はてなキーワード: 事象とは
画面切り替わるとログインが解除されて、毎回パスワード打ち込まないといけないクソアプリに成り下がったんですけど!
ぼく「Googleさん、"○○ アプリ ログイン 不具合" で何か知りませんか。」
ぼく「では、1ヶ月以内に結果を絞って、なにか検索できないですか?」
公式サイト「最近メンテナンスをしましたが、公式サイトには該当する情報はありません」
アプリのバグフィックスなんか出てたら今までの流れでなんか見つかるだろうしなあ
ぴえん
具体的にどの要素についてどうかということでしょう。そのうえで、景気変動や、大規模経済危機というのがどうしても避けられない以上、上はケインズ社会主義がまず先に来るべきだ。
景気の大まかな方向とをとのえた上で、適正な競争がなせる産業は民間に委ねていくというものではあろう。
ただし、JR西日本の尼崎の事故やかんぽ不正、ツタヤ図書館に風俗本など不適正本納入、海外での水道民営化に伴う料金高騰化やサービス劣化、産官連携狙いや選択と集中で予算を減らすことによる大学の基礎萌芽研究など、
過剰競争や、競争がない条件下での民営化、民間がリスクを取れない事象があってそれにどう対処するかという課題がある。
これだけケインズ社会主義と新自由主義とのせめぎあいと問題が起きた以上、課題が抽出してそれ一つ一つに対してどうだという話。
竹中平蔵限定で言うなら、あいつが言った労働法制緩和で、あいつが利益を得る立場になり、多くの問題が発生した以上指弾される立場であるのは当然のこと。偉そうなことは役職と株式を全部手放してから言え。
ショタラブドールの紹介漫画がとんでもなく炎上して、ただでさえ地獄なTwitterがさらに地獄と化している。
既に作者は漫画について謝罪し、理由は不明だがアカウントは凍結されたようだ。
「該当のツイートがTwitterの規約違反であった」という言説に興味があったので、ちょっと今回の件と規約・ルールを照らし合わせてみようと思った。(私の主観が所々入ります)
■ことの発端
件の漫画はショタコンを自称する作者が、同様の性質を持つユーザー向けに描いた「ショタラブドール」の使用感レポートであり、詳細・要点は以下のとおりである。
・「ショタラブドール」は未成年の少年の形をしたラブドールであり、セックス(本番)をすることが可能。漫画内に挿入を伴うよう直接的な性描写は「無い」が、ラブドールの裸体のイラスト・写真は「有る」(局部描写は「無い」)。
・作者は、ラブドールに自分好みのコスプレをさせて眺める行為、全裸のまま侍らせる行為、「ここではいえないようなこと」をしたと漫画内で言及している。
・作者はこの「ショタラブドール」によって、現実社会では決して達成できない願望を叶え、救われたという。「ショタコンは現実の男の子に手を出す前にショタドールをぜひ…!」と同様の性質・苦悩を持つユーザーに向けて「ショタラブドール」をすすめている
ということで、
ルールの「セキュリティ」には暴力、攻撃的な行為/嫌がらせ、ヘイト行為などに並んで、「児童の性的搾取に関するポリシー」が存在する。件の漫画では「未成年とみられる少年を模した」ラブドールについて語られているため、この項目の関連性が最も高いといえる。
児童の性的搾取に関するポリシー内で禁止とされているのは以下のような内容である
・児童の性的搾取を助長または賛美することで児童を危険にさらしうるコンテンツ
また、こういったコンテンツには「画像/動画、テキスト、イラスト、コンピューターで作成した画像が含まれる」という。
「児童の性的搾取とはなんぞや…?」と思ったところで、ポリシーには続いて、禁止されている「児童の性的搾取を描写または助長するコンテンツ」の例が挙げられていた。
【児童の性的搾取を描写または助長するコンテンツの例(これらに限定されない)】
①性的に露骨な、または性的な暗示を含む行為をする児童の視覚的な描写
また、上記以外に禁止行為とされている例も挙げられていたので続ける。
※原文には無いナンバリングをつけている。
※①〜⑥以外に、性的搾取に関係するウェブリンクを貼る例、児童へ性的なアクションをとる例が挙げられていたが、今回は関係なさそうなので省いている。(全て見たい方は原文を当たってください)
とりあえず、件の漫画が①〜⑥に該当するか考えてみようと思う。以下は、かなり私の主観が混ざった上で、Twitter社のきもちになって解釈したものである(つまりほぼ私の解釈)
■当てはまる?当てはまらない?
①性的に露骨な、または性的な暗示を含む行為をする児童の視覚的な描写
→「児童」が現実の人物を指しているのであれば、【当てはまらない】。
→ただし、この「児童」に「非実在の児童」が含まれていることを完全には否定は出来ない。「児童を模した人形が、性的な暗示を含む行為(ポージング)をする視覚的な描写(写真)」はあるため、ドールを「非実在の児童」と解釈した場合は【当てはまる可能性もある】。
初っ端からどっちつかずの意見になってしまった。そもそも、ルールというものは解釈の余地を与える構造になっているみたいなので、これ!と確実なことが言えない仕様になっているように感じた(それはそう)
②性的に露骨な状況または性的に露骨な行為をする児童のイラスト、コンピューターなどで作成した写実的な描写
→この「児童」を「現実の児童」と解釈して、彼らをモデルとしたイラストや写実的な描写とするならば【当てはまらない】
→しかし、「非実在の児童」も含むのであれば、スパッツを生履きさせた上で臀部を撮影しているため【当てはまる可能性が高い】
③既知または未知の未成年者についての性的な言及や、彼らに向けられた性的な言及
→【当てはまらない】既知、未知と表現される場合、特定の「現実の児童」を指している可能性が高いと私は解釈した。件の漫画内にそうした「現実の児童」は出てこない。
④児童の性的搾取についての妄想を共有したり、そうした行為を助長する
→この場合「児童の性的搾取についての妄想の共有」が【当てはまる可能性が高い】のではないかと考える。漫画内で作者は、現実の児童にしてほしいと思われる行為を、代替物であるドールにさせている。あくまでそこに「現実の児童」はいない。しかし、コスプレやポージングは決して叶うことのない願望つまり妄想を表現した可能性は高く、この例に当てはまるのではないかと考えられる。
⑤児童の性的搾取に該当するコンテンツについて、入手したいという願望を表現する
→私自身はは「児童の性的搾取に該当するコンテンツ」=主に児童ポルノという解釈でいるのでラブドールを欲しがることについては【当てはまらない】と考える。
→しかし、ショタラブドールの所持で逮捕される国がある現状から、ポリシーに記述はないにしろTwitter社が「児童の性的搾取に該当するコンテンツ」として解釈する【可能性もあるのではないか】と考えられる。
①〜⑤が当てはまるかについては以上。
前提が掴めなくてなかなか、断定が出来ないのでとてもあやふやである…
留意したいのは④だ。「Twitterでは児童の性的搾取についての妄想」自体が禁止されている。つまり、みだりに児童への性的な妄想の発信する行為は「児童の性的搾取に関するポリシー」に違反する可能性が非常に高いということである。
■違反にならないケースは?
ポリシーに反しないケースとして2点が挙げられている。
性的でない状況または設定での未成年者の芸術的な裸体描写(たとえば、国際的に名高い芸術家の手による、未成年者を題材にした作品など)は、限定的な場合においてのみ認められることがあります。
→逆に考えれば、芸術作品上の裸体描写が「限定的な場合においてのみ認められる」となると、性的である状況・設定における未成年の裸体描写は(例えば萌え絵など)はポリシーに違反する【可能性が出てくる】
最後に今回の増田で個人的に1番重要かと思われるのが、以下のケースになる。
いかなる形においても児童の性的搾取を助長または賛美しないことを前提に、この問題を未成年者に対する事象または関心の表れとして、議論することは認められています。
→件の漫画がこれに当てはまるかどうかについて考えたい。ショタラブドールの漫画が児童の性的搾取を「助長」「賛美」しないことを前提に書かれていたのであれば、この「いかなる形においても」が適用されると考えられる。
そもそも、作者は「現実の児童」に手を出すことは決して実現してはいけないタブーと認識した上で、同様の性質を持つユーザーたちに「代替物」としてドールを紹介していた。(ちなみにこの最後の締めの一言が炎上の波紋を読んでいる、という意見もあるが今回触れると話題が逸れるのでスルーする)
これは、実在の児童への加害つまり性的搾取を「助長」しないことを意識していると考えられる。ただし、漫画内では、代替物であるドールへ欲望をぶつける場面が少なからずポップで肯定的に描かれており、それが「賛美」であると解釈される【可能性はある】と思われる。「現実の児童」ではなく「代替物」への発散は「賛美」では無いという解釈と、ぶつける相手が「代替物」であるにしろ「児童への性欲」をポップに肯定したこと自体が「賛美」という解釈がどちらもありうるのではないか。ここはかなり人の主観によるのではないかと思う。
■まとめ
件の漫画は、「児童の性的搾取についての妄想を共有」という点で、児童の性的搾取に関するポリシーに違反していた可能性が非常に高い。
■最後に
始終、「でも、Twitterはどう思うかな…?」みたいな文章になってしまったので反省している。
Twitterルールを読んでいたら、今回の件に関して、どちらの陣営にしても暴言が多くて、ヘイト行為あたりのルール違反者だらけでなんとも言えない気持ちになった。
というか、普段から各方面ルール違反者だらけなんだなあと思った。
以上。
まず大前提として、全てに置ける災害による被害を望んでいません。出来うる限り、不幸な事象の発生がないことを、自分は望みます。これは、飽くまで、~~と思ったことを記録する日記です。また、地名の呼び方に、特定の意図はありません。
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話題になっている台風10号だけど、確かに台風の右側を九州に直撃しそうだけど、その後に朝鮮半島直上に通りそうなルートになってる。8号は通過済みで、9号も朝鮮半島を通過しそうな感じ。
去年までのは、日本列島に沿う形の台風が多かった気がするけれど、今年のは全然東日本に来てない感じがする。高気圧の配置が、今までのと違うのかな。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
これ読んだけど、書いたやつもブコメも頭湧いてんのか?
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前々から思ってたけど、性的指向と性的嗜好を分けるやつは全員頭おかしい。
自分が受け入れられるものを性的指向と呼び、そうでないものを性的嗜好と呼んでいるだけ。
そもそもなぜ小児性愛が嗜好で同性愛は指向なのかが、この記事にはなんの説明もない。
っていうのがよくある主張だけど、なんでジェンダーというカテゴリ分けだけ特別視してんの?
異性と同性どちらを愛するかということと、大人と子供どちらを愛するかということは、カテゴリの分け方が違うだけで同じ事象だろ。
「実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」って文言が炎上の原因になってるみたいだが、この文言こそツイート主の小児性愛が「性的指向」であることの証左だろ。
「このままだと実在の児童に手を出しちゃう」っていう自分ではコントロールできない切迫した思いがあって、ラブドールで救われたから漫画書いたんじゃねぇの?
あと、そもそもこいつの主張は「犯罪だからダメ」としか言ってない。今の日本の法律が完全に正しいと思っているアホ。
「法律における犯罪=人間として正しくないこと」だと思っているやつは思考停止のアホだから自分が正しいと思ってこういうこと書けるんだろうな。
同性愛者が現実で同性と結ばれても、当たり前だが全然問題はない(法律違反になる国も実在するのですが……それはまた別の話として)
いや、矛盾するから「別の話」にしたんだろ?いいかげんにしろ。
同性愛が法的にも倫理的にも認められていない国で、同性のラブドールに救われているやつにも同じこと言うのか?
それは遅れた国の法と倫理観だから!とか言うんだろうなこういうやつは。アホだから。
言っておくが、世界に「絶対的に正しい」なんてことは存在しないからな?
この世界のどんな時空においても、その場その瞬間そいつが思っている「正しさ」があるだけだ。
だから「自分にとって気に食わない!だから見えないところでやれ!」って主張はどうぞご自由に。
だけど誰にも誰かを「間違っている」と責めることはできない。
もちろん司法が法律で裁くことは出来るが、それがイコール「間違っている」わけではない。
もう一点、
ラブドールで発散することで、実在児童への性的加害欲求が抑えられる人もいれば、ラブドール使用によって実在児童への性的加害欲求が助長されてしまう人もいる。異論はあるか?ないだろ?
はい、異論ありません。なので、批判するためには「抑えられた人」が「助長された人」よりも少なく、ラブドールの発散によって加害が増えたという証明が必要ですね。
まぁ、ツイッターの規約違反なのはそうなので、仮にツイッターからアカウント凍結されたならそれはしゃーない。
ただそれも別にこいつがどうのこうの言える話じゃないけどな。
規約違反だからといって倫理的に間違ってるってことも無い。ただそのサービスを使う権利が無いってだけ。
「フェミは全ての事象について統一見解を持て」とまでは言わないけど、フェミ運動としての大きな方向性については統一した見解を持った方がいいと思う。
政治でたとえてみると分かりやすいけど、憲法9条や原発、大きな政府などイデオロギーについては一つの党内で統一見解を持った方がいい。
持たないと、どっかの民主党政権のように党そのものが空中分解して消滅するからね。
自分と妻は大学時代の同級生で、学生時代からお付き合いし紆余曲折あったが20代半ばで結婚した。
現在はお互い30代半ばを過ぎている。
で、コロナ禍で在宅勤務をしていたらふとしたきっかけで妻が不倫をしていることに気がついてしまった。
問いただした結果、浮気相手と再婚したいから離婚してくれと言われている。
自分にとって妻は最愛の人だ。今までも大切にしていたし、これからもずっとそのつもりだ。
しかし妻からすると俺の日頃の行いが積りに積もって気持ちが離れて行き、結果として浮気そして離婚に繋がるのだと言う。
浮気された上に自業自得だと言われ、端的に言って気が狂いそうだ。
次に離婚という結論を相談もなく突き付けられたことに狼狽している。
何もかもが変わってしまうし、何よりも子供達はどうなるのかと聞くと、
彼女の持論として以下のことを言われる
・子供達にとってのパパとママの関係はこれまで通り続けていけば大丈夫
・親が離婚をしても子供が不幸になるとは限らない。離婚した後にどうするかが重要。
俺としては、最終的に子供が幸せになるかどうかは親が離婚しているかどうかとは関係がないというところについては同意だが、
それ以前に母親が浮気をして離婚するという事実に自分の小さな子供が傷つくということがそもそも許容できない。
妻と話していると、離婚することが子供に精神的な苦痛を与えることになるということをリアルに想定できていないのではないかと感じる。
離婚で子供が傷ついたらどうなるのかという事象はすっ飛ばして、傷ついてもそのあとのケアが重要だから大丈夫だと、傷つける側の立場の人が言っているのが怖くて仕方がない。
結局は自分の欲望が優先で、子供のことを軽んじているのではないかと思ってしまう。このことについては憤りを感じる。
妻が家を出て行った原因を最後に話したい。
離婚を切り出したのは妻であるが、妻はいわゆる有責配偶者なので妻から離婚をすることはできない。
そのことが妻にとってストレスになっている。
妻からすると、
・妻が子供の親権をとって新しい夫と暮らすのが本当は最善だと思っているが、そうはしないであげてるのに同意しないのはおかしい
・結局何を話しても離婚に同意しないでいつまでも私を解放しないつもりなんだろう。いつまで苦しめるつもりなんだ。
ということになっている。
それでついつい、お前も確かに苦しいのかもしれないけど、俺はずっと苦しいし死にたいよ。なんでずっと被害者面なんだよ。一番の被害者は子供達だろ。みたいなことを言ってしまった。逆効果で、もう耐えられないと言って一人で出て行ってしまった。
不倫相手の男はアメリカ人で投資会社に勤めている多分金持ちで、コロナの影響で妻とはずっと会えないでいる。コロナ前は日本企業への投資活動の一環で月イチくらいの頻度で来日していたようだ。俺たち夫婦に子供が出来てから育児で妻が疲弊したり、それと同時期に仕事面でも妻の責任が重くなったりしてなかなか精神的な余裕がなかったのはその通りだと思う。なので俺も積極的に育児に参加しているし、妻はそれは評価してくれている(離婚してもパパとママの関係は続けていくべき、と言ってくれている)。少なくとも育児の面は俺が多くをカバーし、妻にはなるべく仕事に集中してもらったり仕事以外でもなるべく自由な時間をとってストレス発散してもらえればと思って、休日は子供二人と俺の三人で出かけることが多くなった。別に、子供は超絶可愛くて面白くて良い子だから一緒に過ごして全然俺は嫌じゃないんだけど、妻が定期的に行く海外出張の時のワンオペ育児のときはちょっと心がくじけそうになることもあった。
で、妻は俺たち三人が過ごしている隙に浮気してた。海外出張先でも浮気していた。離婚は俺の自業自得で、離婚出来ないストレッサーも俺なのか?相手のアメリカ人の素性はネットで晒したりしたらダメなのかな。はぁ〜最後に、と言いながら余計なことを書いてしまった。
成人に対する性欲は実行しても加害にはならない(なる場合もある)
「同意を得る」とかそういう過程をすっ飛ばして「性欲を実行」しても基本的に加害にならないと勘違いしてるのか……
ただしちがう点が1つあって、成人に対する性欲は実行しても加害にはならない(なる場合もある)けど、子供に対する性欲を実行した場合、100%加害になります。
この2つの事象を全く同じものとみなし、同じように無対策で行くのはやっぱり変でしょう。— 呟 (@topic07627996) August 30, 2020
#COCOAボランティアデバッグ に尽力されている皆様に深い敬意を表します。
併せて、 OSS コミュニティへの悪影響を残している関係行政機関・各社担当者を強く軽蔑します。
project dead? · Issue #773 · Covid-19Radar/Covid19Radar · GitHub
(注) これはアプリケーション固有の問題ではない( Apple-Google API の問題)が、前項の問題点と併せることで脅威となりうるので便宜的に示しておきます
※一部で報じられている「保健所から COCOA への陽性情報の登録に必要な処理番号が即日発行されない」などの問題もありますが、ここでは省略します
※以下はあくまでシミュレーションであり、 COCOA の悪用を助長する意図はありません
細かい説明や具体的な表現は控えましたが、この攻撃を仮に受けたとして致命傷に近いダメージを受ける事業者は少なくないと思います。
事業所単位で COCOA の導入を推奨している管理者は直ちに見直すことを推奨します。
本日より COCOA の導入を促すテレビCMが放映されているようです。( #検察庁法改正案に抗議します で一躍有名になったきゃりーぱみゅぱみゅ氏などが出演されているようです)
一方で COCOA アプリケーションのリリースは 2020年7月13日 にリリースされた v1.1.2 を最後にアップデートが途絶えており、不具合ととれる多数の事象は解決されず、上記に挙げたような問題点が払拭されることも残念ながら当面は無さそうです。
世間では高ぶる正義感からか COCOA の導入を声高らかに勧めたり、従業員やビジネスパートナーに導入を強いている管理者も現れているようです。
このエントリを通じて、そのような方々へ抵抗出来る材料が提供できれば幸いです。
冒頭のように COCOA の原型であるとされる Covid-19Radar/Covid19Radar プロジェクトも OSS にあるまじき「放置状態」が続いています。
これが GitHub を買収した企業に所属する人間の所作ですか?
IT/ICT や OSS を通じて昨今の COVID-19 感染拡大を発端とする諸問題を解決する動きは支持したいですが、このような杜撰なサービス運営により IT/ICT や OSS に対する世間の期待を悪化させることを強く憂慮しています。
遡れば中学校に入った頃から違和感を感じていた。周囲から浮く自分。周囲に溶け込めない自分。
自身は小学校の頃から何ら変わっていなかったので、そんな風になる理由がさっぱり分からなかった。だから、変わらず生活し続け、学校に通い、勉強していた。
結果、周囲に溶け込む事が出来ず、最終的にはいじめの対象となり、短期間の登校拒否を繰り返した。
それでも、頑是ない程の生真面目さがあった所為か、粛々と勉強をし成績はそれなりを維持し続けたので、先生や親の受けは良かった。だからこそ、学校に行けない自分を、特に母親は信じたくなかったようで、布団に包り学校に行きたくないと訴える自分を、布団ごと引き摺り出しヒステリックの怒鳴りつけた。
その後、高校・専門学校と進んだけれど、中身は中学校からの延長線上だった。自分で考え判断した事が報われる事は少なく、薄っすらと暗い日々だった。
就職氷河期真っ只中だった頃は、両親が始めた事業を手伝っていた。10年続けて、残ったのは1億近い借金だった(正確な金額は覚えていない。凡そその位の金額だった)
実質なんにもなくなり、絶望と辛さだけが蓄積し、やがてひきこもりになった。夜の間に出ない答えを延々探しては朝に寝入り、昼過ぎにカーテンから漏れ入ってくる光を感じては「なんで私はまだ生きているんだろう?」と思って絶望し、布団の中で小さく小さく丸くなっていた。この頃は、恐らく鬱病でもあったのだろうと思う。希死念慮と闘う日々だった。
そのひきこもりの先で、東日本大震災に見舞われた。自分は福島県の海側に住んでいた。色んな困難や混乱があった。それでも当日のその時間、幼稚園に迎えに行った姪を抱えて海の見える公道を走りながら、この子を助けなきゃならない、と多分思った。
いつもは判断に時間が掛かり過ぎるほどなのに、その時はすぐに姪を連れて海の傍から逃げた。逃げたのは、自分の為ではなかった。それでも、少なくとも判断自体は間違っていなかった。
上手く行く事のなかった人生で、錯覚でしかない「守らなきゃ」と言う気持ちが燃料になり、そこから数年、がむしゃらに生きた。
上手くいく事の方が少なかった。間違いばかり犯した。どうしようもなくなってパニックの果てに数少ない友達を切った。上手くいく事なんて殆どなかった。周りに迷惑ばかり掛けた。数年掛かってやっと決まった職場でも、泣きながら仕事を続けた。『ここで3年頑張ろう』と『キリの良い年齢まで頑張ろう』の二段構えの目標を立てて、只管頑張った。そして気付けば、自分も四十代になっていた。
この歳まで生きているとは思わなかった。そんな妙な感慨に浸りそうになった頃、その言葉を初めて目にする事になる。
それが『発達障害』だった。
元々鬱持ちの傾向が強かったので、それ関連のキーワードを検索窓に打ち込んでは調べる日々の中、偶々行き当たった言葉だった。
検索をしていると、事象が芋蔓式で繋がっていく。時折横道に逸れながらも、関連事項を追っていった。調べれば調べるほど、昔の自分と今の自分に当て嵌めていけばその分だけ、自分が発達障害である確率が高くなっていった。
結局自分は、心療内科に通い必要な検査を複数受けた。発達障害か否かの最終的な判断は未だ貰っていないけれど、数値の凸凹さ加減と、日々の環境・状況適応能力の極端な低さが事実を表している。
発達障害の疑いを持つ前から世間との乖離を感じていたし、だから自分なりに考えたり工夫したりして色んな事をこなそうとした。
それが無に帰していた理由を(全てが当て嵌まると思っていないにしろ)知った、その時の絶望と切なさを、多分自分は忘れないと思う。
もう少し早く知れていたなら、と思う。早く知れてどうなっていたかなんて分からないけれど、そう思わずにいられない。
誰も責められない。落としどころがない。自分が正しい事には絶対ならない。治らない。治せない。変わらない。変われない。
もうずっと、毎朝、自分自身に『大丈夫』『頑張れ』と言い聞かせている。『死ぬな』『生き抜こう』と言い聞かせては此処に引き留めている。
ドラマとかで見た「生きている事に疲れた」なんて言葉が、自分の中に生まれるだなんて夢にも思わなかった。
それでも、もう少し頑張って生きたいと思っている。
自分は本当は端から駄目なのかも知れない。それでも、お互い頑張っていこう、と思っている。
誰のためでもない。自分の為に頑張る事を頑張ろう。
乱文、言葉足らずご容赦のほど。
コロナで人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事の雰囲気が変わり始めている。
私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。
もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域は比較的英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である。小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたときに理科の若い先生が理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからないくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問は世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。
当時はショックだったが、中学校から親の転職の関係で引っ越し、比較的普通の地域に引っ越してしまった。小学校のときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越した地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科と数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくまで中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的に勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理の先生と哲学の議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたときに日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。
大学は自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生の多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学の図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館に毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会を議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定の教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生のパートナーは何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本の最高学府が学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由に研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員とディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験で自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論のテーマも自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性を提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1で勝手に実験をして修士で論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文を12本書いた。ちょっとした自慢である。
博士の資格は名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学のポジションの公募に出す中、私は自分の学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外は日本より風通しが良いだろうと思い、日本の研究費から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語の意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰の論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本の出身研究室で職を得て戻っていった。不思議なものである。
当時の海外での受け入れ研究室の教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本は講座制の影響もあり若い研究者が活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である。日本に戻るためには公募の書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり、研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生と研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室で研究をしているよりも経験をつんで日本で研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議なものである。
こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言を学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育を享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。
そんな先のコロナである。実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言のあおりをくらい、研究室での研究活動はオンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生がいるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。
学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生で一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動は制限されている。以前ほどの自由は担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンはスペイン風邪のタイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生に希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。
■グラス
以前恵比寿にあるエビスビール記念館で「缶ビールはグラスに注ぐ前提で炭酸を強めにしている」と聞いたことがあるがこれが缶ビール本来の美味さなのだろうか
缶でそのまま飲むのと比べビールが進みすぎるので禁止カード認定
アルコール摂取量が増えすぎるという点ではいわゆる「ストロング系チューハイ」も准禁止カードにしてる
■米
美味すぎる
よく太るのも才能と聞くが、そういう意味なら俺の太る才能はサイヤ人並だ
BMI25とほぼ肥満体型だがこれは米を禁止カードにしてなんとか保っている水準
もともとネトゲ廃人だったこともあるが、太る才能に加えて俺のオンラインゲーム適正もサイヤ人クラスだ
オンラインゲームしているときは食事が面倒になりBMI19まで下がっていたのでサイヤ人以上かもしれない
何十時間でもゲームを続けられる根気に加えてオンライン限定でコミュ力も抜群だ
リアルでは絶望的なコミュ障で友達一人もいないのにオンラインゲームでは気づけばサーバー有数のコミュニティの代表くらいになってる
今は嫁との事務連絡LINE以外はほぼ皆無だが、オンラインゲームをやっている最中は各種メッセージアプリが鳴り止まなくなる
なんかダサい自慢みたいになっちゃったけど、アラサー既婚子持ちサラリーマンにとってはこんな才能呪いでしかない
オンラインゲームはこの呪い蓋を開けかねないので禁止カード認定
今までもかなり強力カードだったが今般のコロナ渦により禁止カード認定
飲み会等の面倒なイベントごとを全てこのカードで無にすることができる
また、強力すぎるカードであるにも関わらず子供の発熱という誰の責任も問えない事象であるため体調管理不足で責められることはなく、下手したら中年女性等を中心に「育児に積極的な男性」という高評価を得ることまでできる(この世代の女性の配偶者は家事育児に非協力的なことが多く現代の夫婦の感覚からすると当たり前のことでも「神レベルに優しい旦那さん」評価を得ることができるのだ)
なのでこのカードは余りにも強力すぎて依存性が高いので、一度使えば使用頻度を間違えて将来的にオオカミ少年化したり、サボり癖がついてしまう恐れがあるため禁止カードとしている
BLの話をする相手が腐女子しかいないのでネットの腐女子と仕方なく交流してるがTwitterの腐女子がキモすぎて辛い。
気持ち悪いと思った人間を全員ブロックすればいいとかそういう話ではない。
別にインターネットには、腐女子よりヤバい思想を持ち気持ち悪い性癖を持ち大麻栽培についてTwitterで垂れ流したり、若い女の子にセクハラ文章を送りつけたり、面白半分に小学生を炎上させて説教を垂れ悦に入ったりする、絶対リアルでは関わりたくないような輩が死ぬほどいっぱいいる。
腐女子のコミュニティー、なんだろうね、ネットの交流なのにべたべたしすぎなんだわ。
あとみなさん繊細。本当に繊細。
匿名で悪口を送れるツールを自ら設置しておいてそこに悪口が届くとそれを晒して「こんな悪口言われました!傷つきました」ってツイートしてる。
現実世界の人間は特別親しい仲でなくたって私が無一文になって干からびてたらジュースぐらい奢ってくれるが、ネットの人間関係なんて何の役にも立たない。
年齢も住んでいる地域も仕事も一切何も知らない相手を心の拠り所にするの、気がふれている。
コーヒー零して大惨事(笑)、みたいなツイートにも別に親しくもない奴から「大丈夫ですか💦やけどされてませんか💦」みたいなガチトーンの心配リプが届くので何も言えない。
心配はリアルの人間にしていただくので、ネットのみなさんは嗤うなり無視するなりしてくれ。なんでそんなにTwitterで顔も名前も年齢も知らん奴を心配するんだよ重いんだわ全然理解できない。
いや~~~~~笑い飛ばしてくれていいのに心配させてごめんね、もう余計なツイートしないから二度と余計なリプ送ってくんなよ。
親切で繊細でべたべたした交流、治安最悪のネットなんかでやることじゃないだろ。
【追記】
いつも私のくだらん愚痴をみんなで聞いてくれてありがとう。ほんと腐女子の悪口読むの好きやね。
このバトルはオタクの負け。
負けというか負け続けてる。
最近の事象でいえば、エロゲーでは陵辱・調教というジャンルがほぼ消滅した。
最近、2次元エロで寝取られとか催眠というジャンルが流行ってるのは
それ以外のハードコアなジャンルが軒並み販売サイドからNGを食らってるから。
10年20年というスパンで見ればもっと多くのR18表現は自主規制されて消えていっている。
フェミニストが頑張らなくても近い将来には理想の未来が手に入ると思うのだけどなぜかフェミニストは躍起になってる。
知らないだけかもしれないが。
競馬には必勝法とは言わないまでも、確率的に優位に立つ賭け方が存在する。
この方法では、競走馬に関する知識は全く必要無い。端的にまとめると、
というものだ。複数の「馬単」馬券を計算に組み込むことで偏りを補正し、補正した値と実際の「単勝」オッズを比較するのである。
そして、控除無し(=胴元の取り分を抜いた)オッズを越える馬にだけ賭けるわけなので、期待値は100%以上となる。
まあ、確率的事象なので、1レースだけ賭けて確実に儲かるという手法ではないが、長期的には優位となる賭け方である。
<実践編>
多頭数だと計算が面倒なので、昨日の札幌5レース(新馬戦、6頭立て)から。
1-2 | 9.2 | 2-1 | 11.3 | 3-1 | 135.5 | 4-1 | 128.0 | 5-1 | 91.9 | 6-1 | 3.1 | |||||
1-3 | 62.3 | 2-3 | 90.8 | 3-2 | 159.5 | 4-2 | 149.3 | 5-2 | 113.8 | 6-2 | 4.6 | |||||
1-4 | 59.7 | 2-4 | 77.5 | 3-4 | 320.9 | 4-3 | 317.2 | 5-3 | 263.6 | 6-3 | 32.0 | |||||
1-5 | 44.6 | 2-5 | 68.3 | 3-5 | 280.3 | 4-5 | 249.6 | 5-4 | 255.0 | 6-4 | 29.1 | |||||
1-6 | 5.2 | 2-6 | 9.4 | 3-6 | 88.0 | 4-6 | 80.8 | 5-6 | 59.1 | 6-5 | 24.5 |
まず、1番の馬を1着とする「馬単」のオッズの逆数和は、1番だと1/9.2+1/62.3+1/59.7+1/44.6+1/5.2≒0.356227。
2,3,4,5,6番では、0.233436、0.031697、0.034046、0.043304、0.646403。
ここから、「単勝」の控除無し推定オッズは、1番だと、(0.356227+0.233436+0.031697+0.034046+0.043304+0.646403)/0.356227≒3.8倍。
2,3,4,5,6番では、5.8倍、42.5倍、39.5倍、30.4倍、2.1倍。
1 | 2.9 |
2 | 4.6 |
3 | 38.9 |
4 | 35.3 |
5 | 23.6 |
6 | 1.8 |
である。まだ、推定オッズの理屈を説明していないが、少なくとも、この例においては、推定オッズの大小と実際のオッズの大小の並びが揃っており、推定オッズの妥当性が確認できる。
(推定オッズに0.8(=1-控除率)を掛ければ、値もかなり近くなる。)
しかし、実際のオッズが推定オッズを超えなかったため、今回のレースは「見」となる。
少頭数なので、オッズの偏りも小さいのだろう。
ちなみに、実際の「単勝」オッズ÷「単勝」の控除無し推定オッズで、「単勝」オッズの適正度がわかる。
(値が小さいほど、実際のオッズが相対的に低い。つまり、買われ過ぎている。)
1 | 0.767 |
2 | 0.798 |
3 | 0.916 |
4 | 0.893 |
5 | 0.777 |
6 | 0.864 |
ひとつ上の表のとおり、単勝人気は6,1,2番の順だったが、適正度を見ると、6番よりも1,2番の「単勝」が買われ過ぎていたことがわかる。
「見」となった場合は、このように、人気馬同士の「単勝」馬券の適正度を比較して、それが高い「お得な馬券」を買っても良いのかもしれない。
<理屈編>
以下では①の部分を説明する。
例として、1番の馬の単勝馬券を2000人が、その他の馬の単勝馬券を8000人が買ったとする。
その場合、1番の馬が勝てば、10000人の賭け金を2000人が分け合うことになるので、単勝オッズは、10000/2000=5倍になるだろう。
つまり、(1番の単勝オッズ)=(全購入者数)÷(1番の単勝馬券の購入者数) …(☆)である。
(実際のオッズでは控除率を考慮したりでもう少し複雑であるが、省略する。)
この式から、1番の単勝馬券の購入者数は、そのオッズに反比例するということがわかる。
たくさん買われた馬のオッズは低くなるのだから「反比例」なのは当たり前と言えよう。
どうやって推定するかというと、1番の馬を1着とする「馬単」の購入者数を使うのである。
ここで、1番の馬を1着とする「馬単」を購入した人は、仮に「単勝」しか購入できない場合、どの馬券を購入するだろうか考えてほしい。
1番の馬を1着とする「馬単」は、1着が1番、2着がその他の馬の馬券なので、「単勝」であれば、1番の馬券を購入するはずである。
そのことから、1番の馬を1着とする「馬単」の購入者数を足し込んで、「単勝」の推定購入者数とするのである。
よって例えば、4頭立てで、「1-2」の馬券を1000人、「1-3」の馬券を2000人、「1-4」の馬券を3000人購入するとしたら、1番の単勝を6000人が購入すると推定するのである。
ここも、「馬単」の1着側での人気馬は「単勝」でも人気になるのだから、推定できるのは当たり前だと言えよう。
そして、(☆)の式を使えば、推定購入者数から「単勝」の控除無しの推定オッズが算出できる。
あとは、1番の馬を1着とする「馬単」の購入者数とオッズの関係がわかれば良い。
まず、(★)の考え方から、馬単「1-2」の購入者数は、「1-2」のオッズに反比例する。馬単「1-3」の購入者数も、もちろんそのオッズに反比例する。
よって、1番の馬を1着とする「馬単」を購入した人数の総和は、1番の馬を1着とする馬単のオッズの逆数和に比例するということになる。
つまり、「『馬単』の購入者数は、オッズの逆数和に比例する」ということになる。
以上をまとめると、「馬単」のオッズ→(逆数和)→ある馬を1着とする「馬単」の購入者数=「単勝」の推定購入者数→(☆式)→「単勝」の控除無し推定オッズ
として、実際の「単勝」オッズと推定オッズを比較するという流れである。
ちなみに、「3連単」のオッズからも、馬番毎に1着固定のオッズの逆数和を計算して、「単勝」の控除無し推定オッズが算出できる。
「3連単」になると、計算量が格段に増えるが、その分だけ偏りが平準化されるはずなので、可能なら「3連単」のオッズを使った方が良い。
まあ、それでもプログラムを組まずにExcelで計算できるレベルなので、もし興味を持ったのなら、今日のレースで検証してみるのも容易だろう。
うちの子も似ている
うちの子の場合は発達障害の疑いで医者に通っていて、WISC-IVで言語理解指標が低く出てるのがそういう傾向と関わってるようだ
多分色んな事象を本人の中で本人なりに理解しようとしてるんだと思うけど、色んなパターンを考え過ぎてその事象について自分の言葉で言い換えることが難しいんだよね
検査中にこんな時どうする?や言葉の意味を問われた時も「あっ色んなパターン考えちゃってるな」って沈黙の後に「わかんない」と言うことが多くて、それが言語理解指標の凹みとして出たと思う
「この子は言語を深く考えてるのに理解が浅いような結果が出るなんて!」って最初混乱してしまったけど、色々考え過ぎて言葉が出ないっていう生き辛さに繋がる傾向がわかってよかった
そして逆に得意とする部分がどこかっていうのがわかると、苦手な部分との絡みで余計に自己制御不能感が出たりしてるのもわかってフォローしてやりやすくなった
この関連の話でよくある論理のねじれをうまく言語化できないでいたんだけど、だいたいわかった。
「ポスターに対して批判があり、ポスターの掲載が中止された」という事象って
少なくとも下記2つの解釈ができるんだけど、外部からどちらの理由で起きたものなのか判断はつかない。
①「あのポスターは規制すべきという主張が正しいのでポスターが掲載中止された」
②「あのポスターは規制すべきではないが企業の保身のためにポスターが掲載中止された」
にも関わらず、ポスターの掲載が中止されたことを持って主張の正しさが証明されたという人が多い。
先日クトゥルフ神話TRPGの「同居人」というシナリオをプレイさせていただきました。
※クトゥルフ神話:ハワード・フィリップス・ラヴクラフトらによって作られた架空の神話
※TRPG:テーブルトークRPG、紙や鉛筆、サイコロなどを用いて会話を軸に遊ぶロールプレイングゲーム
このシナリオはSNSなどでかなり人気があり、有志によるおすすめランキングの投票でも上位に出るシナリオである。TRPGをよくやる友人に「みんながおすすめしているから」というようなセリフで誘われてプレイした。
結論から言うと私個人はこのシナリオがとても嫌いだなと言う感想を抱いた。しかしながらネット上の感想は狂気的なまでに「良かった」という内容ばかりが並んでいたのでなぜそうなっているのか気になる。
私自身がシナリオを書いたりその他創作をする人間ではなく、シナリオ自体の完成度などに口を出せる立場ではないため1プレイヤーとしての感想を述べて行こうと思う。
まず回してもらった結果、エンディングとして味気のない片ロストだった。(このシナリオはプレイヤー人数が2人)
エンディングはプレイヤーの選択によって決まるものなのであまり騒ぎ立てたくはないが。どうしても2人が生還するには、邪神と接触して死んでしまっている片方のキャラクターを生き返らせてほしいなどのお願いをしなくてはならない設計になっている。
個人的に、あまりクトゥルフ神話の神話生物と必要以上に関わりたくないタイプなため、その邪神の接触呪文を使えるようになった後もそれを使わなかった。(結果的に相棒がロストした)
神話生物に解決してもらうシナリオってどうなのかな~、とシナリオ終了時は少しモヤモヤしながら終わったが。問題はそのあとシナリオを読んだときに現れた。
神話描写についていろいろとおかしいのではないかと思った要素があった。
ひとつは旧き印が神格との接触呪文に必要な魔法陣めいたものになっており。古き印の中心に神格が現れるという点。
古き印は神話生物から身を守るような呪文であると解釈しており。通常印の領域を神話的事象から守るであるとか、門の近くに書くと門から神話生物が現れなくなるとかそういうもののはずであるのに今回は召喚のための魔法陣扱いされているのが不思議だった。
二つ目は接触の呪文を知る機会。シナリオ内では『ニューイングランドの楽園における魔術的脅威』という魔導書(これが魔導書かどうかについては今回問わない)が出てくるが。そこに接触の呪文と古き印についての記述があるらしい。基本的にこの魔導書には特別な例を除いて呪文は書いていない。呪文を知ることができる特別な例では確かに接触の呪文がある、しかし古き印は書いていないはずなのでおかしい。
・意識を失うレベルで車にはねられたNPCが翌日元気にPLのもとに遊びに来る。
・とあるイベントにて凍死を免れるため人肌程度の液体をかぶる描写があるが。むしろそのあと凍死するまでが加速しそう。
・手元にある死亡診断書(役所に届けるもののはず、コピーをとるなりすれば手元に残っていてもおかしくないがそうまでする理由がない)
・さらにはその死亡診断書に死体の写真も添付されているらしい。
・これはスピリチュアル的内容になるので実世界的におかしいというべきではないかもしれないが、魂が必要とされている呪文の発動を幻覚として存在しているキャラクターで発動させることができる。
まだまだあるがキリがないのでこのくらいにするが。なんとも不可解なシナリオだった。
クトゥルフ神話TRPGの世界はある程度現実世界に近いながらも、アーティファクトや神話生物が絡み不思議な事象が起きる世界だと個人的には思っているのである程度物理法則を無視したりなど、何から何まで現実と同じにしろとは言わないが。あまりに乖離しすぎていると推理が進まなくなるのでもう少しどうにかならなかったのかと思った。