はてなキーワード: 不利益とは
簡単なことだ。
それはmayのコンテンツがショボく、としあきのスペックも低いからだ。
配信環境やフレンド管理、wikiの作成すらろくに出来ずクソコラしか作れない連中の集まりだからだ。
他所からパクってきたものを使って盛り上がり、クソコラとキャラ付けにより自分たちの一次創作かの如き主張を繰り返す。
農業が出来ない蛮族が隣の村を襲うのと何も変わらんよ。
関わらんことだ。
そして、不利益を被りそうになったらハッキリと争うことだな
40代も半ばに入る。
若い頃は、就職できないのも低所得なのも自己責任だとなじられ、中年になれば親の介護によって、人生失いそうな危機が迫る。
間の悪い時期に生まれた運のなさと言えばそれまでだが、もうなんかいろいろ酷くて泣けてくる。
…実はものすごく辛い。ここ20年、ずーっとその気持ちを抱えてきた。
なのに、涙さえ出ない。
泣くこともできないので、自分の心の中で、いろいろな苦しみが渦巻いたままになっている。
大人になっていたから、どちらに付く・付かないみたいなこともなく、便宜上、持ち家の父と暮らしていた(5年後には家でたけど)。
この時失ったものは
今でも忘れられない。
真冬の雪の降る夜。
突然、発熱が始まって、家には解熱剤がなかった。
車通勤していた父が帰宅したので、具合が悪いので近くのスーパーに連れて行って欲しいと頼んだが、テレビを見たまま無視。
仕方ないので、40度近い状態で、雪の降る中、徒歩でスーパーに向かった。
通常なら、往復20分くらいで済む道のりだったのだが、体調が悪く、途中で足を取られて転んで動けなくなった。
田舎だったので、人も車の通りもなく、道路にひっくり返ったまま、夜空から静かに降る雪を見ていた。
痛みと具合の悪さでしばらく動けなかったので、家に戻ってくるまで1時間以上かかってしまった。
もちろん、体調が悪化したのは言うまでもない。
父から心無い仕打ちをされたのはこれだけではないが、去年、そんな父が倒れた。脳梗塞だった。
今は離れて暮らしているため、こちらに連絡が来たのは病院に搬送されてから1週間経っていた。
当初は軽く済んでいたものの、治療を行なった後に脳内出血を起こして症状が悪化。
私は兄弟姉妹もおらず、父方の親族も亡くなっているか音信不通だったので、自分一人でどうにかせねばならなかった。
父の親族と母はあまりうまく行っておらず、赤ん坊の私が入院した時の揉め事をきっかけに、ほぼ行き来がなくなっていた。
祖父母が亡くなった時にお葬式をしたので、2度ほど会ったことがあるのだが、母はもちろん、唯一の直系の孫である私も、親の目がないところでいじめられた。
当時、私は小学生だったのだが、いい歳したジジババが寄る辺ない小学生をいじめるという、なかなかシュールな状況だったよ。
そんなこんなで父方の親族は音信不通。確実に生存しているいとこの存在も知っていたが、私自身が名前を覚えていない…。 そのくらい馴染みがない。
父は定年時に多額の退職金をもらっていたのに、気がつけば年金でかつかつの生活をしていた。
資産も貯蓄もないので、病院費用をどうしようかと思ったが、ソーシャルワーカーさんのあたりが良かったのか、病院が用意している制度を利用する事ができ、無料で治療と入院をする事ができた。
これはもう、運が良かったとしか言いようがないが、共産系の病院だったので、後日、メモ用紙の裏を見て仰天する事になったけど…まあ、貧乏人としてはありがたい対応を受けたし、看護師さんが、皆さん明るくて優しい人ばかりだったので、搬送先が市外だったのは驚いたが、運が良かったと思う。
1.5ヶ月〜2ヶ月ごとに4、5日の有休を取って、帰っては病院やら役所やらを行ったり来たりしたので、金銭・体力的にかなりしんどかった。
以前は持ち家だったのだが、数年前に支払いきれずに手放してしまっていたので、泊まるところもない。
医療費はかからなかったが、私の移動費や宿泊費、田舎なのでタクシーもバンバン使ったので、かなりの諭吉さんとさよならした。
そのうち、一人暮らしには戻れない事が確定したので、部屋や車の処分もせねばならず、また諭吉さんは消えていく…。
また、持ち家の負債が残っていたので、月々細々と返済していたのだが、手動で振り込んでいたらしく、ばんばん督促がくる。
曰く「資産を差し押さえ」するだの、不穏な文字が連なるアレだ。
一時期、意思疎通が全くできなくなっていたので、振込先がわからない。
先方に確認しようとしても、個人情報保護で、本人が「子供に教えても良い」と意思表示しなければ教えられないの一点張り。
かくして、毎月定期的に不穏な督促状が送られてくる。
本人は錯乱していて、話ができない。
支払いたくても支払い先がわからないのに、督促状は送られてくる。
退院したらどうする。
賃貸どうやって片付ける?
お金は?
去年の年末、運良く施設に入所する事ができたが、そこに来るまで、毎日こんな感じだった。
そして、今も続いている。
次の施設をさがすために、数十件の施設に申し込みをしたが、待機人数を見ると数年単位の勝負になりそうだ。
もちろん、その間も真面目に仕事もしていた。
それでも。
ひとつだけ、無理やりいいところを見つけるとすれば。
両親が離婚した時、母方の親族とは音信不通になってしまったのだが、父が倒れたことを知って20年以上ぶりに連絡をくれたことである。
子供の頃は行き来をした親族だったので、私を心配して車を出してくれたり、お見舞金やお小遣いをくれた(お小遣いをもらう年齢じゃないんだが、「おじさんには内緒ね。取っておきなさい」と叔母がにぎらせてくれた)。
私は免許を持っていないので、車の移動や売買も、この親族が手伝ってくれた。
この時さ。本当にありがたかったんだよ。
父方はあてにしていなかったけど、母方の親族とは、私が子供自分は行き来もあって、色々助けてくれていた。
母方の親族がいてくれればな、って思ったことは過去に何回もあるけど、母の離婚によって、かなり長い間、音信不通になっていたのだ。
実際に手伝ってくれなくても良かったし、お見舞金もお小遣いもいらなかった。
離婚した母親も心配はしてくれたのだが、父への不満が大きいのか、「なぜお金を貯めておかなかったのだろう」と私に文句を言う。
私に言われても非常に困るのだが、ともかく父への不満を口にする。
私だってそう思ってるが、言ったところでお金は出てこないし、過ぎてしまってしまったものに文句を言っても虚しくなるだけだ。
父親の肩を持つわけじゃないが、こちらも疲れているので、私に文句を言うのはやめて欲しかった。
だからこそ、深い事情を知らないためか、そういった話をしない親族の存在はありがたかった。
ただ、私を助けてくれる人たちだと感じられたからだ。
母親は年を経るごとに文句を言うようになり、父はもともと助けてはくれないし(他人は助けるけど)、今は病気のため正常な判断ができなくなっている(私の職業も知っていたはずなのに、いつの間にか、看護師かホテルの従業員という、共通点がまるでないものにすり替わっていた)。
教育を授けてくれた親とはいえ、連絡をとったり、会うたびに精神力を削がれ、正直、かなり会いたくなかった。
その証拠にと言うか、10年くらいは父と会っていなかったし、母とも数年間連絡を取ってなかった。
大人になってから、親から助けてもらったことは一度もない。精神的にも金銭的にも。
就職氷河期だったので、新卒で入った会社は、正社員で入社したにも関わらず、景気が悪いだの何なのと理由をつけて、正社員になるまで3年近くかかった。
最終的に正社員になれたのも、その会社で一番大きいクライアントの担当になっていたからだ。退職してやる!って喧嘩になったが、結局、会社が正社員にすることで、一旦収まった(そして1年半後に辞めたw)
時給700円。手取りはいい時で13万円、悪ければ10万円を切る。だから、すごい貧乏だったんだよね。
それでも、当時は実家暮らしだったので、家賃がないだけマシだった。
いつ解雇されるかわからないので、かなり頑張って貯金していた。月10万とか。今考えればよくやってたよ。
そういう貧乏していたけど、親にお金を借りたことはない。お金がなければ、食べ物切りつめたり、買いたいもの控えたりした。
パジャマもシーツもビリビリに破けていたけど、買うお金なくて、そのまま使ってたことあるしw
半分くらいは返ってきたけど、全額は戻ってこなかった。
他人の家を見れば、子供を助けてくれる親も多いのになあ…周囲はそんな人が多いのに、なぜ自分は違うのだろうって思ったよ。
隣の芝生は青いだけなんだろうけど、大人になってから、頼る人はまったくいなく、しかし自分が苦境になった時に限って、親が頼ってくるという最悪パターンが多かった。
「鬱になっている暇はない。助けてくれる人は誰もいない。自分が自分を助けずして、誰が助けると言うのか」
そう思って、歯を食いしばって頑張った。
暗くなる心を奮い立たせて、仕事では、いつもニコニコ平常心でいるようにした。
苦しいのは自分だけじゃない、自分以上に苦しい人はたくさんいる。
就職氷河期で、理不尽な書類選考や面接があり、圧迫面接なんて当たり前だったけど、まだ頑張れる!まだマシだ!って思ってやってきた。
そこでくじけてしまったら、自分に意地悪を仕掛けてくる人に負ける事になるから。
自分は、運良く困窮するところまではいかなかったけど、そんなのは薄皮一枚の差で、周囲を見渡せば、誰よりも努力をしていたのに、ほんの少しの運に恵まれず、望みを叶えられなかった人がたくさんいる。
どちらかといえば、望みを叶える事ができた自分は、頑張る義務もあると思うんだ。
私が今いるポジションは、努力しても叶わなかった人たちが欲しかった椅子だろうから…。
去年はそんな感じでプライベートがゴタゴタだった。諭吉さんがたくさん旅立ったのも痛すぎて死にそうだった。
プライベートだけならまだよかったが、職場でもゴタゴタが数年続いている。
どうしたことか。
会社初の女性管理職になる羽目になり、その上、同じ役職の中でも数人しかなれないポジションにいる。
本当は管理職になりたくなくて、自己評価を下げまくっていたのだが、管理職じゃないのに管理職と同じ権限を持たされるようになり、会社の制度上、色々不都合ありまくりだったので、仕方なく管理職になった。
はっきりいえば、部長は自分の使いっ走りが欲しかったんだろうな。
なぜ、管理職になりたくなかったのか。
私自身、その部署には配属されたくなかったし、好きな部署があれば、どこでも受け入れると言われていた。
ただ、どの部署も引き取らない部下がいて、私のバーターとしてなら受け入れると言ったのが、唯一その部署だけだったのだ。
部下の名誉のために言っておくけど、仕事ができなかったわけじゃない。
実務経験を積ませなかったのはオマエらなのに、配属拒否とかいい身分だよね。
普通に経験積ませれば、仕事ができるようになる人材だった。物覚えも良かったし、キラリと光るセンスもあった。
配属部署がなければ宙ぶらりんになる。いろいろな不利益も生じる。
本人に落ち度もないのに、そんな立場に落とすわけにはいかない。
自分が新卒だった頃、不当に扱われ、嫌な目にたくさんあった。けれど、周りは助けてくれなかった。優しい言葉をかける上司は日和見主義者で敵だった。
予想通り…というか予想以上にごちゃごちゃで、管理職として配属された最初の仕事が、部下に突き上げ食らってノイローゼ寸前のリーダーとの面談たっだ。
そして、それは今でも続いている。
この部署は、売上だけはいいので、若手の頃から野放図になっていたところがある。
そのため、メンバーはかなりスポイルされていて、私から見るとわがままな奴ばかりだ。
同じ社内で、クライアントに苦労させられている社員が数多くいるのに、その社員らを無視して、自分の意見を無理やり通そうとする。
自分は就職氷河期世代で、上からガッツリ押さえ込まれる割に、仕事のノウハウは何も教えてくれない環境にいた。
まともな教育もせず、仕事ができなければ、信じられない方法で首を切られた。
きちんとした教育を用意され、言いたいことを言い、けれど会社に立場を保証され、守られている。
恵まれているのに、もっと福利厚生を拡充しろ、給料が安いだの評価が不当に低いだの文句ばかりだ。
うちの会社はパワハラやセクハラに敏感で、若手社員にストレスがかからないよう、特に管理職は言動に注意するよう指導されている。
そのためか、逆パワハラと呼ばれる状況に陥りやすく、守られた若手社員に突き上げられてリーダーが病む、ということが珍しくない。
とくにうちの部署には「ぜったい部下にしたくない」ナンバーワンの若者がおり、こいつが部署の癌になっている。
さすがに管理職にまで上がる人間は、下から突き上げられることがあっても負けないので、病むところまではいかない。
私も「絶対に部下にしたくない」ナンバーワンに逆ギレされて怒鳴られた事があるが、あまりにもわがままな言動すぎて「自分に甘く、素直に生きていると、本当に楽だよなあ」と思いながら右から左に受け流した。もちろん病まない。
その片鱗が見えると、メンバー個別に面談を設定しなければならず、かなりしんどい。
私は仕事に来ているのであって、お守りしに来ているのではないのだが…。
中年になった今、若手は守られるのに、自分は会社から「自分で頑張ってね」と言われる。
本当に、生まれた時期が悪かったよなあ。
2年上はベビーブームで子供の数が多く、受験も大変な世代だった。
私のころも余波があって、浪人中のベビーブーム世代との戦いがあったので、まあまあ大変だった。
悲しくて辛くて泣いたのはいつだったんだろう。
外も内も辛くて嫌なことばかり。
死にたいとは思わないけど、辛くて苦しくても涙も出ないから、逆に苦しいものが心の中に堆積する。
苦しい時に泣く事ができれば、発散する事ができるのにね。
頑張り過ぎて泣き方をわすれたのかもねー。
学生の時なんか、目じゃないほど頑張った。
不当な扱いにも耐え、戦った。
多分、就職氷河期世代の中では、恵まれている方だと思う。人によっては「勝ち組」って思うのかもしれない。負けてもいないが、勝ってもいないのにね。
でもさ。
プライベートも仕事も頑張るには、もう、息切れして動けないんだよ。
ばらばら書いたから、話が飛び飛びになってる。
支離滅裂なのは疲れているから。この苦しさを誰にも訴えてこなかったから。
これだけ頑張っても、誰からも認められないのが中年ってことなのかなあ。
自己責任を強く求められてきたけど、全然褒められないんだよね。
我々世代はそれが当たり前で、他は守られる世代ってことなんだろうか?
ほんと、運悪いよね。
こういう悩みってたくさん見るけど、結局相手にナメられてるかどうかなんじゃないかと思う。
ナメられないように常に周りに攻撃的なのは論外だけど、角が立たないようにナメられる態度をとってるせいで損してる人が多いと思う。
反撃することによって受けるダメージってのは少なくないけど、反撃しないことによって付け入られ続けるダメージの総量のほうが多いことって関係が近ければ近いほどある。
知らん人に足踏まれた程度で暴れるのは割りに合わないしアホだと思うけど、付き合いが長くなる相手なら、反撃してナメた態度とかこちらに譲歩を要求することがリスクだと覚えさせたほうが良いと思う。
周りに変だとか大人の対応しろって言われたって、暴れたことで発生する実際的な不利益なんてたいしてない。
ナメた態度取ってくるやつにだけ反撃する分には何も問題無いと思う。
私(シス女性・ヘテロ)にはFtMの親友がいる。これから、私から見たその親友について、彼と初めて出会ったときから順番に時系列で書いてみようと思う。
この記事を書こうと思ったのは、ツイッターやネットには、ジェンダーについていろんな意見が飛び交っているけれど、LGBT(この言い方は性自認と肉体の問題であるトランスを性志向の問題であるLGBと一緒くたにしていてあまり良い言い方ではないと思うが)の当事者とヘテロの人との関わりについて、ヘテロ側から書いた記事が少ないなあと思い、そういう視点からの話があったら何かしらの意義はあるかもしれないと思ったからである。
最初に断っておくが、私は「性別なんて結局関係なくて全ては人間同士の問題だ」といった浅はかな話を伝えたいわけではない。私の親友は現在進行形で社会のトランスジェンダーの人々への不理解・不寛容による様々な不利益を被っている。そのような不利益はなるべく早くこの世から無くすべきだし、そのためには多くの人々がジェンダーにまつわる問題を自分事として、リアルに考えられるようになることが必要である。そのために、この記事が少しでも世の中のジェンダーにまつわる問題を考える人の参考になったら幸いである。
↓以下自分語り↓
彼とは中学で出会ったけれど、初めて出会ったころからしばらくは彼はまだ「彼女」として生きていた。お堅い私立の女子校に入った割には少しやんちゃなタイプで、4月早々の初めて一緒に帰った日に寄り道禁止の校則を破って一人で新宿で電車を降りようとした私に、彼女は「面白そう!」と言って付いてきてくれた。
一緒に帰ってる子がいるのに勝手に寄り道しようとするところから察せられると思うが、当時の私は集団行動がとにかく苦手だった。あと、謎のプロフィールカードを回して(書くのが地味にめんどくさい)、趣味とか性格とかをやたらと自己開示して同じ雰囲気の人同士で固まっていく、女子特有のあの謎の雰囲気にも全然なじめなくて、あんまり友達ができてなかった。彼女は一緒にいても無理に私のことを聞き出したり、自分のことを話したりもしなくて、そういうサッパリしたところがすごく楽で私たちはすぐに意気投合した。
毎日一緒に新宿で降りてその日のノリで無意味にアルタとか世界堂とかを気が済むまで一緒にぶらついた。私は可愛いアクセとか服とかをよく買ったけど、彼女は最新のごついボールペンとか、銀粘土という私が知らない謎の粘土(それを使ってクロムハーツっぽいかっこいい系のシルバーアクセを作っていた)とかを買っていた。お金がない日はパックのジュースをコンビニで買って地元駅のベンチで座ってずっとだらだらどうでもいいことを喋っていた。彼女も私もあんまり家に帰りたくないタイプだったので、無意味に夜の9時くらいまでベンチで喋っていた記憶とかあるけど、何をしゃべっていたのか全然思い出せない。多分最近やったおすすめのゲームとかそういう他愛もないどうでもいい話をずっとしていたんだろうと思う。中二の頃は二人してゲーセン通いにハマって、大金をつぎ込んでハウスオブザデッドをラストまでクリアしたり(金の無駄すぎる)、夏休みを全てクイズマジックアカデミーに溶かしたりした。マジアカに関しては昔は1クレで2回遊べるような気前のいい設定のゲーセンが結構あって、二人で交互にお金を出すと1000円もかからずに一日中遊べた。答えるジャンルは彼女は理系学問と歴史の担当で、私はアニメゲーム芸能の担当だった。あと彼女はクレーンゲームを一度やると取れるまで諦められないという悪癖があり、月のお小遣いを一瞬で溶かしてどうでもいい景品を取ったりしていた。いつだったか、彼女がクレーンで私のために戦国BASARAの伊達政宗のフィギュアを取ってプレゼントしてくれた時はすごくうれしかった。
中学二年生できっちり中二病になった私が突然ロリータに目覚めてピンクのフリフリドレスを着だしたときも、「似合ってるしいいんじゃね」の一言でそれ以上特に何も突っ込んでこなくて、その雑さがかえって楽でありがたかった。
とまあとにかくこんな感じで彼女と遊ぶのはとても楽しかったけれど、仲良くなるにつれてだんだんと、そして確信的に、私は彼女が他の「女の子」とはどこかが違うということを感じつつあった。何が違うのかはまだはっきりとはわからなかったけど、とにかく彼女は他の女の子と何かが決定的に違っていて、そして、違っているからこそこんなに気が合うんだろうなあと漠然と思っていた。
中学二年の終わりごろのある日、彼女が急に長かった髪をバッサリ切って学校にやってきた。私服の服装も、ワンピースとカーディガンみたいな感じから、Tシャツにジーパンみたいな男の子っぽい服装に変えた。他の子は「すごい大胆にイメチェンしたね~!」とか言ってたけど、私は彼女のそれが「イメチェン」なんかじゃ絶対ないことが何となく分かっていた。自分の性別についてとか、そういう話を彼女としたことは無かったけど、その時は漠然と「多分彼女は本来の自分の姿に戻ろうとしてるいるんだろう」と思った。私がロリータを着だしたとき、「うちのお母さん宝塚とか好きだからさ、そういうの着て欲しそうにするんだけど、嫌なんだよね。」とポツリと言っていたことを、何となく思い出した。髪の毛は、お母さんはもったいないから切るのやめなよ!そんなに短くしたら男の子みたいだよ!って言って反対したらしいけど、自分で勝手に美容室に行って切ったと言っていた。「そっちのほうがしっくりくるじゃん!」って彼女に伝えた。
中三の頃から、お母さんとの折り合いが悪いとかで、彼女の元気がない日が多くなっていった。私はそういうことに無理に相談に乗ろうとするタイプじゃなかったし、彼女も多分それを望んでないだろうと思ったので、元気がない日はとりあえず一緒に遊んで、彼女が家に帰らずに済むようになるべく長い時間一緒にいるようにした。ジョナサンのドリンクバーで追い出されるまで粘って、彼女が授業を休んだ分を一緒に勉強したりした(完璧に教えられるほど私が頭が良くなかったのは申し訳なかった)。一緒に夜遅くまでいると彼女の携帯にお母さんからしょっちゅう電話がかかってきていたけど、そうなると彼女は携帯の電源を切っていた。確か彼女の携帯はストラップも何もついていない、青いシンプルなソニーのやつだった。
高校生になると、彼女はだんだんと学校に来なくなる日が増えた。学校になじめないとかそういうことじゃなくて、多分、彼女が「彼女」でいることが限界を迎えつつあったんだと思う。たまに学校に来られる日はむしろ楽しそうにしていたし、学校はすごく楽しい、全然嫌じゃないって言っていた。今にして思えば、女子校で性別が一つの空間だったから、自分が男の子に対する女の子だっていうことをことさらに考える必要が逆に無くて、彼女を苦しめる色んなものから解放される場所だったんだと思う。
けど、そういうことを彼女のお母さんはどうやら絶対にわかってくれないようだった。学校の先生も「何でいじめもないのに来ないんだ」って感じだったし、周りの大人は誰もかもが、何か彼女の根本的な何かを理解してなさそうだった。私もその時はまだはっきりと彼女の苦しみを理解できていたわけではないけど、ただの思春期の悩みとか親子関係のもつれとかではないだろうことはぼんやりと感じていたし、そして多分、私が彼女のことを根本的に救うことは出来ないだろうということを感じていて、何とも言えない気持ちになっていた。私にできることはただ今までと変わらず仲良くすることだけだよな~と思って努めてそうしようとしていたけど、先生とかに「〇〇さんと仲良くしてあげてね~」といかにも不登校の子のケア的な感じで言われるたびに、そんなことずっと昔からとっくにしとるわ!と白けた気持ちになった。
彼女は結局高二高三と結局ほとんど学校に来られなかった。私はアホなりに頑張って何とか大学に合格したけど、彼女はそんな調子だったから、何とか卒業はできたけど当然現役で受験するのは無理で浪人することになって、春休みに会ったときに予備校に通うことにしたと言っていた。大学に入ってからは私も忙しかったし、彼女も親と一緒にいるのが限界で一人暮らしを始めたりした関係で、初めて半年くらい会わない期間があった。その半年の間に、私は女子校を出て男という存在に実に小学校ぶりに接触し、この世界には男と女がいてそうやって社会が成り立っていることを久方ぶりに思い出した。何なら初めての彼氏まで出来た。
そんなある日、サークルの部室でスマブラでもみんなでやろっか~ってなったときに「ゲームとかやったことある?」って何気なく男の子に聞かれて、その瞬間、「ああ、「男の子」と「女の子」っていう、こういう感じの雰囲気、あったな」という感覚が自分の中に鮮烈に蘇ってくるのを感じた。私は小学校の頃からゲームが大好きで結構いろいろなソフトを遊んでいたけど、女の子でゲームが好きな子は小学校のクラスに一人もいなかった。男の子が新作ゲームの話で盛り上がって「今日俺んちで一緒にやろうぜ!」って言ってるのを聞いて、混ぜて欲しいなあって思っていたけど、何故か言えなかった。そういう小さいころほのかに感じていた違和感とさみしさが心の中にバーッと思い出されてきた。小学生までの私はずっと一人でゲームしていてすごくさみしかったし、一緒に気兼ねなくゲームしてくれる友達がいればいいのにな~ってずっと思っていた。だから、男だからとか女だからとか考えずにとりあえず一緒にゲーセンに通って、アホほどマジアカやれたのが、あんなに楽しかったんだなあってことがようやくしっくりきたのだった。
夏の終わりころ、「引っ越し終わったから会おうよ」って連絡が来て、家に遊びに行って半年ぶりに会った。一人暮らし始めたてだという部屋はめちゃくちゃ殺風景で、唯一あるデカめな本棚に河合塾とか駿台のテキストに混ざって横光三国志とかジョジョとかいろいろな漫画がたくさん詰まっていた。プレステがない事にちょっとがっかりしたが、「浪人してるので親に止められた」って言われてまあそりゃそうかって納得した。けれど、親に干渉されない空間で前よりだいぶ生き生きしているようで安心し、それからちょくちょくまた一緒に遊ぶようになった。
最近はよくそういう話もするけれど、どういうタイミングで性同一性障害とか、FtMとか、そういう話を彼から聞くようになったかを私は何故かはっきり覚えていない。大学生になってからだというのは覚えているが、はっきりとしたカムアウト的なことを受けたのがいつだったか、記憶があいまいなのである。もしかしたらそういうはっきりしたカムアウトも無くて、「男なんだよね~」「そっか、まあだろうね~」みたいな感じで、ダラダラ喋ってるときにノリで言われたのかもしれない。どのみち、私は大学に入って自分の中で「男」という概念を思い出した時点で、ああ、彼女はやっぱり完全に「男」だったなという確信を持っていた。肉体の上での性などどうでもよく、長年一緒にいて相手のことを知りつくした結果、彼女が「女」では絶対にないということが理性を超え出でて感覚レベルでしっくりくるものがあったのである。性別というものは全くもって不思議なものだなあと思う。とにかく、大学生になってからは私の中では彼女だったあいつは完全に「彼」になった。もっとも、私は中学生のころからきっと、もともと彼のことを特別に彼「女」とも思っていなかったけれど。
けれど、「彼」として彼と一緒に過ごすようになってから、私は何回か彼のことを配慮のない言葉で傷つけてしまったことがある。例えば、「久々にプールでも一緒に行かない?」って何気なく誘ったとき。中高のときは家も近かったし、ゲームの合間にたまに区民プールに一緒に行って泳いだりしていたのだ。彼は泳ぎがとてもうまかった。けど彼は「水着が着られないから行けないよ。もうずっとプール行ってないな。」って、ちょっと悲しそうな顔をして答えた。私は、ああそうか、まだ一緒の更衣室で着替えていたあの時も、彼はずっと気まずい思いを抱えて過ごしていたんだなあと思って、そういうことにひっそりと苦しみながら誰にも言わずにずっと耐えていたことを思い、ものすごくつらい気持ちになると同時に、無神経に誘ってしまって申し訳なく思った。あとは、彼が中高の共通の友人の結婚式に出るのを断ったと聞いて、行けばいいのに!って言ってしまったとき。なんで行かないのって聞いたら、まだオペしていないから男物のスーツを着て行って浮きたくないし、何より「女子校時代の友人」って言われるのがつらいって言われて、ああそうかごめん…と思った。私の結婚式はドレスコード何でもOKで、「昔からの超マブダチ」みたいな感じでぼんやり紹介するから来てよって言ったら、それは行くわと言ってくれてうれしかった。
とにかく女として見られることがつらいので、彼は大学生になってからは名前の漢字も男の子っぽい名前に名乗り変えて(予備校で事情を説明して対応してもらったらしい)、高校を出てからは基本的に男として過ごしていた。だから、予備校で知り合った友人に私を紹介してくれたときも「高校の友達だとだけ言っといて!どこの学校か聞かれたら適当にごまかすから」と私に言った。何でわざわざぼかすの?って聞いたら、女子校出身だってバレたくないから、ごめん!って言われて、なるほどそうか…と思い、私はよく分からない共学出身の人としてその彼の友人とよく遊ぶようになった(ちなみにその人はすごく理解のあるいい人だったので、最終的には彼がFtMで女子校出身ということもきちんとカムアウトしてすっきり過ごせるようになった)。
とにかく、彼と友人として共に過ごしていく中で、私は世の中がいかにトランスジェンダーに対して無関心で配慮が無いかということを、図らずも身に染みて思い知ることが出来た。私は元々ジェンダーに対してあまり意識が高くなかったけど、彼は大学に無事合格してからはそういうジェンダーにまつわる問題に取り組むサークルに入って、この社会が抱える色々な、特にトランスジェンダーに関する問題について、私に色々と教えてくれた。「病院で保険証出してあれ?みたいになるときマジ困るんだよね~ここばっかりは女っていうよりしょうがないけどでもやっぱ嫌なんだよね~」みたいな、彼の身近な問題から分かりやすく説明してくれて全然押しつけがましくないのが、彼らしくて良いなあとよく思う。
つい最近、彼が昔の話になったときに、「一度だけ学校の先生に『自分は男なんだ』と相談したけど、その時『言ってる意味が分からない』と言われて否定されてすごくつらかった。それから中高の時にはそういうことを言えなくなってしまった。けど、お前に自分が男なんだってことを言ったとき、『やっぱそっか、私にとって〇〇は〇〇で男でも女でも変わらないけど、今度から男って思っとくわ!』とあっさり言われたのが、すごく気楽で救われた。自分の性別について否定されるのはつらいけど、逆に気を遣われすぎるのもつらいから。」と彼に言われた。私はマジで思ったことをそのまま言っただけで意識してそう言ったわけではなかったけど、そう言ってもらえたのはすごくうれしかった。これからもずっと、大切な友人として、過ごせたらいいなあと思っているし、彼を取り巻くあらゆる不利益が一刻も早くなくなるよう祈り、自分ができることをやっていきたいと思っている。
https://anond.hatelabo.jp/20200103105216
(つづき)
そして最後に④の
修斗コミッション事務局長/日本修斗協会広報小島邦裕氏によるDEEPとRIZIN誹謗中傷ツイート
https://i.imgur.com/CjOFHHz.jpg
これは以前にも私が指摘したように
【日本大会中止に見るONEにおける現状の日本の位置に関して思う事2】
https://anond.hatelabo.jp/20191213200448
【TRIBE TOKYO M.M.A主宰 長南さんのONEにおける立ち位置への問題提起】
https://anond.hatelabo.jp/20191221191237
格闘技関係者のSNSの使い方の下手さやリテラシーの無さからくる問題で
今回の小島さんだけに限らず
https://twitter.com/sakurabatakada/status/1212236439729033216
https://twitter.com/a_ok_i/status/1211274052158930944
https://twitter.com/TTT59455325/status/1211277481858093056
DEEPの何が問題なのかエビデンスを持った論理的な説明を今まで一切行っていません
そのため第三者には詳細が一切分かりませんが
ちゃんと法を通して訴えるべきですし
今すぐやめるべきです
そのせいで不利益をこうむる関係のない選手たちが一番かわいそうです
いつまでもこういうチンピラまがいの古いやり方は変えるべきです
こんなだからいつまでも格闘技業界は世間から馬鹿にされるんです
もう少し自覚を持ってください
それは国家から有罪としての不利な取り扱いを防ぐための条文でしょ。
個人が有罪と思うか無罪と思うか、犯罪行為を行ったと見なすか見なさないかは評論の範囲と見なすべきだよ。その表現によって具体的な不利益が生じれば、それは別に償われるべきだが。
日本国憲法には「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあるので公務員採用でこれらを採用条件とすれば問題だが、民間採用で採用条件としても必ずしも違法とはならない。それと一緒だよ。
山口敬之の民事敗訴の件で刑事と違う結果になったがO.J.シンプソン事件とそっくりだ。
この事に混乱している人が見られるが、これは法の「仕様」上正常な動作なので少し説明したい。
まず、刑事事件で訴えられた者を「被告人」といい、民事事件では「被告」という。両者の混同も多い。
この刑事裁判では、被告人が有罪であると証明するのは全て検事(国)の責任だ。
更に「相当程度明らかに」まで証明しなきゃいけない。「どっちかというと有罪かな」という程度じゃ駄目なのだ。「こりゃほぼ間違いなく有罪だろ」ってぐらいじゃないと有罪にならないというのがルールなのである。
だから被告人としては検事の主張や事実の摘示に「疑いがある」程度まで崩せればいい。その場合は無罪判決となるというのがルールなのだ。
一方民事事件では請求(金払えとか広告掲載しろとか事実だと認定しろとか)にしろ、それへの被告の反駁にしろ、自分の利益、主張には自分方に証明責任がある。
相手方の主張に証拠を出して上手く説明できない場合は相手方の主張が通るのだ。
更に証明の程度は半分を超えていればいい。つまり「どっちかというと原/被告の方が正しいな」という程度で勝ち負けが決まるのである。つまり民事裁判は天秤掛けなのだ。
その為、自白の扱いも違う。
刑事では罪を認めた、警察検察が適示した犯行事実を認めた事が自白となる。
一方民事は「~~という主張がなされていますが認めますか?」と問われて「認めます(認諾という)」と答える事と、「主張を否認しなかった事」が自白となる。
認諾すると答える事も否認しない事も証明責任の放棄で同じ事だからだ。
刑事での黙秘は被告人の不利益にならないが、民事での黙秘は相手方の主張の全面的な認諾となるのである。
黙秘するって事は言いたくない可能性が高い。→「だからそれってやったって事だろ?」という推定をしてはいけないというのが黙秘権の権能の一つだ。
この黙秘により出来た「被告人の自白が無い」という穴を埋めるのも検事の責任だ。
またやっていないアリバイがある、止むを得なかったので情状酌量して欲しい、という主張まで放棄する事になる。
だからこの点まで黙秘してしまうのは被告人の不利益となるのは論を俟たない。
有名フットボールプレイヤーで俳優のO.J.シンプソンが恋人とその浮気相手を殺した事件でもOJは刑事で無罪になったが民事では殺人を認定され天文学的な賠償金支払を命じられる事になった。
・法廷で犯行現場に落ちていた手袋をOJの手にはめようとしたらきつくて入らなかった
すると「どうみてもOJが犯人だろ」という状況証拠しかなくなってしまう。この疑いが残る状態で有罪としてはいけないというのが法の精神なので無罪となったのである。
だが民事では「こいつヤッただろ」を覆すのも被告の責任であり、合理的疑いを生じさせただけじゃ駄目なのだ。
刑事と民事の証明責任の違いで、民事では天秤が傾いている方の勝ち、刑事では重い方が地面にぺったり付いてなくて少し浮いてゆらゆらさせれば被告人の勝ちなのである。
100kgの錘に対して101kgを用意して自分の手で天秤に持上げないといかんのが民事、0.5kgでちょっと浮かせりゃいいのが刑事だ。
この中間にある事例ではOJや山口敬之強姦事件の様な逆転が起こり得、それは法の仕様だ。
こうなっているのは無論刑事事件が国家vs.個人という特殊状態であり身柄の拘束もあり得、捜査能力も段違いだからである。
尚、国家vs.人でも行政訴訟は民事のルールに則っているので注意が必要だ。
また、刑事事件はニュースやドラマになりやすいが民事はそうではない。
その為司法に疎遠な人の間では刑事事件のモデルが想起されやすくアジェンダ化しやすいという特徴があり、はてなでもそれが顕著だ。
そもそも何故逮捕取りやめという介入があったかといえば、「証拠収集の放棄」の為だ。
日本の警察は自白偏重であり逮捕して自白調書をとろうとした。これを停止させれば決定的な証拠がなくなるから裁判所では有罪としにくいのである。
この為、無罪判決が出る可能性がある事件では起訴猶予とする事が一般的だ。
逮捕取止めはこれを狙ったものだ。本人自白調書が無い事件の公判維持は困難だ。こうする事で警察側から検察の行動を制御できる訳だ。
だがこれが昭和の検察ファッショを招いたと問題視したGHQは警察に一次捜査権を与えた。検察の管制からある程度独立で捜査する権能を警察に与え、検察の権能を限定化したのである。
それは汚職や検察ファッショを防御する為にそうしたのであり、こういう事をする為ではない。
起訴便宜主義と警察の一次捜査権の脆弱性を利用した悪質な制度ハックだ。
そしてこの事件で逮捕中止を命じた中村格氏は順調に出世して現在警察庁長官官房長であり年齢からしてまだ10年はキャリアの残りがある。
この事件は全世界でも報道されており、各国のメディアが注目しているのはこの政治的なスキャンダル性だ。
こういう有名事件のキーパーソンとして周知のトップの下で全国の警察官はこの先働くのだがどうすんのこれ?
・最高裁まで争うと安倍総理が任命した判事が居るから伊藤氏不利云々
最高裁が法廷を開く事件は限定されます。基本的に憲法判断が無いと審理しないと思ったほうがいい。
あと、人事権に注目した方がいい。
裁判所は内閣から人事権を独立させている。これは大変重要なことで、人事権を掌握されると無言の圧力で利害が誘導されるのです。
そして内閣人事局を設立しなきゃこの事件にしろ、内閣府の職員が公選法違反の有権者への飲食提供などに従事するなんて常識外れな行動も起こりえなかった。
だから裁判所の判断で「総理への忖度が~」とか言ってる人は人事権の問題を理解してないと思うよ。
因みに事件の事実が明らかでも不起訴となるケースは結構多い。特に強制わいせつと強姦では。
それはこれらでは謝罪と示談の成立があれば罪を課さない為に起訴猶予とする事が多いからで、このように被害者が争っているのに不起訴というのは異例というか相当に異常な事例と言って良い。
最後にマスコミへの不満なんだが、警察が空港で張っていた(そこへ逮捕中止の掛電)という事は、警察がTBSに聞き込みで社に発覚→TBSが降格人事で帰国命令→警察が帰国の日時を聞き出して逮捕状請求という流れがあったと見るのが自然だ。
なのにTBSはその事情を知っていたかをコメントしてないしマスコミも突っ込みいれて訊いていない。
更に山口敬之はTBS退社の理由を「韓国軍の慰安所取材のせい」と述べているのだが、実はこの退職理由を言う様になったのは夕刊フジがそのストーリーで韓国叩き記事を掲載した後なのだ。
「なんでそれ以前の説明と変ったのですか?」は意地悪な質問であろうがマスコミは訊いていない。
突っ込み力が足りないですよ。
向き合って、本当にそうなのか、被害者の家族がどんな思いをしているかと話し続ける。そうすることで苦しみ、葛藤が始まり、変わっていく人もいる。それこそが償いだと思うし、理解するまで生きてほしいと思って支援に関わっている」。
https://news.livedoor.com/article/detail/17524788/
刑罰とか生活で脅して意見を強引に忖度で言わせてるだけだろう浅原や金正日となにも違わない
ヴィーガンとかいう人々がいるらしい。動物も人間と同じように扱うべきだと考えて動物を食べないとか。ふーん。結構なことだ。
なんとかいう環境活動家がいて、こいつを批判する人は現実から逃避したい人だとか少女が偉そうにしてるのが気にくわない差別主義だとか言われるらしいね。環境保護、立派と思います。
エロ本や萌え表現が存在するだけで女性差別が強化されると思い、男女平等の理想のために表現規制をしたいフェミニストってのがいる。男女平等、偉い偉い。
でもこいつらは、人間の人生に、人生の意味や生き甲斐を与えることにはすこしも興味がない。「平等であれ」という倫理を世界に広げることには興味があっても、社会の片隅でひっそりと生きている独身弱者男性の生きがいが奪われることには興味がない。
人生の意味を語ることは非合理な宗教信者にしかできない。世界はただ存在して、人間は誰かが避妊せずセックスした結果としてのみ生まれ、生物学的必然としてのみ死んでいく。この世界で、子孫を残す望みのない弱者、独身者は、孤独な人間は、何を希望に生きればいいのか?ただ自分の寿命を維持するためだけにクソみたいな労働をして、雀の涙みたいなカネをもらい、家畜の餌みたいな飯を食うだけの人生を浪費する。こんな人生に何の希望があるのか?
虚無にまるっきり等しい人生をごまかすためのものは何だか分かるか。1つは肉を思い切り焼いて食うこと。1つは度数の強い酒を飲むこと。1つはオナニーをすること。強い快楽を脳に浴びせ続けて、絶望を忘れ続けることだ。
上に挙げたような人たちは倫理的に生きることだけを至上命題としている。それも、動物、未来世代、女性と、他者との関係の上での平等を中心にしている。でも僕たちが倫理的であるのは人間関係を円滑にして自分の生存を維持するためであって、全ての動物と地球で仲良くするためではない。環境を大事にしようと思うのは残された子供世代が生きることを考えているから生まれる考えであって、独身で子供を持たない人間にはなんの利益ももたらさない。社会で生きる女性が就職や賃金や地位の面で不利益を受けているのは正されるべきだと思っても、わざわざ見に行かなければ何の影響ももたらさないような表現を規制することが女性の社会進出に役立つ度合いが、弱者独身男性のオナニーの機会を奪うことまで正当化できるほど大きいとは思えない。
僕たちの生きる意味、いや、生の絶望をごまかすための手段が、こんなことで制限されていいとでも思っているのか。
倫理的に生きることは、よく生きることに優越しない。絶望と生存のぎりぎりのラインを生きる人に、そんな強い倫理的要求を課す権利があるなんて、何で思えるんだ。リベラルの欺瞞なんてことが言われるのは、他者と対等に交感しあい友と親しい関係を築くことが人生の意味だなんて大層なことを言いながら、自分達には下品な性欲も食欲もありませんみたいな振りをしつつ、それを代替し人生の意味を補うための家族も友達も金も職業も弱者が欲しいものは全部持っていて、何もない孤独な独身男性に偉そうな倫理的マウントをとるからだ。
現代の倫理エリート活動家どもには、人生の無意味を直視してもらいたい。弱者で孤独で独身で救いようのないゴミ人間も、命を持って生きていることに対して向き合えないなら、お前たちの思想にも活動にも何の意味もない。