はてなキーワード: 主治医とは
精神科に通院してるんだけど患者が自殺したら主治医の処遇ってどうなるの?
以前自殺未遂をしたことがあって、「自分が死んでも誰も困らない」と私が言うと先生は顔を真っ赤にして必死になって説得してきた。
しかしあの時私は頭がぼんやりしていて、先生が何を言ったか具体的に覚えていない。
検索しても病院側に責任は生じないと書かれている文書が多数引っかかるし、「WHOによる自殺予防の手引き」にも「その際に医師が経験する一般的な反応には、不信感、自信喪失、怒り、恥などがある。患者の自殺によって専門家としての能力や技量に対する自信喪失や名声の失墜が生じる」とあるが、正直なところ実害はないのでは……?
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/tebiki.html
防ぎようのない自殺は確かに存在する。それは専門家である精神科医が一番よく分かっているはずで、医師の間で名声の失墜は生じないのでは?
私の場合は周囲が回復や社会復帰を願っているのではなく仕方なく生活の支援をしているという感じなので、専門家や医療関係者以外の人であっても尚更医師を責める人はいないはず。
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投薬&配置換え
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前に比べれば圧倒的に業務がこなせてる&所属長が理解に努めてくれるタイプ
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よし薬やめっぞ!!
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とりあえず減量したら、服薬やめることによる副作用的なものが出て遅刻と欠勤連発 ←今ここ
会社はすごく良くしてくれる。少なくとも面と向かって「怠け病」とか言われたりしてない。
最悪なことにこれは「病気じゃない」。別の薬で症状を抑えるとかするべきじゃない。
身体が慣れて動けるようになれなきゃ意味がない。
だけど状態異常あった頃の方がまだ出勤率は良かったってどうなのこれ。
やはりまだ薬やめるべきではなかったのか。
でも客観的に見てストレス源はこれ以上ないくらい取り除かれてる。いつやめんの?今でしょ!
カネも保たないし。自立なんとかで安くなるって主治医は言うけど、そのための診断書は超盛って書くそうだ。
そういうのって、なんか、アレだ。医療費抑制とか言ってるご時世なのに。あと普通に気分障害の病名がつくのに抵抗感ある。保険入れないって言うじゃん。
とりあえずせめてこうしてぐずぐず考えるのやめたいんだけど、考えてしまう。
結婚したい、子供がほしい、とか思えないポンコツ人間だからだよ
思いませんが、なにか??
アラフォーに片足突っ込でるから「子供作るなら今しかない」と、はあそうですね。ほしいならね。
思いません。全く 微塵も むしろこんなのの遺伝子残すほうがどうかと思うわ
いや、無理でしょ。金でしょ。なに?あんたが出してくれんの?
いやいや、何の〚大丈夫」ですかね?あなた、私の主治医でしたっけ??
そういえば
あなたの大好きな韓流スター()みたいな顔とスタイルではないけど
かわいい、「いまでもそこそこだけど、痩せたらイケメンの「大きいサイズ専門店」御用達のご子息、
2人もいますよね~。
増田に日記を投稿したついでに見たらトラバが付いていてビックリしました
さて
各都道府県に1か所くらいはあるようです。しかし東京都も1か所とは、時勢がら受講は順番待ちかもしれませんね
具体的には
適当な県のリワーク支援をブラウズしてみたところ、私が受講したのと同じ内容でした
リワーク支援事業で検索したら、一番上位に出た地方自治体は岐阜で
プログラム内容も同じでした
私の場合、準備期間に6カ月、体験受講1カ月、本支援受講3か月
人それぞれ違ってくるのが準備期間で、体験、本支援期間は岐阜のプログラムの通りです
準備期間で何をするのかは、就業を想定した生活リズムができるかです
服薬(真面目に薬を飲みましょう。効くと思えば効くのです)
3食決まった時間
禁酒(自己申告ははは。飲まないと寝れないと思っていたけど、でも寝れた)
決まった時間に寝る
面談で「できていませんね、〇週間後に来て下さい」を繰り返し6カ月もにもなりました
私はお昼過ぎてから図書館に行ったり、ブログ書くために19時までいたり、休職をいいことに旅行に行ったり
勝手に図書館に5時間いればいいのだろうと判断し、生活リズムなどいつでもやれると思っていました
しかし「やればできる」のではなくて、言われたとおりに「やる」なのです
生活リズムはもちろん、指示とおり行動できることが本支援に入れる条件になります
以上が準備期間にすること、そしてできるようにしなければならないことです
★ハードルが高いと考える必要はないと思います、「やる」方法は訊ねればいいのです★
上記以外のことで、前のトラバに書いてあることは本支援プログラムの内容になります
_
こんな感じでしょうか?
私に感謝などする必要はありません、私の方こそ多くの支援を受けて復職しました
虚栄心と無駄にプライドが高い私ですが、受講生互いに愚痴を言ったり、泣き言をすることが
引き続き質問がありましたらどうぞ
(出会った時は体調も快方に向かっており、減薬してました。つまり、治ったと思って後は薬を減らしてゼロになるのを待つのみだと)
(夫は知っていて結婚してくれました)
妊娠のために薬をゼロにしたら、途端にイライラしたり泣き出したりして日常生活が悪化しました。
(主治医は最低、限器官形成期だけ飲まなければいいと言いますが、それを知らなくて排卵期から飲まない方法をとっていました)
私の側から見るともう、夫との関係を取るか、子供を取るかといった感じで。
夫婦関係が悪化したので、一旦子作りはお休みして薬の服用を再開する予定です。
年齢も年齢だし早い方がいいのですが、私がもう夫との会話で以前のようにおどけたりすることができなくなってしまいました。
険悪になることも多く、くっついたりもできなくなりました。
夫もストレスいっぱいの様です。
もしくは、子供は諦めるのかもしれません。
内容はおおまかに、職場を想定した事務仕事に近い作業をする、またはチームでの共同作業も
座学としてストレス対処、コミュニケーションなど。総じてプレゼンテーションも
詳しくはホームページを参照ください
さて
何事にも完璧を求めて、白か黒かグレーじゃダメ、1ナノの違いも認めない、そんな仕事の仕方
10年休職、復職を繰り返し、一昨年に主治医の勧めで自治体の支援室に通うことに
毎日決まった時間に起き、3食べ、禁酒し、日中外出し図書館で数時間過ごすリズムができるまでが半年
スムーズに復職できたのは、生活リズムやプログラムでのストレス耐性訓練などあげられるが
会社側も復職支援プログラムを評価していて、また、ありがたいことに支援室が会社に出向いてくれて
会社との橋渡しをしてくれたこと
質問があったら書くよ
、
実家で母親が読みもせず積み上げているだけの東京新聞で見かけた記事にあった。16日付けの朝刊だ。
「ネットで何が…」と題し、その週にネットで話題となった物事を採り上げる連載記事だ。
その日の記事では古市某の「ハーフは劣化が云々…」発言を話題としていた。
ネット放送で津田某と中川が、古市の発言を題材に話し合い、炎上を防ぐ結論として出たのが表題の言葉だそうだ。
補足して「それは、人種、性別、身体的特徴などに加え、『努力でどうにもならないもの』『自己責任ではないもの』といったことだ。」とある。
果たして本当にそうだろうか?
まやかしはやめていただきたい。綺麗事を言わないでいただきたい。
だってそうだろう?
容姿の良くない者への揶揄は探すまでもなく、そこらじゅうで見付かるではないか。そして全く炎上していないではないか。
それどころか皆が一緒になって容姿の良くない者を馬鹿にし、笑いものにしているではないか。
美容整形を受けないのが「努力が足りない」とでも言うのだろうか?
しかし、整形について主治医に尋ねたが、色よい回答を得られなかったのだ。
表題が真実であってほしいしそうあるべきだと願うが、残念ながらネットの現状はそうではない。
よって淳一郎氏及び大介氏に訂正していただきたい。ネットも現実と地続きの地獄だと。
さあ帰った帰った!
へいへいへいぼ~いず
どんな時もくじけずに頑張りましょう!(時事ネタ)
を受けてたので結果、所感など。
知覚統合 114 処理速度 102
検査者さんからの結果説明とwebで拾い読みした浅い理解の上だと、4大卒ホワイトカラーサラリーマンのほぼ平均値という所であろうか。
検査内容詳細は割愛するが、1回3時間強とかなり長時間集中力を求められるものだったので、
ペース配分を調整するだけでいくらか違う数値が出そうな気もする。
言語性=ようは語学能力?に不安をもっていたので、結果をみるとそこそこ普通だった、という点に驚いたというか少し安堵。
これは何かというと処理・操作のための記憶能力だそうで、複数タスクを覚えてられない、物忘れが多いというような能力に側面してるとのこと。
自分のケースだと「耳から認識した数字に脳内でなんらかの処理をしアウトプットする」というスポット的な作業のみ特別苦手らしい。
これ心当たり存分にあるんだよな。
…人間サボった部分だけ衰えるのが早いのか
それとも元々の性質なのか。
多分両方だと思うな。
日本の教育では聴覚処理能力(例えば英語でいうリスニング)をクローズアップする機会が少ない、という話も興味深かった。確かに。
ところで、なんでこんな検査を受けてきたからというと別に自らの知能を客観視したかったという崇高なことではなく、単にADHDの検査をしてみたら?と主治医に勧められたため。これは後述。
念のため。
で、ADHD的には各能力数値ではなく数値間差を注視するということで、私の場合は各数値に有意性=バラつきが認められるとのこと。
最終的には、まあ平均値内には納まってるしADHDの帰来はあるものの障害認定するまでではないよね、という落とし所らしい。
この辺、各医療機関の判断に差がつきそうなところだとも思うけれども。
自認する能力に対してある一定の数字がでるって興味深いし説得力ある。
弱点は運用である程度カバー出来るし意識的に鍛える事もできるしね。
自分の場合は聞き取った数字を一旦メモするだけで処理能力が格段にちがう。
うつ病診断→一向に回復しない→セカンドオピニオン求めて転院→双極性障害(躁うつ)、ADHDの疑い→各種検査
という流れだったのでした。
因みに保険適用で2000円弱程度(初診費用除く)だったので、興味本位でうけてみるのもいいかも。ADHDの疑いがある、というと受けさせてくれると思います。
双極性障害の検査(光トポグラフィー)もまあまあ興味深かったのでまた機会があったら書きたい。
長文をインターネットに垂れ流すのは初めてだけど割と1000文字とか普通にいっちゃうのね。
最後に。
社会生活に疲れてる人、生き急いでいる人
大変だけど、なんとかゆるりと生きる術を見つけていきたいですね。
どなたかわかりませんが、この文章を最後まで読んでくれた人が万が一いたら。
お付き合いありがとうございました。
http://susumu-akashi.com/2014/01/wais-iii/
いい文章だな。
私が実際に精神保健福祉法違反を実体験したのは10代後半のときだった。
このとき転院した先の私立精神科病院の児童思春期病棟がマジでクソだった。
(任意入院同意書と引き換えに看護師から手渡された「入院に際してのお知らせ」という書面に
「あなたの入院は、あなたの同意に基づく、精神保健法第22条の3に規定による任意入院です」との記載がある)、
これなら精神保健法にもとづき任意入院は自由に退院ができるはずである。
任意入院者が退院を申し出た時は退院としなければならない(21条2項)のが原則であるが、
精神保健指定医の診察のもと一定の場合に72時間を限り(特定医師の診察のときは12時間)
通常、この規定は病状悪化等のため措置入院や医療保護入院等に切り替える準備として利用される
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E6%84%8F%E5%85%A5%E9%99%A2 )
任意入院者が退院を申し出た時は退院としなければならない。ただ例外として指定医が必要と認めれば72時間に限って入院を制限できる。これは
(患者本人へ退院制限を行う旨や患者の請求権に関する事項を記載した書面)で告知し、
任意入院患者が退院の意思を明らかにした時点から72時間以内に限り退院制限を行うことができます。
この72時間以内に、継続して入院治療する必要性を患者に説明し説得を行うことや、医療保護入院へ移行するため家族等から同意を得ること、
( https://www.e-rapport.jp/law/welfare/welfare_2014/welfare_2014_2.pdf )
とあるように、「任意入院患者が退院の意思を明らかにした時点から72時間以内に限り」「入院継続に際してのお知らせ」で告知して行わなければならない。
さて私の場合は
「退院させてください」
「うーん、まだ」
一蹴された。
えっ。えっ。じゃあ
「任意入院患者が退院の意思を明らかにした時点から72時間に限り入院が延長され」「医療保護入院へ移行する」のかな、と思った。
72時間経ったけど何もなかった。書面も告知もクソもなかった。
なにかがおかしい。
ちなみにこのあいだ、クソ狭い病院の建物の外に出たことがない(鍵のかかった閉鎖病棟(はーと))。
余計にメンがヘラりそうだぜははーって感じだった。
さらに1カ月後、言葉の強さが足りなかったかなと思い言葉を変えて診察(週1)に主治医に言った。
「まだダメかな」
やはり72時間経ったけど何もなかった。書面も告知もクソもなかった。
なにかがおかしい。
この病棟にいるのは9歳から19歳までの子ども。6カ月以上入院している患者も全体の1/3(ベッド数30)くらいはいただろうか。
平均入院期間は90日程度です。病状が改善すれば、できるだけすみやかに家庭等へ復帰することを目指しています
( http://www.byouin.metro.tokyo.jp/shouni/section/seisin.html )
そんな押し問答を繰り返し4カ月目、ようやく手に入れた一人での外出許可でそのまま脱走した。
いや、「無断離院」した。
このときは外泊扱いになり、帰って来いとの話になったが無視した。
退院できた。
えっ!?
入院中疑問に思ったことがある。ナースステーションで覗き見した名簿では9割方の人が任意入院。
中には病院から学校に通う人まで。みな長期入院している。1年以上いる人も。居住施設じゃんそれは。はやりの社会的入院ですか。
そして入院中同い年の任意入院患者から聞いた言葉。その人もやはり学校に通いながら入院する長期入院者。
「親さえ説得すれば退院できる」
- 精神保健指定医による診察の結果、精神障害者であり、かつ、医療及び保護のため入院の必要がある者であつて当該精神障害のために任意入院が行われる状態にないと判定されたものであること(33条1項1号)または34条1項の規定により移送された者であること(33条1項2号)
- 家族等のうちいずれかの者の同意があること(33条1項柱書、33条2項)または居住地の市町村長の同意があること(33条3項)
- 入院の告知(33条の3第1項)
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E5%85%A5%E9%99%A2 )
要するに家族と指定医の間でこうなんかうまい具合にされちゃってる入院形態じゃないですかね!?
そして別の任意入院患者が興奮し保護室(隔離)に連行されていく(それはまさに連行だった)シーンを見て疑問に思った。
その患者は3日間保護室に入れられていた。もちろん同意などない。
あれ!? 任意入院患者の隔離は12時間に限ってできるんじゃないですかね!?
主治医に診察で疑問を直撃!すると……
あとは「定期病状報告書」を都道府県に定期的に出さなければいけないのだ。
これのチェックが意外と厳しいのではと思った。
退院制限や隔離拘束を行うなら医療保護入院、もしくは措置入院(→都道府県の命令による入院)に移行すべきだ。
でも医療保護入院は
当該精神障害のために任意入院が行われる状態にないとは、単に任意入院に同意しないことを指すのではなく、病識がないとか判断力が低下しているといった、入院治療の当否を自己決定するについての能力不足を必要とする。逆に、こうした能力不足があれば、たとえ表面的に同意ととれる行動があっても任意入院を行うことはできない
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E5%85%A5%E9%99%A2 )
ハードルが高い。たぶん。
統失だって診断したくせに、県立病院に変えたらADHDだったじゃん!
おわり。
先週金曜日、12wにして血液検査により稽留流産の診断がおりた。
先月初旬から、胎嚢が育ってない週もあり、宣告されたときは「ああ、やっぱり」と思った。
1ヶ月以上時間与えられたものだから、少し気持ちの整理が出来たからかもしれない。思ったより冷静に宣告を受けれた。
そして今日12/11、日帰りで子宮内除去手術(そうは手術)を受けてきたのでここに可能な限り情報と経過を記す。
手術を受けるその時まで、ずっとネットで同じ手術を受けた方の体験記を読んでだいぶ助かったところもあったので。
夫、私とともに20代後半。出産・中絶経験なしの今回が初めての妊娠。
10月下旬に妊娠検査薬で陽性が出て、病院でエコー検査により妊娠確定。
最終生理開始日を妊娠0日と換算すると、宣告時は12w。ただし生理周期が不定期なため、実際の排卵日(2wと計算される)は予測不可。
11月初旬から胎嚢の大きさは7~9wの間で変化。卵黄嚢は確認できるも胎児・心音ともに確認できず。子宮内で出血のようなものが見られ、2週間ほど止血剤を飲んだ。
2週間ほど前から繋留流産の疑いあり、基礎体温をつけた。36.3~36.6の間で高温期にはなっていない。つわりは継続中。
確定させるために先週月曜日と金曜日で血液検査を実施し、HCGホルモンの数値(安定期にまでは絶対に下がらないもの)を確認。この間ホルモンの値が下がり、診断。
1周間経過観察をして自然流産を待つものの、出血もなくこれ以上待っても母体へ影響がある場合を考え手術を決断した。
自然流産を推奨する医者もいるので、そこはどちらが自分にとって良いか、よく医者と相談するべきだと思う。納得出来ないときはセカンドオピニオンもおすすめする。
私は、自然流産でもかなり痛みは伴うし、いつ始まるかわからない上完全に排出しきらない場合もあり、そうなると結果手術は避けられないというデメリットが大きいと思ったので手術に踏み切った。
この時間から絶食。水とお茶に限ってはごくごく飲まなければ当日6時くらいまでならおk。
18:30頃に、その日来てくれていた実家の母が取ってくれた特上寿司を夫と2人で食べていたので、お腹は満腹。
ただ自由に飲めないという制約のせいか微妙に喉が乾く。ごまかすために歯を磨いたり口を濯いだりする。
手術したその日は入浴もシャワー浴もできないため、念入りに洗った。
手術への半端な知識のせいで、痛みへの恐怖が拭えずほぼ不眠。時折ウトウトする程度。この時間に布団から起き上がる。
夫が朝食を食べている横で、着替えを済ませ準備物の確認。()は個人的に用意して役に立ったもの。
・手術同意書
・サニタリーショーツ
(・袖がない綿入れ)
水筒がなかったので、ペットボトルを用意した。寝ながら飲むことになりそうと言われたので、ストローつきのキャップを事前に購入して装着。100均などで買える。
着いたと同時に、今日1日過ごす部屋に通される。隣は手術室。
セミダブルサイズのベッドで個室。待合室も兼ねているので、夫がくつろぐスペースもありありがたい。暖房がきいてとても暖かく快適だ。
入院着に着替えて診察室へ。
点滴(ラクテック)装着。血管が細すぎる上、つわりのせいで栄養状態が悪く、利き手じゃない方に4回入れて失敗。手の甲に失敗されるのはやっぱり痛いぞ。
以前入院していたときも同じことがあったので、利き腕の関節にある静脈に挿してもらう。針がずれないように腕を固定しないといけないから嫌がられるけれどしょーがない。
利き手が固定されてスマホいじりづらいなーって思っていたら、主治医の先生に呼ばれ内診へ。
経膣エコーで再度子宮内を確認、前回と胎嚢の大きさ変わらず7w程度しかない。卵黄嚢は見えても胎児や心音はやっぱり確認できず。
そのまま前処置開始。
麻酔なしで子宮口にラミセルをつっこむこの処置、とにかく痛い、激痛と評判で、これだけはしょうがないから頑張れと言われたもの。
ラミセルとは時間が経つと膨らんでいく性質のもので、子宮口を開くときに使うものである。同じ役割を果たすものとして海藻が成分のラミナリアがあり、後者のほうが一般的だ。
ラミセルを使い、普段赤ちゃんが出てくることのないよう固く閉じている子宮口をゆっくり開き、手術中に器具が入りやすい状態へ導く。男性は、体の中にある肛門(大便が漏れないよう固く閉じているイメージ)を器具を使って開くと考えるとわかりやすいのではないか。
先生が「今から入れるよー」と言った瞬間、なんとも言えない不快感。
痛い?ような?でもとにかく気持ち悪い。思わず「先生痛いよ~」って言ってしまう。
「◯◯さん不安そうな顔していたけど、この処置が怖かったでしょ~?色々調べていたみたいだからねえ。大丈夫もうすぐおわるよー」「がんばれがんばれー」と先生や看護師さんが話しかけてくれて気が紛れた。これはものすごくありがたかった。
数分と経たずに前処置終了。何本入れたかは敢えて聞かなかった。緊張が一気にほぐれて饒舌になる私。頑張ったねーとほめてくれる先生、いい方である。
待合室で待っていた夫が「一気に顔色良くなったね」と笑う。
ラミセル挿入後は、評判通り生理痛のようだ。私は生理痛がかなり重い方で、これなら普段より軽いくらいだな~と感じた。ずーんと重いけれど、寝転んでいれば耐えられそうな感じ。
病室へ戻りベッドへ寝かされる。鎮痛剤いる?と聞かれたけれど我慢できそうだったので断った。
今日は外来(個人病院で婦人科の他に内科もやっている)が多いので、そちらが少し落ち着いたら手術を始めますと言われた。なんとなくそうだろうなーと思ったので軽く了承。
うーん、我慢できるとは言え痛いなあと思いつつ、寝転がるより体を起こしている方が楽だと気づきそうしていると、途中点滴の様子を見に来た看護師さんにびっくりされた。
寝てていいんだよ!?って言われたけれど、体起こしている方が楽で…って言うと、背中が楽になるように枕をもう1つ持ってきてくれた。親切だな~。
その後は夫と2人でぽつぽつしゃべりつつスマホいじって時間を過ごす。暇な時間が多いと予測されたので、文庫本を持って行ったが正解だった。病室にテレビがなかったし。
待つ時間が結構長い。いつ呼ばれるかわからないので外出も出来ない。付き添う旦那がお腹空くのではないかと気の毒だったので、パンでも持ってくるんだったなーって思った。
午前中の外来が終わったようで、手術室へ呼ばれる。トイレを済ませ下着まで全部脱いで行く。
やぱり麻酔かけるとはいえ緊張してくる。手術台へ上がると、心電図をつけられ、両足を開いて固定したところで主治医の先生がいらした。
「静脈麻酔をかけるけど、前に言ったとおり血管痛があると思います。でもその後は大丈夫だから安心してね」
「はい」
「じゃ、入れます」
点滴に何やら先生が注入した(術後説明でソセゴンとセルシンと判明)
痛くなるよー、と言われたけれど感じられず。ここ数年注射は慣れっこだから鈍感になったのかな?と思ったところで上半身がカッ!と熱くなった。
以前肩こり解消のために処方された薬を飲んだ時のようだ。筋肉が弛緩しているのを感じる。
まったく眠くならない。むしろ意識がはっきりしている。あれ?いつ意識落ちるの?と思いつつも、そのうち落ちることに期待をしていた。
しかし。
「お腹ちょっと冷たいよ」と先生が言って少し経った後、子宮付近?とにかくお腹の中に激痛。さっきの前処置とは比べ物にならない。
と言うも止まってくれない。そうだよな…と冷静に思う自分はいるけれどとにかく痛い。ギリギリ我慢できないほどの疝痛。
「◯◯さんがんばって、ごめんね、もうすぐ終わる、綺麗に取れるよ」
「◯◯さんもうちょっとだよ~」
先生も看護師さんも励ましてくれている中、お腹の中で何か動いて吸い取っているのがわかった。かき回される感じもする。
ようやく終わった。
麻酔、効いてくれなかった…………
病室へストレッチャーで運ばれる。夫の心配そうな顔が見えたけれど何も言う気力がなく、手術が終わった後もお腹はズキンズキンと痛んで泣きそうになりながらベッドへ移される。子宮が収縮しているようだ。
「ちょっと麻酔がうまく効かなかったみたいで、もう少ししたらお腹の痛みも落ち着くと思いますが、耐えられなくなったらナースコール押してください」と夫か私かに説明する声が聞こえた。
大丈夫?と撫でられるが答えるのも嫌で首をふる。手を握って貰ってひたすら丸まって痛みに耐えた。
なんで麻酔効かなかったんだ、なんのための麻酔なんだよ、と悲しさが頭をぐるぐる回る。
しかし、しばらく目を閉じていたら、少しずつお腹の痛みを癒え、起きることができた。
1時間位して看護師さんが見回りに来た時は、喉が乾いているんで持参したお茶飲んでいいですか?と聞いてたくらいには元気に。
枕もなく寝転ぶのがきつくて、枕を使う許可求めたけれど両方ダメ。ぐぐると麻酔後はどっちも落ち着くまでは喉に何かをつまらせたり気管を圧迫する恐れがあるためダメらしい。
おまけに前日夜から絶食してることもあってお腹も空いてきた。帰ったらカツ丼かラーメンかカレー食べたいなと考える。
途中看護師さんがトイレの介助に来てくれたが、殆ど助けもいらずスタスタ歩けた。ふらつきもなし。
そのご先ほどと同じように元気になってから2時間くらいは、夫としゃべりつつ先生の診察を待つことに。
主治医の先生が病室へいらして、診察と手術後の説明に。膣に入れてたガーゼを抜いてくれるとき、申し訳ないとひたすら謝ってくれた。
「私不運でしたねえ」
「我慢してくれたおかげで、子宮内は綺麗に取ることができたよ」と、手術後のエコー写真(いつ撮ってたのかわからないが手術後すぐに撮ったっぽい)とカルテに記載してくれた図をもって詳しく説明してくれた。
「この後出血が続くけれど、正常だから。薬出しておくので1週間後にまた来てください」とのこと。
術前の説明だと4日後だったけれど延びたらしい。やったぜ。
薬の内容は、止血剤(トラネキサム酸・オダノン)と子宮伸縮薬(メテルギン)と抗生物質(セフジトレンピボキシル)。
「しかし、麻酔後にこんなしっかり受け答えできてふらふらしたり嘔吐したりしないのってすごい」と感心された。術後の具合悪さは覚悟していたのだが、まったくない。
まあ、痛みが取れなかったのと考えればプラマイ0かなあと考えることにした。
前回の診察後に総額2万弱だろうと言われていたが、実際は薬と合わせて1万程度だった。
主治医の先生は、初診の頃から雑談を交えて親しげに話してくれる方だった。
色々勉強してくる妊婦さんは好きだからと、質問をしたり、経過観察のときに症例を挙げて詳しく説明してくれたり、いい先生に巡り会えたと感じる。
ただ、今回の手術を説明する用紙にデカデカと"人工中絶手術"と書いてあって閉口した。今回私が受けた手術とやり方が同じということは事前に知っていたとはいえ。
慌てて看護師さんがその文言を消してくれたが、書式2つ用意しておいたほうが神経質な妊婦さんにはいいのではないかなと思ったり。
手術も蓋を開けてみれば、一番怯えていた前処置より子宮内除去のほうがよほど痛くてびっくりした。
麻酔かからず激痛だった方の体験談は読んでいたけれど、かなり稀なパターンと聞いたのでまさか自分に降りかかると思わなかった。
私自身アルコールはかなり弱いし、アルコール弱い人は麻酔にかかりやすいはずなのになあ。
耐えられたけれど、もう二度と経験したくない。
今これを書いている現在、じわじわと子どもを亡くした悲しみが襲ってきている。正直のところ今日までは手術の痛みの恐怖に怯え、悲しむ余裕がなかった。
初期流産の殆どの原因は染色体異常によるもので、母体がどうだったとしても防げないものだとは説明を受けた。
母も双方の祖母も、叔母も流産経験者で、おまけに義母もそうだった。知らないだけで経験してる方は多いのだなと思う。前もって知っていたので、何で私だけ!というショックは少し和らいだような気がする。
妊娠中、コウノドリという産婦人科医の漫画を読んだこともあって、子どもが無事に生まれてきてくれるというのは奇跡だなと身を持って知った。
初めて流産の疑いがあると言われ、怯えて過ごし次の週検査に訪れた時胎嚢が育っていて大喜びして泣いてしまったことがある。
そのとき先生が「産んだ子どもが成長していく過程で、やれあの子より成長が遅い、あの子より成績が悪いと嘆くことがあるだろうけれど、その時無事に育って生まれてきたときの喜びを思い出してみてね」と言ってくれた。