はてなキーワード: 上家とは
今日は寝られない。その理由は簡単で、いつも飲んでいる常用薬を飲んでいないからだ。
その常用薬には副作用がある。眠気が出るという副作用だ。その眠気が酷いために、普通なら朝晩で飲むところを夕食後と寝る前という変則的なスパンで飲むことになった。朝の薬の副作用の眠気で社会生活が送れなくなったためである。
しかしこの処方は非常に良く、夜の浅い睡眠も改善されることになった。
そして今日はこの薬を夕食後、寝る前と共に飲んでいないため、寝られないのだ。
なぜ今日は薬を飲まなかったのか?その答えもやはり薬の副作用にある。
この薬には、もう一つの副作用があった。むずむず脚になるという副作用である。むずむず脚と聞いて思わず笑った方もいらっしゃるのではないかと思う。しかしこれはそれなりに深刻な副作用なのだ。
むずむず脚というのは俗称であるが、医学的な根拠が全くないものでもないらしい。検索するとそれなりの数の結果が出てくる。この病気の主な特徴は以下の点だ。
・脚の不快感がひどく、じっとしていられない
・夜寝る前などに出やすい
自分の場合この3点全てに当てはまる。ただでさえ夜に出やすい症状なのに、夜にまとめて薬を飲んでいるため大ビンゴ、といった感じなのだ。
この不快感は大変にひどく、自分は一旦症状が出ると、呻き声をあげながら布団をのたうちまわることになる。そしてそののたうち方といったら大変うるさく、寝ている家族が起きてしまうほどだ。
何度もこのむずむず脚で家族を起こしてしまう。家族は大変に理解があり、薬の副作用でこうした症状が出ることを十分承知の上で、こちらを責めてきたりはしない。
しかし、翌朝になると眠そうにしている家族を見ると心が痛んだ。
昨晩も症状が出て非常に喚きのたうち回り家族を起こしてしまった。そして今日になり、家族が提案してきた。こんなに副作用が辛いのなら薬を飲むのをやめてみたらどうかと。
その提案は、家族に迷惑をかけていたのかもしれないという確信を強くした。
子供は可愛いけどとにかく自由な時間がなさすぎてなんのために生きてるんだかわからなくなる。
俺か嫁が子供を保育園から連れて帰ったら二人で急いで夕食作ってみんなで食って、ちょっとしたらもう夜9時前。そこから急いで子供を風呂にいれて、着替えやら歯磨きやら終えたころにはもう10時。。。そっから妻は子供と寝落ちして(俺が添い寝すると狂ったように泣き叫ぶから無理)俺は一人で食事の後片付け&弁当準備&汚れた服の洗濯&洗濯物たたむ。。。。
終わった頃にはもう12時過ぎだっつーの。俺が風呂はいる時間すらないのでちょっっぱやで2日に1日にシャワーだけ浴びてもう寝るだけ。んで朝7時には起きて嫁が化粧してる間に朝ごはんつくって子供に朝ごはん食わして着替え&オムツ替えて。。。
週末も買い出しや子供のイベントで全部潰れるし、まじ共稼ぎ家庭ってみんなこんな感じなの???
嫁もいっぱいいっぱなのはわかるからこれ以上家事させられないし、俺もスキルアップの勉強とか読書とかリラックスの映画楽しみたいのにそんな時間ぜんっぜんない。冗談抜きで今の会社をクビになって失業手当もらってる最中くらいしか自由な時間つくれない。
ぶっちゃけ会社で残業している連中が羨ましい。俺も仕事がクソ忙しいときは嫁にお願いして会社に残っているけど、作業の合間とかに近所のコンビニで軽食かってそれ食べている間に読みたかった漫画とか動画楽しむのが唯一の楽しみ。だって家だとトイレでクソしている時くらいしかゆっくりできないもの。
あー今日も1日が始まる。
今回はガンガンオンライン
いきなり仲の良い女子アピールの打算から始まって、その打算があくまで異性を意識していること前提なのが、生きている世界線が違いすぎるなあ、と。
そんな打算的な部分を正直に吐露している時のほうが好きだという同級生に対し、そんな自分が大嫌いと屈託なく言ってのける、この一連のやり取りを四コマでさらっとやっているのが驚きだ。
気に入ったシーンは、男子3人組がニヤニヤしながら女子に絡んで、女子は何も言っていないのに勝手に自己完結して退散していくところ。
話題の相手を置いてけぼりにして、無駄にハシャいでる感じが微笑ましいと共に、青臭さ全開で妙に生々しかった。
25話はカモメの回想。
この漫画全体の作風にいえることだけれども、恋愛絡みになると途端に面倒くさい観念的なものを出すよね。
恐らく愛情以外の様々な「情」を絡みつかせて、それに対して明確な是非を作中で提示しないから、ヤキモキするんだろうなあ。
そういう情や弱さに対して、作中で肯定はしないけれども否定もしなくて、やや前向きに描写しているようにすら見えるから、鼻につくって側面はあるかもしれない(こういう人格の複雑さからくる人間ドラマの面倒くささって、私としては大好物だけれども)。
それが過剰だったり微妙にズれていることでコメディになりつつも、功を奏するっていう展開がいい。
最近気づいたんだけれども、蟻馬のポジティブぶりに比例するかのように、周りの毒気が強くなっている気がするんだが。
それにしても、相手の本音を引き出すためにとる方法が、吉本新喜劇でよくある芝居展開っていうね。
そういう点で、蟻馬はポジティブではあっても純粋な人間ではないのか。
雨で濡れているせいなのか、妙な勘繰りをしたくなる構図が中盤に多かったね。
いつも百合っぽいなあと思っていたが、冷静に考えてみたら別に百合でもないんだよね。
1ヶ月ほど経過して気持ちの整理が付きかけたので書く
実家に帰ると姉が長期旅行に出ていた、もう1ヶ月以上家に居ないらしい
東京に帰る前日、姉の近況を聞かされた
・昨年末に結婚相手を連れてきたがそれきりなんの進展もなさそうだったということ
・マルチ商法っぽいことにひっかかっているのではないかということ
封筒にかかれている団体名を検索するとカルトっぽい匂いがぷんぷん(○○被害者の会とか集団訴訟とか
それで「ああ変なものに引っかかったんだな」とおもったが別に引き戻そうという気にはならなかった
姉は家族でもはみ出し者で、俺が実家に居たときでも俺含め家族とは殆ど会話はなく、仕事から帰っても部屋に居るばかり
俺が地元を出てからもそれは続いていたようで、結婚もせず、かといって自立するでもなく実家に寄生する生活をおくっていたようだ
実家での最終日に母から姉の相談事をされ、それなら確かめてスッキリしたほうがいいのではないかと姉の部屋をさぐってみた
姉の部屋など高校時代に小沢健二のアルバムを黙って借りて以来忍び込んだことはない
俺にとって姉はやたらとツンケンして黙ってるか、金切り声を出すかのめんどくさいだけの人間でしかなかった
姉の部屋に入ると老人夫婦の写真が入った写真立てがテーブルにおいてあった
母曰く、この写真を拝んでいるところを何度もみたとのことだった
本棚にはあの時無断で拝借したCDの他に、いかにもマインドコントロールされてる人間が好みそうな自己啓発本数十冊
(というか、どうしてこの手の人間は「数十冊も読んでまだ足りない時点で自己啓発本に意味がない」事に気づかないのか
写真立ての中の写真や本棚を写メで取り、後で本の題名を調べてみた
10年以上前にあれこれ騒がれたカルト教団関連のものだった、しかもその教団自体が発行しているもの
こいつらに拝んでんのかよ、イカれてんなとおもいつつ、まあもう10年以上会話もしてないしどうでもいいかと思った
とは言えここ数ヶ月家を離れているというのが気になり、本棚の写メに映る題名からヒントになりそうなものを検索していった
するとその教団には集団生活をする施設があるというのを見つけた
そこのウェブサイトの集団生活に関するページを見ると、写真の中に姉が写っていた
マジかよ、いや、何となくそうかなと思ったけどこんな感じで分かっちゃうのか
っていうか数年ぶりに顔みるのがこんな形かよ
なに質素な服着て似たような幸薄そうな奴らと集団生活してんだよ
っていうか集合写真に写ってるけどよーくみるとお前他の奴らとちょっと距離あるじゃねーか、治ってねーじゃねーかよ
「一族からタタリ神がでてしまった」っていうオッコトヌシさまの気持ち今なら分かるわ、クソったれ
俺まだ結婚してないのにな、兄弟にカルト信者がいるとかマジ瑕疵物件じゃねーか
正直姉の目を覚まさせて家族に帰ってきて欲しいとか全然思わない
もともと仲良くないし、姉のために1ミクロンでも労力を割きたくない(カルトから脱会させるのって労力いるんでしょ?
姉が稼いだ金であればどれだけ吸い取られても別にどうでもいいし
あちらにそういう共同生活施設とかあるならさっさとそっちで暮らして欲しい(無いと思うけど
公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので
見るかどうか迷ってる人に向けて
ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので
正直予想を遥かに超える良い作品でした
キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて
一般的に物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが
このような加害者と被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正面から
まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました
原作はシナリオに大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています
この話は、もし小説だったなら学校の図書室に置いてありそうな話です
もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし
物語は主人公の石田将也が自殺を図る意味深なシーンから始まり、
どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。
障害を持った児童が普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。
やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます。
石田も、何を考えているかわからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり
途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。
しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます。
それどころか、今度は仲の良かったクラスメイトが石田をいじめのターゲットとするようになります。
その石田に、いじめられていた西宮だけが優しくしようとします。
しかしその行為が理解できず、石田はさらに西宮に辛くあたるのでした。
石田は小6から高3まで「いじめっ子だから近づかない方がいい」という理由でいじめられます。
それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定と人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。
人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。
そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。
要点
疑問
最初は石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます
すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます
「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」
そんな感情はラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです
このモヤモヤ感は是非味わってほしいです
その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程が面白いです
小学校時代の西宮登場前と後、高校時代の西宮登場前と後と、フェーズが多く
その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています
周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです
西宮と他の者、石田と他の者の距離感が一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います
バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります
でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね
永束くん
私は、特別、障害者に対して差別意識を持っている人間なわけじゃない。
生まれて初めての「発作」は、かれこれ30年ほど前、まだ8歳だったときに遡る。
それ以来、騙し騙し生活してきた。
食べ物を受け付けなくなり、倒れて、点滴に通ったりもした。
それでもなんとか大学まで進み、もうすぐ卒業か、っていうところで限界に達した。
車に乗れない。
当然、電車にも乗れない。
大学は1年休学後、退学せざるを得なかった。
精神病棟は怖かった。
昼夜問わず聞こえる奇声、隣のベッドの女の人は寝てるとき以外は始終ぶつぶつと独り言を言っていた。
こんなところにいたら余計頭がおかしくなる、と思って、早々に退院した。
今は、家族の運転でなんとか通院して投薬治療を続けている、けど、未来に対する希望はない。
大学に通えてるときは、このまま順調に大学卒業して、就職して、普通に生活できるのかな、なんて思っていた。
大学は、県内でも一番の国立大学に通っていた。いわゆる、「旧帝国大学」のひとつだ。
でも今では、引きこもりだ。
重度の引きこもりってわけじゃない。母にくっついて買い物くらいは行く。
でも、一人ではどこにも行けない。
いつくるかわからない発作に怯えて、通常飲む薬とは別に処方されてる頓服を肌身離さず持っている。(家の中でも)
夜中に、発作で飛び起きることもある。
過呼吸と動悸、幻聴なのか幻聴じゃないのかはっきりしない話し声。
家の前で誰かが立ち話をしてるのが聞こえて何度も確認にいくけど、もちろん人影はない。
でも、少しでも生活サイクルが狂うと、たちまち具合が悪くなる。
だから、季節の変わり目なんかは怖い。ちょっとした気候の変化が体調にダイレクトアタックしてくる。
もうすぐ38歳になるのに、結婚はおろか、ちょっとしたバイトさえ出来ない。
だから、生きてることに罪悪感を感じている。
高齢の親は、自分たちがいなくなった後の私の心配ばっかりしている。
1歳年上の兄は、親の死後は自分が面倒を見なきゃいけないと思っていて、長く付き合った彼女との結婚を諦めた。
そんなことしなくてもいい、生活するだけならなんとかなる、と言っても、たぶん家族の心情としては、放置出来ないんだろう。
私が、明らかに重荷になっている。
友達はいない。もうみんな結婚して家庭を持っているから、連絡は絶えた。
彼氏なんているわけない。そもそも外に出ないんだから、出会いがない。
そんな情報をネットで見たから。(精神疾患の場合は駄目っていう情報もあるけど)
日本だって、そろそろ、安楽死を認めてもいいんじゃないの、って思う。
死にたいとは思わないけど、自分がいなくなれば少なくとも家族の負担は減らせると思っている。
だから、病気だとかそういう理由のある人には、安楽死、認めてもいいんじゃないの?
自分が苦しいって言うのもあるけど、それ以上に、家族の、とりわけ兄弟の人生まで奪うのは、辛い。
いっそ血も涙もない兄弟で、こんな出来損ないの妹なんて気にせずさっさと家を出て結婚するような人間ならよかった。
そんなふうに思ってる障害者もいるってことも、知ってほしい。
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手足がないわけじゃないからさっさと自殺しろ、という人がいるけど、これ以上家族の負担になりたくないから(法的に認められた上での)安楽死を望む、という意味を理解できませんか?
もちろん、自殺は難しい。
世間の目、ご近所の噂話。
死んだあとまで家族の負担になりたくないと思うのは自然なことじゃないかな?
でもね、行動が極端に制限される中、そこまでたどり着けなかったよ。なんとか新幹線まで乗り込んだものの、新幹線の中で意識失って、気がついたのは病院。
ブコメした本人が、自殺したいけど手足がないから(不自由だから)自殺もできない人だったのなら、同じように安楽死が認められるように頑張っていこうよ、と思うけど。
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http://anond.hatelabo.jp/20151005175917
の続き
「心が叫びたがっているんだ」を語るにあたって、最も欠かせない部分。それは学園パートではなく、家庭でのシーンにあると思う。
意外に思ったはずだ。学級会議で突然歌い出した成瀬に対するクラスメイトの人間的にまっとうすぎるリアクション。そしてそもそも成瀬のような生徒がいじめられていないクラスという環境。最初の印象は「やさしい世界」そのものだった。
しかし一方で、私はこのクラスの環境について、全くのファンタジーだとも思わない。私自身、近い環境は経験したことがあるからだ。私は高専という5年間同じクラスで学生が生活をし、工業系ということでオタクばかりが集まった中で学生生活を送ったことがある。それがちょうどあのクラスの環境に似ていた。いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
ともかく、「やさしい世界」的に描かれた学校のシーンは、とても淡泊なものとなった。これはいじめ描写を除外することでその他のドラマに描写を注ぐためだったのだろうと思う。(本当は少し違うと思うのだが、後述する)
そのドラマとは当然青春ラブストーリーもあるが、それよりも重要なのは家庭のシーンだったと考えている。
まずは描写も直接的でわかりやすい成瀬の家庭について説明する。
まず、女手ひとつで子供を養うために母親が就いた仕事が「保険の勧誘員」というところ。ある程度年齢がいった女性が中途で採用される職業で、比較的安定しており生活が成立する収入を得られるものとして、典型的なものだ。彼女らの仕事は半歩合制であることが多く、望む収入によって仕事の量が変わってくる。夫婦共働きなら昼間だけつとめれば良いが、一般的サラリーマン並みを一人で稼ぐとなると残業は当たり前で、劇中のように帰りが遅くなることが多いだろう。
そして、母が在宅していない時、成瀬一人で自宅にいるときの「明かり」の付け方。あれもものすごく写実的だ。リビングのうちシステムキッチンの明かりだけつけて最低限の明かりを確保するだけ。ひどくリアルだと感じた。これは単に成瀬の暗い性格を表す演出というだけではなく、親が出かけており子供一人で留守番をしている光景として、典型的なものだと思う。電気代を節約して家計に貢献だとか、そういうことでは恐らくない。単に子供一人にとって、一軒家が広すぎるからだ。どうしても明かりは最低限となり、家全体で見たとき、点々と明かりがぼんやりとついているような状態になるのだ。何も片親だった人だけでなく、夫婦共働きの子供だった人なら思い当たるところがあるだろう。
車の音やインターホン、他人や親の気配を感じてびくりと身構えるあの感じも、そのものを写し取ったかのような正確さだと思う。
片親の親、あるいは子。共働きの親なら胸が張り裂けるような描写であっただろう。
登場人物のうち、自宅の描写があるのは成瀬と坂上だけだが、坂上が昔ながらの一軒家の形式に対して、成瀬の家が異なっていることはすぐ気づくところだと思う。
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
そこでまもなく彼女の意図しない密告により、両親の関係は決裂してしまうことになる。母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
建物一つの描写をとっても、このように彼女が今に至るまでで、そうなってしかるべきであったという状況が、写実的に示されているのだ。
この状況は、成瀬本人にとってはもちろん、母親にとっても過酷だ。母は成瀬に対して辛く当たるひどい親として描写されてはいたが、彼女の立場に立ってみれば、同情を禁じえない境遇といえるだろう。
坂上家で成瀬の母が「娘がおしゃべりで電話代がたいへん」なんて見栄を張っている描写もあったが、恐らく彼女は仕事場でも同じ嘘をついている。
典型的な母親のつく仕事である「保険の勧誘員」という職場において、子供の話題というのは避けて通れないものだろうから。
「心が叫びたがっているんだ」という映画。うわっつらはありきたりで平和な青春ラブストーリーであるが、このように少し掘り下げるだけで緻密で残酷な描写がちりばめられている。
しかしこれだけではない。行間に隠されてはいるが、物語の読解に重要なもう一方。勝るとも劣らない残酷な描写がある。
それはもちろん坂上の家庭環境だ。
坂上は父方の祖父母の元で生活している。そこは父親の実家であり、本宅でもある。しかし父親は家には寄りつかず、事実上は別宅みたいな扱いになっている。坂上の両親も成瀬の家庭と同じく離婚しており、母親が居ない片親の環境。子供の世話は父の両親、坂上からすれば祖父母に任せっきりだ。
以上が物語上で語られ、描写された内容ほぼすべて。祖父母が居ると言うことで、成瀬の家とは異なり暖かい明かりに包まれており、表面上とても平和に描写されているし、事実、平和なのだろうと思う。
しかしこれらの「行間」には、特に現役の父親にとって、致死量のカミソリが仕込まれているのだ。
それは、直接的には描写されない坂上の父親の影を追っていくことで明らかになっていく。
まず、成瀬が初めて坂上の家を訪れたとき通された父親の部屋。あれで一気に、坂上の父親の像がはっきりする。
普通の一軒家に見える家屋の二階に突如出現する、完全防音の音楽室。典型的な趣味人の部屋だ。防音設備など普通のサラリーマンでは考えられないような出費を伴うものだ。そもそもがあの家自体、広大な土地がある北海道において「坪庭」など、まさに道楽者そのものだと言える。※坪庭というのは家屋の中に四角く切り取った庭をこしらえたもの。本来は土地の限られた京都などのような所でふさわしいものだ。
そこから推測できる父親像はつまり、かなりの収入を得ている人物。さらに推し量ると恐らく音楽関係の業界人。それも相当名の高い人物と考えられる。
坂上は幼少期いやいやピアノを習わされた。しかし次第に夢中になり、ピアノに専念したいから私立校に進学するのはいやだと母親の勧めを突っぱねることになる。彼を擁護する父親、反対する母親。それが坂上の両親の離婚の原因になったという。しかし言葉の上では確かにそうかも知れないが、少なくとも現代の日本において離婚はまだそこまで軽々しいことではない。子供の進路についてもめることはどこの家庭でもあることだし、私はそこまで致命的な問題ではないと思う。
恐らく坂上の母親は、その件がきっかけで堪忍袋の緒が切れたのだ。家庭を顧みず、父親ではなく趣味人としてしか生きない男に。
男の片親。子育てを彼の両親に一任して自分は仕事に専念する。頼れる両親の健在な父親にとって、至極妥当な選択かつ、リアルなものに感じる。恐らく音楽の業界人ならば、仕事は都心のことが多いだろうし、それは当然家庭にほとんど寄りつかなくなるだろう。それに、当人にしてみれば、苦言を言う妻という存在がなくなり、以前よりよりいっそう父親の任を感じることなく趣味の延長のような仕事に没頭できるようになったのだ。坂上の祖父母はとても温厚だ。孫相手だというのもあるだろうが、坂上父のこれまで推察した人物像から考えれば、彼もまたこの二人に甘やかされて育ったのだろう。
今の彼は、もう一度独身貴族を楽しんでいるような感覚でいるかも知れない。「お子さんいるんですかぁ?信じられなぁい」なんて言われたりして。
父親が習わせたピアノで、坂上は母親を失うことになった。少なくとも表面上の因果的には。
しかし恐らく、父はそれについて罪の意識は抱いていない。そもそも、ピアノを教えたことが正しかった、間違っていたの葛藤すら抱いていないと思う。
ピアノを習うことは彼にとって当然だからそうしただけのこと。彼は自分が息子に与えた影響というものを全く意識していないのだろう。そもそも、父親としての自覚が希薄だから。
息子の坂上自身について考えてみよう。公式サイトにおいての彼のキャラクター紹介はこうだ
まるで平凡で人畜無害な子供のような説明になっているが、本編を見れば明白なとおり、事実とは真逆だ。
まずクラスでの立ち位置。無口でエアー的に振る舞う様は説明の通りではあるが、実行委員に選抜されたあと、坂上は学級会議の司会を堂々とつとめている。それを受けてのクラスメイトの態度、そして平時からのDTM研での扱い。これはいわゆる「表立って目立つタイプではないが一目置かれてるタイプ」の生徒のそれだ。成瀬や仁藤を除いても、もう一人や二人くらい、彼を思っている女子がいてしかるべき立ち位置に彼は居る。これは上で説明した彼の家柄によるものと考えることもできるが、彼の振る舞いを観察すれば、なんとなく推測できるところがある。
まず、その人格が常軌を逸している。言うなれば英雄的なところ。
完全に異常者である成瀬に対して、彼は最初から一切、一ミリも物怖じすることなく接した。普通にできることではない。彼の異常性というか、異端、あるいは抜きんでた人格を表していると思う。
「やさしい世界」のクラスメイトも成瀬に対して差別的な態度はとっていなかったものの、進んで接触するようなことはそれまでしなかった。
そのハードルを素知らぬ顔で乗り越える。というより、彼自身の異常性のためその特別さに気づいていないだろうところ。彼が一般人とはかけ離れている描写だと思った。
そして音楽の才能。
彼は「作曲はできない」と謙遜してはいるものの、ミュージカルの曲目において、それぞれのシーンを象徴する完璧と言える選曲を行った。そして即興でクラシックのマッシュアップさえしてみせたのである。それも、もう一つの結末の案を成瀬から聞いてたった数秒の逡巡の後にだ。才能があると言うほか無い。
つまりそこに集約される。クラスから一目おかれ、常人離れした振る舞いをし、音楽の才能がある、彼はいわゆる「天才」である。
ここで先ほど挙げたシーンに立ち戻ることができる。
「あこがれのお城」での彼の涙の理由について。
彼はもちろん、彼が説明するとおりの理由で涙した。「坂上拓実」と連呼する彼女の言葉に聞き入りながら。
奇しくもミュージカルの最終幕の歌詞をなぞらえるように、音の上では名前を呼んでいるだけのそれが、「愛しています」と聞こえてくるその芸術性に感じ入って涙したのだ。
言葉はその意味を越えて話し手の気持ちを投影するものなのだと。
あの切迫した状況においてである。天才の感受性と言うにふさわしい。
さて、彼の父親は誰だったか。
音楽業界において有力な人物である。彼もまた、音楽の天才と言えるのだろう。こんな自覚が希薄な男でも、坂上にとって彼は間違いなく「父親」であった。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
ところで、ここまで一切触れることはなかったが、仁藤の人格についても考えよう。
チア部のリーダーで責任感が強い。ラストのミュージカルで急遽代役を務める事になったときの態度からも読み取れるように、背負い込み、気負いすぎる性質を持っている。
私には彼女がある人物に重なって見える。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
彼女もまた、責任感が強く、背負い込み、気負いすぎる性質を持っているといえるだろう。
一方坂上はといえば、父親としての役目を全うできない道楽者の生き写しである。
ここまで考えると想像せずには居られなくなる。
彼らが結ばれ、子供をもうけるようなことになったとき、待ち受けている結末について。
そうならないと信じたい。
交流会を通しての経験から何かを得、成瀬や田崎のように坂上もまたその業からぬけだすことができるのだと。
以下は蛇足になる。
ここまで残酷で緻密な描写ができる監督、脚本家というのは何者なのだろう?と考える。もしかしたら、彼、あるいは彼らもまた、過酷な家庭環境で育ったのではないだろうか。そうでもなければ、ここまで緻密な描写など不可能なのではと思えてならない。
そして劇中の「やさしい世界」としてのクラス。部活でもクラスでも一目置かれる坂上の立場。
彼は過酷な家庭環境をもつ一方で、その救いを学校生活に見いだしていたのではないだろうか。
さらに推し量るなら、彼の担任教師の高校教師らしからぬ立ち振る舞い。そして文化祭の主役という立場を、スケープゴートとしてしか捉えない大人びた生徒達。彼の原体験は、大学生活にあったのではないか(あるいは高専?)と想像してしまった。
そして家庭シーンの原体験は成瀬と坂上の家庭の合いの子。きっと彼は「坂上と仁藤」の間に生まれたのではないだろうか。
そして彼は「父」になることを恐れているのだ。
ここまで書いたが、実は以上の内容、ほとんど筆者である私が気づいたことではない。
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
彼はその境遇故に、この映画の行間に仕込まれた凶器すべての気配を感じ取り、とても傷ついていた。一方で私ともう一人の友人といえば青春ラブストーリーとしてみていたので平和なものだったが。
彼は「もう二度と見たくない」とは言っていたが、その理由を聞いていくうちに、「心が叫びたがっているんだ」という映画の全体像を捉えることができた。私はこのことにとても感動したので、彼にぜひブログポストするように勧めたが、とてもできないということだったので、許可を得てこの文章を書いている。彼の現在の家庭は幸いにして、父親である彼と母親、両方かけることない家庭を築けている。(今のところ)
しかし彼の反応を観察するに、とても子を持つ親に勧められる作品とは言いがたいのかも知れない。
下衆の勘ぐりが正しいとすれば、この作品はつまり「サマーウォーズ」対抗軸、家庭という環境、父、母という存在を否定し、子供は学校などの社会でその人間性を開花させていくものだと説いたものなのだから。
事実、子供である成瀬に対して救済はあったが、彼女の母にそれはなかった。ミュージカルのシーンは母への救済と取ることもできなくはないが、今の私には罪と向き合い自分の無力さに泣き崩れる母親に見える。
ともあれ、ここまで読み解いてみてつくづくこの映画の凄さ、恐ろしさを感じる。
「青春ラブストーリー」としても、「核家族ホラー」としても、核心の部分をすべて行間に潜め、合致する感性を持つ人、あるいは何度も繰り返し視聴した人が、ここまで深く読み解くことができる作りになっていることがだ。
「心が叫びたがっているんだ」は傑作というほかない。
えーと。すみませんが、何にそんなにお怒りなのかよくわからないです。
もちろん病気の種類とか症状による話ですが、現実的に考えて、病気持ちで共働きまでならともかく、その上家事育児全て負担というのは無理です。市場原理以前に体力的にきつい。
「病気持ちを嫁に貰ってやるんだから家事育児は原則そっちでやってくれ」という殿方はこちらでお断りせざるをえません。お金持ちでもです。そういう発言のある方は病気持ちの嫁のためにお金を出して家事育児を外注しようとは考えないと思われますので億万長者でも無理です。
で、そういう方々とは私はいわばニーズが違うわけで、こちらとしては病気を盾にそういった要求を立てられてもすり合わせの余地がないので、お互いにアウトオブ眼中というやつで済む話なのではないでしょうか。
「そういう要求の男が多数派なの、それが現実なの!」ということかもしれませんが、その現実とは厳密には多数派の殿方のニーズであって、市場と揶揄されてはいますが「多数のニーズを掴んだものが勝つ」という商業上のそれと違って、婚活市場ではマッチングの程度が高いペアが最も満足を得る=勝つのであろうと思われますから、大勢から叩かれようが炎上しようが、具体的な名前や顔を持たない多数派のニーズに構うのはむしろ悪手と判断せざるを得ません。
自民党の目指す「古き良き日本」ってのは、男が稼いで女は家にいろ、って時代じゃなくて
それより前の、女が家事も育児も介護も仕事も全部やれ、って時代だと思うけど。
専業主婦って、数十年前の一時期と言うのもあるけど、そもそも都心部の中流以上家庭のみのものであって
田舎だと昔から今まで共働きが当たり前、でも妻の稼ぎは夫の家に差し出すのも当たり前、だったんだよね。
「嫁」と言うのは夫の家の為に只管馬車馬のように働かされ、でも自分の財産は一切築けない存在だった。
今でも田舎の農家なんかだとそういう風潮の場所も残ってるけどね。
まあ、無理だろ。
現代の共働き志向の女性は、自分で稼いだ金は自分の財産に出来るからこそ働きたがっている訳だし、家事育児は夫と分担したがってるわけで
自分の稼ぎは夫のもの、家事育児は全て自分負担、じゃやってらんねーわな。
月4万円でフィリピン人の(ビザあり、日本語NG)家政婦さんを1年半ほど雇っていました。
家族構成は1才児+フルタイム共働き。家はめちゃ広い3LDK。
留守宅を預けるのだから、旅行にいけばおみやげ、無理を頼んだらチップを。
彼らはこれで生計をたてているのだから、プロ意識は求めてもいいが、一方で友人として信頼を寄せる事が大切だと。
なので、彼女の都合が合わない(例クリスマスに帰国する)からといって、別の家政婦を頼むなんてもってのほか
どうしても頼まないといけない時は、彼女に了承をとることなど細々とした注意がありました。
ネットで見る限り家事代行サービスは値崩れしているような気がします。
自分が家事代行サービス会社を運営するとしたら、正直この金額では儲けがないかマネージメントしてないかのどちらかかと・・・。
安かろう悪かろうと言うつもりはないですが、ひとつ言えるのは固定のハウスキーパーさんにするべきだと。
プロの方は本当に1,2時間で自分の3倍速で家事こなしてくれますので、時間を短くして固定ハウスキーパーさんにすることをおすすめします。
そして相性のいいハウスキーパーさんを探してください。
そうすると生活が劇的に改善します。保証します。家事代行サービスは魔法です。もっとみんな使うべきだ。
私のハウスキーパーさんはフィリピンネットワークで、雇用主の家で悪さをするような同業者は仲間から追い出す自浄作用が働いていたそうです。だから私達は絶対に悪いことをしないと言っておられました。
とはいえ、悪さをする人も少なくはないと。
沢山のハウスキーパーを抱えている所はその辺保険でカバーをするのでしょうが、正直盗難の被害って金銭的なものより、気持ち悪さだと思うんです。
また一回限りのお付き合いならちょっとした盗難の心理的障壁もかなり下がりそうです。
是非信頼できるハウスキーパーさんを!
以上家事代行サービス利用経験者の話として参考になれば幸いです。
あと、家事代行が入るからといって通常の家事をしなくなったり、あえて汚くしたりするのやめたほうがいいです。
それから費用を払っているのは自分だからと、家政婦さんがやってくれたことを自分の家事能力のように自慢するのもやめましょう。
非正規雇用の拡大で厚労省直轄ハローワークが発表する所の求人数増加、就職率大幅改善の記事が朝日新聞などで度々見かけるようになったけど、
ホントは派遣とかパート・アルバイトも入れてそれなんだという事が色んな人も気付いてしまった今日この頃。
日曜の新聞によく挟まってるイーアイデムも結局ハロワと同じでした。勿論タウンワークもブラック企業やカラ求人といった具合で、毎週あのペラペラのフリーペーパーを完成させるために色々な所にテレアポ取って無理やり掲載してきたものが、よく見れば嘘しか書かれていない待遇とか勤務時間、残業の有無もあって、そこで働いている人の気苦労が見て取れます。
竹中平蔵率いるパソナや麻生太郎の縁者が運営するアソウヒューマニー、学情、リソシア、マイナビといった社内も非正規だらけ風通しの良い社風の会社が、
正規雇用を応援、支援するなんてよくも恥ずかしげもなくやれますね。
とりわけありえないのが、残業しても1日固定給7000円のみで交通費は全部自費でやらせる所などは、派遣会社でハケン登録をして派遣先で仕事をする時と同じです。
こういったぼったくりが政府公認で横行している中で、正規雇用を真面目に支援する所なんてありませんよ。
ハローワーク(厚労省)は件のように求人求職動向を水増しして発表しますし、民間の就職支援会社は水増し以上に酷い奴隷化が着々進んでます。
リクナビなんて面談に行くだけで交通費が貰えるとしながらも本当の所、本人の志望動機などからアトランダムに検索抽出されたカラ求人やブラック企業が列挙され、
その中から選ばされるわけですから、行って小遣い稼ぎをする位しか使い道はありませんし、最近は満席が多くて面談にすら進めなくなるといった不具合が発生して
それにこう言う事を2chで暴露しようとしても新管理人Jim氏によって「書き込もうとすると転載禁止スレなるスレッドに飛ばされてしまい」書き込む事も出来ません。
全ての情報が正に嘘だけを真実であるかのように吹聴するわけですから、嘘を嘘と見抜く力がない人はネットすべきじゃないと2chの元管理人西村博之氏は言いますけど
今は時代が違い過ぎるから、その論法は矛盾すると投げ掛けたいです。
さて、一番の問題点について話す事にしますが、どうやら新卒一括採用に関しては未だに政府が推進しているみたいで、嘘だらけの既卒向け求人情報関係はもっぱら民間に委託している状態であり、それらに付随したコミュニティーもまるで機能していません。
新卒一括採用の風潮については、先日小学校などで自民党関係の人達が「フリーターになったら悲惨な事になるから真面目に就職活動をすべき」と子供達に問う場面がありました。
しかしながら、今まさに皆真面目に就職活動をしている中で、それでも就職が上手くいかない人は図らずもフリーターになってしまうのではありませんか?
私も以前は他人事のように、同じ就職活動者たちを眺めていましたがどうスキルやスペックがあっても年齢制限や男女格差のある今の雇用社会ではどうしようもない状況に打ちのめされるしかありません。
それに、最近ハロワで見かける求人はバイトや派遣やその他非正規求人ばかりで、しかも最低賃金と同額なんです。
ワタミの最低賃金雇用をメディアは厳しく批判していましたが、ではお宅の会社では最低賃金と同額で雇っていませんか?
今年初めに読売新聞や朝日新聞の販売会社の求人を見ましたが、どれも最低賃金に1~5円程度を足した気持ちだけ高い額でしたが、それでもワタミを批判するんですか?
同じ穴のムジナなんですよ。
どうやら生活保護を受けなければこれからの生活もままならないでしょうが、とにかく持家だったり親の固定資産だったり日本人には非常に厳しい条件です。
奨学金は無利息でも1000万返済しなければならないし、納税義務も若年者猶予で何とか30歳まで伸ばして貰えましたが支払がタダになる事なんてありません。
長男の嫁が嫌い。
わたしは田舎に育ったからなのか『盆、正月くらいは帰ってくるもんだ』というのが常識にあって
それがすごく心に引っかかる。
お盆にみんなでご飯を食べた時もお義父さんが
「お正月はすき焼きやるからみんなで食べよう!」って行ったのに対し
もう一生この嫁はお正月は帰ってこないんだろうなって思った。
関東圏に住んでいるから来るのにお金がかかるとか、北東北だから冬は寒いとか
そんな理由だった。
本当はいっしょに来て欲しいらしいが来ないみたい。
お義父さんもさすがに長男だから本当は帰ってきてほしかったみたいだけど
って寂しそうに言ってる。
わたしは自分の性格上家に入るのは無理だと思うからそこも踏まえて長男は避けた。
でも現状では旦那の実家の家族はみんな隣県に住んでる私達夫婦に「いっしょに住めたらいいんだけどね」
って言ってくる。
言われると正直心が苦しくなる。
わたしの旦那は「おばあちゃんが高齢だからはっきり言わないでそれとなく流してればいい」
って言ってくれてるけど
きっと結婚前に長男嫁が挨拶に来た時も「いっしょに住みたい」みたいな同じようなこと言われて
それが嫌で必死に画策してるんだと思う。
それにしても長男嫁の実家は正月帰らないことに何も言わないのが驚き。
だったらなんで婿養子でとらなかったのか謎だし、
それくらい気に入られてるってことだと思うけど
常識的にどうだろう?って思った。
都会に住んでる人ってみんなこんな感覚なの?
来月結婚式があるんだけど
しかも電話の内容が謝罪じゃなく怒ってやりたくない理由を並べられたそうで
これは完全に嫁だなって思った。
司会なんてしたらあたしが寂しいでしょ!ってのでNGだったんだと思う。
兄弟揃って入場してあげたらしい。
旦那は怒ってたしすごくへこんでた。
他にも長男嫁はいつもは薄メイクだったのに私と会う時だけ濃いメイクをしたり(旦那もびっくりしてた)
旦那にものすごく馴れ馴れしいし(旦那本人も嫌だって言ってた)
お墓参りも2人だけで行ってたのに
私達が来た途端みんなで行くと言い出したり
なんか意識されてるようですごい嫌。
http://anond.hatelabo.jp/20130502191601
一連の増田の記述を読んで普通の人はこう思います「離婚しろよ」と、更に「その男のどこが好きなんだお前は」とも。しかし増田は離婚など考えてもいなかったとの事、なんででしょうね。
憶測ですけど夫は外見かなり格好良くて会社経営のほうもなかなか上手く行ってる感じなんじゃないですかね? そうじゃなかったら増田も離婚を考えているはずと思います、だって明らかに貴方夫のことを愛してないですし。つまるところ社会的成功者の妻という立場が結構美味しいということなんだと思います。
それでなんですけど。上の憶測は多分あたってるんじゃないかなーって思うわけですし別に責めるつもりもないのですが、貴方が夫を愛していないのに夫が貴方を愛し尊重しなければならない理由ってどこかにありますか? 多分あなたのそういう気持ちって夫にバレてるとおもいますよ。
そういう所から考えて増田が取りうる今後の対策ですが。難易度の高い順から言うと、
1.別れる
2.夫を愛する
3.我慢する
のいずれかになろうかと思います。
まず選択肢1は相当の自己改造が必要になります。その上家族や親類にも迷惑がかかり、最終的に得るものはありません。偏にこれは夫への依存を断ち切る為に多大な負債を抱え込む覚悟をするということで、正直に言って難しいと考えます。もし「夫以外に本当は愛していた人がいて」とか、「何らかの手に職のアテがあり離婚しても一人でやっていける」だとか言う場合はこの選択肢もアリでしょう、まあ今の御時世に可能性は低いとおもいますけれど。
次の2番、これもかなりの難易度です。貴方が夫の愛せそうな所を見つけるところからまず難度が高いですし、仮に貴方に夫を愛せたとして今更夫が貴方を愛する保障はありませんしね。ただこの選択肢2番を経由してからの選択肢1番ということもありえますので、欠片でも夫を愛せそうと思うのならチャレンジして見るのもいいでしょう、多大な労力がかかることとは思いますが。
で、3番ですが。まあ自動的にコレになると思います。その場合あなたが気をつけることとしては、夫のほうに離婚を切り出させないということで、家政婦としての完璧さを全うする努力を怠らないということです。恋愛したければ夫にバレないように不倫でもすればいいのだと思います。でも貴方って付き合い狭そうですし夫にバレないように不倫するに当っては細心の注意を払ってくださいね、言うまでもないですがバレたら地獄です。あと子供は作らなくて良いなら作らないほうが良いと思います、貴方の人生の供物として捧げられる貴方の子供の一生を思うと今から同情を禁じえません。また、これは場合によりけりですが、年齢から考えて貴方のお母様はこの「我慢する」という生き方の達人である可能性が高いと考えますので、相談してみると色々良い示唆が得られるかもしれません。
と、こう書いているとなんだか貴方の性格的欠陥によってこのような事態が発生しているかのようですが、驚くべきことにこれは別に貴方だけの責任によって発生しているわけではありません。
小6の娘から「お母さん、仕事辞めて」 働く母親のジレンマ〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121112-00000006-sasahi-soci
これに対しid:kobeni_08がブクマ。
そもそも「成績で決まる塾の席順」がかなりカルチャーショックなんですけど… あと、受験勉強って母親が監修できるもんなのか?そんなことできる人のリソースが、もんすごい勢いで一家庭に投下されてるってのも…
いわゆるNバッグを背負っていた小学生として思うところがあるのでキーボードを打ち込むことにする。
毎週土曜日にカリキュラムテストという出題範囲の決まったテストが実施され、
総合得点の上位20人と算数、国語、理科、社会の各科目は上位5人はその結果が廊下に掲示される。
で、算数の授業では算数の、国語の授業では国語の成績に応じて、席順が教室の前のドアの横に貼り出される。
自分の教室では2人用の机が3列あり、黒板に一番近い真ん中の机の左から1位から順番に座る。
つまり黒板に近い生徒は成績がよく、教室の後ろにいる生徒は成績が悪いことが一目でわかるわけだ。
個人の成績表と全国ランキングもテストのたびに配られ、競争心を煽るあらゆる手段が取られていたと思う。
ただ自分たちはあんまりこの席順には執着していなかった。むしろ何ヶ月かに一度実施される公開模試、
この公開模試の結果によって席順ではなくクラス替えが行われるのだ。
自分の教室では成績がいい順に栄冠組、3組、2組、1組の四クラスあって、栄冠組とそれ以外では授業時間、内容と宿題がかなり違う。
親としては同じ学費を払っているのだからよりよい授業を受けさせたいから気合が入る、
自分としてはクラスが変わると友人や好きだった子と一緒にいられなくなるから気合が入っていたと記憶している。
学校での人間関係や親との関係が決して順調ではなかった自分にとって、塾でできた友人たちと休み時間や行き帰りに一緒にいられないのは想像するだけで恐ろしかった。
2,3週間くらい前からカリキュラムテストの勉強と同時進行で過去の公開模試や問題集をひたすら解いていた。
そのおかげもあってか自分は小学4年の時から小学6年を通じて栄冠から落ちることはなかった。
そういえば今でも好きだった子は年に一度くらいは夢に出る。
まあ初恋だったんだろう。元気にしているだろうか。
山のような宿題が課されるんです。ほんとに山のような。
中学受験が終わった時に今まで解いた問題集とプリントを縦に並べたら当時の自分の身長ぐらいあった。こんな量を小学生に管理させるのは無理。
そうなると母親が監督になるしかない。母親が監督になるしかないのだが、母親が中学受験の経験がないと、上位校にいくのは厳しいのではないか。
実際母親の”受験ママ友”の学歴とその子供の受験結果を思い出すと相関はあると感じる。
ノウハウの蓄積の差や、子供に指導するときの説得力の差は大きい。
母親が今までの人生でやったことがないことををやれ、というよりも自分もできたことだからお前もやれ、という方がまだ納得しやすい。
それとママ友は共働きより専業主婦の人が多かったはずだ。共働きだと遊びたい盛りの小学生を週4、一回3時間近くの塾通いをさせ、宿題とプリントを管理し、
最も集中して勉強する金、土、日につきっきりで教えるのは難しい。この上家事もやるわけで…
この娘はそんなに勉強して将来どうするの。
↓
↓
収入と家庭の安定はそれなりに相関する
↓
家庭の安定は家庭の幸福にそれなりに相関する
と自身は思っている。
中学受験はあくまで通過点だと言うことはわかっている。上の相関だって絶対ではない。ただ何もしないよりかはマシではあると思う。
2月1日まであと3ヶ月を切っている。がんばれ受験生。
書き方が悪かったか?
足し算できない人かいな。
男の稼ぎ(5)+女の稼ぎ(5)=家計(10)
男の家事(0)+男の育児(0)+女の家事(5)+女の育児(5)=家事・育児(10)
って事だぞ。
相手の問題だなんていうのは増田が周りの現実を見てないからであって、
第一、それが通ったとしても
「女が我慢しているか、言わないか、離婚する(結婚しない)か」の選択でしかない。
育児・子育てを男が”全くしない”とは言わないが非常にレアケースなんだから。
殆どの男がそういう認識なの。
増田もそうじゃん。
でも、実際には死なないんだ。女はやってる。
増田が言ってるのはそういう慣習で不平等になってしまった状況を
気に食わなかったら離婚するぞ」
って言ってるんだぞ。
そんなの「死んじゃう~」並みに甘えているだけだ。
男はそういう思考回路だ。
そして、大概の女がそれを”甘やかして”る。
それが一般的にどれくらい妥当な話かはわからないけれど。
「一家を支えるまで働いて家事までやれ」って状況下に陥るのは男女関係なく、当人が結婚契約をトチってるのでは。
大人が好き好んで結んだ不利な契約をグタグタ言っても、「目の前のパートナーに言えよ」で終わる話なのでは。
自分で稼げるなら、選択肢は幾らでもありそれは別段弱者というわけでもなく。
とれる道がいくらでもあるでしょうに。それは、男女の問題ではなく共依存の問題なのでは。
その状態で契約を続行するのも(そもそもそんな契約を結んだ時点でどうかと思うが)やはり「馬鹿」なのではないかと。
そりゃ、強制で結婚させられた!とかなら同情の余地もあるけれど、
女性の稼ぎが増えて来た時代、男女の差がなくなって来た時代。
それが事実だとすれば、不当に貶められた状態にあり続ける必要も無く、むしろ「働かない重石」である男を捨てれば
それでいいだけなのでは。一家支えた上家事をやって残業まで出来るなら、それもう男要らないでしょう。
何も問題が残らないと思うけれど。よくわかんないなぁ。
参院選を目前に控えた民主党が取るべき選択肢は、実質小沢さんと鳩山さんの両切りでイメージを変えるしかないよなぁ。
つーかこれは小沢さんが起訴された時期にも考えられていた話だったけど完全に主役が入れ替わったね。
サービス精神旺盛だからといって、公の場でできもしない理想論を語るのは一国の首相としては余りに頼りがいがない。
結果、沖縄の基地問題で鳩山さんは裏目裏目で完全に沖縄(日本)とアメリカを自ら敵にまわし、ついには支持率20%。
さすがに参議院議員もこれじゃ戦えない。
とはいったものの新たに党の看板として戦えるような人物が本当にいるのか?というところも民主党の泣き所なんじゃないだろうか。
反小沢寄りの知名度もある実力者っていうと前原さん、岡田さん辺りが真っ先に浮かぶけど、どちらも党首経験があるので特別新しいイメージはない。
しかもどうしても頭は切れるけど押しが弱い感はぬぐえない。これは鳩山さんと若干かぶるので国民の期待には沿わないんじゃないかな。
かといって小沢寄りの議員だと小沢の傀儡政権といったイメージを保持したままになるものなぁ。管さんじゃアクが強すぎるしやっぱり党首経験あり。
原口さんはTV主演で割とイメージはいいと思うけど、実績不足でどうしても裏で糸引く小沢さんの影がちらつく。
結局、帯に短し襷に長しといった感じで反小沢派にしても小沢派にしてもイイ人材がいないけどどうなるんでしょうねー。
あと今回は辞めさせられたかたちだけど、名門出身の政治家ってあっさり辞めすぎだろうと感じてしまう。