はてなキーワード: 不利益とは
参考になるかわからんが。
コールセンターで働いていた時。クソ客に当たった時は「電話で顔が見えない」のを良い事に、よく相手に悪態をついていた。
「あ、そーすか」「へぇ。それで?」みたいな感じに。 相手からすると最悪のオペレーターだったろう。
それが唯一のストレス発散法だった。
こちらの方が立場も上だし、相手は困って電話をかけてきている。言ってしまえば弱いものいじめをしてるようなもんだ。
だが、そんな弱いものいじめをしてる、俺もあるフレーズを言われた瞬間立場が逆転し、表情が凍り付く事がある。それは
言われたら上司交代しなければいけないが、上司に交代理由を説明する必要があり。
「自分の態度が気に食わないからです」なんて言った日には、通話録音をチェックされ、あっという間にクビである(経験あり)
何が言いたいかわかるかな?
「私に不利益な行動をした場合、私はいつでもあなたの喉元を搔っ切る事が出来ますよ」という意思表示をすることが大事なのだよ。
契約の形態次第だけど、元増田が言うように、「ステマという意識が無くやっちゃった」ケースならば、たとえ契約書に「~することに対して○○円払う」と書かれていたとしても、契約自体が公序良俗違反(つまり、景表法に反することが証明できる)なら契約自体が無効だし、そもそも「意識無くやった」なら「結果として炎上したことで作家としての信用を毀損し、今後同種の仕事が請けにくくなったこと」を踏まえて、明らかに被害が発生していると思われるので、そのことが契約上明記されているかいないかに関わらず(たとえば広告したことから生じる不利益は依頼者でなく受託者側が負う物とする、とか)、「そんなことが起きると一般に認識していなかったし説明もされていなかった」と言えるなら、当然訴えることができると言えるんじゃないかな。
だから、元増田が言うように、漫画家が「意識の無い善意者」であった場合は、依頼者が悪。よって訴え可能。
一方、漫画家側が「これは黒」と分かってやっていた、つまり共犯である場合は、当然訴えることはできない。考えにくいけど、依頼者が「PRってつけないと法律上マズい感じなんだけどー、でも、付けない方がバズりやすいし、みんなやってるし、そっちの方がお金も少し上乗せするから、よかったらどう? 任せるけど」みたいな提案をして、それにうかうか乗っちゃった……って場合は、これは訴えられないでしょうね。つまり、漫画家側が明白に訴えられないのは、漫画家もアウツだった場合なわけ。
最近、表現の擁護派と否定派でどんどん話が噛み合わなくなっていってるのを感じる。
それはオタクが表現の擁護に必死になる必要性を伝えられてないからだと思う。
それが伝わってないからオタクがスケベ心とワガママからごねているとしか見られてないのだ
本当にオタクがベースにしているのは表現から得られる素晴らしい価値なのは間違いない。
なぜならばオタクカルチャーは「個人的な欲望や価値を追求し、自分の内面を掘り下げる」のを基礎としているから。
誰もが大なり小なり心に欲望を、闇を、願望を、獣性を持っていて
オタクカルチャーはそれをストレートに、そして求道者のように掘り下げる。
欲望を追求することとは、なぜ自分がそれに魅力を感じるか追求することであり、自分を知ることである。
もしかしたら大量殺戮を望むのが内なる自分かもしれないとしても、それを知ること、
そして向き合い内面的に掘り下げるのには凄まじい価値があるはずだ。
知ることによって飼いならし乗りこなしポジティヴに転ずる機会も生まれる。
そうやって内面の追求と、外にある社会とを両立させるというのがオタクの理想だ。
オタクも女性の差別や不利益の解消に異論はない。目指す理想とゴールが違うというだけだ
日本は女性による女性のための性的表現も活発な国であり、その根っこも同じだ。
ポリコレなどの強いロジックは女性が「自分を知る」機会をも根こそぎ壊してしまいうる。
男性オタクだけの問題ではないし、海外とは違った形の理想を実現しうる土壌がある。
なぜポスターの問題が長引いてるかというと「環境型セクハラ」「表象の悪さ」「ポリコレ」といったロジックが強すぎて
ピンポイントにポスターの問題だけ解決して終わりという性質のものではないから。
「自分の内面を掘り下げる」というオタク的価値観を根本から破壊してしまう可能性すらある。
ポリコレ的に完全に正しい社会というのも尊重すべきひとつの理想ではあるとは思うけど
「自分を知る」ことの素晴らしさを知ってる人間としては臭いものに蓋的な世界は受け入れたくない。
(ゾーニングや第三者を不快にしない配慮は難しく繊細な問題でこれからも柔軟に考え丁寧に慎重に議論されていく必要はあるだろう。)
女性への性的表現を人種差別と同一視する単純化すらもみられる。
レイシズムは不合理的かつ不必要で、根源的な欲望とは直接結びついてはいない(歪な形で間接的には結びついてるだろうが)
オタクにとって性的表現は自分を知り内面に向き合い掘り下げるために必要性があるもののひとつであり、
差別のための差別になりがちな人種差別とはまったく文脈が異なるものであることは理解いただけるのではないかと思う。
もしこの増田が奇跡的に目について否定派が最後まで読んでくださったならとても嬉しい。
読みきったとしてもオタクきめえ以上の感想にはならないかもしれないが、
オタクにはオタクの理想があり、命をかけてすら守りたいと思える素晴らしいものがあるということだけは認識してもらえるとありがたい。
今年も寒くなってきました.真冬の救急外来から,インフルエンザについて,よく患者さんから尋ねられることについて,少しだけお話したいと思います.
風邪というのは,ある種のウイルスがはなやのどで悪さをする病気です.インフルエンザは特定のウイルスがそれを起こしたものです.実際,そのふたつを完全に見極める方法はありません.一般論として,インフルエンザのほうがより熱が高く,突然調子が悪くなり,全身の節々の痛みがあることが多いですが,徐々に発症して37度台というようなインフルエンザもあります(とりわけ予防接種を打たれた方に多い印象があります).
そもそも,この2つを区別する医学的な意味はあまりありません.子供とお年寄りを除けば,この2つの病気はどちらも自然に良くなる病気だからです.「インフルエンザなのかどうか,会社にはっきりさせろと言われたんです」という方も良くいらっしゃいます.社会の要請に応えられず申し訳ないですが,この区別は現代の医学では不可能です.この話をするたびに,よく憮然とした表情をされます......あなたに悪さをしているウイルスが何であれ,体調が悪いときはみんなが休める世の中になるといいなと思います.
Q2. どうしてインフルエンザの検査をしてくれないんですか?
よくおこなわれるインフルエンザの検査は,鼻水のなかに,インフルエンザのウイルスに含まれる特別なタンパク質が(ある程度多く)含まれているかどうかをみています.鼻の奥に綿棒を突っ込んで,大抵の人にとってなかなかの苦痛を伴うこの検査は,インフルエンザだと判定した場合はインフルエンザであることはほとんど間違いないですが,実際にインフルエンザの人々を捕まえてきて検査をおこなっても,悪いデータでは半分程度しかインフルエンザだと判定してくれません.すなわち,インフルエンザでないという判定でも,その人がインフルエンザでないという保証にはこれっぽっちもなりません.
私たちは,この検査を「インフルエンザかどうか悩ましい」患者さんに限って用いることにしています.流行期に,典型的な症状をおもちで,インフルエンザの可能性が非常に高い方には,この検査をする意味がありません.インフルエンザではないという結果が出ても,結局インフルエンザの可能性をまったく捨てられないためです.
※ この検査において綿棒は鼻の奥まで深く突っ込み,そこでしっかりと鼻水を染み込ませることが推奨されています.真面目にやると,結構痛い検査です.もしあなたが鼻の入り口を少し拭う程度でほとんど痛みを伴わないような検査をされた場合は,もしかすると少し検出率が下がってしまうかもしれません.
Q3. どうしてお薬を出してくれないんですか?
タミフルその他,インフルエンザのお薬は,症状を半日~1日程度はやく治す効果があると言われています.逆に言えば飲まなくとも(健康な成人であれば)治ります.お薬には様々な副作用があります.タミフルの場合は下痢が特に目立ちますが,アレルギーを起こす方もいらっしゃいます.完全に利益だけがある治療というのはありません.利益と不利益をてんびんにかけて,私たちは常に患者さんに最も良いと思われる治療を提案しています.半日~1日程度症状が早く取れることは,忙しい現代人にとってそれなりに大きなメリットだと思いますので,私はこのことを説明した上で,患者さんと相談しています(おそらく,問答無用で処方する医師も多いと思います).
※ 一時期話題になった,若い方の異常行動については,タミフルなどのお薬が原因ではないことが明らかになりました.インフルエンザにかかった若い方は,非常に稀ですが異常な行動をとることがあります.出来れば誰かが見守ってあげるとよいと思います.
※ ゾフルーザを希望する患者さんがたまにいらっしゃいます.これまでのお薬とは仕組みが違うお薬です.様々な議論があり,この文章で立ち入ることは避けますが,私は処方しません.
インフルエンザが流行している時期に,高い熱と,はなみず・せき・のどの痛み・節々の痛みが「すべて」揃っている場合は,ほとんど間違いなくインフルエンザです.あなたが健康な成人なら,混んでいる病院に行かず,水分をしっかり摂って家で休むという選択肢もあります.もちろん少しでも不安なときには,あなたが病院を訪れることを私たちは歓迎します.国民皆保険制度はそれを可能にしています.一般に,医療スタッフと患者さんとの間のコミュニケーションはしばしば不十分であり,それによって不幸なすれ違いが時折生じていることは,よく承知しており,大変心苦しく思っています.患者さんの病気を治す手伝いができることが,医療スタッフの何よりの喜びです.
※ 注意:高い熱だけで他の症状がないときや,のどの痛みだけが異常に目立つときなどに,安易にかぜやインフルエンザと判断するのは危険です! あくまでもはなやのど,せきの症状がみな同じぐらいに出る場合に,風邪やインフルエンザを考えてください.
※ より詳しい情報をお求めの方は,厚生労働省のホームページ等を御覧ください.また,参考文献を示していないことをお許しください.
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【追記】ご意見ご感想ありがとうございます.
リレンザとイナビルは吸入薬ということ以外,タミフルと効果は変わらないと考えられています(イナビルの効果について疑問の声はあるようです).お薬は同じ効果を持つものが複数あることが多いので,効果が同等であれば処方しなれた薬を処方する医師が多いです.私はタミフルばかり出すので,患者さんから特別の希望があったときだけ処方します.
タミフルは確かに濃厚に接触した人に発症予防効果があると言われています(保険適応外ですが).
●なんの権利があってあと1日苦しめとか言ってんの?
誤解を与えたようで大変申し訳ありませんでした.実際のところ私はかなりの割合のインフルエンザが疑われる患者さんにタミフルを処方しています.私が伝えたかったのは「飲まないと治らない・なにか後遺症を残すわけではないので,飲まない選択肢もある」ということだけです.大抵の人にとって安全ですが,薬には副作用がつきものですから.ただし,私が書いたようなことを説明したときに「こいつはタミフルも出してくれないのか」と患者さんに思わせている可能性があることは反省に値しますね.ごめんなさい.
●匿名で書かないで
すみません.おっしゃる通りこの情報も無数の出所不明の文章と同じです.信頼に足る情報はその気になって検索しないと出てこないので,その足がかりにでもなればよいなと思います.
●解熱剤
飲んでいただいてよいと思いますが,特にお子さんの場合はボルタレンなどの非ステロイド抗炎症薬(NSAIDs)がごくごく稀ながらインフルエンザ脳症のリスクになる可能性があると言われています.不安であれば医療機関で相談していただければ幸いです.
・宿題をやらなければならないという焦りを感じる経験を奪っている。
・宿題を友達に頼んで写させてもらう、あるいは友達と分担してやる、そういうコミュニケーションの機会を奪ってる。
・効率よく宿題をこなすにはどうすればいいのか、試行錯誤をする機会を奪っている。
最終的には宿題なんてやらなくていいし、やらなかったからって不利益はさほどない(受験勉強は学校の勉強とは別にするし)。
理想は宿題を完璧にやって学力をつけることだけど、そんなのクラスに1人か2人しかできない。
それよりも、社会に出ると仕事で沢山の宿題(目標・ノルマ・与えられた仕事)が出るけど、そのときにどう対応したら良いのかを学ぶ機会と考える。
学校の宿題は最悪何もできなくても先生に怒られるだけで済むんだから、失敗し放題である。
夏休みの宿題のやり方がそのまま仕事のやり方に反映されるとかいうあるあるネタがあるけど、学生時代に自分の性格を把握して、どうすれば最良の結果が出せるのか学んでおきたい。
自分は夏休みの宿題をやらないまま冬休みになるタイプだったから、今も仕事のスケジュール管理には人一倍気を使っている。
親がやってくれる=ほっといたら誰かが助けてくれる、という思考にだけはならないように気をつけないと、自分の仕事もできない奴だと思われる未来しか待っていない。
違法ダウンロード規制拡大、「スクショ」「軽微なもの」は対象外に? 文化庁、パブコメ踏まえた方針発表
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1912/03/news137.html
今回に関しては4000件以上意見が寄せられ、そこで国民の八割以上(ぶっちゃけ9割近く)が反対しているにも関わらず、この様な事を文化庁が言える時点でパブコメは聞いてやっただけと言う態度が如実に表れており、以下にこの会議や結果が出来レースであるかが良く判る事だと思うよ。
こいつらが今回の規制を進めていた連中の一端であるのは事実だからな。
ダウンロード違法化に関しては意見した国民の8割以上(実際9割近く)が反対していると言う事実を漫画家はもっと強く受け止めた方が良いと思うよ?
どんなに綺麗事を言おうが、お前ら漫画家が今回の発端になったのは事実だし、この法律に関しては過去進めた音楽業界や映画業界が衰退した事実もあるのだから、この規制自体世間からどれだけ嫌われているか理解しておいた方が良い。
何せ今回に関しては対策として、裁判が効果をあげて、プロ責法の改正を指摘されていた中、何を思ったのか、突然漫画家が突如違法ダウンロード規制を要請し、文化庁がそれに乗ったと言う経緯があるからな。
漫画家は今後何かあった際、表現の自由を言おうがこのダウンロード違法化と言う国民の言論の自由や知る権利を奪った事を言われて、反論を封じられる危険性は覚悟しておいた方が良い。
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
フェミニストの kutoo運動に対して、積極的に反対しているオタクなんてほとんど居ない気がしてる。
女性がヒールの高くない靴で仕事できることで、オタクが不利益を被ることはまずないと思うし。
一方で、可愛い女の子の絵を掲示するな!という運動には反感を覚えるオタクが多い。
このような状況下で、実利を求める活動家としてのフェミニストが成すべきことは、
可愛い女の子の絵でkutoo運動のポスターを作り、オタクを自分たちの仲間に取り込むことではなかろうか。
肉を切らせて骨を断つみたいな。
そもそも、kutoo運動に熱心なフェミニストは、実は表現の規制について関心は低いし、
表現の規制こそがフェミニズム運動の全てだと思ってる人間は kutooに興味がない(というか、実生活でkutoo の苦痛を知らない)
その①
https://anond.hatelabo.jp/20191120183622
その②
https://anond.hatelabo.jp/20191120185300
その③
https://anond.hatelabo.jp/20191120185607
・続いて、「グラビアが表紙の雑誌も撤去すべきだ」と言っている
→これはまさに表現規制であり、終わりがない。一歩も譲るべきではない
#家事をするのは女性、というジェンダーロールの押し付けであるとされ炎上
#体形を強調し乳首が浮き出ている、上気し男性に媚びた表情であり不適切とされ炎上
・のうりん
#企画内容と無関係な胸の露出、煽情的な顔つきが不適切とされ炎上
#男性の教授役に対して生徒役の女性、という配役設定がマンスプレイニングであるとされ炎上
#女性の身体を明らかに強調した絵を、無関係な献血のポスターに使用し公共の場に掲出することは環境型セクハラであるとされ炎上
・太田弁護士は女性のジェンダーロールについて批判をする一方、「容貌に劣る男性がマッチョにあこがれてサーフィンを始める」動画については絶賛している。これはまさにルッキズムであり筋が通らない
・「強力効果論(暴力的なメディアや、性的なメディアが、受け手を暴力的にしたり性的にしたりするという説)」は研究により否定されている
・モノ化とは→単なる道具として扱うこと
・容姿で評価されることは悪か?異性のパーツを好きになることは悪か?
・また、自分(石川)ではない人のツイートや炎上を紹介していたが、自身の発言でないものを指摘されても答えようがなく、別の事例について話したい
●表現について
・エロがいけない、萌えがいけないと言っているのではなく、「女性らしさ」「男性らしさ」ジェンダーロールを固定化した表現が問題と考える
・黒人の表現として黒塗りをすることは、事実アフリカ系の人種が色黒だとしても、社会的に認められていない
→規制ではなく、当事者の気持ちを慮った自主的な配慮として行われている
・TSUNAMIの自主規制も同様。あくまで被害者への配慮として行われており、表現を規制するものではない
・乳袋と言われる、胸を異様に強調した服
→実際には存在しない服であり、女性の性的魅力を強調しすぎている
・「女性の身体を持っている」ことを理由に被害を受けた人への配慮が不足している
・エロだからダメ、ではなく、女性性の強要が存在する以上、配慮が必要
・「ちょうどいいブス」
→表現者本人は女性だが、他者にこうすべきと役割を押し付けるのでダメ
●女性のモノ化とは?
●「お気持ち」について
お気持ちがあることは人間である以上当然であり、ないがしろにされてはならないものだ
・宇崎ちゃんのどこがモノ化?
・胸があることに対して受けた被害があるのに、それを他人が表現することがおかしい
・グラビアについては本人の意思だったりそうでなかったりするので難しいが、意思と主体性があればOKと考える
・キズナアイはイラストレーターも女性、声優も女性。では誰に許可を取れば使ってよいのか
・女性性の主体があるところ、すなわち全ての女性に配慮するべき
・イラストに関しては女性の主体がいないので認められる余地がないと言っているように聞こえる
つまり萌え絵、女体を表現に使うことが理論上不可能ということではないか?
事故に遭った人が傷つくから気持ちに配慮すべきであり、車のCMを規制するべきとなるが、
そのようにお考えか?
・クルマの広告はクルマそのものを売るためのものであり、献血と無関係な女性性を強調している本件とは異なる
・胸が大きいことがセクハラとしている人もいるが、逆に誇りに思っている人もいる、その女性をひとくくりに代表して「これは差別である」とすることは、個人の「お気持ち」の押し付けではないか?
・性的価値(女性の裸は価値があり、男性の裸は価値が低い)は商品になるが、それをすべて否定するか?
・よしもとの「不細工芸人コンテスト」は批判を受けていったん中止になったが、男性に限定して復活した。これをどう思うか?
・被害を受けたことに言及し活動することと、お気持ちを押し付けることは別の話である
・黒人差別と同様、被害にあっていない人がいるから規制すべきではない、とはいえない
黒人も、黒人であることを喜び、誇りを持っている人もいる。だからといって別の人に存在する黒人差別を許容するべきではない
・女性性によってプラスもマイナスもあるはず、性差があることは明らか。事実石川さんも女性だからグラビアの仕事ができた。
その利益を享受しておきながら、不利益は許容できない、というのでは筋が通らないのではないか
・プラスがあるからマイナスには目をつぶれという理論には賛同できない
被害・加害があるなら是正されるべきであり、声を上げるべきである
【要約】これからのフェミニズムについて考える白熱討論会【#これフェミ】
その①
https://anond.hatelabo.jp/20191120183622
その②
https://anond.hatelabo.jp/20191120185300
その③
https://anond.hatelabo.jp/20191120185607
★注意事項
・両登壇者への最大限の誠意をもって要約を行いましたが、録音禁止であったためメモが追い付かず、発言の取捨・意訳・補完が私の主観に基づいて行われた可能性があります
・言及された当事者(青識亜論氏、石川優実氏、小保内太紀氏)から削除の申し立てがあった場合に限り当日記が削除される可能性があります
●metooとは?
著名なプロデューサーに受けた過去のセクハラを被害者本人がSNS上で告発したことに端を発し
#Metooのタグをつけて過去に受けたセクハラ被害を告発するムーブメント
●kutooとは?
就活や職種により、女性がパンプスを強制されていることに異を唱えるムーブメント
・かつての欧米におけるコルセットの例(窮屈な服装の社会的強制)
窮屈な服装からの女性の解放を目指す運動、がフェミニズムと深く結びついている
→ブルマの発案者
#女性も動きやすい服を選択できるべき、という考えのもと発案された
#シャネルスーツ(活動的なスーツ、女性のポケット付き衣類も当時画期的だった)の発案
・石川さんはブルマ・ココ、 どちらになることもできる。どちらにしますか?
・シュレディンガーのセクハラ(Twitterでの白饅頭氏の発言から引用)
これではかえって萎縮をまねき、むしろ女性の社会進出を阻害する
●なんのために#kutoo運動を始めたのか?
→法律を変えるため
→そのためにまず、「服装強制を含むセクハラは犯罪である」を社会の共通認識とするため
女性のみに課される服装規定がいまだ社会通念上許容され、現実に多数存在している
●女性差別とは→女性差別撤廃条約より抜粋(どこを抜粋したか内容失念しました)
・立ち仕事(CA等)のパンプス強制は活動面から見て不安定で、男性にない負傷リスクがある
●「セクハラは個人の感覚ベースで曖昧なものではないか」という意見について
・男女問わず個人の感情に根差して、他者の嫌がることはしてはならない、これは男女問わず同様
・ただし1件嘘だったからといってほかの件も嘘であるわけではない
・個々の事例に対するファクトチェックの話と、妥当な告発への評価は分けて考えないとならない
・この本の表紙も男性にハイヒールを履かせて復讐している、と言われた
・だがハイヒールを履かせることが復讐になる、と(そのクソリパーが思っている)なら、靴で女性が不利益を被っていることは共通認識であると言える
●正当な理由であれば女性にハイヒールを履かせることができるのか?
・女子差別撤廃条約には、女子が被っている「不利益を・・・」とは書いていない
・男性もネクタイを社会通念上強制されており、女性だけが不当に不利益を強制されているとは言いがたい
・健康被害がある場合→身体権の侵害であるため男女問わず当然に犯罪である。セクハラ以前に現行法で犯罪であるため訴える対象は警察であり、法規制の必要がない
・ドレスコードを全部なくしたい、というのはやりすぎではないか
→いついかなる場合でもすべての服装が認められるべき、というのはおかしい
・人のいやがることをするのは、すべてハラスメントか?
・曖昧な運用が可能となり、自己申告があれば誰にでも社会的制裁を下せる、つまり私刑の肯定ではないか
→被害に遭った、と発言すれば証拠が不足していても無条件で肯定され、
加害者とされた人は(和解しても)社会的制裁を受けつづける状況もあり、刑罰としては重過ぎる
・下される社会的制裁が過ぎるため、異性接触(男→女)への忌避が起こる
・なぜブルマかシャネルのどちらか選ぶ必要があるのかわからない
・ホテルで働いていた際、運動量の多い職種であったにも関わらず、強制されて実際に危険だった
・ドレスコードに性差をつける必要はない。制服なのであれば男女同じ服装とすればよく、強制すべきではないと言っている
・重い荷物を持つことは、男女問わずその場で最も力持ちがやるべきことである
・重い荷物を持つことがそんなに大変か?
・対話を終わらせないためにどうしていきたいのか?
・男性でも告発すべきであればするべきであり、対立を煽る意図はない
・女性のほうがセクハラ被害に遭う確率が高いため、男性はそれを意識して対話すべき。男性というだけで怖がって話ができない女性も多い
・セクハラ、パワハラの指針に服装規定を追加したい。労働安全の面からも
1.セクハラとは女性が多いと言うが、声を上げているのがいま女性だからであると思う。
男性が男性性を理由に残業させられているなどの例もあるが、それについては指摘しないのか
2.ブルマ、シャネルの話からも、無理矢理法律で縛るのは難しいと思う
3.法律では、明確さが求められると思うか?
男性が我慢しているから女性も我慢しろ、という理屈は受け入れがたい
自分ができる活動をできる範囲で行っており、男性の被害だから無視しているわけではない
・法律で縛るべきなのは雇用主(つまり企業)であり、従業員を縛る法律ではなく、従業員である女性は好きに服装を選べるので質問の意図がズレている
本当にこうおもって無意識に差別をしている人が、多く潜伏しているから有事の際に差別が活性化しているのを見る事になるのかもしれない。
おそらく「だれが言ったか」とか「どういう見解で言ったか」というものが「差別」で「現実に即しているから」というのが区別だと思っているのではないか。
そのカテゴリわけをするにあたって「だれが言ったか」は「だれが言ったことであるか」という分類をされ、その発言の効力は発言者の傘下にあるものがその多くです。
「アメリカ国家がいったから差別だ」というのは、その傘下にあたる人数が多いため数で圧倒されるから「差別だ」と感じているのではないでしょうか。
差別の定義についてなのですが 「いわれなき不当な扱いをうけること」 が一般的に差別だと言われている物だと私は認識しています。
先の「アメリカの政府がいったこと」について「いわれなき不当な扱いを数の暴力で受けることになる」から差別だというのは構造的には似ていますが人権も差別も
それを定義する最大の組織が定義しているわけで、それが否定をしたり定義をしなければ「不当」がなくなるのでこれは構造的に「差別」ではなくなります。
実際差別的ではありますが、「動物に人権を与える」とか「特定の民族には人権を与えない」という国家主導の方針がでてしまうとそれは差別ではなくなります。差別的ではありますが。
女性に参政権がないとか、どこのパスポートの人は滞在できないとか、そういうものは事実や経験に基づいているかもしれませんが、定義されてしまうとそういう方針であると受け入れざるを得ません。
そして主に、一般的に差別だ区別だといわれるのは、それ以下の民間の範囲内、既に定義されている平等の空間において、個人が個人を扱う方法を区別するにあたって具体的な裏付けもなく相手の扱いを決めることが「差別」で、実際にそういう問題を回避するために分離させることが「区別」になります。
例題に出している「韓国人は何々」ということについて、そうである韓国人も、そうでない韓国人もいるはずです。韓国籍の日本人だっているかもしれません。なにをもって韓国人なのでしょうか。
それにあわせて、その吹聴している形容についてそわない人達を「そうであるから区別する」という「そうでない=いわれなき」を行使することにあたっては、差別になります。
努力してきた結果があるのに、その結果を反映する場、試験や免許や権利について「あなたの努力は関係なくあなたが何々だから」と不利益を受けさせられることが差別なのです。
これがもし事実に即して区別ならば、「何々な人」個人を個人ごとに対処していくべきです。「〇〇さんはうそつき」という嘘つきの人がいたら、〇〇さんは出禁にすべきです。これは差別にあたらないでしょう。
それが「〇〇な人におおいから」といって先に「〇〇らしき人についての対処法を用意しておく」のはそうではない内面をもつ外見的に対象者である人が不利益を被ることになります。
この不利益をうける側となる人が、その得られるべき利益を別途回避するか選択できる状態をもっておくことは区別の範囲としてあやうくはありますが成り立つこともあるでしょう。
ただ不利益をあたえるために区別をするということは差別になります。その受けさせる不利益を罰かなにかや連帯責任と称して行うことは差別になります。
受ける側として正当な判断をもって区別され、被られる不利益を何らかの形で軽減できるように考慮されている、ということが区別で、そうでない扱いを与えることが差別、という方向性から
「混同するな」というがあなたの言う「差別と区別の違い」って何なの? ちゃんと定義しよ?
(1)個人の特性によらず、ある社会的カテゴリーに属しているという理由で
ことを指すのね。従って
たとえば客観的な指標によって測定される「能力」に基づく分け方(まあたとえば入試とか)は〈区別〉。
ただし、たとえば「ある社会的カテゴリー」が一律にその能力の獲得にハンデがあると想定されるときには、個人の特性によると「考えられる」に違反するので差別と認定される場合もあるね(たとえば住民の中の有力層が英語圏出身・白人であるとき、非英語圏出身者・非白人の扱いを低下させるためだけに、実際の職務と関係ないにも関わらず採用条件に「英語能力」を設定するみたいな場合)。
(2')合理的に考えて状況に深く関わると認定できる事柄に基づく場合は〈区別〉
上に例示した「英語能力」が好例だけど、もし募集している仕事の業務内容が「英語圏である本国とのコミュニケーションが必須である」ようなものなら、確かに英語能力は職務と合理的に関係があると言えるので、その場合はそれを差別とは言いがたい。同じく、同社の同国内でのビジネス対象が主として英語ネイティブである場合でも、同様のことが言える。差別か区別か微妙な例というのは、たとえばこういうケースだね。
たとえば男風呂・女風呂は、区分けしていてもどちらでも、使用できる設備等に大きな差が無い限りタダの〈区別〉である。トイレもそう。もちろん、これらが「性差」をベースとした分け方をしているため、肉体的な性と精神的な性が必ずしも一致しない少数者(LGBTQ)は、多数のシスに対して不利益がある、すなわち差別的だ……という主張はもちろん成り立つ(男女差別とは別の問題になるが)。
また、「特に不利益な」場合としたのは、もちろん場合によっては、状況下で特定の人にのみ有利な取扱いをすることに一定の合理性がなければ、同じく「差別」と判断される可能性があるからだ。LADY'S DAYなどの商店のサービスも、「女性客にターゲティングして増加を狙う」ことが経営合理性の観点から妥当であれば差別ではないと言えるが、もし、店主の「女性は常に優遇されるべき」といった一方的な偏った認知に基づく行動である場合には「男性客への差別ではないか」という批判にも正当性が生ずる。女性専用車両については、痴漢への対処コストが一定以上に達した結果による鉄道会社の自衛策としての合理性があれば、差別ではないということになる。
上記の定義は特に珍しいものではなく、あちこちで見られるものだから調べてみてほしい。さて、これらの定義に基づけば、あなたの
「当社では日本人の採用に当たっては、特に英語力の高い方のみです」=区別
ということになるだろう。
×「当社では日本人の採用に当たっては、特に英語力の高い方のみです」(太字部分が(1)により)=差別
△「当社では英語力の高い方のみを採用しています」(微妙だが上記説明のように合理性があれば)=区別
△「反日の人は嫌い」(「反日」の定義にどの定義の合理性・客観性があるか分からないので)=何とも言えない
×「韓国人は約束を守らない」=ほぼ差別(全体的に(1)であり論外。慰安婦問題等から「約束を守らない」との主張には合理性があると言いたいのだと思うが、このような「ステレオタイプ」イメージの表出は、容易に異なる取扱いに結びつくという意味では(3)に関わっても論外。)
△「約束を守らない人は嫌いだ」=ほぼ差別ではない(個人に属し、合理性に基づく、異なる取扱いだから。ただし、あるカテゴリーの人がどうしても「ある約束」を守りがたい事情がある場合に一方的にこのような発言をすると、差別の意図を疑われる可能性はある。たとえば「アメリカもかつて奴隷制を採用していた」という話題の出た文脈において、アメリカ人が同席している場で「奴隷なんて人権侵害行為は未来永劫許せない」みたいな発言をするような場合など。)
ということ。「差別と区別を混同するな」と主張するあなたが、一体いかなる定義によってこれらを「区別」としたのか、その定義は一体どこでどのように学んだのか、はなはだ興味がある。参考になるURLなどあれば、ぜひここで示していただきたい。