はてなキーワード: 屋台とは
何を作るのかという質問の大半は 何のために作るのかと聞いている
作るものの内容によっては自分のためか 誰かのためか明確であるのか それともその需要はどこにといった展開に話をする
なので対話者の経験上判断ができるメニューか もしくはすっとばして目的から紹介してもらってもいい
例)
ナポリタン=>子供っぽいね=>子供すきなの?=>性格の誘導方向からの会話選択
子供とか動物とかすきなの?私もかわいいものがすき:目的意識方向性合致行動共有意図
わたしおいしいお店しってる:自己欲求
こんど食べさせて:有価特徴利用目的
子供といえば…:共有速度上位
男性はなぜ相談すると解決しようとしたり質問すると回答しようとしたりするのか
料理はなにをするのか どんなものをと聞いたのはそれをすることからの人格調査という導入だけだろ
どうせ男は
なんだろ?
会話は共有しようとしていると思えないのか
攻殻機動隊の戦車が会話で平滑化する情景を思い浮かべてみてくれ
会話を自分の視点だけで認識されている情報や論理や哲学を広域に当てはめ投げっぱなしにするあのクソ男性的な叙情が理解の断絶を産みその痛みで自分の輪郭を浮き彫りにしようとする夜店の型抜き屋台みたいな一人マゾプレイに美的感覚を刺激されるとかいいたげなアニメの情報共有を基礎から断絶するひとり会話描写ではないほうのな
アメリカの連邦最高裁判所が今月26日、同性婚を認める判断を示したそうだ。現代社会の風潮ではいずれ認められるだろうと思っていたが、随分と早いな、というのが当初の印象。これで同性婚が当たり前、という風潮が全世界的に加速するのだろう。アメリカの文化的影響力の大きいオーストラリアなどの英米圏、それから欧州、そして日本や韓国、台湾などへも波及して、同性婚が当たり前になっていくのだろう。
これは、人権尊重という点ではいいことなのだろう。だが、西欧型社会の存続という面で言えば悪い知らせじゃないのか。現代の西洋社会の終焉の始まりの一つとなるのではないかしらん。個々の人権を認めた西欧社会の安定した政治システムは、あと100年のうちに終焉を迎え、中世的な世の中へと変わっていくのではないか、という予感がする。
そもそも同性婚の法律上の許可を同性愛者が求める理由は、そこに配偶者特権があるからだ。異性婚の配偶者には、いくつもの特権が付与されてきた。すなわち財産権、税制控除などの経済的特権や、家族間の問題には他人が口出しを出来ないといった排他的特権、養子を引き取って育てる権利などなど。これを同性婚者にも拡大しなければならない、というのが米国連邦裁判所の趣旨だ。
だが、男女の一夫一婦制を基本とした夫婦以外にも、様々な強固な人間同士のつながりがある。一夫多妻制はよく知られている。それ以外に、数人の男女で暮らしている共同体もあれば、兄弟で暮らしている家族もある。今後高齢の独身者が増える日本では、同性の高齢独身者同士が寄り添って擬似家族的に暮らす人々も多くなるだろう。なぜその中で、夫婦だけを特別に扱わねばならないのか。たとえば『赤毛のアン』を育てた兄のマシューと妹のマニラの二人のような兄妹に対して、夫婦と同じ特権を与えない理由があるのだろうか? 性的な愛情を基本とした2人の関係を、友情だとか兄弟愛だとかを基本とした人間関係よりも尊重しなければならない、というのは少々無理があるのではないか?
それに人々はやがて気づくだろう。同性婚者家族に拡大された特権は、やがて様々な人間関係の共同体にも拡大されるようになる。特権が拡大しすぎた社会では、やがて特権自体の意味がなくなる。その先に待っているのは、誰もが夫婦に伝統的に課せられてきた義務を果たさない社会なんじゃないか。
ローマ帝国が終焉した理由として、ローマの市民権が付与されすぎて、特権が薄まり、ローマ市民たちが納税と戦闘の義務を果たそうとする意欲を失った結果、ゲルマンの蛮族の侵入を招いた、という説がある。お隣の中国大陸の清が滅びたのも、八旗に所属する支配階級である旗人に、モンゴル人や漢人を加えるようになり、旗人の人口が増えすぎて社会の弱体化を招いたことが原因だとも言われている。特権者が権力を失ううちに、義務を果たさなくなるのは世の中の習いであり、共同体の屋台骨が義務を果たさなくなったら、その社会は崩壊するのが世の常だ。
人間は不平等感に我慢できないから、権力者と自分は同じ価値があると思う人々は権力者の権力を奪おうと試みる。人間は優しい生き物だから、特権を与えられていた人々は、世代を重ねるうちに良心の呵責に怯えて、周囲に特権を与え始める。しかし「権利なき者に義務もなし」という言葉の通り、権利を与えられる人々が拡大すればするほど、その権利の意味は薄れ、大切にされなくなる。
西欧型社会の基軸である夫婦に伝統的に与えられてきた権力が失われると、やがて夫婦に課せられてきた子育てや相互扶養などの義務を人々はバカバカしく思うようになるだろう。そのときに、今の西欧型社会は崩壊するんじゃないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20150406191358
パラウイ島について前回の続きを書いていこう。 もっとGoogle検索の順位が上がって、将来旅する誰かの役に立ちますように。
パラウイ島にはホテルやリゾートが無いため、基本的にサンタ・アナの北端のサンヴィセンテ港から日帰りで行くことになる。
ボート等の手配は港で前日までに行っておくこと。2014年2月の記事であるが、マニラフリークの
http://manilafreak.jugem.jp/?eid=653
この料金表と同じであった。
このボートは1艘あたりなので、1人で行くと割高、複数人数で行くと割安となる。
船は8人マックスと書いてあるが、普通の小さいバンカーボート。外海は波が荒いところもあり怖い瞬間もある。 同時に乗る人数は船員を除いて4人 多くても6人程度に抑えたい。
日本とは違い、あくまで命の値段が安い所謂"後進国" であって安全は全く重視されていないのを念頭に。
スペインの植民地時代にパラウイ島の東北の端の高台に建設された灯台。この灯台近辺からの景色がパラウイ島旅行の唯一かつ最大の目的となる。
世界トップ10に選ばれるだけあって、絶景の一言。 写真ではわかりにくい素晴らしさで、実際に目で見て欲しい。三連休をかけて行く価値がある景色だ。
登って降りてくるだけなら30分もかからないのだが、何故かガイド費が300ペソもかかる。 ここに直接行く人が多いが、個人的には下記のトレッキングしてからだと感動が倍になるのでオススメ。
パラウイ島は結構大きく、トレッキングルートが3つある。 ガイド費は350ペソ。
そのうちのPunta Verdeという地元住民が多くいるビーチ(島の東岸の中腹あたり)から東北端のCape Engaño まで海岸を沿って歩くルート(3時間と言われていたが、1時間半程度だった。距離にして4~5キロ程度)がオススメ。
Cape Engaño とPunta Verde間にはもう1個、山を通るルートがあるが超疲れるし景色が見れるポイントが無くただただ山の中をハアハア言いながら歩くだけで全くお薦めしない。やめておくべし。
「景色めっちゃ良いよ!」という地元住民に完全に騙され地雷を踏み抜いてしまった。
3つ目のルートである島を東西に横断するルートは筆者は行っていない。未知数だが、地元住民曰く「西のビーチは透明度が悪いし魚もいない」ということだったので今回の旅で島の西岸には上陸しなかった。
とりあえず騙されたと思って信じて欲しい。
Cape Engaño に直接行かず、Punta Verdeに上陸して海沿いのルートを歩いてCape Engaño へ2時間くらいかけて歩いて行く その後の灯台からの景色は感動的だ。 ハロハロ(フィリピンのデザート、パフェやサンデー的なもの)も非常に美味しく食べられるだろう。
(前日にガイドの手配をしておくように。あと上陸ポイントと島を出るポイントが違うので船主に対してCape Engaño に迎えに来るように伝えておくように)
普通のフィリピンの白い砂浜、綺麗な海岸といった感じ。 他のリゾート等で綺麗な砂浜の経験があれば別に無理していかなくても良い。
ただ行っても別に損はしない。ここでゆっくりしても良いのでは。
謎の岩質で出来た謎の地形の島。 是非行って欲しい。 島は5分で一周出来る。
ビーチでシュノーケリングしても楽しいので、ここで数時間過ごしても良いだろう。
ただ樹木等が無い禿山の島で、日を避けるところが少ないのと常に観光客で混んでいるのでゆっくり滞在するかどうかは好み。
基本的には朝6時から6時間、つまり正午までが基本料金に含まれる。
延長は1時間あたりたったの100ペソ。 どうせサンタ・アナに戻っても暇を持て余すので、仲間と一緒に行く時は延長料金をケチらずゆっくり滞在して欲しい。
海の荒れ具合や弁当の持参の有無等にもよるが、夕方近くまでまったり過ごしても良いのではないだろうか。
なお、早朝5時半の時点でやってるサリサリストアがあるのでそこで水を1リットル×2本くらい買っておくと良いだろう。 1個25ペソ。 日差しがキツいので水は多めに持っておくことを推奨。
パラウイ島旅行最大のネック。一人旅をお薦めしない最大の理由。
Cagayan Holiday & Leisure Resort内に中華料理があり、ここが唯一の普通の料理?と言える。 ここに泊まった場合も泊まってない場合も是非複数人数の時は行って欲しい。
ドレスコード(服装の制限)があるかどうかはわからないが、リゾートの施設内だしおそらく大丈夫じゃないかなあ。
メニューを見たところ1人1000ペソ~1500ペソ程度で食べられそう。
中華だけだと流石に飽きると思うので、フィリピン料理行けるという人は以下の2つも試して欲しい。
San Vicente Portから約4キロ、トライシクルで15ペソで行けるサンタ・アナの市街地(コマーシャルセンター近く)のレストラン。
・J and J Restaurant
https://www.google.co.jp/maps/place/J+and+J+Restaurant/@18.4601929,122.1427828,15z/data=!4m5!1m2!2m1!1srestaurants!3m1!1s0x0000000000000000:0xadc5a5d07c45023f
地元住民イチオシのレストラン。筆者は食べていないがメニューを見たところフィリピンのメジャーな料理は揃っていた。
・Dampa-Esperanza Seafood Restaurant
https://www.google.co.jp/maps/place/Dampa-Esperanza+Seafood+Restaurant/@18.4601929,122.1427828,15z/data=!4m5!1m2!2m1!1srestaurants!3m1!1s0x0000000000000000:0x2d564be3d9aaba88
香港かなんかで修行したシェフがやっているとのこと。 カニ等の海産物が美味しいらしい。 地産地消。
なお、筆者は1人旅をしたので地元住民が多く入るようなヌードルハウス等で食べたが麺がクタクタで非常に不味かった。全くオススメしない。
アジアで1番料理が不味いと言われているフィリピンであってもルソン島中部のバギオとかバナウェ、サガダ、ボントック等山岳部だと野菜含め普通に美味しいのだが、もっと北に行くと料理はまずくなるんだなぁ・・・ 勉強になりました。
特に晩飯時の「行きは良い良い 帰りは怖い」に注意。
San Vicente Portからサンタ・アナの市街地は割と楽にトライシクルが捕まる。
日が沈んで晩飯を食べてさて、帰りを探そうとなると断られる。 もしくはぼったくられる。
フィリピン人は日が沈んだら基本的に仕事モードからプライベートモードに切り替わるということを学んだ。
筆者はぼったくられるのが嫌で4キロ超の距離を1時間以上かけて歩いたが、途中該当が無い林みたいな場所があり普通に怖かった。
途中の民家の飼い犬に吠えられ狂犬病のリスク(フィリピンは貧乏な国なので基本予防接種等してない)に怯えつつ、不安な道中であった。
もう二度とあんな思いはしたくない。 頑張れば歩ける距離だが、歩くのは絶対にお薦めしない。 例え行きの10倍払っても良いので宿まで安全に戻るべし。
ただのインスタント焼きそばなのだが、食に困ったらこれを注文すべし。 調理費混みで1個20ペソ(小さい袋なので1個ではただのオヤツ代わり)。 3つくらい頼めば十分昼飯になる。
San Vicente Portの先端の港に付帯するサリサリストア含めいろいろな所で食べられる。
「Pls Make it hot I like very very spicy」等いうと良いだろう。 カラマンシー(シークァーサー)も付けて貰おう。
飯の総括としては困った時のためにカップラーメン等の非常食を数個持っていけ。あって損はしないというか得しかしない。 お湯は宿でもサリサリストアでもどこでも貰える。
Cagayan Holiday & Leisure Resortに泊まっている場合はカジノがあるのでギャンブル好きな方は是非そちらへ。 筆者は訪れていないが、なかなか施設は綺麗だった。(外側から見た感想)
また、San Vicente Portのメインの通り沿いで現地人数十人が路上で屋台の縁日のようなギャンブルをやっている。 数ペソ~100ペソ程度の非常に少額の賭け。
サリサリストア(コンビニの超ローカル版)は遅い所でも21時くらいには閉まるのでビールやつまみ等は閉店時間を見越して買っておこう。
ただし、だいたいの場合翌日朝6時に港集合で朝が早いので夜更かし(AM1時とか2時とか)はあまりお薦めしない。
田舎だからなのか、ルソン島の北部の文化なのかわからないがほとんど売っているのはアルコール度数が高いRed Horse。 サンミゲルピルセンやサンミゲルライトが売っている店は1軒か2軒しかないのでRed Horse苦手な人はチェックして買いだめしておくべし。
なお筆者はマニラにいるときは基本的にはRed Horseを飲まない(ピルセンと比べて不味いと確信しているいる)のだが、旅行中ゆえの気分の高揚なのか それとも暑い気温と乾いた空気による風土の違いなのかわからないが今回の旅の道中ではRedHorseは非常に美味しく頂けた。
嫌いという人も一度くらいは試してみて欲しい。
4G(LTE)は繋がらないが3Gが非常に快適につながった。Youtubeの動画をストレス無く見れるレベル
SmartのPocketWi-fiを持っていくべし。 ビール飲みながら田舎の夜風に当たりつつネットサーフィン。 一人旅でもなかなか楽しいもんですよ。
今回の旅はルソン島北部に台風が近づいたりいろいろあって、帰り道にバスを使った。
本来はビクトリーライナーを使いたかったのだが、いっぱいだったのでフロリダ・バスを使った。
トゥゲガラオからマニラまでのバスが700ペソ。 午後4時発で途中バス内で盗難だか痴漢だかよくわからんが、 騒ぎになりCabanatuanの警察署に2時間弱ほど寄ったりしてマニラに着いたのは翌朝の5時過ぎ。
休憩は最初1時間程度乗った所で1回あった程度で、そこで皆カンテーンで飯を食べたり売店で物を買っていた。 あまり休憩しないので最初の休憩所で水分等を買っておくべし。
冷房はそこまで効きすぎていなかった。(フィリピンだと長距離バスは上着必須なレベルにクッソ寒い。 ただ、筆者は男性なので女性は遠距離バスに乗る場合は是非上着を持って行って欲しい。)
席は日本の東京大阪間の格安3000円夜行バス程度のクオリティの柔らかさで割と良かった。 (過去にマクタンからセブ北端まで行った事があり、その時のバスが酷い設備だったので、ハードルは低い)
なお、一番右端後ろの席は柱があって倒れないので地雷。 あと当然だけどアイマスクと枕は持っていくべし。
いろいろパラウイ島旅行に関する良いところも悪いところも書いたけれども、マニラ在住者で3連休があったら乾季中に是非行って欲しい。 やはり世界トップ10のビーチは伊達ではない。
今はセブ島への直行便があるしもっと移動時間が少なくて有意義に過ごすことは出来ると思う。 栄えてるし治安も良いし料理も美味しいレストラン多いしマッサージ等の物価も安いし遊ぶところも多いしとりあえずフィリピンに旅行したかったらセブがお薦め。
どっちも車で移動するロードムービーだけど、そういうんじゃないんだ。
1)シェフ 三ツ星フードトラック始めました(以下C) と ドライブ・ハード(以下D)を一言で言うと両方とも
満たされない人生を送っている主人公がハッピーになる物語である。
2)もうちょっと詳しく言うと、
満たされない人生を送っている主人公が、ひょんなことからさらに酷い目にあって、よい人生を取り戻す物語である。
「あたりまえすぎる」よな。もうちょっと詳しく書こう。
3)#1煮詰まってて平凡な毎日を送る主人公。意に染まない退屈な仕事を繰り返していた。
#3試練をくぐりぬけ、
#4自分の本当にしたい仕事に気付き、それをはじめる。圧倒的成長!
#5ついでに愛も取り戻す。
じゃあ行くよ。
#1
C:主人公はカリフォルニア州在住のデブアメリカ人の中年コック。若いころから名声を得て将来を嘱望されていた。高級レストランでシェフの座についている。(世間体はいいのでこれを失いたくない)
だが所詮は雇われの身。オーナー(ダスティンホフマン)には逆らえない。
オーナーはダサい定番メニューでやっていくことを押し付けてくる。オレの横溢するクリエイティビティはどうなる!
そして稼ぎのよい金髪の嫁とは離婚。息子を送り迎えすることでかろうじてつながっているが、それも身が入っていない。
D:主人公はゴールドコースト近辺在住のロン毛オーストラリア人の中年ドライバー。若いころは優勝経験もあるレーサーだった。今は自動車教習所で働いている。(レースより生命の危険がないので嫁の受けはいい)
そして稼ぎのよい金髪の嫁とはうまくいっていない。娘の送り迎えする、それも身が入っていない。
自動車教習所の色っぽい女性事務員からはなんか好かれてるっぽい。
#2
C:自分を殺してダサいメニューを出したら超有名ツイッタラーに食べログでバカにされた!俺の真のすごさを見せてやる!だがオーナーに定番メニューを出さないとクビだと言われる。ついに堪忍袋の緒が切れた! ひどい情弱だったのでツイッターのDMとRTがわかっておらずヤッチマッタて注目を集めた状態で店でやらかした様子を撮られ、YOUTUBEで炎上。
珍獣としてネットでは人気者になるが超恥かいた!クビになる。息子や同僚の一部には、よくやった!と思われたり言われたりする。
D:変な客に教習を指名されたぞ・・・あからさまに怪しい・・・なんだこいつ銀行強盗かよ!
全豪放送テレビニュースで強盗の共犯として顔と実名が報道される。
娘(多分Cの息子より幼い)には大うけ。嫁は苦い顔。
#3
C:元嫁と元嫁の元旦那(言動が多動症っぽい。アイアンマン)の助けで屋台トラックを始める。
色々あって元同僚+息子(夏休み)と長距離移動。
元嫁に、あんたがヨハンソンといい感じなの知ってるのよ、とチクリとやられる。
D:銀行強盗は凄腕の泥棒だった。銀行には元泥棒を酷い目に遭わせた奴がおり、強盗はその借りを返してもらうためだったのだ
(900万USA$)
あの手この手で泥棒の運転手であるという状態から逃げ出そうとするが、ままならない。
しなを作って主人公氏は只者じゃなかった。すごい奴だと思ってた。と喋る様子が放映され、それを見て嫁はやきもき。
#4
C:息子と心を通わせる。オレは間違っていた。意に染まない料理なんか作らなくていい。
息子が望んでいたのは遊園地に連れて行ってもらうことじゃなくて、情弱な父親にネットのすばらしさを教えたり、料理やオトコの生き様(未成年飲酒とかはちょっと・・・)を教えられたりすることだったんだ!
食べログツイッタラーには「あんたには憧れていたんだよ・・・それをあんなダサダサメニューで失望させやがって・・・だが今のこの屋台料理は最高だぜ」と言われる。
D:泥棒に、もういいよ。ドライバーの役割は終わってもいいと言われる。だが、男の誇りに火が着いた!
相手の悪者を出し抜いて、お前を送り届けてやろうじゃないか!
バトル!勝利だ!
#5
C:超お金持ちから、新たな店を出す金を出してやるといわれる。息子は腕のいいシェフになるだろう。将来楽しみだ。元妻と再婚してエンド。
D:泥棒から報酬で300万USA$をやると言われていた。妻の愛を取り戻して、レーサーに復帰を決意。娘はトレーラーで運ばれてきたレーシングカーにのってウキウキでハンドル握ってレーサーごっこ。父親の威厳と生きる意味を取り戻したぜ!エンド。
共通点(と違い)
・真の愛情の対象 金髪の嫁(高給取り) 離婚済みまたは離婚寸前。
・色っぽい偽の愛人(Cでは寝てる※直接描写はない;が Dではセックスレス。嫁一筋)
・一種のバディムービー
(最初は反発しあい、最後にお互いを認め合うやつ。「リーサルウェポン」など)
Cにおいては、相棒の機能は 息子 と 裏方の元職場のセカンドシェフ に分解されている。
・世界の半分をお前にやろう
Cでは金持ちの共同出資者からの提案を受け入れ、フードトラック業者から、店舗型レストランシェフにクラスチェンジしている。
とりあえずいったん閉じる。
今やプログラミングといえば、Webなどで使われるような高水準スクリプト系言語中心のアプリケーションプログラミングが主流だ。
そんなこともあり、もはや以前の低レベル言語によるシステムプログラミングの苦労など、タダの昔話である。
そこに来て、実際は齧った程度の分際で、性懲りもなくそんな昔話を書いてみる。
少なくとも10年位前に自分が手がけた(押し付けられた)仕事はそうだった。
大学で初めて触ったC言語しかもポインタ分からないで止まっているような奴に、電文の再配信プログラムを任せたのだから。
客は「遅延が絶対許されないシステムなのでJavaとかPerlとかはやめてねー」とにこやかな笑顔かつ笑ってない目で注文してきた。
このうちC++は、Java経験がある自分からしても仕様が膨大かつ複雑すぎて、とても手に負えないと感じ、必然的にCで書くことに。
勿論Cの言語仕様がKR本一冊で収まるほどコンパクトであっても、それが簡単であることを全く意味していないというのを開発早々に思い知らされたのだが。
あ、Cと言えば電文提供側の機関が受信用のスケルトンプログラムを一応は用意してくれていたが、どう見ても電文受信中に接続が切れた時のことを考慮していない内容で、全く参考にならなかった。
コード書きにおいては、例え一人屋台の俺ルールであろうが、コーディング規約のようなものは絶対に必要である。
その時のルールは「gccのオプションに"-Wall"を入れた状態で、Warningゼロになること」にしてみたが、その途端、日付変更線をまたがない限り退社できない生活が始まった。
というかオブジェクトを使えないだけでも地味に辛いのに、更にCの言語仕様はコンパクトである以上に原始的と言っていい代物で(だからWarningは基本無視できないのだ)、しかも言語仕様以外の環境依存要素が山積していると来たもんだ。
そんな言語でシステムコールだらけのコードかつ複数のファイルディスクリプタの同時監視(即ち非同期でノンブロッキング)しかもマルチプロセスでシグナルもあるよ!とか、お客さんは俺を殺す気か、そもそも完成させる気無いだろとか、今だったら思う(当時はそう思う余裕もなかった)。
仕方なく最初のKRに加えて「UNIXネットワークプログラミング」をわざわざ東京に出かけてまで買って読み漁った。
後にも先にも、古今東西の名著と呼ばれるような本を、泣きながら読んだのはこの時だけだったりする。
そこまで凄い良書なのになんで絶版になったんだか。
いかし、それでも「子供を殺しても死なない」、かなり前の処理での領域破壊のせいで突然プログラムが止まっちゃうなどなど、やればやるほど問題が出る。
シグナルを受信し、仕様のとおりに処理するのがこんなに難しいのか!と途方に暮れたこともあった。
そして途方に暮れても解決の手段になるような便利なツールもなければライブラリもない。
結局、「ある程度正しく動いたら、あとは出来た所まで」で勘弁してもらってようやく開放されたが、今でも当時の自分の仕事ぶりには全く満足していない。
無駄に頑張ったというか、頑張っただけの仕事であり、折角低レベル実装というCの本領発揮分野の案件でありながら、スレッド、malloc()、可変長引数は遂に習得できなかった。
こういうプログラムって、どうやったら正しく動かせるんだろ。
このような経験を経て、後年、Cやシステムプログラミングを指してギークな人々が
Cはとても高効率ですし、マシンのリソースもドカ食いしません。残念ながら、Cがそれだけの効率性を実現するには、あなた自身が低レベルのリソース管理(たとえばメモリ管理)を手作業でやってあげなくてはならないのです。それだけ低レベルコードがあると、複雑でバグも起こりやすいし、デバッグですさまじい時間をとられることになります。今日のマシンはずいぶん強力になっているので、これは通常は悪いトレードオフです――マシンの時間を少し非効率に使っても、あなたの時間をずっと効率的に使う言語を使うほうが賢明でしょう。
本物のプログラマはアプリケーションプログラムなど書かず、まっさらな金属板にゼロから書き込んでいく。アプリケーションプログラミングなど、システムプログラミングのできない弱虫のすることだ。
あと、あれほど苦手だったポインタについても、「ポインタが理解できないと永久にC初心者」というのを嫌でも理解した。
あれはギターのFコードやSEALsのヘルウィークみたいなもので「習得できなかった者にとってはキャリアの終わりを意味するが、習得できた者にとっては始まりですらない」ものなのだ。
・・・で、これだけで終わってしまうと本当にタダの黒歴史だが、これには少しだけ嬉しい後日談がある。
それから数年後、やはり電文転送系のシステムで、かつて自分がCのソロプレイでこなしていた規模の数万倍はあると思しき超大型案件に助っ人の「兵卒」として参加したのだが、そこはインプラとアプリでチームが分かれており、アプリ側だった自分は
「配列とポインタと構造体しか使わないで済むなんて、なんて楽な仕事なんだ!」と左うちわでのんびり過ごし、しかも高評価をいただいて帰ってこれた。
ただのチラシ裏。
6年前、親が体調崩して地元に帰らないといけなくなり、前の会社を辞めた。
今の会社を選んだ理由は単純で休みの自由が効くこと。これは親のことがあり絶対の条件だった。
小さな会社でこれからその事業に力を入れて行く。その事業の責任者としての雇用と言う話であり、ある程度の決定権限は与えられると自分は認識して入社した。
入社した当初、最初は1人だった採用の予定を2人採り、その当時は本当に社長としては事業として力を入れていくつもりだったんだろう。
だがその思惑は早速崩れることになる。もう1人の採用者は二週間足らずで辞めてしまったのだ。
自分は1人になったが別に悲観はしてなかった。仕事は1人で捌ける量だったし、もう一度人も採ると言う話だった。もっともそんな話はいつの間にか消えていたが。
売上は採算ラインには達していなかったがそれでも順調に伸びていた。当時は競合業者も少なく大した企業努力をしなくても売上は伸びたのだった。
最初に社長との齟齬を感じたのは売上が頭打ちになり、新しい施策が必要だと感じた時だ。
自分なりに考えた施策を上げて一旦は承認され、一月目はその通り実行された。
だが次の月に突然その施策にストップがかかる。明確な理由の説明はなかったし、問う猶予すら与えられなかった。
そうこうしているうちに親の体調は悪くなり、そちらの方に気を取られて仕事の方はおざなりになる。
とりあえず今の売上を維持するだけなら放っておいてもできる時期だったのは運が良かったし、それを黙認してくれた点については社長には感謝している。
やがて親は亡くなり、時間的にも精神的にも多少余裕ができてきた。
これからは仕事に専念して、売上を上げていくことに専念しよう。そう決意を新たにする。
この時点で3年が過ぎようとしていた。
だが現実はそうは上手く行かなかった。競合業者の乱立とそれに伴う価格崩壊、問屋の権利を持たない小売店である弊社は価格面ではどうやっても勝てず、サービス面でも基本はメーカー丸投げの為、差別化のはかりようがない。
売上はジリジリと下がり始める。
今思えばこの時点が最高の辞め時だった。
だが自分は残る道を選んだ。そんなにコロコロ職を変えるものでないと考えていたし、まだやりようによっては価格以外の面で勝負していけるのではないかと言う甘い考えがあったからだ。
そうは言っても劇的な改善策があった訳でもなかった。
その時点までで、社長はとにかくこの事業に関しては、リスクもコストも掛けない方針であることは分かっていた。
この事業に関しては、と断るのは本業に関してはかなりリスキーなことを平気でやるし、驚くような価格の投資をする人間だからだ。
社長としては正しいと思う。屋台骨である事業には十分な金を使って挑戦的な事業展開をし、そうでない事業には極力金も手間もかけない。辞めることを決めた今でも経営者としての社長の判断は間違ってないと思う。
だが本業に数千万円単位の投資をする一方、こちらは数千円広告費用が予定より膨れただけで怒鳴られるとなればやはりやる気も削がれる。
自分は社長の意向を組むつもりで極力コストをかけない方法で事業を改善しようとしたが、とにかく何かしようとしたらすぐに金がかかる。だがその金は出ない。
じきに手は尽き、売上の下降を目にしながら何の対策も打てなくなる。
その頃から体調が優れない日が続くようになる。休みの日になると起き上がれなくなるし、気分がずっと落ち込み、今まで楽しいと思えていたことに興味がなくなった。自覚できる程に性欲は減退しオナニーすらしなくなった。
案の定、うつだった。4年目の夏だった。
そこからは何もかも悪循環だった。落ち続ける売上を眺めながら、うつに苦しんだ。
それが2年間続いた。その間に薬は増えたし、一度は自殺未遂を起こす程まで追い込まれた。
今年の初めに上げた施策はコストは掛かるしリスクもあるが、少ないながらでも手堅く利益は出る可能性はあるだろうと言うものだった。
これがラストチャンスだと思った。この時点で売上はほぼゼロだったし、精神的にも限界だった。年齢的にもそろそろ転職が厳しい年齢になる。
長く待たされたが、結果、ゴーサインが出た。
そこからは薬漬けで準備をした。このチャンスを逃がすまいと、必死になって準備をした。
そして半年後、ようやくスタートしたその月にストップがかかった。
理由はそんなにコストとリスクを掛けられるかと言うものだった。
散々、コストもリスクもあるが手堅く稼げる可能性があると説明してきたが、結局何も伝わってはいなかった。
A4用紙にして3枚程にコストとリスクの面を中心にまとめた企画書は全く読まれていなかった。
その程度の時間を掛ける価値すらないと言うのが、自分が会社でやっている事業に対する社長の評価なのだと悟ったと同時に決定的に心が折れた。
拾ってくれる会社が早めに見つかったことは運が良かった。契約社員スタートは若干きついが年齢を考えればやむを得ない。
ギリギリ辞める一ヶ月前に直上の上司に報告した。就業規則では三ヶ月前に申し出ることになっているらしいがそんなものを見せられた記憶はない。法律上は一ヶ月前に口頭でもセーフらしい。
苦言は呈された。せめて転職を考えていることを事前に相談できなかったのかと。だが自分の置かれている立場を考えれば、転職を考えていることを口に出せばすぐにでも解雇される可能性すらあると考えていたしそうも伝えた。
会社はそんなことはしないとは上司の言葉だが、そんな言葉を言われても信用出来ない程、自分は会社の中では最低の評価しか与えられていないと考えている。
自分が今までクビにならなかったのは、ただ社長にとって「クビにするかどうかを検討する時間をかける価値すらない」からだったに過ぎないと思っている。
毎月千万円単位の仕事を動かす人間にとっては、仕事もできず本業にも関わっても来ない人間の扱い等、その下の人間が決めれば良いと言うスタンスだったのだろう。
そんなゴミの処遇ぐらい直上の上司が決めて上げてこい。そう言うことだったのだと思う。
直上の上司の無関心のお陰でクビがつながって来たと言えるが、逆にそれが為にここまで時間を浪費してしまったとも言える。どっちが良かったのは分からない。
終始白けた気分だった。取り繕う気すら起きなかった。何人かからは顔色の悪さを指摘された。辞めることを決め、心が完全に離れた会社の忘年会にいて顔色が優れる訳がなかった。
労働時間で言えば間違いなくブラック企業ではあるし、社長によるパワハラまがいの怒声も飛び交う職場だが、比較的低い離職率を維持しているのは一重に社長のカリスマ性にあるのだと思う。
自ら営業をこなし、実務もこなし、少なくとも本業では積極的に攻め続ける、その姿勢は素晴らしいものだと思う。
既に自分の心は完全に会社から離れてはいるが、本業の分野で会社に関わることができていたのであれば違うものもまた見えていたのかもしれない。
全てはもう終わったことだが。
なんかダラダラ書いてたらえらく長くなった。
僕の数少ない女性経験だけで断言するのはちょっと問題があるのだけれども、いやそれでも声を大にして言わせてもらうと女性は「貧乏はいいけど貧乏くさいのはイヤ」っていいがちだよね。
ってか声だけじゃなく主語も大きくなっちゃったけど、まあそれはそれとして、でもだって彼女たちときたらいつだって「貧乏はいいけど貧乏くさいのはイヤ」って言っては僕の立ち居振る舞いや手料理やデートの提案にダメだしをするんだ逐一。
だもんで、僕は彼女たちの言う貧乏と貧乏くさいの違いをメモって学ぼうとしたんだ。
うん。
学ぼうとはしたんだよ?
努力はしたんだ。
でもね、デートにお高めの激うま屋台はダメだけどチェーンのイタリアンはOKって言ったり、でも台湾屋台はOKだったり、全身ユニクロでもいいけどだるだるサイジングはダメだしチェックのネルシャツはギリOKだけどせめてリュックをプラダにしなよって言われたり、無印は概ねダメだしフォーエバー21もちょっとはずすとダメ、家呑みだったらどんなにうまいキャビアでも缶詰から直はダメで、でも安売りツナ缶にオリーブオイルとケイパー散らして山野辺彩の器に盛るだけでOKでたり、もはや何が貧乏で何が貧乏くさいなのか僕のなかでわからなくなってきてしまって、あーもう! 僕は決めた! 決めました!
いっそ貧乏だの貧乏くさいだので迷わなくていいように、お金持ちになることにしたのです。そう決めたのです!
だってね、昨日ね、久々にあった親友が絶対に儲かる株っていうのがあるって教えてくれたのですよ。
やったね!
ウチの子も子供神輿担いだり、「池袋西口公園(ウエストゲートパーク)の屋台村」で金魚釣りすることになると思う。
客観的にみると、かなり大規模な祭りだと思うのだが、この「ふくろ祭り」、豊島区以外ではほとんど知名度がない。
多分、杉並区とか江戸川区の人は、そんな祭りが存在していることを知らないだろう。
もともと西口ロサ会館のオープンを記念して開始された祭りらしく、だからロサ会館の辺り、つまり
「池袋ウエストゲートパークの主人公マコトがやってる果物屋の西一番街」の辺りが最も祭りのピークなんだが、
石田衣良の「池袋ウエストゲートパーク 全10巻」の中で、ふくろ祭りが出てくる話はゼロ。
作品自体は、池袋エリアの各スポットを正確に描写しているので、それなりに取材はしていたんだと思う。
だから、取材過程で当然石田衣良は「ふくろ祭り」の存在を知った筈だし、書こうと思ったら、ふくろ祭りを取り入れた作品も書けた筈。
それを「あえて、ふくろ祭りを描かない」ことによって、
「本当の池袋」じゃなく、「人々が抱いているステレオタイプなイメージを増幅させた池袋」を、石田衣良は描こうとしてるんじゃないか、と思う。
もし石田衣良が作品中で「ふくろ祭り」を描いて、ドラマでも「ふくろ祭り」を描いていれば、
ふくろ祭りの知名度がうなぎのぼりだったのに、と悔やまれてならない。
ところで、先日「西口再開発で、池袋西口公園が取り壊される可能性」との報道があった。
ネットでは「残念」「潰さないで」の声が多いが、一方地元では「公園を残そう」という声は聞かれない。
こういう点でも、地元の「あの作品」への冷やかな視線を感じてしまう。
もっと露骨に言えば、「あの作品」は、池袋への「世間の偏見を定着させた」ということで、完全な傍迷惑な作品なのである。
普通であれば、
「小説の舞台になった」「マンガの舞台になった」「アニメの舞台になった」「ドラマ・映画の舞台になった」
地元自治体や観光協会が聖地巡礼キャンペーンを作るのが普通なのに、豊島区は全くそういう動きをしてない。
むしろ、再開発によって、公園取り壊しで、「あの作品によってこびりついた世間のイメージを払拭したい」という思惑すら感じてしまう。
地元にとって、全国に周知したいのは「ふくろ祭りの池袋」であって、「池袋ウエストゲートパークの池袋」ではない。
本来ツイッターで書く程度の軽い呟きなんだが、ツイッターだと池袋に住んでることがバレちゃうから増田で。
脱法ドラッグ事件で治安の悪さが露呈した池袋西口の話を、今後テキトーに増田でつぶやいていく。
・最近注目している店:「ペンギンのいるBar」「火星カレー」
豆腐は美味しいのだが、店頭に「集団自衛権が・・・」と書かれた黒板とか、週刊金曜日とか置いてあると、さすがに引いてしまう。
・昔からこのエリアは「コンビニの8割はファミリーマート」というエリアで、セブンイレブンすら滅多にお目にかかれないエリアだったのだが、
最近ファミリーマートが減って、じわじわとセブンイレブンが増えてきた気がする
・みらい館大明の図書コーナーはおススメ。
普通の図書館だと定年退職した暇な老人とか、場合によってはホームレスとか、あと学生とかで席がいっぱいになるが、
みらい館大命の図書コーナーは、そもそも近所の人でも知名度低いから、ガラガラでゆっくり寝ころべる(カーペット敷き)
たぶん豊島区民以外でも使えるはずだから、池袋での休憩所として、他の人も利用してみては?
・今立教大学行って来たら、大学の隣にさっそくラーメン屋がオープンしてた。
さすがラーメン激戦区
・その隣に、就活生のたまり場として、「ほけんの窓口」ならぬ「しごとの窓口」なんてのがオープンしてたなあ。
・立教大学は、部外者でも立ち入りOKなので、よく散歩に入らせてもらってます。
・このエリア、路地を散策していると、案外「井戸」が見つかるのが楽しい。
・東京交通短期大学とか、昭和鉄道高校とかある。ちびっ子は学園祭が楽しみ。
(トレインシミュレーターを運転できる)
・川越街道の、清掃工場からドン・キホーテまでの間、なんか雰囲気が「暗い」。
・川越街道の北側、池袋本町エリアに、AKB的なご当地アイドルが拠点を構えて活動しているらしい。
・平和通り商店街を少し入ったところに「池袋の森」という、知る人ぞ知る緑地がある。
・マコトが活躍する「池袋ウェストゲートパーク」は、週末は実は2週に1回のペースで、いろんなイベントが行われるスポット
「フラダンスフェスティバル」とか「古本まつり」とか「台湾祭り」とか。
で、出店の屋台で買い食いするが、出店のメンツは豊島区の姉妹友好都市(一関市とか烏山町とか秩父市とか遊佐町とか)が多い
・池袋ウェストゲートパークの隣の東京芸術劇場前で、大体日曜日に大道芸人やマジシャンがパフォーマンスしている。
子供を連れていくと喜ぶ。最後に「紙でできたおひねり」(=千円札以上)をリクエストされるが、払わない。
・東京芸術劇場は、名物のロングエスカレーターが撤去されちゃったんだな。あれ未来的で好きだったのに・・・
・カーシェアのタイムズ24が随所に出店しているので、自家用車を持つ必要がなくなってる。
うちも数年前に手放した。
・9月末から10月にかけて、西口は「池袋まつり」で「おみこし」や「よさこい」で大変なことになる。
しかし、豊島区民以外の東京人は、そういう祭りが存在していること自体を知らない。
・西口五叉路の北東側に聳えている高木、なにか謂れがあるのか?
以前はこの高木、12月になるとクリスマスツリーのデコレーションがなされてた。
・池袋北口には、「中国語しか書かれていない駅構内広告」がある。
北口ではよく中国人が新聞を配っていて、中国共産党批判している。
【模型】
●ピノキオ
ガレージキット、フィギュア、アフターパーツにエアガン、だいたいなんでも揃う。
ここで手に入らないものは他の店でも手に入らないだろう。
量は少ないがジャンルがそれなりに広く見応えがある。
なにより冷やかしでも大丈夫な安心感がある。(たいていは小さい店が多いので入ったらなにか買わないと帰りにくい)
●タケムラ模型
マテリアル系はラジコンの物が中心でタミヤのが少々、コトブキヤなどはまったくない。
普段なに作ってるん?って聞かれて主にガンプラって答えると寂しい表情をされた。
2Fの模型コーナーは無くなった。
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●スイス
安くて美味しいお店。スイス丼が好み。
おばちゃんの手作り感があってよく行く。
彦根駅下にあるカフェ。美味しいし、持ち帰りもできるので使い勝手がよい。
●SUN-BURGER
美味しいらしい。まだ行った事無い。
http://ameblo.jp/hikone-crepe/
●銀座の回転焼き
1本横に入ったとこの回転焼き。店名は知らん。
立ち食いにちょうどいい。
●Violet ビヲレ
https://www.facebook.com/pages/Violet-ビヲレ/235827186579055
おさつ街道のとこ。
前を通るたびに食べたいな〜と思うんだが、常に満員でなかなかチャンスがない。
●ル・ヴァン・ド・ヴェール
行った事ないが美味しそう。
http://tabelog.com/shiga/A2503/A250303/25000054/dtlmap/
懐かしいような新しいようななんとも言えず美味しかった。
全席喫煙だしそういうの気になる人は無理かも。
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【娯楽】
猫分が不足してきたらたまに行く。
1000円で4回分。まあでもバット振ってるだけだと痩せねえわな。
●荒神山
とくに娯楽の施設があるわけではないが、
山頂に向かう約3キロのコースは自転車で行くとすごく身体を使うのでやりきった感がある。
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【夏】
●ゆかたまつり
通りの真ん中にステージがあって、そこで出し物などをやっている。
通りが短くあまり見所もない。
8月頭に開催される。
今のような政情不安になる少し前に男友達と2人でバンコクへ3泊4日の風俗旅行に行ってきた。
事前に色々調べて、初めてのバンコクで少し不安もあることから、MP(マッサージパーラー)と言う日本のソープのような比較的安全な風俗を中心に回ることにした。
それにしてもバンコクのMPは凄い。まず普通に大きな幹線道路と思わしき道沿いに建っている。高級MPは何も知らない人ならばホテルか百貨店と思うんじゃないだろうか?ベッカムが行ったとされるMPはまるで宮殿だ。
風俗が隔離されている日本からすると街に溶け込んでいて少し戸惑う。なんて素敵な街だ。
高級店は建物の中も本当に豪華だった。また、金魚鉢と呼ばれるひな壇に女の子が並ぶ光景は圧巻。日本の格安ソープ程の値段でモデルや女優のような女の子と遊べるし、実際に本人を目の当たりにして選ぶから、騙されることもない。
バンコク滞在中は昼と夜に風俗行って、それ以外はその辺の屋台で飲んでた。(一応バンコクの3大寺院にも行った。)
最終日の夜にバンコク最後の風俗に選んだのは日本人に人気があるとトゥクトゥクの兄ちゃんが言っていたMPだった。
店に入って席に案内され、ビールを飲みながら女の子を選ぶ。その美瀬は金魚鉢は無く、ソファーに女の子が座っていた。客側の席と近いので女の子達のアピールが凄い。なるべく目を合わさないように選んでいると、全くアピールをせずに目が合っても少し会釈する程度の女の子がいた。
可愛かった事もあり、その女の子を選ぶことにした。
部屋に着くと少し会話を試みてみた。片言の英語で話しかけると、少し日本語が分かると言うので、なるべく単語を並べる形で話した。
その子はタイ人で23歳、5年目らしい。わざわざ自分がタイ人だと名乗ることに少し違和感を覚えたが流した。
自分の事を話しやすいと感じたのか色々と愚痴を言い出した。店で掃除やベッドメイキングをするおばさんが意地悪らしい。ゴムは女の子が自腹で店から買うらしいのだが、おばさんに代金を払ったら、その後貰ってないと言われ、結局またお金を支払う事になったとか、私物を盗まれたなど。
話しいるうちに日本語がどんどん上手くなっていった。おかしいと思いながらも話しを聞いていると、気を許してくれたらしく、本当の事を教えてくれた。
実際はミャンマー人で19歳、ただし勤め始めて5年目は本当とのことだった。
19歳で5年目。噂には聞いていたが直接その話しを聞く事になるとは思わなかった。
14歳で買われて、初めてはお店で経験したとこのこと。初めての子は高いらしく、通常料金の10倍ほど。そこから少しずつ値段が下がり、18歳になると通常料金になるらしい。
それからも身の上話が続いた。
前借金で売られており、返済が終わるまであと3年はかかる
日本語は付き合っていた日本人に教えてもらった。逆にタイ語はほとんど話せない。
なぜ自分に話してくれたのか、本当に気を許してくれたのか、それともチップのために皆に話しているのかは分からない。
人身売買を現実の出来事として否応なしに受け止めなければならなくなった旅行となった。
しかし、そのミャンマーの女の子ともやることはやった。今さら善人ぶるつもりは無いし、これからも風俗に行く。
だが違法な風俗は行かないし、人身売買が無くなり、その結果MPが無くなるとすれば、それは喜びこそすれ、何も残念なことはない。