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2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件2

(長く書きすぎたみたいだ。途中で切れてしまった。。。)

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新たな研究分野の基礎を示した先駆的研究として評価することができる。

論文日本語文法事象を中心に扱っており、その記述分析の面においても、射程の広さと事例観察の綿密さが評価される。分析対象として、格、時制、主語目的語自動詞他動詞、態、形容詞といった広範な現象を横断的に扱い、本論文の主張する日本語の「主体化による認知モード」によって一貫した説明が試みられており、それらがいずれも西欧パラダイムによる言語研究標準的使用されてきた文法概念と完全な対応関係を結ばないことが、説得力をもって示されている。

日本語学で所与のものとして適用されてきた「動詞の自他」や「態」といった文法概念のものの再検討を迫るという点で、本論文日本語研究にも一定の貢献をなすものである。また、本論文日本語における文法カテゴリや語彙の変容にも照準を合わせたものであるが、その主張は単なる理論憶測ではなく、万葉集源氏物語などの主要な古典作品をはじめとする膨大な歴史的資料に基づいたものであり、言語研究において不可欠である言語データの観察の綿密さについても高く評価することができる。

論文共時的言語事例と通時的言語事例とを並行的に分析し、日本語言語現象全般個別現象の解明を目指した統合研究であり、認知言語類型論という新たな研究視点提供している点で、学術価値は高いと判断される。

よって、本論文博士人間環境学)の学位論文として価値あるものと認める。

また、平成26年11月26日論文内容とそれに関連した事項について試問を行った結果、合格と認めた。

まさにお墨付きだ。

最後ちょっと真面目な話。『認知言語類型原理』の問題は、この書評で間違いだと明らかになったことじゃない。学問は古い学説踏み台にして進んでいく。今の定説もいつかは否定され、乗り越えられていくかもしれない。だから、間違いを含んでいるとわかったこ自体問題じゃない。それまでの研究に新たな知見を付け加えたのなら、たとえ間違いを含んでいても価値ある研究だ。ダメなのは、従来の研究に何ら新しい知見を付け加えず、最初から間違いだとわかる研究だ。『認知言語類型原理』はまさにそのような本だと批判されている。もちろん、出版された本に対してそのような批判をする権利は誰にでもある。たとえ批判が当たっていなくても、ある。自由批判ができることは、学問の発展に不可欠だ。書評子が批判したことで将来不利益を被ることがあってはならない。

それにしても、どうして『認知言語類型原理』は『日本語主語はいらない』みたいに多くの言語学者から批判されていないんだ? 『日本語主語はいらない』は大手出版から一般向けに出たのに対して、『認知言語類型原理』は学術専門出版から専門書として出たからか? それにしたって、専門書でも専門家なら読むだろうし、なんならもっと真剣に読むだろう。他に書評は出てないのかとCiNii https://ci.nii.ac.jp/ で『認知言語類型原理』を検索したけど、ないみたいだ。もしかして京大とか超大物研究者とかの権威に怯んでるのか? 文系学問がそんな腐敗した世界なら、世間から不要とされるのも無理はない。この腐敗した世界に堕とされても、くだらないことでビビることなく「王様は裸じゃないか! 裸の王様、何を学んだの?」と喝破した書評子には拍手喝采を送りたい。だけど、こんなものを書くために生まれたんじゃないだろ…。

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-11-08

anond:20191107210358

いくら友人であろうと、異性だけ終電で帰らせたり、旅行から外したりもする。もちろんしない場合もあるけど、それも当人たちが選択したことなんだよな。


ゲイを隠して友人で居ることは、その選択をさせないということ。


そして同性間にある特有の気の緩みから自分が『男友達の中でパンツ見えてる子という、エロマンガ的なおバカさん』だったことに驚くわけだ。「誰もお前に恋愛感情なんか持ってないよ、自意識過剰だ」と言うのは、「ブスのパンツなんか見ねーよ、わざわざ隠すな」というのとあまり変わらない。

その人に魅力があろうと無かろうと、自意識はあるし、防衛本能もある。安心感が損なわれることに、己の顔面関係ない。


自分同性愛者では無いと主張する権利個人は持っているか自分ゲイでないのに、周囲からゲイだと認識される不利益を排するのは個人権利なのか。主張すること自体差別があることは明白だけど、個人的には仕方の無いことなんじゃ無いかと思う。


ゲイあいつと特別なかの良いあいつ、という周囲の目を疎ましく思うことは仕方なかろう。その結果、もっとも近しい人から手ひどい拒絶を受ける、という経験をしたゲイの方はそれなりにいそう。


まだこのご時世、ゲイで居ることも、カムアウトされる方も、みな不幸。何世代か経てば、そういう状況も変わっていくんじゃないかね。それには周囲にも普通にゲイの人が居るんだよという、相互理解必要なんだと思う。

表現の自由があろうが1法人や1企業がやるからには批判が多ければ下げるのは当然

不利益を被ってまで表現の自由を守る理由もないし

2019-11-06

anond:20191106103613

なにこの春って奴。自分に都合のいい論文だけ拾い読みしてんのか?どっちも暴言だろ。

差別何が悪いかって、自分がその属性であるだけで謂れのないレッテルはられることにより不利益を被ることだろ。男というだけで女を【潜在的に】見下してる発言とされたり、女というだけで発言内容が”フェミ”扱いされたり、ゲイというだけで不潔なもの違法ものとされたりってのが悪いところなわけ。

その時に、自分ゲイから男女愛をクサすのはOKみたいなのは皮肉文化カウンター文化として表現の自由に組み込まれるというのは、今の世の中では割と通りがちだが、実際は属性強者扱いされる救われない被害者を産むだけで、やっていることは同等にゲスだと俺は考えている。

差別や不当な扱いを受けるとき、徹底的な抗議は必要だ。その説得材料として逆サイドにいる人間の扱いを引き合いに出すのは良いが、逆サイドを蔑める行為をするなら、それは正しいことだとは思わん。

強く言い切ることで反発を誘発することが「議論を呼んだ」と評価されるのは、俺の評価からすればクソだ。どの立場にも気を使い理解しようとした上で、それでいて事なかれとするのではなく、自分が正しいと思うことをハッキリと発言する。そういう意味で、事なかれで収縮するのもクソだ。もちろん鞘から抜かないような判断必要、いつも剣を振りまわしていると「クレーマー」のレッテルにより言葉が届かなくなる。だから自分の譲れない部分は局所化して持っておく。

規制論で「倫理」は最も悪質でしょ?

on Twitter: "ジャンプの件は「女性配慮した作品をつくれ」ではなく、「少年がメインターゲットであるという点を譲歩しろ」という話でもなく、「倫理観を持て」という話だと理解している。 男子向けにつくるなら女子への加害はエンタメ扱いするのがまぁ当然、みたいな意識には問題がある。という感じの話。"

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tiharu4happy/status/1191638835324522496




ちょっと故意すっとぼけてるのか本気でアレなだけなのか判断つかないので真面目に書く。


1.ジャンプのどの漫画の話なの?

女子への加害をエンタメ扱いする」とは具体的にジャンプのどれのことなのかがわからない。

女子への加害をエンタメ扱いしてたら確かにグロいし感心できないし当然私もそんな漫画を好きにはなれない。

けれども現在ジャンプでそんな漫画があったっけ?というと思いつけない。

(もしも女性キャラが胸元空けてる衣装などを「女子への加害」と言ってるならかなり話は違ってくるんだけど。)


からまずジャンプのどの漫画の何ページの描写なのか言って欲しい。

言われればちゃんバックナンバーを当たって当該箇所を読み直して考えるから。(電子版便利)

でもそれを絶対言わないでしょ。

具体的に言わない理由、聞かれても答えない理由がわからない。

しろ「こんなに酷い描写があるから見ろーーッ!」って言いたくなる筈じゃない?

なんでそこ避ける?


なんか小学校時代嘘吐きの子の振る舞いに似てるんだけど。

雄弁だったのに具体的に質問されると一転ダンマリになる感じが。

…本当にそんなの見たの?


2.規制基準も具体的でない

そもそも献血ポスターから始まった今回の一連の規制論の特徴は

具体的に、何をどのようにすると、何故まずいのか明文的基準提示規制論者がやらないことにある。※1

その質問を投げかけられても決して答えないので、逃げているようにすら見える。


別にジャンプ無謬だと思わないし「この漫画のこの描写に抗議する」ということな全然いいと思う。

私も例えばワンピース単行本オマケで「男性キャラ女性に性転換したら全員スイーツサラダの話ばかりするおばかになる」(女性キャラ男性に性転換すると粗暴で野心的になる)という描写にはうわあ~ステレオタイプ!と思ったし感心出来なかった。

スケットダンスにかなりホモソーシャル的だなあと感じた回もある。


そういう具体例について指摘して批判議論をするならいいと思う。

もちろん納得せずに「それぐらいいいだろ!」って反論してくる人もいるけど、それら全て意味のある議論だし批判だよね。


でも具体的に言わずに「倫理を持て」で規制かけてくるのは怖いよ。

それはもう何でもやり放題じゃん。

そんな規制って最悪の規制じゃない?


別に倫理が嫌いなわけじゃないよ。

でも規制論で「倫理」が基準にされるのは怖すぎ。フリーハンドといっしょじゃん。


ていうかはてなってそういうのを懐疑する側だったと思うんだけど。

倫理を持て」とか「常識で考えろ」とか「普通にわかるだろ」とかで咎められるのって怖いし理不尽じゃん。

そうやって議論回避しつつ恣意的に取り締まりたいっていうのは権力的な仕草じゃない?

はてなはどっちかっていうと反権力リベラル勢力だったと思うんだけど

なんでオタク規制ときだけゴリゴリ保守みたいに問答無用権力的な顔つきになるの?

3.まとめ

そんな長くなかったと思うけどまとめ。

 1、ジャンプ問題を指摘するなら問題のある作品名と箇所を具体的に言ってよ。

 2、「倫理」とかい恣意的に内容決められちゃう基準規制出来たら弾圧国家だよ。


これだけです。わかりにくくないでしょ?

倫理」なんて人によるんだから客観的に論じるべき話題でそんな言葉持ち出される時点でちょっと「えーっ?」ってなる。

tweetの春さんは「BLが好き!」って書いてるけど、「ホモなんて論外!」っていう倫理の持ち主絶対居るよ。

倫理ってそういうものなんだけど、春さんや彼女賛同する人はそこからわかってないのかな。



4.反応への追記 「規制といわなければ規制ではない」?

yas-mal そもそも、元Tweetに「規制」という単語は出てこないようですが…。

2019/11/06

これは予想し得うる限り最もくだらない逃げであると同時に、

私が今回問題にしているポイントのものです。

あなたがたが具体的な基準提示から逃げ回るのと同じぐらい、

規制」という言葉を使わないようにしているのは気付いていますよ。

で、今回実際起きていることはどうですか。


日赤弁護士からセクハラである」と明言され世論への火付けを図られ

弁護士社会運動家からの「お問合わせ」を受けました。

ジャンプ作家篠原健太クレームへの丁寧なやり取りの中で「不快表現があり得る」と述べたら

女性差別肯定する作家かのように操作炎上を図られました。

セクハラ差別も一発で社会生命が葬られるぐらい重い疑義であって

日赤篠原も多大な緊張とストレスと消耗を強いられています

挙句に「”倫理観”をもって自主的に”考えれば”これ以上攻撃しないよ?」

これが規制アクションでなくてなんなのですか。


ヤクザ脅迫も「誠意を見せろ」と言って具体的に何が問題でどうしてほしいのか言わないそうですが

yas-mal氏の「規制とは言ってない」は「金を出せとは言ってない」とどう違うのでしょう。


segawashin 規制ってどこから出てきたの。表現を考える根拠の一つに倫理を置くことと規制殆ど正反対の差があるのに。例えば我々が猫虐待画像を許せないのだって要は倫理問題なんだけど、都合よく目の敵にしないで欲しいね33 clicks

2019/11/06

yas-mal氏と同じおとぼけは流すとして、

「我々が猫虐待画像を許せない」とはまた主語が大きいな。

私は猫虐待画像全然します。それ許さなかったらジョジョも読めないですから

一方で猫虐待する人間動物愛護法によって捕まります

都合よく目の敵にしないではどっちのセリフなんですか、

あなたは日頃からオタクを目の敵にしてオタクの話だと蔑視攻撃的なツイートする人に見えます私には。

あなたの”倫理”なんてなおさら全然広く共有できる代物でなくないですか。

当人にその自覚もなくむしろ自明絶対ルールだぞ」ぐらいに勘違いしがちだからこそ”倫理”はあてにならないんです。


noemi_itoh 明確な基準を示さないのは自分の頭で考えろという意味で、表現規制しない為なんだよな

2019/11/06

絶え間ない攻撃不利益の予告をしながら「自分で考えろ」というのは

要求が金品であれば脅迫ですし

要求自分の気に入る表現であれば規制です。

そんな詭弁看破されないと信じて鼻息が荒いのは滑稽です。


とりあえずこの御三方と星つけた人たちの論理でいけば

あいトレへのクレーム圧力不利益の予告は「自分で考えることを促していただけ」「倫理の話をしただけ」「規制正反対」なんですね?

どんな圧迫を加えても「規制」とさえいわなければ規制ではないのだと。

ひどい言い逃れです。

がっかりしました。


5.追記

Cunliffe 「「倫理」とかい恣意的に内容決められちゃう基準規制出来たら弾圧国家」なんでいきなり「国家」に飛んじゃうのかねえ。「国家」が「倫理」を押し付けてきたらわたしゃ反対するよ。

2019/11/06

私もあなたと同じく国家倫理押し付けてきたら反対しますけど、

あなたと違って一部市民倫理押し付けてきても反対するんです。

いや、あなただって押し付けられる側に立ったと感じたら絶対反対すると思いますけどね。

自分押し付ける側でいる限りは「倫理」という一方的絶対価値曖昧非難OKなんだから

客観性を持てず自分欲望にだけ甘いというだけじゃないですかそれは。

2019-11-02

フェミな方々が男性オタクに関して知るべき5つの事実

オタクほど自分欲望真摯に向き合ってる存在はいない

オタク衝動に任せてただ貪っているのだけではなく

自分の持つ衝動と向き合い、哲学する探究者でもある。

少なくとも自己内面を掘り下げない一般男性よりは自覚的であると言える

オタクほど女性を強いと思ってる存在はいない

現代において肉体的な強さは大した価値がなく

金銭的な成功者も、いわゆるイケメン

オタクにとっては憧れるなりたい自分になりえない。

男性にとって説得力あるロールモデルがなくなった現代において

比較ありのままで存在を認められる「かわいい」といった女性特有の強さは

どう取り繕っても存在自体本質的キモ

需要どころか排斥対象すらなりえるという自覚から逃れなれない男性にとっては

もはや羨望の対象ですらある。

「宇崎ちゃんは遊びたい」も女性弱者として性的に消費してるどころか

ウザいからみをしても許されるどころか肯定され価値は発生する

女性強者っぷりを描いた作品といえる

一億稼げといわれたら宝くじ現実的説得力ある選択肢になりえるように

圧倒的弱者という自覚がある男性にとっては

向こうから好意で絡んでもらえるという奇跡幸運

女性接触する唯一レベル説得力がある可能性という悲しい構図なのだ

オタクは何も持っていない

前述のようにオタク弱者で、どう取り繕っても本質的キモいという自覚があり

自分は何も持っていないと考えている。

からこそ自分内面欲望と向き合い、空想することが生き甲斐になっている。

その持たざる者視点では、

フェミな方々があげる問題は「持つもの価値をどう保護運用自己コントロールするか」の話に見えてしま

それどころか、持つもの持たざる者の逃げ場所価値自己コントロール対象として奪おうとしてるようすらみえる。

大多数のオタク女性不利益是正されるべきと穏当に考えてるが

表現弾圧是正のための唯一の手段でも、効果的な手段でも、女性被害象徴ですらない

リターンなど考えずただ叩きやす弱者から叩いてるように見える。

弱者から潰すのは戦争では常套手段とはいえ、禍根を残す虐殺をやる覚悟ちゃんと持ってるのかは疑問である

オタクほど理想現実区別し、現実女性から遠ざかろうとしてる男性はそういない

圧倒的強者である女性にたいしてオタクはできるだけ接触したくないと考えている。

(ただし、いけるという勘違いが発生してしまった場合はこの限りではない傾向がある)

そもそも結婚自体が魅力ある人生モデルみえなくなった時代

ある程度、自給自足ができるオタクが草食的になるのは自然

オタクがしたいのは自身内面欲望探究であって

性交可能性を増やすことではないし、

理想現実の違いを誰よりも知る人種といえる

ファンタジー現実と同一視するどころか、現実象徴とすらして

オタクこそ現実女性積極的性的消費する第一人者とみなすの大間違いといえる。

しろ現実女性への性的消費から遠いところにいるのがオタク

オタク実在女性性的需要相対的に減らす存在

オタクは自らの欲望と向き合い自給自足にある程度成功している。

これは技術の発展によってさら進化する可能性がある

男性的な性欲を満たすのに必要パラメーターは客観的にはけっこう少ない。

VRによって視覚的に騙すのはかなりのレベルにまできている

たぶんロボットアーム付きルンバみたいなのに遠隔操作自律動作家事やらせるのがどこかで流行るので

触覚も20年以内にある程度解決する可能性が高いのではないかと思う。

男性シチュエーション的なものは求めるが心理的ものはあまり求めないので

技術によってどんどん欲望の発散方法が洗練されていく

そうなれば女性性的需要相対的に低くなる可能性が高い。

それにより女性被害が減少する可能性も高いといえると思し

ロールモデルから解放もありえると思う

ただし、女性性的需要相対的に減るというのは

女性価値相対的な減少といいかえることもできる

そういう意味フェミな方々がいまからオタク攻撃するのはある意味正しいのかもしれない

英語民間試験見送りについての雑感

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191101/k10012159841000.html

公立高校英語を教えてます

この制度で行きますよーと公になったときには既に教員として働いていて、いま高2の英語を教えているので、ここまでの流れと制度の詳細は大体知っているつもり。

延期については、まあそうですかというほかないけど、このタイミングでってすげーなとは思った。

文化祭、定期考査、修学旅行準備と日々の授業準備の傍ら、9月から申込の書類を(生徒のお金で送料も払って)取り寄せて、保護者通知の文書を作って、生徒集めて説明会してそのために各大学方針調べてスライドも作って、申請用紙書かせてチェックして取りまとめて、保護者会でも説明して相談対応して、さっそく書類発送のために文書起案しようかなと思っていたところに今朝のニュース

まあでも大切なのは生徒だ。生徒の不利益にならないようにと準備してきたわけなので、結果、延期の方が生徒の不利益にならないならそれでいいと思う。でも今回の騒動で、既に生徒が振り回されてるのも事実で、それって何に振り回されてたの?ということは、このニュースに興味持った人はせめて頭の片隅にでも置いといてもらいたい。

いま言われているような問題点(受験料、会場に起因する不平等や、入試民間団体を参入させることの正当性)は当初から指摘されてきたもので、それをずっと抱えたままここまで来て、「身の丈」発言があったことでマスコミが大々的に取り上げ、世論が大反対して、一人の大臣のひいては一連の政権不祥事という文脈の中で、この制度は引っ込められた。

延期自体は、問題点を潰してから始めるって意味で現時点でのベターだと思うんだけど、政権マスコミ世論も、結局ここにきて政治的な動きをしてその結果生徒を振り回している部分も見える。みんな「受験ファースト」的なこと言いながら自分政治的言動を取って少なくとも民間試験対策してた生徒は振り回してる。まあ特に対策してない多くの生徒からしたらラッキーなだけだけど。

でもこの話のスタートライン政治ではなく教育。私も、制度に対する疑問はありながらも、より教育的だと思って生徒に4技能を伸ばす指導を心がけていた。そもそも制度導入したのは、受験英語目標勉強してると4技能育たないよね、って話だったわけで。

まり、なんかこれもう英語教育の話じゃなくなってる。特定民間団体が食い込むことによる公正性の問題はあるとは思うけど、「採点がバイト」などという批判には疑問を持っている。それだと最初から今回採用された民間試験の信用性を疑うことになるし、その疑問が妥当だとは思えない。また「民間試験だと難易度に差がある」という批判もあるが、そもそも、異なる民間試験の同じバンドルで測る「英語力」と、センター試験の最小2点差で区切られる「英語力」のどちらが「本物の英語力」を反映してるのだろう。そういうスタートラインはもう忘れ去られてるわけだ。

まあ、でも、世間はそれでいいんだろう。そんな話が吹っ飛ぶくらい「延期ではなく中止を」なんて叫ばれてる。これには「英語なんて◯◯できればいいんだよ」というたくさんの個人経験則もまた寄与しているように見える。現実の、そして未来の生徒を振り回しているのは誰なのか、も考えて欲しい。

2019-11-01

タピオカDM事件

不利益をこうむるのは原西さんではなかろうか

2019-10-31

英語民間試験について、田舎進学校で起きていること

自分のざっくりとした理解では、

来年から毎年、高3生は、6月11月センター試験と同じくらいの重み・規模で、英検かGTEC(ベネッセの検定)を受けることになる。

というもの

田舎離島ではない)の進学校に勤めている自分身の回りで起きていること、心配事を挙げてみます

英語外部検定は7種類あるが、田舎なので、受験会場が多い英検かGTECの2択。

進学校なので学年全員が受験する。入試に直結する重要から受験会場までは学校バスを借りて教員が引率する。学校行事のような位置付け。ちなみに現行のセンター試験も学年バス旅行教員引率、ホテル借り上げて宿泊弁当手配、などやっている高校がある。

・学年受験旅行は大がかりなので、学校として受けさせるのは英検かGTECのどちらか一つが限界

・GTECも英検も期間内に2回受けられるが、基本的に、6月第一回は試験11月にある推薦やAO入試への出願に利用。11月の第二回は一般入試に利用。推薦入試を受けたい生徒にとっては6月が本番。

6月というと、運動部高校3年生の最後の県大会の時期で忙しい。今までの受験生より早く入試が始まることになるが、最後大会に集中できるのか。実際、来年6月のGTEC試験日と部活大会日程が重なっている部がある。その部の生徒だけ英検を申し込ませるなどの別対応煩雑

そもそも6月は多くの学校中間テストが行われる。英検やGTECの検定日周辺に、学校行事が重ならないようにする調整が必要学校の年間行事計画はだいたい前年踏襲なので、大幅に変えると各所で混乱が生じる。

・検定試験を受けるのは来年度だが、申し込みを前年度の秋にしなけばならない。今まさにやっている。民間試験を受けていないと出願できない大学もあるため、全国の高校2年生が、来年大学受験をするかしないか決断を迫られ、今申し込まないで後で進学したくなっても救済措置がないので、恐らくほとんどの高校2年生が申し込みをしている。

・あまり報道されていないが、現高3生が浪人した場合も、民間試験受験必要になることがある。まだ今年の受験が始まっていないのに、浪人可能性があるなら民間試験の申し込みをしなければならない。恐らくほとんどの高校3年生が申し込みをしている。

英検はこの申し込みに3000円かかる。浪人せずに済んで受験しなかった場合でも、返金はされない。

そもそも大学側は反対の声が強い。どうなったかというと、大学側が受験生に求める英語レベルは蓋を開けてみたら英検3級、準2級程度という大学が多く、これはそもそもその大学合格できる受験生ならそんなに頑張らなくてもクリアできるレベル大学は、受験生に検定試験を目指して頑張ることを期待しているというより、皆が形だけ民間検定を受けて、後は学校独自二次試験で詳細な英語力を測って選抜する。という方向に持っていって、民間試験活用無効化しようとしているように見える。

・そうなってくると、もうやる意味があるのかわからなくなってくる。

しかしこの英語入試改革が決まってから数年間、高校現場では情報収集を行い、勉強会を開き、不確定情報が多すぎる中で生徒・保護者になんとか学校方針説明し、生徒に不利益がないように頑張ってきた。特に英語科の若い先生などは新テスト対策係となり、情報提供を一手に引き受け、大変な負担がかかってきた。新入試を延期するにはもう遅いような気がするが、今後毎年このような複雑な業務継続的にやっていけるかというと、なかなか難しいと思う。

2019-10-29

地球温暖化科学的に考え、行動することは可能

僕は理系だけど物理系の材料屋なんで環境問題とかさっぱりわからない。

血液クレンジングときの血が鮮やかかどうかなんかを分ける理由知識はあるけど、それだって表面的な知識だ。

そんな僕が地球温暖化なんて問題人為的ものであるかどうかなんてどうやって判断しろっていうんだ?

少しは勉強しろってこともわかる。

でも地球温暖化科学的に考えるためには相当の時間や労力が必要になる。

これは最新の科学的なトピックなんだ。

そりゃあ他の問題だって同じだ。

僕には国民として経済量的緩和や、公共の場での表現の自由なんかも学ばなきゃならない。

でも地球温暖化はもし本当だとしたら取り返しがつかない問題だろう。

しかしたら最近台風だってそうかもしれない

じゃあ、そうした場合に僕がとれる行動ってなんだろうか?

低炭素社会シフトしていくことだろう。

これってなんらかの不利益があることなんだろうか?

今のままが楽だからという理由でもしかしたら取り返しのつかないことをしてるかもしれないことを肯定することはできるのだろうか?

から僕は科学的に考えることはできないけど、低炭素社会シフトしていこうと思う。

anond:20191029064352

揶揄したいとかじゃなく、「不妊が増えてる」っていうのは単に主観でそう思うって話?それとも実際統計とかあったりする?

女性勝手妊娠を避けているっていう考え方ばっかり

これは本当にねぇ。というか、そりゃ妊娠は避けたいだろと思うよね。

甘えるな!」みたいな論調ばっかりで、その後に来る様々な苦境というか不利益というか、そういうのをどうやって緩和するかを議論しなくちゃダメだろう。

ぶっちゃけ人間は一生独身の方がコスパいいんだから

2019-10-28

anond:20191028000429

KKOキモいからというだけで不当な不利益を被る時は断固として立ち上がるけど

横も辞さな

2019-10-24

ツイフェミ弱者になりたいか被害者ぶる

今の社会で最も"強い"のは何かと言えば、

弱者、または被害者である

本来であれば、弱者または被害者というのは先んじて不利益を被ってるので、

その埋め合わせをする目的社会的な利益を与えてトントンに戻す、

という扱いなのだが、

弱者または被害者だと社会的に扱われさえすれば利益を受けれるバグがあるので、

実際に弱者かどうかとは別に

自分がどれだけ弱者被害者かをアピールする人が一定数いる。

-

「私は弱者でできないから、あれもやってこれもやって。」

弱者を騙れば簡単召使いが手に入る。気分は王様

-

そして社会的に最も弱いのは強者または加害者となる。

これもまた実際には強者でも加害者でもないのにそう扱われてしまうと

一方的不利益を擦り付けられる立場になってしまうので、

現状において「お前は強者だ」というのは

強烈極まるレッテル貼りだと言える。

-

そして強者属性を設定するのは完全に差別である

黒人加害者属性なので全て加害者として扱う」というのが差別なのだから

白人強者属性なので全て強者として扱う」というのも当然差別だ。

-

ツイフェミはいつもいつも

自分弱者または被害者である理由を探し続けている。

どのような場合であっても、

"自分が一番の被害者"でなくてはならない。

他者よりも自分こそが最も傷ついていると主張する。

-

主観的で比べることの難しい心の傷を持ち出した上で、

「私はお前たちよりもより傷ついていることは絶対だ」と主張する。

「私の痛みを知らないくせに分かった風な口を聞くな」と言った口で

「私はお前たちの痛みを知らないが取るに足らないことはわかる」

と言い出す。

私がエビデンスとは、根拠はないが私が一番の被害者に決まってるという意味だ。

-

「私はより繊細で傷つきやすいので

周囲は私の基準に合わせて動け」という主張も珍しくない。

積極的自分がより救えない弱者であるアピールするのだ。

助けて貰えなかったら酷いだなんだわめけばいい。

-

それでも足りなけりゃ

相対的自分がどれだけ弱いかを知らしめるために、

他者強者加害者としてでっち上げることも平気でやる。

-

「私は弱者なんだぞ!私を丁重に扱え!」に始終していて、

自分よりも弱い人の存在を考えることができない。

勿論他人丁重に扱うこともできない。

-

献血ポスターに「あん奇形のような乳を見せるな」。

他人ゲイ向けイラストを持ってきて

 「こういう気持ち悪い絵が飾られてたら男だって嫌なはず」。

女装している男性写真を持ってきて

 「こういうポスターだったら男だって行きたくなくなるはず」。

騒動揶揄した漫画から輸血を必要としている人の描写を削除し、

 血を流しているのは自分である勝手に書き換える。

これら全てツイフェミの行ってきたものだ。

気分を害せばハラスメントというのが彼らの信条なので、

当然普通とは違う奇形の人も、女装しているゲイ男性

ツイフェミの中では存在してるだけでハラスメントだ。

-

そして至ったのが献血に対するボイコット

献血されなくて困るのは赤十字社ではなくて、

明日の輸血を必要としている"本当の弱者たち"なのだが、

自分らはその弱者よりも優先されるべき最高の弱者様だという自信が

ツイフェミの中にはあるのだろう。

そのうち「オタクの血が他人に輸血されることで私は傷ついた」

とか言い出すようになるんじゃなかろうか。

-

ツイフェミに限らず様々な場面で

より自分のほうが弱いんだぞと言い合う

"弱者マウント"とでも言うべきものがあるが、

-

同情や関心を引く為に弱者だと偽るミュンヒハウゼン症候群では

幼少期の手術経験などで"弱者の旨味"を知ったことがトリガー

だとも言われている。

-

きっとツイフェミの皆様も

幼少期に弱者でいることの強さを知っちゃったんだろう。

2019-10-23

anond:20191023100710

そんな感情論法律は動かんよ

から実際に不利益があるから平等であり憲法違反する、とか理屈つけてるだろ

2019-10-22

anond:20191021211409

「あらゆる打合せから外される」のは「打合せなどと言う些事に時間をとらず、引き続き頑張ってこの会社の片隅から問題点を発信してくれたまえ」という会社による差配なので、不利益では無い説。

つーか会議でなくていいなんて好待遇過ぎる。

2019-10-21

正論マン」をやっていたら会社内に居場所がなくなった

新入社員時代研修で、「社内規定違反するようなことがあったら通報するための手段があるよ」ということを教わった。

なので、配属されてから2年以上立つ現在までに、50件くらいは通報したと思う。

社内規定上やってはいけないこと、みたいな研修が定期的にあるんだけど、その中の例文で出てくるようなことが周りには結構あったので、自分のチーム内の話でないことでも、どんなに細かいことでも見つけるたびに徹底的に通報してきた。

おかげで、通報した内容がもとで懲戒処分を受けた人もいた。誇らしい。

なのに、最近ふと気づくと、打ち合わせという打ち合わせに参加が求められなくなった。

メールも敢えてCCに入れられることがなくなり、本当に事務的な話しか自分には降りてこなくなった。影では「正論マン」と呼ばれていることをつい最近知った。

なんで?

社内規定違反しているのは通報された側のはずなのに、なんで通報した俺が不利益を被らないといけないんだ?

この前面談があった人事にそのことを言ったら「君はうちの会社に向いてないかもね」みたいなことを言われたので、俺はそれをパワハラと受け取った。なので、また通報するつもりである

少しでも、会社がいい方向に向かうことを願って頑張る。

2019-10-20

anond:20191019202620

ここまで燃やして逆に卒業生不利益あるんだろうって考えないってことは頭湧いてるんだろうな

てめぇの金儲けしか考えてないからここまで燃やせるんだろうね。すべてのクリエーターのために滅んでほしい

2019-10-18

anond:20191016150214

ブコメにlifehackcat 読んだ。理解できない。を書いたものです。文字制限があるのでこっちで。

性的消費と言われると範囲があまりにも広いし基準曖昧で疑問でしたが男性社会迎合って言われるなら多少理解はできます

ただ、まぁ一方的に傍受しているってのは双方あり得ないでしょう。

なんで満員電車女性専用車両は空いているのだと思う男もいるでしょうし、なんで女性夜遅くまで働かないんだよって不満持つフリーターもいるでしょう。

でも、まぁだいたいそんなもんなんですよ。

数多ある問題の1つに噛みついた所でその主張の反対にいる人たちはやっぱり反対するんですよ。

その人たちも一方的意見じゃなくて立場があって不利益を被った過去があるから問題の度合いとしては貴方とどっこい、どっこい。どっちが正義って事もないんです。

から私も多分、貴方の主張の反対側にいる人間貴方男性社会迎合って意見は思うところはあるから理解はするけど賛成はできません。

世の中なんて、そんなもんだと思います

まとまらなくなったけど、大勢から反応を喰らうと一気に公人と化して論理破綻した人間からも噛みつかれた事でしょう。

疲れたら一旦、ネットから離れて1週間ぐらいしたら戻るといいです。あーそんなのもあったなって事に。過去に代わっているので。

ご自愛くださいませ。お疲れ様でした。

2019-10-10

anond:20191010085609

反射的に怒れる人とか、イライラアピールできる人って何なんだろう

 

自分は後で思い出したようにしか怒れないんだけど、それって鈍感なだけなのかなあ

それ以前に、あんまり周りに当たり散らしたり怒鳴ったりしたくないというか

オラついてる人とか見ると、時間とかエネルギーとか何もかも無駄に見えるし

余程不利益なことでもされない限り、攻撃的になる必要ってないと思うんだけどね

 

自分も周りに「イライラする!」って口頭で宣言してイライラアピールしてくる人がいて

本当に面倒くさいと思っている

他人からしたら「ちかよらんとこ!」ってなるだけだよね

法律に詳しい人に聞きたいんだけど

法律というのは「守らないといけないもの」なのか「守らなかったときに罰せられる」ものなのかどちらですか?

自分後者寄りの考え方です。もちろん一部の例外として、自分価値観として、前者に分類されるものもあります

というのも、ネット炎上する話のいくつかは、この「考え方の違い」から起きているのではないかと感じています

例えば労働基準法個人的には守らなくていいと思うんです。好きな人達が集まって法律範囲外で働くことに何ら問題は無いはずです。

一方で、それを望まない人がいるのは理解できます大手企業など従業員数が多いところでは前社員が同じマインドで働くことは無理でしょう。

そのとき法律に従って労働局に駆け込むでも裁判でもすればいいと思うんです。企業側は裁判が嫌なら法律に従えばいい。

これは「守らなくてもいいけど、守らなかったときは罰を受ける。罰を受けたくなければ法律を守る」という考え方です。

この考え方に従うと、無関係の人が横から「おまえは法律違反しているぞ!」という注意は無意味になるんです。

もし自分に何かしら不利益があるのなら、然るべき手順で裁判でもすればいいでしょう。無関係なら黙っていてください。

こうすると「なぜ被害を受けている自分が手間をかけなければいけないのか」という人が出てきますが、法律ってそういうものなんじゃないでしょうか。

あなた権利は法的に認められて守れているのだから自分で主張して明らかにすればいいでしょう?

最初お話した一部の例外、「殺人」「傷害」「誘拐」などは納得できないという気持ちもあるのですが

これは矛盾しているのではなくて、小さい頃から身についた価値観モラル道徳心があるためです。

軽犯罪、例えば立ち小便などはもういちいち「法律を守れ!」という方がアホらしいと思うんです。

とはいえ自分の庭に小便をされたならそれは警察通報してあなた被害を救済する権利は当然あります

これっておかしいでしょうか?

もしこの後者の考え方が支持できるなら「法律を守っている・守っていない」という指摘は全て無価値になるんです。

2019-10-06

UberEatsの最大の問題点

こういうのを使うか使わないか選択できる状態なら良いんだけど

店舗が使わざるを得ない環境になってくると選択肢がなくなる

サプライチェーンの中に1社独占的なものが挟まると

エンドユーザーはそれを回避できず、その1社の質次第では業界全体の不利益に陥り、ただ吸われるだけみたいになる

サプライチェーンの中に独占的な1社が挟まることで価値提供効率化するというのは世界的に進んでいることだが

上手くいってる部分はたまたまで、割とリスクが大きいのではないかと思う

2019-10-04

anond:20191004004309

その単語知らなかったからググったけど、マジで何が問題なのか分からねえな

容姿を褒めることで不利益を被る人がどこにいるんだ

2019-09-30

anond:20190930194345

売却することで生じる不利益について学校損害賠償すればまぁいいのか

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