はてなキーワード: 信仰心とは
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
・曹丕
3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明な彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女を皇后に立てた。
・劉駿
・宇文邕
北周の皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女は出家し、常悲に改名した。
・煬帝
占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后と結婚した。聡明な彼女は外遊の度に付き従い、度々煬帝の暴政を諫めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・李克用
後唐の太祖。3歳年上の劉夫人と結婚。武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・世宗
遼の皇帝。12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟に暗殺された
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・織田信長
6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・ウィレム4世
オラニエ公、オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女は国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
・アルカポネ
1歳年上のメアリーと結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
アメリカの作家。18歳年上のシシーと結婚。彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂を図るなどしたが、周囲の支えで復帰した。
アメリカの作家。クトゥルフ神話の作家。10歳年上のソニアと結婚した。夫人は事業が失敗した後も就職のために移住し、夫に仕送りを続けるなど献身的であった。しかし、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。
3歳上のエディスと結婚。彼女とのデートから着想を得て、ベレンとルーシエンの恋物語が創られた。
・スカルノ
11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。
ノルウェー国王。3歳年上のモードと結婚。彼女は慈善活動、芸術家への支援を行った。
ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚。美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツの侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。
・ダリ
10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。
・崔 圭夏
韓国大統領。3歳年
数年前まで映画やドラマ、漫画の二次創作のカップリング小説を書くのが趣味だった
一本の小説を書くために大量の調べ物をしたりああでもないこうでもないと悩みながら文章を練ったりするのは辛くもあったが、カップリングへの愛を形にするのはとても嬉しく楽しいことだった
二次創作から離れたのは、嗜好が変わって「カップリング萌え」をしなくなったのが理由だが、もうひとつ、二次創作をするための土台となる「能動的鑑賞」をしなくなったからというのもある
あの頃は、「なんで主人公はこういう価値観を持つに至ったんだろう?」とか「彼は人生に満足しているんだろうか?」とか「彼女の信仰心は何に根ざしているんだろうか?」とかいろいろな疑問を抱き、その答えを探しながら、答えが見つからないようだったら想像で空白を埋めながら読んでいた(観ていた)
今はそこまで作品にコミットしようという姿勢になれなくて、特に何も考えず、ただ入力された刺激に反応して泣いたり笑ったりするだけ、感覚的かつ受動的に鑑賞するだけ、という感じがする
「カップリング萌え」ができなくなったことや小説が書けなくなったこと以上にそれが辛い
(私はここ10年ほど双極性障害を患っており、同人にハマっていたころは躁状態の長いスパンの中にいて、ここ数年は鬱のスパンの中にいるので、フィクション作品に能動的にコミットできなくなったのにはそのせいもあるかもしれない)
今は趣味がなく、せいぜいduolingoで外国語をやるぐらいだが、あれは出された大量のドリルをひたすら解くだけのものなので、能動的に何かをやるという感じではない
スポーツは苦手だし絵は描けない
安倍氏に対する銃撃事件を発端に、自民党と統一教会の蜜月がメディアに取り上げられた事から、自民党=カルトとみなす世論が以前よりも広く浸透した昨今だが、その自民党の連立与党である公明党に関しては、メディアであまり取り上げられる事も無いせいか、ぼんやりとしたイメージしか持ってない人も多いと思われる。
結論から言うと、公明党は自民党と同じく立派なカルト勢力だ。それも統一教会が支持母体となっている勝共連合と同じくらい、その思想には過激なものが見受けられる。彼らのそれが如実に表れるのが選挙期間中だ。
周知の通り、今年の3月の後半から4月にかけては統一地方選挙が行われる。
選挙に浮足立たない政党など存在しないが、公明党のそれは少し事情が異なる。なぜなら、公明党は宗教法人である創価学会が支持母体の政党であり、その選挙活動にはほぼ確実と言って良い程、創価学会の現役信者を動員する為だ。
選挙期間中、信者は知り合いへの家庭訪問や連絡などの選挙活動に駆り出される。ここで言う知り合いとは友人知人という枠では収まらず、少しでも関係のある相手であれば対象となる。
「創価学会の信者である知り合いから選挙の時だけ連絡が来る」「深い関係でもないのに急に一方的に選挙協力の話をされた」という創価学会に対する苦情は、この活動が原因だ。
信者には報酬など無く、ともすれば上記の様な活動による人間関係の悪化からトラブルに発展する事も少なくない。それでも信者が選挙活動に汗を流すのは、創価学会の教えが正しいと心の底から信じているからだ。
そして宗教が己の教えの正しさと信者の結束を補強する為、しばしば「攻撃するべき敵」を作り出す様に、この創価学会の選挙活動においてもその手法は取り入れられている。つまりは、対立勢力の悪魔化である。
公明党はこれまで様々な相手を悪魔化してきたが、特に旧民主党勢力と共産党に関しては実に過激な主張を繰り返している。
それは公明党が今回の選挙活動で信者に配布した内部討議資料に、以下の様な文言が並んでいることからも分かる。
今春の地方統一地方選挙で、地域によっては「野党統一候補」の擁立を画策している。政策・理念が相反するにも関わらず、選挙の度に野合を続け、目先の利益ばかりを優先するその姿からは、「国民生活を守る」という政治家としての責任感は全く感じられない。「実行力」も「実行する気」も無い彼らの主張に騙されてはいけない!
危険1 忘れたらアカン!悪夢の民主党政権はNO! 国民の政治不信を増大させて、日本中を大混乱に陥れた罪は大きい!
危険2 口だけは達者!やるやる詐欺の「ペテン政党」 実現できない政策やご都合主義の甘い言葉で国民を惑わす!
危険3 自分勝手な「選挙ファース党」 国民置き去り!政策そっちのけ!選挙名物「立憲の野合工作」
危険1 今も昔も変わらない「暴力革命政党」 オウムやテロ組織と同じく、政府や警察にマークされている団体!
危険2 暴走する「政界のあおりドライバー」 何でも反対!国民の不安感情につけこむ、悪質政党!
いかがだろうか。この様に、まるで過激な極右系雑誌に並ぶ様な文言を選挙活動で用いているのが公明党なのである。
更に醜悪なのは、この対立候補に対する悪魔化が、デマや印象操作、物によってはブーメランであるという事だろう。
例えば、「何でも反対」だが、立憲民主党も共産党も全ての政策に反対していない為、これは完全にデマによる印象操作だ。
他にも、政府や警察にマーク、危険な政党という文言だが、他国においてカルト認定され、社会問題にもなった創価学会が母体の公明党がこれを言うのはブーメランに思える。統一教会とズブズブの関係な自民党と連立与党である事も思えば尚更だ。
悪夢の民主党や政治不信の点においても、自民党の連立与党として数十年間もの長期にわたり活動してきたにも関わらず、経済や少子高齢化対策の面で殆ど成果を出せず、「クリーンな政治」を謳いながら2021年には遠山清彦元衆院議員が在宅起訴されたことは記憶に新しく、また自民党の度重なる汚職には見て見ぬふりをして連立与党を続けてきた現在の公明党が、他党に対してこれを言う資格があるとは到底思えない。
また、最大のブーメランは選挙協力の点だろう。公明党は上記のような過激な文言で他党を悪魔化する一方で、すぐに掌返しをする風見鶏の様な性質がある。
今は連立与党の関係である公明党と自民党も、かつては犬猿の仲とも言える状態であり、公明党は自らのポスターに「「消費税」は悪だ」「消費税はきっぱり廃止です。」と記述するなど、消費税の増税を繰り返す今の状態とは言っている事が真逆だった。
維新との関係もそうだ。公明党の維新に対する姿勢には一貫性が無く、これまで選挙の度に協力と対決の方針をコロコロと変えている。この様な公明党の右往左往に疑問を感じるのは選挙活動に参加していた信者達も例外ではない。
敵対関係にある時は相手を悪魔化している為、そこから一転して協力、というのは受け入れられない信者も少なくない。中にはこの様な公明党の動きに不信感を抱き、選挙活動や創価学会自体をやめてしまう信者も発生している。
特に普段から活動にそれほど熱心でない創価学会の所謂宗教2世3世においてはこの動きが顕著であり、こうした部分は統一教会にも共通する点だろう。
この様に、身内の信者からすらも白い目で見られる政治権力を得るためのなりふり構わない公明党こそ、上記の「二転三転」「ペテン政党」「自分勝手な「選挙ファース党」」「理念なき野合」そのものではないだろうか。信者の信仰心を利用して虚言で都合よく誘導し、己の利益の為に利用する。まさにカルトである。
日本の政治をカルトの力を使った自民党と公明党が牛耳っているという、この状況の深刻さについて、今一度良く考えてみて欲しい。
唐突だった。会から離れていても、人生に大きな影響を及ぼした人が亡くなったという事実は、衝撃がそこそこあった。
と同時に、これからは多分、自分と幸福の科学についての話は、本当に「過去の話」になる気がした。
語れなくなる前に、幸福の科学が影響する自分の人生を整理しておこうと思う。
- 幸福の科学が運営する塾や学校に通っていて、学生時代はそこそこ熱心な信者だったが、社会人になってからはゆるゆると遠ざかり、今は特に活動や勉強などしていない。「わざわざ脱会までしなくていいかなー」と思って特に脱会はしていない。
- でも幸福の科学ではないスピリチュアルなものに関係がある様子で、その辺りは昔も今も聞きたくないから適当にあしらっている。
- 家に幸福の科学の本がたくさん置いてあったので、なんだかたまに読んでいた記憶。置いてあったら単純に興味が出る
- 神棚(幸福の科学では「ご本尊」と言う)も家に飾ってあって、たまにお祈りしてた
たまーに母親の活動についていって、街頭演説とか、パンフレットの配布を手伝っていた記憶
「外で伝道活動するの偉い!積極的にやっていこう!」って教えられる。特に子どもが活動していると、会の中では「超優秀な素晴らしい子!」として扱われる
大きめの講演会もちょくちょく行ってた。
- 今調べて初めて知ったんだけど、サイトあるんだね
- https://success-no1.happy-science.jp/
- そもそも親と一緒に何かするのが恥ずかしい、みたいなとこもあったな。
- みなさんも「親と一緒に家でお祈りするの恥ずかしい!」って思ったことありませんか?
- 自分の家庭や前述した塾では幸福の科学の教えを前提にした会話が繰り広げられる。
- 「守護霊が〜」「過去世が〜」「 最近の教えで総裁先生(信者の間では大川隆法のことを「総裁先生」と言うことが多かった)はこんなことを言っていて〜」とかとか。
- ただ、そうやって普通に会話することが周りの子には通じないし、そんなこと言ったら変な目で見られてしまいそうなので、「幸福の科学用語」が表に出ないように気をつけて生活していた
- サイトはこれ
- https://happy-science.ac.jp/
- その辺りの役回りをこなすと、自然と大勢の前で「幸福の科学の教えを広げるために、自分達に何ができるか?」「信仰心は大事だ!(バーン)」といったように、他の生徒を鼓舞して、信仰心が高まるような演説をする機会が非常に多かった。
- 当時はそれが素晴らしいことだと思ってたんだ。
- 母親だけが熱心な信者で、父親の反対を振り切って入学しました!って子、自分は行きたくなかったけど両親に強引に入学させられちゃった・・・って子とか、色々いた
- 幸福の科学に対する対する考えは人それぞれ。大人になった今でも熱心に信者やってるは、3割くらいじゃないかな・・・?って感じ。
- ただそういった会との関係を抜きにして、自分にとっては「青春を過ごした同級生」なわけで、たまに会ったり、飲んだりする人が結構いる。
- 部活や夜ご飯の時間が終わったら大講堂に集まって夜の祈り。これがちゃんとするやつで、たまにフォーマットは変わっていたのだけど、御法話聴くタイム10分+お祈り20分、みたいな感じだった
- 寝ちゃう人たくさんいて、生徒会などでは結構問題になって有志で色々話し合ったり対策を考えていた記憶・・・。
- ド田舎の寮で最寄のコンビニまでも30分かかるくらいだったので、生徒の間ではこの環境のことを「那須プリズン」と呼んでましたw
- たまに、「実は名前だけ会員になってただけで、幸福の科学の本とか全然読んでなんだよね〜w」って先生もいたな
- 自分は映画アンチで、「つまらないストーリーが全てを台無しにしている」「最後はどうせ信仰心で何もかもうまくいくだけの薄い映画」などなど、猛烈に批判していたが、「映画が面白くないのは信仰心たりないから」って感じであしらられていた記憶。
- しかも同じ人が何回も見に行ってるからな。まじで何やってんだ本当に。今でもそうだよな。作品のクオリティに真面目に向き合っていあたら、10年やってれば普通に面白い映画作れる可能性あったんじゃないのかな。
- 映画に限らず、会の流れにそぐわない意見は良くないものとする雰囲気がただよっていた。これは幸福の科学全体に言えることで、熱心な信者ほどそんな意見を持っている人が多かった。
- 自分は映画がクソすぎたのが、幸福の科学の考えに違和感を持つ原点だったのかな。今思うと。
- ただ、「総裁先生のために」と言ってとりあえず頑張っていれば結果関係なく褒められる、みたいな空気があったのもわりと嫌だったな。
大学生活は普通にやったし、バイトもしていた。その面は普通。ただそれ以外の時間で幸福の科学の活動を頑張ってた感じ。忙しい大学生だった。
- ただ卒業生の半分くらいは、大学に行った時点でゆるゆると会から離れていき、学生部にも顔を出さなくなってた
- 自分は学生部にわりと頻繁に行ってて、学生部長とかもやったし、合宿も割と行ってた。運営もちょっとした。
- 知り合いのうち何人かを、総裁先生(大川隆法)の講演会に誘って一緒に行ったりした。
- 1人くらいは会員にもなった。その人はもしかしたら、今でも熱心に活動してるかもしれない。
- その人の人生にめちゃくちゃ大きな影響を及ぼしちゃったと考えると、なんとも言えない気持ちになります・・・。
- 口には出さなかったが、偉い人の話を聞きながら冷静に「いや、そうはならんやろ。」ってツッコミを心の中で言ってたこともある
- 理想と信仰だけを語り、現実を見ない会員の姿を見れば見るほど、なんだか嫌になっていたんだ。
- だから、大学3年生くらいの時から、自分がおかしいと思うことは断固活動を拒否していた。そうなってくると学生部長をやるのが苦しかったので、割と早めにその役を降りた。
- その地区を担当していた職員さんから、「本当に後悔しないんだね?」と何度も聞かれたが、「後悔しません!」と何度も答えてやっと役を降りれた記憶。
- その人も悪気はなさそうで、単純に純粋な"信仰心"で何度も引き止めてくれていたと思う。
- 通っても本を読んだり、瞑想したりするくらいだった。社会人になってからは「研修(総裁先生の説法をもとに作られた、教えについて深く学んで悟りを追求するためのプログラムみたいなやつ)」も受けてないし、合宿にも行ってないかな。
- 一瞬、若者が集まる青年部に顔を出したりしたけど、2,3回参加して肌にあわず行かなくなった。
- なんかやはり、一般社会との考えとか違いすぎて・・・。あんまり頭良くなくても、とりあえず信仰心高い行動している人の声が大きなり、現実と向き合わないような雰囲気があったね・・・。
- でも映画はやっぱり、いつまでたってもクソなので数年前から全く見に行ってない。
- クソな映画なのに、「動員数ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って同じ人が何回も観に行ってるのも嫌い
- 「ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って映画評価サイトに星5つけまくる活動も嫌い
- 2023年の法シリーズは、地獄の法!Amazonでも買えるぞ!興味があったら買ってみてくれよな👊
- https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2888
- ワクチンに対するスタンスが、ネットの陰謀論レベルになっちゃってるんだよね
- ワクチン打つとDNAが書き変わる!とか、ワクチンで病気になりやすくなる!とか・・・。
- 自分がちょっと調べた感じ、総裁先生は「信仰の力があれば大丈夫」とか、「新しく開発されたワクチンなので長い目で見た効果が心配ですね」くらいのことしか言ってなかったと思うのだが、それが会員の思考レベルになるとなぜかワクチン陰謀論になってしまっていて。
- 幸福実現党(幸福の科学が立ち上げた政党)も、なんか陰謀論っぽいこと言ってたりして。
- 幸福の科学の職員が、ワクチン陰謀論に関して本書いてる人と対談するイベントもあったりした記憶。
- 「こりゃあ、おしまいだあ🙌」と思った。もうなんか、熱心な会員さんほど普通に社会を生きるレベルの常識を麻痺させなくちゃいけないんだなーと。「大川隆法から離れたい」というより、「幸福の科学という組織から離れたい」と思ったんだ。
自分と同じような2世会員はそんな葛藤を持って生きている人が多そうなのだけど、自分はわりと、自分の人生と幸福の科学/大川隆法に関する整理が冷静にできており、うまく生きてるなーって思うのでそのことを書こうと思ったのだけれど・・・。
「今、幸福の科学に対してどう思っているのか」とか、
「大川隆法(総裁先生)が亡くなって感じていること」を書きたかったのに時間がなくなってしまった・・・。
長文乱文失礼🙏
プリンターってたくさん印刷する時ってスタートしたら止まらないじゃない。
案の定横に印刷しなくちゃ行けないものが縦向きになってプリントアウトされてロスが数枚出してしまったんだけど、
本当に止まらなくて
トレー引っ張って引き抜いて物理的に紙無し状態でしか止められないそんなロマンチックな過ちを犯してしまって
笑っちゃったわ。
いけないいけない
裏紙でも良いから一旦テスト印刷してゴーしないとゴーできないわ。
ゴーによるゴーのためのゴーだわ。
注意力30000で高めて挑んで気を付けたいと思うわ。
そんでさー、
いつも使ってるプリンタって2台あって
印刷するする面をどちらを上にして給紙したらよかったっけ?って
裏紙使って節約してますアピールのポーズを腕を振り上げてやるときに
新しい白紙なら裏表関係なく考えなくても良いからどっちの面を上にしても良いじゃない?
だけど裏紙を使うときにこのプリンターはどっちの面を上にするんだっけ?って
また私笑ってしまったわ。
こっちの面じゃないのねあなたは!って
でさー
裏紙信仰もいいけど、
要は紙がヨレヨレへこへこになっているじゃない。
裏紙を使って節約する方がはるかに効率が悪くなってしまうのよね。
そんでそんで、
詰まった紙を引っ張って取り除いた際に細かいのが中に詰まってるのか詰まってないのかよく分かんない時!
今の印刷機の細かい紙の詰まったちぎれた紙片を感知するセンサーが
過度に発達したそれはもう魔法としてもいいのかと言えるほど
紙片なんてないのにどう見てもないのに
詰まってます警告が消えない渓谷に思わずヤッホーって叫びたいぐらいそんな世の中はポイズンって思うわ。
思ってもなかなか紙詰まってます警告が解除されないときって厄介よね!
だいたいは紙詰まってなくて
結局それ裏紙使ってロスの時間がそれなんてアディショナルタイム?ってプリンターに言いたいぐらいよ。
そんであと
たまーに見かけて流行ってる
スゴイいいこと思い付いたんだけど増田にあやかって言いたいんだけど
わざわざ裏紙を作るためにダミーで印刷してってアホらしいこと避けるために
スゴイいいこと思い付いたと思わない?
思わないわ!
もうあの熱狂的な裏紙絶対信仰の人いる熱狂的な信仰心なんとかして欲しいわ。
ダミーデータを印刷してある裏紙専用のコピー用紙ってアホらしい最高傑作だと思うわ。
トナーのコスト考えなくてバンバンレーザープリンターで出しちゃう人!
今のモノクロインクジェットプリンターも早いしコスト1枚10分の1以下だから
年間のトナー代馬鹿にならないし、
そう言うコストも一切考えたことない印刷スピード狂信仰に熱心な人もいない?
そんでさー
これマジっぽい話しだけど
インクジェットをメインの主力の柱の位置づけとして舵を切るらしいのよ。
レーザープリンターって?
印刷スピード狂信仰を信じているレーザープリンター好きな人は残念ね!って話しよね。
数枚程度をインクジェットモノクロプリンターででんぐり返しするように印刷するレヴェルで
そんなに量はないからこれで事足りている山脈にヤッホーと叫びたいそれなんてアルプスの少女ハイジ?って思うけど、
たまーにたくさん印刷して山脈にヤッホーって叫びたいときがあると
確認印刷せずにゴーして間違っちゃってたくさん出てきた山脈なときは思わずヤッホーって叫びたくなるわ。
あーあ、
間違ってロス出てきて大量に笑っちゃったわ。
あーあ面白い。
って面白くないけどまあちゃんと頼まれた印刷のプリントの刷る作業は完了したから良かった山脈にヤッホーって叫んだわ!
教訓としては
慣れない印刷をするときは確認印刷する山脈にヤッホーって叫ぶことね。
今度は間違えないように山脈にヤッホーと叫べるようにしないとね!
うふふ。
お店も辛い環境なのね!って思うけど
サンドイッチ屋さんの大将の思いは厚く熱く篤いタマゴの旨さが爆発よ!
美味しいに変わりは無いから
卵や鶏不足は深刻なレヴェルね。
ChatGPTに美味しいデトックスウォーターのレシィピ教えてっつって教えてくれたのが
なかなかシャレオツなもの教えてくれうじゃない山脈にヤッホー!って叫んじゃったわ!
まあローズマリーなかったので他のを教えてつったら
にしても凄いわねChatGPT!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺の家はみんな仏教徒だけど、クリスマスもするし讃美歌も歌うから、そこまで考えたことないなぁ
結局神や仏の話なので、共通する部分だけ受け取っておけばいいって都合よく思ってる
信仰心が篤い人は違うのかもだけど
母親一家がクリスチャン、親戚の独身女性全員がシスターという珍しい家で産まれた。
大学生になって英文学の授業を取った時に英語で聖書を読み、初めてキリスト教に興味を持った。
社会に出て働くようになってから人間の残酷さとあたたかさを同時に味わったり、人も自分も良くも悪くも変わってしまうんだなと悲しくなったりした。
聖書を読み、寝る前にその日の出来事や感じたことを神様に語り祈るようになった。この世で唯一変わらない神様の存在を思うと、自分らしく人を大切に生きられるような気がした。
ある時、私はラジオから流れてくる曲に衝撃を覚えた。初めて聴く曲なのに異常に心地よく懐かしく感じた。その時点で彼のファンになった。
すぐに彼の他の曲を調べ全部聴いた。YouTubeでアップしていた動画を何度も見たりインタビュー記事を読んだりした。
彼の音楽だけでなく、彼の愛に溢れた言葉に感動した。手帳に書いてみたりした。
しかし最近になって、それが彼の言葉ではなく、サティヤ・サイ・ババの言葉だったことが分かった。今までずっと聴いてきて感動していた音楽にも宗教の教えががっつり織り込まれていた。
要するに、私はクリスチャンでありながら、別の宗教の考えにずっと浸っていたということになる。そのことに気付き、私はものすごくショックを受け頭がぐちゃぐちゃになった。
それの何が悪いの?別にいいと思うものが何個あってもいいじゃん?と思う人もたくさんいると思うし、その考えを不思議だとは思わない。私もショックを受けた自分にびっくりした。
正直、自分はかなり信仰心低めのクリスチャンだと思っていた。神様を信じているというより、自分のために神様の存在を利用しているというか。神様を話を聞いてくれるイマジナリーおっちゃんみたいに思っている、という風に自分では思ってた。
でも実は私は心の奥底では辛い時に教えに導かれたことをものすごく感謝しているんだと気付いた。だからこそ、知らないうちに別の宗教のリーダーの言葉をありがたがっていたことが、神様への裏切りのようで言葉にできない気持ちになった。
彼の音楽は今でも大好きなので聴き続けたいという気持ちはもちろんあるけど、今回の出来事があってなんとなく怖くなってしまった。
キリスト教以外のものを受け入れたくないわけではない。当然神社も行くし仏教用語いいなと思うこともあるし新興宗教に傾倒してるアーティストの曲を聴いたりしてる。でもそれは「これは◯◯という宗教に基づいたものだ」という知識が最初からあるから。
元々「これはこの宗教の影響を受けた音楽です」と言われていればそうなんだなあと楽しめたのにと思うけど、日本では彼がそれを公言するのが難しいのと私がものを知らなさすぎた。
無宗教の人からしたら、楽しいお料理教室に通ってフライパンとかも買ったけど実はマルチの巣窟だったことを後から知ったみたいな感覚に近いかもしれない。そのマルチが悪質かどうかは置いといて、マルチはマルチだから、最初からマルチって分かってたらまだショック受けなかったのに…みたいな(マルチ批判ではなくあくまで例え)
https://smart-flash.jp/sociopolitics/213800
質問1:教義ではなく運営面について、貴団体は創価学会を評価したり、参考にされる点はありますか。
→ない。もともと、創価学会は宗教ではなく大石寺(編集部注・日蓮正宗総本山の寺院)の在家の講であるため、金集めを行動原理とし、その資金の運用のみを考えています。信仰心、教義、儀式とも不足しています。
質問2:旧統一教会と創価学会については高額献金、宗教2世問題、政治への関与などについての共通点が指摘されています。貴団体はこれら2つの教団について、共通点があるとお考えでしょうか。
→ 2つの教団とも政治的権力や影響力を宗教の正統性の根拠としています。当会は宗教の考えの一部が、政治的意見となっています。
質問3:貴団体が、創価学会と「ここが違う」と明確にいえる点はなんでしょうか。教義ではなく、運営面についてお教えください。
実家は地方都市で自営業を営む、今思えば中の下くらいの家庭だった。木造二階建ての家は古く、黒ずんだ柱には飼っていない猫の爪跡がついていた。襖で仕切られた居間の奥には、標準的サイズの仏壇があった。同じ部屋には祖父母の写真や、商売繁盛を祈るための神棚があった。
子どもの頃、家の中で姉と遊んで玩具の取り合いになったり、はしゃぎすぎると仏壇の前に正座させられた。先祖に謝れ、みたいなことも怒鳴られて、ゲンコツをくらった。そういう時代であったとは思う。しかし子どもの自分には理不尽で、なぜ何も言わない、何もしてくれない祖父母の写真の前で、長い間正座をして、大きいだけで何の価値もなく見える張りぼての仏壇に向かって、ごめんなさい、と言わなければならないのか、まったく理解できなかった。子どもながらに説明を求めたが、まともな回答はない。親にとって、こうした道具や方法は、先例に倣って子どもを叱るためのフォーマットでしかないんだな、と理解した。
10歳を超える頃には、仏壇の前に座ることを拒否し、中学生頃からは法事や墓参りも極力欠席した。馬鹿らしかった。親の良かった点は、子どもがそれらを馬鹿らしいと思う気持ちや発言を(苦々しくも)認め、暴力で無理やり従わせようとはしなかったところ。親にとってもそれらは、信仰心ではなく伝統であり習慣、時代の中で失われていくものである、という思いが、どこかにあったのかもしれない。
死刑制度の是非とかポルノ規制とか移民政策とグローバリズムを推し進めるべきかとか
人権問題にからめることはできるけどこういうのっていろんな宗教的価値観とか社会体制によって全く結論は変わってくると思うんだけど、
こういうの全部W杯だのオリンピックだのに持ち込んで人権パフォーマンスして問題ないってこと?
それとも「我々が判断するセーフな人権パフォーマンス」と「アウトな人権パフォーマンス」があるってこと?で、その判断は我々が行いますと。
例えばイスラム教徒側が欧米諸国に敬虔なイスラム教徒の信仰心を踏みにじるなとかパフォーマンスしたらそれは人権問題じゃないからアウトってなるのかな?
会陽
即ち裸祭りは、天下の奇祭として広く知られているが、その歴史は遠く奈良時代に始まる。
東大寺良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠(じっちゅう)上人が創始した修正会即ち新年の大祈祷を開山の安隆上人が伝え、毎年旧正月元日より14日の間厳修されていた。
永正7年(1510年)忠阿(ちゅうあ)上人の時、修正会の結願の日参詣の信者に守護札を出したところ、これを戴く者は福が得られると希望者が続出し、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いとなり、身体の自由を得るために裸となり、無垢の信仰心は水垢離となり、遂に修正会と不離一体の今日の会陽の形が成り立ったと伝えられている。
どういうことかというと、寺の中央で札を投げる→それをみんなで群がって奪い合う→持ってた一人が幸運、という日本版バトロワなのだ
この祭りの攻略法は4人以上のチームを組んでアタッカーとディフェンダーに分かれて守護札を奪うのが肝になる
チーム組むのが卑怯では?と勘のいい増田なら思うだろうが安心して欲しい。守護札をゲットしたら他の人も一緒に祝ってくれるのだ
これは意味不明だがそういうものなので安心してチームを組んで臨んで欲しい
と言っても動画を見てくれれば分かるが群衆雪崩クソ喰らえなレベルで揉みくちゃになるので参加者は殴り合いになり血を流したり骨を折ったりしててヒョロガキは参加しない方がいいので身体をムキムキに鍛えた人か揉みくちゃの中合法的に殴れる機会が欲しいヤンキーが参加すべきだろう
それらがというよりはメンタル弱系女向け傾向のあるサービス全般が糞なんだと思う。作者がそうだから自分基準に合わせた結果、ある点において貪欲あるいは積極的な人間には不便な仕様になる。
作者サイドにワンクッション入れられるようににする仕様があるのはいいとして、そのワンクッションを厚意として受け取るか検索効率を下げるから無視するかという閲覧側の選択の自由がないのが問題。
まるで今中絶で騒がれてるアメリカのようだ。中絶は殺人だから禁止にすべきだというのはなるほど本当に殺人と同等ならもっともなことだが、しかし所詮宗教から来る価値観なので、中絶肯定派にとってそれは宗教的価値観の押しつけによる選択の自由のはく奪に過ぎない。なんでやつらは自分の倫理を自分で守るのは勝手にやってればいいとして、信仰心の無い人にも自分の倫理を押し付けようとするんだろう。他人などどうでもいいと思えないのは病気だろ。
こんばんは
ビクターがG1馬になる瞬間に絶対に立ち会いたいがために、はるばる阪神競馬場に行ってきたビクター増田です。
増田は関係者でもないただのファンのくせに前日は緊張であまり眠れず、レース出走直前も緊張で苦しくなってたメンタル弱弱な入れ込み具合でした。
昼前に競馬場についたあと、まずは自分の指定席からのレースの見え具合を確認
その後は、他のレースを買う精神的余裕はなかったので、菊花賞以外の馬券は一切買わず、パドックの馬のようにひとりで競馬場を散歩する時間に。
菊花賞に関しても、当日考えるような余裕がないと思ったので、ネットのPATで3連複の馬券購入だけ前日夜中に済ませてました…
現地では紙馬券も購入
お土産用の応援馬券5枚と、ビクターの単勝1000円は現地で購入
ビクターくんが勝たなければ全て外れという恐ろしいファン用馬券でした
13時過ぎからパドックの1番前を確保して、2時間パドックに張り付きました
ビクターくんにようやく会えました
首を振って荒々しいけど、消耗してる雰囲気ではなかったです
ビーアストニッシドくんが大暴れしてラチを蹴ってでかい音鳴らしてみんなを怖がらせたり、なかなかやばいことやってました
さすがG1の仕上げやで!
これは、、ガイアフォースやはり強いかもな、1番いいかもな、と思ったのは正直秘密
パドックが終わる時、信じるんだ!と自分に言い聞かせて席に戻りました
ぎりぎりまでパドックにいたので、自席に戻るとビクターくんの返し馬は終わっていました。
双眼鏡で待機場を見ると、少し落ち着いた感じはある?
でも首はまだ振ってるね。
テレビで見るほど展開がわかるわけではなく…
が、2番手で内に入って最初のコーナーに入れたのは見えました。
悪くないぞ。
そして1コーナー、目の前をすーっと走り去る。
なんかね、速くて一瞬なんだよね…
わかんねえよ…
そして最終コーナー、ビクターくんがちゃんと抜け出して、少し差をつけて直線に入ったのを見てまずは安堵。
もはや誰かわからん。
なんか脚色がよく見えるぞ…
粘れビクター!
粘れ粘れ粘れ!!!
ああっ
かわされた?
かわされたように見えたよ…
2着?
プラダリア買ってたっけ?買ってなかったような…
うあー、まじかあ、負けるのかあ…
ん?
え、ほんと?
え?期待していいの?
本当?
写真判定がついてるけど…
勝て、勝ってくれ…
出た!
14!!
1人で腕を突き上げてました。
すごいね、本当に勝ったんだね。
すごいなあ、よかったなあ。
そして表彰式をずっと見てました。
ついにG1馬になれたんだな、よかったなあ。
で、馬券を見ると、ビクターくんが勝たなければ全て外れる馬券が、勝ったので当たりました!
4番はボルドグフーシュだったとわかり、それならちゃんと重視して2着にいれてるわ!ってなりました
あわせて3万4110円!
これは大きい!!
今後出るビクターのグッズ購入代も出た!
(ちなみにPATで買ってた3連複も1800円くらい儲けてた)
まあ、馬券の的中は大きいけども、それよりも何よりもアスクビクターモアくんがG1馬になれた喜びは、本当に何にも変え難いものになりました。