はてなキーワード: 主治医とは
今回ぼくが感想文を書くのに選んだのは、小学舘ビックコミックスぺリオールで大好評連載中の天国ニョーボ第1巻絶賛発売中です。
この作品の内容は大きく2つに分かれており、亡くなったニョーボが霊界から量子トンネルを抜けて出てダンナと主観的に邂逅を果たすパートと、闘病時の経過を描写するパートとがある。以下は後者について。
作者の須賀原洋行は近藤誠信者だったが、ニョーボに癌がみつかってしまい、どうにか治療の道を模索し始めた。
ただ近藤誠に植え付けられた標準医療に対する不信が根底にあるので、自分で集めた情報を元に治療方針を考えていく。
当然情報源は○○で癌は治るみたいな糞本だったり、ネットに投棄されている新しい治療法に関する断片的な糞記事だったりするので、そのことごとくを主治医に却下されてしまう。
最終的には標準医療に基づく治療計画を承服はしたのだが、実はまったく納得出来ていないのだった。
作者にはニョーボを亡くした今も、他にニョーボを助ける道はあったのではないか、ニョーボがもっと楽に過ごせる選択肢があったのではないかと、当時の経過に対する疑念が残っていると思いました。
それと亡くした事実を受け入れられない否認とが合わさって、直視しがたい痛々しさと歪みを作品にもたらしており、ぼく達の心を揺り動かしているんだと思いました。
あるいは、これは作者がニョーボの喪失を受け入れ昇華するための、イニシエーションなのかもしれないと思いました。
また、この作品は近藤誠さんの多大な貢献があって成り立っており、その近藤誠さんをここまで押し上げた出版社や書店は本当に社会の役に立っているんだなあと思いました。とくに小学舘は、近藤誠さんを漫画化したり、かびんのつまの夫に仕事を回しているので、すごく偉いなあと思いました。小学舘は青年漫画界の女王様だ。
ぼくにはとてもできない。
先週ネーベンで田舎の老人病院で当直してきたんだが、その時の死亡確認が煩わしかった。
こういう老人病院当直は収入源であり安眠できる場所であるべきだが、時々死亡確認があるのでその時は起きないといけない。
「○病棟です、低空飛行(死にかけ)でDNR(積極的蘇生処置はしない)の患者さんの心拍数が落ちました」
ふむ、今日は当たっちゃったかと思いつつ。「当然家族は揃ってるよね?(心拍)止まったら教えて」
嫌な予感。
少しうとうとすると、また電話。
「ご家族さんいらっしゃいました!」
あ、じゃあ行きます、ってまだ止まってないの?なんで電話してくんの?
しばらく経って、また電話。
「呼吸が止まりました!」
え、あなた最初にDNRって言ったよね、DNRなのに挿管(人工呼吸器につなぐ)しろってこと?
「いえ、そういう訳ではないです。ただの報告です。」
家族が死を受け入れる時間なんだから周りでばたばたしないであげてよ。
おやすみなさい。
電話。
先月死亡確認の時間をiPhoneでみたらクレームが入ったので、しょうがないから国産の腕時計を買った。こいつの初仕事だ。
「すいません、先生」
お、さすがに電話が多かったことを謝るのか?ならしょうがない。許しましょうぞ。
「次男さんがあと15分で到着するそうなんで、死亡確認それからにして下さい」
そうですかそうですか、そうですよねー。見たいよねー、親の死に目だしねー。
いいですよー待ちますよー。どうせすぐ起こされるなら、僕ナースステーションで待ってます。
恙なく死の3徴を確認し、「○時○分、死亡確認とさせていただきます」 礼。
延々とミミズのような文字の這う巻物のようなカルテを解読し、死亡診断書を作成。
看護師に渡し、「ここまで絡んだので、僕寝ずに待ってます、お見送り(病院から出発)の時電話ください」
その後、電話はなかった。
タイトルの通り、最近の自分の感情はさながらジェットコースターのようだ。
と言っても、遊園地のように楽しいものではなく苦しい。感情の浮き沈みが激しすぎるのだ。
落ち込んでいるときは、どうやって死んでやろうかと考え、市販薬の大量接種に手を出してしまう。
そして周り(主に家族)を混乱させる。
楽しすぎるときは、原因もないのに楽しすぎるのだ。生きてるって素晴らしいとわけもわからずハイテンション。
市販薬の大量摂取からもわかるようにまた、鬱のようなものが再発してるんだと思う。
過去に通院していた精神科の主治医には、いつでもおいでと言われているが、行ってない。
だって行っても、先生の顔を見ると何を話せばいいのかがわからないだもの。
何が苦しいのかが未だ自分自身、わかっていないのだ。
わかっているのは、あまり生きていても楽しいことや、やりたいことが全くないということだけ。死にたい。ただそれだけなのだ。
過去を変えたい。でも変えられない。そんなもどかしさも伴って、自分は何をしていいのかが分からない。誰か教えて。
ただ、生きているだけ。苦しい原因は、過去にあることは、本当はわかっている。でも、もうどうしようもないのだ。
原因となった人に、罰を加えても過去を含め今の自分の状態は変わらない。ただ願うことは、あの忌まわしい過去をなかったことにしたい。
古希を超えて数年たつうちの母親は、東日本大震災の直後ごろに、北斗晶とは部位は違うけれど、ガンがみつかって「ステージⅣ 五年後生存率20%」て診断されて
その年に2回手術をうけて、もう4年たつけれど、結構元気にしている。
人並みに健康診断は受けていたのだが、そのガンは、「検診では見つかりにくい部位」であった。
ちょうど、最初の手術のころは、「輪番停電」がつづいていて、病院が薄暗くて、しかも、電力の不安から人によっては手術時期を延期される人もいる中
「おたくのお母さんは、もし今手術しなけりゃ、余命数か月ですから」と予定通り手術したことを思い出す。
とりあえず、2回の手術を経て、完全にガン細胞を取り除くことはできず、
その後は、保険診療で抗がん剤治療を続けているのだけれど、最初の宣告をうけた翌年には、「これが最後になるかもしれない」ということで、
そしたら、翌年も「今年も行けそうだけど、どうします?」と主治医に聞かれたりする程度の経過をみせ、
最近は体調みながら2~3週間に一度、抗がん剤治療をうけた直後は、2~3日はだるそうにして、
食事つくる以外は、ほとんど横になっているけれど、その期間をのぞけば、随分元気にしていて、この夏は、友人と三泊くらいの旅行に出かけているし
まあ、抗がん剤の影響があるので、「レディースアデランス」が手放せないが。
まあ、病気の経過というのは人それぞれだから、なんともいえないが、母の周りには、そういう人も結構いて
「五年生存率20パーセントと宣告されてから、はや8年」なんて人もちらほら。
病院も、まあ、公立みたいなところ(数年前まで社会保険病院だったのが、組織改革でちょっと名前がかわった)なので、
超有名病院で名医に特別な最先端治療を受けているわけでもないし、後期高齢者なので、アフラックの保険がないと対応てきないような高額な医療費もかかっていない。
もちろん、予想以上に「悪い」展開をたどる人もいるのだが。
ガンにかかった時に、ほかの病気を抱えていたり、病気とまでは言えないけれど「血圧が高め」とか、「貧血気味」とか「肥満が過ぎる」とか
そういう人は、治療が大変だったり、良くない展開をたどりがちのようだ。
あと、ちょっとしたことで、食欲が落ちて、しかも「無理してでも食べよう」という気合がない人。
なんといっても、そういう人は、使える抗がん剤の選択肢が減る。
「がん以外は健康」でないと、抗がん剤治療に耐えられない、ということらしい。
抗がん剤というのは、一つの薬をあまり長く使い続けることができないらしく、また、人によって「あうあわない」があるようで、
基本的には、使ってみて、その後の体調とか、腫瘍マーカーの変化やらを見ながら、
使用を継続したり、中止して別の薬に切り替えたりするらしい。
うちの母親の場合、すでに3種類目だか、4種類目だかになるのだが、
現状では、「今回のは、前ほどきつくないけど、抜け毛は前より増えたのが悩み」だそうだ。
「数年前に認可が下りたばかり」という薬が次々出てくる
実際、うちの母親は、主治医に「○○さん、あと5年早かったら、使える薬がもうなくなっちゃってたかもねえ」とか言われている。
まあ、ガンに根本的な治療法がまだない以上、「がん以外は健康にしておく」というのが大事かなあ、というのが、傍から見ている人間の感想。
あとは、素直に医師(もちろん、まともで常識的な)のいうことを聞くしかないのだろうなあと。
最近、ガンで亡くなった女優さんが、「抗がん剤治療を拒否して、純金製の棒で、患部や体全体をさすったり、押さえたりする民間療法を受けていた」というニュースがあったけれど
個人的には、あれ、完全に間違っていた、と思う。。
いや、それぞれが、自分の納得いくように治療を受ける(受けない)のは自由だけれど。
彼女は「最後まで女優として生きて、次の舞台に立つことを切望していた」らしいから
多少、抗がん剤でつらくても笑顔をみせて、髪の毛が抜けても、カツラをかぶってでも舞台に立ってほしかったなあ、と。
そういえば、母がガンになったことを話したら
「現代医学は医者と製薬会社が暴利をむさぼるために、やたらと抗がん剤など使って人のことをボロボロにする。いい療法があるから教えてあげる」
といってきた友人がいた。
何しろいい奴で、本気で心配している様子なだけに、困ってしまったのだが。
ああいう人たちってなぜ「医者や製薬会社は暴利をむさぼっている」と憤るくせに、
効果のない療法でお金を取っている人たちを「暴利をむさぼっている」というようには思わないんですかね?
ちなみに、その友人とは、いろいろな義理や関係性もあって、必要最小限度の接触を保つ関係が続いている。
その程度の付き合いにとどめていれば、きわめて「いい人」ではある。
享年は60歳です。
(北斗晶さんと同じ症状。頑張って欲しいです)
死にゆく人に生き残る人がしてあげられることは、
一体何がベストなのでしょうか。
二ヶ月ほど生きました。
一ヶ月を過ぎた辺りでも何とか元気だったので、
もしかしたら治るのかな?と思い始めました。
そんなある日、母が家に帰りたいと言いました。
久しぶりに家に帰って色々家のことをやりたいと。
私は言いました。体調は安定していないし、
無理したら治るものも治らないよ、と。
母は珍しく声を荒げ、どうしても帰りたいの!
と主張しました。ですが私も譲れません。
そんなのは嫌だと。
ただ、それに加えて、母が家に帰ることが、
まるで終わりに向かってしまうような気もして。
怖くて、
母の主張を聞き入れてあげられませんでした。
結局家に戻ることはありませんでした。
その次の日以降、
母の具合は徐々に悪くなりました。
喋ったり笑顔を見せてくれていたのに、
日に日に喋らず、顔色も悪くなり…。
悲しくて、
ただ泣きました。
何で帰らせてあげなかったんだ。
やり残したことがあったんじゃないか。
その結果、もしかしたら気力が戻って、
病状が良くなったんじゃないか。
私があそこで母の帰宅を認められなかったのは、
その時、
それ以外の選択肢が考えられなかったのです。
でも…。
私はあの時どうすれば良かったのか、
正解は今でも分かりません。
家族の、親の死なんてきっと、
余命宣告を受けたって、うまくいけば、
もしかしたら助かるんじゃないか、
と思いたいのです。
きっと母はもう長くないことを、
だから帰りたいと。
ただ身辺整理のために帰りたいとは言えず、
こんなことになってしまいました。
でも、そんなこと言えるはずがないことは、
子供の私が、
一番分かってあげなきゃならなかったんです。
分かってあげたかった。
やりたいことをやることの努力をされていました。
でも、その裏には家族の、
私が母に対してしてしまったことが、
間違っていたとは決して思っていません。
ただ、ただ悔いが残るだけです。
ですが、もし、次に同じような機会があるならば、
たとえ少し間違っていても、
発達障害のあるうちの子。運動会のダンスの練習でついにくじけた。「もう学校行きたくない・・・でも学校は好き。ダンスの授業で自分だけ何度も怒られるのがつらい・・・やっぱり学校行きたくない・・・」と泣いてる。
一斉に笛の音で動く、とか、右かうウェーブが来て、順番に立ち上がって腕を回してまた座る、今度は左からうウェーブが来て、また立ちあがって腕を回して座る、みたいな動きがどうしても遅れてしまう。
まっすぐでもなく、斜めでもなく、「ダンスの振り付けとして正しい向きに整列して並ぶ」という「漠然とした」概念が理解できず、何度も先生に名前を呼び捨てにしてマイクで怒られて、ついには「出て行け」とまで言われてる。
でも「普通にしろ、普通に」という説明では理解できないらしく、「早すぎる」「遅すぎる」と、本人がどう努力しても先生の求める正解にならない。
スポーツは大好き。親としてはこの障害の特性として、運動能力に難がある、というのは医者から言われていたし、親としても気づいていたので、小さいときからいろんなスポーツをさせてきたおかげで、これまで単純に走る、とかボールを投げる遊びとかは人並み以上にできるようになって、本人も大好き。運動が得意とかいうより、本人が運動が大好き、という子に育ってくれたことをうれしく思っていた。
なのに、この「全体主義」的なダンスの授業でそれがもろくも崩れ去ってしまう危機に瀕していて、親としてなんとも切ない。
主治医に相談したら「先生に、もうこれくらい大目にみてやってください。うちの子はこれが精一杯ですから、といったらいいです」と助言された。
何度も担任の先生に相談はしてて、一応理解してくれてるはずなのに、運動会前で先生のほうが必死になってるからだろうか、毎日のように怒られてしょげ返ってる。
おなじ学年にはなかよし学級の子もいてて(うちは知能的に普通なので普通学級)その子には「○○さん、もう少し前を向きましょうね」ぐらいにやさしく指導されているらしい。
うちの子は先生がほっぺたを両手で挟まれて、「こっち。こっちを向け」とされたり、列からはみ出てたら、足でこんこんって蹴られて「ゆがんでる」っって怒られたりするらしく、過度な身体接触にも非常に抵抗があるタイプなので、
それもキツイらしい。きっと痛くないはずだけど、「先生につかまれたほっぺたがいたい」って言ってる。きっと、痛いのはほっぺたではなくて、心なんだろう。
運動会の組体操みたいに危険はないけど、「全員で同じことをする」ことを求めるダンスの指導って、発達障害のある子にはとてもキツイ。
今は踊ることにものすごい苦手意識が出てしまって、このままではせっかく運動大好きに育った子どもが運動そのものが嫌いになりそうで、親としてはほんと「学校、なにしてくれる」って腹立ちもある。
同じような障害を抱える親の会に出てきたけど、同じように、お遊戯が、ダンスが、よーいスタートが・・・と同じ悩みを抱える親は多かったよ。
久しぶりに恋に落ちた。
スペックはアラフォー独身の一人暮し。彼氏なんてこの10年以上いない契約社員だ。
自宅の最寄り駅で物凄く体調不良になって駆け込んだ病院から、手に負えないって事で少し遠くの病院に救急搬送された。
いろんな検査をされて病名がわかると、重症と診断されて集中治療室に運ばれた。たった一人で運ばれた知らない病院で心細くなり「このまま寂しく死ぬのかな」なんて泣いたりしたのを覚えてる。
一晩中生死の境をさまようと、投薬の効果でだいぶ楽になり、死ななくて良いんだとほっとした。そんな時に救急対応した医師が私の元に現れ、彼は私に現在の気分を尋ねると、現在の私の状態や翌日行う検査内容について説明した。どうやら私の主治医は彼らしい。一通り説明して立ち去ろうとすると、振り向き様に「投薬の効果でだいぶ数値が改善しているはずです。検査の結果を楽しみにしていてください。」と言って私の元を跡にした。
その瞬間、様々な管に繋がれて身動き取れないベッドの上の私に衝撃が走る。徐々に体中が熱くなり、動悸が収まらない。「え、何これ!?」と混乱する中で必死に理由を考え、「これって、もしかして恋?」と気付いてようやく落ち着きを取り戻した。
それにしても、色白で華奢なメガネ男子好きの私が色黒でヒグマみたいな主治医を好きになるなんて、きっと病気のせいなんだろう。恋は出会い頭にくるから困る。
そこからは、主治医が私の元に現れる度、良く観察するようになった。恋に落ちる前はあまり意識して見ていなかったけど、私と同年代らしく、結婚指輪はしていない。それがわかっただけで舞い上がった。
症状が改善して一般病棟に移ってからは、携帯で主治医の名前を検索して、Facebookに行き当たった。少しスリムで若いときの写真がトップページに載っている。2歳年下なこと、出身地、出身校、居住地…恋愛対象は女性、交際ステータスは独身になっていた。
そこからは、もう気持ちは止まらない。名前を見ただけで息が止まりそうになり、回診だけでなく病棟で姿を見つけてはうれしくなった。病気の治療に来て、恋煩いに悩む羽目になるなんて。
入院も3週間になり、そろそろ退院の話が出始めたころ、私は妊婦の看護師から、血圧と体温の測定を受けていた。そこへ主治医が現れ、検査の結果と具体的な退院の日取りについて話をする。退院の話が終わって看護師にお腹の赤ちゃんについてたずね、看護師が「先生のところもそろそろでしたよね。」と主治医に振ると「10月に。」と私に向かって照れながら返答した。私は動揺を悟られないように「おめでとうございます。」と言って作り笑いをするのがやっとだった。
まさかというショックとやっぱりという安堵がないまぜになって、頭の中をぐるぐるしていた。結婚指輪を最初からつけておけよとか、Facebook更新しろとか、八つ当たりに近い怒りと、姿の見えない主治医の妻と主治医が幸せそうにしている光景を想像しては嫉妬心に駆られ、恋に落ちたとき以上に動悸が収まらなかった。
でも、涙は全く出なかった。同じ斬られるのでも、うまい人に斬られた方が痛みを感じないらしいけど、それと同じなのかもしれない。
退院後もしばらくは検査と処方のためにこの病院に通院する必要があるのだけど、私の恋煩いもそのうち改善するのかな。恋煩いに効く薬も一緒に処方してくれれば良いのに。
鬱で休職中に発達障害(ASD+ADHD)と診断されてなんとか障害者雇用に切り替えて働いているんだけど、働く発達障害者の居場所って本当に無いね。
今の職場の環境は悪くないし、実家で生活するようになったのもあって体調もそれなりに良くなってきたんだけど、そうなると今度は家と職場以外での居場所が欲しくなってきた。
そこで当事者会というものにいくつか参加してみたんだけど、そこでメインなのは大抵働けていない人たちだ。
そういう人たちはどうしても特性が重い傾向にあるから人の話を聞いてくれないことが多く、当事者会もそんな常連たちが一方的に話す場となってしまっていることが多い。
それどころか、社会に出ることを放棄して障害年金や生活保護で生活する人までいる。
主治医に診断書で症状を重めに書いてもらい障害年金がもらえる2級をとるような話は日常茶飯事だ。
そういう所で自分のような人間が悩みを話すと「増田さんは働けているんだから問題ないじゃありませんか」なんて言われてしまう。
そりゃ確かに働けているしなんとか人のふりを多少はできるようにはなったけれどそれでもひどく気を張っているからとてもつらいし、
自分としてはそういった生きづらい気持ちを分かち合える人と出会いたい。もちろん男女関係なく。これってどうにかならないものだろうか…
というか、何とか普通に働けている発達障害の人はどんなふうに知り合いを増やしてるの?
そもそも当事者会の類には参加しないの?
尋常じゃない顔で「疲れったって」言わない
http://anond.hatelabo.jp/20150617215544
って言うけど、俺はSOSを発信続けたよ。
精神科では、適応障害の診断。「今の薬の量は、プラシーボ効果しか期待できません」との主治医の言葉に基づき、主治医と相談の上(職場環境改善のための介入の必要もない)で通院を中断。半年後に心不全で死に掛けました。
まず、お薬を飲まれているということで、病院には通われていることでしょう。
通われていなかったら、頓服薬を出された病院を再度、受診してください。
ご家族もあてにならないのでしょう。
主治医に状況を相談し、お薬を変えてもらうなり、必要なら入院してください。
前回、メンタルをやられ退職したあと、リワーク等の復職支援を受けられたでしょうか?
そのまま、仕事に戻ると再発する場合が多いので、通われることをおすすめします。
障害者職業センター等では、休職でも無職でも、無料で復職支援等のサポートを受けられると思います。
大変だなあと思いつつ、この春に生まれる我が子について思いを馳せる。
うちの子は妊娠後期になるこれまで大変順調に育ってくれた。平均より大きく、市の両親学級に出席する度に自慢したもんだ。
しかし、今年の年明けに入ってから妊娠の状態に問題があると発覚して、入退院を繰り返すことになった。
安定期に入ったのにどうも出血が続くので、気になって医者に強く相談した。妊娠中期は子宮の成長による強烈な張りやらで出血はよくあるらしい。
しかし突然の大量出血、しかも真っ赤な鮮血。気になって掛かり付けの医者に相談したら即入院となった。
原因ははっきりとわからない、わからないけどできることは観察するしかないので張り止めの点滴ブっこめば落ち着くかもしれない。まあ、◯◯週目を超えれば大抵大丈夫ですよっと。
そんな楽観的な診察を受けつつ入退院を繰り返し、どうもおかしいと検査をしたら部分前置胎盤(秋篠宮妃殿下の件で世間的に認知されたと思う)が発覚。
まれにある症状の中でさらに約0.03%の確率で起こるらしい。どうせなら宝くじに当たってくれよ。
(感情的には非難したいけど、良くも悪くも確実でないことを医者が言うわけにはいかないのは理解している)
前置胎盤についてネットで調べると、帝王切開やら大量出血による死亡ケースやら不安になってしまうキーワードばかりだ。
主治医はというと、経過観察と万が一の生存率を上げることはできるけど、根本の理想的解決については保証できない。陣痛が始まってしまったらどうにもならないからな、と割り切った対応をする人だった。それはある意味我々を少し冷静にさせてくれたので合理的でもあった。
死にはしないと言われても、私にとっては足元が崩れ落ちそうなくらいの不安と向き合うこととなった。
それからは二人で泣きながらできることをやろう、頑張ろうねと励まし合いながら入院生活を過ごした。
二ヶ月間、妻の居ない家を彼女が居るつもりで、アレはやっとくべきだろう、彼女だったらアレを放置ししないだろう、彼女が考える私の落ち度はこうだからここを意識すべきだろう。あくまで妻がいる筈の日常を維持するために考えた。
あそことあそこは週に1回メンテナンスする、排水口やら赤カビが湧くあそこはこまめに掃除する。正直わかんねーよ、俺、眼が悪いから赤カビなんて見えんし。ベビーカーは◯◯さんから借りよう、だっこ紐はあれが最適解だな、消耗品は相性があるからアテはつけつつ様子見だな、学資保険はこのパターンだな。
妻に任せっきりだった事は必然的に自分が解決しなければならない。方針を提案できる余力があるのは自分の方なのだ。双方納得できたタスクは処理して、妻がベターな状態で出産前後も望めるように務めた。
妻とは共働きで同じ職場なので、妻の部署にも介入した。
ここまで貯めてきた信頼の貯金を使い果たしてでも、仕事はちゃんとやるから自由な勤務時間を許してくれと頼んだ。
元よりそのつもりだと許してくれた。その時は必死だったけど、今思えばなんとも有りがたい話だ。職場の理解は俺の余力に大きく影響したと思う。
それもこれも、子供の方は我知らずと順調に育っていることが救いだった。カーチャンは大変なのになんて脳天気な子だよ!お前がどれだけ価値のある子供か、お腹に口をつけて何度も語り続けた。
以上が今日まで約半年の生活だ。
長々と語ってしまったが、夫婦の信頼感を問われるトラブルは日頃の蓄積によるもので、こうやって表面化するものの殆どが男に甘えがあるように俺には見えるんだわ。まあまだ生まれていない今は、世のお父さんお母さんがどんな思いをしているのかまったく分からんけどね。
不信感から不幸になる理由は理解できるので、自分が蓄積してきたつもりの信頼が、まだ話せてなかった、頼りない、と思われていない事を願う。
ただただ幸せになりたい。
やりたいことなんてない、起業したりフリーランスで働くような才能もあると思えない、夢を語るほどの熱意もない。
普通に生活を営める程度のお金と、体と心を壊さない程度の職務と人間関係と、趣味をそこそこ楽しめる時間のある仕事に就きたいな。
そんなことを思いながら、なるべくマッタリできそうな、そして難しくなさそうな仕事を探しました。
他の学生よりは時間はかかりましたが、自分の思い描く条件(給与・休日・人員構成などなど)にピッタリの職場に就職できました。
…の、はずでした。
職務内容は確かに誰でもできそうなものでしたが、内容が簡単な分、大量の業務を素早くまわさねばなりませんでした。
学生時代の得意分野とは全く異なる内容でしたので、対策を考えても考えても歯が立ちませんでした。
特に何かキャリアアップの望める仕事ではない分、周りの人はあまり仕事にガツガツせず、テレビ・グルメ・旅行・結婚恋愛・人の噂の話ばかりしていて、
向上心がないように見えました。
私の趣味(読書と観劇)は「何をお高くとまってるのww」という反応をされました。
勉強が出来るということと、仕事が出来るということは別だ、という大人たちの言葉は正しかったのだと身に沁みてわかりました。
仕事としてお金を貰うということは、作業を高いクオリティーで完遂しなければいけないということです。
高学歴であるということはある程度の能力を持つことの証明になるかもしれませんが、オールマイティーであることは保証しません。
自分のことを掘り下げて、「できそうなこと・できないこと」を割り出し
「自己実現」や「夢を語る」のは、厚顔無恥なのではなく、自分と企業の相性を見極めているのです。それは自衛に似ています。
今はカウンセラーさんや主治医と話し合いながら、自分の考え方を見直し、出来ることを探しているところです。
「安定した条件」「マッタリ職場」は「ここでやっていけなければどこに行っても無理」と自分の自信を奪う要素になりました。
私の就職は失敗だったと思います。病気になり、たくさんの人に迷惑をかけました。
しかし、歯の立たない仕事にジタバタともがき力尽きていく途中で初めて、自分が好きなこと、人生の中心に置きたいことが見えてきました。
そのためになら、企業研究も、自己分析も、勉強も、心の底から「したい」と思えます。そして少しずつ実行に移しています。
16歳の頃、高校の集会で寝てしまった。これが私の記憶で一番古い居眠り。全てはここから始まった。
20歳の頃、就職活動の会社説明会の場で寝てしまった。その場は熱中症という事にして帰らせてもらった。
22歳の頃、新卒で入社した会社の研修の場で寝てしまった。その頃は「朝飯食べ過ぎなんだ」と解釈して、朝飯を無くした。しかし良くなることは無かった。
23歳の頃、居眠りが激しくなり、毎日のように眠気と戦う日々。「寝ちゃだめだ、寝ちゃだめだ」と思うと思うほど、眠気が襲ってくる。緊張すると眠くなるという方程式にまだ気付いておらず、鬱病だと勝手に解釈して心療内科へ通う事になる。
眠気の原因が抗うつ薬の副作用と勘違いして、様々な抗うつ薬を手に付ける。当時の主治医には、眠気を取る薬は存在しないと言われていた。
そして会社をクビにされる。理由は抗うつ薬の過剰摂取による体調悪化と、居眠り。
24歳になるまで引きこもる。減薬の日々と、減薬による体調変化に対応しきれず、毎日のように横になっていた。新しい主治医でも、眠気を取る薬は存在しないと言われる。
25歳の頃、再就職に成功。しかし眠気は収まらない。そしてようやく緊張と眠気の関係性を疑うようになる。
ネットサーフィンをして、「ナルコレプシー」という病名を知る。ありとあらゆる項目に当てはまり、間違いなく私はナルコレプシーだと思うようになる。
3人目の主治医にナルコレプシーの事を聞くと、検査は出来ないものの、少し症状が和らぐ薬はあるとして、初めてナルコレプシーの薬を処方して貰う。
以上です。私がナルコレプシーだと気付くのに9年かかりました。その間に新卒入社した会社をクビにされ、人生がねじ曲がりました。
昼間の眠気に違和感を感じる方は、積極的に病院へ相談に行ってください。自分の意思でない居眠りで会社をクビにされた人は多く居るはずです。また、相談する際は睡眠薬を服用するのは必ずしも正しいとは言えません。過眠症は睡眠薬では解決しません。ただただ、夜はかなり眠れて、昼も眠れてしまうだけです。病院は脳波の検査が出来る所へ行ってください。
長いけど勘弁な。
なぜか生き残らされてしまった話。
当然、そんな時間帯だし走るのは二車線の直線。
見晴らしのいい街道だから制限速度ちょい超えるくらいのスピードで走ってたんだ。
まあみんなやってる程度の速度超過。
レンタルショップやスーパーで買い物等々、寄り道なんかしてね。
そんな日常を繰り返してた。
で、ある日疲れがたまってたのか寝坊した。
もちろんソッコー着替えていつもより飛ばしたよ。ただ気が急いてたから正確なスピードは分からん。後々ブレーキ痕で判明するんだけど。
しばらくして大きめの交差点、横断歩道のシマシマ模様が見えてくる。
視界を少し上に向けて信号は青。少し左に振って歩行者信号の点滅もなし。アクセルは緩めない。
と、なぜか右から左へおっさんぽい人影が動いてくる。対向車線のど真ん中。赤信号のはずなのに。
え?信号無視?
直進の信号が変わった?
正面に視界を戻した時には
「え?小走りになってね?」
「ホーン!!ブレーキ!!」
ってのが0.5秒ぐらいの間に一気に頭を駆けまわり必死に操作する。
けどもう間に合わない。
ホーンにも気づかず正面きちゃったようわぶつかるまじかよ全然気付かねーよどーなんだよドン!!
全身を強く床に打ち付けられるとしばらく動けなくなる経験ってないか?
ガキの頃少し高めの場所から飛び降りようとして失敗したとかさ。
アレの強烈版だった。
呼吸が出来ず、うー。うー。って唸りながら身動きがとれない。
けど何とか、ゆっくりだけど腕は動く。
真っ暗だった視界がゆっくりと明るくなってきて真っ黒な血だまりが目に飛び込んできた。
おまけにどうやら俺の顔のどこかからまだポタポタと血がたれ落ちてる。
そーゆー時って不思議なもんでまず口元に手を当てるのな。
ドラマで何かに気付いて「ハッ!!」ってやるみたく。
俺はジェットヘルを被ってた。
で、どうやら下顎から思い切りアスファルトダイブをしたっぽい。
そっから出血してるのか?コレまた不思議なもんで無造作に口元に指先を当てた。
手触りでいつもの形と違うのが分かる。
もう滅茶苦茶な造作になってて血でヌルヌルして唇が避けてるな。
前歯もぜんぶねーっぽいぞ?それにしても出血ひどくね?
上顎が痛い。
変な感じがする。
手を突っ込んでみると折れた下の前歯が上顎に突き刺さってるのがわかった。つまみ出す。
でも身体は動かず、唸りながらも「おっさんどーなった?」と身体を何とかよじらせて見回したけど視界に入らない。
そーこーしてる間に「おい!ひでーぞこれ!大丈夫か!?」なんて声が聞こえてくる。
どうやら通りがかったドライバーが駆け寄ってきてくれたらしい。
なにか話しかけてくれてたけどその時俺は顔、滅茶苦茶になっちゃったのか?ってのと、人身かよまじかよつー二種類の恐怖を味わってた。
時折口の中に手を突っ込んで様子を探ったりしながら「ダメっぽい。そーれより相手の人はどーなってますか?」って話してるつもりなんだけど唇がめちゃくちゃになってるから上手く話せない。
気付けば救急隊員が目の前にいて質問してるけどうまく答えられない。
そのまま意識飛んだのか今度は病院のストレッチャーに載せられてる。
看護士や医者の「よいしょ!」って掛け声とともに処置用のベッドに移し替えられ、速攻で唇を縫われてる感覚はあるんだけど、だんだん周りの声が聞こえなくなってくる。
視界が狭まってやがて真っ暗になる。漆黒の闇ってやつだ。
あれ?死ぬか?
よく耳にするけどホントあの時は「恐怖感」ってのが全然なかった。
あー、このまんま消えるのか俺。ぐらいの軽い感じ。
過去を振り返るとかそんな余裕もなく意識、つーか思考が徐々に小さくなっていく。
気が戻ると入院棟の、あのフカフカベッドに横たわってた。点滴つけられて。
あ、まだ生きてんだ俺って思ったな。
後になってケータイ見て驚いたけど、その時自画撮りしてんだよね。
せっかくだからとか生還記念に、とかバカなこと無意識ながら思い付いてやってたのかもね。
パンッパンに顔を晴らした朝青龍みたいな俺が写ってた。
ここから少し端折る。あと自分に起こってることとはいえ記憶とんでるのと医者からの後聞きなので「らしい」とか「っぽい」みたいなボンヤリした書き方になるけどスマン。
聞いた話だと病院に運び込まれた時、本当に俺は死にかけだったらしく、くも膜下出血と顔面多発骨折の状態で、頭部(脳?)にあまり刺激を与えたくないから唇は最小限の処置だけされてた。
当然即入院。
でもって外科の前にまず生き死にだろってことで脳外科の病棟へ。
運良く運び込まれたのが某大学病院だったから各科との横断的な治療を受けることができた。
そんで顔面からのダイブだったってことで不幸中の幸い、頭部以外は外傷ほぼなし。
気になる顔面の壊れ具合はつーと下顎と鼻の下の骨がパックリ縦に割れてた。
下唇は顎の途中までバックリ断裂。
事故後、初めて鏡見た瞬間「ああ、もう前の顔には絶対戻らないんだな」ってガックリきたよ。
イケメンでもなんでもないけどコレまで付き合ってきた自分の顔は一生見れないんだから。
毎晩寝るとき「このまま二度と目を覚まさないんじゃないか?」って死の恐怖に襲われてた。
1週間ほどで脳内の影も消え、異常なしって診断貰って今度は顔面の修理。
ハリガネみたいので歯を縛り固められ、ユルユルだった骨折部分が多少落ち着いたら今度は手術。
臨死体験をした身としては、またあーなんのかな?とか思う間もなく深呼吸数回でサクッと落ちた。
手術は無事終了。
チンコに差し込まれたションベン管も「あ、あああ、あああああ~~~~……」ってな感じで引き抜いてもらった。
術後しばらくしてからレントゲン見せてもらったけど顔のあちこち、少なくとも10ヶ所以上はボルトが埋め込まれててサイボーグになった気分。
見舞いに来てる家族にもどうなったのか尋ねたけど「全身打撲で入院してるみたい。まずはアンタの代わりに謝罪してきた」てな返事。
助かったと聞いて胸をなで下ろす。
とにかく当事者の俺が謝罪しなくちゃなんない。けど手術もある。
向こうも落ち着くまでしばらくかかるかもしれないし、間を置いて謝罪した方がいいのかも。
あーそうか人身だよな免許取り消しだろうなー。とか思ってたな。
そーこーしてる間に移動はまだ車椅子だったけどだいぶ落ち着いてきた。
退院の日もほぼ確定。まずは第一段階終了かー。
みたいに一息ついて母と話してる時「相手の方、実は即死だったの」と言われた。
そう。俺は殺人者になってた。
母が言うには「手術前に精神的ショックを与えないように警察からアドバイスされてた」とのこと。
けど俺が生き残っておっさん死ぬってどーゆーことだよ天秤が吊り合わない。
落ち込みまくること数日。交通刑務所行こう。償おう。そう考えるに至った。
口の周りは神経が切れてるから動くけど痺れは10年単位で回復していくと言われ、無くなった前歯はブリッジと入れ歯がはめられた。
ホッとする間もなく警察から連絡があり取り調べたいという。実況見分も。
日程が決まり取調室でここに書いたような話をし、事故現場に足を運んだ。
それ以前に正面衝突の衝撃で血がこびりついたスピードメーターは65キロをさしたまま潰れてた。
おっさんも俺も40メートル近く吹っ飛んだそうだ。ホットロードどころの話じゃない。
事故現場に立てられた目撃者求む、の立て看板からは数件の目撃情報があったという。
街道の交差点だっつーことで設置されてた監視カメラにも事故の映像が残っていたらしい。
事故を担当してくれてた交通課の担当者、検察局の検事は同じことを言った。
「目撃情報もカメラの映像も、どう見ても飛び込みなんだよねー。そしてあなたはホーンも鳴らしてるしブレーキもかけている。避けられない事故ってのがあるんだよ。どうしても」
相手の方が亡くなっている以上、警察にも、もちろん俺にも飛び込んだ理由を問うても答えは出てこない。
運転ミスじゃなかったのか?
飛ばし過ぎじゃなかったのか?
1年間免許取得出来ません。つー欠格期間が付けられた。
そして保険。
個人情報の関係で詳細は知らされちゃないけど、相手の方は生活保護を受給している65歳の男性だった。
役所でその男性の担当をしている職員と警察の間で情報の交換をしたけど、どうも故郷の家族とは30年近く連絡をとっていないっつー状態。
なんとか調べて見つけた家族に事故で亡くなったことを伝えても「家を捨てた人の死には関わりたくない」てなスタンスだとか。
なんでそーなるんだよ。
もちろん前述のように個人情報の都合で俺から先方のご遺族へ謝罪する、どころか訪ねていくことさえ一切できない。
どうやってこの罪の意識を背負い込み続けていけばいいんだっつって軽く絶望した。
事故の夢を時々見てはうなされる。いっそのこと交通刑務所にぶち込んで欲しかった。
事故現場に献花して冥福を祈るくらいじゃ全然気持ちが収まらない。
ひどい話かもしれないけど、罪を償って少しでも気持ちを楽にしたかったってのが正直なところ。
半年ほど合間を見ては警察に連絡したり足を運んだり。ご遺族の状況を尋ね続けた。
保険金を受け取ってくれないかと、何とか伝えることはできないものか。
最終的には保険会社が間に入ってご遺族を説得したのか、ご遺族内でなんらかの気持ちの変化があったのか、保険会社と何度か書類のやりとりを済ませ、無事ご遺族に保険金が支払われた。
で、保険金が支払われたからといって俺の精神状態は全然落ち着かなかった。
顔面に埋め込まれたボルトを抜き取る再手術入院のとき、主治医に相談してメンタルヘルスを紹介してもらうことになった。
結果、鬱傾向にあると診断された。
正直落ち込みは激しい。っつか波がかなりある。
事故から2年ほど経つけど免許証はまだ取得する気にはなれない。
メンタルヘルスにゃいまも通院してる。
事故のことを知らない久しぶりに会う知人に「おや?」って感じで顔を凝視されるのはつらい。
ビートたけしはどうやって気持ちを持ち直したんだろうか。なんて考える。
もし仮に、あのおっさんが世をはかなんで飛び込み自殺したんだとしたら。
自殺は増え続けてるってゆーよな。
けど死にたい奴はひとりで富士の樹海にでも行ってひっそり死んでくれ。
誰に何が起こるかなんて誰にもわかりゃしないけど、死の方向に他人を引っ張り込むような真似だけはやめてくれ。
エラソーかもしんないが、この話が教訓になればいいけど。
「辞めさせる」というのは、ちょっと大袈裟かもしれません。ただ、本当に、仕事をしない後輩に苦労しているので、この扱いをご存知の方にアドバイスして欲しいという気持ちです。法的なことも含め、現実的なことを。そして私の愚痴が少し混ざることにも、お許し頂きたい…
後輩というのは、今年30歳になった入社8年目の女性です。東京の有名私大卒です。会社はIT系制作がメインの業務ですが、Webキャンペーンを受注すると、キャンペーン事務局の代行もします。
彼女は最初、HTMLで画面制作する部署に配属されました。しかし7月から3ヶ月、病欠しました。病名は「うつ」。一旦復帰しましたが、2年目と3年目の二年間を、やはりうつ病で休職しています。
休職を明けて4年目からは、彼女の希望で品質管理セクションに異動となりました。現在も品質管理に在籍しています。
病気を抱えて働く人を「辞めさせたい」というのは、人道的にも法的にも、あり得ないとは思います。だから会社も、彼女の上司たちも、彼女に「仕事して欲しい」と言えずにいます。もちろん、私も。
彼女が私に話したところによると、うつ病を発症したのは中学生のとき。医学部を目指した中三の夏、伸びない成績に悩んで「壊れた」のだそうです。受験に失敗し、隣の県の私立に通ったそうです。県下一の公立進学校に進んだ兄に劣等感を抱いたそうです。
大学受験にも失敗しました。行きたい有名女子大への学校推薦が取れませんでした。あまり行きたくなかった大学へ、推薦入学しました。ただ私からすれば、その大学も充分に有名で歴史も深く、卑下するようなことではありません。有名女子大とのブランド力に、大差があるとは思えません。
大学3年のとき、薬を大量服用しました。いわゆる自殺未遂です。薄れていく意識で、自分で救急車を呼んだそうです。このときに飲んだ薬が、どんなものかまでは話しませんでした。処置と入院費用で30万円したとのことですが、このとき本当に命の危機にあったのかどうかは、彼女の話からはわかりません。
田舎から母親が上京し、自殺未遂するまで放置した大学教授に抗議したそうです。関連があるかはわかりませんが、彼女はスレスレの成績で、どうにか大学を卒業したそうです。大学4年のときは精神科に通院しながら、就職活動もしていたわけです。
私がこの品質管理セクションに異動してきたのは一年弱前です。当初は彼女のことを「愚痴っぽいし話が長い人だなあ」としか思っていませんでした。彼女の愚痴に付き合わされてる私に、同僚たちは冷ややかでした。あとでわかったのですが、彼女は既に、みんなに自殺未遂した過去を話し、病気を口実に仕事をせず、同僚たちを困らせていました。同僚たちは彼女と関わることを避けていました。「めんどくさい」という理由ではありません。彼女に仕事を任せると、納期まで手を付けず、納期が近付くと病気を理由に休みがちになり、納期当日には出社したためしがなく、同僚が慌てて代行しようとしても間に合わないのだそうです。みんな何かしら、彼女に「痛い目」に遭わされていました。それくらいなら自分で仕事した方が良い、そういうことです。別に全員で無視などの、イジメのようなことはしていません。出勤すれば挨拶もするし。挨拶を返さないのは彼女の方です。
休職明け当時の上長だった人によると、彼女は通院中であることを会社に申告していませんでした。仮に申告していたとしても、それを理由に採用しないというのは法律違反ですよね?
復帰したあとも、彼女は会社で薬を大量服用し倒れたことがあるそうです。命に別状なかったようで、フロアの隅で休ませたそうです。会社に医務室はありますが、運ぶには人目の多いところを台車に載せて通らなければなりません。それは忍びない、という判断でした。彼女が立てるようになると、上司が付いて、通院している病院までタクシーで連れて行ったそうです。彼女はそのときのことを、「タクシーで行くくらいなら最初から救急車を呼んで欲しかった」と言っています。しかし、同僚として言いたいのは、初めから会社で自殺を試みる彼女に問題はなかったのでしょうか?
彼女は東京を引き払い、田舎の病院にかかっていました。どういう経緯かはわかりませんが、田舎の男性と結婚しました。結婚生活は幸せではなかったそうです。相手の男性からは、家事をしないことなど責められたと言います。
休職中は、組合から傷病手当金が出ます。当時は、基本給と同額が支給されていました。働いても働かなくても、収入があったのです。満了の2年終了間際に、医師から会社復帰しても良いと診断されました。そのとき、結婚相手の収入より、彼女の傷病手当金の方が多かったそうで、彼女は復帰を決意しました。この時のことを彼女は「結婚したら養ってもらえると思ったのに、旦那の収入より私の収入が多かった、見当違い。この人と居ても楽な生活はできないと思った。私は誰かに依存していきていきたいんです」と言っています。「愛がなくても結婚できます」とも。
会社復帰するまでの3ヶ月の試用期間、彼女はウィークリーマンションを借りました。結婚相手に、この住所は教えていませんでしたし、電話にも出なかったと言います。正式復帰してからは会社から徒歩3分のところにマンションを借りました。結婚相手にも、会社にも、この住所は教えていませんでした。会社は休職前の住所に住んでるものと思い、交通費を支給しました。
連絡がつけられない結婚相手は、上京して会社の前で彼女を待ち伏せました。最後の手段だったとも言えます。それを彼女は「ストーカーまでする人とは、結婚は続けられない」と言います。暴力を振るわれていたのかと聞いたら、それはなかったとのこと。
近くのファミレスで話し合い、離婚することになりました。田舎の住居を引き払いたい彼からは、荷物を取りに来るよう再三催促があったそうですが、彼女は応じず、ついに借家契約の最終日が彼から通達され、ようやく母親と行ったそうです。部屋には彼女の衣服などがダンボール2箱に詰められてたほかは、何もなかったそうです。この時のことを彼女はこう言います「勝手に人の服を触るなんて気持ち悪い。家電類はうちの親が費用を出したのに全部運び出されていた。持っていくなんてセコい男だと思う」。私は、彼こそが常識人で、彼女の方が気持ち悪いと感じます。
離婚が成立したのは、どうやら彼女が会社復帰してから3年後、2年前のことです。なぜそう言えるかというと、彼女はどうやら東京に戻ってすぐ、頼れる男性を見付けたようだからです。彼女曰く、現在の彼です。今の彼女の悩みは、自分が離婚したのに、彼からプロポーズが無いことです。自分から聞いてみないのかと聞いたら、「彼は私が結婚していることを知っているのに、3年も我慢してくれた。だから私も、彼に3年の猶予をあげたい」と答えました。「猶予をあげる」は、本当に彼女が使った言葉です。私は本当にその相手の男性が世間でいう「彼」なのかを疑いました。彼女は「浮気ができるタイプではない」と言いますが、会うのはいつも彼のマンションで、彼女の部屋には一度も来たことが無いそうです。友達と一緒に会うこともないし、彼女に食事を驕ることもないそうです。それと…会社をすぐに休む彼女は、給料で生活するのはギリギリで、生活費を彼に借りるのだそうです、月に2〜3万円。二人がどういう関係なのか、本当にわかりません。プロポーズを待っていて良い相手には思えないのは私だけでしょうか?
会社に復帰してから5年になる彼女ですが、タイトルの通り、仕事をしません。5月に有給休暇が年間20日間支給されましたが、彼女はこの11月現在、使い切っているようです。有給休暇だけでなく、朝は眩暈がすると遅刻してきたり、午後4時くらいには気分が優れないとか顎関節症が痛むとかで、早退してしまい、会社には半分ちょっとしか居ません。大切な仕事が任せられる状態ではないけれど、干すわけにもいかず、会議の議事録を取らせたり書類のファイリングを担当させたりしますが、議事録は録音したテープから会話をまるごと起こしてあり、意味不明です。会話というのは主語がなかったり、述語もどんどん展開していくものです。会議の決定事項は必ずしも言葉で発せられるとは限らず、「じゃあ、そういうことで」ですむこともあります。だからこそ議事録は必要なのに、彼女の議事録は会話のままですから決定事項が書いてありません。
上司は私たちにこっそり言います、「彼女に重要な会議は任せられないから、議事録の担当は残りのメンバーで回す」。
彼女が仕事をしないのを、そうやって他のメンバーが埋めます。それはそれで、リスク対処で、不満を言う社員がいるはずもありません。
困るのは、彼女が足を引っ張ることです。
最近の例です。ISOの継続審査を控え、文章類が最新状態になっているか確認しました。全て整っており、取得部門でも教育が終了していました。そこへ彼女が、とある本部が内部監査の結果を放置してあり、社長印の必要な重要文書を改定しなければならない、と言い始めました。うちの部署は慌てて、全部門に文書の変更があることを報せ、必要に応じて教育する時間を確保することを指示しました。しかし、審査の二週間前になっても、彼女から変更した旨の連絡がありません。確認すると、対象部門と話もしていませんし、スケジュールも立てていませんでした。仕方なく私が代わりに内容を聞きに行くと、なんと、その内容は一ヶ月前にもう改定が済んでいました。それは上司含め、全員がメーリングリストを使って確認済みです。全部門に改定お知らせしたのは無駄だったということです。しかもその段で発覚したのは、改定が必要なのは、彼女が言っていたのとは違う文書であったことです。彼女の勘違い、確認ミスでした。彼女に原文を出してもらおうとしたところ、例の如く、午前は休むとのこと。午前に休むと、午後になって午後休の連絡がくるのが彼女の常です。翌週は社長が海外出張に出てしまうこともあり、急を要しました。他のメンバーで文書を修正し、なんとか社長印をもらうことができ、それから全部門に改定お知らせと教育指示を出しました。審査直前の文書変更に、約300人の社員が翻弄されました。
自分が管理する文書が午前中に改定されたことを、昼休みすぎて出社して知った彼女は、夕方には「やはり具合が悪い」と早退しました。
顎関節症。発症は小学校のとき。来客の直前に痛みだし、会議室でうずくまるほどです。1時間ほどで治まるので会議室に留まります。周囲からは寝ているように見えます。通院はしておらず、一年以上前(彼女の話から判断すると、学生時代)に作ったマウスピースをはめています。マウスピースが痛くて頭痛がして欠勤することがあります。マウスピースを作り変えないのかと聞くと、6000円が惜しいので直さないとのこと。
腹痛。ストレスで空腹を感じ、一日に4食も摂ってしまうほど。そのため胃が荒れてしまった、医者には「食べ過ぎ」と言われたとのこと。この腹痛のせいで早退もするし、自席でもよく伏せています。
血尿。彼女曰く「トイレが真っ赤に染まる」。医者に行ったところ、場合によっては腎臓を傷めることもあり、背中が痛くなったら要注意と言われたとか。その医者からは30分で帰って来ました。その後、通院はしていません。
他にも、朝から大病院に行き、30分待ったので疲れてしまった、という理由で早退することがあります。わりと多い早退理由です。
彼女が普通より病弱であるのは確かであり、仮病だとは言いません。
しかし、それだけ病気で、仕事はほとんど出来ず、任せても欠勤するため周囲のサポートが必須という状況になっているのに、なぜ彼女は病気を治すことに専念しないのでしょうか? 会社は「また病欠して、ゆっくりしてみたら?」と言えません。パワハラとか、そういうことになるでしょう。
彼女の精神科の主治医に「会社では戦力外ですよ、それがストレスみたいですよ」と訴えることもできないでしょう。イジメか法律違反かでしょう。
彼女とは関わりたくないと思っても、挨拶はしなきゃいけないし、会議での発言を無視してもいけないでしょう。彼女が「出来ない」と言えば教えてあげなければならないでしょう。
今でも彼女は、薬を大量に飲んでは、みんなを困らせます。この自殺未遂もどきがやめられるくらいには、元気になってから会社に来るべきではないでしょうか?彼女のめんどうをみるのが私たちの業務の一つになっているのは、健全な企業活動と思えません。
askdoctorsという医療Q&Aサービスサイトがある。私は登録者の一人で、基本自分で質問するよりは誰かの質問のやりとりをなんとなく追ってる、いわゆるロム専に徹している立場です。つい先ほど目にしたやりとりがちょっと面白かったので、ここに載せてみることにしました。
登録者>二、三週間から動悸や息苦しさ、胸苦しさを感じます。日を追って症状に自覚的なり、起きてから、眠りにつくまで常に胸部に違和感があります。ついに先日、循環器科を診察にいき胸のレントゲンと心電図をとりました。検査は異常なし。この場合、心因性の可能性が高まるのでしょうが、仮にそうでない場合はどんなケースが考えられるでしょうか?
ご教示のほどよろしくお願い申し上げます。
登録者>仮説ではなく、「これらの症状は心因性による可能性が考えられる」と来院した循環器科の先生に結論づけられています。
私が気になっているのは、「器質性の可能性はこれ以上考えられないか」ということです。
医者>主治医の結論以上の情報がWEBから得られるわけがありません。
登録者>あなたは結局「受診してください」以上のことは言えないわけですね。
今までの回答をお見受けするところ、すべて素人でも回答できるレベルの内容です。
あなたがほんとうに医師免許を持っているのかどうかは存じませんが、私はわざわざお金を払って質問しているわけです。素人程度の回答で医者という立場に胡座をかいて報酬を得ているあなたとはわけが違うんですよ。
答えられないなら、回答しない。
確かにWEBにあるのは玉石混交の情報ばかりです。ソースも分からず右が良い、左が良いなんて情報が限りなく存在します。そういう状況だからこそ、わざわざここで、身銭を切って、専門家と言われるあなたに質問しているんじゃないですか。
私が受診に伺った循環器科の先生とへたれ先生は同じ分野の専門医でしょうが、だからといって持っている知識や見解が必ずしも一致するわけではないしょう?
上に書いた受診時の状況説明に過不足あるなら、おっしゃってください。
これ以上建設的でない返信をされるようならお返事は結構です。もう「へたれ」はいりません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
https://www.askdoctors.jp/topics/2118832
一応上記のリンクになりますが、医者のコメントが閲覧できるのは登録者のみです。
この医師は、へたれ循環器専門医 循環器内科という名を名乗っており、以前わたしが質問した時もこの医師が回答し、同じようにてきとーな回答をされ、それについて「もっと具体的に書いてほしい」という趣旨の返信を充てたら運営者へ通報されました。(通報されると、その対象となるコメントは削除されます。)
このサイトでは登録者側が月額サービス料を支払い、医師に対して月に3つの質問できるというサービスを行っています。質問に対して、医師を指定することはできないので、医師がてきとうに答えて逃げるというケースが少なくありません。このサイトには他にもたくさんのヤブ医者がいるので、どうかお気をつけください。
前提として、誰が悪いという問題ではない。事象に良いも悪いもない。善悪を決めるのは立場と概念である。
うつ病は、患者もそうだが、その患者を引き取った家族にも多大なストレスとなる。特に患者が一度独立し、その後うつ病にかかり失職し、実家で引き取る事になった場合などは顕著であると思われる。
家族と患者の間でまず必要になるのは、両者の間で”うつ病についての”コミュニケーションを再構築する事である。家族は強力な共同体だが、それは生活の上での話であり、病気とは別だ。生活はツーカーでいけても病気となれば話は変わってくる。この両者を混同し病気についてのコミュニケーションを疎かにすると、両者の間に溝が生じ、最終的に相互不信の状態に陥る。家族の側から見ると「何を考えているのか分からない」「どう動いているのか分からない」、患者の側から見ると「どうせあいつらは自分の事など分からないし、分かろうとする気もない」となる。著者は実際そうなりかけている(と思っているのは著者だけの可能性もある。この場合は一方的な不信となるが、この状態が良いはずなどない)ので、以下に「あの時こうしていれば」と感じた事を書く。
1.病気についての知識を共有する。
患者は、家族がどこまで自分の病気を理解しているのか不安を持つ可能性がある。患者を含めた家族全体が、病気についてどのように理解しているのかを共有することは重要だと考える。可能であれば、患者の主治医などから、患者を交えて、その病気がどのようなものであるかのレクチャーを受ける。この時点であわてて本やネット上の記事を読んで知識をつけることはお勧めできない。重要なのは共通した認識を持つことなので、情報源は統一することが望ましい。仮に患者にとって最も大きい権威が主治医で、主治医と本の主張に食い違いがあった場合、患者は主治医の意見を信じるかも知れない。家族は本の主張を信じ、患者は主治医の主張を信じる事になると、ここにリスクが発生する。かと言って本を読むなという事ではない。後述。
2.患者の病識について共有する。
患者には自覚症状と、非自覚症状が現れる。著者の場合は、一時期ひどく怒りっぽくなっていたそうだ。そんな自覚はないのだが。一方、自覚症状として死にたいという気持ちが常につきまとっている。数年前に突発的に襲われ、その時は何とかやり過ごせたものの、以後延々とくすぶっている状況である。当然ながら家族には話していない。自殺のための道具一式を買い集めていつでも実行できるようにしている事も家族は知らない。書き出してみるとそこそこ危険な状態かもしらん。このリスクは、患者の病識を家族間で共有することで軽減することができる。(1)をクリアしていると、患者としても自分の状態を話しやすくなる――「家族は病気についてどこまで分かっているのか?」と疑問を抱えている状態よりは。理想は日常会話の中で患者側から「最近はこんな感じ」と言えるようになる事である。ここを誤ると患者はウソをつくようになる。
3.主治医と接点を持つ。
治療を医者と患者だけの中で完結させてしまうと、家族からは現状が見えにくくなる。また、患者と医者のやりとりもルーチンワーク化する可能性がある。毎回である必要はないが、数回に1度は患者に同伴し、どのようなやりとりの中で治療が行われているかを知ることは有益だと思う。患者の前で言いたくない事が出てくるかも知れないので、その場合の相談先(患者の診察日時とずらして主治医に会えばいいのか?あるいは別の相談先が用意されているか?)を確認し、患者にも伝えておく。患者に予告なく主治医に会いに行き、後になって「先生に会ってきたんだけど」という行為は、特に日頃から全く診察の同伴をしていない場合、患者にダメージを与える可能性がある。
うつ病患者に「がんばれ」は禁句とされるが、「がんばれ」の音の組み合わせがNGワードなのではない。文脈の問題である。上記をクリアすることで、患者に接する際のアウトラインくらいは見えることを願う。この希望的観測を前提とすれば、わざわざ項目を設けて書く必要もないんですけどね‥‥。ともあれ、無駄な所に気を遣って家族側が無意味にストレスを溜める状況をある程度は軽減できるかも知れない。できるといいなあ。
この記事もそうだが、結局のところ重視するべきは、著者の名前と肩書きしか見えない本でも、もっともらしく書かれているネットの文章でもなく、直接顔を見て会話をする人間である(その人間に治療を任せられるか否か、という所まで含めて)。ある問題に対して多角的にアプローチすることは有益だと思うので、本などを読んで疑問に思った事はどんどん主治医にぶつけていいと思う。(1)で本に待ったをかけたのは、情報が固着している本などでは状況に合わせた柔軟な対応が不可能だからである。「本を読んでだいたい分かったし、先生に会っても話す事とかないし、病院は患者だけで行ってもらえばいい」と思考が進むと、患者は自分の病気に関心がないと受け止める可能性がある。
以下は実際に著者が経験したトラブルである。ほぼ愚痴に近いかも知れない。
a)快方へ向かったフリをする
患者は「いきなり転がり込んできた厄介者」であることも「今後の人生設計を破壊した」ことも「大きなストレス源」であることも、百も承知している。したがって「早く良くなって欲しい」という家族側の希望も十分に分かっている。病気についてのコミュニケーションが十分でない場合、表面的に良くなってきた様子を見た家族が「最近は調子がいいみたいね?」と言う。上記の事柄を察している患者は「良くなってきている」と言う。言った以上、家族の前では無理をして元気なフリをする。しばらく経って、家族が「そろそろ社会復帰を考えてもいいんじゃない?」と言う。上の方でも触れたが、実際は自殺衝動から次の24時間をどうやり過ごすかの状態で社会復帰と言われても困る。溝は深まる。
b)金銭トラブル
患者は金遣いが荒くなる場合がある。クレジットカードは注意を要する。積み立てていた患者名義の貯金を知らない間に使ってしまっているかも知れない。例えば年金や健康保険料などを一度患者に渡して支払いをさせる場合は使い込みの危険がある。著者の場合は到底支払い能力を超えた大きな買い物ではなく、「このくらいなら何とかやりくりできるかも知れない」の小さな買い物が積み重なり、結局一度預かりで国へ納めるはずの年金を使い込んでいる。訳あって一時的に著者の管理となった生活費なども使い込みが発生している。当然バレる。
原因は判断力の低下である。「何とかやりくりできるかも知れない」の目測を誤る。対策の一例では資金の凍結、上限枠を設定したクレジットカードへの交換、あたりか。
資金の凍結は将来起こるトラブルを未然に防止することが期待できるが、「自分の金を無理矢理取られた」と思われないように、十分な事前準備が必要だろう。何せ相手はうつ病患者である。物事を悪い方へ、悪い方へと考える。著者が実家へ引き取られた時に資金の凍結をさせられた場合をシミュレートしてみたが、なかなか反応が想像できない。
で、著者が直面しているのは(b)の問題で、この背景に(1)から(4)の問題が存在する。ひとつひとつは容易に修正可能なように見える。しかし積み重なると難しい。大事故は小さな原因の連鎖で起こるパターンの縮小版である。判断力の低下と説明しても、家族が病気に対する知識をどれだけ得ているかの共有がされていないので「そんなの理由になるか」と一蹴される可能性がある。金額的な問題は今の家庭の経済状況で十分にリカバー可能な額なのだが、今後の資金ぐりや信用の問題などを考えると全く先が見えない。何をやっているんだか。かくしてここしばらく著者を悩ませていた自死が大きくのしかかってくる。大事故は小さな原因の積み重ねで‥‥
安定剤を飲みつつ現実逃避と気を紛らわせるためにこんな文章を書いている訳だが、これが遺言とならない事を祈るばかりである。明日病院いてきます。って明日祝日じゃん‥‥
治療に入ったとの事で、一番最初の一番大きな壁は乗り越えたようなので、ほっとしました。
焦る気持ちはわかる気がします。僕もうつになったときは半端じゃなく焦りました。
でも、病気のときは、病気を直す事を一番に考えたらいいんじゃないかと今は思います。
うつ状態で考えても、つらいばかりで、不安になるばかりで、なにも前には進まないので。
一番大事なのは、ブコメにもあったとおり、利己的になることだと思います。
これまで支払ってきた社会保障費や保険を有効活用して、治ってからまた払う。ぐらいの気持ちでいいんじゃないのかな。
職場への復帰に関しては、治ってから考えたらいいんじゃないでしょうか。
主治医と相談しながら、治療のためにベストな選択肢を選ぶ(それが難しい病気なんだけど)のが一番だと思います。
短時間勤務の打診があった旨は、主治医に報告して、治療のためにそれがベストなら選ぶような感じがいいんじゃないかな。
生計に関して大事なのは、もらえる手当は全てもらうつもりでいることだと思います。途中で治ったらキャンセルできるので。
休職→傷病手当→失業保険、生命保険等→障害厚生年金→生活保護 と最悪のケースでも生きて行けます。
治ったら最悪ルートから抜けて、働き出せばいいんじゃないかな。
その時にどこで働くかを考えるといいかと、今決められない事は今考えてもしんどいだけだと、僕は思います。
治療にあたっては、主治医とタッグを組む気持ちでいるのががいいのではと思います。
主治医が信用できなくなる時期が来たとしても、主治医に嘘をつかないことが大事です。
(僕は、こんな簡単な事ができなくてと恥ずかしくて、主治医にうその報告をしてた時期があり、治るのが遅れました)
不安になったら、主治医と率直に治療方針を話し合うといいと思います。
どうしても主治医と相性が合わないようなら、主治医に伝えてセカンドオピニオンを受けるといいと思います。
自己流やネットなどで仕入れた情報に振り回されない事が大事だと僕は思います。僕のこれも含めて。
くれぐれも、お大事に。