勢の人が生涯理不尽に苦しみ続けるのが興味深い。好きなのはベトナム戦争。軍人のシェルショック、原爆実験被害者談も良い。
一通り人の不幸に触れた後に見たくなる。アリエッティ、思い出のマーニーが良い。他の名作に比べて視聴回数が少ないのと、あまり引き込まれないのが良い。ドラえもんの映画などもよく見る。まったく好みじゃないのが良い。頭を空っぽにして楽しめるハッピーエンドが良い。人の負の側面をテーマにしないポリコレ映画も大好き。一押しはアニー(2014)。
小学生の子供がいる増田・ブクマカもいるだろ、その中に読書感想文が苦手だった奴いるだろ。8月も終わりに近づいてきて、そろそろ「かーさんとーさん、読書感想文ってどうやって書いたら良いの」が来る頃だろ。安心しろ、読書感想文でナントカ賞をいくつも貰った私が書き方を伝授してやる。これは私に娘息子が生まれたら伝授する一子相伝の技にしたかったんだが、そんな予定は一切なく、今後一生ないだろうという見通しになってしまったので全国公開だ。滅びよ人類。
そもそも、コロナ禍で3月4月休みだったけど夏休みはちゃんとあるのか?読書感想文の課題って今でもあるのか?しらねえ、書きたくなったから書くんだ。書かせろ。
なんでもいい。薄ければ薄いほどいい。読みやすいからな。課題図書じゃないと駄目っていう狭量な小学校なら課題図書でいい。私くらいになると増田でも書ける。あとで実践編やるので期待せず待て。
読書感想文の「読書」は前項で満たした。次は「感想」だ。感想に正解はあるのか?そんなものはない。感想とは誰のものか?筆者のものだ。筆者が絶対王政の、何やっても良い文章が感想だ。つまり、筆者が書いたことこそが唯一の正解だと心得ることだ。読書感想文の中ではな。
読書感想文苦手パーソンは、結構な割合で読書感想文の主役を「本」にしがちだ。だからあらすじを書きたくなるし、この本が伝えたいことは何か、みたいな答えを探し出す。それをやるのは感想文じゃなくて紹介文。読書感想文の主役は筆者。あらすじも引用も正しい読解も不要だ。堂々と誤読、曲解、勘違い、拡大解釈、被害妄想を自信満々に書いていけ。しかし、文章を書く訓練を積んでない人が「書きたいこと書け」って言われたって難しいことくらいはわかる。読書感想文こそが文章を書く訓練だからな。必要なのは具体的な方法論だ。
自分語りって嫌われがち?それは公園の砂場でしょんべんしたら嫌われるのと同義。しょんべんはトイレで。読書感想文はトイレだ。本を適当に開いて、気になった一文について文句つけたり褒めたりしよう。正しさは不要だ。そこに自分の体験をくっつければ、あっというまに400字は書ける。1ページ埋まったな?
自分語りに繋がるが、好きなものの話というのはリアリティがあって、本人にしか書けない素晴らしいお気持ちが書ける。好きなものと本との共通点をこじつけろ。400字は書けるな?
好きなもの同様、嫌いなものへの悪口もスラスラ出てくるものだ。嫌いなものの悪口言っても怒られないのが読書感想文という場だ。好きなだけこじつけて、比較して、罵倒しよう。適当な一文をあげつらって、怒って、作者は性格が悪いと決めつけよう。400字以上余裕だな?
何でも良い。その学年の児童・生徒が興味を持ちそうな、センセーショナルではない、できれば同じ議論が繰り返されてるような社会問題にこじつけよう。環境問題とか、食料廃棄問題とか、いじめ問題とか。本の感想として自分の体験を書いて、それを社会問題まで広げる。国語の先生の花丸と、ナントカ賞のニオイがしてきたな?
以上が方法論。賞が不要で、とにかく終わらせたいなら、社会問題にこじつける必要はない。自分語りだけでOK。さて、実践編だ。
実際に増田をピックアップして書いてみるぞ。まあ今のタイミングならこれだろ。
タイトル:嫌なら嫌とそう言おうぜ
自分はひねくれ者だ。いや、ひねくれ者でありたいと思っているだけの、単純な奴かもしれない。なぜそんなことを思ったかというと、兄から「お前は単純だな」と、何度もだまされてバカにされたからだ※。だから、単純であることは人として劣っていて、ひねくれているずる賢い奴のほうが優れている、という思い込みがあるのかもしれない。だから、自分はひねくれ者だ、なんてことを考えている。
今回読んだ本は「夫を松潤扱いしてみた」だ。松潤、松本潤といえば、アイドルグループの嵐のメンバーであり、とてもカッコいい人だ。夫を松潤扱いするということは、つまりは夫を騙して調子に乗せて、あとからハシゴを外してバカにする、自分がよく兄にやられていることを、自らが選んだ夫にするのか、なんて性格の悪いやつだと怒りを覚えた※。他人を騙してバカにして、何が楽しいのか!いじめと同じ構造じゃないか!と怒りつつも、自分もTBSの「モニタリング」という番組が好きなことを思い出した※。あれも、突然〇〇したら、人はどうするの?という、騙して反応を楽しむという構造だ。いじめと何が違うのか?そしてそれを笑って見ていられるのに、自分にふりかかったら怒ってしまう自分は薄情で性格の悪い人間なのか?そんなはずはない、あの性格の腐った兄よりも、自分はずっとマシなはずだ。兄とモニタリングは違うはずだ。
そんなことを考えて、頑張って違いを見つけた。「騙された側の反応」だ。兄はただ自分を不快にして、兄だけ笑って終わる。モニタリングは、騙された側も笑顔で、騙した側も笑顔だ。騙された側も嫌じゃないのだ。騙された側もハッピーに終わるなら良いことだ。騙された側が「嫌だ!辞めろ!」と言えば辞めるのがモニタリングだろう、ただ人に嫌がらせがしたい兄とは大違いだ。相手が嫌な気持ちになったら辞める、謝る、というのが、いじめ大好きな兄と普通の人の違いだろう。
実際に、この本も「夫」は楽しく騙されて、そして良い結果になっている。作者も、悪意が合って騙しにいっているのではなく、うまく調子にのせて良い結果を生み出している。そうだ、この「夫」は単純なのだ。そして単純で素直だからこそ、いい結果が生まれている。やはり単純であることは悪いことじゃない。悪意のあるひねくれ者の兄こそいじめっ子で、悪い奴なのだ。
しかし、自分も友達に対して「嫌だ」と思われていることをしてしまっているのかもしれない、という思いが出てきた※。いじりやからかいの名目で、いじめと変わらないことをしてしまっているのかも、と不安になってきた※。そこで、自分にルールを決めようと思う。「『嫌だ』と言われたら善意であっても辞めてきちんと謝る」だ。きっと、この本の作者も、「夫」が辞めてと言ったら素直に松潤扱いを辞めているだろう。嫌がらせのつもりはなく、悪意がないからだ。そして、自分も嫌だったらきっぱりと「嫌だ」と言うようにしよう。
米津玄師のLOSERという私が大好きな曲がある※1。とてもカッコいい曲で、タイトルは「敗者」なのに、全く負けている感じがない。歌詞はひねくれ者の歌詞でも、ひねくれてちゃ何も始まらないぜ、負け犬だっていい、遠吠えだっていいから、それこそ単純に「愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね」と歌っている。自分の好きな曲も、ひねくれ者でもいいから、思ったことを単純に言って伝える、そんな単純さを肯定している。やっぱりひねくれ者に憧れるのは辞めだ、単純に生きていこう。嫌なら嫌とそう言おう、悪意がない相手なら伝わってくれるはずだ。
今後、自分は「嫌だ」「愛されたい」をはっきりと言っていこうと思う。そして願わくば、この本の夫婦のように、信頼しあい、愛し愛されて幸せに生きていけるようなパートナーに恵まれますように※1。この祈りに、「恵まれますように、なんて受け身じゃ始まらないね」なんて混ぜっ返す、心の中の兄が顔を出してきた。兄は居なくても他人に嫌がらせをする。兄よ、愛されたいならそう言おうぜ。
※1 本当
原稿用紙5枚分である。書くのに1時間くらい。便宜上元増田のことを本と呼んでいる。賞がほしければ、ここから架空の兄への恨み節みたいなものを削って、もっと「いじめ」問題へフォーカスしていけばいい。今回は架空の兄への恨み節をメインに据えているが、やりたければ好きな曲とかゲームの話でも良いから、書けるものの話を延々すればいいし、ちゃんと本を読んだなら本の内容をメインにしてもいい。これ全部読んだ人はわかると思うが、私は元増田はそこまで読み込んでない。好き勝手自分のことを話しているだけだ。あらすじなんて微塵も引用してないし、正しいテーマなんて探していない。読書感想文なんて、本は添え物だ、好きなものと嫌いなものを書け。賞が欲しかったら社会問題をトッピングだ。簡単だろ、簡単に書くんだよ。難しく考えるな。
高校生の時、ものすごく絵の上手い同級生がいた。私はその子の絵がすごく好きだった。
その子も私も人見知りで、お互い絵を描くことは知っていたけどそこまで深い仲にはならなかった。その上、卒業後は進路も違ったので自然と疎遠になったけど、その子が自分のサイトを持っているのは知っていたのでたまに見ていた。相変わらず上手だったし、とある人気作品にガッツリはまりこんだみたいでそのキャラのCP絵がバンバン上がっていた。その子しか創作してないくらいのマイナーCPだったけど、すごく楽しそうだった。
けれど私自身は大学生活の中で絵を描くことからも離れてしまい、ついにその子のサイトも見なくなってしまった。
お互い連絡を全く取らないまま成人になり(成人式は出なかったけど)、大学を卒業し、就職して転職して……とかやってるうち、ふとその子のことを思い出した。まだサイト更新してるのかな、あの子のことだからプロのイラストレーターになってそうだな、と思いながらその子が推していたマイナーCP名で検索してみた。
結論から言うと、その子はサイトを閉めて舞台をTwitterに移して創作を続けていた。しかし大変なことになっていた。
その子の絵柄が激変していた。乱暴に言うと劣化していた。顔のパーツは歪み、塗りもめちゃくちゃ、ポーズもほぼ棒立ち。
それでも要所要所は昔の名残?でハッとするほど素晴らしいところもあった。でも全体を見れば見るほど絵を描き始めたばかりの子どもの絵、みたいな絵ばかりだった。
ただ絵柄が変わっただけならよかったかもしれない。でも明らかに絵柄が変わってしまったであろう理由もそこにはあった。
その子は精神を病んでしまっており、被害妄想で投薬治療をしている旨が書き込まれていた。
そんな彼女のTwitterには長文の恨み節のような呟きが延々と続いていた。自分の創作のアイディアを大企業に盗まれた、このジャンルのキャラは自分の創作キャラのパクリだ、今朝のニュースは私を陥れるために仕組まれた罠だ、政府が国が大企業が私をいじめる、このキャラは私の創作から生まれたものなのに誰もそれを認めない、世界的企業が私の創作を盗んで公式キャラとして売り出すなんて許さない許さない許さない……。
実際のところは分からない。だがその子の言うパクられたアイディアは100人いれば50人以上は思いつきそうな、あまりオリジナリティは感じられなかった(髪の色や七三分けが一緒とかそういうレベル)。報道される全ての負のニュース…与党と野党の対立とか冷え込む米中関係とか住んでる市の教員不祥事とか…は自分のメタファーであり、何もかもが私への攻撃材料として使われているという主張はあまりにも度を超している。
そしてさらに悪いことに、彼女は複数のアカウントで実名を挙げて誹謗中傷を繰り返していた。彼女は呟きの中で自身の本名、勤め先まで明かしている。見る人が見ればすぐ分かってしまうほど詳細に書いてある。私はとりあえず誹謗中傷の呟きを違反報告し、すぐさま彼女のアカウントを全てブロックした。
彼女はどうなってしまうのだろう。京都アニメーションの事件が頭を過ぎる。私が好きだったあの子はどこにいってしまったのだろう。
20201006追記
今ホッテントリの「非モテ女なんて存在しない、なめるな」への反論を書きました
https://anond.hatelabo.jp/20201006103058
どうして再投稿までしたかと言うと、現実世界でずっとずっといないものとして扱われてきたので、せめてネットでは存在を認知されたかったからだ。
最下層の女にとって、恋人ができない・愛されないことは当然すぎてわざわざ書くようなことじゃない。だからネットには、わざわざ書くようなオチ(そんな私にも恋人が)がつくような体験談しか上がらない。「ブスは愛されない!男性が中身を見ないのはおかしい!」なんて主張は「コアラはユーカリしか食わない!竹を食わないなんて非常識!」くらい支離滅裂だ。コアラはそういう生き物なので、変わらないし変えようがない。一部の非モテ男性が、モテないことによる攻撃的な感情(女が悪い、女がクソ的な)を持てることが、実はちょっぴり羨ましかった。それって「中身が良ければ、少しはモテるはずなのにおかしい」って思えてるってことじゃん。ブスがモテないのは当たり前すぎて誰かを恨む気持ちにもなれない。強いて言うならブスな私が悪い。誰も恨まず、このまま静かに余生を過ごしたい。
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非モテ男性の体験談はよく見かけるけど、非モテ女性も結構辛いよってのを書くので良かったら読んでほしいです。
美人でもモテないって言う子はいるけど、それは「美人のわりには」ってことです。美人のわりには言い寄ってくる男性が少ない、あるいは大切にされないみたいな話。美女がガチ喪女であることはほとんどない(無闇に性的に求められるのが幸福かどうかはもちろん別の話)。
女には化粧があるじゃないか、と言う男性もいるけれど、ちょっと夢を見過ぎだと思います。メイクは100を120にする『技術』であって、0を100にする『魔法』ではないです。メイクでできるのは、肌やパーツの形や色を「整える」こと。それでびっくりするほど綺麗になる子は、そもそもブスではありません。男性は「二重にして、目を大きくすれば可愛くなるんだろ」くらいに思ってるかもしれないけど、そういうもんじゃないです。顔の大きさ、肌質、目の位置、鼻と口の距離。そういうメイクでどうにもならない問題はいくらでもある。あと、びっくりするようなテクニック満載の変身メイクは、動画や写真なら良いけど実際見ると全然不自然だったりする。メイクをし、女装した男性のほとんどが美女になれないのと同じです。あとね、ブスが多少『整えた』ところで、可愛い子はメイクで美しさに拍車をかけてくるので、差は縮まらないんですよね。
メイクの話が長くなった。
一部の男性の言う「女」に、ブスはカウントされません。「誰でもいいからセックスさせろ」って言う男もブスは見てないです。「(ブスじゃなきゃ)誰でもいいからセックスさせろ」、です。「誰にでも」に入れないブス。それなのに、女の形をしているだけで痴漢には遭う。追い越しざまに尻を撫でられ、振り向いた歯のないおっさんに「なんだブスじゃねーか!」と言われたのはマジでトラウマ。
あと、ブスは挽回が利かない。ブサイク芸人や企業家が才能・金・自信を手に入れ美女を手に入れるケースはよくあるけれど、その逆はない。自信はともかく、才能も金も男性を惹きつける魅力にはならない。話が面白く、金持ちで性格の良い女が揃った合コンでも、全員ブスなら「大ハズレ」です。
若い頃は、「若い女はチート、何もしなくても男が寄ってくる」みたいな言葉を聞くたび辛かった。若いのに需要のない自分は、この先何を手に入れても性的魅力が増すことはない。誰からも愛されずに人生が終わるのが確定してるのだ、と。
男性はたまに「清潔感」を「男性のみに求められる、実際の清潔さとは別物の謎価値観」みたいに言うけれど、女も清潔感なんてマストだし、持っていて当然のことすぎて議論の対処にならないだけなんだよね。女は毎朝時間をかけてメイクをし、肌を整えるのが『マナー』な社会です。
非モテ男性を「生理的に無理」と突っぱねる「女」は非モテ男性に性的魅力を感じさせている時点で非モテ女ではない。非モテ女性は非モテ男性にすら相手にされないのがわかっている(身の程を知っている)のでわざわざアプローチして非モテ男性からの「生理的に無理」を浴びにいかない。彼らの視界の外でひっそりと枯れていく。
非モテ男性が恋愛を頑張れるのは、可能性がある、希望があると思えているからだ。生まれつきのイケメンじゃなかったとしても、「清潔感()、会話の面白さ、地位名誉金を後天的に手にした今の自分なら、女性に受け入れてもらえるかも」と。非モテ女性には希望がない。選ばれないのが当然すぎて、男性を恨む気持ちも薄い。増田には非モテ男性のエントリがバズると、「女だと『そんな私にも恋人が』って展開になるけど、男にはない」って言われることもあるけど、そういう展開になる女は、少なくとも恋人となる男性に好意を向けられている時点で最下層じゃない。最下層の女にとって、『モテない』は『食べないと腹が減る』くらい当たり前で、わざわざ文章にすることでもない。逆にモテない男性たちが『どうして俺たちが飢えなくちゃならないんだよ!』って恨み節を炸裂させる気持ちがわからない。
あとコレは完全に余談だけど、現実の男性に愛される想像のできない私は夢女(漫画やアニメのキャラクターと自分の恋愛を夢見る女)だ。小説を書いているが、相手のキャラが自分を「可愛い」「綺麗だ」と言ってくれる描写が多いと最近気づいた。魔法が使え、チートな能力を自由に得られる妄想の中でさえ、ブスのまま愛されることはないのだ。
登録者数やスパチャ総額の規模で、今やVTuber界隈の2大事務所といえば、もちろんにじさんじとホロライブである。
この2つの事務所の所属VTuberの路線については、にじさんじは芸人ムーブ、ホロライブはアイドルムーブと、結構明確な違いがあったり。
かくいう自分はホロライブ箱推しで、多くの時間はホロの配信ないし切り抜きを見ているので、他はにじさんじの女性VTuberを時々見る程度。
そんなにじさんじは月ノ美兎、御伽原江良、戌亥とこ、健屋花那が各々「芸」を確立していて、純粋に楽しい。
あとは、774inc.の「白の女王」因幡はねると「赤の女王」周防パトラという、良い意味で大御所感あるお二方も興味深い。
男性VTuberの配信も見ないことはないが、個人的にはにじさんじよりもホロスターズのほうが好きかな。
いうて荒咬オウガの渋く落ち着いた声や、夕刻ロベルの頭の回転早い喋りくらいしか知らないけど。
でも仕事として、興行としてイケてるところを見せようとしているのは普通に好感が持てるので、そのうちブレイクしそう?
さて、そんな筆者がどうにも人気の理由を理解できないVTuberがいる。
いやもう正直、マジでアレのどこがそんなにいいの?と思ってしまう。
本間ひまわりは底意地の悪さが透けて見えるし、笹木咲は口の悪さに閉口させられる。
共通して言えるのは、品がないってこと。
ついでに言うなら声も大して魅力的だと思わない。
(これは逆にホロライブが、可愛い声が地声な中の人ばっかり起用しすぎとも言えるけど)
もっと余計なこと書くなら、この2人と同期の闇夜乃モルルが馴染めなかったのも頷けるし、タチバナとかいうファンチにtwitter上で名指しでdisられたことと合わせて、引退の遠因になったとしても不思議じゃない。
でも楽しんで見てる人は、そういう毒のあるキャラを楽しんでるんでしょ?
その感覚からして理解に苦しむけど、実際にはにじさんじを代表するVTuberに数え上げていいレベルの大人気なんだから、世の中本当にわからない。
一体全体、どこにあれだけ人気になる魅力があるのか、教えて欲しい。
おまけ
知ってる人結構いると思うけど、上に書いた闇夜乃モルルは、引退後しばらくしてから再就職し、転職先では公私ともに信頼できる先輩を見つけて楽しくやってるっぽいので、個人的にはそこまで恨み節というわけじゃないのらよ、みたいな。
https://anond.hatelabo.jp/20200629213448
おけパ中島がバズリ
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176
https://anond.hatelabo.jp/20200706042509(感想屋そのものには誘導したくない)
要約すると、
『とても文章力のある感想書きが界隈を席巻してしまった』という内容の愚痴増田が話題になる
↓
神字書きと字書きを題材にした創作漫画の登場人物『おけけパワー中島』に注目が集まる
↓
有償でポジティブな感想を書きますと言いだした『感想屋さん』を名乗る人物が、サービス内容の不備や文章の稚拙さおよび返金対応への不誠実さなど千々に炎上
ここ一週間ほどの間で、以上のような文脈が発生した。
この結果、感想屋という文言に幾つかの意味合いが発生してしまい混乱を招いたり、炎上したものと似た屋号のサービスへの悪影響が心配されたり、純粋な長文感想書きが誤解から心を痛めたりしている。このあたりは個々に注意されたし。また、有償の『感想屋さん』の問題点については羅列していったらきりがないので、特別に記述はしない。
前置きが長い。
私はオタクである。特に創作はしていない。時折、特に萌えを感じた時に短文を書く程度の人間である。昔長文を書こうとしたが冒頭三千字を書いたあたりで挫折し放置している。その上特に交流もしていないし、感想も書かない。一言で言えば、ROM専である。
それなのに、私には妙な自信があった。それは言葉にするならば、「俺だって本気出せば書ける」。小説はそれなりに読むオタクだから、ちょっとした文章ならば書ける。商業のような文章は無理でも、なろう程度なら。書評は無理でも、紹介文くらいなら。また嫌なことに、学生時分は図書委員会だの新聞委員会だので短文を書いて「本を読む人だから文章がうまい」と言ってもらって有頂天になったりしていた(今自分で思い出して、あれはお世辞だったのだろうと恥じ入っている)。
そんな私が、ここ一週間の流れを追って、何を思ったか。
まず増田を読んで、二次創作するオタクは大変だなあ、と他人事のように思った。
二次を書き、二次を読み、交流し、その動向に一喜一憂する。どうも大変そうだ。ROM専はその点気楽でいい。だが、まあ、感想というのは良くも悪くも人に影響を与えるものなのだな。時には感想を書くのも、善行かもしれない。そのように思った。
次におけパ中島に触れた。
最初は創作物として面白く読み、リツイートした。その後おけパ中島が話題になっていることを知り、もう一度、我が身我が事として考えてみた。私にとっての神とは誰だろう、おけパは誰に当たるだろう。実際に当てはめてみると、ツイッターでつぶやかれている感想は、なるほどもっともと思えるものも多々あった。私の悪いところは、ツイッターにすぐ感化されるところだ。オタクの嘆きに共感し、すぐに自分で考えついたように錯覚する。私は、まるで自分が主人公になったかのように(馬鹿げたことだ)酔いしれ、おけパ中島への薄っぺらい恨み節をツイートしてみたりした。
感想屋が出してきたものは、かなりひどいものだった。界隈のオタクの気持ちを踏みにじるものだったし、何より悪文だった。それは野次馬である私にさえわかるものだった。下手くそで、金を取るような文章ではなかったし、そも人に見せられるような文章ですらなかった。
その程度の文章に、私はひどく動揺した。
何が私に衝撃を与えたかって、それは、その悪文が、私の書くものに途方もなく似通っていたことだ。
いや、あそこまでの悪文ではない。ない、と信じたい。下ネタを好まないゆえにあそこまでの下劣さではない、はずだ。
だが、似ている。文章の構成が、筆の運びが、何より配慮の欠けた思考回路が。私もかつてこういう文を書いて、自信満々に教師に提出したことがなかったか。こういう感想を、臆面もなくファンレターとして出しやしなかっただろうか。その稚拙な文章が他人を傷つけていたかもしれないことを、否定できない。
それは、他人よりも本が好きだという自負だ。小説を読むのが好きなことと、文章を書くのが得意なことを、取り違えて混同した、おぞましい勘違いだ。その上、私が読むのは『他人に比べて』多い程度であって、誇れる程ではない。何一つ、誇れることなどなかったはずだ。眼高手低とはこういう事を言う。
私は自分の文章に向き合ったことがあっただろうか。何度も推敲し、多面的に読み直し、練り上げた文章を書き上げたことなど、一度でもあっただろうか? そう問うてみれば、一度もなかった。この文章だって、ほとんど読み返さず、激情のままに綴っているだけだ。プロットも、描写力も、考えて作ったことなど、一度もない。
私自身が、物事を考えたことはあっただろうか。物語を読んで、薄っぺらい表面的な理解をしてすべてを分かった気になったことは。まるで自分で考えたかのような顔をして、他人の考察を口にしたことは。私は、私自身の無能と向き合った事が、これまでに一回でもあったのか?
これは恐ろしい事だ。誰かにとって恐ろしいのではない。タイムラインのオタクにとって恐ろしいのではなく、創造上の誰かにとって恐ろしいのではなく、私にとって恐ろしい。誰かではない。私の恐怖だ。私の足元が崩れ、私の心が崩れている。他人事ではない。それが、こんなにも恐ろしい。
私は今、パソコンでエディタを開いて、この文を書いている。隣にはもうひとつウインドウが開いていて、そこはまだ新規ファイルのままで、まっさらだ。そこに、小説を書いてみようと、思っている。
私は感想屋にすらなれない。
『なれなかった』と、過去形にしたい。今、切実にそう思う。せめて自分に誇れる自分でありたい。
そして、今度こそ。
自分で読み返してひどいな、これ。