はてなキーワード: 屋台とは
元増田の言い様にどうも納得がいかないので一席ぶたせてもらう。
なお、個々人が作品から何を見出すかは千差万別であることは認識しているので、この記事を読んで意見を変えろなんて言うつもりはない。
ズートピア世界は、理性によって被食-捕食関係が終わり、共存できるようになったからこそ成立している。
理性の存在は、動物が喋る/二足歩行する/服を着る/文明化してる/etc.と同レベルの、物語における大前提である。
理性/野生の対立軸は本編前にもう終わっているのだ。
もちろん、これは「過去」として本編中でも言及はされるし、“偏見”の大本にもなっているが、この過去そのものが本編中に蘇ったりはしない。
では、元増田が見出した“野生”というのは何か?― それは“偏見”である。
「肉食動物は凶暴で草食動物を襲って食べたがっている」という偏見だ。
そしてこれはズートピアにおいて一貫して存在している、理性/偏見という対立軸の一部なのだ。
「肉食動物は凶暴」なんて、「ウサギは臆病」「キツネはずる賢い」と同種の偏見と言えば分りやすいんじゃないかな。
― 当然さ!でもそれは“野生(という名の「肉食動物への」偏見)”とは別物なんだ。
草食動物だって「野性的」で「野蛮」で「非社会的」な行動を取るだろうって?
― 当然さ!まさに黒幕がそうだったろう?
― あれは薬物による凶暴化さ。野生とは関係ないよ (薬物中毒の人間が暴れてるの見て「野生だ」って言う?)。
「理性は必ずしも野生より優れてはいない」、「理性が善、野生が悪とは限らない」、「理性ばかり肯定的に扱うな。野生にも光を!」。
しかしズートピア世界においては、過去に克服された野生にしろ、偏見としての“野生”にしろ、内容的には「共に暮らす隣人(隣獣?)を襲う」というものだ。
なに? 野生は自然だから善?それは自然主義の誤謬と言うのだ。
元増田は言う。
「ズートピアはユートピアを意識しているはずなのに、ユートピア文学等を踏まえた批判/論評が盛り込まれていない!つまらん!」
さて思い出してほしい。ズートピアはユートピア/ディストピア的な世界だっただろうか?
初期案(肉食動物に電気ショック首輪等々)であれば、これはなるほどユートピア/ディストピア的世界だと言えよう。
映画があって道路があって、スマホもあるし、屋台、車、電車、etc。職業だって警官からお役人、詐欺師もいれば泥棒だっている。
では、我々の世界はユートピア/ディストピア的だろうか?―もちろん答えは「いいえ」だ。
単に、ズートピアは作品の名前であり、都市の名前であり、ZooとUtopiaの合成語である。
ユートピアの俗語的な意味、すなわち“理想郷”的な意味合いは持たせているだろうが、それだけだ。
ぱっと見、理想郷にも思えるような、動物たちの共存する大都市ズートピア。
そこにも現実の、我々人間の世界と同じように偏見があり、差別がある。そういう世界。
タイトルがユートピアのもじりだからって、ユートピア的世界観なわけでなし、なんでわざわざ関係ない批評を盛り込む必要があるのか。(もちろん盛り込んでも良いが)
ズートピアはZooという単語も含んでいるわけだが、動物学(Zoology)の観点からの批評とか盛り込むべきだと思う?私は思わない。それと同じさ。
以下のブログ記事では「野生」の原語(Biology, Biological)について示してある。(全部ではない?)
値段が高い。
一品の量が少ないのに値段が高すぎ。お祭り価格と言われても納得できない。普通はお祭り価格というのは「お祭り」というメインイベントがあって、それに便乗する形で屋台がぼったくるというものだが、肉フェスなどの昨今の食べ物イベントの場合は、「お祭り」=「食べ物」という図式で、なんで食べ物目当てにわざわざ高いカネ払って食べ物買いに行かなきゃいかんねん!ってなる。わざわざ混みあう会場に高額商品を食べに行く意味がない。
これが近所の朝市などのイベントだったら、生産者から直接買うから安く大量に購入できて行く意味がある。加工品を売る店では試食もさせてくれて満足度は高い。漁師町のイベントならたいてい無料試食イベントが開催される。
明らかに向き不向きがハッキリしていて、尚且つ向いている人が少ない開発に比べたら、運用の方が間口が広い(=向いている人が比較的多い)と一般には言われている。
この業界に入ってから数年前まで開発一筋で来て、それからつい最近まで運用チームに加わっていたのだが、とにかく他の人に比べて明らかに動けなかった。
そもそも自分は「パッと見で動いてんだったら放っときゃいいじゃん」という人間なので、毎日毎日ルーチンワークで目配せがずっと続くとか、その時点でゲンナリだった。
それから、監視対象の各機器(ストレージ・セキュリティ系アプライアンス・スイッチ等)や各種ミドルウェアはメーカーごとに仕様が違いすぎて、またその仕様も込み入っていることが面倒で、それぞれのオペレーションを覚えるのも苦痛だった。
てかそんなモノに、一体どう興味を持てというんだ?
当然、どれもこれも大まかに把握している程度に留まってしまい、そういう中途半端な理解だと、トラブった時に大変になると。
やたら読みにくいマニュアル片手に原因を探り、それでも分からないのでメーカーに問い合わせてログ提出→回答を元にオペレーション→やっぱり動かないみたいなケースが何度あったことか。
もちろん、そんな人間に重要な機器は任せられないので、自分などいてもいなくてもいいポジションに終始することになった。
そんな自分の経験から、運用業務に代表されるような、ああいう灯台守みたいな業務をテキパキこなせる人は心底凄いと思う。
個人的には運用なんてもう金輪際やりたくないけど、一つだけ、開発と違って基本何も起きなければ残業無しという点はとても魅力的なのだ。
一方、開発の「ややこしい物事を、コードやドキュメントという形で、可能な限りシンプルかつ分かりやすい内容にまとめていく」感覚が何者にも代え難いのは間違いないが、夜遅いのだけは本当に何とかして欲しい。
昔、一人屋台で小さく短い開発案件ばかりやっていた時は比較的時間の自由が効いたけど、今はもうそんな仕事ないし。
うちの夫も所謂マザコンというやつだったということに気付いて、がっかりしている。
サラリーマン世帯の夫婦と子供が、遠方の実家・義実家に帰省する。
年末年始といえども、直前まで取り掛かっていた仕事の後片付け、
本意なら良いだろう。
義実家に諸手をあげて帰りたいひとなんかどれだけいるの?
やっとたどり着いたと思ったら、「男の人は普段頑張っているからね」でダラダラと横に長くなった姿をしり目に、女…特に若い女性は、子どもの世話(実家で粗相があったら大変!!)、集った親戚一同の食事の世話。首をかしげるばかりの義実家の慣習に、感心したテイで付き従う。嫌でも暮らしぶりなんかも見えてしまって、モヤる。「あれウチから援助してるはずなのにこの豪華な食材…。」
だいたい、お節なんかイマドキの食生活・食文化との乖離著しいだろう。口に合うわけない。アワビだって、あんなひんやりして、出汁は気を使ったか知らないが「甘辛く煮た」一辺倒より、鉄板で手際よく炒めてもらってワインと頂いたほうが美味しいに決まってる。
そんなもん、なんで廃止できないんだろうとツラツラと考えてみたけれども。
結局のところ、舅・姑の沽券なんだろう。
「あらお宅今年のお正月はどうするの?」
「ご次男は帰ってこられるの?」
「お孫さんの子守りでお疲れですよねぇ!」
自分の功績とばかり、親族並べ集めて、満足する舅のためなんじゃないの?
不平不満が多い割に決してやめたがらない(なぜなら存在理由が薄まってしまうから)姑のお仕事を奪わないためなんじゃないの?
…そんなことしてる場合じゃないだろう。
正月明けは、どこの幼児も体調壊して小児科は大活況なんじゃねぇの?
「○○さん子どもの嘔吐下痢症で休暇延長だって~」でハラスメントの嵐なんじゃねぇの?
なんで自ら地獄を濃くするのようなことを選択できようか。
とか言ってるらしいけど、ちゃんちゃら可笑しすぎるが突っ込む余裕もない。
根本から間違っているので、突っ込んだところで軌道修正では間に合わない。
これ読んで女うるせーなって思うんだろうけど、言ってる場合か、と。
一人当たりGDPが香港、シンガにも負けてOECD20位らしいッスね。
当たり前だよ。
かの国たちはイチイチ朝ごはんを自宅で準備したりしない国じゃない?屋台で食べていくパターン。
数日とか、一日未満の滞在でも聞くぐらいだから、他にも色々と違うんだろうよ。
親父の世代に憧れて、自分もなんとかして、若い嫁もらって上げ膳さげ膳で暮らせないか、暮らせないとしたら女が悪い、ぐらいに思ってんのかもしれないけど、なわけねーだろうがよ。
ああ美しきかな日本国。
こんなのやめましょう、って言えない私も、その一端なんだろうけれど。
地元の人が楽しい祭りと観光客を呼べる祭りを両立するのって簡単な話じゃないし、
海上花火大会とか、地元の人も楽しめるイベントはいっぱいあるやろ。
結局の所、全ての人に恩恵があるような町おこしの方法なんてないし、
だからこそシーズンや流行が過ぎても安定してやっていけるように
いろんな強みを持っておかなければならない訳で。
どのサイトを見ても楽しそうで現地の人も大歓迎ムード、町おこしに一役買っているとオタクを褒める内容ばかりだ。
実際そのアニメは出来がよく、普段アニメを見ることのない自分でも楽しめた良作だと思った。
当日はあいにくの雨だったが朝から現地入りし、会場まである地元民の車に同乗させて頂いた。
そこで何気なく「やっぱりアニメ効果は凄いですか。見渡す限り男性ばかりですね」と言うと、
事前情報として聞いていた地元民は協力的で喜んでいる、とは真逆の答えが返ってきた。
「そんなの、一部のお店と青年会だけですよ。
住むわけでもないのに騒ぐだけ騒いで、過疎化した町に何の恩恵もないです」
実際町を見ると、一部の商店街は所狭しとオタクが群がって歩いているが、店の方はただ店番が座っているだけ。
やる気のある?店もあるにはあるが、ほぼ八割の店がなんらアクションなく道行く人をじっと椅子に座って眺めている。
町おこしの観点から言えば、今売れるだけ売ってその資金を元手に改装をし事業展開をし、来たる日の為に延命を図るべきなのだろう。
しかし気まぐれに訪れ、いつ来なくなるともしれないオタクの為に借金を背負えるほど店主達は若くはなく、
跡継ぎがいるわけでもなく古い寂れた店構えのまま、ただ言われるがままにアニメキャラのパネルを置いて座っている。
オタクに迷惑はかけられることはあっても、金が入ってくるわけでも未来があるわけでもない。
そもそも本来こういった地方商店の休業日は日曜日なのだが、店の前を歩くオタクの為だけに、パネルを見せて写真を
撮らせるだけの為に日曜でも店を開けているという。
「知人の娘はコスプレしないんですか?とセクハラを受けるので接客業をやめました。今は水戸に住んでいます
このお祭りもこれだけオタクが多ければ地元民は誰も来ない。駐車場も使えないしステージは朝から占拠される」
雨合羽を着込んだファンが所狭しと並んで座っている。自分はそこの町の高校の演奏が聞きたかったが断念した。
「普通、地元の祭りなんて傘があれば十分なんですけどね…Aさんの町のお祭り、雨合羽持参で来る人なんています?
当然のマナーって言われるんですけど僕らのマナーはむしろ、見たいショー以外は退くのがマナーですよ」
もうこれは地元民の為の祭りではなかった。見渡す限りオタク。それもテンションの高い成人男性ばかり。
「税金を納めている地元民が楽しめない祭りなんですよ。儲かっているのはここに屋台を出している店と宿泊業と交通機関だけ。
それだけで後の364日を賄えると思いますか?364日を支えている地元民は今日一日じっと耐えるだけです」
早く去ってくれと願っていると彼は言った。
宿泊施設に勤める奥様からもお話を伺ったが、似たようなため息混じりの口調だった。
愛想笑いが辛いという。
「俺の嫁なんですよ!とか言われてもなんて返せばいいんです?気持ち悪いですねとも言えないし
この人たち全員独身なの?ってゾッとします。目がもう普通の人間の目じゃないです
ありがとうございます、と言うだけです。ここが好きと言われても好きなのはテレビの中のこの町でしょうに」
ましてやディズニーランドのキャストでもないし、演出を手伝う義務もない。
自分が見る限り、地元民の半数の目は死んでいた。愛想悪くふるまう住人も多かった。
でもそれはきっと彼らのせいではない。それだけの理由があるのだ。
聖地最高!と叫ぶのはいいが、本当に、本当にオタクが思うほど歓迎されているのか。
何かに異議を主張したいなら、普通は例えば次のような流れで書くのだ。
AについてBだと言う人が居る。
だが私はCだと思う。
よってAについてはBではなくCだと思う。いかがか?
だが元増田は
AについてBだと言う人が居る。
あれなんなの?
BだったらB1になるじゃないですか。それにB2にもなる。B3だっていうんですか?
わたしはCだと思う。それはC1だし。
Eについてはわかるんですよ。
と、やっているように私には見える。ポンポン提示される話題とそれ以前に出してきた話題との関係が把握できず読者は落ち着かないまま連れまわされて、最後に憤慨している増田と対面したまま放置される。これでは納得してもらえない。
文章として圧倒的に足りないのは、話題と話題との関係を示す次のような言葉だ。「すると」(順接)「一方」(対置)「また」(並置)(参考:http://pothos.main.jp/setuzokusi.htm (適当にぐぐった))「ここでこの話題だったら関係なんて当然分かるでしょ」などと思ってはいけない。こういった語を使い明示的にマークして読者を案内するんだ。
それから(根本的には同じことなのだが)話を展開したら主張を成立させるために最初に戻る必要がある。だがそれが無いまま次々と突き進んでいる。普通は「なぜなら」(理由)「例えば」(例示)「もし」(仮定)といった語で展開していったら「なので」「だから」といった語で「そこまでの流れが締めくくられますよ」ということを明示して、そこまでの主張を示すものだ。
こういった文章の場合、読者は話題に馴染んでいようとも「うんうん。わかるわ~」という姿勢で逐次飲み込むのではなく、賛否を一旦保留したまま「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。で?」という姿勢で、示された事を順次仮置きしながら読んでいる。その流れの中に締めくくりの語が来ると、それを手がかりに「なるほどそうだね」とか「いや違うと思うな」と読み手なりの評価をして仮置きを取り崩す。そういうようにして読み進める。
だが、明示が無いと仮置きをいつ止めればいいのか分からない。仮置きとして覚えていられる量には限りがあるので、過度に詰まれ続けると読者は「意味わかんね」と放り出してしまう。場合によっては無用な負荷をしいた筆者にちょっとした怒りさえ感じるかもしれない。だからいちいち「ここで一旦終わり」という事を示して読者の負担を取り除いてやる必要がある。
(元増田は書き手の前に読み手として、こういう仮置きしていく読み方が会得できてないのかもしれない。元の話題の「本気なんですかね」も、そういう読み足りなさから来ている誤解な気もするよ。前後を見ずにその部分を飲み込もうとして「おぇぇ」ってなってるんじゃないかとね。)
自説の説得力を高めようとする場合に、話題を沢山持ち込んで「だってほらこんなに」とするのは悪手だ。沢山伝えたい話題を抱えていても読者に納得感が高いだろう少数を選りすぐって話し、まずは一旦結論まで持ち込んだほうがいい。それでも言いたいならその後で「こう思うかもしれないが、こうだよ」と補足していけばいい。最初の屋台骨がしっかりしていればそういった後付は受け入れられる。
元増田の文章はどこが骨でどこが尾ひれなのか読み取れないのだ。物語文章などでは初回の読書ではどこが核心なのか分からないから面白いのだが、こういう論説文では、これもまた仮置きを強要するので読み手をイライラさせてしまい嫌われる。
プロパンガスのボンベが苦手だ。
横を通る時に手に汗握るどころではなく、
ものすごく緊張し、脂汗がポタポタとしたたる。
屋台でつかっている小型のやつでも緊張する。
カセットコンロはなんとか汗がにじむ程度で済む。
とはいえ、居酒屋で鍋飲み会みたいな会合にはいかないようにしている。
(変にみられるからだ)
そんなボンベを避けて生きてきたわたしが今月から京都の田舎にある研究所に配属となった。
ところが田舎なので都市ガスではなくプロパンガスを使っている。
想定外だった。
さっき、上司にプロパンガスを使っているところでは生活できないと説明したが、
本気にされず「田舎も慣れるといいもんだよ」とさらりとかわされた。
頭が爆発しそうだ。
○昼食:揚げピザ(お祭りみたいなのがやってて、そこの屋台で食べた)
○夕食:多分パスタのたぐいを作る
○調子
病院に行ってきた。
昨日の箇条書き(昨日のゲーム日記を見てね)を見せて、診断を受けた。
たくさん薬を出してもらった。
診断は「解離性障害」だった。
正直、病名だけ聞いてもよくわからないし、検索してもよくわからない。
病院の先生は会社を休んだ方が良いと言われるが、試用期間中に傷病が理由で、長期の休みをとるわけにはいかないと思い、
それは拒否した。
とはいえ、来週からの仕事がちゃんとできるかはハッキリ言ってわからない。
いや、正直、無理な気がしてならない。
どうしたらいいのだろう。
どうすればいいのだろう。
何も分からない。
父親は甘えだと言う、みんな同じで、お前が特別ではない、と言う。
本当にその通りなんだろうか?
よくわからない。
オーストラリアに行った時にホームステイ先がこれだった。びっくりしたので他のオーストラリア人に聞いたけど綺麗な水で洗い流すという人はいなかった。なんでもシンクに水を張り、洗剤を適当に入れてその中に洗い物を入れ、スポンジでこすって乾かすだけだそうだ。汚くないのか聞いたが「汚れは残らないし洗剤は無害だから問題がない」らしい「でも日本では……」という話をすると「……神経質すぎでしょwww」と逆に笑われてしまった。
いいことを聞いた。ズボラな僕はさっそく実践してみることにした。万一他人に文句を言われても「はあ? オーストラリアではこれが普通だしー。神経質すぎでしょww」ととぼければいい。
実はたいていの合成の台所用洗剤はそもそも薄めて使うものである。ウソだと思ったら洗剤の裏を見よう。ちゃんと薄めるように書いてある。うちので1リットルに小さじ1だ。タライに3リットル入るとして大さじ1が適量となる。
コツとしては、明らかな汚れは事前にキッチンペーパーなどで取り除いておくことだ。また炒めものをしたフライパンのようにギトギトしたものは別にして最後に洗う。
洗い方は簡単で洗剤水のなかでスポンジでまんべんなくこするだけ。指でキュッと音がすれば汚れは落ちている。例えば皿ならそのまま引き上げて立てて乾燥させる。コップは水切棚の網状のところに伏せる。複雑な形をしたものは軽く振って水を払うといい。水切れがいいので思ったほどタライの水は残らない。たとえば次にコップで水を飲む時に水が泡立つというようなことは一切ない(泡立つなら水切りが足りないか洗剤が濃いのだ)。
それから洗ったものを指でこすってキュッっと言わなくなったらその洗剤水は限界なので捨てて新しく作りなおす。
うちではフライパンの持ち手がどうしてもキュッとならないので別洗いしている。だが鍋部分はテフロンだから上記の方法だ。しばらくやってみているが水や洗剤の節約にもなるし、洗うのが断然早くなる。不潔さも感じない。ズボラな人にはお勧めだ。ただし合成洗剤は毒だと信じこんでるロハスな嫁や友人に提案すべきではない。
実はこの方法は俺が高校生のころ飲食のバイトでもしていたことがある。その時はタライではなくて大きなシンクが2つ、1つが洗剤が入ってるやつでもう一つがすすぎ用だ。洗い方は同じで洗剤水の中でスポンジでこするだけ。その後一瞬すすぎのシンクに沈めてから干すのが唯一の違いだ。「さすがに擦っだだけで干すのはちょっと」という人はこのすすぎ水方式も検討してみるといいだろう。多分食洗機がない外食産業(特に屋台)なんかは今でもこれだ。外食でそういう食器で食って平気なんだから家で食っても平気だって。
女子高生とセックスしたいけど、いましたら犯罪になるし、やらせてくれる子もそもそもいない。
っていうか、僕は年の離れた男に簡単にやらせるような子とはあんまりしたくない。そりゃ、目の前に裸でいたら襲っちゃうけど。
生まれ変わりシステムがあるなら、死んで高校三年間をやり直したい。
今度は真面目な進学校じゃなくてそこそこの高校に進学しよう。そうすれば、勉強が頭の隅に常にある生活じゃなくて、頭の中を女の子のことだけにして青春を送れそう。
バレー部のいかにも女子高生な黒髪ロングな女の子と席が隣になって、休み時間に喋ってる内にお互い意識し出して、一学期も終わりが近づくとなんだか寂しくなって終業式の日に告白してウキウキワクワクの夏休みを送りたい。
初Hは彼女の部屋でなかなか上手くいかないけど、なんだかお互い幸福感に包まれながら抱き合ってお互いの体温を感じてたい。んで、次第にセックスの楽しさにお互い目覚めて毎日やりまくりの日を過ごすんだ。
花火大会の日は浴衣を着て屋台を楽しむけど、いざ花火が始まると茂みに隠れながら花火を見ながらの野外プレーを楽しむ。
いざ学校が始まると、花火大会の日の興奮がお互い忘れられず、空き教室とか体育館でスリルを味わいながらセックスしたい。
冬になったら抱き合って、あったかいねウフフとかしてみたい。夏服冬服スク水ユニフォームそれぞれで着衣プレーも忘れてはいけない。着衣プレーで使って少し汚れた制服を彼女に着せて一日過ごさせたい。
新学年になったら、彼女のことを好きな後輩が告白するけど、当然我が彼女は僕を選んで、二人で後輩のことを嘲笑いながらセックスしたい。
清楚でクラスのマドンナだけど、自分の前では淫乱痴女の彼女を思い浮かべながらのオナニーも乙なものだろう。
卒業したらお互い別の大学に進み疎遠になって自然消滅するけど、久しぶりに彼女と会って、彼氏のセックスの愚痴を聞く内にラブホテルに行く流れになり、彼女にやっぱり増田君じゃなきゃダメっっっとか言わせたい。なんやかんやでよりは戻さず、彼女は大学時代の彼氏と結婚することになり、結婚式にこっそり潜り込み高校時代の彼女のハメ撮りを見ながら感傷に浸りたい。
書いてて辛くなってきた。どうせこれから好きな人と出会っても、高校時代にセックスしてた人なら諦めて普通に死ぬと思う。
高校時代にセックス出来たかどうかの差は大きい。その後の人生でどんなことをしたって取り返せない。
童貞で成人した自分に耐え切れず、出会い系で汗臭いヤンキー風アラサーに3万ぼったくられて童貞卒業する引きこもりの現実なんてないんや……。
ああ死にたい。