2022-12-02

信仰喪失

実家地方都市自営業を営む、今思えば中の下くらいの家庭だった。木造二階建ての家は古く、黒ずんだ柱には飼っていない猫の爪跡がついていた。襖で仕切られた居間の奥には、標準的サイズ仏壇があった。同じ部屋には祖父母写真や、商売繁盛を祈るための神棚があった。

子どもの頃、家の中で姉と遊んで玩具の取り合いになったり、はしゃぎすぎると仏壇の前に正座させられた。先祖に謝れ、みたいなことも怒鳴られて、ゲンコツをくらった。そういう時代であったとは思う。しか子ども自分には理不尽で、なぜ何も言わない、何もしてくれない祖父母写真の前で、長い間正座をして、大きいだけで何の価値もなく見える張りぼて仏壇に向かって、ごめんなさい、と言わなければならないのか、まったく理解できなかった。子どもながらに説明を求めたが、まともな回答はない。親にとって、こうした道具や方法は、先例に倣って子どもを叱るためのフォーマットしかないんだな、と理解した。

10歳を超える頃には、仏壇の前に座ることを拒否し、中学生から法事墓参りも極力欠席した。馬鹿しかった。親の良かった点は、子どもがそれらを馬鹿らしいと思う気持ち発言を(苦々しくも)認め、暴力で無理やり従わせようとはしなかったところ。親にとってもそれらは、信仰心ではなく伝統であり習慣、時代の中で失われていくものである、という思いが、どこかにあったのかもしれない。

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