はてなキーワード: 会頭とは
・東海高校卒で成城大学卒だと人間扱いされないので慶應の大学院で学歴ロンダ
・(青年会議所は40代以下しか所属できない、公益社団法人だが実質的に自民党の支持母体)
・会社経営そっちのけで青年会議所活動に専念、日本青年会議所会頭に就任
・2007年に書籍「誇り高き国 日本―この国に生まれて本当に良かった」を出版。著者プロフィール欄には正常大卒は記載せず慶應大学院卒とだけ記載
・2014年、民主党の近藤昭一(上智法卒)に敗北。比例で復活当選
・2017年、また民主党の近藤昭一(上智法卒)に敗北。比例で復活当選
・2021年、またまた民主党の近藤昭一(上智法卒)に敗北。比例で復活当選
・2021年秋、3回小選挙区で負けて大学受験も失敗してるのに岸田政権が文部科学副大臣に任命
・統一教会とズブズブ、イベントで講演して広告塔になっているのがバレる。暗殺1ヶ月後に岸田によりしれっと副大臣から外される
・右派アピールが凄まじいのにメインのタニマチがパチンコ屋だったのもバレる
・2023年11月 しんぶん赤旗が安倍派の裏金問題をスクープし、文春砲が追撃
・2023年12月5日から国会をトンズラし逃亡。連絡がとれなくなる
・知り合いには「体調不良で点滴をしている」といいつつ証拠隠滅を開始、メールデータを削除
・2024年1月1日 能登の地震が起きてホッと一安心、証拠も隠滅したしほくそ笑む
・2023年1月7日 「地震を喜んでんじゃねえぞ」と鬼の東京地検特捜部により逮捕
監事として「小原 正敏 きっかわ法律事務所 代表弁護士」の名前が書かれてるんだけど
調べると、大阪弁護士会会長、日本弁護士連合会の副会長の経歴があり、
https://www.kikkawalaw.com/professionals/p-4497/
こういう弁護士会のトップに居る方が監事を務めているのに、なぜ
「時間外労働の上限規制を建設業界に適用しないよう政府に求めた」
という事案が起きたのだろうか?
弁護士という立場で監事として名を連ねてるなら、何かしら声明を出してほしいんだが。
鳥井 信吾 関西商工会議所連合会 会長・大阪商工会議所 会頭
福本 ともみ サントリーホールディングス株式会社 顧問 CSRアンバサダー
芳野 友子 日本労働組合総連合会 会長
監事
しかし、北海道の事業は当時の金額で1400万円もの巨額な予算を官費から出したものの、多くがあまりうまくいかなかった。
だから、それらの事業を民間に払い下げることにしたが、財界人は誰も見向きもしない。
そこで、開拓使長官だった黒田清隆は、大阪の経済を復興させていた事業家、五代友厚に相談した。
五代友厚はちょうど大阪の商人たちと関西貿易社という会社を作ったばかりで、
北海道での貿易も視野に入れていたので、それらの事業を引き受けることにした。
誰も見向きもしなかった事業なだけに、38万円という破格の安さで、諸事業は関西貿易社に払い下げられた。
ところが、黒田清隆と五代友厚は二人とも同郷の薩摩出身だったことが、問題となった。
薩長主導の政治に反発していた非薩長の政治家たちが、「黒田と五代が結びついて癒着している」ということを糾弾し始めたのである。
それをマスコミが面白おかしく取り上げ、癒着疑惑は全国で話題となった。
これによって、五代友厚は方々から攻撃をされることになり、大阪商工会議所の初代会頭など重職を辞任しなければならなくなった。
この事件によって、五代友厚は心労が祟り、その数年後に病死してしまうことになる。
だが、五代友厚は無実であり、政争に巻き込まれたというだけである。
ここまではわかる。
ネット社会になってからは、ますます炎上の頻度が多くなってきた。
何か問題があったという話題には、無関係な国民がやたら文句を言う。
マスク程度の予防で良かっただけなのに、多くの人が非難の声を上げたことで、
無意味な緊急事態宣言を敷くどころか、それを長引かせる結果になってしまった。
そうやって、たくさんの人民の声が、発展のための偉業を阻止する、円滑だった経済を止める、といったことは、歴史の常である。
仕方のないことではあるのだが、せめて、
ここはぜんぜんわからん。
せっかく前半がいい話だったのになんでこうなるんだ…
って感じかな
コロナ対応を担当する西村氏はこの日、中京圏と九州圏の経済団体とテレビ会議に参加。西村氏は冒頭、「中京圏、九州圏は感染が厳しい状況で、医療の逼迫(ひっぱく)もある」と指摘。「平日の昼の人流を減らすため、テレワークをお願いしたい」と述べ、出勤者を減らす努力を求めた。
政府はテレワーク実施による「出勤者数7割減」を目指し、19日からは企業や団体の取り組み状況を公表している。西村氏は、この公表に協力したのが中京圏で10社、九州圏で7社のみだったことも指摘した。
テレビ会議に参加した各団体は、西村氏の要請に協力する考えを表明したものの、感染拡大防止策としてテレワークを強調する西村氏に対しては異論が噴出。名古屋商工会議所の山本亜土会頭は「もう、そういう段階で解決できるのはちょっと厳しい」と反論。「現状を打破する唯一の手段はワクチンの接種だ。これ以外に有効な手立てがないんじゃないか」と訴えた。
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。
おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロックの役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。
統一教会よりマシか?
変更前
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
変更後
Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。
偉大なる元増田様
https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済)
https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045
archive.is
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
新たな「世界の工場」はどこに 優勢失う中国 2016/01/25 12:01
グローバル化はアップルやGE、AT&Tなどの大企業に、労働コストが最もかからない国での工場開設を可能にした。そして中国は、これら企業が真っ先に選ぶ国になった。だが、その中国は今、そうした支配的な立場を失いつつある。中国の人件費はもはや、以前ほど安くはない。
中国での製造コストは2010年以降、毎年およそ16%上昇。他のどの国よりも急速に伸び続けた。急速な高齢化と生産性の高い労働力の増加がその理由だ。
中国政府は1970年代、人口過多への懸念から出生率の抑制を目的とした一人っ子政策を導入。しかし、実施から40年以上がたち、その結果としてあらわれたのが急速に進む高齢化だった。この間に生まれた子供たちの数は、退職していく労働力を補うのに十分ではない。中国は、世界各国の需要を満たせるだけの製品の製造を担う生産年齢人口が不足している。
1
出典: fDiベンチマーク
中国の新たな世代の労働者たちは、人数が減った一方で親の世代より生産性が高い。コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーによると、2007~12年の中国の労働生産性は11%上昇。同じ期間、タイとインドネシアはそれぞれ、7%と8%の伸びだった。また、中国では希望以上の賃金を得る労働者が増加。こうした労働コストの上昇が、製造業に携わる多国籍企業の目を他の国々に向けさせている。
コンサルティング会社KPMGがまとめたデータによれば、中国の製造業への外国直接投資(FDI)は、2010~14年の間に約20%減少。在中国の欧州連合(EU)商工会議所のイェルク・ブトケ会頭は、中国での製造コストは2020年までに2~3倍に増加し、「世界の工場」としての優勢を失うと予想している。
次なる「世界の工場は」どこに?
世界の製造業が次に目指すのはどこだろうか?一部はすでに、東南アジアに移転している。
だが、別の場所の方が少し経費を削減できるからといって、工場を移転させるのは簡単なことではない。移転による利益の増加を目指すならば、コストには相当の差がなくてはならない。
inRead invented by Teads
中国と東南アジア各国の製造コストの差は、下図に示すとおり広がり続けている。例えば、製造業に従事する労働者の賃金は、中国の1ドルに対してタイは40セント、インドネシアはわずか8セントとなっている。グラフに示されていないカンボジアやベトナムは、これらをさらに下回る。
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出典: ボストン・コンサルティング・グループ、ウォール・ストリート・ジャーナル、トゥルーウェルス・パブリッシング
東南アジア各国は労働人口が多く、人件費が安くビジネス環境も良好だ。中国に工場を持つ多国籍企業の一部はすでに、「中国プラス1」と呼ぶ戦略を実施している。中国工場は維持しながら、別の国に新工場を開設するのだ。そして、この戦略から大きな恩恵を受けているのが、東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国の一部だ。
同地域では、域内のより活発な貿易の促進を目指し、ASEAN経済共同体(AEC)が創設された。外資規制の緩和などに向けて準備を進めており、多国籍企業にとっての魅力は一層増している。脱中国の動きは、今後も加速していくだろう。
あなたはご存知ですか?
今、広島市でサッカースタジアム建設をめぐって問題があることを。
あなたはご存知ですか?
サンフレッチェ広島は、その前身の東洋工業蹴球部及びマツダサッカークラブ時代を含めると、
1938年から続く歴史がある強豪サッカーチームであることを。
あなたはご存知ですか?
Jリーグ創設時に、サンフレッチェの母体となるマツダ側は財政的理由から降りようところを、
当時の広島市長や広島県知事がマツダ側へお願いして、マツダ側がJリーグ参加に了承したことを。
あなたはご存知ですか?
1997年から1998年にかけて、サンフレッチェが経営危機に陥ったとき、当時の官民のトップ達が、
デオデオ(現エディオン)の久保社長(現サンフレッチェ会長)へお願いして、久保社長がクラブ運営を始めることとなったことを。
あなたはご存知ですか?
エディオンは、サンフレッチェへ現在まで約70億円以上も出資したことを。
あなたはご存知ですか?
2012年に、サンフレッチェがJ1で優勝をした後、広島市の松井市長はサンフレッチェの関係者に対して、
「サッカースタジアムを要望するなら少なくとも3度優勝してください」とスピーチしたことを。
そして、サンフレッチェは2012年・2013年・2015年の3度優勝したことを。
あなたはご存知ですか?
2013年1月に、旧市民球場跡地へのサッカースタジアム建設を要望する署名が37万筆以上も集められて
あなたはご存知ですか?
2014年11月に、広島県・広島市・広島商工会議所・広島県サッカー協会の設置したサッカースタジアム検討協議会が
建設候補地を「旧市民球場跡地」と「広島みなと公園」の2案にまとめ提出して以降、
2016年3月3日にサンフレッチェが記者会見を行うまで広島市も広島県もサンフレッチェへ意見を聞きに来ることはなかったことを。
あなたはご存知ですか?
広島市・広島県・広島商工会議所の実務担当者で構成されるサッカースタジアム作業部会の議事録は公開されていないことを。
あなたはご存知ですか?
サッカースタジアム作業部会の広島みなと公園案は、駐車場1000台分を建設地から直線距離4kmに位置するマリーナホップに確保し、
船でみなと公園まで観客を輸送する計画であり、その費用をサンフレッチェが負担しなくてはならないということを。
あなたはご存知ですか?
サッカースタジアム作業部会の広島みなと公園案は、交通手段において、
広島駅からみなと公園まで広島電鉄の路面電車を1時間に約90秒間隔で観客を運ぶ計画であるということを。
あなたはご存知ですか?
サッカースタジアム作業部会の旧市民球場跡地案では、3万人規模で整備費が260億円であることに比べて
サンフレッチェの旧広島市民球場跡地案は、2万5千人規模で整備費が140億円であり、
あなたはご存知ですか?
広島みなと公園案は、整備費の負担を広島市または広島県がする可能性が高いことに比べて、
サンフレッチェの旧広島市民球場跡地案は、整備費の負担を広島市及び広島県に求めていないことを。
あなたはご存知ですか?
Jリーグのクラブライセンス制度では、3年連続で赤字を出したクラブはJ1から降格してしまうことを。
あなたはご存知ですか?
Jリーグのクラブライセンス制度では、現在のエディオンスタジアムは施設基準を満たしていないことを。
あなたはご存知ですか?
サンフレッチェは、広島市や広島県から本拠地を移転させるという選択肢も取り得ることを。
あなたはご存知ですか?
エディオンは、サンフレッチェの経営から完全に手を引いて支援しないという選択肢も取り得ることを。
あなたはご存知ですか?
今、広島の宝と言えるサンフレッチェが広島からなくなる危機にあるかもしれないということを。
今、広島市でサッカースタジアム建設をめぐって問題があることを知ったあなたが、
サンフレッチェの旧広島市民球場跡地案は、決してサンフレッチェのワガママな主張等でないと理解されることを信じて、
ウィキペディアやサンフレッチェのホームページや新聞記事やサンフレッチェを応援する広島市議会議員のブログをまとめてみました。
サンフレッチェによるサッカースタジアム「ヒロシマ・ピース・メモリアル・スタジアム」の建設提案の内容は、次のところへあります。
サッカースタジアム「ヒロシマ・ピース・メモリアル・スタジアム」建設へ向けて | サンフレッチェ広島 | SANFRECCE HIROSHIMA
なお、広島市にサッカースタジアムがなかなか建設されない経緯については、次の記事が詳しいです。
広島にサッカースタジアムが建設されないのは、なぜなのか? 苦闘の歴史を詳細に振り返る | サッカーキング
また、港湾関係者に対するサッカースタジアム作業部会による説明の様子は次のFacebookが詳しいです。
私は、他市・他県・他国の方達から、なぜ広島の人はサンフレッチェを大切にしなかったの?と聞かれて答えられない人にはなりたくない、
そんな思いでここの文章を書きました。
サンフレッチェは、FIFAクラブワールドカップで3位になったこともある、広島が世界にも誇れるサッカークラブですから。
おまけ
サンフレッチェのサポーターとして、広島市民として、広島県民として、有権者として、納税者として、
サッカースタジアムに行くかもしれない施設利用者として、それぞれの立場でできることがあると思います。
・周りの人達へ広島市でサッカースタジアム建設をめぐって問題があることを広く知らせること。
そして、サンフレッチェを応援したいと思った時にできることも伝えること。
・サンフレッチェへの応援の声を試合を見に行ったり、メールや電話等をして届けること。
・広島市や広島県や広島商工会議所のサッカースタジアム作業部会の担当部署へ問い合わせの電話をして、
「旧市民球場跡地」と「広島みなと公園」の2案に対する疑問点や同様の問い合わせが他に何件あるかを聞いたり、
自分の意見や要望を述べて、その意見等を市長や県知事や会頭に届けるように伝えること。
(なお、論理的に話しつつ、業務の妨げにならないように気を付けましょう。)
・新聞の読者欄へこの問題に対する自分の意見や要望を投稿すること。
・報道番組・サッカー番組・新聞・週刊誌へこの問題を取り上げるように希望する意見や要望をメールや電話等で届けること。
そして、この問題を取り上げたところへ、その視聴・購読した意見や感想をメールや電話等で届けること。
・広島市民や広島県民の場合、地元選出の広島市議会議員や広島県議会議員達に対して、スタジアム整備費に市税や県税が支出されることの
是非について、自分の意見や要望を直接会って伝えたり、メールや電話等で届けること。
・広島市民や広島県民の場合、他の地方自治体へふるさと納税を行うことで、広島市や広島県へ納める住民税を減らすことができます。
・広島市民や広島県民ではない場合、広島市や広島県へふるさと納税することで、
旧市民球場跡地でのサッカースタジアム周辺整備費を応援できます。
(上記の意見や要望を伝える際に、ふるさと納税のことを合わせて伝えてみると面白いかもしれないです。
住民税の控除限度額5万円の広島市民2万人がふるさと納税を限度額まで利用すれば、
それが毎年続き10年も減少し続ければ累計で100億円になります。
ちなみに、企業版ふるさと納税も2016年度からスタートするようです。)
一人一人は微力であっても、サンフレッチェの力になることを信じて。
1998年2月14日、日本青年会議所の幹部ら33人が、北海道旭川市駅前のホテル地下の居酒屋でハレンチな猥褻行為を目的とした会合を行なった。旭川JCメンバーと日本JC会議スタッフが「今日はバレンタインデーなので、旭川では女体盛りを用意しました」と、コンパニオンとして呼んだ16歳の少女を全裸にし刺身を盛り付けたパーティーを企画していた。その場にいた日本JC議長と副議長4人を含むメンバーらは、「一瞬「おおっ!」と驚きの声を上げ、次いで蜜にたかる蟻のように女体盛りに群がった」。「初め女の子はサングラスをかけていたが、乗ってくるとそれをはずし、脚も開いた。なかには刺身を股や乳首にくっつけてから食べる」JCメンバーもいた。事件は6月になって少女が補導され、パーティーの顛末を話したことで発覚した。10月に議長らは旭川中央警察署で事情聴取を受け、逮捕者を4人出した。少女を手配した1996年衆院選に北海道6区から出馬している不動産会社役員の東京JC会員(27)は売春防止法違反と北海道青少年保護育成条例違反で逮捕され、東京JCを除名処分となった。当時、松山建設代表取締役社長で(社)日本青年会議所副会頭だった松山政司参議院議員(当時39歳、翌1999年度日本JC会頭就任)もその場に参加していたとして問題になった。1998年11月3日と17日発売の写真週刊誌『FLASH』に「「女体盛り」逮捕犯」「あ!日本青年会議所(JC)議長のハシが乳首を!!刺身「女体盛り」ハレンチ写真」などの表紙見出しで、現場写真が2号連続で掲載された。
TPP(環太平洋連携協定)交渉参加へ向けた日米事前協議が12日決着し、日本が7月にも交渉に参加する見込みになったことで道内の農業・産業関係者に激震が走るなか、自民党道連のTPPに関する情勢報告会が14日、北見市内のホテルで開かれた。自民党側は「安倍総理は北海道を守る、と言っている。党道連は乳製品など農業の重要品目は死守する考えだ」と述べたが、出席者からは「一刻も早く交渉参加から撤退すべきだ」「自民党の裏切り行為だ」などの批判の声が相次いだ。
網走管内の自治体や経済団体の関係者ら140人が出席した。冒頭にあいさつした自民党道連・議員会TPP問題対策本部長の今津寛衆議は、先の衆議院選挙で自民党の道内候補が「交渉参加断固反対」を唱えていたこととの矛盾について「皆さんから、約束が違うと批判を受けていることは止むを得ないものと思う。大きな責任を感じているが今後、我々がどう責任を果たしていくかが問われると考えている」と述べた。また武部新衆議もあいさつし「皆さんの意見をしっかり受け止め、不安を払拭し、政府と一体になって国益を守っていく」と決意を述べた。
党TPP対策委員会・副委員長の森山裕衆議が情勢報告を行い、党の決議として「農林水産分野の重要5品目(コメ、麦、牛・豚肉、乳製品、甘味資源作物)や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先とし、それが確保できないと判断した場合は、脱退も辞さない」という考えであることを説明。党のTPP対策委と政府が緊密に連携していく考えであることを示した。
農業団体を代表してオホーツク農業協同組合長会の佐藤正昭会長(JAこしみず組合長)は「(TPP参加表明は)暴挙であり、自民党を信じて票を投じた選挙民への裏切り行為」と厳しく批判。
漁業団体を代表して北見管内漁業協同組合長会の阿部滋会長(紋別漁協組合長)は「原油価格の高騰など漁業経営の厳しさが募るなか貿易自由化は、ますます経営を厳しくする。またTPPにより(漁港整備などの)漁業補助金が廃止されるようなことになれば、国の漁業政策が大きく阻害される」として強く反対した。
オホーツク商工会議所協議会を代表して知見喜美男氏(紋別商工会議所会頭)は「1次産業が衰退すれば2次・3次産業まで波及し、地方は滅びる。自民党は日本の農業をどうするのか、また地方そのものをどうしようというのか。明確なビジョンを示すべきだ」と訴えた。