はてなキーワード: 主治医とは
精神の病気の大変さを当事者から、或いは治療者から、それか周囲のある程度詳しい人から語る文章をしばしば読む。
読んでいて、「そう、その通り、本当にそういう所が大変だし苦しいんだよ」って頷ける。
でも終わりは決まって、「だから難しいんだよなあ」だ。
それはもういいよ。難しいのはわかったよ。
その上でどうしたらいいか教えてくれ。
けれど、主治医もカウンセラーも、私が日々の思考の苦しさや生活の苦しさを訴えたところで
同情するような微笑みや愁眉の表情を浮かべて「本当に、難しいですね」と言うばかり。
幾つかの病院をめぐってもうすぐ十年になるけれど、未だにそんな調子だ。
何がどうなればいいわけ?
希望はどこにある?
人生はどうしたらうまくいく?
もしかして、誰にも、どうしようもないんじゃないの?
高齢の祖父がいる。認知症で会話は全く成立せず、たまにニッコリするのを見られる程度である。
糖尿病と骨折によりほぼ寝たきり。肺炎を繰り返すため食事はできず、中心静脈栄養。
ホームに入居しているので介護はそちらにお任せだ。
有体に言ってしまうと、元気だったころの祖父は既にもう俺の中では死んでいる。
当時の祖父は厳しい人で、俺はどちらかというと好きではなかった。
祖父はあまり親族がおらず、俺が方針決定の責任者になっている。
ここ2年ほどで何度も入院し、毎回「ご高齢ですから万一の事も…」と主治医に念を押され
そのたびに俺は「分かってます。延命処置は無しでお願いします」と答えてきた。
しかし、あまりに頻繁に発熱などを繰り返し、退院期間が1週間にも満たなくなってきたため、方針を変更。
これ以上の入院はせず、ホームで看取りをしてもらうこととなって現在に至る。
昔の人は頑丈だからだろうか。あちこちガタが来ているだろうに、未だに祖父の生命力は逞しい。
ホームでも調子を崩すと俺に「もしかすると今回は…」というような連絡が来るのだが、今のところその都度持ち直している。
いよいよ最期の時には、一応駆けつけるつもりはある。そうしなければ、手続き面でホームの人にも迷惑がかかるだろう。
そういうつもりでいると、あまり長時間拘束される用事を入れにくくなる。
幸い仕事は比較的時間の調整が効くものだが、例えば旅行などは予定しづらい。
しづらいのだが、実際はすでに夏休みの旅行の予定を組み始めている。
運悪く旅行中に祖父が亡くなる可能性も十分ある。或いは、直前に亡くなって葬式の準備などが発生するかもしれない。
そういう場合は、最悪旅行を中止、もしくは中断せざるを得ないだろう。
当たり前だが、そんな展開は望ましくない。
だから、祖父には申し訳ないが、正直に言って夏休み前までに全て終わってほしい。そうすれば俺は安心して旅行に行ける。
俺は祖父をあまり好きでなかったけれど、祖父は祖父なりのやり方で俺をかわいがってくれていた。
その孫に早く死んでくれと思われるのも気の毒な話だが、どうせ今となっては俺の心が伝わることもない。
積極的にどうこうする気はないが、ひっそりと期待はする。
祖父よ。お盆前に決着つけないか。
http://blackcat.hatenadiary.jp/entry/2014/04/29/192630
うつで休職中、会社の人事でメンタルヘルスの研修を受けた人がリワークの情報仕入れてきてすすめてくれて、かかっていた医者に相談したら、はっきり「やめた方がいい」といわれた。
もう7年も前の話なので今は変わってるかもしれないけど、あれは入院するレベルの重症患者が最初の軽作業として選ぶようなところだと。作業としてはWordで簡単な文書を作ってみましょうとか、グループワークで何かを調べてみましょうとかそんなやつで、「入院するような重い症状の患者と一緒に」「業務なら30分で済ませることを何時間もかけてやる」ことで、数年前まで普通に仕事をしていた患者には逆効果になることも多いらしい。ほかの受講者から受ける影響も無視できない。
まあ、ああいうところに行くとすれば主治医と相談するんだろうから、それが本人にとって効果的かどうかは医者が判断してくれるんだと思うんだけど、この制度はすごくいいと思ったし、家族にうつ病患者がいる人なんかは飛びついちゃいそうだったので書いてみた。心療内科医が患者の提案をはっきり否定するとかあんまりないことだと思うので。
日本の医療費がなんかおかしいことになっているのは、素人の方々はなかなか気づくまい。
しかし医者から見るとこれほど「平均レベル以下の医者」が悠々と食っていけるような、そして「海外なら100万ドルプレーヤーのトップレベルの医者」でも日本では平均レベルの給与だという興味深い社会主義的な制度だ。
今度の4月でもまた料金改定がなされ、いろいろ取り沙汰されている。ひとつは精神科で、お薬を沢山出すほど安くなる、という設定がなされた。
もう一つは主治医制度の導入で高い報酬が設定されたが、絵に描いた餅である。
あと一つは糖尿病治療へのますますの高点数の設定である。ほいっとなにかすると、癌を治療したりするより点数が高くなる。異常だと思うほどの高点数だけれど、これにはどういう意味があろうか。糖尿病の先生方の車がゲレンデワーゲンから何になるのだろうと興味津々である。
やはりその意味は糖尿病の治療に取り組む医師が少ないというのがあろう。実際、一月30日、720時間のうち、0.25時間だけ拘束して教育をしても、ほとんどの人は良くはならずにズルズルといく。このストレスに耐えられる医者は実は多くはない。できれば専門の先生に、と言いたがるのは良くならないという現実を見たくないからだ。
個人的には教育時間を増やすために、時間を1時間以上拘束する、専門の看護師がしっかりと教育する施設に高点数を設定したい。看護師は医師に責任を転嫁が出来るから目の前の患者さんがあまり良くならなくともその責任を一身に引き受けるほどのストレスは少なかろう。いずれにせよお疲れ様です。
一方で教育の行き届いた患者さんへの点数は下げるべきだ。私は裏ワザを使って安くしている。インスリンを2ヶ月3ヶ月分出す方法だ。これは劇的に患者さんの負担が安いのだが、よほど優れた患者さん限定の話である。99%の患者さんは2週間に1度来院して欲しいほどである。
大きな批判を浴びている精神科の薬至上主義の背景には、精神科面接の稚拙さがある。「面接に自信があれば、すぐに薬を出さなくても済むんだけどね」とぼやく精神科開業医や、「患者の話が長引きそうな時、診察のオチをつけるために『それじゃあ薬出しておきます』と言ってしまう」と苦笑する精神科教授もいる。
心がまいっている患者に、見下した言葉や暴言を浴びせる精神科医も少なくない。体験談の一部を紹介してみよう。
「具合が悪かった時、主治医に状態を詳しく伝えたところ、返事の代わりに『あなたは今日、どれだけ外来が混み合っているか考えたことがありますか?あなたのくだらない話を聞いて、もうすでに15分も経過してしまった!』と いきなり怒られました。主治医は黙って話を聞いていたので、それほどご立腹だとは分かりませんでした。ショックで、もうこのクリニックには行けなくなってしまいました」
「落ち込んだ時に受診したら、私の話などほとんど聞かずに『一生治らないから薬をずっと飲み続けるんだよ』と強く言われた。それ以来、精神科には行かず、薬も飲んでいないのに今はすっかりよくなった」
「摂食障害とうつ病がカウンセリングで良くなり、薬を飲まなくても大丈夫だったのに、主治医が変わると急にこう言われました。『僕の出した薬を飲まないのなら、もう診ないよ。今日のカウンセリングは受けられない。カウンセリングのオーダーを出すのは僕だからね。薬をつべこべ言わず飲んで!』。この病院の医療相談室に駆け込み、改めて別の医師に相談してカウンセリングを受けましたが、私のように声を上げた人は少なくて、不要な薬がどんどん処方されてしまう人が多いと思います」
精神科医から心ない言葉を何度も浴びせられたことがある千葉県の女性患者は、手紙にこう記した。「精神疾患を患うと、医師からも人間として対等に扱ってもらえなくなるのです」。
精神科医が患者に厳しく接することが、すべて悪いわけではない。治療の効果を考えて、あえてそうする場合もある。短期には回復しにくい精神疾患の場合、薬を飲み続ける重要性を患者にしっかり伝えなければならない。だが、どんなに必要な対応でも、伝え方が横柄だと患者には害にしかならない。過剰な薬物投与だけでなく、乱暴な面接によっても医原病が進行する。
暴言例をもう一つ紹介しよう。特集の1回目で取り上げた40歳代の女性は、対人関係がうまくいかないため自分を発達障害と疑い、抑うつ傾向もあって精神科医院を受診した。すると、男性の院長にこんなことまで言われたという。「どうせ2ちゃんねるとか、インターネットのいいかげんな情報ばかり見てるんだろ。あんたは病気じゃない。女は生物学的に劣っていて、頭が悪くてかわいそうだ」
仮に院長の見立て通り、この女性は病気でなかったとしても、頼って行った医療機関で、院長から鋼鉄の拳のごとき暴言の連打を浴びせられたら、患者は本当の病気になりかねない。実際、女性は抑うつや不眠がひどくなり、別の医療機関で中等度のうつ病と診断された。
この院長は、女性関係に恵まれない人生を送ってきたのかもしれないが、患者は私恨を晴らすサンドバッグではない。
精神科には、対応が難しい患者が集まりがちなのは事実だ。それなのに面接時間は十分とれない。多くの精神科医は日々、厳しい環境に置かれている。それでも、限られた時間の中で、精神療法の技術を駆使して患者と向きあう精神科医もいる。その一方で、患者の顔も見ずに処方だけして「1丁あがり!」の精神科医もいる。どちらに行くかで、病気の予後が天と地ほども変わるとすれば、それは現代医療とはいえない。
http://web.archive.org/web/20121130225109/http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=65732
http://anond.hatelabo.jp/20140103224112
を読んで、納得するところが多かったり、自分とは違うなぁ、と思うところもあったので補足します。
まず自分の属性から。中学生の頃から(性器の)露出に興味が出て、30代に入っても継続してました。ここ数年はほとんどしていません。尾行も多かったですが徘徊や待ち伏せもわりとしました。露出メインですが窃視・盗撮・タッチ程度の車内痴漢がほんの少し。露出→通報→職質までは1度だけ経験がありますが、拘束はされずに済みました。(昔「○○だけど質問ある?」ってサービスが始まった頃に「露出狂だけど質問ある?」ってトピック作って色々書いたんだけど消えちゃったみたい)
ではひとり目の文を読んで感じたことを。
1 携帯電話はご褒美です。
半分正解で半分は逆。正しくは「携帯電話で通話中の女の子はご褒美です。」かな。理由はひとり目と一緒。尾行に気付かれにくい。プラス、通話相手がいる為に、見せた時無視されにくいというボーナスが付いてます。
半分の逆というのは、今まで通話してなかったのに、誰かに連絡を取り始める、というのがかなり牽制になるからです。これはフリでも構いません、警察なり家族なり彼氏なり、誰でもいいですが「(不安になったら)新たにアクションを起こす人」という認識を不審者に覚えさせれば、慎重派の犯罪予備軍であれば、ターゲットを変えるでしょう。また、迎えに来てもらえるような内容が聞こえてきたりするとより確実です。
うーん、どうだろう。あまり意識した覚えがない。言われてみればコンビニへ入った人は避けるかなぁ、くらい。でも決定的ではないですね。欲求が強ければ最初の人も言っているように出待ちするかもしれません。
ただ、追ってコンビニに入ることはまず無いですね。防犯カメラには映りたくないです。なので不審者の判別には使えるでしょう。不審者が入ってきたら(絶対ではないものの)白の可能性が高く、いなくなればそれでよし。外で待ち伏せされた上に尾行再開されたら真っ黒なので、迅速に警察や近くにいる家族・知り合いに連絡しましょう。
3 明るい道でも関係ない
大きく反論はないですね。要点は女性の味方をする要素です。どんなに暗く細い道でも、周りに少しでも男性がいればやりませんし、明るく太い道でも、周りに人がおらず、幹線道路でクルマが止まりそうもない道ならやるでしょう。ちなみに高速で走るクルマの騒音はかなりのものなので、交通量は増えすぎると性犯罪者の味方をすることになります。また暗い道で犯行が出来そうだとして、露出狂に限っては「見てもらいたい」ので、なるべく明るく下半身が照らされるポイント(街灯の下など)を狙います。
4 立ち止まられるのは嫌だ
尾行に限ってるなら同意。靴紐結び直すか、ケータイいじるくらいしか対処できないです(笑)
ただ状況にもよりますが、自分の場合はヤマを張って女性が行きそうな方へ進んで待ち伏せるというのをよくやりました。なのでやるならなるべく分かれ道の手前で、なるべく人の多いところがいいでしょう。人通りが少ない一本道で、見通しが悪いところだと待ち伏せされる可能性があります。
5 方向転換
これも同意。自分はほとんどやられた覚え無いですが、極めて高い効果を発揮するでしょうね。引用元にも書いてありますが、ターンでなくとも横断歩道渡った後に元の方向へ戻る、とかで大抵は充分です。
6 大声を上げる。
確かに自分も大声を出された記憶は無いですね。いざという時に大声をあげるのは想像以上に難しいことだと思います。驚愕でこわばってしまうという理由がひとつ。もしくは不審者が本当に行為に及んでいるか確認するのが難しいとき、大声をあげるタイミングがはかれない、という理由もあると思います。
露出狂は必ずしも角からバッと飛び出してきたりはしません。だって見通しが効くところでないと、邪魔者の確認が出来ないじゃないですか。理想を言えばいろいろありますが、そんな理想的なポイントに理想的な女性が来ることは稀ですし、そもそもそういうポイントはどんどん潰されていきます。なので優先順位として、人通りが少なく、邪魔者が周りにいないか確認できる、逃げやすい場所、を狙います。最初の人がどういう流れで行為に及ぶか分かりませんが、自分の(尾行→)待ち伏せスタイルだと女性からはおそらく以下のように見えます。男性の場合は他人の立ちションを想像するといいかもしれません。
露出狂かも(確度30%)→露出狂な気がする(50%)→露出狂だよね?(70%)→なんか出してるっぽいけど見たくない(95%)→見えた(100%)
露出狂かもしれないという心の準備が出来てると、大声を出すのは難しいのではないでしょうか。また、それを求める露出狂もいますし、時間と場所にもよりますが、大声を出しても人が助けに来てくれる可能性はあまり高くないような気がします。なぜなら女性の叫び声と子どもの遊んでいる時の叫び声はかなり区別しにくいと思うからです。そういう声を聞いた時、あなたは何か行動するでしょうか?防犯ブザーも似たような効果でしょう。
ということで、7と8にかかりますが、露出狂に限って言えば「無視」(相手を喜ばせない)か「通報」(相手にダメージを与える)の方が効果的です。露出狂にとって最高に怖いのが「逮捕=警察=通報」で、最高につまらないのが「無視」です。欲しいのは「反応」です。ですから「反応」せずに「無視」して、可能であれば「通報」するのが最善手です。
ちなみに、継続して露出狂に走り他人に迷惑をかけている状態は露出症という精神病だと診断されます。実際自分もそう診断された時期がありましたし、残念ながら主治医の先生との相性が悪かったので中断しましたが、治療しようとしてた頃もありました。(ただ関東ですら性依存症の治療が行えるクリニックは2ヶ所ほどしかないです)
露出がやめられなかった頃(やめられる少し前)を端的に表すと「ゲーム感覚」です。一般女性への露出行為はとてもゲーム性が高いのです。地理を把握し、人通りの多さや時間帯による流れなどを把握する必要があり、そんな中、対象を探して発見し、気付かれないように尾行し、時には想像を働かせて先回りし、露出しやすいポイントで行為に及び、女性の反応を見る。このゲーム性に依存してしまっていたのです。
また、そのスリルからとても緊張し、脈拍が上がり、身体が沸々とたぎってくるのも感じました。自分は万引きをしたことが無いのですが、万引きにハマる気持ちはこうなのかな、と思います。
そしてたまたま露出出来そうな状況に出くわした時には、異常に露出行為をしたくなり、我慢できなくなっていました。やらないと「せっかくのチャンスをふいにした」いう感覚を覚えるほどです。なので性的興奮は基本的に無く、ほとんどの状況において勃起はしませんでした。それでも露出したい欲求を抑えられなかったので、完全に依存症だったなと思います。
露出をやめられるようになった理由は結構漠然としてます。最初に書きましたが、通報からの職務質問コンボを食らってしまって、逮捕寸前までいったことがあります。そのあとは1年位、とてもじゃないですが露出する気にはならなかったですね。でもその後も数年経つと、頻度は減ったもののまたやってしまうようになりました。それとは別に、おそらくあれが原因じゃないかな?と思っている事がひとつあって、某掲示板に「露出狂なのに勃起してないブツを見せるのは失礼だ!」という書き込みを別の露出狂がしてたんです。それに対して、なんとなーくゆるーく同意しつつ、そういえば自分は最近ロクに(露出で)勃起しないなー、と思ったのを覚えています。それに同意できたことが自分には大きかったような気がします。
自分は慎重派&間接派なのでこういう説明になりますが、暴力的に性犯罪を犯そうとする人の気持ちは分かりません。あくまで色んなタイプがいる性犯罪者の中のひとつ、とお考え頂き、対処は自己責任でお願い致します。
ちなみに某掲示板の書き込みを見る限り、見せるのは女性でも男性でも構わないとか、年齢とか関係なく見せられればいい露出狂もいるようですのでお気をつけて。
“暴力的に性犯罪を犯そうとする人の気持ちは分かりません”いや、普通にアンタも相手に精神的外傷与えてるから同類よ 相手を自分の快楽のための道具と見做す精神性と暴力性は同根
全くその通りで同類とみなされることに異論は無いのですが、同類とはいえ思考や論理、リスクと考える要素が異なりますので、遭遇した場合に混同せず対処してください、と伝えかったのです。つたない文章で不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。ご理解いただければ幸いです。
この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですから、はじめまして、小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思います。あなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。
*
あなたはまず思ったことでしょう。お気に入りの自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。
わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞、アニオタ、精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫に般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔の殺意と怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドーで出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。
小学生のころから容姿をからかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり、勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています。小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!
「小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」
「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙なチラリズムの天使を無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」
「そこなんだよ。たしかに処女膜から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」
「EDになってから幽霊(アストラル)が見えるようになったとか」
「霊感商法ってやつだよ」
「まったくひどい!」
「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこを排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。
鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙な距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症の未来の恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!
*
わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。
*
まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています。小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会が皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」
鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。
「小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥に決闘(デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」
「というと?」
「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場はファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。
「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」
「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥はやばい」
「ですね」
「小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」
「でも、その……、よかったんでしょう?」
「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。
おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手が美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念を提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄はさらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症のメタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺の指圧師! 快楽の大銀河!
*
つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。
「なあ、増田ちゃん」
「なんです、鉄男さん」
「お前、見えてるパンツをどう思う?」
「どうってどういうことです?」
「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」
「メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」
「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラとはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスのことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい、増田ちゃん」
「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」
「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」
わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分の存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン的生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析し解釈し考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠の平和がある。そこにわたしは神を見たのです。
*
小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんのテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限そのものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。
「増田、おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。
「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています。
「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています。
雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。
「美しいだろう?」
「きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」
「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真も雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。
「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」
「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」
「おれには愛がある!」
璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。
*
小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート的萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙なバランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは、少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房を突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。
*
最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。
*
ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界はグロテスクで悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会がたくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまいます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄で希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代の無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。
しかし自殺しようかなと思ったときに毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界(アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなたが存在していてくれてありがとうございます!
退職するって決めた時にわりと色々吹っ切れたので少し調子が良くなっていた。
その中で交渉したら、こんな感じで言われて、でもちょっと調子が良かったもんだから「それでならやっていけるかも?」とか思ってしまった。(本心から「辞めなくて済む状況にもっていってくれてありがとう」って思ってた)
案の定、それから症状悪化。どうしたもんか。
ブコメでつっこまれていたけど、会社に話をしたときに主治医(精神科医)の「一ヶ月間の療養・加療が必要である」って診断書は提出しています。
その結果がこれなんだよね。まぁ、診断書提出したのに休ませてくれない会社が悪いんだーって開き直ってあまりしんどければ休もうかなーと思う次第。
http://ameblo.jp/don1110/entry-11695197467.html
2013年5月4日 東京・日比谷公会堂での講演から 五井野 正
1997年3月に、ロシアのヤリスラヴリ州立医学アカデミーで、私が末期がんの臨床実験を行なっていたことをお話しましょう。そのアカデミーの下に大学があり、そして日本でいうホスピスのような州立オンコロジー病院があります。私はその病院で糖尿病の重症患者や、発病して最終末期のエイズ患者、さらに は末期がんの人たちに、私が発明したGO Pで臨床実験をし、多くの患者を治して生還させてきました。(1997年4月1日発行『ウィッピータイムス』7号に掲載)
当然、むこうでは大きく新聞にも掲載され、テレビでも30分と1時間のドキュメンタリーが放送されましたが、日本では報じられてはいません。なぜかというと、私は某宗教団体 (創価学会) から実に40年近く、みなさんが信じられないほどの驚くほどの圧力がかけられて、さまざまな妨害や中傷を受けているからであり、しかも何度も殺されそうになったこともありました。
ですから現在においても、政党 (公明党) までも持つこの某宗教団体 (創価学会) から支配されているほとんどのマスコミからシャットアウトされているために、私が日本のため人類のためにどんなに国際的な活動をしても、日本ではそうしたことが報道されないのです。私は40年来ずっとそういう立場に置かれているのですが、日本の人々はそれを知りません。
それはたとえば、私がチェルノブイリの子供たちを助けているときにも、私を拉致するためにマフィアまで使ったのです。しかしロシアの国家サイドがそれ から必死に護ってくれたので、逆に誰の指図であるかの悪事が次々と明らかになりました。その結果、エリツィン大統領はその宗教団体 (創価学会)をオウムと同じくカルトと判断し、宗教法まで改正しました。
私の医学や芸術活動は旧ソ連邦の国々だけではなく、当然、ヨーロッパでも大反響を起こしました。南ヨーロッパの地中海に浮かぶマルタ共和国では、私を サポートしてくれているメリック博士が私の絵の展覧会を開催する前に、GOPで重病の子どもを治してしまいました。その結果、ビザが取り消しになってしま い、それを知ったガン患者の家族がその扱いに騒ぎ立ててそれが現地の新聞の1面に出たことがありました。(写真13)
というのは、 今までラトビアやロシア、ウクライナなどでは、厚生省と病院とウイッピー総合研究所で臨床実験の契約をした後に、病気の治療をしていたからです。ところが メリック博士がマルタで、悲しんでいる患者の家族に同情して思わずGOPを使ってしまったのです。しかしマルタでは、GOPを使用させてくれるようにと国民の約8%が署名し、大統領に嘆願書が出されました。(写真14) このようなことからメリック博士にビザが下り、私はマルタで、博士と一緒にマルタ国の英雄として新聞一面扱いでした。(写真15) しかしそうであるのに、空港の入国審査ではストップされて、GOPの持込も、治療も禁止されてしまいまし た。
このようなことがあるので、某宗教団体 (創価学会) のメンバーたちが厚生労働省を牛耳っているような状態の日本では、GOPがどんなに効力があっても治療として使うことができません。ですから国内の重病患者の家族からも頼み込まれていますが、どうすることもできない現状にあるわけです。ですから頼むのなら、某宗教団体 (創価学会) が私に圧力をかけないように頼んでください。
そこで薬として認可してもらうためには、旧ソ連での臨床実験では弱いために、ヨーロッパでのスタンダードな臨床実験が必要になってきます。そのためにはまず、 効力があることを証明するために細胞実験から始めなくてはなりません。ロシアやラトビア、ウクライナなどでの臨床実験データによって1999年に、デンマークのコペンハーゲン大学でGOPの細胞実験を行なうことができました。その結果、がんに効く画期的な治療薬として証明されたために、ヨーロッパのテレビやラジオで取り上げられ、スウェーデンやデンマークでは新聞一面に掲載されました。(P.81) そしてこれからが世界的にGOPの活躍がすごいことになるのですが、それは次の機会に話しましょう。
私がGOPを完成させたのは1992年頃ですが、その効能のすごさに私自身が驚いてしまいました。しかも自然薬ですから副作用というものがありません。健康体の人が常用すれば若々しくなります。しいて言うと、元気になりすぎるのが副作用とでもいえるくらいです。そこで1996年頃には難病の人を何と かしてあげたいという気持ちでいっぱいでした。そんなときにオーストラリアから私の事務所へ、「ガンを治してください」という内容のファックスが来たこと があります。そこで50万円かけて、スタッフである北村君をオーストラリアまで派遣し、GOPでガンを治したことがあります。もちろん無料です。
その後、その女性がよくなってヨーロッパに旅行に行ったとき、かつて彼女が働いていたラトビアの病院に寄ったのです。そしてその後偶然にも、その病院 とラトビアの国立科学アカデミー、それにラトビア政府とウィッピー総合研究所の合意により、幸運にも初めて臨床実験が進められることになったのです。ラト ビアの臨床実験はすぐに、驚くべき効果を出したので、それが新聞に掲載されて大騒ぎになりました。この記事では取材のときは患者は6人と記載されていまし たが、残り3人は奇跡的に病状が回復して退院してしまった後だったからです。さらにテレビでドキュメンタリー番組として放送されたので、現地では大騒ぎに なりました。(写真18)
ところが、日本の外務省に巣食っている某宗教団体 (創価学会) のメンバーがこちらで暗躍し、病院は突然に患者の要望を放り出し、GOP の臨床試験を突然中止してしまったのです。しかもそれまで我々の通訳をしていたラトビアの通訳が、ラトビア駐在の日本大使館の人間と一緒にいるところを見 かけて以来、その通訳は一方的に我々の通訳の仕事を断ってくるようになりました。
それから後の話ですが、エリツィン大統領が 1996年の9月頃に危篤状態になっていたことがありました。それでラトビアでの私のGOPの臨床実験の成果を大統領府が聞きつけ、ある日特別な使いが私のところに来ました。それというのもクレムリン病院には100人くらいの医者がいますが、エリツィンの病気は秘密になっていたようで、医者たちにもわからなかったのかもしれません。しかも状況は、「エリツィンを治すな。治すならその主治医の親を殺す」という脅迫があり、両親を殺された主治医はアメリカに逃げてしまっているという状況にありました。そんな中で私に声がかかったのです。
彼らの知りたいことは、「エリツィン大統領の病状は何か? GOPで治せるか?」ということでした。そこで私は、危篤状態にあるエリツィン大統領の病 名とその理由を手紙に書きました。すると折り返し、「エリツィン大統領を必ず治せるか? 呼んだらすぐ来られるか? 返事をして書名できるか?」とファッ クスして来たので、両方とも「イエス」と書名して送り返したのです。
モスクワに出発する前日、東京のロシア大使館で新任の駐日ロシ ア大使の就任パーティがあって参加しました。その時、前に述べた友人が新任のパノフ大使に、「五井野さんがこれからエリツィン大統領を治しに行きます」と 興奮して言ってしまったことがありました。突然なので、パノフ大使は何のことかよくわからなかったようでした。次の日、私はモスクワ行きの飛行機に乗りま した。そして飛行機がモスクワ空港に着くと、なぜか軍人が2~3人乗って来ました。すると飛行機はそのままバックしてタラップで降りることになりました。
私が立ち上がると、美しいキャビンアテンダントが私を静止させ、日本の都甲(とごう)ロシア大使が先にタラップを降りることになりましたが、下では迎 えの大使館の人たちが大声で叫んでいるのです。次に私がタラップを降りるとメリック博士が出迎えてくれて、私を一般用のバスに案内するのです。私がどうし て「VIPじゃないの?」と言うと、私のスタッフ全員がタラップを降りるのを確認すると、突然、「ドクター、急げ!」と言って、都甲大使のVIP専用車に スタッフとともに案内してくれました。
大使の専用車に私たちが乗っても、日本の大使館員たちは何も話しかけてきません。
私がエリツィン大統領の招待を受けているのに、じっと黙っているだけです。後で考えたことですが、その時、私が狙われてはいけないと言うことで大使館側の人がわざと大声を出して、大使を先に降ろさせて私の身代わりになってくれていたのかもしれません。空港の案内室に入ると大使館側の人たちはサッといな くなり、私たちは花束を持ったロシア国立芸術アカデミー副総裁と事務局長など一行の歓迎を受けました。
私がアカデミーの人たちと話 していると、私を送迎するはずのボルボがいなくなり、しばらくして再びやって来ました。メリック博士が、「長く駐車していられないので、急いであなただけ乗りなさい!」と言います。「どうして?」とモタモタしていると、またボルボはいなくなる。そんなことを何度か繰り返して、最後に私とスタッフだけを乗せ てボルボは走り出しました。ほとんど渋滞なしで突っ走りましたが、後でわかったことですが、メリック博士によるとモスクワ空港には私の安全のために40人のKGBが守っており、私が重要人物であることを知らせないために素早く乗車させたということでした。(当時はボルボの新車はVIPしか乗れなかった)
また渋滞がなかったのは、左右の道路をすべてストップさせていたからだと説明されました。しかも私たちの後ろには、替え玉のまったく同じ色のボルボがついて来ていた。泊まるホテルにも、重要人物とレストランで会う時にも、常にKGBの人たちが従業員として警備していたことも後でメリック博士から聞かさ れました。そうしてやっとエリツィン大統領にGOPが渡され、大統領は奇跡的に回復したのです。そんなことがあって、私はエリツィンに信頼され、親しく なったのです。
エリツィン大統領は「北方四島を日本と共同で芸術の島にする」と、ロシアのテレビで語った
その後 1ヶ月くらい後の1996年11月頃に、日本とロシアで日ロ国交回復40周年記念集会がありました。そのとき日ロ協会の会長の三塚大蔵大臣や外務省の東郷 次席公使、それにペンクラブ代表や日本相撲協会理事長なども出席し、私も特別ゲストとして出席しました。ロシア側は教育大臣など9名くらいが出席しまし た。私はその時にロシアの教育大臣に、北方四島返還に関する平和条約10項目の提案書を渡し、その後もちろんエリツィン大統領にも渡しました。
エリツィン大統領は、北方四島返還に関する平和条約10項目が、提案書の中で「一番最高で実現性が高い」と支持してくれました。というのもこの日に、 日本・ロシア・アメリカから300もの提案書があったのだそうです。私の北方四島返還に関する平和条約10項目の提案というのは、簡単に言うと四島にすで に住んでいる地元の人々のことを考えて、北方四島にまず日本がインフラ整備をすることでした。どうせ戻ってくるのですから、日本は10年間で1兆円かけて もいいでしょう。10年間はロシア領土のままで、10年後には日本に戻る。しかし戻ってからも10年間はロシアも使えるというものです。(1997年11 月15日『ウイッピータイムス』発行。写真19)つまり20年間かけて、北方四島に芸術の国、文化の国をつくろうという話です。
エリツィン大統領も賛成し、外務省を通じて当時の橋本首相にも知らされました。ですから外務省が知らないわけがありません。しかし日本国民には何も知らされず、コントロールされているマスコミは何も報道しなかったのです。(略)
ところが某宗教団体 (創価学会)の票と政治協力を再び自民党に呼び戻すために、暗躍した某国会議員と外務省が何度も邪魔を しました。もし私の活動が彼らによってぶち壊しさえされなければ、日本とロシアは平和条約を結び、北方四島は戻ったはずなのです。(ネットで「五井野正・ あおぽ」で検索し、『あおぽ』のホームページで五井野正博士特別寄稿の記事から”北方四島は戻るはずだった!!”の記事を開いてください)。
そのことを、当時のロシア問題の関係者で外務省筋の友人、当時の真樹会の事務局長に述べたら、「そんな重要なことが日本でニュースになっていないとはどういうことか」と驚いていました。そうしたことからもわかるように、日本のマスコミは某宗教団体 (創価学会) からアメとムチで支配されており、某宗教団体 (創価学会) の会員たちがマスコミの社員や幹部として送り込まれているだけでなく、日本の政治家や官僚など隅々まで彼らに牛耳られているという現実があります。
(日本の某宗教団体 (創価学会) の政治的妨害で、日本は境界線だけ引いてくれればいいと逆提案をして、結局、北方四島返還も日ロ平和条約も反故(ほご)になってしまったという事実は、日本のマスコミ界では今でもタブーとされています。)
book 『今、知らなければいけない重大な真実を語るメジャーな人々 Vol1』
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1275318/1293328/91560568?page=1
主治医に恋すること
もう1年経つのに忘れられない。
成就しないし、会いたいけど迷惑になるから絶対病院に行かないように努力してる。
子どもを産む、産まないで悩まなくていいところがうらやましい。
メンタルの病気を患い仕事を辞めて、三十代前半で夫と知り合い結婚した。クリニックへの通院は今も続いている。仕事はしていない。
先日主治医から、「今の薬量なら妊娠に差し障りないですよ」と言われた。
夫は子どもを欲しがっている。でも、私の覚悟が決まってないからまだ作らないと言う。
確かに私の覚悟は決まっていない。どちらかというと子どもは苦手だし、あまり産みたくはない。
でも絶対に産まないと決めることもできていない。産んでみたいような気持ちも少しはある。けど自信がない。迷う。
迷いながらも高齢出産について調べてみると、ネガティブな情報が大量に流れ込んでくる。
高齢じゃなくても出産・育児は大変だ、無理にしなくてもいいと語る経験者談も見かけた。
もちろんそうじゃない情報・経験談もたくさんある。結局は自分が決めなくてはならない。
もういっそ、誰かが決めてくれたらラクなのになあ、と考えて、自分のそういう所(主体性のないところ)がダメなんだよなあ、と気づいたり。
自分には5歳の息子がいる。
1歳半から3歳半まで、元々精神は病んでいたのだが、あまりに調子を崩して実家に帰っていたので、
義母と夫が育てていた。
子供の人生の半分弱は物理的に触れ合ってないし、電話もしない、文字通り音信不通の状態。
そして、産んでから一度お別れする時まで、正直可愛いと思ったことがなかった。
母親だからという義務感と、子供はお母さんが必要だから、という周囲の言葉で仕方なくやって
いたようなもんだった。
で、メンタル面も2週に1度の通院程度で落ち着いて帰ってきたのが1年半前。
子供は割とおとなしい、人見知りは激しいけど、いつもニコニコしている子になっていた。
「ちゃんと育ったんだなぁ」
と、夫と義母に感謝してもし足りないくらい、良い具合に育っていた。
それでも、愛情って意味では??で、くっついてくれば非常にうざったいし、疲れてる時に遊んでと
言われれば即NG出すし、子供より自分のしたいことを優先して、更に余裕がある時(殆ど無いのだが)
にしか上手く接することができなかった。
「子供への愛情」「母性本能」って本当にあるんですか?普通の人にはあって私にはないんだから
私自身の感情が欠損してるんじゃないか?と、凄く不安、けど行動原理は変えられぬ、そんな日が続いていた。
で、ある日。
いきなり可愛く見えるようになった。
なんじゃそら、である。驚天動地である。自分でも何が起こったのか解らなくて大混乱。
「あ、あ、あれ?」
崖から転がり落ちるような勢いで、何かにつけて可愛い、多少疲れててもじゃけんにできない、
つまるところ、私は5年間かけてようやく「母性」というものが発芽して、にょきにょき育っている
どうも私の「母性」というのは元からあったものではなく、たとえば「欲しいものがある」や「創作したい」
「夫を愛している」など、削っても損害が少ない既存の感情や欲求を削って、その分を子供への
「何かをしてやりたい」や「ずっと笑っていて欲しい」「どうやって育てていきたい?」に変換しているようだ。
悪いことじゃない、むしろいいことだと分かっているけれど不安はある。
こういう「母性」が合ってるか間違えてるかは解らないとか。
けど、自分の子供への愛情はこのような成り立ちでしか作ることができないだろう、という自覚もある。
「人間なんてそんなもんだよ?」
とサラリと返されました。
そんなものでよかったんだな。
通りがかりの医療職です。
うつ病と診断がつくかまではわからないけど、うつ状態ではありそうですね。無理は禁物です。
まぁ相談しなくてもいいのですが、その方が親切ではありますね。
上司が何も知らなかったとなると、その上司が後々周囲から責められる可能性も否定できません。
それから、上司が今の状態を知れば、普通の上司ならもしかしたら休職かも…?くらい考えるはず。
いきなり診断書を突きつけるより、やはり親切ではあります。
ただ、気力をつかうので、診断書をもらう前に相談するという行程をはさむのが辛ければ、なくても大丈夫です。
病院に行きましょう。
家からあまり遠くなく、HPがあって、院長の学歴くらいは書いてあるところだと外れが少ないかも。
大学病院は、個人病院より外れが少ないと思いますが待たされます。
診察では、経過、症状を伝えた上で、仕事を休みたいと言いましょう。
主治医は患者の味方なので、そう言えば、大抵は診断書に「自宅療養が必要」とかって書いてくれます。
あとは診断書が上司から総務へ届き、ぽんぽんとスムーズに療養に入れるはずです。
ちゃんとした会社で健康保険組合に入っていれば、仕事を休んでいる間も基本給の6〜7割はもらえるはずです。
たぶん、あなたから聞かなくても総務から説明があるとは思いますが…。
お大事にしてください。
主治医と話して原因を探ると、仕事もそうですが、嫁さんの実家も原因の一つです。
嫁さんの実家ですが、義父は大手上場企業を定年退職。それなりの退職金と年金もありますが、いまは経済的に大変です。
退職後、素人がネットで株を売買して大きな損失。海外旅行とゴルフで散財。
長男の経営する小さな会社に、名義だけ役員になり、借金の保証人となるも、長男が若年性痴呆になり、会社は解散。
役員に名前はあるものの、財政を見ておらず、解散する際には多額の借金だけが残ります。
会社の財政確認、借金の整理、離婚手続き、成人後見人の申請、その他の手伝いをさせられ、そのうえ借金の一部肩代わりまで頼まれました。
さすがに肩代わりは断りましたが、借金の原因の一部が自分たちにあると思ってはおらず。
毎月借金を返してはいますが、元金が減るほど返済できているとは到底思えません。
いまでも毎月問題を起こしては、自分たちでは解決する気持ちもなく、嫁さん経由で私にいってきます。
こちらの都合はお構いなしに、嫁さんと実家にいき、問題を解決するのは大変です。
そのうえ、それを「あたりまえ」と思っているので面倒をみきれません。
嫁さんの両親になにかあったら、相続放棄で借金問題は片付いても、痴呆になった嫁さんの弟も面倒は残ります。
それだけ次々と問題を起こしても、「解決してもらってあたりまえ」と思っているのが理解できません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/NATROM/20130829%23p1
などで「臨床環境医」が一部の人から嘲笑と憎悪の対象となってるwww
ブコメを見てすぐ気づくけど、一部の「臨床環境医」ではなく、「臨床環境医」全般がその対象だ。
シックハウス症候群マニュアル―日常診療のガイドブック という本がある。「日本臨床環境医学会」が編集した、この8月に出たばかりの本だ。厚労省科研費の報告書が基になっているという。
学会が編集したからといって、即「学会会員一致した見解」とはならない(w)のはそうだけど、まあ現時点での臨床環境医で作る学会の代表的な見解が述べられている、とみなして良いだろ。
また、これは「シックハウス症候群」についてのマニュアルであって、「化学物質過敏症」MCSを主対象とした本ではない。しかし、症状的にきわめて似たところもあって(ww)、臨床環境医がこのマニュアルに基づいて行うシックハウス症候群の診断が、化学物質過敏症についての診断と方法・考え方で大きく異なる、と思える人はいないだろう(とくに実際に読んでみれば)。
w 実際読んでみると、シックハウス症候群を「広義」でとらえようとする者と「狭義」に限定しようという者といて、やや不整合がみられる。しかし、強調しておくべきことは、学会編のこの本のトーンは「狭義」路線が採られていることだ。
ww そもそも用語のさす範囲が人、場合によって違うようだ。たとえば、http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130902142408605 でいう「化学物質過敏症」は「狭義のシックハウス症候群」と呼んでも差し支えなさそうに思える。
全体で79ページの薄いマニュアルであるが、たとえば、その51ページには
「除外診断を旨とすべきである。」 実際、全体の1/5の分量、「Ⅱ.診断の手順」内では半分以上にあたる16ページが「鑑別疾患」にあてられている。そのうちでもアレルギーは8ページ、中毒は非常に短いが、精神心理は4ページ、それに感染症3ページ。十分であるとはいえないかもしれないが、とりあえず「臨床環境医」が、他の疾患との区別を重視していることは明らかだろう。
このように同じ建物の居住者に集団発生することがあるため、シックハウス症候群との鑑別上、肺結核症は常に想起されるべき疾患の1つである。
だそうである。
69ページ以下がQandAであるが、そのQ10「専門医にご相談くださいという言葉をよく聞きますが、何科を受診すればよいですか」に対しては、症状部位によって、眼科、皮膚科、内科を
とはっきり書かれている。
こういうことが「臨床環境医」の学会が編集した最新の冊子に書かれている。
ちなみに60ページの「自然・天然素材」という項では、スギ・ヒノキなどのテルペン類に触れており、かつては筏で木材を流したりしてるうちに揮発した、昔と今では建物の気密性が違う、など、「天然素材だから、昔もそうだったから」という主張を批判している。
こうしてみると、冒頭のブクマのように「臨床環境医」全体をひとからげにして非難する、というのはどう考えても2013年日本の実態に沿うものとはいえない。
もちろん、いろいろと突っ込むところはあるだろう。当然だ。それは、1.この本の内容そのもの、2.実際の臨床環境医がここに書かれているような診断とかけ離れてことをしている、に二分される。ただ、2.についていえば、でたらめな診断をくだす医師は臨床環境医以外にもたくさんいるわけであり、「臨床環境医」全体を非難しようというのなら、当然それなりの定量的なエビデンスが求められるだろう。 個別の例で非難することはできるが、それがどこまで敷衍できるのか示せるのだろうか。また、患者に向かって「あなたは胃潰瘍と主治医に言われているようだけど、胃癌ですね」と(とくにネット上で)安易に言うことができないように、主治医でもない人間が安易に憶測を述べる危険もある。
ともかく、「現在の日本の臨床環境医」についてが中心に論じられるべきなのは言うまでもない。
さて、冒頭のブックマークなどで「臨床環境医」全体を非難嘲笑している者と、「奇跡のリンゴ」という映画などでの「農薬」の扱われ方について批判していた者は、かなり重なるようだ。
「農薬」については「40年前と今は違う、日本の基準は安全だ」と言いながら、「臨床環境医」については「昔も今も、外国も日本もすべてひとからげにして非難する」wwww 空気を吸うようにダブルスタンダードを用いるニセ科学批判者の特徴がよく現れているwwww
元増田です。
ボーダー、自己愛などの人格障害の類にまちがいはなさそうです。
親や支援施設の方が監視しても、施設で集団生活をしたとしても本人の意思でない限り治ることはないかと。。
(ごめんなさい、あまりこの病気のことを詳しく知らないから不適切な表現をしているかもしれません)
Aが発達障がいや知的障がいになりすますメリットがあるのだろうかと当事者の私としては疑問ですし怒りを覚えます。
今は引っ越す事も視野にいれ、いろいろ準備しているところです。
昨日は精神科の診察日でしたが、病院にまでついて来て怖かったです。
主治医に『ここから会社近いんだし暫く開放病棟入院して、ここから会社に通ったら?
貴方の情報をだれふりかまわず聞いていたし、Aさんがあなたに何をするか…あなたが抑鬱状態になって心配だ』と心配されました。
話がズレてしまいました‥
>なんで被害者のこっちがここまでしなくちゃいけないんだと思うだろうけど、自分の精神衛生と身の安全のためだと思って割り切ったほうがいい。
まだうまく話せない、伝い歩きしかできない。咀嚼がうまくできないその子に対して
自分ではできないので、プロの理学療法士や作業療法士や言語聴覚士に自分の子を「ちゃんと」「普通に」して欲しいんだと。
主治医は、親の気持ちを壊さないように、医療機関でじんわり自閉症を受け入れていく誘導の必要があると判断していた。
でもねでもね。
はっきり言って小児リハビリ病院は満員で、しかも自閉症を治療するようなリハプログラムなど設定がない。
よって紹介どころか、受け入れさえもしてくれないのが現状
そもそも自閉症は治らない。無理してひとつの動作ができたとして、そんなもの親のエゴでしかない。
無理やり強制練習させられて、できればもっともっと、と厳しく締め上げられるように行われるリハビリ??
ナンセンスです。
そんな施設ないです。
杖をついた老人が、キャンプできるくらい元気になるリハビリがないように、その人それぞれにあったプログラムがある
これが必要。
体罰に関する議論で一番最初にやるべきなのは、どこまでの体罰ならOKかを、身体・精神ともに医学的に多くの医者や研究者達によって話し合ってもらうことだと思う。
そうすれば、まず頭部への打撃は完全NGだろうし、色々な生まれつきの疾患とか考えれば、結局体罰はすべてNGってことになると思う。
唯一体罰が許される人がいるとしたら、その子の健康状態を100%知り尽くしている主治医だけだろう。
文化論的・思想的・哲学的な議論をしたって、不毛な議論になるだけ。
世代や育ってきた環境によって違いが出るんだから、議論なんて永遠にまとまりっこない。
だからこれまで何度体罰の問題が出ても、永遠に解決しないんだ。
戸塚ヨットスクールの事件が起きてから、一体何十年経ってるんだよ。
普通の人なら問題のない体罰によって死んでしまう人がいるってことを、なんで理解できないんだろう。
人は一人一人違っているのに。
あなたが平気なことが他の人も平気なわけではないのに。
「体罰を糾弾しすぎると、先生が生徒をちゃんと指導できなくなる」っていう人をたまに見かけるけど、それは体罰の問題を一方向で見ているから。
2chどころかTwitterやFacebookでも平気で差別発言をしている奴らがいる
なんでこんなに偏見が強いんだろうなあ
そういう奴に限って精神障害者といったら重度の統合失調症の患者という認識しかない
うつ病も立派な精神障害なのに。自分はうつ病に絶対ならないとでも言うのだろうか。
Twitterを見ていたら「殺人をしても無罪になるような奴を雇用するのか」だとか
「キチガイは家に閉じ込めておけ」などという本当に頭の悪いツイートが流れていた。
そもそも外で刃物を振り回すレベルの患者を主治医が就労を認めるわけがない。
精神障害について何も知らないなら黙っていれば良いのになぜ彼らは口を出したがるのだろう?
俺はうつ病で休職したときに発達障害である事がわかったんだけど、
発達障害者って実は社会にかなり溶け込んでるんじゃないかと思い始めた。
復職したときに上司になった相手はかなりやりづらくて、自分はひどく困ってしまった。
上司は自分が間違っているなんて絶対に認めないし、自分がほんのちょっぴりでも非難されると感じると烈火の如く怒る。
周りに話を聞いてみると、やはり扱いづらい人間だそうだ。
周囲とトラブルを起こしてしまうのでなかなか大きい仕事に出せないらしい。
そういった特性のためにもういい年で課長クラスなのにプロジェクトリーダーにもなれないのだそうだ。
それでもある程度社内での居場所を確保しているので少なくともクビにはされない。
周りが配慮する事で何とか仕事が回っているという状態だ。
社会で上手くいっている発達障害者は上手くいってない発達障害者をよく叩くけど、
仕事の適性だとか周りの環境や理解者がいるかとか会社自体が上手くいっているかとか…
いろんなファクターが絡んでくるんじゃないのだろうか。
自分は自分の特性を理解してから一年間SSTや認知行動療法などのコミュニケーションの練習を繰り返して、
なんとか社会に戻っても大丈夫だと主治医に一応の太鼓判を押してもらえたから帰ってきたのだけれど
人事部長に上司についての相談をして、自分と同じようにコミュニケーションの練習をすれば今よりも絶対に良くなると言ったら
部長は「君は若いから一年で復帰できたが、彼に同じような事をすればおそらく再起不能になってしまうだろうし、彼にも家族がいる」と言う。
確かに自分の特性を理解して、それと向き合う作業は非常に辛かった。
最初は三ヶ月くらいで戻れると思っていたが、一年もかかってしまった。
上司はもういい年だから自分の価値観の破壊と再構築を行うには長い時間がかかってしまうかもしれない。
でも、自分はそれでも周りと上手くやっていけるようになれば今よりもずっと視界が広がるだろうし、人間としても大きくなれると思うのだけれど…
一体なにが正しいのだろう。
周りが配慮している事で一応上手くいっている状態を無理矢理変えるのも問題かもしれないけれど、
何とかするべきだとは思うのだけれど、自分はまず自分を何とかする事に全力を傾けるしかないのだろう…
自分の無力さに涙が出てくる。