はてなキーワード: チャールズとは
チャールズは観察を続けるうちに、繁殖に参加しない雄が存在することに気がついた。産まれてくる時点では雌雄の比はほぼ等しいが、繁殖に参加する個体の性比は少数の雄に対して多数の雌という構図が存在するのだ。
なぜ繁殖に参加しない個体が出現するのか?資源の浪費であり、種の存続に不利なのではないか?
疑問に思ったチャールズは実験を行った。その結果明らかになったことは、繁殖に参加しない雄は、成熟した生殖器をもち、妊孕性があるということだった。一方で繁殖に参加しない雄の子孫にも正常な雄が出現した。
結局、チャールズは繁殖に参加しない理由を明らかにできず、「生理的にも解剖学的にも、僅かな差異さえも発見されなかった。したがって、何らかの心理的な理由によって繁殖を避けていると考えられる」と結論づけた。
当時は増田には極めて限定的な学習能力と僅かな語彙があるだけで、人間のような精神や意識があるとは考られていなかった。そのため、チャールズの主張は科学者のみならず宗教家からも厳しく批判された。はてはチャールズに子供がいないことを揶揄して、チャールズが匿名で日記をつける風刺画を掲載する新聞も現れる始末であった。
■映画『ショーシャンクの空に』
ストーリーの流れは概ね原作通り(スティーブン・キング)。ただエピソードの追加が多数あって、これが良い。スパイス以上のものになっている。原作を読むと物足りなく感じてしまう珍しい作品。
10ページの短編小説(ジェイムス・ラスダン)を約90分の映画化。設定の変更はあるが別物と言うほどではない。表情、音楽、カメラワークなどで心の揺れが表わされている。映画でしか表せないものに仕立て上げられた素晴らしい作品。
伊坂幸太郎の中編小説を70分の映画化。同作家の他作品からのエピソードの借用あり。『アヒルと鴨のコインロッカー』も大変に良かったけど『ポテチ』も好き。なぜかと問われてもうまく説明できないのだが、好きなんだ。
■アニメ『Just Beause!』
アニメの脚本が先にあって、後から小説化(鴨志田一。脚本も同じ)されたので正確には原作本ではないのだが、とにかくアニメが良かった。そして、原作本発売のタイミングが完璧だった。
■映画『大いなる遺産』(アルフォンソ・キュアロン監督のもの)
原作はチャールズ・ディケンズの有名な小説。ストーリーの大枠は同じだが、舞台を現代に移したための少々の改変はある。素晴らしく美しい作品。統一感のある色使いや流れるようなカメラワークは映画ならでは。
最近ではレッテル張りのようになってたり、アニメや漫画じゃまるでテロリストなんていう職業や技能があるかのような勘違いをしている人が多いから大学時代の研究論文を要約して書いてみようと思う
まず第一に、テロリストという職業はない、厳密にいえば、テロリストを仕事とした場合、その仕事が成功したら、それはもう「テロリスト」とは呼ばれないからだ
例としては毛沢東、チェ・ゲバラ、フィデル・カストロ、レーニンといった「成功した人たち」がこれに当たる
これを見ればわかるが、レーニンは「政治家」だし、毛沢東は「軍閥(軍事勢力)の指揮官」だし、ゲバラとカストロは「ゲリラ部隊の指揮官」で、軍事的・政治的技術や技能をテロリズムに活かしただけで、テロリストという職業が成立する「専門技能」というのはないということがわかる。
第二に、世間一般に一昔前想像されたテロリスト像、これが一番テロリストというステロタイプに近い、冷戦時代のテロリストたち
例えばPFLPはイスラエル軍と正面戦闘で戦えるだけの立派な「軍事勢力」だし、赤い旅団や日本赤軍、その他イタリア「鉛の時代」のテロリストたちや、ETAやIRA、80年代まではテロリストといえば、PFLP系かIRA系のイメージが強かったが、これらもPFLPやソ連から直接訓練や支援を受けて動いたスパイとして育てられたエージェントだし、IRA暫定派やバスク祖国と自由のテロ技術のルーツは、第二次世界大戦にイギリスが編成した「SOE」のノウハウが元というのだから、彼らは「スパイ」や「破壊工作員」であって「テロリスト」という技術ではなく、スパイや準軍事的な技術をテロに応用しているだけである。(超有名な「カルロス・ザ・ジャッカル」も、パトリス・ルムンバ名称民族友好大学でスパイ&破壊工作員として訓練を受けた超万能のコマンドかエージェントであって、その技能をテロに応用してソ連の支援を受けて動いていただけである)
※余談だが冷戦時代が舞台の映画や漫画で「ソ連でテロリストとしての訓練を受けた~」という元ネタは、このパトリス・ルムンバ名称民族友好大学で行われたパルチザン・スパイのカリキュラムのことを指す
あとはIRAに至っては、全盛期のその9割近くの日常業務が、違法煙草や違法薬物の密売、パトロールと称したみかじめ料の徴収、地道なイギリス軍への諜報活動、裏切り者やスパイの摘発・捜査・そして裏切り者の処刑や暗殺と、過激な暴力団とやっていることはたいして変わらない、では暴力団とIRAのテロ組織といわれる違いは何か?
これはもうただたんに「目的」の違いでしかない、IRAは自治権や議会設置の要求が最終目標で、それが達成すれば一応は武装闘争を放棄して市井の市民に戻った。
暴力団は思想的背景はなく、恒常的に犯罪行為で金を設けてる営利団体だから、暴力団である、それが政治的な目的かそうでないかが重要で、やっている技術そのものはたいして変わらないのだ。
そして現在吹き荒れるテロも、テロリストたちの大半はイスラム国の戦闘員かその訓練を受けて母国に戻ってテロ事件を起こしている形で、youtubeなどでイスラム国の訓練映像を見ればわかるが、どこの軍隊もやっている新兵教育の内容で、その軍事技術をテロに応用しているという形である。
唯一「バックボーン」の存在しないローンウルフテロリストというのも最近多くなってきているが、アメリカの統計によれば、ローンウルフテロの6~7割が軍に身を置いていた経歴があるので、その技術をテロに応用しているにすぎないということがわかる(余談だが残りはスクールシューティングテロリスト等で、彼等のバックボーンは競技射撃である、たまに連続狙撃事件や銃撃テロにもこのバックボーンのタイプがいる)
繰り返しの結論になるが、結論としては「テロリスト専門の技術やノウハウが存在してそれを準拠にテロリストというクラスや職業のようなものがある」という認識は誤りで
「軍隊式・警察式・競技式といった技術をバックボーンとしてそれを応用してテロを起こした者がテロリストと呼ばれているだけ」ということである。
少しでも理解を深めることが、テロ根絶の第一歩になると思うので書いた次第である。
ゴルゴ13や映画「LEON」などのイメージで、テロの戦術として狙撃がポピュラーというイメージがあるかもしれないが、実はこれは大きな間違い
FBIの統計では、テロ・暗殺事件に分類される銃犯罪の内、57%が「拳銃で至近距離から撃たれる」というのが殆どで、35%が「自動火器・小銃による無差別乱射」で、残りにようやく狙撃のロングキルが入るほど、テロや暗殺において狙撃は使われなかったりする。
理由としては、7.62ミリ弾クラスであっても、一発で即死させようと思えば、発射から30m以内のところまででないと、それ以上は急所にキレイに当たらないと、重症にはなるが即死する確率はぐんと減るからである(国内の事例を挙げれば昭和の頃に自衛隊で起きた自動小銃乱射事件の時は、至近距離で撃たれた隊員は即死、その後ろの隊員は弾丸が貫通して重症(後に全治)でさらに後ろの隊員の体内に弾丸がめり込み重症(後に全治)というものなどがある)
イスラエルのモサドや、イスラム系テロリスト、70年台のIRAが多用したように、車爆弾や時限爆弾でターゲットが近づいたところを爆破するという方法が、唯一「テロとしてのみに特化した手法」といえるであろうか。
追記
「狙撃は有用ではない」という意見も出たが、厳密にいえば暗殺・テロにおけるステロタイプの狙撃というのは、ハッキリ言って非常に困難で準備に手間がかかるから選択されないというだけである。
まず狙撃銃というのは、かなり高価な部類に入るうえに、たった1~2発を撃つためだけに、狙撃ポイントを下見して、ターゲットの行動や予定を下調べをして、逃走経路から時間帯まですべて指定、手配した上で、それが本当に予定通りにいくかもわからない中で、狙うというのがそもそも無理筋なので、フィクションの中での話が大半だ、というのがFBIやアメリカ軍のテロ研究の見解といわれている。
テキサスタワー乱射事件のチャールズ・ホイットマン(M70に1-6×32スコープ搭載)や、近年起きたDCスナイパー事件(AR-15クローンに、ホロサイト、フォアグリップとタクティカルライトを搭載)のように、立て籠もったり、徘徊しながら無差別に狙撃をして回るというというものならいざ知らず、こういったステロタイプな狙撃での暗殺事件は、史料上ではケネディ大統領暗殺事件でしか存在していない(それもほとんど推測の域を出ていない)からだ。
その上でも、チャールズ・ホイットマンがあれだけの殺傷ができたのは、長距離に特性を合わせた30-06弾というライフル弾をしようしていたからであり
アサルトライフルの標準的な実包というのは、実は5.56ミリでさえ、弾道特性上150mくらいで重症は負わせられても即死は難しいという結果がある(初速がそれだけ低下するうえに、ヨーイングといって風邪で左右にずれていくからだ)
そもそも、暴力を背景とした行為や脅迫を生業として行うから職業テロリストは存在するというのなら、日本国内の最大のテロ組織は山口組ということになるし
○朝食:なし
○昼食:助六寿司(太巻きが一つなくなり、細巻き三つになったことに絶望してたんだけど、細巻きは細巻きで美味しかった)
○間食:チューハイ
○調子
はややー。
仕事は会議やら調査やら、調査の過程でアホらしい製品バグを見つけて面倒なことになった。
●3DS
○ポケとる
ゲンガー、ヒードラン、ギガイアスで潜ってるけど、3回に1回はクリアできない。
スーパーゲットチャンスきたらスパボ投げてさっさと終わらせたい。
ログボのみ。
○FGO
水着イベントの第二部のシナリオをクリアして、スカサハが正式加入。
あとは宝具レベルだけど、スカサハに思い入れがないからか、やる気がわかない。
特に苦労したのがアーチャーの三段階目進化に必要な「無間の歯車」を8個。
これはイベント報酬にはなかったので、これをドロップする雑魚敵を倒すことで入手するんだけど、
スタミナ回復アイテム使いながら、かなりプレイしてようやく入手できた。
ただこれ、サーヴァーント自身のレベル上げだけじゃなくて、スキルのレベル上げにも必要なんだよなあ。
アーチャーが使うかはわからないけど、とりあえずマシュのレベル7には必要だから、近いうちにまた集めないとなんだけど、さすがにしんどい。また何か別のイベントで報酬になったりするのかなあ?
そんなことも思いながら、スキルより先に進化だと思いアーチャーを三段階目まで進化、あと一回進化させれば最終形態。
・蛮神の心臓4個
ただ、これはイベント報酬にないので、普段の曜日クエストで地道に集めよう。
さらに、フォウくんも集めて、クーフーリンとアーチャーのATKをまずは限界まで上げた。
わかってなかったんだけど、この限界を超えることもできるみたい。
ただ、それにはかなりレアな星4フォウくんが必要みたいなので、当分先になりそう。
そろそろ、育成の方針を決めていこうと思う。
基本の7種からバーサーカーを抜いた6種のクラスから、それぞれ二人育成する方向で行くことにした。
というのも、このゲームはクラス間の属性が大事とはいうものの、敵PTが複合クラスで来ることもよくあるから、
五人PTを全員同じクラスで揃えるのは難しいゲームなんだと、ようやく理解できた。
マシュ、ジャンヌダルクの二人を固定枠。
さらに、ほとんどのクラスに弱点をつける、バーサーカー枠も一人。
で、五人の枠の残りの二人を状況をに応じて使い分ける。
という、方針に決めた。
間違ってるかもしれないけど、とりあえず決めた。
当然、大切になるのは、この二人の選出なんだけど……
強いとか弱いとかまだよくわからないので、キャラの見た目とかでまずは選んで見た。
完全に消去法。そもそも三人しか持ってなくて、残りの一人のZEROキャスターのセイバーVerは宝具がバフで使いづらそうだからという理由。
水着玉藻はまだ育成始めたばかりだからよくわからないけど、星5だから強いと思いたい。
これも消去法。アーチャーを三人しか持ってなくて、残りがフラグメントのアーチャーなんだけど、この人は星1なので、星3のライダーのお姉さんを優先させた。わけではなくて、ステイナイト関係者の方が思い入れがあるだけです。
これも消去法。ライダーも三人しか持ってなくて、最後の人はブーディカさん。
2章で活躍したから使おうかと思ってたけど、宝具が防御アップで、マシュやジャンヌと被ってるのでやめて置いた。
メディアさんはステイナイトの中でもかなり好きなほうのキャラなので、絶対育てようと思う。
女の子キャラだと桜が一番好きで、次がキャスターが好きです。(氷室さんも好きなんだけど、ステイナイト枠じゃなくて、氷室の天地枠で好きなので)
残りの一人は悩み中、というのも星4のニトクリスとナーサリーライムのどちらも強そうだし、見た目で大笑いしたチャールズバベッジもいるし、クーフーリンのキャスターバージョンもいるしで、子安ボイスのショタもいるし、ZEROキャスターも好きだしで、育てたい候補が多すぎる、まだほとんど誰も育成できてないから、メディアさんを育てながらゆっくり考えよう。
この人、こんなに忠義にあついいい人なんだね、大好き。
もう一人は小次郎と悩みつつも、なんかもう「ハサン」という概念自体が好きになってきたので、合わせでこの人にした。
まだ持ってないけど、フラグメンツのハサンもいるみたいだから、育てたい。
かわいい、百合ヤンデレ好き、この子がいるとマシュが嫉妬するのも好き。
今プレイしている水着イベントでも活躍したキャラで、メインの一章にも出てて、かなり気に入った。
こんな感じで行こうと思う。
ただ、セイバーとライダー、あとアーチャーのもう一人は消去法で選んだだけなので、いいキャラが引けたら方針を変えるつもりでいる。
方針を決めたので、今日はもう寝ようと思ったんだけど、呼札を一枚手に入れたので、運試しで単発ガチャを引いたら……
な、なんと!
昨日に続いての最上位レア、ライダーの「オジマンディアス」さんを引きました!
わー、これで星5は水着玉藻、オジマンディアス、ナイチンゲール、ジャンヌと四人目。
星4がイベント配布のスカサハを除くと、アーチャー、ニトクリス、ナーサリーライムと三人しかいなくて、しかもアーチャーはゲーム開始したときの星4確定ガチャでもらったやつだから、明らかに星5の方が多く引けている。
ビギナーズラックなんだろうけど、嬉しくなるね。
ルジャンドルはフランスのウラン(Oullins)に生まれ、ランス大学およびパリ大学に学んだ[1]。父親のJean-François Legendre-Héralは人物像を得意とした古典主義彫刻家でエコール・デ・ボザールの教師[2]。24歳のとき、ニューヨークの著名な弁護士の娘であったクララ・ヴィクトリア・ミュロックとブリュッセルで結婚した。結婚後すぐに米国に移住し、帰化した。
1861年に南北戦争が勃発すると、ルジャンドルは第51ニューヨーク志願兵歩兵連隊の兵士募集に協力し、1861年10月29日に同連隊の少佐に任官した。その後ノースカロライナでの戦闘に従事し、1862年のロアノーク島の戦いにも参加した。しかしながら、1862年3月14日、ニューバーンの戦いで重傷を負った。
負傷にもかかわらず、ルジャンドルは軍を離れず、同年9月20日には中佐に進級。1863年には第9軍に配属され、多くの戦闘に参加した。1863年3月14日には大佐に進級。ヴァージニアの荒野の戦いではユリシーズ・グラント将軍の指揮下にあったが、その最中の1864年5月6日、ルジャンドルは再び重症を負った。今回は顔面を撃たれ、左目と鼻を失った。アナポリスの病院に入院したが、その間にも南軍の最後の攻撃から街を防衛するための準備を手伝った。その後ニューヨークに移送され、そこで第9軍の兵士募集を手伝った。1864年10月4日に名誉除隊したが、1865年3月13日には准将に名誉進級した。
1866年7月13日、ルジャンドルは厦門の米国領事に任命された。7月にニューヨークをリバプールに向けて出港し、その後ヨーロッパ、アジア大陸を旅行し12月に厦門に到着した。領事として、ルジャンドルは5つの条約港、すなわち厦門、基隆、台北、淡水および高雄に責任を持った。そこでは、年季奉公人の不正取引の抑制に尽力した。
1867年3月12日、米国船ローバー号が台湾で遭難し、その乗員が台湾原住民に殺害されるローバー号事件(en)が発生した。ルジャンドルは福州へ赴き、台湾の中国側当局に問題解決の圧力をけるように、福建・浙江総督を説得した。福建総督は自ら行動は起こさなかったが、ルジャンドルが台湾に行く許可を与え、台湾知事が協力するように紹介状を書いた。
ルジャンドルは、遭難現場訪問のために米国船アシュロット号を雇い、台湾当局に行動させようとした(これは失敗した)。その後アメリカ合衆国海軍のヘンリー・ベル少将が懲罰作戦を実施したが、これも失敗した。さらに情報を集めるため、ルジャンドルは再び台湾に出向いた(このときは、紹介状は無しであった)。
中国へ戻ったルジャンドルは、南台湾に軍隊を派遣するよう福州の総督を説得し、ようやくこれに成功した。ルジャンドルは400〜500人の規模を希望したが、これよりはかなり小さな遠征隊が、1867年7月25日に台湾に送られた。ルジャンドルは砲艦の派遣をベル提督に要請したが、これは拒否された。このため、武装商船ボランティア号が雇われた。ルジャンドルは9月4日に台湾に上陸したが、上司に対しては全くの傍観者として行動したと報告している。
ルジャンドルは直ちに本来の任務を開始した。南台湾の険しい山岳地帯を通りぬけ、原住民の酋長と難破した欧米の船員の安全を保証するための条約を協議した。
1871年9月6日、琉球(宮古島)の船が台湾沖で遭難したが、ローバー号事件と同様に、多数の船員が殺害された(宮古島島民遭難事件)[3]。1872年2月29日、ルジャンドルは先に結んだ条約を日本人船員にも適用するよう拡大するため、台湾に出向いた。任務は不成功に終わり、またルジャンドルは北京駐在の米国公使フレデリック・ロウ(en)とも不仲になってしまった。
1872年、厦門から米国へ戻る途中、ルジャンドルは日本に立ち寄り、明治政府に台湾問題の武力解決を提唱した。これは副島種臣外務卿の意見とも一致しており、ルジャンドルは米国領事の職を辞し、1872年12月12日、外交および軍事顧問として明治政府に雇用された[1]。1873年2月、副島は2年前に台湾で起きた宮古島民殺害事件の処理交渉の特命全権公使兼外務大臣として北京へ派遣されたが、ルジャンドルもこれに参加した。この交渉は部分的には成功であったが、引き続きルジャンドルは1874年の台湾出兵の準備を手伝った。台湾問題に関して、ルジャンドルは駐日米国公使チャールズ・デロングの支援を受けており、また個人の資格でこの遠征に参加するつもりであった[4][5]。加えて、2名のアメリカ軍人が雇用された。ところが、デロングの後任の米国公使ジョン・ビンガムは、ルジャンドルを支持せず、1874年4月19日、台湾出兵は一旦延期とされた。ルジャンドルらは長崎で出征準備を整えていたため、大久保利通が長崎に向かった。結局遠征部隊は5月18日に長崎を出港したが、ルジャンドルは大久保と共に東京に戻った。その後、ルジャンドルは交渉のため福州に派遣されることとなったが、アメリカ総領事に職場放棄の罪に問われ、短期間ではあるが上海で収監されてしまったため、遠征には参加できなかった。1875年には日本政府から勲二等旭日重光章を授与されたが、これは外国人としては最初のものであった[1]。その年の末には顧問を辞任した。
ルジャンドルは1890年まで日本に滞在し、大隈重信の個人的な顧問を務めた。
1890年3月、ルジャンドルは日本を離れ、朝鮮王高宗の顧問となった。1899年9月1日に漢城(現 ソウル)で卒中により死亡するまで、その職を務めていた[6]。
原因・背景[編集]
1871年(明治4年)10月、宮古島から首里へ年貢を輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風で遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民(現在の台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落へ拉致された。
先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日、遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府は清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年(明治5年)琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡柏島村(現在の岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。
開戦準備へ[編集]
宮古島民台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在のアメリカ合衆国総領事チャールズ・ルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人を懲罰するべきだ」と日本外務省に提唱した。
初代龍驤は台湾出兵の旗艦であり副島種臣と大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。
孟春(砲艦)は三本マスト・スクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。
外務卿の副島種臣はデロングを仲介しルジャンドルと会談、内務卿大久保利通もルジャンドルの意見に注目し、ルジャンドルは顧問として外務省に雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。
1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島民台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国の統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任を回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府は国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年(明治7年)4月、参議の大隈重信を台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。
明治六年政変における明治天皇の勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変で下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的に企画したのである。
台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に、参議木戸孝允らの長州系は征韓論を否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日、木戸は参議の辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。
水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]
国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日、三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日、台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日、谷干城と赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日、海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵一大隊砲兵一小隊の出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。
5月6日に台湾南部に上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日、台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷の命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域の風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリアは猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。
明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章、イギリスの駐日大使パークスは当初は日本の軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通が北京に赴いて清国政府と交渉した。大久保は、ルジャンドルとフランス人法学者ボアソナードを顧問として台湾問題を交渉し[7]、主たる交渉相手は総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍の出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国間互換条款互換憑単によると清国は遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国が日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球の日本帰属が国際的に承認されるかたちとなった[1]。
日本と清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年(明治8年)、琉球に対し清との冊封・朝貢関係の廃止と明治年号の使用などを命令した。しかし琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球の朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。
1879年(明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年(明治13年)の北京での交渉において、日本は沖縄本島を日本領とし八重山諸島と宮古島を中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島の領有は望まず、冊封関係維持のため二島を琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。
また、明治政府は兵員輸送に英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便蒸汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱は政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。
日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人・軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。
1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省と海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医(大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省からは外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部の前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。
心と魂と自尊心を完全に粉砕されました
最初の5年は慢性疲労症候群と自律神経失調症と鬱病を併発した感じだったと思う
とにかくいつもダルくて疲労感があって何もできなかった
ところが勇気を振り絞って外出したってのに
家具店の前を歩いていたら子連れの主婦野郎が後ろから自転車で追い越して振り向いて勝ち誇ったように笑って「デカ(笑)」とかヘイトスピーチしてきやがった
絶対に許せない
そこからまた数ヶ月引きこもった
やっと心が回復して外出したら今度はレンタルDVD屋で男が右から「デカい(笑)」とかヘイトスピーチしてきやがった
目立ちたくないし性格でこっちは鬱病なのに何で全く配慮しないの??
ふざけんなって思います
そこからまた数ヶ月引きこもった
そしてまた心が少し回復して外出したら
今度は電車で学生に指さされながら「あいつデカくね?」などとヘイトスピーチされた
あとはこの繰り返し…
この国では高身長に生まれただけで畜生にも劣る存在として扱われ罵られ迫害され精神的に痛めつけられる
低身長様は自分が高身長ごときよりはるかに格上の存在だと理解している
フィクションでは低身長様はカリスマ性ある優れた人物として書かれる
聖書のダビデは高身長のゴリアテをぶちのめしたことを讃えられ英雄扱い
進撃の巨人は低身長様が高身長をぶちのめすことで大衆の人気を得た漫画
現実社会においてもレーニンやスターリンやフランコ将軍や田母神やナポレオンや司忍やチャールズマンソンなど組織のトップは低身長様が多い
心が折れたせいでもう外出できない
心と魂と自尊心を完全に粉砕されました
最初の5年は慢性疲労症候群と自律神経失調症と鬱病を併発した感じだったと思う
とにかくいつもダルくて疲労感があって何もできなかった
ところが勇気を振り絞って外出したってのに
家具店の前を歩いていたら子連れの主婦野郎が後ろから自転車で追い越して振り向いて勝ち誇ったように笑って「デカ(笑)」とかヘイトスピーチしてきやがった
絶対に許せない
そこからまた数ヶ月引きこもった
やっと心が回復して外出したら今度はレンタルDVD屋で男が右から「デカい(笑)」とかヘイトスピーチしてきやがった
目立ちたくないし性格でこっちは鬱病なのに何で全く配慮しないの??
ふざけんなって思います
そこからまた数ヶ月引きこもった
そしてまた心が少し回復して外出したら
今度は電車で学生に指さされながら「あいつデカくね?」などとヘイトスピーチされた
あとはこの繰り返し…
この国では高身長に生まれただけで畜生にも劣る存在として扱われ罵られ迫害され精神的に痛めつけられる
低身長様は自分が高身長ごときよりはるかに格上の存在だと理解している
フィクションでは低身長様はカリスマ性ある優れた人物として書かれる
聖書のダビデは高身長のゴリアテをぶちのめしたことを讃えられ英雄扱い
進撃の巨人は低身長様が高身長をぶちのめすことで大衆の人気を得た漫画
現実社会においてもレーニンやスターリンやフランコ将軍や田母神やナポレオンや司忍やチャールズマンソンなど組織のトップは低身長様が多い
心が折れたせいでもう外出できない
僕は鬱病で内向的で昔から目立ちたくない性格なのに外出すると「デカいデカい」言われ馬鹿にされる
勇気を振り絞って外出した時に学生に「あいつデカくね?」と指さされたときは凍りついた
この国では高身長というだけで人より劣った生き物として畜生のように扱われる
外出時に 男というだけで男だ男だ 女というだけで女だ女だ と騒がれることはないだろう
身長が高いというだけでハンセン病隔離のように家に閉じ込められているようなものだ
店で棚の商品を見てたら横からいきなり「デカい笑」と言われ呆然となることがよくある
「チビ」は人間に使う言葉であり「デカ」は粗大ゴミにも使う言葉
アルバートフィッシュやチャールズマンソンなど殺人鬼の多くも低身長…
低身長の人々のせいで病んだ高身長のメンタル医療費は低身長に払わせたい
中身長や同じ高身長の人からデカいなんて言われたことはほとんどない
友達だと信じていた低身長の人から「デカくね?」と言われたときは本当にショックだったしもう低身長の人々を信じられなくなった
もう外になんか出たくない…
黒人に向かって「黒い!」って声かけするのと同じって気づかないのか?
ヘイトスピーチだよ
低身長を見かけたら変質者だと思うことにしてる
いちいちデカいとか声かけしてくる変態はものすごく怖いから消えて欲しい
僕は低身長にチビなんて言わないけど低身長は僕に向かってデカいとか声かけしてくる
この非対称な権力関係…
チビは人間にしか使わない言葉だがデカいは粗大ゴミにも使う言葉
言い返したとしても低身長には勝てない
アルバートフィッシュやチャールズマンソンなどの海外の殺人鬼も低身長
宮崎勤や佐川一政や高山政樹や加藤智大などの日本の殺人鬼なども低身長
絶対に
鬱の症状が酷かった時、外出してたら何回か「デカw」「デカいw」「あいつデカくね?」などと全く知らない他人にヘイトスピーチされた
「あいつデカくね?」は年下の中高生くらいの人間に言われた言葉
普通は年上の人間には敬語を使うはずだが、相手が高身長だと敬語は使わず「あいつ」と呼ぶらしい
相手が高身長というだけで低身長は絶対に最低限の心の尊重すらしない
低身長は高身長の心が弱っていようが遠慮なくヘイトスピーチをやる
ところが低身長の人が僕を見ると心が弱っていようが「デカ」と非礼な態度で言ってくる
アルバートフィッシュやチャールズマンソンなどの海外の大量殺人鬼も低身長だし
「デカ」とは粗大ゴミにも使う言葉だが「チビ」は人間に使う言葉
ネットでは「パワー系」などという体格ある人を差別する言葉もある
ふと疑問に思ったんだが、よくバスケットボールを人差し指の上で回す人がいるじゃん
実はこんな歴史があったというウソが思いついたので書いてみようと思う
時は1904年、バスケットボールというスポーツが生まれてから10年少々しか経っていない頃のお話し
黎明期ということで例えばボールを持ったまま歩けるのは5歩まで、チームの人数は8人などと、今のバスケットボールとは大きく違っていた
アメリカ・NBCAリーグのミッドランド・ロックハウンズは5チームのリーグ中5位、シーズン開始から10連敗中だった
なんとかこの状況を打破しようと、当時のグアダルーペ・ビクトリア監督は秘策を思いついた
その作戦の実行は、1904年9月7日、リーグを首位で独走するグレートレイクス・ルーンズとの試合でだった
試合開始のジャンプボールでボールを奪ったロックハウンズのチャールズ・タッパーはなんとボールを人差し指の上でくるくると回し、そのままゴールへ向け走り出した
しかしタッパーはボールを乗せた指を高く掲げ、相手の守備を華麗にかわす
そしてそのままシュート
当時のルールには「ボールを持ったまま」歩けるのは5歩まで、と書いてある
つまり、指の上に乗せているだけなので、トラベリングには該当しないというのだ
前の試合が終わってからずっとボール回しの練習だけを続けていたロックハウンズ、この後も順調に得点をあげていく
ロックハウンズのまさかの作戦に焦ったルーンズの選手もボール回しを真似してみたが、そう簡単にはできず、ボールをこぼし相手に奪われてしまう
試合は終始ロックハウンズペースで進み、結局104-71という大差で終わった
1年後に当時の大統領から「これはバスケットボールではない」と申し立てがありボール回しは禁止になったが、ロックハウンズの奇策は伝説として語られ、いまだにバスケットボールプレーヤーの間ではボール回しはクールなプレイとして人気を博している
これオススメ:Amazon.co.jp: 習慣の力 The Power of Habit: チャールズ・デュヒッグ, 渡会圭子
いかにも自己啓発本だけど中身はわりと真面目で、アルコール依存症とかニコチン依存症とか過食のしくみとかをわりと神経心理学的に解説してた。気がする。あとは、爪を剥きまくってしまう癖があって手が血だらけになっちゃう子がそれをどうやって直すか、とか。まあ自己啓発本だから「自分がつけたい癖/習慣をどうやってつけるか」というネタにつながるのだが。ジムに行くとか。だいぶ昔に読んでうろ覚え。以下そのうろ覚えの知識から頑張って思い出して書いてみる:
「決意」をしただけで行動を変えるのは難しいらしいです。なぜかっていうと人間は身についた「習慣」で無意識に行動することが多いから。だから何かしらの「きっかけ」(本の中では「キュー」って言ってた気がする)があると、脳内で意識的に考える前に、無意識に身体が動くそうです。「あ〜なんかさみしいな」って思った瞬間にタバコに手が伸びるとか、仕事から帰って疲れてソファに座った瞬間にポテチに手が伸びるとか。その「キュー」によって無意識的に引き起こされた「アクション」の部分を特定することができて、それを他の「より良いアクション」で置き換えられれば、習慣を変えることができる〜〜みたいなことが 書いてあったような気がする
でもこの本を読んだ私も結局ジム通いは3日坊主で終わりました。この本に書いてあるような「神経心理学的方法論」を知ることもいい戦略だけど、たぶんやっぱりそれを「ちゃんと使って」自分を変えようとする「決意」が強くないと、どうしようもないのだった。私の決意は浅かった。ジムとかめんどくさい。
でも元増田は紐で縛ったりトランクにしまったりいろいろしてるし決意は大きそうなので、方法論さえ学んだら、ヘルシーなネット生活に戻れるかもよ。ネット自体は楽しいけどそれを罪悪感もってやりすぎるっていうところがなおしたいのだろうし。私もダイアルアップの時代にネットはじめてプチ依存症な時代もあったがPCに手が伸びそうな時に代わりに本に手を伸ばしてみた、、ら、、わりと健康なネット生活に戻った。
「つけがち」というか現在の主要な米海軍艦はだいたい人名だったはず
これら全て米海軍の発展などに大きく貢献した海軍関係者(要するに提督といった偉い人)の名前に由来する
全てが人名由来だが、確かに少し前まではそうでないものもちらほらあった
たとえば「米海軍最後の原子力ではない空母」である「キティホーク」は、ライト兄弟が初めて空を飛んだノースカロライナの街の近くの地名に由来する(そのため古い戦闘機の愛称にもなっていたりする)
また「世界最初の原子力空母」であり数年前に退役した「エンタープライズ(冒険心)」は米海軍の象徴的な名前として位置づけられている(太平洋戦争時における旧日本海軍の「大和」とか「長門」みたいなもん)
そのためNASAのスペースシャトルや、有名なSF映画の宇宙船の名前にも採用されている(「戦艦大和」→「宇宙戦艦ヤマト」みたいなもんか)
これら人名由来じゃないやつってのはだいたい、「軍艦の名前は人名由来」という慣習が根付く前につけられた古い名前だったりする
たとえば世界初のイージス艦は「タイコンデロガ」って名前で、これはアメリカの古戦場(タイコンデロガ要塞)、ネイティブアメリカン(イロコイ族)の言葉で「二つの水に挟まれた地」という意味
稼げる投資家になるための投資の正しい考え方 -歴史から学ぶ30の教訓- (Modern Alchemists Series No. 115) 上総介
シュワッガーのテクニカル分析 (ウィザードブックシリーズ) ジャック・D・シュワッガー
マーケットのテクニカル秘録~独自システム構築のために (ウィザードブックシリーズ) チャールズ・ルボー
☆実践 生き残りのディーリング (現代の錬金術師シリーズ) 矢口新
☆☆投資で一番大切な20の教え―賢い投資家になるための隠れた常識 ハワード・マークス
オニールの空売り練習帖 (ウィザードブックシリーズ) ウィリアム・J・オニール
☆「敵」と「自分」を正しく知れば1勝1敗でも儲かる株式投資 (Modern Alchemists Series No.130) 角山智
☆タープ博士のトレード学校 ポジションサイジング入門 (ウィザードブックシリーズ) バン・K・タープ
△悩めるトレーダーのためのメンタルコーチ術 (ウィザードブックシリーズ) ブレット・N・スティーンバーガー
☆トレーディングエッジ入門―利益を増やしてドローダウンを減らす方法 (ウィザードブックシリーズ138) ボー・ヨーダー
☆☆ニュートレーダー×リッチトレーダー 株式投資の極上心得 スティーヴ・バーン