数年前まで映画やドラマ、漫画の二次創作のカップリング小説を書くのが趣味だった
一本の小説を書くために大量の調べ物をしたりああでもないこうでもないと悩みながら文章を練ったりするのは辛くもあったが、カップリングへの愛を形にするのはとても嬉しく楽しいことだった
二次創作から離れたのは、嗜好が変わって「カップリング萌え」をしなくなったのが理由だが、もうひとつ、二次創作をするための土台となる「能動的鑑賞」をしなくなったからというのもある
あの頃は、「なんで主人公はこういう価値観を持つに至ったんだろう?」とか「彼は人生に満足しているんだろうか?」とか「彼女の信仰心は何に根ざしているんだろうか?」とかいろいろな疑問を抱き、その答えを探しながら、答えが見つからないようだったら想像で空白を埋めながら読んでいた(観ていた)
今はそこまで作品にコミットしようという姿勢になれなくて、特に何も考えず、ただ入力された刺激に反応して泣いたり笑ったりするだけ、感覚的かつ受動的に鑑賞するだけ、という感じがする
「カップリング萌え」ができなくなったことや小説が書けなくなったこと以上にそれが辛い
(私はここ10年ほど双極性障害を患っており、同人にハマっていたころは躁状態の長いスパンの中にいて、ここ数年は鬱のスパンの中にいるので、フィクション作品に能動的にコミットできなくなったのにはそのせいもあるかもしれない)
今は趣味がなく、せいぜいduolingoで外国語をやるぐらいだが、あれは出された大量のドリルをひたすら解くだけのものなので、能動的に何かをやるという感じではない
スポーツは苦手だし絵は描けない
素人の当てずっぽうだから的外れな可能性もあるけど その「能動的に楽しめなくなってきた」って現象は 加齢によるものである可能性があるよ
原神の塵歌壺ってハウジング機能で遊ぶのなんか良さそう YouTubeなんかでテクニックやなんかの例は無数にあるし能動的にクリエイトしてる感は一応ある でもクリエイティブにこだわら...